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アニメってなんじゃらホイッ! (アニメについて三段文法)
目次
2004年3月23日火曜日午後10時
超重神グラヴィオン
第11話 創星記を見る。
オープニングのエィナのシーンが別のものになっている。
うーん前のもいいがこれもいい。
あらゆる点で(特に絵とか)相変わらずすごいクオリティだなあ……とか。
重力異常の時の空の表現が美しい。
自然描写もみたいが、これはメカと美少女(美青年)の燃えと萌えが見所の作品。
狙いどころが違う。
初の宇宙での戦い。
そもそも異星文明の科学によって作られたもので、構造とか設定とかよりも爽快感重視のスパロボである。
宇宙ならではのネタもみたいところだが、そもそもそれは本題とは違う。
かっこいいサンドマンさまが金髪になってパワーアップ120パーセント。
トルーパー部隊は遊びが見える。
もっとトルーパー部隊の活躍もみたいけれど、そのぶんサンドマン大舞台。
巨大ロボット好きが巨大ロボットに乗るというのはナデシコが最初か?
ロボットであくしゅて……。
サンドマンいとしき人との再会。
そして。
次回は最終回。
もえ〜もえ〜もえ〜もえ〜もえ〜。5もえ。
こんにちわたかさきはやとです。
アニメの作る現場は変わるか。
〜「本部聞いてるか。アニメはテレビが作ってるんじゃない! 現場で作ってるんだ!!」ぜ編〜
宮崎先生の出発点という本を読んでいると、配色指定の人が睡眠時間2時間でがんばっていると書かれていた。
色のリテイクが出て、みんないっぱいいっぱいでその人のところに持っていき、睡眠時間の2時間を使って欲しいと申し出たそうだ。
そこまでくるとさすがにその人も黙ってしまって、沈黙が続く。
そういう時、先に声を出したほうが負ける。という。
そしてその人は先に声を出したそうだ。
ちなみに手塚先生は徹夜は体に悪いと、徹夜はしないようにしていたそうだ。
そのスタッフはそれでいて話しに行くとお菓子とお茶を出してくれるそうだ。
一回救急車に連れてかれたとか。
そのアニメが終わった時の打ち上げの後にも次の仕事を入れて睡眠時間2時間で働いていたという。
まあ、それは宮崎先生が取り上げるくらいだから特に猛者(もさ)なのだろう。
週産40本で異常事態が続くと本にはある。
いまは週産80以上、100本とも言われる状態である。
手塚先生は睡眠時間3時間だったそうだ。
私も3時間睡眠にチャレンジしたが、一週間しか続かなかった。
敗北。
手塚先生はまだお金が入るが、下っぱはそれだけ働いて金もない。
こんな状況変わるのだろうか。
商品が無料化されればこの状態は改善されるか。
あーつまり、現実が改善されると考える時、この状態は変わるのか。
雑用は思い通りにスムーズになる。
わずらわしさは激減すると考えられる。
生活も改善される。
なによりも生活が安定するのはうれしい。
けれど、やはり考えてみると睡眠時間は増えていない。
その人が持つ個性はその人いがいの人は持たない。
その人がその個性を武器にさらにクオリティを求めるならば、やはり時間はないのだ。
クオリティの高い作品は増えていく。
生活も安定する。
けれどやっぱりどこまでやるのかはその人次第、じゃないだろうか。
自由が叫ばれる時、それが叶うならばその人はなにをするか。
その人次第なのだ。
とにかく大変なのだ。
ある国では飢餓が叫ばれる。
それくらい大変なので、これはもうボランティアを結成して助けてもらうしかない。
NPOだかなんだか知らないが、助けてくれ。
ヘルパー派遣してくれ。
まさにヘルプである。
お金も寄付を募ってます。
あて先はここまで。
アニメーターの離就職者85パーセント。
いなくなっては来たり、来てはいなくなったり。
いちアニメーターであるもAさんも一時業界を離れてみたり、リストラとか倒産とかもろもろ。
まあ安定とかとは無縁の業界だとは思うけれど。
どうしてみよう。
えーい本数倍化。
バカは放っといて。
異常事態の連鎖。
うかうかしてると自分がかかわったアニメを見てましたという新世代がもうとなりで仕事してる。
出来高制で月12万。
なんだかなあ。
私なんかアニメーターから漫画家になろうと若い頃は考えていた。
あまあまである。
36階建てのビルよりも甘い。
難しい言葉で言うとほら。
資本主義だからとかなんとか。
そういうことじゃなくて根本から改善してくれ。
最初と最後の本質は同じ。
最初と最後の結果は違うけれど。
ならば手塚先生は身銭をはたいてまで、最初にどうして制作費を3分の1で引き受けたのか。
話しによるとアニメだけ高額な制作費ではスポンサーがつかなくなってしまうことを憂(うれ)えた……とのことである。
アニメが軌道に乗るためにはしかたなかったのか。
いまはもう軌道に乗ってるじゃないか。
ならば高額でも、3倍の金額をスポンサーが払ってくれればいい。
そんなばかな。
あり得ない。
私は払わないぞ!
いや、スポンサーじゃないし。
30分1本一千万円の時代。
そこを曲げて三千万円欲しいのである。
無理無理無理。
三回言ったら三倍に……ならないか。
いまできることは。
いい作品作ってあてこんでヒットして会社よ金をくれ。
というかテレビ会社よ予算くれ。
くれたらいいなあ。
おれたちゃこじきじゃないぞ。
金をくれなんて言えるか!
