side−B 番外編 −目に映る風景−


「もしも……だったら」
 僕はこの言葉が嫌いだ。
 後悔したり他の何かのせいにする暇が有ったら、その分努力をすれば良い。
 一生懸命努力して駄目だった時も「もしも」なんて言わない。
 自分1人の努力だけではどうしようも無い事の方が世の中には多いって知っているから。

 一杯昼寝をした年末の夜、初めて行った本家の森にお父さんが僕をおんぶして連れて行ってくれた。
 お母さんは家を出る時に「風邪を引くといけないから」って僕のコートの中にカイロを何個も貼った。
「子供は風の子だよ」
 僕が覚えたての言葉で得意げに言うと、お母さんは「普通の子供はとっくに寝てる時間です」と笑う。
 その「普通じゃ無い子供」の僕を連れてお父さんとお母さんはどこに行くつもりなのかな?
 2人に聞いても笑って「後のお楽しみ」としか教えてくれなかった。
 こういう時は大人ってずるいと思うよ。
 でも、僕がこの目で見て理解するのが1番良いんだよね。
 うちの両親はいつも口をそろえて僕にこう言うんだ。
「「自分の目で見て、自分でよく考えて、それでも解らなかったら聞きなさい」」
 普通、親が3つの子供に言うかな?
 そのおかげで今の僕が居るから感謝してるけどね。

 これから行くところは今の僕の超能力では視えない場所でテレポートが使えない。
 しばらくするとお父さんの背中越しに灯りが沢山見えた。
 お父さんが僕を降ろして、お母さんと一緒に僕の手を引いて灯りの中に入って行った。
 何か凄く不思議な場所。
 上手く言葉にできないけど、とても強い何かが集まっていたんだ。

 むしろの上に座ると凄く冷たかった。
 お父さんが僕を負ぶってくれたのも、お母さんが沢山カイロを付けてくれたのもここで僕が寒くないようにって思ってくれたからだったんだ。
 正面の大きな岩に穴が有って、そこから真っ白な服を着た僕と同じ年頃の女の子が出てきた。
 凄く綺麗な子。
 素直にそう思った。
 小さな身体を精一杯使ってその子は踊り続ける。
 優しくて温かい気持ちになる不思議な踊り。

 でもおかしいよ。
 こんなに綺麗で気持ちが良い踊りなのに踊っている子はどうしてあんなに悲しそうな目をしているの?
 気がつくと岩の側にやっぱり僕と同じ年頃の男の子が座っていた。
 その子も何か悲しそう。
 横を見たらやっぱり悲しそうな目をした男の子が居た。

 どうして皆そんな目をしているの? 何が君達をそうさせているの?
 誰かがいじめるの? 判らないよ。
 こんなのは僕が嫌だよ。
 皆の笑った顔を僕に見せて。

 夜が明けて女の子の踊りが終わると、お父さん達に本家のダイニングルームに連れて行って貰った。
 温かい飲み物と食べ物を貰って芯まで冷え切った身体を温める。
 顔を上げると、隣のテーブルにさっき隣に居た男の子が1人で椅子に腰掛けていた。
 ご両親は一緒に居ないのかな?
 思い切って席を立って声を掛けてみた。
「初めまして。あけましておめでとう。僕は天野和紀。君は?」
 手を差し出すとその子は不思議そうに僕の顔を見上げた。
 じっと僕の顔を見つめて、おずおずと僕の手を握り返して恥ずかしそうに笑って言った。
「おめでとう。僕は天野智」
 恥ずかしがり屋なだけで普通の子だなと思った。
 それのなにどうしてあんなに悲しそうな顔をしていたんだろう?
 そのまま隣に座って話していたら1人で居る理由が簡単に知れた。
 さと君は少し前からご両親の元を離れて本家に住んでいて、今、ご両親は別の部屋に挨拶に行ってるんだって。

