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DAYS三丁目の夕日
2008年4月29日
あの悪夢の欠航から4ヶ月。オリンピックを3ヵ月後に控えた初夏の日、再び出発の朝を迎えた。農薬入り冷凍餃子問題、化学物質入り子供服問題、鉄道事故、チベット問題など中国の評判はよりいっそう厳しさを増している。おまけに原油高で燃油サーチャージは死ぬほど高い。なぜこのタイミングで中国?一つは、たまには快適な季節に旅したかったこと。一つは、オリンピック期間は混むだろうと思いあえて避けた事(どうもこれは杞憂に終わったようだが)。一つは羊肉串が切れた事、である。まぁ、分かりやすく言えば、特に理由はないということである。基本的に着替えはほとんどいらない時期なのだが、直前の富山の気温が低めだったため、なんとなく上着が一枚増えた。更に今回は万里の長城に行こうと思うので、前回と同じレンズではつまらないと思い、珍しく望遠レンズを忍ばせたため、結局荷物はいつも通りの量になった。
午前10時過ぎ。こんな時間に富山市内へ向かっていると仕事に行くのと勘違いしてしまう。まるで旅に出る実感が湧かない。空港に着いたらすぐ搭乗手続きをして二階へ。最近は液体を必ずパックに入れないと持ち込めないとかいろいろ面倒になっていて、しかもアシアナ航空ソウル行きが11:45、上海が12:20とかぶっているので、出国審査は長蛇の列だ。仕方なく並んでいると、ベンチに座って動かないおじいさんがいて、空港職員が肩を叩くが反応がない。係員がだんだん集まってきてあれこれ連絡を取っている。周りが手を掛けるのを躊躇している中、フィリピンの女の子が率先して脈を取る。フィリピンの労働者が介護職に向いているというのも頷ける。どうやら脈はあるらしい。手荷物検査の直前でアシアナの出発時刻が来て、アシアナの人を先に通すために待たされる。というより、アシアナの出発時刻を過ぎているのだが、この期に及んで液体持込パックがなくて困っている人が出ている始末だ。ようやく順番が来て、いつも必ずチャイムが鳴る手荷物検査を無事スルー。出国審査も日本なのでラクにスルー。待合室に入り、ようやく4ヶ月前に戻った。乗客はまばら。ゴールデンウイークがこんな状態で大丈夫なのか。窓際の席で隣に人もいない。定刻に離陸。機内食が、以前よりおいしくなっている。パンがおいしく、アンカーのバターもおいしい。中華スーパードライでさっそく駆けつけ一杯。
少し早めに浦東空港へ着陸。以前は降りてから滑走路を随分長くバスに乗ったが、今回第2ターミナルができて余裕ができたのか、すぐに横付けされた。入国審査はただの1枚の紙になり、随分簡素化された。確かに以前のは無駄な自己申告が多すぎた。入国審査もかつての威圧感はなくなり、対応に満足したか評価するボタンなんかも付いている。ごく普通の対応だが、過去の対応を知っているので、努力を認め「很満意」を押す。荷物を受け取るとすぐ横に浦東発展銀行の窓口があり、両替ができる。以前は中国銀行しかできなかったはずだが、最近は他でもできるらしい。さっそく両替してみる。笑顔の対応である。どうした中国。浦東空港で両替をすると手数料を取られる。金額によって手数料が安くなるので、多めに両替したが、結局50元取られた。やはり不精をせず外に出てから中国銀行で換えた方が良かったか。次に交通カードをチャージしなければならない。交通カードならリニアが割引になるのだ。航空券を提示しても割引になるが、未使用の航空券でないといけないため片道しか使えない。空港内のコンビニで聞いてみるが没有だ。だめ元でリニアの服務員に聞いてみるとそこの機械に入れてみろと言う。入れてみると、金額が表示される。なるほど残高確認機があるのか。リニアは高いからよく残高不足になるのだろう。で、チャージはというと没有だ。仕方なく航空券を提示して窓口で買う。以前はしっかり調べられて、帰りの航空券にチェックが入れられたが、今回は特に確認もせず割引になった。
