side−B 番外編 −僕のいる場所− 手を伸ばした先に必ずあの子は居た。 生まれた時から他の誰よりも1番僕に近い存在。 温かくて、優しくて、大好きで、側に居るだけで幸せだと感じる。 僕にとってあの子は世界そのものだった。 あの子が僕だけのものじゃ無いと教えられたのがいくつの時だったか覚えていない。 母様があの子を抱き上げて大きな岩の前に連れて行った。 あの子がとても怖がっている事が解ったから、僕は側に行きたかった。 だけど僕は少し離れたところで父様に抱えられていて、一生懸命伸ばした手はあの子に届かなかった。 『宮司の巫女』 それがあの子の呼び名になった。 血を次代に継ぐ為の器、大地との接点、祈りを捧げる者。 難しい言葉であの子は縛られた。 まだほんの小さな女の子なのに。 その日から僕とあの子は別々の部屋で暮らす事になった。 あの子に大切な教育を受けさせる為だと母様は言う。 一緒に遊ぶ時間が減るのは我慢できるけど、一緒に寝るのも駄目だと言われて僕は「どうして?」と母様に聞いた。 すると母様は「あなたはいずれこの家を出ていかないといけないの。後で辛くなるだけだからあまりあの子の側に居ては駄目よ」と言った。 「僕はこの家に居ちゃいけない子なの?」 僕はショックで泣きそうになりながら母様に聞いた。 母様はとても悲しそうな顔で僕を抱きしめて「変えられない決まりなの。ごめんなさい」と言った。 納得ができなくて父様にも聞いてみた。 父様は僕の頭を撫でながら「この家に生まれた男の子は『天宮』から『野』に下らなければならないと大昔から決まっているんだよ」と教えてくれた。 それで僕は解ってしまった。 あの子と僕は同じ時に同じ場所で生まれたけれど、全く違う運命の下に居るんだって。 毎日、あの子はお祖母様の仕事の合間と護人様から厳しい訓練を受けさせられている。 巫女としての役目だとお祖父様が教えてくれた。 僕はいつも離れたところからじっとあの子を見つめていた。 苦しんでいるのが胸が痛くなるくらいはっきりと伝わってくるのに、僕はあの子に何もしてあげられないのが辛かった。 ある日の晩、隣の部屋からあの子の泣き声が聞こえてきた。 本当は毎晩泣いている事を僕は知っている。 まだ小さな身体でずっと声を押し殺して震えながら泣いていたんだ。 僕は我慢ができなくなってあの子の部屋の扉を開けた。 あの子はびっくりして顔を上げて僕の名前を呼んだ。 「愛?」 その声に惹かれるように僕はあの子を力一杯抱きしめて呼び掛けた。 「姉様!」 僕の気持ちが伝わったのか、姉様は僕の胸に顔を埋めて泣きじゃくった。 本当は気が小さくてとても弱いのに、立っていられないくらいの重い荷物を背負わされた姉様。 いくら母様達に言われたからって、独りきりで泣かせていた事に僕は僕を許せなかった。 この時から僕が大好きで優しい姉様の盾になろうと思った。 繋いだ手から姉様の寂しさで渇いた心が伝わってくる。 『大丈夫。僕がずっと側に居るよ』 そう伝えると姉様は涙を浮かべながら微笑んだ。 『きっとよ』 漸く安心したのか姉様は僕の腕に頭を預けて安らかな寝息を立て始めた。 その日は久しぶりに姉様と一緒に眠った。 僕の腕の中で眠る姉様は温かくて、柔らかくて、少しも変わっていなかった。 後で母様からさんざん小言を言われたけど僕は気にしなかった。 だって姉様を守るのは僕しか居ないんだから。 護人様(本当はひいお祖母様だけど)が僕をこう呼んだ。 『テレパシスト(精神感応者)』 強い超能力ゆえに姉様の心に感応して側を離れたがらないだろうと母様達に言ってくれた。 