世紀末・わんど覚え帳/12月下半期




いいアングルで撮れた「チキバス」(詳細は11月13日参照)

12月31日(金)/なんとかまた一年

 今年で何年目になるか忘れてしまったこの日記。今年も苦しみつつもなんとか一年続けることができた。

 今年は、じつは職場のほうではいろいろな波風もあり、またいままででいちばん講演を依頼された年でもあった。なにかと勉強させていただいた一年であ ったし、自分の50才という区切りにふさわしかったかもしれないとふり返っていたりする。

 来年はちょっとまた違った形で続けるつもりではあるが、これはどれだけ続けられるのか。

 ま、みなさま来年もよろしく。

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12月30日(木)/惰眠

 年末の気の緩み風邪を早くなおすべく、ちょうど年末休みになったし、パートナーが仕事にでかけたあと、布団を引いたまま朝食をとってテレビを見、本を読み、CDを聴きながら、また惰眠をむさぼったりして午後遅くまで過ごしていた。

 しかし、貧乏性というか、午後4時を過ぎるころからむずむずしだして、バスででかけて用もないのにパソコンショップをうろつく。F社のスキャナーがなんと\7,980というので、あやうく買いそうになったりしつつ、夕食のための買い物をして帰宅。

 午後6時くらいからまたテレビ三昧のままこの時刻。

 鳴呼、こんなことでいいのかという50歳の暮。

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12月29日(水)/こら、そこな役人

 昨日の日記に

| 今年はいまだに介護保険の主治医意見書の作成依頼が届いており(あんたが
|たは御用納めでもう仕事をしないのに人には12月27日付まで送付するのね)、
|なかなか賀状に手が回っていない。
と書いた。賀状は、今日の朝早くからすこしづつやりだして、午後4時くらいに約 380通を完成、投函してなんとか年内の間に合った。

 で、昼過ぎにほんと頭にきたこと。今日まで主治医意見書の作成依頼が届いたのである。依頼日は12月28日。そして期限が1月5日(爆笑)。いやあ、そこな役人さんたちは、きっちり年末年始をお休みになるのだが、われら町民は正月も仕事せいということらしい(大爆笑)。意見書については目の前にきた当日に処理することを基本にしているので、今日のうちに作成してしまったので、正月に仕事をすることにはなっていないわけだが、しかしま、エエ仕事してはりまんなあ>お役人さまぁ(*1)。

    (*1)わが川西市のために注釈しときますが、12月28日付の依頼書を送
    りつけてきたのは川西市でも他の兵庫県の自治体でもありませぬ。

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12月28日(火)/年賀状

 年賀状がまだできていない。

 もともと私は年賀状や暑中見舞いなどを出す習慣を持っていなかったのだが、いまの職場になってからは、責任者としてそういうことを言っておられなくなり、お世話になっているかたがたにお送りすることにしている。

 パソコンで作ったものなのであまり「心がこもった」とは見てもらえぬかもしれないが、しかしデザインなどはそれなりに考えて作っているのである。

 今年はいまだに介護保険の主治医意見書の作成依頼が届いており(あんたがたは御用納めでもう仕事をしないのに人には12月27日付まで送付するのね)、なかなか賀状に手が回っていない。

 明日からはお役所がらみの書類はないので、一気に賀状や溜まっている他の書類をやってしまわねば…。

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12月27日(月)/打ち上げかな

 息子たちとの忘年会をしようと、ま、だいじょうぶだろと予約もせずに梅田の大きな寿司屋さんにいったら、これがたいへんな盛況。小一時間も待たされてしまった。

 お客さんはほとんどがサラリーマン風のグループや二人連れ。公務員さんや大手企業は明日が「仕事納め」だから、フルタイムで仕事をするのは今日が最後だわな。私らのように29日のフルタイム、お店などの31日までというような立場の者はもうすこしあとにするのだろうが、なんとなく「打ち上げ」の人たちのように見えたのはひがみか。

 不況だというのでこういうお店が繁盛し、新地などが閑古鳥ということなのだろう。この店には息子たちとしばしばくるのだが、こんなに混んでいるのははじめてのことだ。

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12月26日(日)/今年最後の朝寝

 昨夜の酔いが適当だったのか、かなり熟睡したうえに早朝覚醒もなく、ぼんやりと目がさめて時計を見たらすでに9時を回っていた。寝返りしてもういちど眠って、けっきょく起きだしたのは11時前。