ください。
はてさてな。
手塚先生のばか〜。
だからってアニメの本数倍にすな〜。あんたさまのばか〜。
そして黙々とアニメは作られていた。
改善ポイント考えてみた。
1、自分という個性は自分だけ。
2、ボランティア欲しいな。
3、自分にできる範囲から。
の三点かな。
ああ、結局なにがなんだかわからないうちにうやむやになる。
まあいいや。
とりあえずそんなもんなもんじゃ焼き。
んでは。
家族もののアニメについて
サザエさんで確率したかに思える家族もの。
けれど、アニメで元祖と言えばアトムである。
アトムの兄弟や親はアトムの後に作られたため、家族であるはずなのにアトムが一番年をとっている。
独特の家族ものである。
SFならではの家族である。
でも、アトムが困惑した時には、お父さんはアトムに提言をしてくれる。
妹のウランは突っ走って捕まって、お姫様的役割を演じる。
ウランは兄であるアトムの力がうらやましい。
私こそが敵を倒すと息巻く。
それでいてウランは兄が大好きなのだ。
アトムには製作の親とも言うべき天馬博士と育ての親とも言える御茶の水博士がいる。
天馬博士は亡き子供の変わりとしてアトムを作り、成長しないアトムに怒り、アトムをサーカスに売る。
御茶の水博士はサーカスからアトムを救い、アトムに住む場所と家族を作ってやる。
その後の天馬博士は変わった。
アトムは強敵の出現に強くなりたいと願う。
お茶の水博士は力ではないとアトムを諭す。
天馬博士はアトムの希望通り馬力アップの改造をアトムに施す。
アトムは自分を捨てた天馬博士をもずっと慕い続けていた。
アトムは天馬博士もお茶の水博士も親として見ていたようだ。
アトムには作り手の親と育ての親とロボットの親という、親が複数いた。
それぞれの親はアトムにそれぞれ力を貸す。
アトムはあらゆる期待に答えた科学の子であった。
変わった家族ものというと、ドラゴンボールの悟空一家も忘れられない。
家族でありながら戦いに赴く悟空と悟飯。
戦い一家というもののもっともポピュラーなものを確率した。
サザエさんに代表される家族ものはアニメの普遍として確率している。
おじいちゃんがいておばあちゃんがいて、家族みんなが楽しく生きている。
それはちびまる子ちゃんにも引き継がれた。
ちびまる子ちゃんは過去であることを中心に、懐かしい時代を演出する。
ちびまる子ちゃん気分で自分が小学生になった気分を味わえるというのはほのぼのしていていい。
三世代家族を描くのが主流の中、クレヨンしんちゃんとあたしンちは親と子にしぼった描写をして、より核家族化した現代を反映している。
クレヨンしんちゃんは現代っ子をとことん演出したのに対して、あたしンちは人間離れしたお母さんが家族を引っ張る。
みかんよりもなによりもお母さんがぼけていればいいのだからなんともユニークである。
サザエさんの流れの家族ものにはファンタジックなものよりは日常を強く演出している。
視聴率も家族ものはかなりいい。
やはりあらゆる世代をカバーするというのはできるようでいて難しい。
となりのトトロもある意味家族ものなのだが、あれはもうトトロに目がいってしまう。
宮崎風味の家族は懐かしい気持ちと自然とのコラボミックスが楽しい。
ドラえもんも家族ものではあるのだが、なにせドラえもんとのび太がいればいい状態だ。
家族がいればいい。
それはどこか紋切り型で、うそっぽく、それでいて誰もが納得できるなにかを感じさせてくれる。
ガンダムに出てくる父親は壊れていて、母親は兵士になってしまった子供を嘆いた。
エヴァでは父親は息子を救世主として必要として、母はエヴァの力で子を守った女神のような人である。
みゆきは兄が妹を好きになる一風変わった作品だ。
兄と妹が、家族がさらに家族になる構造。
質量保存の法則も真っ青である。
家族がどうでもいいことをしている。
それだけで家族ものはいいのだ。
それこそを丁寧にゆっくりと描写されるのを見るのがなんとも心地いい。
家族。
親と子がいるかぎり、そのドラマが途切れることはないのかも知れない。
2004年3月20日土曜日午後9時
光と水のダフネ
第10話 シベリア超特急を見る。
バカな面々の旅行の三日を描く。
グロリアオチ続ける。
静香は食べる食べる。
シャワーシーンはありそうでいままでなかった。
でも水着のほうがすごい。
最初オープニングを見た時は露出もここまできたかとうなった。
エアカーのアクションはいつもながら見応えある。
もっと迫力あるコンテが欲しいところだけれど、まあ、それはないものねだり。
マイアのぬいぐるみがプリティ。
マイアが記憶の濁流にのまれる。
樹の影が美しい。
オープニングのグロリアが飛び降りるシーンなど、止め絵で見るとすごいクオリティだなあと思う。
ずいぶん絵が複雑になっているなあと思う。
私には描けないなあなんて思う。
2004年3月20日土曜日午後9時
魁! クロマティ高校
第24話 3月18日放送分を見る。
ゴリがかっこいい。
引き際までいい。
クロ高の最後に落とすというゴールデンパターンはここに始まるのだなあ。
これが美味しんぼのギャグであることにバナナのにぎりでうなずく。
ゴリはいい奴だ。
人でないけど。
こういうゴリラならいてもいいなあ。
ていうか主役があんまり出ない作品だなあと思ったり。
2004年3月20日土曜日午後9時
鋼の錬金術師
第24話 思い出の定着を見る。
うーん、レオとリックの母親との和解が成し遂げられる。
いい話しだ。
それにからめてアルとエドの和解も成立するとさらによかったのでは。
アルは天然の防弾となり、味方の盾となる。
アクションもそれなりに見せてくれて、ハガレンがどうして人気があるのかが解る。
もちろん最大の見せ場は兄弟の気持ちの描写にあるには違いないのだが。
魔法世界でありながら、ミサイルランチャーがありなのは不思議。
最近はつまらないと思い見ていなかったが、これからは見ていきたい。
錬成という言葉が好き。
等価交換というのもかなりマニアなツボ。
魔法設定好きにはたまらない。
戦いがあっさり終わりすぎる感じはあるが、まあ、気持ちのわだかまりが解かれるのが今回の話しの目玉であるのだから仕方ないのか。
最初の頃見ていないので、トヨグッチーキャラが誰なのか解らない。
こまめにチェックしないとだめだなあ。
2004年3月18日木曜日午後9時
ポケットモンスターアドバンスジェネレーション
第68話 パパはアイドル!? いつわりのジムリーダーを見る。
はるかのデフォルメカットがいい。
ほんわかするね。
なんかはるか兄弟の親は有名人らしい。
それをひっかけた話し。
さとしがとことん戦っている。
さらにははるかとまで。
はるかの攻撃が楽しい。
ポケモンはもうひとつのステータスとして確率してるので、特に言うこともないような。
ソーナンスとニャースの変装が楽しい。
最後はお約束で飛んでくロケット団。
変わりないね。
2004年3月18日木曜日午後9時
十兵衛ちゃん2 シベリア柳生の逆襲
第十一話 真路を決めるときだったを見る。
みかげは母親として十兵衛を守ろうとする。
こんな人がお母さんだったら文句ないねえ。
お父さん大活躍。
こんなに活躍していいのだろうか。
うつな展開が続いたところでお父さんかっこいい。
光の雨が十兵衛の心を癒やす。
ついでに少年も癒やす。
待っていました。
本気モードの十兵衛登場。
フリーシャは十兵衛を待っていた。
いや、みんな待っていた。
戦いのシーンは圧巻。
時代劇魔法少女ものとして変身シーンがないのはいまいちなれど、そんなの吹っ飛ぶ楽しさ。
これからも期待できる作品ですな。
2004年3月18日木曜日午後7時
西遊記リローデッド
第24話 再戦〜Go Ahead〜を見る。
おもしろい建物だが、あっというまに終わる。
神様が三蔵法師であることが解る話し。
神様が感情をあらわにするのにその理由が解らない。
その意味が解らない。
意味も理由も感じられなければ本質は感じられない。
冷酷? 無邪気? な神様がクールに徹しないのはまあそうかと思う。
クールに徹しない理由も法名や証文を持っていないからというもの(少なくとも表面上は)。
もっと師に対する思いとかも解りやすくクローズアップすると良かったのでは。
動く人形たち。
神様がどうしてこういうことをしているのか解らない。
語らない説明の仕方もあるけれど、それもたいして感じられず。
神様の性格とからめて彼の人生が感じられるともっといいのだが。
まあ、細かいことなど、四人が活躍すればそれで一気に晴れてしまう作品なので、とにかくそれでいいのだ。
最後のウラサイは走馬燈のように……ってなにもオチてないじゃん!
