Rowdy Ladyシリーズ 1 『Lady Salamander』

1.

「嘘でしょう。あなた何の為に火星まで行ったの」
「普通、そういうドジ踏むぅ。しっかりしている様でどこか抜けてるんだから」
「きっぱり。馬鹿でしょ」
 友人達から一斉に激しいツッコミを受けたリンダは両手を上げて降参した。
「あー、もう。勘弁して。仕方無いでしょ。やっちゃったものは」

 地球に向かうシャトルのゲート前ラウンジで、4人の少女達が大声で騒ぎ立てている。彼女達の素性を知る者なら「本当にこれが地球で最高ランクの上流階級のお嬢様達の会話か?」と首を傾げるか、眉間に縦皺を寄せるほどの喧噪だが、当の少女達は周囲の目を全く気にしていない。
 彼女達にとっては全てを忘れてしまう大事件が起こっているのだ。
 楽しかった旅行メンバーのリンダが、これから地球に帰るスペースプレーンに乗り込むという矢先に、火星から乗った宇宙船内に忘れ物をした事に気付いた。
 落とした物が物だけにステーション職員に頼んで探して貰い、地球の自宅に送って貰う訳にもいかず、リンダは友人達の抗議に心の中で耳栓をしながら1人中継ステーションに残る事に決め、便を1つ遅らせる手続きを取った。
 リンダ以外のメンバーは、常日頃から年相応に落ち着いてお嬢様らしく振る舞っているのだが、大学の進級レポート用にテーマを決めて火星に取材旅行に行き、今回に限りシークレットサービス達の見張りは無し、生まれて初めて7日間もの完全な自由を満喫した為か、かなり頭のタガが緩んでおり、どうしようも無いと分かっていても口々に愚痴が出る。
「リンダが一緒ならと何とかお父様を説得できたのよ。ここであなたと別行動になれば怒られてしまうわ」
 メンバーの中でも1番気が弱く小柄で見事なブロンドの長い髪とサファイアブルーの瞳を持つジェニファーが小さく震えた。
「安心して。すでにうちの精鋭シークレットサービスを6人この船に乗せているわ。誰がとはあなた達にも教えられないけど」
 リンダが自分達にしか聞こえない小声で言うと、ショートボブのブラウンの髪と瞳のキャサリンが客室に目を向けて更に声を潜めた。
「1人に2人の護衛ね。さすがリンダね。急な事なのに手回しが良いわ。狭いプレーンの中では妥当な人数だわ。でも、宙港に着いたらどうなるのかしら?」
「あなたたちのご両親との約束はフロリダ宙港のゲートまでだったわ。すでにご実家にはお詫びと連絡を入れてあるし……登下校時のいつもの光景に戻るだけね」
 リンダとキャサリンは毎朝毎夕、大学ゲート前のシークレットサービスの送り迎えで起きる混雑を思い出すと、同時に苦笑しながら両肩を竦めて大きな溜息をついた。
「おお、短かくとも貴重なる7日間の輝ける自由の日々よ。地球にひとたび降りたら元の窮屈な生活が待っているという事ね。それは出掛ける前から覚悟はできていたけれど、あなた無しにスペースプレーンに乗るのは正直怖いわ。どれほど優秀でもシークレットサービスが宇宙の脅威からわたし達を守ってくれる訳じゃ無いもの」
 長身で艶やかな黒髪を編み込み、額から知性を感じさせるアンがわざと大げさに言うと、リンダが微笑して大切な友人達の頬に軽くキスをした。
「さあこれで良いわ。あなた達にはわたしの護りが付いているわよ。このわたしの名に掛けてこの船は安全よ」
「あなたに名を掛けられたら何も不満は言えないわ」とキャサリン。
「リンダの保証だものね」とジェニファー。
「ではリンダを信じてキャビンに行きましょうか。別れを惜しむわたし達の為だけに、出発を遅らせてくれるほどここのルールは甘くは無いわ」とアン。
 3人は順番にリンダの頬にキスを送ると、入り口で待っていた客室乗務員に搭乗チケットを渡した。