 休日でもなかなかゆっくりと朝寝することがないので、こういうことは珍しいのだ。この1年間の寝不足をどっと取り戻すかのようであった。

 朝昼兼用の食事をとってネットにアクセス、ちょっとした仕事をして午後遅くから両親の家にでかけて、夕食に鍋をごちそうになってゆっくりしゃべってさきほど帰宅。

 めったにない絵に描いたような休みの一日だった。1999年年もあと一週間。

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12月25日(土)/ラストスパート

忘年会(らしきもの)も最終コーナーに入ってきた。

 今夜も小規模の飲み会があって、珍しくホテルのバーでの二次会でしゃべりを楽しんだりしたのだが、来週も月曜日から連続3日間の忘年会ラストスパートである。

 いっときは師走の宴会の回数がぐっと少なくなった時期があったのだが、最近はまた増えつづけている。それだけおつきあいの幅が広がっているのかなとよいように考えているのだが、しかしま、自宅でテレビを見ながらゆっくり夕食をとりたくなるのがこの季節でもある。

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12月24日(金)/クリスマス・イブ

 なんやかやといっても、私らのような中年おやじがどうあがいても、今夜はクリスマス・イブなのである。

 職場のBGM(有線放送)は朝からクリスマスソングのチャンネルがかかり(事務の女性たちの仕業だろう)、夕刻、定時になったとたんに若い人たちはそそくさと退勤していった。

 外の道路はなぜかとても混雑し、デイケアの送り車はいつもの倍くらいの時間がかかって帰着してきた。和菓子屋さんの店先でクリスマスケーキが売られ、いつもは満席の駅前の回る寿司屋さんは閑散。

 そして若者のいないわが家では、手こね寿司と鳥のから揚げを、スパークリングワインで。ひそやかにそれなりの夕食としたのであった。

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12月23日(木)/続・歳末

 19日に大阪にでかけてさびしい歳末と書いた。

 今日、買い物のため大阪梅田周辺を半日歩き回って、日曜日のことをちょっと訂正しなければならないのと、さらにさびしさの駄目押しをしなければならない事態に遭遇した。

 梅田近辺はものすごい人出であった。阪急百貨店の混雑はともかく、とくにHEPを中心とした阪急の東側の若者たちがすごい。まともに道は歩けない。若者たちに不景気はないのか、とさえ思える。

 しかし、北新地や地下街の端っこのほうはやはり閑散としている。祝日だから新地の飲み屋さんが開いていないということもあるが、しかしクリスマス直前である。午後6時を過ぎても新地本通はうす暗く、ほとんど人通りがないのには驚いてしまった。

 寒さが身にしみる。

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12月22日(水)/いやな年末

 大阪以外の地方での新聞の扱いがどのようになっているのか分からないが、昨日と今日の大阪の新聞にはとてもいやな事件が載っている。

 宇治市で小学校の校庭で子どもが刺し殺されたり、摂津市では下校途中の小学生が誘拐されたり…。

 年末になると一年間の事件の特集がテレビで流される。今夜はその第一弾をやっているので見ていたが、ほんとにわけのわからぬ事件がたくさんあって、せっかくのクリスマス気分も暗澹となってしまう。

 日本は、これからどうなるのだろうか。

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12月21日(火)/再開発

 職場全体の忘年会があった。

 JR尼崎駅北側に新しくできたホテルが会場。もともとビール工場のあった広大な場所が再開発されてできた一角である。平成11年11月11日に鳴り物入りでオープンしたところである。

 午後7時からの忘年会のために駅を降りてその「アミング潮江」に向かうが、うーん、どうも閑散としている。大阪近郊では、つぎつぎに駅前再開発がされていて、どこの駅に降りても似たような駅前が並んでいるから、よほどもともとの人の流れがあるところでないと、オープン当初の集客現象がすんだとたんに閑古鳥ということになりかねない。

 もっとも、会場のホテルはその工場の会社直営のため、ビールやワインが飲み放題、そのビールも地域ブランドの「神戸ビール」という嬉しい宴会であったのが救いである。

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12月20日(月)/新年号

 この時期、リキの入った新年号が気になってつい雑誌を買い込んでしまい、なかなか読破できずに「積んどく」状態になってしまっている。

 部屋にあると、表紙の赤と金の色がやたら目立つのも新年号の特徴である。特集もそれなりのものが多い。

 「芸術新潮」/「白洲正子」全一冊。「太陽」/日本の美 100。「サライ」/招き猫と縁起物。「歴史群像別冊・アルゴ」/お伊勢参りの旅。「旅」/2000年、京都へ。「BASHO」/冬の京都逍遥。