あー癒やされるなあ。うんうん。
いままでありがとうウラサイ。さらばウラサイ。
さよ〜なら〜あ…………。
2004年3月18日木曜日午後2時
マリア様が見ている
白き花びらを見る。
ロサ・ギガンティアの過去話し。
主人公とロサ・ギガンティアのかけあいが一番好き。
マリア様が見ているは教科書のようにそつなく、丁寧に作品が作られている。
私にはつっこみどころがない。
髪の長いロサ・ギガンティアがいい。
しおりはそつがなく、理想的な女性だ。
同姓が命の家族たり得るかというテーマには過去何度も挑戦があり、結果としていい作品も多い。
どの作品も人と人との関係を心理描写をゆっくりと丁寧に描いている。
他人である同姓が(恋人的夫婦的に)家族たり得るかというテーマには今回はひとつの結果を提示している。
姉妹(スール)自体には家族、という意味あいを強く感じる。
こういった作品はアクションでもなく、サスペンスでもなく、ただただ気持ちの描写を感じるのが楽しいのであり、そういう点ではほんとに楽しませてくれる作品である。
「マリア様が見ているから」「私はマリア様に負けたのだ」それはそうかも知れない。
学園長がロサ・ギガンティアの行き先を提示している。
人生は長いなあ。なんて。
乙女と乙女は青春という竪琴で愛を奏でる。
それではごきげんよう。
NARUTO
第75話 限界を超えて… サスケの決断!! を見る。
ガアラの過去話しの時の色彩がきれい。
ガアラの過去の話しは良くあるありがちなもの。
なのだが、やはりぐっときてしまう。
個人的には好きだなあ。
ガアラの必殺技は使いようによってはかなりおもしろいものになると思う。
忍術という線より、別次元の存在との契約としたほうが広がりが出る気がする。
するだけでなにも私は思いつかないけれど。
サスケがガアラに危機一髪の時ナルトが現れる。
サスケが落ちているところをガアラが狙うという、空中戦のほうがより、緊迫感を演出できたのでは。
NARUTOはオープニングエンディングがかなりいい。
3月14日(日)午後3時
ふたりはプリキュア
第7話 熱闘ラクロス! 乙女心は超ビミョー! を見る。
いい訳もなく試合会場から消えるなぎさ。
いい訳くらいしろよ。
なぎさがムードメーカーで中心選手らしいが説明が不足な感じ。
それが解るエピソードが欲しいところ。
なぎさがほのかを気にしている描写がいい。
なんとなくマリア様が見ているを思い出すが、
こっちのほうが子供にわかりやすいとは思う。
変身の時の無数の星のCG表現が美しい。
しかし、ふたりが動いても星は表現を変えない。
CG表現は別次元のものとして表現するよりは、
ありとあらゆる表現はふたりのためにあるべきだと思う。
教頭先生悪役よりも目立っている。
いいキャラだ。
ふたりの戦いかたにアトムのような知恵と勇気が感じられない。
ふたりの結びつきによって戦いの表現を変える手もあるが、
それは元祖? セラムンでとことん描写されている。
独自性を模索しながら変身美少女ものをどう形成するか。
ふたりでなければ必殺技が成立しないのは使いようによってはおもしろいと思う。
ごめんなさいと逃げていく黒星やミップルメップルといった
ものたちのコミカルさが楽しい。
これは子供やかわいもの好きにはたまらないのでは。
いまだにトトロに夢中な人もいることだし、
こういうところはポイント高いと思う。
なぎさのシュートする時の一瞬の太陽シーンがいい。
ちょっとはじめに
ここではよっつのキーワードを設定して、アニメを色々論じる……と見せかけて、ただ言いたいこと言ってしまおうという、なんともぜいたくな、至極適当な内容を目指しています。
最初のキーワードは作品性。
これは作品のストーリーや演出などには目もくれず、ただ好きに作品をネタに話しをするだけという、至極まっとうな、でも時々まじめな内容になればいいなあ。
次のキーワードは商品性。
働くといくらになる……ということはちょぉこぉっとぉにしておいて、こういう展開にすればいくらもうかるという、作品の内容を値段で吟味すると商業主義になってしまうというのを、至極まっとうに酒の魚にするという黒い、至極黒い内容を目指します。つまり作品っていくらになるかなあと妄想するという……いけない話し。こういうのダメな人はトバしてね。
次のキーワードは発展性。
作品に願うこと希望などはあさっての方角へ。ただただ欲望のまま突っ走る(!)内容は混沌混沌煮込み闇鍋。さあ、これがあなたの未来形。
最後は総評(またはその他もろもろの感想)。
言い忘れたことなど、一言で言うとまとめる場面。ホントに一言でまとめると、大変乱暴です。なんでも言いたいことを目指すので、ほんと、物好きな人いがいはやめときましょう。読むな。では、読んでもいいかあな。
1月13日(月)午後8時
『新年あけましてアニメのはじまりロボット風味未来はアニメにあり(!)』
目次
作品性
よく解からないタイトルだが、巨大ロボット物を中心に、アニメを総評したい(新年だしね新年)。毒舌は批評家のはじまりなどと申しまして、え〜アトムからテレビアニメははじまった……歴史の教科書にも載っている誰あろうあの人、手塚先生からのおつきあい。ロボットという人間が作り出す生命としての第三者というアイディアは古代から連綿と続くアイディアなのだが、ロボット三原則の登場により、小説の世界に確固たる存在照明されたロボット。その小説(タイトルは我はロボットだったかな?)ではロボットの存在は労働者の一面を反映したり、宇宙という厳しい環境世界での役割を期待された存在だった。アトムもこの血の流れをひき、ロボットに権利を(!)というのが出だしであり、人とロボットが理解しあう世界の確立がテーマだったように思う。以降、ロボット物に智恵と勇気を! という命題はずっと生き続けている。アトムが等身大のヒーローだったのに対し、鉄人28号は巨大ロボット物の元祖として登場する。