 『さと君はとても強い能力者だから』って声が頭の中に聞こえてきた。
 ふり返ると岩の前に居た男の子が疲れた顔をして笑っている。
 その子は「愛」とだけ名前を教えてくれた。
 名字は「天野」で良いのかな?
 踊りを踊っていた女の子が部屋に入ってくると、いつ君は走って行って小声で「姉様」って呼んでいた。
 本家の子ってあの綺麗な女の子だけしか居ないんじゃ無かったっけ?
 お父さん達から聞いていた話と違うよ。
 いつ君が本当にあの女の子の弟ならお父さん達が僕に嘘を言ったって事だよね。
 どうしてお父さん達はそんな嘘を言ったのかな?
 いつ君が女の子を連れてきて僕に紹介してくれた。
 「天ノ宮千寿子」だって。
 発音が難しいから「ちーちゃん」で良いよね。
 ちーちゃんといつ君は並ぶと何となく似てる。
 聞いたら「絶対内緒」だと笑って双子だと教えてくれた。
 僕は3人と仲良しになって家に帰った。

 何か変だよ。
 僕が知らない事が一杯有る。
 しっかり自分の頭で考えなきゃ。
 それには情報が足らない。
 僕は家に帰るとお父さんに頼んで本家の歴史の本を貸して貰った。
 ああもう、何でこんなに漢字が一杯有るの。
 読めないところは辞書を引きながら……って、辞書に書いてある言葉の意味が全然解らないや。
 仕方が無いからお父さんに直接聞く事にした。
 ちーちゃんやいつ君やさと君の悲しい顔の理由。
 お父さんは少しだけ困った顔をして、それでも僕にも解るように話してくれた。

 「天ノ宮」と「天野」の意味、ちーちゃんの役目、いつ君の運命、さと君の境遇、全部僕には納得がいかなかった。
 どうして皆がそんなに辛い思いをしなくちゃいけないの?
 皆、まだ僕と同じ歳なのにひど過ぎるよ。
 僕はこの時、僕が親族の中でどれくらい恵まれているのか知った。
 僕に何かできる事は無いのかな?
 皆が心の底から笑った顔を見たいんだよ。
 その為にはもっともっと強くなって、勉強も一杯しなきゃね。

 僕にできる事を捜す。
 これが僕の第一歩になった。


 皆のプロフィールや超能力の特性を調べて、僕の超能力や得意分野が役に立てると思った。
 お父さんに頼んで幼等部に行きながら家でも勉強できるようにして貰った。
 お母さんは「外で遊びなさい」って言うけど、学園で毎日いつ君達と遊んでるから大丈夫だよ。
 心配掛けてごめんなさい。
 でも、今は家では一杯勉強したいんだよ。
 僕達が5つになるまで後1年しか無いんだから。

 ちーちゃんは本家に居る3人の中で1番元気が良かった。
 もしかして元々凄く気が強いのかな?
 じっくり見ていていつ君が本当は気の小さいちーちゃんを一生懸命守っているって判った。
 さと君は相変わらずあまり笑わない。
 それでも初めて会った頃より笑ってくれるようになったかな。

 ちーちゃんがパーティーで会った子に一目惚れしたといつ君から聞いて僕は心底驚いた。
 ちーちゃんを大好きないつ君の事はどうするの?
 僕達一族とは全然違うタイプの男の子って、どんな子なんだろう?
 ちーちゃんがあんなにころころ表情を変えるなんて初めての事だからもの凄く興味が有った。
 さと君も何も言わないけど変わったのが判る。
「天野豪」
 初めて聞く名前が僕の頭の中でぐるぐる回った。

 翌年のパーティーでいつ君がそっと僕に豪君を教えてくれた。
 見た目は普通の子みたいだけど……
『あー、腹減った。早く家に帰ってメシ食って生と遊びたい』
 豪君のストレートで強い思考を受けて、僕は思わず会場から飛び出した。
 あの子面白過ぎ!
 変わった子じゃなくて、本当にごくごく普通の子なんだ。
 たしかにあれだけ強い超能力を持っているのに普通の子なんて、うちの一族では浮いてるかもね。
 会場の外で馬鹿笑いしている僕をいつ君とさと君が不思議そうに見ている。
 ごめんね、今は勘弁して。
 僕もこんなに笑ったのは久しぶりなんだから。
 ちーちゃんとさと君が惹かれる豪君は「普通の男の子」、それが僕には何だかとても嬉しかったんだ。

