_/_/_/日本徘徊(大間→福岡)_/_/_/

1999年7月28日
大畑線の未成線跡を見て、核燃料サイクル施設の間を抜ける。
八戸の宝来食堂に入る。棚にある天ぷらを指して、「これで定食にして下さい」と言うと、天ぷら、コロッケ、きゅうりの糠漬け、酢の物の定食が来てしまった。「あの、天ぷらだけのつもりだったんですが・・・」と言うと店のおばちゃん、「いや、定食は全部付くんですよ」これで350円!

1999年7月30日
五能線に乗りたくなり、能代へ。深浦で降りて、町役場の食堂に入る。冷やし中華を頼むと店のおばちゃんが話し掛けてくる。日本一周をしているというと、冷やし中華がえらい大盛りになり、おにぎりまで付いてきた。更に帰り際、「夜に食べなさい」と特大おにぎりを三つ持たせてくれた。感動した。

1999年8月8日
三途川を更に登っていくと川原毛地獄に着く。滝がそのまま酸性の温泉になっている。

1999年8月9日
夏油温泉へ。無料の洞窟風呂へ入る。本当に真っ暗で何も見えない。混浴なので、運が良ければ若い女性が入ってる可能性もあるはずである。しかしだれも入っていないようである。しばらくして一人入ってきた。残念ながら男性。彼もカブで旅だという。近くのキャンプ場で再会した彼は何と高校生だった。

1999年8月10日
今日は甲子園で母校の試合がある。うちの学校の野球部は、弱い事で有名だった。県大会ではいつも1回戦か2回戦で戻ってくる。それがなにを思ったか、甲子園に出てしまった。応援せずにはいられない。滝の前でラジオを聞く。なんと、これまたなにを思ったか5対0で楽勝ムード。2回戦に進んだりしたら、大阪まで駆けつけなければならんな、などと思っていたら、9回の表に5点返され同点に。そのまま延長戦。そして延長も無得点のまま進んで、相手に4点取られる。その裏に得点できずゲームセット。あまりにひどい負け方だが、3時間の夢を見た。

1999年8月11日
遠野の河童淵ぶちへ。爺さんが「早く子供を作れよ」と声を掛ける。有名らしく、観光ポスターにも登場していた。山崎のコンセイ様へ。子孫繁栄系男性シンボルのモニュメントだ。根精様だと思っていたが、金勢様だった。高さ1.5mである。次に太郎かっぱ。この河童は、スカートを覗くという。
大峰鉱山へ行った帰りに、佐比内鉄山というのを見つける。鉄を掘ってサビナイとはなかなか面白い。今はダムの下に眠る。

1999年8月20日
再び八戸宝来食堂へ。おじさん達みんなで巨人阪神戦を見ている。バッターは久々に復活の清原。隣のおいちゃんは、「あいつは、ストライクを振らないでボールばかり振るんだ」その通り、ストライクを見逃し三振。便所に行こうとするととなりにいた別の客が、「そこの戸を開けて、右のまっすぐ奥だ」と教えてくれる。真っ暗の廊下を歩いていくと庭に出てしまった。そして庭の隅、月夜に浮かぶ掘っ建て小屋。裸電球が一つ灯っていた。詫び寂びの世界である。

1999年8月20日
田老鉱山へ。沈殿池は赤い色をしている。選鉱場はかなりでかい。夢中で撮影。

1999年8月22日
釜石の町を散歩。飲んべい横丁は、間口の狭い飲み屋がずらっと並び、かつての盛況を思わせる。夜は港に泊る。船を舫う釘に座ってギターを弾く。風の無い暑い夜。

1999年8月25日
仙台はかつて住んでいた街。懐かしい人に会う。北京餃子で定食。
駅の駐車場でビバーク。

1999年8月26日
ここで一旦、失業保険手続きのため家に帰らねばならない。福島から山を越え会津へ。田子倉で雨になる。十日町はお祭りだった。記念ホール食堂でもつ煮定食。越後田沢駅でSTB。