最初はフランケンシュタインをイメージして正太郎に倒されるという話しだったのが、漫画の読者から鉄人をもっと活躍させてほしいという要望により、鉄人は正太郎の手に入り、正義のヒーローへと変貌する(鉄人元祖やられメカだった?)。それにセキをきったように人気に火がつき、鉄人は縦横に活躍する。最大の強敵ブラックオックスさえ正太郎の手に入るのだから、正太郎は無敵に違いない。ひとつの完成された姿であった鉄人。これをパクッた作品が無いことからも、その圧倒的存在が認められる。それを発展させたのがマジンガーZであった。人が巨大ロボットに乗り込むという形式は以降の巨大ロボット物のスタンダードとなり、それまでの鉄人がパンチによる質量攻撃を得意とした流れを汲み、発展させ、ロケットパンチを作り上げた。意味不明な光線攻撃。胸からブレストファイヤー(!)いわゆる必殺技をロボットに搭載するなど、その功績はまさに見上げたものだった。以降巨大ロボット物といえばマジンガー、マジンガーといえば巨大ロボット物の元祖となる。作られる物作られる物ここで構築されたお約束を踏み、それ以降は発展はなかったかのようでさえある。しかし、その質は量を生み、その巨大ロボット物群という量はまたもや質を生んだ。ガンダムである。主役メカがどんなに活躍しても戦局に左右しないという、リアルロボットの極地をきわめた作品の登場である。スターウォーズのライトセイヴァーを巨大ロボットに持たせるというアイディアは、ロボットの武器にロケットパンチ以来の革命をもたらす。光線銃を打つガンダムにしびれ、エネルギー切れの演出に二度びっくりした。以降、リアルロボットのデザインがガンダムの流れを絶対踏むのもお約束である。ガンダムの作中に出てくるニュウタイプは雑誌のタイトルにもなり、アニメオリジナル作品でありながら、リアルロボット物の原作となる。アトム、鉄人、マジンガーゼットといったスパロボを越えた偉業は注目したい。宇宙戦争を舞台としたことから、コロニーや宇宙、地球という環境にメリハリが出来た。人と人のつながりに主眼を置き、心のつながりというものをテーマにも据えた。それまでの爽快感をうっちゃり、人のサガにまで踏み込んだ。それまでの積極的に戦いに赴くヒーローと違い、戦争に巻き込まれるという状況に流される主人公というのをこれでもかと描きこんだ。敵役としてのシャアでさえ、敵側で復讐を進めるという人間像に圧倒される。でもまあ、ジオン側は個性的なキャラが多いが、ろくな人材がいないな。ガンダムは続編や別世界設定によるガンダムという名称の作品が続発した珍しいものでもあった。プラモデルがガンプラと人気を博し、いまにいたる牙城を誇る。マクロスはガンダムを越えんとして作られたが、歌と三段変形を見事こなし、難しい異星人との文化間交流をキーワードに、ロボット物を人を描いた。巨大戦艦の中に人が住み、誤ってワープで地球から遠くに飛ばされてワープ機関が故障して、孤立無援で通常航行で地球を目指すという設定がおもしろかった。ガンダムはもちろんのこと、ヤマトの流れも引き継ぐ内容だった。ヤマトが波動砲という必殺技を持つのに対し、マクロスはダイダロスアタックという大質量パンチして、マクロスの手が開き、中の艦載ロボットが敵戦艦の中から集中砲火して破壊するというスケールがでかいんだかチンケなんだか解からない必殺技が衝撃(笑撃?)的だった。ボトムズによってリアルロボットここに極めりという中、リアルロボットにも停滞が感じられるようになった。じょじょにスパロボとリアルロボのあいだをいったりきたりする作品がひしめきあい、あまりロボット物にも大差はなくなったようである。そんな中、パトレイバーはぎりぎり巨大ロボット物でありながらもうこれ以上は小型化できないところまでロボットというものを身近に、生活感あふれる世界観を確立する。智恵と勇気という遺伝子をアトムから受け継ぎながら、巨大ロボット物としてのカタルシスも残した作品だ。戦争でもなく、地球の未来を決するのでもなく、警察官が事件に右往左往する姿をポリスアカデミーよろしく描くというのは、当時としては(いまでも)画期的で目からうろこぼろぼろであった。女性が主役というのも巨大ロボット物としては珍しく、テレビアニメとしては初ではないだろうか。ガンダムでさえ神秘性を残したリアルロボットであったのに対し、パトは神秘性をギャグでは残しながらも、人としてのリアリズムの極地を感じさせられた。事件がウィルスによるロボットの暴走を描くなど、あんまりにも地味じゃあないだろうか。こんなことして作品が成り立つのだろうか。成り立つところがパトらしい所以でもある。電気で動くというのもいい。他にモーターヘッドも電気駆動だ。モーターヘッドは巨大だが、あまり質量攻撃を感じさせないような展開がある。騎士道精神という、あまり聞いたことのないものが盛り込まれている。ファティマなど、人でない第三者という意味でのロボットもいる。ファイブスターストーリーズはスパロボなのに時としてリアルロボの世界バランスを醸し出すところが独特である。話しをパトに戻すと、レイバーは小型であるため、質量攻撃というものは無いに等しい。ブラックオックスじゃなくてバド操るグリフォンは体当たりなどが得意技だが、基本的にイングラムはレイヤーを操って相手のレイバーを転ばしたり、巨大な銃によって(ミニパトでは砲と呼ぶのがふさわしいとある)相手を威嚇するという地味〜な展開に一喜一憂した。これが智恵と勇気でなくてなんであろう。リアルである。トコトンリアルである。リアルというより地味である。これが近年に見るリアルロボットの最大最高の到達点であった(と、言おう)。スパロボへの回帰としてエヴァは地球の未来を決する最終兵器として建造される。大きさも巨大なため、質量攻撃も有効だ。実体剣を巨体から繰り出すわけで、これだけでそうとうな一点破壊力を発揮する。ウルトラマンに人が乗るというアイディアに乗せられていると、難解なストーリーに足下をすくわれる。キャラ人気も萌えあがり、いわゆる萌え萌えというものがあった。アスカ、レイ、みさとなど、多岐にとんだラインナップはそれぞれ萌えファンがついた。スパロボへの原点回帰ということで、神秘性もとことん(?)追求の度合いを見せ……ラストは理解不能400%を越えた(!)。