 翌年からちーちゃんと豪君の見事なすれ違いを見るのが楽しみになった。
 悪趣味って言わないでね。
 ちーちゃんがずっと真剣に豪君だけを見てるのに、凄く鈍い子なのか当の豪君は全然気付いて無いんだよ。
 あ、噂の弟君が一緒に来てる。
 「生」ってちょっと変わった名前だね。
 何か意味が有るのかな?
 そんな事を考えてぼんやり立っていたら、目の前に必死の顔をした豪君が現れた。
「弟を捜しているんだ。見なかったか?」

 何……これ? 豪君から目が離せない。
 胸が熱くなって惹き寄せられる。

 僕は気力をふり絞って何とか豪君から目をそらした。
 会場内に生君は居ないから、居るとしたら外の森だよね。
 僕が本気で超能力を使うと瞳の色が変わってしまうから、豪君に気付かれないように背中を向けて超能力を奮う。
 瞳を凝らして素早くスキャンをして生君を見つけた。
 僕が視線を戻して生君が居る方角を指さすと、豪君は笑って僕の肩に手を置いて礼を言った。
 真っ直ぐに僕が教えた方向に豪君は走って行く。
 勘違いかもと疑うとか全く豪君は思わないんだね。
 豪君が触れた肩がまだ温かい。

 あの真っ直ぐで正直な瞳に掴まってしまった。
 これはとても逃げられそうも無いね。
 苦笑しているとちーちゃんから精神攻撃並の強いテレパシーが来た。
 偶然なんだからそんなに怒らないでよ。
 ちーちゃんの気持ちは凄く解ったから。

 あれ? 僕、ちーちゃんの気持ちが解ってどうするの?

 こっそりとでも念入りに調べたら天野豪と生の兄弟は、超能力では無いもう一つの力を持つ事が判った。
 それが「魅了」の力。
 一族中でも最強の超能力を持つ自分達を、一般社会の中で浮き立たさないように自然に身に付けた希有な能力。
 あの時、豪から目を離せなかった理由を知って僕は正直ほっとした。
 だってもしかしたら僕ってホモなの? ってずっと不安だったんだから。
 笑いたかったら笑えば良いよ。
 自分と同姓の子に会って、胸がどきどきして、紅潮して、頭がぼぉーっとしてなんて状態になったら誰だって焦るよ。
 さと君の場合は理由が理由だから良いけど、僕は真剣に悩んだんだからね。

 高等部に上がって、仕事で豪達と一緒に暮らす事になった。
 本当は凄い超能力が有るのに家ではごく普通のお父さんにお母さんと子供達の温かい家庭。
 こういう雰囲気って良いね。
 何年も前から決まっていた事なのに、いざ実行にうつすとなると何だかんだと文句を言っていた智と愛も凄く楽しそう。
 独りで本邸に残った千寿子さんも本当は一緒に住みたかったんだろうね。

 僕達の閉ざされて狭かった世界が変わる。
 予想していた事だけどこんなに皆が変わるとは思わなかったよ。
 声を立てて笑う千寿子さん、豪を相手に顔を真っ赤にして大声を上げる智、落ち着いて穏やかに笑う愛。
 「天野家マジック」とでも呼ぼうかな。
 僕が小さな頃からずっと見たかった皆の笑顔がここに有る。
 ずっとこのままで居たいと思うだけなら自由だよね。

 皆の顔から笑顔が消えたあのゴールデン・ウィーク直後の事故。
 僕の腕の中でどんどん冷たくなっていく傷だらけで血まみれの豪。
 お願いだから誰か嘘だと言って! 誰か豪を助けて!
 頭の中がマヒして動けなくなった。
「君が豪を助けるんだ」
 愛の一言が僕を正気付かせてくれた。
 病院にテレポートすると、生が「大地の御子」の本性を現して消えかけた豪の命の灯火を守った。

 皆が一斉に動く中で僕には千寿子さんからの手紙が残された。
『豪から絶対に離れないで。ずっと側にいて豪を守って』
 千寿子さんの心からの叫び。
 言われるまでも無いよ。
 僕は1度、豪を見失った。
 2度と同じ失敗はしない。
 腕の中で声を上げて泣く豪を僕はしっかりと抱きしめた。
 お願いだから自分1人だけを責めないで。
 君はあの惨状の中で生きていてくれた。
 それだけで僕は充分なんだから。