護人様が笑って僕の手を握って『本当の事は黙ってて良い』と心の声で話し掛けてきた。 護人様は僕の気持ちを知っていて、皆に少しだけ嘘を言ってくれたんだ。 それ以来、僕はできるだけ用心するようになった。 僕の姉様への気持ちは誰にも言っちゃいけない事だって解ってしまったから。 大好きな姉様にも知られちゃいけない事だって。 以前より口数が少なくなった僕を、皆はテレパシー能力者だからと勝手に思ってくれた。 言葉ってすごく不便だ。 言って変に誤解されたり、黙っていてもちゃんと伝わる時も有る。 手を触れるだけで誤解なんてすぐに無くなるのにね。 予知能力者で従兄弟のさと君が一緒に暮らすようになると僕達2人だけの世界は変わった。 傷つき過ぎて疲れてしまっているさと君の心は、まだ超能力を上手く制御できない僕にはとても辛かった。 姉様が自分と同じように苦しむさと君の事を絶対に放ってはおけないと思っているから、僕もさと君を大事にしようと思った。 うん、2人は凄く似ていたんだ。 本当は弱くて泣き虫のくせに、意地っ張りで人に弱みを見せたがらないところなんてそっくり。 姉様が母様から巫女舞を受け継いだ時に、僕達みたいに色々な超能力を持った人達が他にも大勢居るのだと知った。 その中でも1番強いと思ったのは又従兄弟のかず君。 かず君はとても不思議な子だった。 柔らかい雰囲気が全身を包んでいて、一緒に居ても全然苦痛じゃ無い。 姉様や人見知りの激しいさと君も、かず君とはすぐに友達になった。 姉様と僕が5つになると母様が「結婚相手を捜すように」と言った。 僕はとうとうこの時が来たのかと思っていると、驚いた姉様は母様に食って掛かった。 これまで姉様は何も知らされていなかったんだ。 怒って飛び出した姉様を僕は必死で追った。 かわいそうな姉様。 僕はとっくに覚悟ができていたのに、姉様はこの時まで何も知らなかったんだ。 姉様は大変な役目を一族から押し付けられたのに、大事な事は何も知らない。 涙を流す姉様を僕は抱きしめる事しかできなかった。 なんて僕は無力なんだろうか、もっと姉様を守れるように強くなりたいと心から思った。 姉様がその日の内に1人の男の子に夢中になった。 驚いた事にさと君もその子に惹かれていた。 僕はその子を見てとても不機嫌になった。 姉様は僕が守ると決めてずっと側に居たのに、あんなに凄い天然ボケの子を姉様が好きになるなんて思いもしなかった。 だってあの子と僕は全然似ていなかったんだよ。 姉様にとって生まれた時から一緒にいた僕は、大切で大好きだけど「弟」でしか無いのだと思い知らされた。 あの子がほんの少しでも僕に似ていたら僕だってこんなに腹が立たなかったのに。 翌年、豪君をもう1度しっかりと見て僕は全面敗北を認めた。 僕が欲しいと思ってもまだ身につけていない物を豪君は全て持っていた。 大切に想う人を守れる本当の強さとどこまでも真っ直ぐで優しくて温かい心。 姉様やさと君が一目で惹かれた豪君の眩しい本質に僕は目眩を覚えた。 僕は僕を必要としてくれる他の誰かを捜さないといけないと思った。 姉様はもう僕の事だけを見ていないんだから。 ……でも、豪君を視たかず君はどうして馬鹿笑いしてたんだろう? 一生の不覚とはああいう事を言うのだろうと思ったのは、この子しか居ないと信じてプロポーズしたら、相手は男の子だった事。 しかも姉様がずっと片思いしている豪君が1番大事に想っている弟で、姉様から思いっきり叱られた。 巫女の姉様にそっくりな気配を纏った可愛い子だったんだ。 この頃には僕が重度のシスコンだって自覚は有った。 