商品性
アトムは偉大な失敗作……というのが商業面でのテレビアニメのスタートでもあった。宮崎御大が指摘するところの惨敗である。アニメは多人数がよってたかって作るため、時代劇と並んで金がかかるヘビーな商品だ。当然スポンサーには金を出してほしいところである。手塚治虫……いわゆる漫画の神様はアニメでも活躍している。テレビアニメ鉄腕アトムの総監修、話数によっては監督も務めた。生産力はピカ一の日本とはいえ、アニメを週一本作るのは大変で、いわゆる口だけ動かす手法や、当時はすでにカラーだった映画アニメをわざわざ白黒にしたり(まあ、これは白黒テレビしかなかったし)、シーンを使いまわすバンクなど、その技術はいまでも多用されている。しかし、しかし金はなかった。手塚先生スポンサーにひとまわりもふたまわりも安く料金設定した。足りない金は手塚先生が自腹である。そうしなければならない状況など知りたくないものだけれど、金はなかった。人手もなかった。アトムは努力と根性というスポ根が好きそうな状況が作り出していた。金はなく、アトムは大人気ながらも、商品としてはすごく安く安く安くやすかった。それも原作者みずから安く交渉したのだからよくわからない。金はないのだからたちゆかないハズ……テレビアニメは大失敗するはずだった。そこでアトムのキャラクター商品が売れた。売れに売れた。たちまち、キャラクター商品の権利で金は天下のまわりもの。なんとかなってしまった。以降、アニメはキャラクター商品のオマケと化した。それを一番反映したのがロボット物でもあった。それでもアトム、鉄人、マジンガーゼットは原作人気にも助けられ、なんとかなった(ような気もする)。原作も人気も無いアニメオリジナル巨大ロボット物は……打ち切りが続出した。ガンダムでさえ、2話ほどカットされた。プラモが売れたのはその後。見たい作品が売れる商品とは限らない例のひとつだったろう。特にビデオなどが普及するまでは、とにかく金金金はキャラクター商品とか、放送権料とか、とにもかくにも金が作品なんだか作品が金を作り出すんだか、ひっちゃかめっちゃかなのは延々といまにある。パトはオリジナルアニメビデオがスタートだが、金額を安く設定した。ビデオ作品なのに作中に宣伝入れているのである。いまもこんなに安いビデオは珍しい。生産力が高い国というのは金の回転も早く、物作りには適している。日本が輸出大国としても大手を振って歩いているが、アニメは安いが、安定した(?)金の回転力にささえられ、いまにいたっている。エヴァでさえ視聴率は5パ前後。キャラクター商品が売れたからよかったようなものの……というところ。金を出す放送局としては、フジ系列が私が二十歳の時、普通テレビアニメ一話作るのに八百万とか言われた時代、一千万出してくれるとかいう話しを聞いた。テレ東系列は安い……という噂である(いや、ほんと。まあ、もともと地方局だし)。見たい作品があったらキャラクター商品を買う。これがいいアニメを見る秘訣となりそうだ。もっと放送権料が高くなり、ビデオやでぃーう゛いでぃーが売れると文句ないのであるが、アニメは高い文化だ。セル画一枚150円というのが笑い話しになってほしいものである。特に作画する人たちなどに組合などは縁遠い。まあ、作画スタッフは新しいスタジオ作ればなんとかなりそうだが、大手スタジオに金がないのに下儲けにまわってくるはずもなく……。下儲けには下火くらいしかまわってこない。金は天下のまわりもの。セルは世界のまわりもの。世界中にセルをなげうっているが、最近は外国でも作画スタッフは貴重な人材。日本だけがお得意という時代でもないのである。スタジオジブリやサザエさんとこなど、日本スタッフがしっかりしているところはいいが、そうでないとこは激震が来た時、人がいなくなってしまう。ジブリなどはキャラクター商品であるところのトトロのぬいぐるみを断ったが、ぬいぐるみ業者がぬいぐるみを作ってきて、その完成度にオーケイが出たそうだ。いい商品を作ってくれたヌイグルミ業者さんにありがとうございますですなあ。
発展性
しかし、巨大ロボット物もよくこれだけ続いた。もうこれ以上新しいことは無理に違いない。さじは投げられる。それを拾う人もいるわけで……。ここ何十年かの間、アニメは変わり続けてきた。また、変わらない遺伝子と伝えられし作られし思い出も残し続けてきた。こんなロボットはいかがだろうとまた作られる。投げやりだと言う人もいればただ作っただけという人もいる。こんなロボット物に未来はない……のだろうなあ。でも、まあそれでも作られるし、わあたしもアニメを見るのだがもなあもし。アトム鉄人マジンガーゼットにはじまったスパロボ伝説もガンダムの登場にリアルロボットに発展。次はなにが来るのか。先は光りに包まれていてよく見えない。本質という未来はまだまだやってくるらしい。どんなロボット物が見たいか。どんなアニメが見たいか。まだそれは見えてこない。まあそれでも待ってみる価値はあるには違いないと思うのだが。ロボット物という作品には展望が見えてこない。これから見えて来るといいなあ……。
総評
宮崎監督は巨大ロボット物は作っていない……そりゃそうなのだが、ナウシカの巨神兵は世界を7日で破滅させたという設定だ。スパロボとしての見習うべき点も多い。性懲りもなく、懲りない面々は、巨大ロボット物を作り続けている。誰がやめろと言ってもやめたりゃしない。それが製作スタッフさぁ〜と。金は無い人材はいない時間は無い。ないないづくし。もうなにもいりません。アニメなんか作るものか。と。ことはそうでもなく、延々延々とアニメは作られている。いつかアニメが終わる時まで……んではまたっ(!)。
詩
できるとこからがおーっ(!)