 僕の中で何かが変わった。
 今までは可愛い豪の側に居られるだけで良かった。
 だけど眠りながら涙を流す豪を見た時、胸が痛くて、苦しくて、我慢ができなくなった。
 初めて会った時から僕達の笑顔の源になっている豪を、僕が絶対に守ろうと誓って眠ったんだ。
 変とか異常とか言わないでよね。
 あの時は本当に非常事態だったの。
 僕も皆もどうかしちゃってたって解ってるんだから。
 ごつい男相手に「可愛い」って言うなって?
 そういう事は実際に豪に会ってから言ってよね。
 なまじ身体が大きいからあまり目立た無いけど、豪は顔も性格も凄く可愛いんだからね。

 僕が開き直ったのは千寿子さんが目覚めて、豪の心が本当に立ち直れた時。
 そう、誰にも言わなかったけど豪は身体は治って学校に通うようになっても、ずっと自分を責め続けていたんだ。
 「皆に心配を掛けたくない」と言って部屋の鍵を掛けないのも、皆が自分から離れたがらない理由もちゃんと全部理解して全てを受け止めていたんだ。
 その為になぜか僕の部屋が豪の避難所になってしまった事は良しとしよう。
 知らない所で豪が独りきりで泣いているなんて、僕には到底耐えられ無いんだから。
 安眠枕扱いも……うーん、取り合えず良しとしとこう。
 豪の小さな子供みたいに安心しきった寝顔を見たら怒る気が萎えちゃうんだよ。
 千寿子さんに知られて怒られるのは絶対に勘弁だけどね。

 豪が千寿子さんと結婚して1番ほっとしたのは僕かもしれない。
 由衣ちゃんからデート中に「豪君と和紀君ってホモなの? 豪君が結婚するのって偽装だって本当?」って、真顔で天然質問をぶつけられた時は、本当に目眩を起こし掛けたよ。
 素直な由衣ちゃんを説得するのに、子供の頃からのいきさつを全部話すはめになるなんて思いもしなかった。
 あの時はさすがに僕も本気で怒ったんだよ。
 分かってるの? 愛(絶対にこいつが犯人に決まってる)。

 これで漸く一安心と思っていたら、新婚早々夫婦喧嘩って、勘弁してよ。
 パニックを起こして泣き続ける豪を何とかなだめて本家に連れて行ったら、千寿子さんから思いっきり睨まれた。
 寝言で僕の名前ね。
 (天然)豪のやる事なんだからいちいちそんな細かい事で僕を怒らないでよ。
 17年間も想い続けてやっと夫婦になれたんでしょ?
 豪を独り占めできて幸せ一杯のはずなんだから、豪の良い所だけを見てよ。
 ちーちゃんが豪と幸せになってくれないと、2人の事を諦めた皆も浮かばれないよね?
 とにかく豪はとても鈍いんだから、ゆっくり時間を掛けて良い家庭を作ってね。

「んー。そうしちゃうと電波障害で上手く繋がらない場所が有るかも」
「細くて長いアンテナ立てた状態で超能力を使いながら動けるほど俺は器用じゃ無いぞ」
「それもそうかもね。ちょっとだけ時間をくれる? この部分だけの問題なら30分以内に設計をやり直すから」
「宜しく頼む。あ、もうこんな時間か。風呂に入ってきて良いか?」
「そうだね。僕も集中したいからその方が助かるよ」

 僕の春休み前の休講が多くなると、豪は度々時間を合わせて天野家に帰って来ていた。
 ポケットコンピューターを改良して通信機能を強化した密着型ハンドコミュニケーター。
 愛の負荷を少しでも軽くしたいと豪が言うので、前々から皆には内緒にして僕と豪の2人で構想を練っていた物の図面が漸くできたんだ。
 今夜は豪が天野家に泊まり込んで2人で最終チェック中。
 衛星通信を利用してほぼリアルタイムで情報を受ける。
 すでに有る技術だし、一見、簡単そうで実はこれが結構難しいんだよ。
 僕達の仕事を誰にも知られたく無いから、今まで一部の例外を除いてテレパシーだけで連絡を取っていたからね。
 普通の携帯電話を利用するとどうしても通信記録が残るし、電波が届かない場所が有る。
 AMANOが共同出費して専用回線を持つ通信衛星が有ると知った豪は、速攻で僕に相談してきた。
 たしかに実動時の愛の負荷は半端じゃないんだよね。
 被害者の精神ケアとメンバー全員の連絡網を愛1人で引き受けているのが現状。
 千寿子さんは全員からリアルタイムで入る情報を即座に智と分析して、次の指示を出すだけで手が一杯。
 愛ほどの能力者じゃ無かったら負荷で精神が焼き切れてたかもしれなかったんだ。
 アンテナを豪のリストバンドに組み付けるタイプに直して、補強代わりにディスプレイと平行に走らせる。
 場所によっては受信時に腕を上げないといけないかもしれないけど、豪にはこの方が使い易いかな。