「あなた達はわたしの大切な人だもの。「うち」の船に乗る以上、とても快適な旅を約束するわ」
 リンダがゲートをくぐる3人に手を振りながら声を掛ける。
 3人がリンダに手を振りながら乗務員に先導されてキャビンの中に入った後、ゲート待機組の乗務員の1人がリンダの前に進み出て一礼した。
「お客様。大変失礼ですが、当社では全てのお客様に平等に快適な旅をしていただける様に常にサービスに努めております。あなたがどういう方であれ、あなたのお友達だけを特別扱いにはいたしません」
 リンダは2度軽く瞬きをして、興味深げに20代後半らしい女性客室乗務員をじっくり見つめてにっこり笑った。
「マギー、次回のボーナスと昇給は期待して良いわ。社員の能力に見合った給料を支払うのは経営者側の義務だもの」
 いきなり名指しされたマーガレットは一気に頬を染め、大きく目を見開いて小さく震える手を口元に当てた。
「お嬢様は社員1人1人の名前と顔を覚えてくださっているのですか?」
 まさかという思いからおそるおそる聞いてくるマーガレットに対して、リンダは曖昧に頷くと「まぁね」とだけ答えた。
 時計に目を向け「仕事の邪魔をしてごめんなさい」と言い、タラップから軽やかに降りるリンダの後ろ姿を見つめながら、マーガレットは「奇跡のリンダ」と小さく呟いた。

 リンダは友人達が乗ったスペースプレーンが無事にリフトオフしたのを、ロビー横の展望台から確認して軽く肩を揺すった。
「全員覚えている訳無いでしょうが。地球のUAS本社だけで何千人も居るのよ。各国、各惑星、衛星支部、関連会社や派遣社員、臨時職員まで合わせたら……ちょっとぞっとする数よね」
 リンダは瞬きをするほんの短い時間、父親が経営する会社のステーション内コンピュータにアクセスし、搭乗者名簿からマーガレットの名前やこれまでの業務実績を確認した。
 能力は高いものの正直過ぎる口が災いしてか、マーガレットの上司の評価は芳しくなかった。
 そのままリンダは自分名義で、マーガレットの次回給料時昇給とボーナスアップの指示を、人事部のコンピュータに出した。
 リンダは飛び級の大学生でまだ17歳だが、その程度の経営権は父親のケイン・コンウェルから任されている。
「優秀な社員は会社の宝」というケイン・コンウェルの経営方針は、しっかり1人娘のリンダにも受け継がれており、これはと思った人材に金を惜しむのは愚行の極みだと思っている。

 リンダ自身には全く自覚が無が、化粧の必要が無い健康な薄紅色の頬と唇を持ち、親しい友人達の言葉を借りれば「黙ってさえいれば充分美人」の範疇に入る。
 たんぽぽの綿毛の様な柔らかい少しオレンジがかったイエローヘアを、変わった模様をあしらった銀色の髪留めで抑え、明るいエメラルドグリーンの瞳は、何かを思いついた時のいたずらっ子の様にきらきらと輝いている。
 すらりとしたスタイルの良い身体を、常に動きやすいラフなシャツとミニスカートで包み、どこにでも有りそうな銀色のショートブーツ姿をしているので、大抵初対面の相手からは大企業の会長令嬢と思われない。
 両耳を飾る小粒だが上質のエメラルドとルビーのピアスが、唯一リンダを上流階級の出だと連想させる物だった。

 コンウェル財団は太陽系内でも5指に入る航空宇宙産業企業で、製造から運営まで手広く事業を展開しており、特に宇宙船開発部門では他社の追従を許さない。
 地球と月の軌道上に工場プラントを持ち、地球と中継ステーションを結ぶ小型のスペースプレーンから、冥王星まで行く大型輸送船まで製造している。
 リンダはフリーパスで中継ステーション中心部無重力区のロビーから外枠の重力区まで進んで行った。
 火星から乗ってきた宇宙船が現在エンジン点検用ドックに入っており、たとえ船主の娘のリンダであっても安全の為に民間人は近づけない。
 エンジン点検が終わり、キャビン内部の消毒点検前に特例処置として落とし物を探させて貰う約束を取り付けた。
 落としたのが進級が掛かっているレポートを作成する為に火星まで実地視察に行った際の資料で、見つからなければ落第決定では、独立心の高いリンダも泣く泣く親のコネに頼らざるを得なかった。
 点検が終わるまでの間は、指定された安全管理の厳しいVIP用ラウンジで待つ様にと、ステーション管理者からリンダはきつく言い渡されている。
 ステーション側もコンウェル財団の娘が「本当に」護衛の1人も付けず、ふらふら自由気ままに友人達と宇宙旅行を楽しんでいるとは思わなかったのだ。
 ステーション内部でリンダの身にもしもの事が有れば、管理職の首の1つや2つではカタがつかない。
「……なーんて事をきっと考えてるわね。管理職も色々大変よね。心配性もほどほどにしないと胃を壊すわよ」
 「お前が言うな」と、ステーション全職員達から大量の抗議が来そうな言葉をで呟いて、リンダはラウンジの一角に陣取ると店員にホットコーヒーを注文した。
 何重もの防御壁に飾り窓をあしらったモニターには、ステーションのカメラが捉えた地球が映し出されている。
 リンダとしては肉眼で直に見たいところだが、何が起こるか判らない宇宙空間、しかも外輪の重力区では安全対策として当然の処置だ。

