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ドラマの作り方(作成途中)




はじめっから

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注、NO.はしおりの役割をするページナンバーです。この番号をメモ等にひかえておけば、しおりとなり、最初の「しおり」のリンクを押し→「(ひかえておいた)番号」を押すと、読んだところまで移動できます。ナンバーの内容、順序がばらばらなのは作者がひねくれているからではなく、途中で文章を追加するとナンバーがその箇所だけ増えていってしまうためです。


























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『ドラマの作り方』




はじめに

いがいと知っている人では知っているのですが、論旋(ろんせん)のページにある事実論と連関用語解説と字回図(じかいず)はもともとひとつの本にするために書いていた内容で、最初はこの「ドラマの作り方」に入るはずでした。内容がだんだんタイトルとあわないようになってきた頃に論文として「事実論」と「ドラマの作り方」は別れ、それから「事実論」の中にあった連関用語解説と字回図(じかいず)も別々のページとして、また、論旋(ろんせん)のページに再びくくられることになりました。このすぐ下にある第一章「やっぱり基礎は大事だね理論編 一之一(いちのいち)」には連関用語解説の初期の内容がそっくりそのまま入る予定でした。いまや論旋(ろんせん)のほうばかり更新したり書き足したりしていて、こちらはクモの巣が張っていますが、別段、このページも機会あるかぎり続けていこうと思っています。たまに読んでいただければさいわいです。

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第一章
やっぱり基礎は大事だね理論編

一之一(いちのいち)
ここではわかりやすくするため一面的、単純にあらわしている。理論の逆の理論、定義の逆の定義が必ずしも存在するわけではないというのは、確かなことであると考えている。

テーマ
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私はテーマはその作品の世界観をささえる背骨であり、土台であり、基準としている。
歴史に残る作品から学べること。
歴史に残る作品を読んで、自分が歴史に残る作品を書けるかというと、それだけでは書けない。それだけの作品になると、抜群のオリジナリティーを必要とする。

オリジナリティー
世界中探してもここにしかないもの

エンターテイメント
エンターテイメントを私は心のマッサージととらえる。

アート
アートは存在の証明ととらえる。

主人公
主人公をテーマの実践者としている。


一之二(いちのに)

テーマ
すでに確固たる基準を構築していれば、テーマが決まらないことはないはずだ(きっと)。ワタシはテーマを最初に決めることが多い。

キャラクター作成
ワタシはまずだいたい、主人公を一人にするか、複数にして主人公格を何人にするか、それとも全員をくまなく描くか(主人公無)、それとも人を出さないかを決める。キャラクターをテーマより先に作る場合は、純粋な娯楽にいいと考えている。

オリジナリティー(独創性)
オリジナリティーとはなにか。オリジナリティーはなにかを考え続けることがオリジナリティーだと思う。常にこれと格闘している自負があれば、作品作りで恐れることはなにもないと考える。

人間を描くということ

心理描写
心の運動である愛、憎しみなどの感情

自我(じが) 自分が自分であり続けること

他我(たが)
自分が他人と違い続けること

超能力
超能力の法則は常に変化しており、その法則を論文にしたためようとしても、次の瞬間には変わってしまい、過去のものとなってしまうと考える。直感と霊感によって、超能力の変則的法則を発見し続ける能力を持つ者が超能力者であると考える。

信教の自由 多くの人達が信教の自由を提言していますが、ワタシもこれに賛同し、宗教を心の平安ととらえ、信教の無条件の保証とは、人間が存在し続けることの無条件の肯定であると考える。

エンターテイメント(娯楽)の利点と課題
エンターテイメントは多くの受けてを楽しませることを目的とし、作品も受け入れられやすくしてあるものが大半をしめるのではないか。その反面、多くの受けてを楽しませるパターンはそれほどなく、ワンパターンやマンネリにおちいりやすい傾向が感じられる。商品性が強くすぐにもうかる可能性が高くて商業主義におちいりやすい面と、仕事にしやすい側面を持つと考える。

アート(芸術)の利点と課題
多くの受けてを楽しませる前提がないので、マンネリにおちいることはそうそうないと考える。その反面、受けて側に作品の良さを理解されたり、定着するまでに時間がかかり、商品性と即時還元率は一般的に良くないようだ。しかし、一度その良さが認められて定着すれば、ワンパターンを打ち破ったり、新しいジャンルを作りだしたりすることがあると考える。創作の可能性においては、なかなかいいと思う。この作品はアートだと言えば、百パーセントアートではなく、エンターテイメント七十パーセント、アート三十パーセントというふうになると考えている。

作劇法(ドラマツルギー)
自分の作劇法を提示することによって、他者の新しい作劇法を作り出す推進力になればと考える。ひとつの成果にとどまることなく、作り続けたいと考える。

