封印の魂−番外編−『月の館にいこう!』


「あー、もうお腹一杯。皆、本当にありがとうね。これ以上はちょっと無理」
 萌絽羽がお手上げした段階で、更に酔い潰れた妖達は片手に余るほどであった。
 破王が頬を引きつらせながら宴の終わりを告げると女妖に合図を送る。
「萌絽羽様。お口直しのお茶でございます。この後、破王様より湯殿へ案内するように言われておりますが、いかがなさいます?」
 お茶を飲みながら萌絽羽が聞き返す。
「お風呂?」
「萌絽羽。行って来いよ。此処の温泉は良いぞ。それに『月の館』の云われを知るのには1番の場所だ」
 仁旺が強く勧めるので萌絽羽は「じゃあ入ろうかな」と女妖に告げた。
 リュックサックから自分の着替えを出すと萌絽羽は皆にお礼を言って退室した。

 妖達が片付けをしている横で破王と仁旺は渋い茶をすすっていた。
「仁旺。お前も風呂に入って来るが良い。あそこはお前の1番お気に入りの場所であろう?」
「阿呆! 萌絽羽が入ってるのに行ける訳無いだろう。あいつが上がってからで良い」
「心配は要らぬ。あれから少しばかり改造したのだ。幸い今宵は満月、お前もゆっくり楽しむが良い」
 破王の勧めに仁旺も「そういう事なら俺も」とリュックサックを持って立ち上がった。
 狸妖が荷物を受け取って仁旺を案内する。
 仁旺の後ろ姿を見送った破王はにやりと微笑んだ。

 萌絽羽が兎妖に案内されて脱衣所に行くと狐の顔をした女妖が待っていた。
「萌絽羽様。お待ちしておりました。こちらでのお世話をさせていただく名誉をいただきました」
「名誉って……お風呂くらい1人で入れるからそこまでしてくれなくても良いよ」
 手を振って断る萌絽羽に女妖は少しだけさみしそうな目をした。
「こちらは千年前と何も変わっておりません。萌絽羽様が戸惑われない様にお世話をと破王様より言いつかっております」
「うん。じゃあ、色々教えてね」
「はい、喜んで。先ずはお召し物を……」

 湯殿に入ると硫黄の匂いがした。
 そういえば温泉だって仁旺が言ってたっけ。
 萌絽羽が檜の椅子に腰掛けると、女妖が湯を一杯に張った手桶を数個持って来た。
 それくらいなら自分で出来るのにと思ったが、女妖の好意を断るのも悪い気がして萌絽羽は大人しく湯を被せて貰った。
 数杯の湯を掛けて貰った時、手元に10センチほどの大きさの絹の袋が有ることに気が付いた。
「これ何?」
「ぬか袋でございますよ。人界では石鹸という物をお使いだとか。これで身体をこすると汚れが綺麗に落ち、肌も美しく保てるのです」
「へぇー。ばあさまから聞いた事が有るけど現物は初めて見たよ」
 感触を楽しんでいた萌絽羽から女妖がぬか袋を受け取る。
「お背中をお流ししましょう」
「わっ、良いって。ほんと。きゃはは。くすぐったいって!」

 仁旺はかすかに遠くから萌絽羽の声が聞こえた様な気がした。
 しかし、敷居でちゃんと別けられていたのであまり気にせず手ぬぐいにぬか袋をこすり付けると身体を洗い始めた。
 狸妖が世話をすると言ったが、ここでは1人で開放感を満喫したかったので断ったのだった。
 平たく削られた石を敷き詰めた通路を通り、白く濁った湯に身を浸す。
 思いっきり伸びをして仁旺は空を見上げた。
 月に照らされ、明かりが無くても充分に周囲の景色は見渡せる。
 星も人界ではよほどの場所で無い限りこれほど美しく見えないだろう。
 仁旺は前世の頃と全く変わらない風景を目にし、岩を背にくつろいだ。

 ちゃぷんという音に仁旺は我に返った。
 振り返ると湯気の間に人影が見えた。
 まさかという思いで声を掛ける。
「萌絽羽なのか?」
 名前を呼ばれて人影はどんどん近付いて来る。
 お互いの顔を認識出来る距離まで近付くと仁旺は息を飲んだ。
 萌絽羽も大きく目を見開いている。
「仁旺。なんで女風呂に居るの?」
「やられた」
「え、なに?」
「いや、何でもない。どうやら此処は入り口は新しく作ったらしいが、中は混浴のままなんだな。」
 それだけ言うと仁旺は真っ赤になって慌てて萌絽羽に背を向けた。

あの馬鹿、又やりやがったなー。
俺と萌絽羽をこういう状態にして俺にどうしろっていうんだ。
 頭を抱えている仁旺に萌絽羽も背を向けて同じ岩にもたれた。
「そういえば昔の温泉って混浴が当たり前だったんだよね。うちもお風呂は1つしか無いし。破王はうちでお風呂に入らないからうっかり普通は男女は別々にお風呂に入るって教えるのを忘れてたね」