1999年9月2日
八尾の風の盆へ。川原でギターを弾いていたら近くで宴会が始まり、「こっちで弾け」と言う事になった。古い曲を弾いたらうけて、「まあ、食え、まあ、飲め」と言う事に。 夜、祭に行く。踊る人は深々と笠をかぶって顔が見えず、わずかに覗くうなじが色っぽい。静かな胡弓の音。基本の踊りに時々変則的な踊りが加わる。地面に座り込んだりして、これまた色っぽいのである。

1999年9月4日
49号を走っていると、後ろからクラクション。磐越西線のSLを追い抜いて写真を撮るのである。頭に来たので、道の真ん中を走って、しかもスピードを落としてやった。サイドミラーでいらつき具合が見える。道が広くなったところで、「クソジジイ!」とか言いながら抜いていった。こっちもクラクションと中指で応戦。小太り眼鏡の冴えない二人だった。ザマミロ。郡山で、再びステップワゴンがクラクションで抜いてきた。左から抜きかえそうとすると幅寄せをしてきたので、右からきっちり抜いてしかもすぐ前に入り、真ん中を走ってやった。カブ野郎をあまり刺激してはいけない。
後輩宅へアポ無しで行ったらいなかった(後で聞いたら、キャンプに行っていたらしい)。

1999年9月6日
常磐炭鉱へ。ホッパは健在だったが、周りの道がキレイになっていた。
阿字ヶ浦のゲートボール場で設営。

1999年9月7日
北浦は結構大きい。が、深緑で泡なども浮いてとにかく汚い。霞ケ浦は茶色く濁り更に汚い。銚子は、街全体が磯辺焼きの臭いに包まれている。

1999年9月10日
銀座のど真ん中を抜ける。

1999年9月18日
大船の友人宅へ。カメラに囲まれて飲み。

1999年9月19日
伊東で温泉に入り、猿の次郎ランドの裏に設営。雨降り出す。

1999年9月21日
今日も雨。大仁金山へ。しかし、もう解体する寸前だった。見事な廃墟だ。残念である。雨がひどいので、富士インター近くのサウナで泊る事に。サウナのロッカールーム、両隣の入れ墨をしたおいちゃんが話している。「やっぱ、1日に一回は打たないと駄目だなぁ。体がだるくって・・・」ムム、麻薬の話か。すると、「最近血糖値が500くらいになってな・・・」け、血糖値?どうやら、インシュリンの話らしい。

1999年9月22日
土砂降りの国道1号線。静岡の友人宅へ押しかける。

1999年9月24日
雨で、撤収が遅れた。1時間ぐらい遅くなって出発。豊橋市内に入ると、トタンや木が道に散乱している。国道1号線は信号が消えている。1時間くらい前に竜巻が通ったのだという。車が飛んだりしたという。出発が遅れなかったら、カブとともに空を飛んでいたかもしれない。今日も知人宅でお世話に。

1999年10月7日
敦賀、気比大社のトイレで紅茶を入れていると、「うまいことやっとるんね。」とおばさんが話し掛けてくる。そして、「味噌汁をあげるから、来なさい。」入口に猫のいる喫茶店。「おいしそうな魚ですね。」と言うと、常連客が「そうやろ、これなんか生きとるもん。」「そんな、煮てあるのに生きとるわけせんやろ。」とつっこみが入り、店が沸く。沢山魚を食べて、ご飯も味噌汁もお替わりしてしまった。そして、食後にコーヒーが。いくらかと聞くが、断固として受け取らない。
安曇川の川原で設営。明かりは一つも無く、暗闇の中でギターを弾く。だんだん目が慣れてきて、雲の動きとかが見えてくる。

1999年10月8日
京都の山は茅葺きが多い。しかも、日本昔話に出てくるような、てっぺんのコブの大きいやつだ。あれは、漫画特有のデフォルメだと思っていたが、本当にあったのだ。芦生森林鉄道の跡を歩いて、灰野の廃村へ。

1999年10月12日
宮津の港の公園で設営。飲みながらギターを弾く。釣り客が来たので、うるさい曲を弾く。去っていった。カップルが来たので、別れの曲を弾く。去っていった。

