2005年の日記
:現在の博士の事情

博士課程、その地獄への入り口
私は何度か折に触れ現在の大学院教育、特に博士課程の問題について書いてきたが、ここで改めてこの問題について触れたい。私は2年間のポスドクの後に就職できたが、それでも精神的にかなり参った。3年、4年、人によっては5年以上就職できないなんてのはざらなのが今の博士。そんな方々の気持ちは痛いほどわかる。私はこんな事態を招いた文部科学省と大学の無策ぶりに心底腹を立てている。もう自分にとっては関係ないと見て見ぬふりなど私はしない。どんなに人から憎まれようと恨まれようと、人として言わなければならない事がある。学者は学問の婢女である。私は学問に遣えるが人には遣えない。誰も理想を語らないのならば私が語ろう。ひとえに学生の幸福のために。

博士課程へ進学しようとしている方々へ
悪いことは言わない。絶対にやめておけ。人生を棒に振る確率は極めて高い。確実な統計データを私は持っていないが、博士課程に進学したために一体どれほど多くの博士たちが失意のうちに人生を破滅させられていることか。私がもし学生を取る立場に立ったのならば、はっきりとこう言うつもりだ。来るな、と。それでも進学したいというくらいの人並み外れた精神力と能力と運がなければ博士課程に行っても何も得るものはない。博士号の紙切れ一枚のために人生を台無しにするだけだ。そんな何の役にも立たない紙切れに何の意味があるというのだ。博士課程は人生の敗者への入り口だ。はっきり言っておくが、博士を取ってしまった場合、就職活動に関して2位は存在しない。ごくたまにある公募があったとしても、定員はほとんどの場合1名だからだ。2位になるということは無職になるということだ。1位にならなければ生きていくことさえできない。しかも、この競争は自由競争ではない。公募は公募ではなく、完全に形式的なものであって、最初から採用する人間は決まっている。要するに教授に就職斡旋能力がなければ学生の人生は終わる。冗談ではなく本当に終わるのだ。ごくごく稀に自由競争の公募があることはあるが、大学ではまずないだろう。だがその場合であっても数十倍という恐ろしい倍率の競争を勝たなければならないのだ。この日本で最も過酷な競争試験だと言っても過言ではない。大学受験などその比ではない。頑張ってどうにかなるものではない。頑張って業績を作れば就職できるなんて甘い考え方は通用しない。
 教授や助教授は普通博士課程に進むな、とか、就職ないよ、とは言わない。博士課程に進んでくれる学生をわざわざ追い返すようなまねは普通しないからだ。貴重な労働力だし、補助金が出る場合もある。某大学では助手を博士課程に入学させるという荒業で学生数を水増ししてさえいる。あまりにも酷い話だ。ここ10年間で博士の就職事情は劇的に悪化しており、改善される見込みはゼロだ。しかも就職できるか否かはかなりの部分は運だと思ったほうがいい。どんなに能力があっても業績があっても何年もポスドクをやる羽目になる人間も多い。耐え抜く精神力がなければ潰れてしまう。逆に大した業績もないのにすぐに助手になれる人間もいる。現に論文が一報もないのに助手という人もいる。なぜならば、公募は公募ではないからだ。公正さの欠片もない理不尽な世界なのだから、あまりに長く就職できないと人格までも冒されることになる。ここまでのリスクを冒してまでも博士課程に進むメリットなど何処にもない。
 特にやってほしくないことは、東大などの一流校以外の博士課程に進む愚行である。余程力のある教授にでもつかない限り、人生は破滅するだろう。ほとんどが東大卒という、いわば機関銃を持った研究者軍隊に単身竹槍で戦いを挑むようなものである。自分のいる大学以外に就職できる見込みなど初めからないと覚悟すべきだ。就職できても所詮は授業要員の助手で研究など望めないと腹を括るべきだ。第一、東大の院試があれほど簡単で誰でも入れるのに、どうしてわざわざ他大学を選ぶ理由があるのだろうか。まったくないと断言する。しかも東大の博士を出てもほとんど就職できないという状況なのだ。だから、最低でも東大京大程度の大学院に進学しなくてはならない。そうしなければスタートラインにすら立つことはできないのだ。

現在博士課程に在籍している方々へ
ご愁傷様。貴方の進んだ道は日本で最も過酷な茨の道だ。かなりの確率で無職になると覚悟しよう。しかしそうは言っても私は一人でも多くの博士課程に「間違って」進んでしまった方に幸福な人生を歩んでもらいたいので、お節介ながら進言させてもらう。まず、甘い考え方は全て捨てたほうがいい。学生という身分は麻薬のようなもので、自分が研究者の道を着実に歩んでいるような錯覚を覚えてしまうものだ。特に学術振興会の特別研究員に採用されて毎月20万円のこずかいと100万円の研究費をもらっている方々。それは研究者としての未来を決して保障しないのだよ。まず特別研究員の就職状況一覧表を見てくれ。↓
http://www.jsps.go.jp/j-pd/pd_syusyokuichiran.htm
これはPDなのでDCがどういう統計になるのかはわからないが、だいたい似たようなものだと思うのが妥当だろう。さて、採用期間終了4年経過後で常勤のポストに就職したものが7割いる一方、「不明」とされている人間の数が、一割という事実に目を向けてもらいたい。PDの採用率が1割前後であることを勘案すれば、世の中の博士の中でも優秀な人間がPDに採用されていると見て間違いない。しかしその優秀なはずのPDが、採用終了後4年も経って就職できない人が3割もおり、しかもそのうち1/3が行方不明なのである。これはとんでもない割合である。上位1割のPD採用者が博士号取得から7年経っても就職できない確率が3割。貴方はこんなにもすごい競争社会の中にいる。PDに採用されている博士でもこの有様なのだら、何度出しても学振PDに採用されない人間なんて、ほとんど就職できるはずがないと見たほうが無難だ。
 研究は確かに魅力的だし面白いだろう。夢中になるのもわかる。しかし、それは自分の人生の全てを賭けるほどに価値のあるものだろうか。大学という温室の中にいては、いずれ将来的に襲い掛かってくる現実の厳しさに鈍感になってしまうものだ。まして研究に夢中になっている間は他のことに構っている暇はないし、学会の準備や論文の執筆に追われている間も他のことは考えなくなってしまうだろう。しかし時間は待ってはくれない。もう一度頭を冷やして自分の進路を考え直すことも必要だ。時には撤退も勇気ある前進。冷静に自分の能力を相対評価して、見込みがないと自分で思うならば一刻も早く大学から撤退しなさい。一刻の猶予もないのだから。今はまず以下の項目を自分でチェックしてみてくれ。

