1999中国(日本→上海)

1999年4月30日

 悪友のA氏から電話があった。「中国行かない?」私は状況が飲み込めなかった。でも、どうやら「いいねぇ」と答えていたらしい。 それから慌しく戸籍謄本を取り寄せ、パスポートを取り、乗船券を手配した。私は大学時代に中国語の授業をとっていた。無事に可で単位を取った後は、もう使うことは無いだろうと思っていた。当然、教科書も辞書も寮の汚い本棚に洗面器といっしょに放置されているはずだった。仕方なく、近所の本屋で古めかしい辞書とアグネスチャンの中国語会話の本を買った。授業で習ったことはひとつも残っていなかったが、「便所どこですか?」と「まけてよ」だけ覚えて、大阪行き特急列車の乗客となった。

 出発して早々、母親の作ってくれた弁当を忘れたことに気づく。先が思いやられる。行き先は関西空港・・・ではなく弁天町。つまり船便である。いまどきなぜ船なのか。金が無いからではもちろんない。格安航空券なら船より安いのもある。現在3時間の道のりを3日もかけて行く船旅のほうが贅沢なのである。エコノミークラスの狭い座席に挟まっていくより、プロムナードに白いベンチを出して海風に吹かれながら行くほうが優雅である。美しい夕陽に豪華なディナー。そしてダンスパーティー。理論にかなり矛盾する二等B船室の乗船券を握り締め、弁天町で地下鉄に乗り換える。

 コスモスクエアで買い出しをしようと考えていたが、駅を降りてその殺伐とした風景に唖然とする。妙によそよそしいビルと遠近感を狂わせる干からびた空き地しか目に入らない。結局食糧問題は先送りし、とにかく国際フェリーターミナルへ。A氏が合流し、出国手続き。荷物のチェックも無く、パスポートを見せるだけであっさりと乗船。二等Bという最下層の身分ながら、きちんと部屋まで案内してくれる。定員36人の部屋の乗客は8人。船員は全員中国人。乗客も大半が中国人のため、すでに中国にいるようだ。甲板に上がり港を眺める。定刻に出港。さすが国際航路、実にゆったりと出港していく。テープを持って手を振りつづける人たちは、なかなか大変である。

 早速レストランで昼食。チンジャオロースを注文。船内食堂としては、かなり良心的な値段でうまい。食糧問題は解決した。ビールも大瓶250円。当然、昼間っからビールということに。あっさりしていて飲みやすいビール。

 出港してしばらくすると、ロビーに卓球台が出る。ここで中国人小姐達が兵兵球をしていたので、混ぜてもらう。日中友好卓球大会。この娘達は中国は江西省出身。岐阜県養老町のアパレル工場で2年間働き、帰るところだと言う。「また日本に来る?」「もう行きたくありません」「なぜ?」少し間があって「手続きが大変だから・・・」きっといい事が無かったのだろう。不本意ながら、A氏が一人勝ちし、私が一人負けするという戦況。卓球をやりながら、数の数え方を習う。一対一は一比一(イーピーイー)。指の折り方も微妙に違い、三はOKのように、中指と薬指と小指を立てる。六は「電話して」のように、親指と小指を立てる。また、試合を始める前には必ず、「初次見面。請多多指教。(はじめまして。よろしくお願いします)」と言わなければならない。発音が悪いと指摘される。指導は厳格なのである。穏やかな航海だが、船の微妙な揺れによってピンポン球は不自然な軌跡を描く。また逆を衝かれると揺れにより体が戻らなかったりする。言い訳するわけではないが、非常に難易度の高い兵兵球なのである。

 同じ船室の日本人O氏。彼はこの船で3日かけて中国に行き、2日滞在の後、3日かけて日本に帰る。非常に奇妙な旅だが、船の中はほぼ中国。中国国内1週間の旅に相当するだろう。

 GPSが室戸岬付近を航行中であることを示している。上部甲板に上がるといい天気。当たり前だが、地図と同じ形に室戸岬が見える。海は大変に深い藍色で、黒潮の名もうなずける。  夕食はカフェテリア方式。長江の魚だろうか、大きな川魚とチャーシュー、炒め物などを食す。そして青島。夜のメインイベント、輪投げ大会が始まる。アルコールとローリングでふらつきながらもカラオケ券とネズミをゲット。という訳で、夜は小姐達とカラOK大会。中国人に一番人気がある日本の歌は、テレサテンの「時の流れに身をまかせて」、もしくは「北国の春」だ。中国カラオケは、日本のような妙なしがらみはなく、他人と同じ曲を歌うのもアリだし、他人が歌っているところへの乱入デュエットもアリである。そしてすぐ、みんなで大合唱になってしまう。わしらも、「中国ではチャゲアスが流行っている」という予備知識を入手していたので、「万里の河」を熱唱。一応拍手喝采で盛り上がった(後で聞いたら、流行っているのはもう少し新しいチャゲアスらしい)。