通いなれた道、リニアから地下鉄2号線1号線と乗り継ぎ上海火車駅へ。地下鉄にはホームドアがついていた。軟席切符売り場の電光掲示で今日の北京行きを確認するがすべて無だ。中国も労働節直前で、やはり混むようだ。なんとなく旅の前半は北京へ行って後半は上海と思っていたのだが、そうは甘くなかった。仕方ないので、先に上海をうろついてから後に北京という予定に変更する。窓口で一応「今晩の北京行きはあるか」と聞いてみるが即「没有」。5月1日北京行きの直達快速軟臥下段が取れた。オリンピック風に言えば、「北京行きの切符を手にした」と言う事になる(ならないか)。これと5月4日帰りの軟臥上段が取れた。ということはつまり、宿探しをしなければならないという事だ。以前の定宿がどうなっているのか気になり、地下鉄で延長路へ行く。通いなれた風景に、車やバイクが流れ、ようやく中国に来た実感が湧く。かつて小吃が並んでいた通りは、全部茶葉を売る店に変わった。大規模なお茶の市場が移転してきたのだ。最近できたばかりのはずだが、粉塵をかぶる事によって、もう何年もそうして売っているように見える。煤けた工場だった場所は高級マンションを販売するしゃれた店に変わり、かつての面影を残すのは道のゆるいRのみだ。そして、我らが北角城大酒店へ来てみると・・・。そこはオフィスに変わっていた。そう、この国で以前あったものがあるなんていう保障はどこにも無い。切なくも清々しい気分でもある。ただ、さしあたって今日の宿が無いという問題は何も解決していない。
再び地下鉄で上海火車駅へ。早速おばちゃんがホテルの勧誘にやってくる。広いベッドは有るか?あるヨ!風呂は有るか?もちろんあるヨ!地下鉄の駅は近いか?歩いて8分だし、送迎も無料アルヨ。200元安いでしょ!150元にしてよ。なら160元にしてあげる。30秒で支度しな!おばちゃんについて駅を東から西へ横切り、おばちゃんは携帯でなにやら連絡を取る。しばらくするといつものように素晴らしい配車システムで白いワゴンがやってきて、いつものように拉致られる。今日は他の中国人と乗り合いである。ワゴンは駅を越えて北へ向かうのもいつも通り。しかし今日は線路を越えるとすぐに左に曲がった。屋台が出てごちゃごちゃとしたいい感じの通りを抜ける。この街の近くなら楽しそうだなと思っていると、やがて横付けされたホテルは、回転ドアのあるなかなか良さそうなホテルだ。克拉瑪依天山石油賓館。まず部屋を見せてもらう。3階の窓のない部屋。割と広い部屋だが、風呂がない。おばちゃんに言うと、シャワーを差す。やはり通じてなかったか。おまけに220元だと言う。ちょっと納得いかないものの、割と新しそうだし、疲れていたし、何より街の雰囲気がいいのでここに決める。フロントに戻り登記手続。押金100元。荷物を降ろし、ベッドに倒れこむと、窓のない部屋ながら、自分の部屋のようになんかやけに落ち着く。廊下から外に出てみると中国の公園によくある健康器具が設置してある。このささやかなジムで、待ち行く人や地下鉄を眺めながら体を伸ばすと、風が心地いい。深夜特急風に言えば「Breeze is Nice!」だ。
少し休んで、散歩に出る。便利店、小吃、美髪、そしてパイナップルやザリガニを売る屋台が出ている活気ある街だ。ひいきのコンビニ「好徳ALL DAYS」で、交通カードをチャージする。ついでに店のおばちゃんに中国語でチャージは何と言うのか訊ねてみる。充値(ツォンジー)だと教えてくれる。恐らく上海なまりなので、チョンジーだろう。チャージに似ていて、漢字の意味も合っていて、なかなか優れた翻訳である。ALL DAYSを出て、ワゴンから見えた小路に入ってみる。薄暗い路地に、上海の下町の生活があからさまに展開されている。道に面した扉から入ると、小さな部屋にベッドしかないような家も多い。ほぼ屋台状態の歯医者もある。ここで治療されるのはちょっときついな。今夜はよく歯を磨こう。有機的な匂い。誰かを呼ぶ声。扉には双喜。裸電球に照らされたアンバーな空間が暖かく、懐かしい。ALWAYS三丁目の夕日の世界だ。なんとなくスープが飲みたい気分だったので、一件の小吃に入ってみる。小姐に定食を頼むと、湯(スープ)は何にするか聞かれたので、「おすすめは?」と聞いてみるが通じない。しかし横で調理をしていたお兄さんが聞き取ってくれた。ただ、セットの菜飯がないらしい。近くのおやじが山盛りで食べていたので無くなったのか。明日来れば必ず用意すると笑顔で言ってくれた。仕方なくスープと焼鶏でいただく。鶏の出汁が効いていておいしいスープだ。「請結張(お会計)」と言うと「マイダンね」と言われる。最近やけにマイダンという言葉が使われるようになった。外に出れば羊肉串屋台が出ている。屋台と言うより自転車である。焼く前の食材が並べてあるので、指を差せばすぐに炭火で焼いてくれる。途中必ず辛くしていいか聞かれるので、没問題と応える。これにビールがあれば、何にも問題は無いのである。
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