それは絶対違うぞ。
破王は俺の気持ちも今の人界の常識も全部知っててわざとやってるんだ。
 ぴくぴくと血管が浮くのを感じながら仁旺は肩を震わせた。
「でも、こんなに素敵なお風呂が有るなら、きっとうちのお風呂じゃ狭くて嫌だよね。ここって仁旺が言った通り凄く綺麗で素敵。月明かりに風景が溶け込んで独り占めするのが勿体ないくらいだもん」
 呟きに近い声にぱしゃんという音が重なる。
 声と音しか聞こえない為に逆に色々な想像をしそうになって仁旺は頭を振った。
 思い切って声を掛ける。
「萌絽羽は嫌じゃないのか? ……その、俺と一緒に風呂に入ってる事」
 返事はすぐに返って来ない。
「始めはびっくりしたけど、白いお湯だから身体は見えないし、こうして背を向けあっていたら温泉につい立てが有るのと一緒だと思う。それに……仁旺なら良いよ」
 えっ? と思った仁旺が振り返ると、萌絽羽に思いっきりお湯を顔に浴びせられた。
「こっち向くならそう言ってよ。今、立とうとしたんだからね」
「悪い!!」
 仁旺は全身を赤く染めて再び背を向けた。
 しばらくするとぱしゃぱしゃぱしゃという水音が耳に入ってきて、仁旺はがっくり肩を落とした。
「萌絽羽。お前、泳いでるだろ?」
「うん。凄く広い温泉だもん。やっぱこれが醍醐味でしょ」
「ガキか。お前は」
「へっへっへーっだ。仁旺は身体が大きいから泳げないんでしょ? 悔しいだろー」
「15にもなって温泉で犬かきしてる萌絽羽の方が異常だ」
「見えてるの!?」
 慌てて物陰に隠れる萌絽羽に仁旺が呆れた様に言う。
「見て無くても音で判る!」
「あははっ。それはそうだよね」

笑って言う事か?
このシチュエーションで何故そこまで脳天気で居られるんだ?
破王、お前の企みは見事に萌絽羽が崩しているぞ。
 仁旺は心の中で号泣していた。
「萌絽羽。しばらくこっちを絶対に向くなよ」
「うん?」
「俺上がるからな。見るなよ」
「誰が誰を見るってー!」
 遠くから怒る声が聞こえてくる。
 どうやら泳ぐうちに端の方に行ってしまったらしい。
 仁旺は素早く立ち上がって湯殿から出て行った。

 仁旺が居ない事を確認すると萌絽羽は中央に戻って来て、はふっと溜息を付きながら湯に顔を半分埋めた。
「相手が仁旺だからこそ余計に緊張するに決まってるじゃない」

 仁旺が用意されていた浴衣に着替えて廊下に出ると破王が待ちかまえていた。
「ずいぶんごゆっくりだったな。久しぶりに我の湯殿で羽を伸ばせたか?」
 その瞬間、仁旺が破王の頭を力一杯叩く。
「やりすぎなんだよ、お前は。何を期待したのか知らないが、萌絽羽は俺が居ても平然と元気に泳ぎ回っていたぞ」
 怒って歩いて行く仁旺の後を破王が追う。
「あれだけ酒を飲んだ後にのぼせもせずに泳いでいたと? 一体、萌絽羽の身体はどういう作りになっているのだ?」
 くるりと振り返って仁旺が破王に詰め寄る。
「だからザルだって言ったろ! 俺の方がのぼせて倒れそうになったぞ。そうなる前に出てきたんだ。俺に恥をかかせる気か?」
 怒りにまかせて仁旺は早足で歩いて行く。
「喉が渇いた。水を貰うぞ」
 仁旺の声に先程まで付き添っていた狸妖が「こちらへ」と促した。

