1999年7月1日
AM2:00函館港接岸。排気ガスのこもる車輌甲板を出ると雨。よく、北海道は梅雨が無いと言われる。梅雨はないが蝦夷梅雨というのがある。要は内地のように梅雨入り梅雨明けは発表されないが、この時期にはやはり雨が多いのである。北海道=梅雨無しのイメージは航空会社の宣伝努力の賜物以外の何者でもない。
それはそれとして、雨の午前2時では何もできないので、ターミナルで仮眠する事に。しかしここが、プラスチックのセパレートベンチで、寝心地は最低の部類に入る。が、贅沢は言えず仮眠。
湯の川温泉に入ってから、ライダーハウス「ミートハウス」へ。北海道にはライダーハウスなる安く泊れるところがあるというのは、なんとなく知っていた。早速どんなものか試してみようという訳だ。受付をしてくれた人がオーナーだと思っていたが、実はこの人も客だった。950円を払い、シュラフを置いて場所を確保。外へ出ようとすると入道崎で会った女性ライダー増田さんが入ってくる。やれやれ、もう会ってしまったか。ある旅人が、「日本って、広いんです。でも、人間関係って狭いんですよね。」と言っていた。夕食は、増田さんに教えてもらった、650円でいくら丼を食わすタツミ食堂へ。
1999年7月2日
七重浜を走っていると、パワーセンターカウボーイがある。680円食べ放題に惹かれて入ってしまう。680円だから、別にそんなに無理して食べなくても元が取れるなと思う。が、結局食べ過ぎてしまうのが哀しい。
峩朗鉱山を目指す。雨上がりの石灰道を走ったので、カブが真っ白になってしまった。上ノ国まで走ると「建設省一級河川、天の川」という川があった。漁港ビバーク。
1999年7月3日
道の駅で給水していると、焼き芋屋のトラックが停まっている。ナンバーは北九州。全国を売って歩くのだそうだ。夏は北へ行くらしい。寒ければ売れるのかと言うとそうでもなく、部屋の窓が開いていてスピーカーの声が聞こえるこの位の温度が重要という。
平田内温泉に入る。岩を掘っただけのワイルドな湯で、無料。掃除のおばちゃんがどこから来たかと言う。「石川県の寺井町という・・」「ああ、知ってます。息子が井出製陶に勤めてました」思い切り近所の工場である。
峠を越えると、キタキツネが出てくる。はじめは喜んで写真を撮っていたが、実は珍しくも何とも無く、次第に無視するようになる。
島歌という集落を過ぎる。しばらく走ると歌島という集落があった。黒松内の公園でビバーク。夜に再び雨。
1999年7月4日
朝、公園掃除の爺さんと話をしながらコンタクトを入れていると、またも突風。顔面蒼白。アスファルトをどれだけ探しても見つからない。爺さんが側溝を上げて探してくれる。爺さんは「プールの中で落とした人がおってな。子供が潜って見つけてきた事があったんじゃ」と言うような話をして、慰めてくれる。しかし、これまた運良く、側溝の泥の中より発掘される。
1999年7月5日
美国という町でお祭を見る。御輿あり、山車あり、現代風のダンスを踊る人、時代劇代官風の衣装の人、天狗、忍者など、祭のごった煮である。入植した人の故郷の祭を持ち込んだのだろうか。今日は珍しく贅沢で、渡部食堂というところで、生ウニ丼1850円を食べる。相場は2000円だから、少し安い。重を開けるとご飯が見えないくらいにウニが敷き詰めてある。これに、ワサビ、生姜、醤油を混ぜて食べる。申し訳ないが、ひどくうまい。ご飯の中に、イカまで隠匿してある。
古平温泉一望館に入る。学校をそのまま使っていて、時計の位置なんか教室そのもの。真っ赤な色の湯で、鉄と塩の味がする。まるで血液である。