 お風呂を済ませてパジャマに着替えた豪と交代して僕もお風呂に入る事にした。
 あれ? 何か大事な事を忘れている気がするんだけど何だっけ?
 髪をブローして部屋に戻ると、直した図面を表示したモニターの横に豪が「ありがとう」とメモでメッセージを残していた。
 豪はすでに僕のベッドで寝ている。
 またこの狭いシングルベッドで一緒に寝るって事なんだよね。
 はっきり言って豪は重いし狭くて苦しいから、元の自分の部屋にクローゼットから布団を出して寝るか他の誰かの部屋で寝て欲しいんだけど。

 豪が天ノ宮家に婿養子に行った翌日に、お母さんは豪の部屋を綺麗に片付けてしまった。
「帰る場所を残さない方が良いのよ」と言ってたけど、そのとばっちりが僕のところに来るって解ってるのかな?
 豪も喜ぶって解ってるんだから他の皆の部屋に泊まれば良いのにね。
 誰も贔屓しちゃいけないからなんて、変に気を遣わなくても良いと思うけど。
 というか、僕だけは豪の中で全く贔屓の範疇に無いってどういう事なの?

 パソコンを終了させようとした時に、緊急のメールが届いていた事に気が付いた。
 千寿子さんからで、こんな時間にどうしたんだろうと思ってメールを開いた瞬間、僕は固まった。

 嘆願書
 天野和紀様

 度々そちらに遊びに行っている事はまだ許容範囲ですが、
 新婚7日目にして夫が他の「男性」の所に
 泊まりに行くと周囲に平然と公言するのは
 あまりにも世間体が悪過ぎますので、
 どれほど遅くても明日の夕食までに
 家に帰って来るように本人に強く言い聞かせてください。
 宜しくお願いいたします。

 天ノ宮千寿子

 ……。
 僕は焦って立ち上がると豪の強く肩を揺すって強引に起こした。
「豪、起きて! 君は千寿子さんに何て言ってここに来たの?」
 豪は寝付いたばかりで半分寝ぼけた状態の身体を起こした。
「今夜は和紀の部屋に泊まるって言った。夕食が無駄になるといけないから、ちゃんと飛島さん達にも言っておいたぞ」
 豪はそれだけ言うとぱたりとベッドに横になってまた寝息を立て始めた。
 僕の所に泊まるって……それだけしか言わなかったの?
 せめて「実家に」と言うとか、千寿子さんには事情を話すとか全然しなかったの?
 つい6日前にそれが原因で泣きながら家に帰ってくる羽目になったのに!?

 こ、の、超天然馬鹿ーーーっ!!

 今すぐ寝ている豪を本家にテレポートして帰させようものなら、千寿子さんの機嫌が更に悪化するのは確実だしマジで泣きたいよ。
 今度千寿子さんに会った時は、何が飛んできてもすぐに逃げられるように全神経を集中させておこう。
 溜息をついて千寿子さんにメールを送る。

 借用書
 天ノ宮千寿子様

 品目:天ノ宮豪
 品数:1
 上記の品、明日午後5時までに必ず返却致します。

 天野和紀

 パソコンの電源を落として、ベッドの真ん中で熟睡している豪を転がして端に寄せてから潜り込む。
 寝ながら豪がいつもの癖で背中に張り付いて来たけど、今夜は完全無視決定。

 僕は「もしも……だったら」という言葉が嫌いだ。
 だけどこんな時はどうしても思わずにはいられない。

 『もしも』豪の天然がせめて今の半分くらい『だったら』僕の苦労も半分に減ったんじゃないかってね。


おわり



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