 湯殿から戻って冷たいお茶を貰った萌絽羽はすこぶる上機嫌だった。
「破王。すっごく気持ち良かった。まるでプールみたいに広いし景色は良いし、星も綺麗に見えたよ。ありがとう」
「気に入ったのなら昼間にも入るが良い。夜とは違う風景が見える」
 何事も無かった様に破王も笑みを返す。
「うん。朝風呂するのも良いかもね。ところで仁旺の様子が変だけどどうしたの?」
 仁旺は部屋の隅の窓際に腰を掛け、黙って茶をすすっていた。
「どうやら湯の中で酒が回ってのぼせたらしい」
「え、そうなの?」
 萌絽羽が走って仁旺の側に行く。
「仁旺。大丈夫?」
「ああ、何とか。さっき冷たい水を沢山飲んで、アルコールを薄めたから大丈夫だ」
「本当に? 顔まだ赤いよ。仁旺はわたしよりお酒に弱いんだから無理しちゃ駄目だよ。横になった方が楽なんじゃない?」
 顔が赤いのはさっきの事のせいだとはとても言えないと思った仁旺は、わざとけだるそうに答えた。
「そうだな。ちょっと寝たらすっきりするかもしれない」
「ならば離れに床を用意させておるから今宵はゆっくり休むと良い。萌絽羽も初めての場所で疲れておるだろう? あそこは我の敷地内でも1番厳重に結界を張っているから安心して良い。今、あそこに近付ける妖は我ぐらいのものだ。」
 破王の提案に萌絽羽が頷く。
「仁旺。お言葉に甘えて休ませて貰おうよ。立てる?」
「ああ」
 萌絽羽に促されて、仁旺が腰を上げる。
「荷物はすでに運んである。場所の説明は要らぬだろう?」
「1番奥の南の角だろ。覚えている」
 未だ不機嫌な顔で破王を睨め付けた仁旺は、萌絽羽の手を引いて部屋を出ていった。

我にできるだけの事はしたつもりだぞ。
少しは感謝してくれても罰は当たらぬと思うが、相手が萌絽羽では搦め手は通じぬ様だ。
だが、今度ばかりはいくら鈍感な娘でも気付くだろう。
 破王は胸にかすかなうずきを感じたが、頭を振って自分も汗を流す為に湯殿に向かった。

「「あ!」」
 離れに着くと萌絽羽と仁旺は同時に声を上げた。
 10畳ほどの部屋に2メートル以上はある真四角の1組の布団と2つの枕、片隅には水差しとリュックサックが置かれていた。
 何かの間違いかと隣の部屋を覗いてみたが何も無かった。
「あの野郎ぉ。ここまでするかぁ!?」
 怒った仁旺に対し、萌絽羽は大声で笑い出した。
「あっはっはっはっは!! もう破王ってばめっちゃお茶目。そうだよね。いつもはシングルの布団を並べて仁旺と寝てるんだもんね。これだけ大きな布団なら3人くらい充分寝られるね。もう可笑しいったら無いよー」
 笑い続ける萌絽羽に仁旺が真剣に訴えた。
「笑い事じゃ無いだろ! 破王に言ってもう1組布団を用意させないと。知らなかったじゃ済まないだろ」
 浴衣の袖で涙を拭きながら萌絽羽はなお笑い続ける。
「良いよ。結界が張ってあるから妖さん達は此処に近づけ無いんでしょ。無理して用意して貰うのは悪いって」
「でもな。これじゃ……」
 仁旺が言いかけたところに、萌絽羽が足にタックルを掛けて布団の上に一緒にダイビングした。
 驚いた仁旺が顔を上げると萌絽羽すぐ側でにこにこ笑っていた。
「子供の頃、よく一緒に寝たよね。仁旺が中学に入る頃にはしなくなっちゃったけど」
「ああ、そうだったな」
 間近で萌絽羽の顔を見つめて仁旺の頬は赤く染まる。
「たまには一緒に寝るのも良いと思わない? 実はわたしもはしゃぎ過ぎて疲れてるの。おやすみ……」
 萌絽羽は仁旺の手を握るとそのまま寝息を立て始めた。
 仁旺はしばらく身動きが出来なかったが、萌絽羽のおだかやな寝顔を見ているうちに胸に温かいものがこみ上げてきた。
 布団を整え萌絽羽の手を握り返すと共に眠りに付いた。

 翌朝、廊下で破王がまだ涼しい風に当たっていると笑顔で仁旺が頬を染めて走って来た。
 その顔を見てどうやら首尾良くいったらしいと破王も笑顔で迎える。
「聞いてくれ。破王!」
「うむ。何だ?」
「昨夜お前が用意した部屋に、布団が1組しか無かっただろう」
「それで?」
「萌絽羽が俺の手を握って……」
「うむ」
「一緒に寝てくれたんだ!!」
「……」
「萌絽羽の寝顔は凄く可愛かった。破王。色々文句言ったが今は感謝してるぞ」
「それだけか?」
「それだけって、あの萌絽羽が1晩中俺の手を握っててくれたんだぞ!」
「……」
 意気揚々と話していた仁旺も破王の表情の変わり様に首を傾げた。
「どうした? 破王」