萌えあかせぇーっ萌えあかせぇっ
そんな時代もあったとさ。
その巨大なパンチには夢がつまってたとさ
昨日にはなくて
明日にはつまってて
こうしてアニメは回転していく
もうもどらないと
夢は過去にとけこんで
もうその思い出とさ
時代はまたフィルムを奏でる
もうその手にはなにもないとしても
続く時代の夢のゆらゆらに……と
さ
11月27日(水)午前2時
『ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて カルテ2』
目次
作品性
(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)
商品性
笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑いいやん笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い笑い
総評
笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑休笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑
11月16日(土)午前9時
『ボンバーマンジェッターズ』 目次
作品性
前作とはうって変わって、へたれ系のキャラがそろう内容。今作はタツノコっぽいという人もいるくらいスタンディーな内容。おもしろい。つい録画する作品にしてしまうほどハマる。あずまんが大王が終わって、新作にはハマれないんじゃないかと思っていたが、奇遇(きぐう)にも波長の会う作品に出会えた。ちよつながり(?)。ボンバーマンの必殺技(?)なボンバーシュートもこの世界ではいがいとオーソドックスな技らしい。主人公の兄貴はかっこよすぎ。さして活躍は描かれていないが、シロボンの目標、目指す世界観がふくらむ感じで安心して見れる。無理な謎や心理トリックなどではなく、その一生懸命さが一番の見所。なんでもないアイディアの羅列に、昔見たアニメの郷愁が感じられる。ロックマンとは別の意味で興味深い。先を読む鳥の人とか、巨体の着ぐるみじゃないモンスター(?)な彼氏とか、いじられまくるマスコット(?)なロボットとか……。勝手にリーダーシップとってるヒロインとかは、ヘタな萌えアニより萌えるキャラだ。ただのコメディーではなく、まっとうな、芯の通った部分がある。さして作画が際だつこともないが、別に作画で萌える作品ではないので、まあいいのだろう。設定はなんでもごった煮だが、前作を見ていたせいか、それほど気にならない。至極、至極子供に正直な内容。ボンバーマンであることにカタルシス(この場合は生きる力を引き出す力の意)を見いださなくてもいいのかも知れないが、シロボンがどう成長するか見守りたい。
商品性
あるアニメの感想のページを読んでいると、感想のページたるや、あーしろこーしろ言わず、純粋に思ったことを書くべきではないかという意見。まったく同意である。しかし、この商品性の部分ではそういうことをふまえ、あーしろこーしろ言っていきたい。黒い、実に黒い内容を目指したい。純粋に作品を楽しみたい方々は去っていただきたい。人生順風満帆。なにも起こらないに越したことはない。万が一アニメの制作者が読んでしまっても知ったこっちゃあない。最新話ではヒロインが人が通れるパイプの中で、後ろからの視点がエロいと言うカキコも見られたが、誰がジェッターズにエロを求めるだろう。たまたまだと思う。そういうので点数かせぐなら、どどんと水着にしてもらいたい。いまやポケモンでもロックマンでも水着はあるが、とても癒やされる内容ではない。最近のテレ東にエロ規制で不満ごうごうなのは多数みられる意見だが(なぜかみんないい年したにーちゃんばっか)、それでも制作者はそこそこ、こなしているように見受けられる。そもそもエッチさを求めるのなら、OVAのほうが手っ取り早い。エロは金になるのだろうか。エヴァにもえっちなシーンはあった。ではえっちなシーンがある話数だけビデオの売り上げがいいのだろうか。18禁アニメはどれだけ売れるだろう。最近こそボーイズラブなどが活況だが、基本的にはえっちな内容と売り上げには関係ないと思う。えっちな市場はそれほどでかいパイではない……と、思う。内容が良ければエロでも硬派でも売れる。そう見ていいのではないか。でぃーぶいぢーが五万本売れればヒット(!)だそうだ。カウボーイビバップ劇場版が10万本、おねティーが5万本いったそうだ。最近は本数が多いせいか不況のせいか三万本出ればいいほうらしい。エロさ、エロい基準も人それぞれで、ナウシカが飛翔しているふとももがいい! という不謹慎な至極同意してしまう意見に、そういう見方はすべきでないと言う意見もあった。最近あざとい内容が多い、それも確かだろう。ハーレムアニメには、こまって、まいってしまうというカキコも見られる(しかしシスプリはいいそうだ)。人によってなにが自分の性に合うかは人それぞれ。制作者に求めるのは……もっとしっかりとした内容なのに違いない。魂なき人形に萌えたりは決して決して魂を抜かれることなどないのだから。ところで本作のヒロインは個人的には萌え萌えなので、別にえっちぃ内容などなくても癒やされてしまう。売れる内容だし、元くらいは楽に取れるだろうに違いない(油断大敵)。ただ、女の子のボンバーマンも見てみたい気はする。別にセクシーではなくとも、味つけによってはおもしろいと思う。視聴率が悪い時は新キャラを入れろというのは昔から言われてきた。たまにテコ入れで、ロボット物などにはよく、きわどい悪役が追加されることがあった。人にはゴーストがある。ならば、人が多ければ新鮮な見なければならない買わなくてはならないカタルシスが生まれるのは世の常なり。いまのところジェッターズに新キャラの必要はないようだ。いわゆるポケモン状態にしてしまってもいいわけだ。ゲストだけ色をつけておけばいい。無理な急展開で稼ぐ必要もない。安定がここにはある。消費されるアニメとそうでないアニメの違いだろう。もっぱら消費されるアニメは深夜に移ってしまい、それは13本(3ヵ月、ワンクール)というサイクルの中、消えていく。2、3年前の作品などもう覚えていないのもある。もちろん、一時の楽しみを提供するのもエンタテイメントの役割ではある。amazonで売れる順番に並び変えると、最新の順に並ぶ。これはなにを意味するのか。手塚先生は鉄腕アトムがありながら、新作を作り続けた。それは別に珍しいことではない。人は新しさにさいふのヒモがゆるむのか。無人島にはなにもいらない。ただ、最新の商品だけあればいいに違いない。次次と過ぎる時間と、人の新刊との勝負には終わりが見えない。だからまたそれはそれだけの可能性を感じさせてくれるのかも知れない。一瞬がすべての人生に匹敵する瞬間があるかも知れない。そんな一瞬アニメがあると期待させてくれるのが私がアニメにひっついてる理由には違いない。そしていまそれを感じるのがジェッターズであったりするのだ。
