2004中国(八達嶺長城)
2004年9月19日
今日も朝からスケジュールがびっしりである。寝坊は即ち朝飯抜きを意味する。しっかりと起床しレストランへ。洋食と日本食のバイキングで、中国らしいものは丁寧に排除されている。納豆でさえある。
前門から天安門広場へ入る。以前の旅でも見られなかった毛沢東のミイラは今回もお預け。ものすごい列ができている。今日の天安門広場はオリンピックに向けてあちこち工事をしていて、その広さが実感しにくい。記念写真などを撮りながらLOOKの旗を追って、天安門をくぐり、故宮へと流れていくのは定番のコースであり、ツアーの醍醐味だ。そして、前回は入場料が掛かる為に迂回したゲートも、難なくスルーだ。まあ、とにかくでかい。門をくぐると遠くに門が見える。それをくぐるとまた同じ風景がある。首都の中心にただくぐるためだけの門がこれだけの規模であるというのが面白い。
最後の門をくぐれば、我々のバスが待っているはずである。戻る必要もないし、公共汽車を探す必要もない。門を出たとたん、物売りが集まってくる。「ロレックス3,000円!」日本円で売りつけてくるとはなかなかやるもんだ。「10元なら買うよ」彼は絶句して、ほかの日本人の方へ行ってしまった。七福神の置物のようなものを売りつけてくるおいちゃん。どこまでも追い続ける覚悟のよう。堀の側を歩いているうちに、半額になり、道路を横断しているうちに、三セットになった。ジャパネットもびっくりであるが、さすがに置物は必要ないなぁ。でもやはり、中国はこうでなくちゃいけない。
バスは高速道路を郊外へ向けて1時間ほど走り、観光施設に横付けされる。広いフロアの1Fはすべて御土産物センターとなっていて、2Fはすべてレストラン。まず2Fで食事をした後、下へ降りてショッピングという段取りである。この店は、値段を聞くとすべて日本円で返ってくるし、日本円が使える。値段は非常に高く、負けてよと言ってもぜんぜん下がらないし、売り込んでも来ないので値引き交渉にもならない。まあ、日本人なら言い値でも買うことは分かっているのだろう。七福神置物売りのおいちゃんの商売とはえらい差である。しかも、中国銀行がこの店のためだけに入っていて、至れり尽せりである。恐るべし。漢方薬コーナーの小姐は「チュウゴクノバイ○グラアリマス」と声を掛け、オジサマの足を止めている。
ここからバスはしばらく走り、山間に入る。いよいよこの旅のクライマックス、万里の長城である。呆れた事に中国5回目にして初めてである。人と話をしていて中国へ行った話をすると、「万里の長城はどうですか?」などと聞かれてしまうが「はぁ、すごいらしいですねぇ。」などと、分かったような分からないような返事しかできなかった。きっぱりと感想を述べたいではないか。大連の安食堂で話をした中国人は、「あれは中国の巨大な龍のようだ」と自慢した。龍を見たいではないか。
八達嶺(バーダーリン)。一番メジャーな長城である。登山口から見える一番高いところまで行くことができるが、ツアーとしてはその中間地点の、少し小高くなったあたりまでが想定されている。とは言うものの、「行けるところまで行く」というのが当然の心理である。ところが、撮影しながらで、結構急な斜面もあり、渋滞している場所もありで、この構築物の雄大さと自分の小ささを肌で感じながらなどという余裕はなく、ただひたすら集合時間に間に合うようにてっぺんを目指す事に。それでも、からりとした山の空気は心地良く、民族衣装などで正装して登る人などを見るのも面白い。てっぺんに到達して、記念写真を撮って漸く一息し、下を眺める。ずいぶん登った気がするが、これは6,000kmのうちのほんの一部である。そしてこれを、紀元前に人の手で作ったというのが信じ難い。中国人の一人だけ全行程踏破を達成しているらしい。降りてきて集合場所で休んでいると、スカーフとかを売り込んでくる。また強引に値切ると、私を避けるように、他の人に売り込んでいる。見ているとちゃんとお金のある人を的確にターゲットとしていて、彼らの人を見る目はなかなかである。
