2000中国(烏魯木斉→北京)
2000年12月6日
夜中2時半、着メロで起きる。まだ沙漠を走っているはずだが、携帯は入る。向かいの小姐である。相手は男性である(ような気がする)。女は早く電話を切りたいのだが、男がねばっている(と推測できる)。ようやく電話を切ると、今度は女から電話をかける。声の質が違う。こちらが本命である(あくまで想像であるが)。
朝起きて、まだ沙漠を走っている。甘牛乳とパンで朝食。昼頃、蘭州に到着。下の寝台の寺尾聡風おいちゃんがホームで記念写真を撮ってくれた。
少し眠る。等高線を巻いたような山とレンガの家のモノトーンの世界に変わっている。この中で色があるのは子供だけだ。車内には絶えず音楽が流れているが、前回の旅で適当に買ってみた「動力火車」の曲が流れてきた。有名なのだろうか。その他、タイタニック、花、夜来香なんかも流れている。
夜は激しく大筆談タイム。寺尾聡は「来年、また烏魯木斉に来なさい。車でどこでも連れて行ってあげよう。電話はこれだ。」またも、電話を教えてくれる。
2000年12月7日
コンパートメントのみんなの写真を撮る。寺尾聡は私と茶髪小姐のツーショットを撮ってくれた。それから伊藤みどり似の車掌とのツーショットも。それから、胡桃、みかん、りんご、なし、パン、干柿などなどをもらって満腹になる。寺尾聡氏は片手で胡桃を二個掴み器用に殻を割る。真似してみるが、どう考えても割れない。仕方なく車端のドアに挟んで割って食べた。茶髪小姐と筆談。胡同(北京の下町)を見たいのだと言うと、「貴方に胡同が見つかるかしら。この電話が貴方を助けてくれるわ。」と携帯番号を記した。
火車は定刻北京西駅に滑り込んだ。しばらく歩いて地鉄(地下鉄)に乗る。上海よりも昔からあるのだろう。自動改札にはなっていない。全線均一3元(42円)という大雑把な料金設定。遠くまで乗ると安過ぎるし、近くでは高い。安定門で降りて、胡同をしばらく彷徨う。侶松園賓館、ちょっと渋いユースホステル。チャイナドレスの服務員が迎えてくれる。テレビはなんとNHKが映る。厠所は和式と洋式2種類ある。ところが、ここの和式にどうも親しみが湧かない。どうも金隠しの向きが逆のせいらしい。ここの金隠しは入り口を向いている。果たしてどちらを向いて為すのが正道なのか。鍵というシステムは導入されていないので、思わぬところで邪道であることが白日の下となってしまう可能性があるのだ。
夜に帰ってきた同室の人は群馬出身の村田さん。境遇が似ている。日本語を話すのは久し振りだなと思う。
2000年12月8日
地下の部屋なので時間が分からず昼近くまで寝てしまった。地安門までふらふらと歩いてゆく。バス停で女の子に写真を撮らせて欲しいと頼む。はにかみながら撮らせてくれた。大学生かと聞くと、そうだと言う。そして、彼女は日本語を教えて欲しいと言い、筆談帖に英語でI
Love Youと書いた。
公共汽車13路に乗り、広橋下車。808路で北大(北京大学のこと)南門へ。ここは電気街、中国の秋葉原だ。とにかく腹ごしらえと、餐庁に入る。適当に頼むとオムそばのようなものが出てきた。これが大変によろしい。風邪で減退していた食欲が復活してきた。ガラス越しにパソコンがずらりと並んだ店がある。好上網地方と書いてある。上網とはインターネットにつながるという意味である。インターネットカフェだろうか。入って、インターネットできるかと聞くとできるという。1時間9元(130元)。なんと日本語が使える。北京大学の留学生とかが使っているのだろうか。
太平洋市場というビルに入る。この中はまさに秋葉世界だった。ここでは無料インターネットもある。パソコンは500元〜1000元(7万円〜14万円)くらいで、ほぼ日本と同じ。物価水準から考えるとかなり高額だ。
公共汽車105路で西直門下車。「地下鉄どこ?」がうまく通じなくて、試しに「サブウェイ」と言うと「オー、サブウェイ?」と通じた。さすが北京である。そして、わざわざ地下鉄の入り口まで連れて行ってくれた。北京、思っていたよりも暖かい都会である。
群馬の村田さんと夕食を食べに出る。火鍋(中国しゃぶしゃぶ)の店に入る。チャイナ服の小姐が笑顔で迎えてくれる。これは安くないだろうと思う。鍋には香菜のスープが煮えていて、これで肉を湯がく。こいつを酢と辛味噌のタレでいただく。これがたまらない。これの為にまた北京に来てもいいなと思う。時々ピータンが混じっている。血の匂いのするレバーのような卵のようなものも出る。食べきれないほどの肉が出る。満腹に麺が出てとどめを刺す。たらふく食べて20元(280円)、ビール大瓶3元(42円)。