1999年7月6日
小樽運河は確かにきれいだが、カップルだらけ。それより、北海製缶の廃墟の方が楽しめる。
1999年7月7日
豊羽鉱山で鉱山住宅廃墟を撮る。廃止の坑口があり、湯気が出ている。温泉が出ているらしい。
南幌温泉の食堂で、キャベツ丼700円というのを食べる。丼の上にポプラ並木が立っているようなのが出てくる。
1999年7月8日
二度目のライダーハウス富野休憩所。何とここは無料で泊れるのである。北海道の懐の広さを感じてしまう。洗濯機を借りるとこれもタダ。
北炭真谷地炭鉱へ。ガスマスクをかぶった人がいる。今はアウトドアの炭を作っているらしい。清水沢発電所は巨大でボロい。大夕張の駅には、スリーナインのような客車が倒れていた。シュウパロ湖に出ると、夕張森林鉄道の三角トラスが見える。
1999年7月9日
夕張の町で渋い銭湯を見つけた。タオルと石鹸を持って入ると、何とそこは、映画ポスター博物館というのに生まれ変わっていたのであった。夕張の町は、炭鉱町から映画の町へ変わろうとしているのだ。管理人のおじさんも元炭鉱マン。当時は人口12万人いたという。炭鉱跡で拾った石炭に火を付けてみると、蒸気機関車の臭いがした。
1999年7月10日
メロン城で試飲試食をしてから、万字炭山へ。万字会館やガーダー橋が残っている。「愛泉かつらの湯」というのがあった。覗いてみると、大きな桂の丸太をくりぬいただけの浴槽。ただ、今日は補修中で入れない。予約をするか、焚いた日にくれば入れるとの事。かなりマニアックな銭湯である。
幌内炭鉱には、コンクリ構築物がゴロゴロ。
1999年7月11日
砂川炭鉱には、巨大な立坑がある。現在は無重力の実験施設になっている。その他に立坑二個所見つける。
赤平に行くと、「鉄道員」のポスター。人に聞いて、やっと見つけた、前を通っても見過ごしそうな映画館。本場で見るとなかなか良い。お客さんは3人だけだったけど。
夜は富良野のツーリングトレインに泊る。昔の客車の中に700円で泊れる。一緒に泊った人に、本場のメロンをいただく。みずみずしくて大変美味。隣は73才のライダーで、無茶苦茶元気。
1999年7月14日
雨がやんでから、築別炭鉱を目指す。途中曙小学校を撮影。旧校舎も新校舎も廃校になっていた。ここの専用線の橋が変わっていて、ガーダーが階段状に連なっている。勾配を稼ぐためだろうか。専用線の築堤は高く、川を無視して真っ直ぐ引かれている。相当資金を投入したと思われる。高い煙突と巨大ホッパ施設が現れる。鉄筋4階建て炭住がすべて廃墟化している。
豊富のガス発電所を撮った後、徳満と言うボロくてなかなかいい駅を見つける。雨なので、ここを宿とする。急に暗い待合室に夕日が差し込む。雲の下に太陽が出たらしい。外へ出ると、駅の上に虹が架かっていた。
1999年7月15日
利尻のユースホステルにはギターが置いてあった。更にフォークのかなり濃い楽譜が置いてあった。弾いていると後ろで手紙を書いていた人が、千春の曲だけ口ずさむ。千春のかなりマイナーな曲を弾いてみる。ついてくる。どうもファンらしい。
1999年7月16日
隣の人は昨晩、3時起きで利尻に登るといっていた。朝起きるといなくなっていたので、行ったらしい。しかし外は雨。雨が降ると利尻は普通の島になってしまう。
宗谷岬へ。やはり雨ではただの岬。旧海軍望楼を撮影。
中頓別みつばち村というライダーハウスへ。冬にカーリング場になる細長い小屋が寝床である。布団もあるし、ガスもある。で、無料。で、夜は地元の人がやってきて飲み。
1999年7月17日
雨。
1999年7月18日