 シャワーは湯量豊富で船の上とは思えない。この船は、しょっちゅう甲板に水を撒いたりしていて、全般に水の使い方が贅沢である。シャワーから上がると23:00。ここで日本時間から中国時間に変わるので、22:00に。1時間夜更かしできるのである。得した気分だが、よく考えるとこれは時間の借金であり、帰りの船では1時間の返済を迫られるのである。中国小姐が「日本でG−SHOCKを買ったが、説明書をなくして操作がわからない」と言う。その時私はG−SHOCK風の時計をしていたので、わかると思ったらしい。「どれどれ、貸してみなさい」。ところがこれがわからないのである。いろいろボタンを押してみるが、人が泳いだりするだけでどうもわからない。所詮G−SHOCK風はG−SHOCKではないのである。

 ウィスキーをマグカップに入れて甲板に上がる。古い歌を夜風にのせて。

1999年5月1日

 夢を見た。仕事を辞めてしばらく経つが、いまだに仕事をしている夢を見る。しかも、クレーム処理などのツライ仕事をしている。北京時間4:00起床。顔を洗って甲板に出る。あまり寒くない。南に来ているらしい。4:30頃陽が昇り、中国小姐達が起きてくる。20人くらいの人たちが甲板に上がり、記念写真を撮っている。中国人は写真が好きだ。カメラが向くと、ベンチレーターに片足を載せ、小林旭ばりのポーズが決まる。美しい朝日、開聞岳の美しい正三角形が見えている。

 もう一度寝て、8:00頃起きる。朝食は無料である。饅頭とお粥。ロビーでは香港映画をやっている。中国語のようだが、広東語なので中国人には全くわからないらしい。しかし字幕によって、日本人には内容がわかるのである。

 甲板にいたら、中国小姐が上がってきたので、ちゃっかりポートレートを撮らせていただく。みんな上がってきて、大撮影会となる。少しずつ中国語を習う。中国語でさようならは「再見」だ。字の通り再び会うという意味で、別れというニュアンスは含まないという。考えてみると、忌むことをあいまいに表現する日本語では、さようなら、つまり「そのようであるなら」というあいまいな言葉は、永遠の別れということを強く含んでいるなと思うのである。

昼食は甲板でカップヌードル。海の色がコバルトに変わっている。その後食堂に行き、餃子を肴に青島。売店を覗くと毛沢東懐中時計を売っている。強く惹かれるものがあるが、なんとかこらえる。

 また甲板に上がり、中国語を習う。中国小姐老師による、やさしく厳しい指導。特にイントネーションは厳密に直される。実際厳密にやらないと通じないのだ。夕食は麻婆豆腐、炒麺、炒飯、四川風漬物、そして青島。辛くてうまくてうまくて辛い。

 夜になるとロビーにいろんな店が出る。血圧測定屋、靴磨き屋、アイロンかけ屋、散髪屋。血圧測定屋に挑戦。酒のせいかちょっと高め。A氏は散髪屋に挑戦。しかし中国人は列を作るという習慣がなく、次から次へと割り込まれる。待っている間に、また中国小姐から中国語レッスン。非常に厳しい指導。横からベストのお兄さんがちょっかいを出してくる。どうやら、彼女の中国語は江西省なまりらしい。ベストのお兄さんは上海ボーイなのだ。漸くA氏の順番が来たと思ったら、臨時散髪屋はいきなり閉店してしまった。残念でならない。

 我々下層階級には出入りが禁じられている展望風呂に潜入する。船の風呂が好きである。揺れに合わせて波立つ湯船に海を感じる。ウィスキーをお湯で割って甲板に上がる。暗い歌を歌う。


旅のつぶやきコラム@

地Qの歩き方

 中国を旅する旅人の大部分がこの本を携行しているはずである。もちろん私のザックのサイドポケットにもこれが入っていた。この本には非常に有用な情報が含まれている。一般のガイドブックが理想的な部分をやたら強調しているのに対し、この本は結構現実的な部分を見ている。

 ただ私はこの本を好きになれない。旅に行く前から人に指示を出しすぎるのである。屋台のものは下痢をするから食べるなとか、手紙は届かないから出すなとか、中国のは質が悪いので果物ナイフを持っていけとか。何をしようが私の勝手である。

 旅はトラブルが面白い。正確に言うと、トラブルはその時はつらいが、後から思い出すと面白いのである。騙されもせず、病気もせず、お勧めの店でうまい料理を食べたところで、それはガイドブックの教えを確認しただけである。

 また、この本には中国人にとても読ませられないようなことが沢山書いてある。飯店の服務員が荷物を盗むとか、便箋は紙質が悪いから買うなとか。確かに中国の紙は薄いが、それは本当に紙質が悪いことになるのか。のっぺりした日本の紙よりいいとも思うが。そして、中国語レッスンのコーナーでは、「この料理はまずいです」とか「水道の蛇口が壊れてます」とかを練習させるのである。わざわざ中国まで何をしに行くのか。

 この本が使えないとは言えないが、マニュアルに弱い日本人には、かなり強い先入観を与えてしまう。中国は治安の悪い国だと思っている人が多い。それは、日本人が中国を知らなさすぎるからだ。これは逆の事も言える。中国人も日本のことを危険な国だと思っているのである。

 もちろん、危険なところに金持ちニッポン人丸出しで行けばそれなりに危ない目には遭うと思うが、基本的には治安は悪くないし、人も親切だ。さしたる理由も無く人が殺される事件が頻発している国にいながら、ひとの国を治安が悪いと決めつけるのはちょっとずれている。

 オトナの分別でこの本から情報を選んで、良い旅を。


 

その先の中国へ