ひらめき、発見
考える量による質的変換による発見をしたとしても、それは前の世代からの情報、分析などの蓄積による面も大きい。批判による質的変換、否定の否定が起きたとしても、それは前の世代の批判の蓄積があって初めて可能なことである。また、質的変換で終わりということはなく、新しい段階に達したというだけで、これを続けることは重要だと考える。

身分、階級
連関、すべてがつながっているならば、水と油、相反するとされる存在もどこかでつながっているのではないだろうか。弁証法の基本原則のひとつに否定の否定があるが、これは相反するとされる存在の融合を証明することだと考える。民主主義革命において、王をふくめた貴族を殺したとしても、新しい貴族を生み出すだけであり、大事なことは身分を殺すことだと考える。貴族と民衆の融合、それまでの差別的な関係から民衆主導の平等な関係を生み育てることが大事だと考える。これは社会主義革命でも同じだろう。世界中のすべての人が、常時あらゆる存在がつながっていることを認識すると考える。

表層意識と深層意識
人間の精神構造には表層と深層があるとする考え方がある。それならば作品にも表層的な面と深層的な面の二重構造があるのではないだろうか。これを意識することによって奥深い作品を作ることができると考える。

本質
娯楽において、ほんとうにいい作品は老若男女(ろうにゃくなんにょ)、すべての人を楽しませるという。ならば、本質とはすべての人が理解でき、納得する考えではないかと考える。



第二章
歩きはじめなければ景色は変わらないよ実践編


文章
小説の文章を書くとき、映像が眼に浮かぶように書くようにしている。そのとき、多くの人がよく知っている定番の映像をなるべく選ぶようにしている。
もうひとつ小説の文章を書くときに気をつけているのは、詩のように流れる読感を意識して書いている。

作劇法を図で表す
↑批判
↓誹謗中傷

←問題提起→
相    相
対    対
者    者
→相互理解←

+売り上げ
−満足度
これを逆に考えてみたらどうだろう。
+満足度
−売り上げ

では。
←←←問題提起→→→

←→
↓↓
↓↓
→←

こういう図になる(この場合左右は考慮していない)。
問題提起を←→、氾濫する男性向け創作を↓↓とするならば。
←→
↓↓
となる。

→↓
↑←



第三章
首飾りをキミに…演出編


メリハリ
テンポの速い作品には、しばしば間髪いれずに場面が変わるところがある。これは作品のテーマとはあまり関係なく、受け手側に自分の作品をどうやって注目させるかといった演出の部類に入ると思う。これだけではあまり効果がないので、場面が変わらずにえんえんと続いているところを作ってみると、メリハリが生まれ、受けていてあきない展開になる。作品の最初に間髪なく場面を展開させ、受けてが作品の雰囲気に慣れたら(業界用語でツカミとも言われる)場面をあまり変えずに展開させていくというテクニックは、つかみの黄金の定番だと考えている。

見せ場
作品がもっとも盛り上がりをみせる箇所を見せ場ということがある。テーマがもっとも具体的に感じられる箇所であると思うし、大事な箇所ではなかろうか。



第四章
青春は直感だ発想編


直感、発想による作品作り
伝統芸術や伝統娯楽と違う粗製濫造される大なり小なりの作品作りには、直感が必要とされると思う。直感だけで作品を作ることは可能か? そんなことができたら、地道な行動を否定することになるが、ワタシはあると思うし、地道な行動も否定されないと思う。



第五章
腹がへっては批評(ひひょう)できぬし評論(ひょうろん)編


誰でも批評人(ひひょうにん)
誰でも他人の作品を受け取る時、おもしろいかそうでないかなど、無意識にでも批評している。自分で作品を作る時、自分の作品をどこまで客観的に批評できるか、これは大事なことだろう。

おもしろい おもしろくない
楽しめる  楽しめない
娯楽    非娯楽

これは娯楽を基準に部分的、一面的にとらえてみた。



第番外章(だいばんがいしょう)
そんな、好きだって言ったじゃない番外編

芸術+芸術=アポルティック(純粋芸術・創作の可能性における探究)
娯楽+芸術=マザルティー(娯楽と芸術との融合・闇鍋、なんでもあり)
娯楽+娯楽=ゾルフィーユ(純粋娯楽・受けてを楽しませる)
注、アポルティック、マザルティー、ゾルフィーユの名称は造語。

芸術と娯楽の融合は芸術でもない、娯楽でもない状態と私は考えるが、完成された完全な芸術や娯楽が無いとするのであれば、結果的にすべての作品はマザルティーであるといえるのではないかなと考えている。なにを基準に作品を評価するのかにもよるけれど、九十パーセントなり、八十パーセント程度を越えるできならば、芸術であれ、娯楽であれ、完成されていると言っていいと思っている。芸術と娯楽の対比は一例としてここではとりあげた。娯楽と勉強でも、芸術と美術など制約はないと考える。

