side−B 番外編 −枕の憂鬱−


 痛い、痛い、痛い。

 息ができない。

 我慢ができないくらい苦しいんだ。

 誰か……助けてくれ!!

(豪!)

「か ず き?」

 自分の声で目覚めた豪は、上体を起こして枕元に置いてある目覚まし時計に目を向けた。
 時間を見ると眠ってからまだ1時間も経っていない。
 頬に幾筋も伝う涙をパジャマの袖で乱暴に拭うと、自分の両頬をピシャリと強く叩く。
 今夜も全身に冷や汗をかいている事に気付いて、寒くもないのに少しだけ身震いをした。

 ゴールデンウィークに自分が無理を承知で我が儘を通した仕事は、結局、誰も助ける事はできなかった。
 それどころか巻き込んだ千寿子の精神を崩壊寸前まで傷つけ、深い眠りの中を何日も彷徨わせてしまった。
 他の皆にも多大な迷惑と心配を今もかけ続けている。
 自分1人に全ての罪が有るのだと豪は今でも疑っていない。
 ほんの一瞬の記憶、全身に激しい痛みを感じて意識を手放した。
 その後の事は何も覚えていない。
 意識を取り戻した時には傷は全て完治され、安全な天ノ宮家のベッドに寝かされていたのだから。
 天野家に帰ったその晩から、天ノ宮家で見続けた千寿子や皆への罪悪感とは違う悪夢で夜毎うなされ続け、こうして泣きながら目を覚ます日々が続いている。
 毎晩事故の夢を見ているなどと、決して誰にも言えるはずが無いと豪は深い溜息をつく。
 これも天の理を乱した自分への罰の1つかもしれないと思い直し、豪は肩を落として苦笑した。

 ふと、今夜の夢はいつもと違っていたと豪は気付いた。
 誰かが自分の名前を呼び、その声に救われるように目を覚ましたのだった。
 耳に慣れたはずのその声の主を、豪はかすかに残った夢の記憶から真剣に探す。
 そして和紀の声に似ている気がすると豪は思った。
 なぜだろうかと記憶を辿りながら思考を巡らしてみたが、連日の悪夢で睡眠不足の頭では思うように考えがまとまらない。
 唯一思い当たったのが事故の後、ずっと側に居て自分を心身共に支え続けてくれたのが和紀だという事だけだった。
 豪はふらりとベッドから立ち上がると部屋を出て行った。

 そろそろ寝ようかと和紀は本を置き、ベッドサイドのライトに手を掛けた時に部屋の扉がノックも無しに静かに開けられた。
 今頃誰だろうと目をこらすと、豪が少し疲れた顔をして立っているのが見えた。
「どうしたの? 豪」
 和紀に声を掛けられ、やはりあの声の主は和紀だと確信した豪は小さく頭を振った。
「ああ、こんな時間に邪魔をして本当にすまない。ちょっと確認したい事が有って来ただけなんだ。今すぐに出て行くから……」
 そう言い掛けたところで豪の目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。

「豪?」
 人から寄せられる好意には救いようが無いくらい鈍いくせに、周囲に必要以上に気を配る豪が、深夜に何の前ぶれも無く部屋に来た上に、突然泣き出す姿を見て焦ったのは和紀の方だった。
 泣き顔を見られたくないと背を向けて部屋を出ようとした豪に、このまま帰す訳にはいかないと思わず超能力を使う。
「うわっ」
 何が起こったのかと思うより早くベッドの上に転がされた豪は、スカイブルーに輝く和紀の瞳と目が合い、急いで身体ごと顔を背けた。
 逃げだそうとしても和紀が本気で超能力を使えばすぐに掴まえられる。
 一瞬とはいえ、和紀の真剣な眼差しを見てしまった豪は、迷惑を掛けるだけなのだから来なければ良かったと後悔した。

 和紀はパニックを起こしかけた自分にまず「冷静になれ」と何度も心の中で呟いた。
 我慢強い豪の涙をこれほど早くまた見る事になろうとは、和紀にも予想できなかった事だった。
 優しくいたわるように豪の髪を撫でながら和紀は再び問いかける。
「何が有ったの?」
「……」
 背を向けたまま微動だにしない豪に、和紀は豪の性格からすれば仕方が無い事だと苦笑して返事を待った。
 5分ほど髪を撫で続けていると小さな声が和紀の耳に届いた。
「毎晩夢を見るんだ」
 和紀は「どんな夢なの?」と聞く代わりに「そう」とだけ答える。
「とてもこ……間違えた。……理由を知りたくて……来たんだ。……本当にすまない」
 少ない言葉から勘に良い和紀はずっと危惧していた事に思い当たった。
「あの時の事故の夢を毎晩見てるの?」
 無言のまま小さく肩を震わせる豪に、和紀はやはりと息を飲んだ。
 嘘が苦手な豪は絶対に話したくない事を聞かれると完全に口を閉ざす。
 沈黙こそが最大の肯定だと豪自身は気付いていないのだと、和紀は胸が締め付けられそうな思いを味わった。