1999年10月13日
断続的に雨が降る。時々民家のガレージで勝手に雨宿りしながら走る。明延鉱山へ。鉱山は有刺鉄線で厳重に閉ざされている。何とか進入。見事なホッパ施設がある。機械工場、電車工場がある。線路がトンネルに消えている。1円電車の跡、神子畑へつながっているのだろう。銅と亜鉛の鉱山。錫は全国で90%のシェアをもっていたらしい。しかし、価格暴落と円高で、最後は必要なものだけを持って出ていったため、多くのものが残されている。総延長500kmの坑道は水で埋められた。

1999年10月14日
神子畑選鉱場へ。東洋一の規模というだけあって、とにかく巨大だ。ドラゴンクエストの主人公のようになって複雑な経路で奥に入ってゆく。テーブル比重選鉱のテーブルがずらっと並び壮観だ。黒板に落書きがある。「自殺志願者3人が眠る。これより上登るべからず。」早速登ってみる。木の階段、錆びた橋、崩れたらおしまい。ガラスが落ちてくる。復活の呪文はない。登っても登ってもてっぺんが見えてこない。とにかくでかい。
新野の神社で寝る。

1999年10月15日
AM3:00頃、茶色い眼鏡にパンチパーマのおいちゃんが話し掛けてくる。うちに来てコーヒーでも飲めというので家へ。ビールを飲みながら話をする。温泉へ行くという事になり、ミラで出発。途中近所の社長宅へ、5時に押しかける。そこでは、おいらはいとこの息子という事になっている。おいちゃんはそこでうまい事言って、1000円を手にする。祠でお参り。おいちゃんは賽銭を集める。65円也。着いたのは温泉ではなく、小さな沢。ここで身を引き締めて、仕事に行くのだという。10月とはいえ、かなり寒い。おいちゃんは入るのかなと見ていたが、顔を洗って戻ってきた。帰って、シャワーを浴び朝食を食べると6:30。おいちゃん出勤の時間である。なにか、小説の中に入ってしまったようだった。
生野銀山に行ってから、丹後半島の伊根へ。祭をやっている。バイクを停めて写真を撮る。大きな桶で酒が振る舞われている。おいらにもどうぞと来る。「いやぁ、バイクなもんで」「いやぁ、関係ないですよ」すぐ横には、交通整理のおまわりさんがいる。「関係ないですね。」
夜はキャンプ場でウィスキー。酒漬けの一日。

1999年10月16日
城崎でたこ長という店に入る。親子丼は、表通りの店がみんな650円の統一観光価格を導入しているのにも関わらず、その店は550円。しかもうまい。店のおばちゃんが「兄ちゃんこれよう食べんか」とキムチまで持ってきてくれる。客は誰もいない。妖しげな赤い照明の店。

1999年10月17日
鎧の駅へ行く。ノートが置いてあるので読むと、ここは宮本輝の「海岸列車」の舞台で、ファンが時々訪れているらしい。読んでみたくなる駅だ。一週間振りに日が射してきた。
香住の帝釈寺へ行く。ここでこれから火渡りの儀式が行われるのである。ほら貝が鳴り、5、6人の僧侶が桧の櫓の周りを回る。剣の儀式、矢の儀式、いろいろな儀式で精神を昂揚させてゆく。漸く二人の男のたいまつから櫓に放火される。激しく煙が吹きあがる。風に煽られて煙が化け物のように蠢く。太鼓と木魚の速いリズム。僧侶が念仏を唱えながら、札を投げ込む。竹が破裂する。やがて火が収まると、薪が橋のように並べられる。静かに僧侶が渡り初めを終えると、村民が我さきにと渡り始める。自分も渡ってみる。それほど熱くない。餅が撒かれて儀式は終わる。