 みんな基本的にはグラフィックな雑誌だが、小さな活字がびっしりという記事も多い。正月明けまでに読みきることができるだろうか。

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12月19日(日)/歳末

 1999年もあと2週間をきった日曜日、さぞ歳末の雰囲気と思いつつ所用で大阪環状線に乗った。ところが、いつもの日曜日に比べると電車がやたら空いていて、朝は大阪駅から寺田町までゆっくりと座っていったし、夕刻の逆向きも空席が目立った。

 乗り換えの阪急梅田駅もそれほど混んでいない。もちろん、デパートなどには近寄らなかったので、ほんらいの人出を見なかっただけかもしれないが、それにしてもなんとなくいつもの歳末のような雰囲気ではないような気がしてならない。

 ラジオでも、酔っ払いのおじさんを見かけることがほとんどないなどと言っていた。やはり景気が影響しているのだろうか。

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12月18日(土)/おばはん

 朝っぱらからおばはんに会ってしまった。

 バス停で待っていたら、私と同年輩の女性がやってきて、並んでいる男たちのなかの比較的若い人に、

「これ何時のバス待ってはんのん?」「このバス池田市役所前に行くのん?」

 バス停に書いたあるがな、48分発の市役所前経由池田行き、って。

 で、バスがきたら、行列している私らには目もくれずに先頭でご乗車。二人掛けのシートに荷物を置いてどっかとお座り。その後のバス停でけっこう乗客が乗ってきても荷物を置いた席をお譲りになる気配なし。

 そして究極は市役所前で下車なさったあとであった。なんとおばはんはお降りになってすぐバスの前を横断なさったのである。下車したのはおばはん一人だったので、運転手さんはすでに発車しかけていた。しかしおばはんはバスなどまったく無視して直前をお横切りになったので、ちょっとブレーキなどかかってしまったのである。

 いやあ、ほんとみごとな大阪のおばはんだったのである。

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12月17日(金)/時間外患者

 熟睡していたのに、突然体全体の違和感、とくに手のひらのなんともいえない不快な感覚で目がさめた。時計を見ると午前2時すぎ。まだ寝ついてから1時間ちょっとしかたっていない。

 とりあえず起きだした。この感覚は、かなり以前にもあったアレに違いない。昨夜はふたりとも帰宅が遅かったので、近くの居酒屋で軽く食事をして(もちろんビールを飲んで)帰ったのだが、たしかにサバ寿司は食べた。しかしその店のサバ寿司はいままで何度も食べている。6年ほど前にサバのきずしにやられたときは、店を出るかでないかでこの感覚になったので、今夜は時間的にちょっと変ではあるが、しかしこれは間違いないジンマシンの出かけである。

 私はジンマシンが出ると、皮膚だけでなく粘膜にまで出てたいへんな目にあうことがある。防ぐにはハイドロコーチゾン(副腎皮質ホルモン剤)を点滴しなければならないので、しかたなくすぐに着替えて職場の母体病院に運転していった。冬の深夜で申し訳ないが、事務当直と看護婦さんの仮眠を時間外患者として妨げて点滴、ま、大事にはいたらず4時すぎには帰宅したのであったが、今日は一日まだ胃の不快感があり、消化器粘膜はまだ腫れているのであろう。

 午前中、職場のスタッフに「肌が黄色い肝臓悪いんとちゃうか」と脅されてちょっとひびってしまったが、昼前に検査して問題なしと分かり、これもやれやれ。しかし、しばらくアルコールを控えることにする。

 ふーっ。

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12月16日(木)/新快速

 設立者の一角に名前を連ねることになったNPO(特定非営利活動)法人の認証申請のために、朝から兵庫県庁に行った。

 通勤時間帯のJRに乗る機会などめったになくて、いったい川西から神戸元町までどれくらいの時間がかかるのか分からないまま、ちょうど8時ごろに各駅停車に乗った。各停とはいえ、駅間距離の長いJRのこと、乗り換えの尼崎駅まで15分ほど。すぐに東海道線(神戸線)の新快速がきた。

 朝の新快速は尼崎から三ノ宮までノンストップで、しかも飛ばす飛ばす。電車の高速走行、私はとても好きなのだが、神戸線に関してはやはりいまだに震災後の景色の印象が強くて、130Km/h で走っているときに揺れたらどうなるのかなあと、つい思ってしまう。

 しかしまあそういう心配をゆっくりする間もなく、15分ほどで三ノ宮着。すこし遅れて到着の各停に乗り換えて夜はルミナリエで混雑しているであろう元町駅を降り立ったとき、まだ8時40分をほんのすこし回ったところだった。

 川西から神戸まで40分。快速快速 :-)

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