 あの時、豪の姿を自分が一瞬たりとも見失しなわなければ、あれほど酷い状態にはならなかったはずだった。
 理から外れるという事は命に係わる事だと豪以外の誰もが知っていた。
 だからこそと皆から託された強い想いと願いを守る事ができなかった為に、和紀もずっと自責の念に駆られていた。
 自分の指先が震えているのに気付き、豪から手を離して小声で告げる。
「ごめんね。豪、全部僕のせいだ。君を守りきれなかったのは僕の責任だから……」
 和紀の言葉に豪が驚いて上体を起こす。
「それは違う。あの事故は全て俺の自業自得だ。和紀も誰も何も悪くない」
 漸く顔を上げた豪に和紀は悲しげな微笑で答える。
「僕が君の夢に出るのは僕があの時君を守れなかったからじゃないのかな? 夢には無意識下の気持ちも出るから」
 豪や皆の信頼を裏切ったのだから当然だと和紀は目を伏せた。
「それは違うと言っている! 俺が毎晩夢を見るのはたしかに事故への恐怖心からだと思うが、昨夜までは和紀は1度も夢に出て来なかった」
 和紀は豪の真剣な訴えに目を見張った。
「今夜は夢の中で和紀が俺の名前を呼んでくれたから、俺は悪夢から解放されたんだ」
 俯いてベッドに正座したまま「本当だ」と告白する豪に和紀はどう言って良いのか判らず、頬を引きつらせた。
「俺を悪夢から救ってくれたのが和紀の声だという確信が持てなかった。だから和紀の声を聞きに来たんだ。黙っていて全く逆の誤解させてしまって本当に悪かった」

「豪」
 和紀は豪を力一杯抱きしめた。
 豪が自分を必要としている事が言葉の1つ1つから充分に伝わった。
 豪の本気の想いは誰をも信じさせる力を持つ。
 嘘が苦手で素直すぎる性格だからこそ、豪の言葉は常に真実を伝える。
 だからこそ和紀は抱きしめる手をためらう事は無かった。

 豪は天野家に帰ってきて以来、久しぶりに和紀の体温を感じて涙が流れそうになるのを必死で堪えていた。
 なぜ和紀に触れているとこれほど安心できるのか豪にも判らない。
 自分を事故現場から救ってくれたのが和紀だと豪も頭では解っている。
 他の誰も超能力が使えない無い状態で、土砂に埋もれた自分を引き上げる事ができたのは和紀しか居なかったのだから。
 死にかけた自分の命を救ってくれたのは生だと聞かされた。
 しかし、生まれた時から共に居て誰よりも大事に想う生と一緒に居ても、これほど安心できた事は1度も無かった。
 兄として、最強の超能力を持つ者として、常に誰かを守る側の立場に無意識で自分を置いていた事に豪自身は気付いていない。
 和紀と出会って初めて、対等でなおかつ安心して背中を預けられる相手も居るのだと豪は知ったのだった。

 しばらくして和紀が腕を緩めると、豪の頭はずるずるとゆっくり和紀の胸を這っていく。
「豪?」
 和紀の膝の上に落ち着いた豪は静かな寝息を立てていた。
「えっと、……」
 和紀は額を押さえて小さく唸った。

 何でこんな無理な体勢で豪ってばすぐに寝ちゃえるかな?
 寝不足気味だからって限度ってものが有るよね?
 毎晩悪夢でうなされてたって言ってたから、今起こしたり勝手に部屋に転送したら可哀相だよね。
 ……。
 ああ、もう、こうなるんじゃないかとうすうす判ってはいたけどね。
 僕が開き直れば良いって事でしょ。

 天ノ宮家に身を寄せていた時の豪の様子からできれば予感が外れて欲しいと思っていた事が現実になった。
 豪にとって自分が完全に安眠枕認定されたのだと和紀は不承不承ながら自覚した。
 これを知った時の生や愛の反応や何より千寿子の逆鱗が恐ろしかったが、これほど安心しきった豪の寝顔を見せられて、どうしてベッドから蹴り落とせようか。

 和紀は豪の信頼を得られた事への喜びと、これから起こるだろう幾多のトラブルへの諦めという複雑な感情が入り交じった笑みを浮かべると、豪の頭を抱え直してベッドに横たわり布団を被ってライトを消した。

おわり


<<side-B TOP||小説TOP||TOP>>