1999年10月18日
人形峠へ。今は何も無いのかと思っていたが、結構大きなウラン濃縮施設がある。道端に、ウラン採掘の碑がある。柵も何も無いが、かなり薄いので問題無いのだろう。
その後三朝温泉へ。橋の下に無料の温泉がある。ラジウム泉。今日は放射能づいている。漸く晴れてきた。レインボーロードというのを走っていると、本当に虹が架かった。その代わり結構冷え込んだ。7度くらいになったらしい。野宿の厳しい季節になってきた。

1999年10月19日
大根島で廃船を撮ってから、松江の街の真ん中の公園でビバーク。

1999年10月20日
島根ワイナリーに寄る。ここは、ワインの試飲ができる。ちょうど団体が到着したところで、試飲もやりやすい。ちょっと甘めでおいしい。
旧大社駅へ。列車が来ないのが不思議なくらい堂々と残っている。駅員だけが人形になっている。太田市役所食堂、その名も「テジョン」でサバの定食を食べる。
石見銀山を攻めてから、温泉津温泉へ。浴槽は44度と48度がある。鉄の味がする塩泉。海が時化ると熱くなるのだという。念のため48度の方も入ってみる。1分くらいしかもたない。
再び失業保険で戻らねばならない。

1999年10月22日
再び三朝温泉へ。今回は地元共同浴場の株湯へ。混んでいたのに、みんな上がっていき、気が付くと、見事な彫り物のおいちゃんと二人きりになっていた。「ちんちんが熱くてかなわんのう」とおいちゃんが話し掛けてきた。いろいろ話していたが、やがておいちゃんは床に寝そべって、「背中を揉んでくれんか」という。「かかとで踏んでくれるといいんじゃ。」その背中には天女様の彫り物がある。天女様の胸の膨らみ辺りをかかとで踏み付ける。おいちゃんは時々低く感嘆の声を上げる。ちょっとサディスティックな気分になる。上がった時、入れ墨の写真を撮らせてくれと言うと、「こんなものはええけん」と言って、すぐシャツを着てしまった。外へ出て、おいちゃんはコーヒーをおごってくれた。

1999年10月30日
母校の学園祭のために松本へ向かう。九州がどんどん遠ざかる。

1999年11月5日
米子で事故を見る。スモークセルシオにスモークSーMXが追突していた。ザマミロ。しばらく走るとポプラ入口で、ステップワゴンがトラックにリバースで追突していた。米子で事故を見るのは4回目である。あまりに多いのではないかと思う。
浜田の公園で設営。

1999年11月6日
朝撤収すると、テントに犬の糞がベットリとついている。夜中に設営したので、草の下に潜んでいたのに気付かなかったらしい。不覚である。
都茂鉱山へ。選鉱場、坑口、軌道跡などが残る。
萩へ。城下町特有のT字路が多く、高い石垣に囲まれているので、街全体が巨大迷路のようである。城跡の海岸でビバーク。夜、大音量でテープが鳴り出す。声優の歌らしい。オタクの兄ちゃんだろうか。何事かとテントから出ると声優が話し掛けてくる。どうやらテープではなく、テープに合わせて肉声で唄っていたらしい。声優を目指していてここで練習をしていたという。可愛らしい中学生(のはずだが、明かりが無いので見えない)。本当に声優声だ。自慢の林原めぐみの曲を披露してくれたので、こちらもと思うが、共通で知っている曲というのがほとんど無い。なぜか「思い出の九十九里浜」を知っていると言うので、即興で何とか弾く。不思議な夜だ。

1999年11月7日
タイヤがかなり磨り減ったので、バイク屋に電話をする。道順を聞くと、「まず国道191号線を長門市方面に行くと、市民球場と美術館の間に信号があるので、そこを右に曲がり、球場を回り込むように右に回って、玉木病院の新館と旧館の間の道を左に入り、それからまた左に曲がると・・・」さすが城下町である。

1999年11月8日
彦島ー小倉フェリーで九州上陸。495号線はひどい雨で水が溜まっていて、エンジンが冠水してしまう。宮地岳の蔦屋で時刻表を調べると、対馬へ行く夜行便がある。面倒なので、乗ってしまう事にし、ひたすら走って福岡へ。 博多港から対馬の比田勝港行きフェリーに乗船。


その先の日本へ