2000年12月9日
風邪は悪くもならないが良くもならない。村田さんとぶらぶら公共汽車2路の起点目指す。しかし、工事で一方通行になっていて、位置が変わっているようである。結局歩いていたら王府井に来てしまった。北京随一の繁華街である。星巴克(スターバックスコーヒー)なんかもある。一杯18元だからかなり高級だ。火車の寺尾聡氏推奨のワンタン候がある。しかし、さすがに人気で当分入れそうにない。仕方なく、そのお隣の餃子大王に入る。田中麗奈のような小姐が注文を取りに来る。出てくる量が予想できず、適当に頼むとやはり多過ぎる。
天安門まで歩き、広大な広場を眺める。一応、記念写真なんかも撮って村田さんと別れる。毛沢東のミイラを見せるという毛主席記念堂は、土曜は午前中のみということで、見れなかった。更に前門まで歩く。暗い路地裏のような所に火車の切符売り場がある。大連行きの硬座を買う。「何ジンだい?」「日本人です」「中国語なかなかいいよ」なかなか愛想がいい。また、北京は割と言葉が通じるなと思う。
今日は風が強く、鹿児島並みに砂が飛んでいる。コンタクトの目には少々辛い。一応天安門をくぐってみる。まわりで会話する人の内容が全てわかってしまう。自分の中国語も上達したものだと思う。しかし、どうもおかしい。よく聞いてみると、それは紛れもない日本語である。ニッポンの修学旅行であった。君たちに中国は10年早いよと思う(自分もその年齢に達してないけど)。
ホテルの厠所でズボンを下げると不意にぽちゃんと音がする。便器に泳ぐのは赤い日本国のパスポート。宿泊延長の手続きに持っていったのを落としたのである。水洗トイレでよかった。これが中国標準式公共厠所だったら、かなり絶望的状況に陥ったに違いない。
その夜、村田さんと北京ダックを食べに行くことになる。食べたことが無いわけではないし、名物にあまり興味がないので一人だったら行かなかっただろう。しかし、たまにはこういうのもいいだろう。となれば、目指すは全聚徳。いちばん有名な店だ。一人100元(1400円)は覚悟しなければならないだろう。ところがもたもたしているうちに出発が遅れ、外の寒さにひるみ、「近所でいいか」という事になってしまう。そして、本当に近所の適当な店に入る。まずはビールを頼むと、小姐がビールをグラスに注いでくれた。これは中国では画期的なことである。北京ダックだけでは足りないだろうから、炒め物などを注文する。北京ダックは予想以上に本格的で、テーブルの横で料理人がさばいてくれる。これ、銀座でやったら高いだろうなと思う。飴色の脂の載ったダックに野菜とともに特性のたれをつけ、皮で包んでいただく。そしてこれが二人で食べきれないほど出る。炒め物を頼んだのを後悔した。一羽56元(800円)。
火車
中国鉄道は2000年10月にダイヤ改正を行っている。旧ダイヤでは、速い順に
@快速列車、A特別快車B直通旅客快車C直通旅客列車
という区分があった。そしてこれに加えて、旅遊列車、高速列車、豪華列車、局管内列車な ど、ぐちゃぐちゃであった。種類が多すぎてわかりにくい。どっちが速いのかもわかりにくい。中国鉄道もこれに気づいたらしい。新ダイヤになって、
@特快旅客列車A快速旅客列車B普通旅客快車C普通旅客慢車
に整理された。特快と快速の優劣が逆になっているのがまたややこしいが、旧ダイヤでは特 別な快車、新ダイヤでは特別な快速という事らしい。日本の鉄道に重ね合わせると、
@新幹線A特急列車B快速列車C普通列車
くらいのステータスとなろう。 ダイヤ改正でスピードアップも行われた。私の乗った上海発烏魯木斉行きは64時間から 50時間49分に大幅スピードアップされた。3泊4日が2泊3日になってしまうのである。 日本で乗れない長距離列車を期待して乗ったので、このスピードアップは少し残念でもあ った。中国の人はよく「日本の列車は速くていいね。」と言うが、私は何日も掛けて走る長距離列車があり、国際列車も走る中国の鉄道はうらやましい。昼夜問わず寝ころがっていける寝台車もいいし、食堂車も日本では味わえなくなってきた。
中国の列車の旅は長距離列車の硬臥(B寝台)がよろしい。硬座もいいがそれなりの覚悟が必要である。硬臥は三段式寝台だが、中国の列車はでかいので、閉塞感は無い。よく切符が手に入らないと言われるが、最近はコンピューター発券なので、普通の時期なら簡単に手に入るだろう。硬臥の補助椅子に座って、ヒマワリの種をかじりながらネスカフェの瓶に入れた三級茶でもすすれば、旅の目的の半分は達成できたというものである。