焚火をすべし!
シンプルキャンプって、やっぱり焚火にどどめをさす。ある時はツーバーナー、ある時はランタン、ある時はヒーター、そしてある時は映像スクリーンでありドラッグでもある。焚火の火があれは、あとはなにもいらない。ということもないけれど余分な道具がいらなくなるのは確かだ。火は日常の自分を原始の時に蘇らせてくれる。オレンジ色のおき火は、まるで刻々と形を変える不思議な宝石のようだ。仲間がいればみんな焚火の周りに集まる。会話がはずむ。お酒がうまい。子供が喜ぶ。子供は火遊びが大好きだからね。火をつけた棒をくるくるまわす。闇のなかにその軌跡が浮かんでアートになる。 料理だって、焼ものは遠赤外線でおいしくできるし火力が強いから中華料理もバッチリだ。

自分が楽しめ!
まず自分が楽しむことが基本だ。フェミリーキャンプだからといって、子育てのためにとか、だれかのためとか考えていると、そのうち億劫になって続かなくなる。自分が楽しいから、目的地を選んだり、料理を考えたり、ああもしようこうもしようと、キャンプを楽しむ工夫ができるというものだ。
自分(親)が心から楽しんでいると、子供はいきいきしているはずだ。なんだかんだと構ってあげなくても自由に飛び回っている。子供は敏感だから、親が楽しんでないとそれが伝わってしまう。
自分が、自分たちが楽しめるいうことは、子供がいなくても僕らの用に子育てが終わっても、夫婦二人で楽しいキャンプができるってことさ。ま、子離れして自立しょうってことかな。(なんとなく寂しくはあるが…)

いつも自由なスタンスを持って!
ふつう大勢でのキャンプの場合、役割分担や料理の下打ち合わせなどをするが、僕らはほとんどしない。「それぞれが楽しむ、ひとに頼らない」これが基本だ。いつでも単独行動ができるようにしている。たとえば料理だって自分たちの好きなものを持ち込んで、それぞれが楽しみ、かつみんなで楽しむ。各々のスタンスが違うから、この方式が一番。だから僕らの場合、現地集合(または途中集合)、現地解散が多い。無理にひとに合わせなくて済むし、気を使ったり使われたりしなくて良いのだ。だって自由になりたくてキャンプしているんだしさ。

不便を楽しめ!
整備されたオートキャンプ場、画一的に舗装されたサイト、AC電源、チェックイン、チェックアウト、しかも焚火はだめ、なんじゃこりゃ。
管理された日常につかれてフィールドに出てきたはずなのに、管理されたこぎれいなキャンプ場で日常生活の延長をする。まるで郊外のスーパーマーケットの駐車場でキャンプしているみたいにきれいで便利。それが超大好きという人なら別にいいけど、ちょっと寂しくないかい?
もちろん、そこそこの便利さは悪くはないけど、そんなに不便がいやなら、わざわざなキャンプなんかしなけりゃいいのさ。野外ならではの不便さを楽しむのがキャンプでありアウトドアライフであると思うんだが。不便が快適ということかな。
(もっとも何にもない山の中でキャンプをしろといわれても、僕もそんな根性もテクニックもないけどね。)

道具は厳選最小限!
べつにストイックな昔風のキャンプがいいってわけではないよ。厳選した道具でシンプルにってことなんだ。便利さを追うあまりどんどん道具が増えていき、本来のアウトドアの楽しみが失われたら本末転倒。
よく、山のように道具を持ってきているキャンパーを見かけるけれど、まるでダイニングキッチンごと引っ越してきたみたいだぜ。道具を広げるのに半日、道具をかたずけるのに半日。じつに有意義な時間の使い方だ。ほらほら、そばで子供が泣き叫んでるぜ。いわゆる物質文化から逃げ出してアウトドアに飛びたしたんじゃなかったのかい?(大昔の僕はまさにモノ思考だったのだ。反省!)最小限の道具で自然とつきあうから、自然を肌で感じることができるし、シンプルだから頭をつかってキャンプが楽しめるのだ。