多数を満足させる作品を作りたい場合、ひとりを満足させることをまず目標にしている。作品を友達に読んでもらって酷評されても、趣向が違う、頭が固いからというのは言い訳の部類ではないだろうか。ひとりを満足させることができるなら、何人でも満足させることができると考える。

最近の生物が進化するのは、生物が環境に適応したからではなく、常に少し違う特徴をもった個体を作りだし、その中からたまたま環境に適した個体が生き残ってきたという考え方があるそうだ。これを前提に作品作りに応用するなら、常に実験的な作品を作り、意見や批評を聞き、その中でいいものを続けて作り続けていくというのもいいと思う。いわゆる売れっ子と言われる作りてでも、実験的な作品を商業メディアで発表するのは難しい。それを発表し続けるのだから、同人誌やホームページに代表される場所で発表するのがいいと思う。

立場の相違
他人の作品だろうと自分の作品だろうと、受けている時になにか内容がおかしいと思ったら、主人公とその相手、敵と味方、男と女の関係などの立場を変えてみるとそれが感じられる時がある。正義の名において、あるいはあたりまえの行動として敵を排除する主人公。その場合、相手は悪なのか。女を物のように扱う男はどうか。こういう時「論より証拠」という言葉を念頭に、ワタシは立場を変えて作品を作ってみることがある。

自分の作品をコテンパンにのされることもあるかもしれないが、百パーセントの中傷などはないと考えているので、その意見から、批判を受け止められるようになることがいいと思う。

反映○独創(はんえいじゅんかん<循環>どくそう)……つまり、

反映する作品の量が独創となる、ということ。独創してる作品の量は反映へと虚(うつ)ろいでいく。こりゃパロディ(以下)だ、などと言われてもガマンの子(個)で作っていかなければならない(時もあるんだ)。負けるな、諸君。人生の移(うつ)ろうゆらぎの線となる日のこと。うつべきものは文字、たたくべきはキー(ボード)ならぬべきに。


ワンポイントテクニック
ギリシャ神話に、アフロディーテという女神が登場する。その立場、役割に惹(ひ)かれるものはなかったが、やけに発音が耳に残るので、字を変えて、自作『ゴールデンカイザー』にエルファリオーネとしてパロディ(というよりアレンジかな)してみた。

ワタシは忘れっぽいので、【びとシリーズ】ではテーマをタイトルにしてみた。

作りてが作品を執筆する時に、受けてを想定することはよくあるけれど、いまいる受けてだけを想定するならば、作品はそれ以上の受けてには楽しまれないのではないだろうか。これからおとずれる社会、その社会に属する将来生まれてくる受けてになにを渡すのかを考えて作品を作ること、それが時代を越える作品の最低限の条件だと思う。

誰もが必要とする重要な考えは、一瞬で空気のようなあってあたりまえのものになると考える。

抽象的な内容の歌を聞いてると、そこからストーリーを連想することがある。絵などからも連想を得ることがある。

話の展開がワンパターンだったり、おもしろくもなんともないものしか思いつかない時、ワタシは国語辞書を適当に開いて、そこからヒントを得ようと思っている。しかし、展開に困ることはまずない(よくよく考えたら結構ある)ので、この方法? は使っていない(時もある)。

誰が、いつ、どこで、なにをした
誰がいつどこどこで、なにをしたか。この項目をたくさん作り(たとえば、[誰が]の項を私、あなた、彼、彼女など)、できたらサイコロをふって、文章を作成してみたらどうだろう(サイコロがない時は、テレビの音を消してから目を閉じてチャンネルを変えていき、しばらくして止めてみるのはどうだろう(特定状況地域限定)。または、えんぴつの端を削って数字を各面に書いて代用するといい)。プログラムが組める人は、そういうことができるプログラムを組むのもいい。いままで思いもしなかった発想が得られることがある。どちらかというと、演出の部類に入るものだと思うので、やはり基礎は勉強しておいたほうがいいに違いはないだろう。

毎話どんでん返しをしてみる。あるいは一話に複数どんでん返しをしてみる。

エネルギーは波であるという。すべての状態が波であるならば、ドラマも波であるのかと考えてみたりする。

個別旋(こべつせん)


一にザセツ二にザセツ、三四がなくて五にせいこうっ!


参考文献
新編社会科学事典  新日本出版社
社会科学総合辞典  新日本出版社
広辞苑  岩波書店




おわりに
平和を口にすると警察に捕まって、刑務所に入れられた時代があった。好きあっていても一緒になれない時代があった。外国に行きたくても行けない時代があった。生まれた時に就くべき職が決まってしまっていた時代があった。時代の制約、個人の制約、国の制約、制度の制約。心の中だけは自由だと考えた人達がいた。心の中だけは自分の理想の世界が構築されていた。物語は作者の思想を反映するといわれる。あなたが作る物語が完成しなくとも、発表されることがなくとも作りつづけてほしい。



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