2001中国(辛苦汽車旅遊)
この物語は、日本で最も下層の虐げられた階級に位置する男達、サラリーマン二人が、刹那の現実逃避に溺れた、涙無くしては語れない五日間の全記録である。
中国に行く事になったと言うと、中国人の知り合いは、「9月18日前後に北の地方で何かが起こるという情報があるから、その頃はやめた方がいい」と言われた。9月18日。それは9・18事件が起こった日。つまりそれは日本で言う満州事変の日付にあたる。当然矛先は日本人ということになる。幸いにも我々サラリーマンはお盆くらいしか休みがないから問題がない。ただ、ここに来てもう一つの問題が浮上してきた。小泉総理が靖国神社を公式参拝するか否かで揉めていて、旅行中に回答があるようなのである。まあ、どうにかなるだろう。
2001年8月11日
出発まで時間があるので、八尾の温泉に浸かって身を清める。そして、空港の無料駐車場に車を止めて、出発ロビーに入った。天井から床まである巨大なウィンドウからは普段買い物に行く平和堂や近所の化学工場が見えている。これから海外旅行という、高揚感がまるでない。
神通川の河川敷にある滑走路は対岸から簡単に渡って来れそうである。その滑走路から直接飛行機に乗り込む。
中国北方航空CJ614便。富山発大連行。日本で最もマイナーと思われる国際便。我々は今、この航空券を握り締めている。馬鹿にしてはいけない。このチケットは、通常の二倍もする高級チケットなのである。我々は、何もかも高くて人の多いこの時期しか旅が許されていない。ビジネスクラスの背後に位置する我々の座席には乗務員が座ってくつろいでいた。チケットを見せると、偽札をチェックするように入念に改め、「ちぇ、めんどくせいな」という感じで隣の席に移った。前戯なしにいきなり中国に入ったようである。キャンセル待ちで漸く取ったこの席は、普段は予備に空けておいて荷物置き場にでもしているようである。ダグラス社謹製MD−82。外観もそれほど大きく見えないが、、中に入るとバスのように小さい。一つの席に二つの窓が割り当てられているせいらしい。
軽くGがかかって離陸。家の近所が足元に見えて海へ飛び出した。快適なフライトに意識が遠のく。ふと我に返るともう高度を下げ始めている。大連港、大連站、中山広場が眼下に見える。が、通過する。だいぶ遠くまで来たので、これは街までが遠いぞと思っていると、きびすを返すように戻っていく。レゴのような住宅地が見えて着陸。あまりにあっけない。両替をすると、1万円が652元になった。前のときより100元くらい少ない気がする。
大ニッポンからの飛行機が到着したというのに、客引きが全くいない。ラクだが、ちょっと寂しくもある。バス停くらいあっても良さそうなもんだが、これもない。仕方なく、街に向かって歩き始める。大陸の風が心地良い。
道路を渡るとき車に轢かれそうになる。まだ右側通行に慣れていない。机場前というバス停から公共汽車701路に乗り込む。人民広場で降りる。中山広場の方が有名だが、人民広場の方が圧倒的に大きい。木陰でトランプにいそしむ人々がいて、人だかりがしている。ただならぬ雰囲気。あの真剣な眼差しから察するに金銭が掛かっているに違いない。
まず探さなければならないのは長途汽車站(長距離バスターミナル)である。短い旅である。しかも何があるかわからない中国の旅である。前半に行ける所まで行って、少し余裕を持って戻ってこねばなるまい。できれば今日の夜行便でどこかの街へ行きたい。私は大連は二度目なので、どこか知った場所に出れば何とかなるだろう。初めて大連に来たA氏が「あっちではないか」と言う。その方向にしばらく歩いてゆくと、果たして見覚えある全聚徳(北京ダック屋)が見えてきた。それは長途汽車站の裏であった。やつの頭にはGPSが内蔵されているのではないかと思う。
しかしここの長途汽車站は中距離バス(と言っても4〜6時間程度)しか出ていなかった。仕方なく大連站の方へ。実は今回の旅の大きなミッションに「寝台バスでGO!」というのがある。中国には寝台バスなるものがある。街で一瞬「二階建てバスかな」といった趣のバスが走っている。しかし、よく見ると明らかに普通のバス程度の高さしかない。そして、屋根には荷物を満載している。これが寝台バスである。どのホームページを見ても、「足の臭いがひどい」「3日もかかった」「二階の嘔吐物が降ってくる」などと酷評されている。乗ってみたいではないか。本当にそんなに凄いのか。見てみたいではないか。我々もそろそろ「寝台バス可」というステージに達しているように思う。
駅前には何台かの寝台バスがたむろしている。どのバスもウインドウには北京、哈尓賓、沈陽と大きな垂れ幕が下がっている。哈尓賓行きは日本の高速バスのような白いきれいな外観で中は三列のベッドが並ぶ豪華寝台バスだ。その隣に止まっている恐ろしく汚い、人口13億人を誇る中華人民共和国の首都北京行きの屋根の上では、上半身裸の痩せた男がロープで荷物を上げている。黒い長ズボンをはき、日に焼けた筋肉質の男はブルース・リーを思わせる。どちらかと言うと沈陽方面を考えていたのだが、ブルース・リーに敬意を表して北京行きの切符を買う。今日の18:30発。明日の朝7:30に北京に着くらしい。160元の切符の裏には34,35と書かれた。これが寝台の番号らしい。