あれだけ我が準備万端にお膳立てしたというのに、この馬鹿は只手を繋いで一緒に寝ただと?
 破王は遂に我慢しきれずに癇癪を起こして、強い風で仁旺の身体を包み込むと遠くに吹き飛ばした。
 情け無い悲鳴を上げて仁旺は飛んで行く。
 それを見ながら萌絽羽が廊下を渡ってきた。
「破王。おはよー」
「おはよう。萌絽羽」
 萌絽羽が内門の外を見ながら言った。
「今飛んで行ったのって仁旺だよね?」
「ちょっと意見の行き違いが有ったのだ。あまりに浮かれていたので頭を冷やすように泉に飛ばしておいたから怪我はすまい」
「ふーん。あのね、わたしも破王に話が有るの」
「何だ?」
「仁旺が大学に行くのは仏教の知識を深める為なのね。ちゃんと勉強していずれはうちの寺を継ぎたいって言ってくれてるの」
「それは……」
「最後まで言わせてね。仁旺は小さい時にうちに引き取られて、ずっとじいさまの手伝いをしていたから実績は有るの。でもね、それって育てて貰った事への仁旺流の恩返しだと思うんだ」
 渡り廊下の柱にもたれて萌絽羽は言葉を続けた。
「わたしは仁旺にもっと広い世界を見て欲しいと思う。だからどうしても大学に行って欲しい」
 破王は思わず親友の弁護にまわった。
「仁旺はいずれ萌絽羽と一緒になる為に頑張っているのではないか?」
「うん。知ってる」
 余計な事を言ってしまったと後悔していた破王は萌絽羽の言葉に愕然とした。
「萌絽羽。そなたは仁旺の気持ちを知っていたのか?」
「だって仁旺って凄く解りやすいもん。気付かないふりをするのって結構大変なんだよ」
「萌絽羽は仁旺を好いてはいないのか?」
「好き。でも、わたし達って生まれた時から一緒に居たでしょ。いつも一緒に居るのが当たり前になっちゃってて、このままだと死ぬまで一緒にいそうなの」
「そなたは嫌なのか?」
「ううん。そうじゃ無くて、仁旺が恋愛と家族愛の区別が付かないまま、わたしを好きだっていうのが嫌なだけ」
 萌絽羽は溜息を付いて庭に視線を落とす。
「大学に行けばきっと色々な事を経験して、もっと素敵な女の人と知り合う機会が増えると思うの。他に本当に好きな人が出来るかもしれないでしょ?」
「大学に行っても仁旺の気持ちが変わらなかったらそなたはどうする気だ?」
「その時はわたしが責任を取って一生仁旺の面倒を見るつもり」
 萌絽羽は破王を見上げてにっこりと微笑んだ。
「今回の悪戯は破王が仁旺とわたしとくっつける為に計画したんでしょ」
 破王はがたりと膝を崩した。
「全部気付いておったのか?」
「だって破王のやる事が露骨過ぎるんだもん。でも次からはやっちゃ駄目だからね」
「お互いが好き合っているのならば問題は無いのではないか?」
 萌絽羽が破王の髪を引っ張って自分の目線まで顔を下ろさせる。
「絶対駄目! 今の仁旺に恋愛問題まで背負わせたら受験どころじゃ無くなるでしょ? この事を仁旺に言ったら破王を仁旺が大学合格するまでうちに出入り禁止にするからね!」
 萌絽羽の瞳は意志の強さを表す様に輝いていた。
 破王は「降参」と両手を挙げた。

 ぱっと破王の髪から手を離すと萌絽羽が深く頭を下げた。
「仁旺の事を本当に心配してくれてるんだよね。ありがとう。でも、わたし達の事はわたし達自身にまかせて欲しいの。どんな方向に行くか判らないけど、絶対に仁旺を不幸にだけはしないから。お願い」
 破王は笑って萌絽羽の頬を撫でた。
「我が言うのも何だが、仁旺はどうしようも無い大馬鹿だ。それでも良いと言ってくれるか?」
「大学に行ったら大馬鹿の「大」の字くらい消えるかも。……あ、性格の方は無理だよね」
 破王と萌絽羽は同時に吹き出した。
 破王が涙目になりながら門を指さす。
「その馬鹿が帰って来たぞ」
「それじゃ、朝ご飯の前にお風呂に入れて服を洗っておかないとね。ずぶ濡れなんでしょ?」
「そうだが」
「今、頼んだ事宜しくね。わたしは仁旺を朝風呂に誘うから」
「萌絽羽!?」

それは自ら煽っているという事では無いのか?
それで良いのだろうか。
本当に掴み所の無い娘だ。

 元気良く走って行く後ろ姿を見つめる破王には、萌絽羽の背に目には見えない翼が生えている様に見えた。

その魂に羽衣(はごろも)を持つ人の娘よ。
おそらくそなたは我の気持ちにも気付いていて、それでいて知らぬ顔をしてくれておるのだろうな。
己の心に正直に生きるが良い。
我は一生そなたを見守り続けよう。

 破王は心の底から笑って、朝餉の準備をさせる為に配下の妖達を呼びよせた。
 月の館での宴は翌日の夕刻までずっと続いたのだった。

おわり



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