 中継ステーション『アンブレラI』号はその名のとおり雨傘を連想させる形状で地上から550キロメートルの高さを周回し、地球からは赤道上近くを丸い円が回転しながら飛ぶ姿が望遠鏡で見える。
 雨傘の先端部分がスペースプレーンの発着場で先程までリンダが居た区画、そのまま中心軸を地球の地軸から直角に宇宙空間に向けている。
 杖に当たる部分が太陽系内の各惑星や衛星、ラグランジュL2点(月と地球の重力が釣り合う点でL2点は月よりも外側の軌道)に有る第2中継ステーション『アンブレラII』号と行き来する宇宙船用ドックになっている。
 傘の部分は数ヶ所を軸にして一片数メートルのプレートが独自に角度を変えられ、ステーションの電力源の一部を担う太陽電池パネルと防護壁を兼ねていた。

 アンブレラI号がアジア圏上空に差し掛かった時、リンダは素早く2度瞬きして目をこらした。
 現在、ケイン・コンウェルが代表を務める軌道エレベータ(ロケット推進財を使わず宇宙空間へ飛び出す為に地上から宇宙空間まで延びる巨大静止衛星)の建造現場を自分の目で見たかったからだ。
 21世紀初頭に立ち上がった宇宙への架け橋「軌道エレベータ建造計画」は、原材料の製造が地球上では不可能だった為に1度頓挫した。
 20世紀末に日本のある企業が大学と共同開発した物質は、それまでのどの材料より軽量で強度を持っていたが、地球の重力が災いしてわずか数センチの長さにしか作れなかった。
 基本理論そのものは1959年にツィオルクスキーによって発表されながら、23世紀の今に至っても軌道エレベータが完成していない理由は材料製造の困難さゆえで、軌道エレベータを建造するには3万5800キロメートル(地球の静止衛星軌道)を越える長さの単結晶繊維のワイヤーが必要だった。
 22世紀になって人類は各国が競ってマス・ドライバ(磁力加速器)を備えたスペース・プレーン発着場と中継ステーションを建造し、核融合エンジン搭載の大型宇宙船を開発した。
 自由に太陽系内の宇宙空間を行き来できるようになり、地球の周囲を回る微惑星のいくつかを掴まえ、宇宙空間での工業生産が本格的に始まってから、漸く人類は再び夢を実現させる方向に動いた。
 20世紀の偉大なSF小説(クラーク著「楽園の泉」)から名付けられた「カーリダーザ計画」は、建設軌道上に有るデブリ(宇宙ゴミ)の除去作業から始まり、長い年月を掛けて実験用エレベータの姿を成していった。
 特にケイン・コンウェルが代表になってからの実験計画の進歩はめざましく、極秘事項だがリンダ自身もプロジェクトに貢献している。

「……このモニター、ヘボい作りね。見えないじゃないの」
「何が見えないのですか?」
 ぼそりと漏らした愚痴に返事をされてリンダが慌てて顔を上げると、自分のすぐ側に人好きのしそうな顔をした長身の青年が申し訳無さそうに立っていた。
 夢中になってモニターを見ていたとはいえ、これほど近くに人が居る事にこの自分が気付かなかったのかと、リンダは青年に聞こえないほどの小さな舌打ちをして軽く瞬きをした。
「本当にすみません。声を掛けようとしたら貴女の声が聞こえましてついうっかりと。あの……宜しかったら相席させていただけませんでしょうか? 慣れない宇宙の旅でかなり緊張しておりまして……。あ、護衛の人達はここには入れない決まりだと言われ、急に独りになって心細くなったという情けない次第で……決して私は怪しい者では……」
 無言のままのリンダの鋭く真っ直ぐな視線を受け、青年は焦って両手を小さく振りながらしどろもどろに言い訳をしたが、すぐに自分の不手際に気付いて微笑した。
「ああ、自己紹介がまだでしたね。失礼しました。私、ノーマン・エネミと申します」