今日も雨。仁宇布トロッコ村へ。ここは、美幸線の廃線跡を原動機付き軌道自転車で走れるのである。女性二人と同情という幸運に恵まれる。
1999年7月19日
鴻之舞鉱山へ。大規模な鉱山廃墟。索道跡、大煙突などが残る。小学校跡は建物が潰れ、北海道特有の頑丈な煙突だけ残っていた。
北見鉱山に行った後、強い雨に降られ上白滝の駅に逃げ込む。停まる列車は一日一往復。
1999年7月20日
カムイワッカを目指して林道を走っていると、獣が視界に入った。信じられない事にヒグマである。ツキノワはあまり人を襲わないがヒグマは襲う事があるらしい。体格も3倍くらい大きい。熊スプレーというのも完全に撃退できる訳ではないと言う。お会いするとは思ってもみなかったので、もちろんそんなものは持ち合わせていない。ふと気が付くと・・・90mmレンズを向けていた・・・。
すると、熊はこっちに向かって歩き出した。マニュアルでは、熊から目を離さず両手を挙げたまま後ずさり・・・ってできるわけが無い!バイクで逃走。これは後で知った事だが、ヒグマは60km/時位で走れるらしい。もちろんカブより速い。
カムイワッカという有名な湯の滝へ。観光客ばかりでつまらないと聞いていたが、日暮れ近くなので無人。神々しい雰囲気だ。もしかしたら、もう死んでいるのかもしれないなと思う。
1999年7月21日
岩尾別温泉へ。タヌキのXXXからお湯が出るという、凝った造り。
波打ち際の露天風呂、セセキ温泉に昆布やカニと一緒に入る。いいダシが取れそう。
相内でトド肉を食べる。歯ごたえがあり、レバーに近い味。
標津の野球場で設営。
1999年7月22日
「島は奪われた!」といった看板が増えてくる。歯舞を散歩。
落石岬へ。鹿の群れが霧に霞んでいる。一台のスターレットが停まって、1人の女性が降りてくる。北海道が好きで何度も来ているホンダさんという人だ。霧の中木道を歩くと無線電信局の廃墟があり、灯台が見え、断崖に出る。霧笛が響く。「今日はどこに泊るんですか?」「いや、まだ決めてないんです。」「それなら、私の泊る宿に言ってあげます。」「いや、その、まだ会ったばかりだし、心の準備というものが・・・」ホンダさんが連絡してくれたのは、かじかの宿というとほ宿。つまり男女別相部屋の非会員制ユースホステルみたいなものだった。了解了解。布団で寝るなんて何日振りだろう。
1999年7月23日
阿寒の町を走ると道路標識に「↑雄別」というのが出てくる。しかし、しばらく走ると「↓雄別」になってしまう。雄別とはかつての炭鉱の町。今は誰も住んでいない。
白糠の下水処理施設の前で設営。夜、補導員に捕まる。25才にして補導。
1999年7月24日
襟裳へ向かう。大樹という町に晩成という地名がある。しゃれで付けたのだろうか。庶野辺りでカブライダーを発見。同じ年で同じ様な境遇の山本君。意気投合し、一緒に昼食、襟裳岬まで走る。岬には、襟裳岬がエンドレスで流れている。
夜はライダーハウスえびす湯へ。銭湯に入れば泊めてくれるという方式。定員4名。
1999年7月25日
再び夕張の鹿島へ。ダム湖に沈む町と小学校を撮る。
1999年7月26日
万字の万年寺へ行く。ここのお菊人形は今も髪が伸びるという。由仁の近くに、「ヤリキレナイ川」というのを見つける。
1999年7月27日
汐首岬で廃線の橋をデジカメで撮っている人がいた。函館の松本さん。やはり廃墟が好きらしい。
再び函館港へ。待合室のテレビで、フェリー座礁のニュースをやっている。あまり縁起が良くない。そして、船内のテレビで、津軽海峡線脱線のニュース。だが、無事大間に着き、本州最北端でビバーク。