出発までまだ少しあるのでとにかく腹ごしらえ。近くの食堂で牛肉面を注文する。注文を受けた若い男は、なんと小麦粉をこねて麺を打ち始めた。駅前の何の変哲も無い安食堂に見えて、実は一切の妥協を許さない鉄人の店なのか。この時間が無い時にそんなに本格派でなくていいのだが。そして、伸ばしたかと思うとまた丸めたりと実に丁寧である。こんな時にそんなにいい仕事しなくていいのだが。
漸く食べ終えてバスに戻ると車内は満席で人々がうごめいている。34,35というのは、最後部ロフト中央という位置だった。5人分のスペースに6人入るので、ダークダックス式で寝転ぶ。上半身裸の男達の体が触れ合う。荷物を枕にするとベッドの長さは身長分ないので足がかなり空中に出る。急ブレーキでも踏んだら、通路に発射されてしまう危険な席である。その為片足は曲げて衝立を押さえていないければならない。板バネのサスペンションは路面状況を克明に伝えてくる。振動で体中が痺れてくる。とても眠れる環境ではない。足の臭いは確かにうわさ通りだが、鼻はすぐに慣れるし、最後尾で他人の足が近くに来ない事もあり、それほど問題ではない。それより暗闇の車内で隣の男と繰り広げられる、領地確保の静かで熾烈な争いである。隣からかなり圧がかかってくる。こっちも負けじと押し返す。力と力の抑止力。プロレスと逆のルールで床に両肩をつけた方が勝者である。敗者は当面の半身生活を強いられる。
疲労困憊、半身になったまま時計をふと見ると出発してから30分経過している。これを26回繰り返すと到着かなどと計算すると意識が遠のく。
22:30、給油を兼ねた休憩。中国石化集団の厠所はコンクリートの床に四角い穴がいくつか空いているフルオープンタイプ。床は汚物でぬるぬるしていて、スリップをとられそうになる。バスの外でしばしの休息をとっていると、いきなりバスは回転数を上げ走り出した。他の乗客たちとともに入り口に飛びつく。第2ラウンドである。
暗闇の中煙草を吸う男が結構いる。人がひしめいているので灰を捨てる場所はないはずである。夏の夜、人の熱気で暑い。しかし、窓を開けない。息苦しい。お前ら冬は窓を開けていたではないか。確かに窓を開けると、窓際の人はカーブの遠心力や内部からの圧力によってスカイダイビングしてしまう可能性があるが。
23:00、バスが突然停止した。エンジンも止めてしまう。風は入らないくせに、蚊は入ってくる。こんな真夜中に大渋滞に巻き込まれているらしい。乗客達は意外に静かである。よくある事なのか、事情を知っているのか。
2001年8月12日
0:00、運転士はエンジンを掛けた。彼は何もかも知っているのか。しばらくすると対向車が流れ出した。そして更にしばらくするとこっちも動き出した。どうも事情がはっきりしないが、人為的な片側交互通行のような気もするし、トラックが立ち往生して片側を塞いだようにも見える。
この過酷な状況にも人間の肉体というものは適応していくもので、だんだん眠れるようになってきた。ただ、1時間ごとに料金所があり、突破防止用の段差を超えるのでその度に起こされる。
8:00、到着ではない。ドライブインでトイレ休憩。これが最後だろう。念のため大を済ませておく。
かなり北京が近づいてきたように思う。しかし、スピードが落ち始め、ゴール目前にしてピットイン。エンジンルームを開けている。慌てる者は一人もいない。疲れたら休む。極自然な事のようである。小1時間ほどして復活。再び走り出す。
10:30、馬門という所にある長途汽車站に到着。さすがに人民たちにも疲労の色がうかがえる。16時間の死闘を共に繰り広げた隣の男がかすかに笑顔を見せた。私も笑顔を返した。ブルース・リーが屋根に登り荷役を始める。我々も街へ向かって歩き出す。
中国ビール
口偏に卑しい酒と書いてビール。名前からして自分に似合っている。この中国ビールが好きである。もちろん日本のも好きなのであるが。中国のビールはアルコール度数3.5%程度と軽いものが多い。暑い夏と濃い料理にすっきりとしたノドゴシが実に良く合う。
一番有名なのは青島ビール。これは日本でも飲めるが、日本で見たのは5%だった。メルシャンと書いてあったから、日本人に合うようにしてあるのだろう。本物はやはり大陸で飲まなければならない。
中国は地ビール天国である。地ビールと言っても日本のような高級品ではなく、思いっきり庶民の酒で大手メーカーと変わらない値段である。場合によっては安いこともある。日本で言えばオリオンビールのような感じだ。
中国でも日本のビールはある。朝日は百威(バドワイザー)などと同じように洋酒の扱いだが、三得利(サントリー)は地ビールになりきっている。この三得利、すこぶるうまい。青島ビールは日本で飲めるが三得利は飲めないのである。誠に遺憾の念を禁じ得難い。
中国のビールはぬるいと言われる。確かに冷えてないビールを何度も飲んだ。ただ、度数の低い中国ビールは案外ぬるくてもおいしくいただける。しかしやはり当然のことながら冷えている方がうまい。冬には冷えたビールが出る。底冷えの街の安食堂で、よく冷えたうまいビールを飲みながらこれが真夏だったらさぞかし、と思いを馳せる。日本に戻っても、思いはつのる。青島の街には毎年夏にビール節なるものがある。青島の人々はビールのうまさを知っている。きっと街がビールで溢れるのだろうなと想像できる。行きたい。駆けつけたい。しかし非情にもビール節はサラリーマンの休暇が始まる前日なのである。