亡くなった先代の護人様に言われて以来、ずっと誰にも気付かれ無いように細心の注意をしている。 だからずっと側にいる姉様だって未だに僕の本当の気持ちに気付いていない。 僕は小さな頃から姉様の盾でいると決めているからそれで良かった。 姉さんの想いは揺らぐ事無く、真っ直ぐに豪に向かっている。 どんどん綺麗になっていく姉さんを僕は陰から見守って支え続けた。 家を出て豪達と一緒に暮らすようになって、豪の心に触れていると姉さんや皆が豪に惹かれる気持ちがすんなり納得できる。 どうして豪はあんなにも心を解放できるんだろうね? 悩んだり、笑ったり、怒ったり、温かくて豊かな感情が裏表無くストレートに伝わってくる。 豪を一言で表すなら『誠実』。 救いようが無いくらい人の好意に鈍くて天然馬鹿だけどね。 だけどそんな豪を僕も大好きになっていった。 豪が姉さんの想いに応えてくれたと知った時、寂しかったけどそれ以上に嬉しかった。 僕の姉さんを幸せにしてあげて。 それだけが僕の願い。 そして僕も本当の恋をした。 姉さんを彷彿させる真っ直ぐな瞳と、生まれて初めて知った静寂の世界を持って彼女は僕の前に現れた。 握ったその手はとても細くて温かかった。 今度こそ間違えない。 そう心に誓った。 結婚式の時の姉さんは僕がずっと見てきた中で1番幸せそうで綺麗だった。 なのに何で新婚早々喧嘩しちゃうんだよ。 豪を本家に連れて行って戻ってきた和紀に理由を聞いたけど、馬鹿笑いするだけで何も教えてくれなかった。 付き合いが長いからか、僕を相手にテレパシーをブロックガードできる和紀を時々恨めしく感じる。 後で落ち着いた姉さんから理由を聞いて、僕はただ笑うしか無かった。 和紀が何も言わなかったのかも理解できた。 あんなに馬鹿馬鹿しい理由でも、「自分」が初夫婦喧嘩の原因だなんて誰だって言いたくないね。 姉さんが無事に赤ちゃんを産んだと聞いて会いに行くと、一緒に居た豪は「千寿子そっくりの美人だろう」と、とても嬉しそうに言った。 姉さんは肩を震わせて必死で笑いをこらえている。 そりゃ笑うよね。 だってこの子は豪にそっくりなんだ。 ブラコン転じて親馬鹿になったとばかり思っていたら、豪が付けた名前を聞いて豪のブラコンは一生物だと確信できた。 『生実』、実りの有る人生。 豪がどれほど生を大事に想っているか、どれほど姉さんと生まれた子供を愛しているか、それだけで充分伝わった。 僕は今、AMANO総合病院精神科で研修医をやりながら、姉さんが作った「プロジェクト・side−B」の仕事を続けている。 ソファーに腰掛けてうたた寝をしていた僕の髪を優しく撫でる手を感じて目を覚ました。 「真衣?」 目を開けると隣に座っていた真衣が手を離して、悪い事をしてしまったという顔をしている。 「ごめんなさい。起こす気は無かったの」 僕は笑って真衣の手をもう1度僕の頭の上に乗せた。 「気持ち良かったから目を覚ましたんだ」 少しだけ赤面して、真衣は照れ隠しといわんばかりに僕の髪をくしゃくしゃに撫でて慌てて席を立った。 真衣の後姿を見て僕はほっと息をつく。 やっと見つけた僕の人生のパートナー。 これまで僕が間違ったのは僕を必要としてくれる人を捜していたからだった。 それでは駄目だと教えてくれたのは真衣。 僕自身がどうしても必要だと思う人を愛せるようになれたのも真衣が側に居てくれたから。 真衣が居てくれたから僕は姉さんの結婚を心から祝福できた。 心に大きな傷を持つ人達に接する精神科医の仕事も、家に帰ると真衣が優しく迎えてくれるから毎日充実して頑張れる。 真衣が僕のいる場所になった。 おわり |