 その瞬間、リンダは両目を大きく開いて青年の顔を良く見た後に「どうぞ。わたしはリビィ・ファスト」とだけ答えた。
 青年は礼を言ってリンダの正面に座り、店員にホットコーヒーを注文した。
 ノーマン・エネミとは隠語で「敵では無い男」を意味し、リビィ・ファストは「取り合えず信じておく」という意味になる。
 一般的に軍や警察でよく使われている合い言葉だが、24時間護衛を必要とする身分の者も時折使う。
 リンダは2度素早く瞬きをして両目に付けているコンタクトレンズを『裏窓(透視モード)』に指定した。
 同時に膨大な情報がコンタクトを通してリンダに送られてくる。
 一見、気弱そうな顔をした青年の顔は一般人には見えない薄いシート状のゴーグルで覆われており、見る者に自分本来の顔を探られず怪しまれない様に表情が工作できる。
 リンダが両目にはめているコンタクトレンズに比べると精度のレベルランクはかなり低いが、ほぼ同様の機能を持つ。
 不可視ゴーグルはよほど巧妙かつ非合法な手段で手に入れない限り、軍と警察でしか装備しておらず、一般の民間人は手に入れる事が出来ない。
 更に青年の胸ポケットからはレーザー銃と極細のセラミックナイフ数本が見つかった。
 この重力区画ではゲートを通過する度に厳しいチェックを受ける上に、民間人の武器の携帯は一切認められていない。
 これらの情報から青年の正体はリンダには自ずと知れるのだが、青年にはリンダの正体は知られず、リンダが青年の正体に感づいている事すら判らない。
 太陽系規模でVIP扱いされるリンダの顔はよほどの公の場に出た時のみに公表されるが、身の安全の為にとデータとしてそれを公式に持つのはほんの一握りの機関しか無い。
 一介の惑星間警察官や公共機関の職員の多くと、太陽系中の民間人が知っているのは高名なリンダの名前だけだった。
 リンダ自身が身分証明書とセットで名乗りを上げ、初めてアンブレラI号の上層部の様に大慌てをするのである。

「ところでリビィさんはどうしてこちらに? 現在特別な会議やイベントも無いのでこの区画はあまり人が居ないと職員から聞いていました」
「痛くもない腹を探るんじゃないわよ。職業病?」と思いいつつリンダも笑顔で返した。
「初めての場所で道に迷ってしまって、スペースプレーンの時間に間に合わなかったんです。仕方が無いので次の便までこちらで待っていたんです」
 リンダの高性能の耳が「嘘つけ」という青年の声にならないほどの小さなつぶやきをしっかり捉えた。
 リンダの両耳に付いているエメラルドに偽装したピアスは、振動を音声に、音声を振動に変えて骨と神経を通してリンダの脳に直接伝える機能も持つ高性能ナノマシンである。
 このヤロ……とリンダは思ったが、全く表情には出さない。
「そうですか。私はこちらに新型エンジンの見学に来たのですよ。すぐに案内をしていただける手筈だったのですが、急なトラブルだとかでしばらくの間こちらで待つようにと言われました」

その『急なトラブル』についてだけはお詫びしとくわ。
 リンダは小さく溜息をついて、アンブレラI号の上層部のあまりの慎重さに頭を抱えたくなった。
 長く形の良い足を軽く組んでステーション側が寄こしたと思われる青年の顔をじっと見つめる。
 こんな所でまで自分に護衛を付けるとはどういう事か? 伊達や酔狂で『奇跡のリンダ』と呼ばれている訳では無いと低くは無いプライドを傷つけられて憤慨した。

 しばらくの間2人が当たり障りの無い会話を続けていると、店員がリンダの側に寄ってきて無言で5センチほどの大きさのメモリーシートを渡した。
 素早く目を通してリセットボタンを押し、リンダは店員にシートを返す。
「そろそろ時間ですのでお先に失礼します」
 リンダがそう告げて立ち上がると青年が笑顔で手を差し出した。
「あなたのおかげで楽しく過ごせました。ここから地球までは短い時間ですが良い旅を」
「ありがとうございます。あなたも気を付けて」
 青年の手を握り返すとリンダは小走りでゲート前で待つ職員の元に向かった。

 青年はリンダの後ろ姿を見送って小さく舌打ちをした。
「フロリダ宙港行きプレーンの出発時刻までは後3時間以上有るぞ。あの娘、何をする気だ?」
 先ほど出発したプレーンから戻り、よほどのVIPしか入れないこのラウンジに入ったリンダを見て、深窓のご令嬢だと信じて青年は安心しきっていた。
 あてが外れたと急いで席を立つと、誰にも気付かれない様にリンダ達の後を追った。


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