宇宙にひとつしかないものをヒゲヒゲ団が狙い、ジェッターズが阻止する。最新話ではあまり良く認識できないも、こういうインパクトは話しのつかみに必要で、たとえばシスプリで12人の妹が出来るなど、最初だけ作用すればいい。つかみが良ければ、よっぽどな路線変更でもしないかぎり売れる。
実際シスプリはそれなりに売れ、また評価も一定あるらしい。
ギャグが一面としては作品を形成しているが、ギャグは売れるのだろうか。答えはノーだ。ギャグは鮮度が命。しかし、アニメは一本作るのに3ヵ月かかる。作り置きしておくので、一年くらいはあたりまえに先行して作られている。そのタイムラグはとても売れるものではない。声優さんのアドリブで売ってしまうには、博打がすぎるだろう。スタイルとしてギャグであっても、それで売れることはないだろう。もちろんなんにでも可能性はあるだろうが。原作物ならば、それは通用する笑いではあるのだろう。原作物ならばそれだけでいくらか試算できるから楽だ。冒険するにはアニメ界は狭すぎる。挑発するテーマはどうか。これはうまくいけば消費意欲を呼び覚ます。しかし、それにはファンひとりひとりの抱えているテーマを良く理解する必要がある。やたらめったら打てば当たるのでは、パチンコになってしまう。それによって呼び覚まされるその人の奥の奥の奥のテーマをつらぬかなくてはならない。ほとんど一攫千金の話しだ。こんな作品はその人の一生で一度あるかないかだろう。それだけにそういう作品に出会ったら、おいしくいただきたいものである。
総評
私が小学生の時は背伸びして難しい内容のアニメを好んだ。レイズナーで冷戦をテーマにしているなど、しびれたものだ。いまはどちらかというと癒やし系の、のほほんとした内容を好むようになった。年はとりたくないものだ。まだ心の奥にギラギラしたものがあると信じたい。ジェッターズにはこの路線でいけるところまでいってもらいたい。出発点が元々の設定がうんぬんは良く解からない。ただ、きっとこういう作品に求められるものは変わらないに違いない。シロボンにはアトムエンジンがのっているに違いない。またそれを次の世代に伝える義務があるのかも知れない。
オープニングは予想の範囲内の出来だが、歌の歌詞はともかく。エンディングの作画には圧倒される。こういう見せ方もありなのかと、納得。
きっと一話一話が星のように輝き、ボンバーマンという夜空を作るまで、ジェッターズはゆくのかもしれない。シロボン逆立ちして、この星をボンバーなどと言うかも知れない。でも、それもまたゆるぎない日常の日々なのかも知れない。
ヒゲヒゲ団の下っ端がかわいい。立てこもった建物にロボットが変装して入っていくのも笑える。たぶんそれでいいのだろう。ロボットは最後までオチネタにされていて、楽しい。こういういじられキャラは活躍しなくていいのだから気楽だ。でも、ひとりひとりになにかしらの役割はふられてるのかも知れない。あまり深く考えないで見てしまう。三十分が一瞬だ。こういうテンポでこういう話しというのがくだらなくて惹きつけられる。博士はなんのためにいたんだ。ただただいじきたなさが強調されていたような……。鳥の人だと活躍して話しが硬くなってしまうから、その変わりなのだろうか。
詩
眠りたい勇気その手に
あらんかぎりの夢ふくらませシュートッ!
その背中を見ていた
その思いを願っていた
できることは宇宙一
できないことなどなにもない
空を飛んで宇宙を駆け抜けろ
そういうものだと現実は告げる
続く時間を明日が告げる
こうしたものだと昨日が告げる
限りはあるのだろう
でも
いまはまだ見たくない
ただ、前を見たいから
この手はいつもボンバーマンしている……に違いない
11月13日(水)午前4時
『プリンセスチュチュ〜卵の章〜』 目次
作品性
まずはいきなり終わりたて、また、これからはじまる作品でもあるプリンセスチュチュ。動物のキャラがそこかしこに配置されていたり、作品の作者が登場するなど、不思議さの演出に注目するも、ちょっと作家のほうは消化不良か。唯一猫先生は自他ともに認める素晴らしい出来。う〜んチュチュよりよっぽど人気あるんじゃないか。
最後はチュチュ、クレール、ファキアの三人の話しになり、王子は景品扱いだな。クレールの退場にて作品は決するもいまいち満足感納得感の欠けるラスト。クレールどこへ行く〜。ミンメイほどではないけど心配だ。結局カラスは散る運命なのか。ラストはあひるとミュートの踊りにてシメ。かなり良い感じ。踊りで勝負が決するというのは至極理解できるのだが、動きはもう少しほしいところ。オープニングの三人が上に踊り消えていくシーンは幻想的ですごく夢見れる。ミュートの心が戻った時の本人の感動の表現がもう少しほしいとこ。踊りで勝負が決するというところが思っていたよりインパクトに欠ける。恋に命をかけるのは至極納得できるが、踊りに命をかける描写がいまいちしっくりこない。最大のポイントがハズれた……。もったいない。
商品性