うとうとしながら高速道路を走り、市内で渋滞になる。今まで、フォルクスワーゲンのサンタナばっかりだったが、最近は大分バラエティに飛んできた。ホンダなんかも走っている。農業展覧館なる所に到着する。ここで小姐はお茶の正しい入れ方を水が流れるように説明し、慣れた手つきでお茶をいれていく。日本語は句読点で無音部分があるが、中国語にはそれがない。この小姐は中国語を高速で翻訳しながら話しているようで、正確な発音の日本語が切れ目なく流れていく。「このおちゃはちゅうごくのおくちのひとがはいれないところでしかとれないですねだからさるにそのおちゃをとりにいかせるのですねこのおちゃはたったいっぽんだけでなんにんぶんでもでますねでもきょうはみなさまにはとくべつさんぼんいれますね」その旋律に酔って、気が付いたら袋の中にお茶の缶を5個ぶら下げているというのがこの店の売りである。1缶は110元(1,540円)。これが全然まけてくれない。3缶買ってお世辞まで言って90元は大敗北である。
陽が落ちた頃、レストランに到着する。今日の夕食は北京ダックである。ただ、これは私が唯一経験済みの中国名物である。少し中国語ができるために、ミネラルウォーターは何ていうのかと訊かれる。鉱泉水だから、「クワンチュエンシュイ」だって教えたけど、うまく通じないようで「没有」とか言われている。下手な発音の又聞きだから無理もない。今度はスプライトを頼んでくれと頼まれる。流石にそんな高度な単語は知らない。ガイドさんに訊くと雪碧(シュエピー)だという。ネイティブの又聞きなので、これは通じたようだ。ガイドさんは悪乗りして、「それではビールを頼んでください」などと言うので、「我要一瓶的口卑酒!!!」と叫ぶ。もちろん一発で通じる。これは一番得意なフレーズでありますよ。
10時頃、飯店へ帰還。今日も懲りずにパソコンをLANに繋いでみる。やはり繋がらない。再びビジネスセンターへ。小姐が部屋へ来てあれこれやってみたが、結局繋がらず。電話を抜いてダイヤルアップでやってくれって言われたけど、そんな恐ろしいことできない。ところが、別の部屋へパソコンを持っていき繋いでみたところ、あっさり繋がった。部屋のLAN端子が壊れてた訳ね。でも、他人の部屋で長々作業するわけにもいかず、デジカメのスライドショーをする程度しか、パソコンの出番はなかった。何の為に持ってきたのだろう。この程度のことなら、デジカメの背面液晶でもできるのに。
モバイルパソコン
今回の旅でデジタル一眼と共に導入された機材は、モバイルパソコンである。LavieMXという、2000年頃に出た化石のようなパソコンである。B5サイズ、1.3kg、反射型液晶、Crusoe600Mhz、リチウムポリマー電池というそれまでになかった最新技術が(そしてその後にもなかった−つまり流行らなかった)惜しみなく投入された、まさに旅人仕様のパソコンである。この内容で当時25万円は高くはないと思ったが、買える値段でもなかった。それが5万円で売られていたのがちょっと不憫で、猫を拾うように買ってきたのだった。ネット上では、画面が暗いだの遅いだのと言われているが、それは長時間駆動の代償だし、ちゃんと調整すればWindows2000が実用的に走るというのは立派だと思う。
パソコンを海外で使う場合、物理的な問題がいくつかある。一つはコンセント。中国の場合、部屋にいろいろな形のコンセントがあるので、挿さるところに挿す。電圧は200Vが使えるものならOK。インターネットはちょっといいホテルならLANケーブルが使えるようである。モジュラージャックは、電圧が違ったりしてちょっと知識がいるようである。
行きの飛行機では機内に持ち込んだ。しかし、同時多発テロ以降の病的な手荷物チェックには当然引っかかり、非常に面倒だったので、帰りは預け入れにしてしまった。そしてそのまま病院送りへ。JALだからと油断していた。パソコンは必ず機内に持ち込みましょう。
ちなみに、旅に使おうと思って買ったパソコン、持ち運べるというのは予想以上に便利で、仕事用の書類が沢山持ち込まれた。しかも、寝転がりながら使えたりしてしまうので、部屋のデスクトップの代わりをするようになり、気が付いたらこれですべて事足りるようになってしまった。