売れる。売れる内容だ。売れる出来だ。きっと売れるに違いない。元は取れるくらい。取れ! 取るんだジョーっ!! それくらい作画はよく描写され、猫先生の出現のタイミング、チュチュは変身物だし変身すると踊れるという特殊能力も持っている(ただのコスプレではないアニメならでは)。ポイントをきっちり押さえる演出は商品性を左右する。多分。経験からそういうものを五万と見てきたような気がする。たとえば、「セラムン」とか。でも、ボーナスは出ないかな……。チュチュはロリコンキャラなのにクレールは変身すると年とる(見栄え上の演出だけかな(?))。水樹さんが上手く年増ごほぐほげほ……つまり熟成ボイスを披露。ボーナスが出るほどにはキャラが描出されず、内容不足か。これは原作性、出発点の問題か。もう五百万くらいはひとりもうけられるといいのだが(ところで誰が(?))。う〜ん、チュチュの仮面でも作ってデパートの屋上でクレールと対決でもして、ちびっ子のハートを……でも、女の子はこんなのはいまいちか。ファキアの心理とあひるの交流は最終話間近になって上手く描けていた様子。惜しい。もう少しクレールにも愛をくれーる。さて、キャストもいがいと豪華だが、声優のファンが売り上げにはあんまおむすびむすむすんでつないで。声優は主役級レギュラーとて一回8000円と言われていて、レギュラーが増えてバイトをやめてうんとこさという声優さんもいて。一方で何億(いや、日本の歌程度じゃ億はいかないかな)と稼ぐ声優がいるというが、それとて歌の著作権料で。他に作画監督とか動画監督、キャラデザクラスになると年間で何千万……。演出家陣は脚本家、監督ふくめもうかりません(小説でも書くか)。アメリカなら声優が何億稼ぐが、それとてハリウッドスターという看板あってのことか(日本は平等に誰も彼も安ぶしんさ……)。声優の労働組合が声の著作権料を求めているが、それとていくらもうかるか。声のカタルシスとしてはクレール役が一番響いたが、それゆえ、話しには補完されず……か(?)。さて、スタッフは誰あろうあんなメンツだが、これで元がとれなきゃ元はじめ。見る年齢、性別、感性その角度で作品はマニアックにも純粋にもなる作りは三分の一くらいできたところか。売り上げにはこれはストレートに反映される(黒)(黒)(黒)。演出陣がしっかりしてないと肝心の感性の部分の角度は広がりを見せない。これはスタッフの勝利。充分ええジゴロ……仕事しとまんがな(さらにクレールのしりと胸にふくらみを(!))。あと少し、あと少しクレールの胸が……それは言うまい。ラジオを同時展開してもいけたかも。(でも、セラムンでさえなかったし)。しかし、ミュートいがいみんなラジオ持ってるな。これを見た少女よ大志をいだけとはなってなく、あひるよ大志をいだけになっていた。そして少女はあひるになるのでした(次の章が待たれる)。あひるよりファキアやクレールに持っていかれたから、私の感性は至極至極年齢相応らしい。しかししかしクレール萌え〜っ! クレールの胸が〜すれば〜ビデオにさらに500円くらい上乗せ……(金)(金)(金)。
総評
またはその他の感想。
最後は命の炎……命の祈り踊りで終わるがこれが次の章えの布石たるのか。それとも決着をつけるためなのか。う〜ん、も少しけれん味が欲しい。次からは十五分番組というが、内容によっては有利になるか、蛇が出るか。オープニングは何度も聞くと味が出る。歌い手の力か。滴のCGは良くできているが内容にひと味加え得たかどうか。曲は最初のピアノの出だしが残るものがある。エンディングは静かなメロディにも変化が往々にして着けられている。かといって感性の広がりはいまいちか(きみの感性も踊り出す?)。CGの湖面はきれい、というか、あひるが浮いてるよ、いや別の意味で……(でも、見慣れるといい感じか)。ひっくりかぁええるぅ〜あひるっ。
やぎ子さんの一言は胸に響く(笑)。ミュートはしわわせになったのだらうか。そしてチュチュは……
後半は三人ぷらす王子に時間を詰め込んだ感じ。それが良かったかどうかはいまもって謎(ナゾナゾ)。う〜ん「お話の好きな子は寄っといで」の声が耳に残った。う〜ん渋い渋い(茶)。
第一期が終わっても、ズラかるのはまだ先だ(!)(たぶん)。意味消失本質不明ここはどこあれは誰私は鹿。狐。猫。……そしてイグアナドン!
次シリーズでは恐竜でも出てこないとインパクトがないのでは(笑)。
結構シリアスな中にそれでもあひるは笑顔だったのかも知れないし、まだ第二期を見たわけでもなく……。見るとやっぱりあひるはひ〜ひ〜しているのかも知れないけれど……でもま、それもいいのかも。
プリンセスチュチュという星は夜空に光り、輝いて、私を照らす。いずれは流れ星になり、私めがけて、あひるがタックル(!)してくるとしても。きっと、その願いは運命となって私を照らすだろう。この時間さえ越えて。
見ているあいだは波が足元を洗っても気づかない。引いてから気づく波の数々。チュチュという波はいまひとたび引いて、また波となる。それはたぶん気持ちのねじをかちかちすることかもしれないし、「くわっくわっ」あひるががなるのかも知れない。んでもまあなんとかかんとか世は穏やかに涼しく静かに物語りを奏でる。
ね、ネタが無いとなぜか抽象的な(?)表現が多くなるなあ。
とにかく、あひるの思いがチュチュなのだから、あひる偉い(!)のだ。
心の芯に作り手の愛情は届いたか。う〜ん、私は52%くらいかな。全体的にはおもしろく、猫先生最高(!)。
詩
黒く焚(た)いた闇を舞踏させ、
願いさげた思い連なり、
光陣(やり)放つは暗い空なり
向上心は紙に消え、
データは今昔(くんじゃく)を照らす
そういうものだと伝説は語る
作者はゼンマイ仕掛けの物語を回転
ナイトは剣をふるう
王子は踊るそんなものだと
それでも踊るのだあひるだからかも
プリンセスチュチュだからかと
言うのだった
とて
さ……
目次
2003年1月13日 月曜日午後8時『新年あけましてアニメのはじまりロボット風味未来はアニメにあり(!)』
2002年11月27日 水曜日午前2時『ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて カルテ2』
2002年11月16日 金曜日午前9時『ボンバーマン ジェッターズ』
2002年11月13日 水曜日午前4時『プリンセスチュチュ〜卵の章〜』
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