 @自分と同分野にいる同世代のライバルたちと自分を比較して、間違いなく自分が能力的にも業績的にも一番だと思えるか。
 A指導教官に就職斡旋力はあるか。先輩たちはちゃんと就職できているか。
 B学位取得時に論文が3本を超えるか。
 C学振特別研究員に採用されているか
 D3年間で博士号を取るのに何の問題もないか。
 E就職できない状態に精神的に耐えられるか。5年間は就職できなくても学問への情熱を維持できそうか。

少なくとも3つは「はい」と答えられる項目がなければ将来は厳しいと思う。解説する。
@自分を客観視して、競争に勝てるかどうかである。一番だと思えるならば学問を続けても良いだろう。ただ、単なる自信だけではどうしようもないが。
A就職には指導教官の力が極めて大きく作用する。自分だけの力では簡単には就職できない。
B業績がなければ能力があっても意味がない。論文は最低でも3本は欲しいところ。
C採用されているということは客観的に評価されているということ。追記:最近はDCの採択率が大幅に跳ね上がっている。昔は採択されれば大したものであったが、今では採択されないなんて話にならない、という具合だ。DC2に通らないなら諦めたほうがいい。 2008年1月
D分野にもよるが、留年しなければ博士号を取れないということは能力、あるいは運がないということ。
E何より大切なのは貴方の幸せだ。不幸になるような人生の選択はするな。
はいと答えられる項目が2つ以下の場合、本気で自分の進路を考え直したほうがいい。無理に学位を取っても不幸になるのは自分自身だ。なんでこんな敷居の高いことを言うのかといえば、要するに一人でも犠牲者を減らしたいということ。できれば誰一人として博士課程になんて進学してほしくない。

博士課程へ進学してもいい人とは
奨学金を貰う必要のない人。つまり金持ち。金持ちなら行っても借金を背負うこともないし、だらだらとやっていても大丈夫だ。奨学金を貰ってそれを運用して儲ける事さえできる。要は研究を趣味だと思ってやれる人、ということだ。今は奨学金の返還免除制度はない。もらったものは返さなければならない。ふざけた話だ。あと行ってもいいのは、就職できないと知りつつ進学している勇気ある挑戦者とか、研究のためなら乞食になってもいいという熱血野郎とか、自分の美貌さえあれば全て何とかなると思っている美人とか、既に結婚しているけれど趣味で研究もしてみたいという最初から就職する気のない主婦とか、居場所がなくてしょうがなく博士課程に居るというかんじの人生捨ててる奴とか、僕は一生学生でいますと宣言している最初から卒業する気すらない奴、くらいだろうか。前途有望な才能ある学生さんたちはその才能をわざわざ潰す必要はない。あなたと同程度の能力のある代わりの博士はいくらでもいるので、博士課程に進まないようにしなさい。

無能な役人の犠牲にならないために
役人は馬鹿だ。馬鹿が作った制度は馬鹿な制度だ。博士しかり。博士号を取得したものの、定職に就けないポスドクは2004年度に12500人に達し、2003年度に比べて2300人も増えている。これからますます増えるだろう。高年齢化も進んでいるようで、なんと約8%が40歳以上だそうだ。なぜこんな事態になったのかと言えば、政府が大学院の定員を拡大する政策を取って博士を量産したものの、肝腎の研究職ポストをほとんど増やしていないからだ。つまり、役人は小学生でもできる足し算、引き算ができない。ドーナツを毎日4個揚げて、家族4人が食べます。ドーナツは大きいので一人で一つしか食べられません。でも、おやくにんさんはドーナツがいっぱい欲しかったので毎日10個ずつ揚げることにしました。でも家族は増えていないので食べ切れません。食べきれない分をとりあえずしまいました。一ヵ月後にはどうなるかな?はい。余った分を捨てるしかないですね。馬鹿な役人の馬鹿な制度にわざわざ付き合う必要はない。捨てられる前に立ち去るのが賢明。

ポスドクという日雇い労働者
はっきり言う。博士号を取ってポスドクになったとしても、ポスドクに人権はない。まともな人間扱いはされないと覚悟したほうがいい。まず、何の保証もない。任期つきなので先が見えない。保険証も持てない、つまり医者に掛かれない。何の手当てもなく、ボーナスもなく、科研費に応募する資格さえ与えられず(これは改善された)、真っ当な研究者としても認められず、世間的には要するにただのパートタイマー。博士という肩書き以外何一つ有していない、いい年して就職すらできないフリーターである。自分には能力がある、業績があると思っている人間にとっては、あまりにも過酷な環境である。このいつ終わるともしれない悪夢のような現実に耐え忍び、人間性を保っていられるだけの強い精神力がなければならない。自分に能力がないと割り切っている人間のほうがかえって耐えられるが、無能な人は最終的に就職できないだろう。博士課程の段階では学生という安定した身分が与えられているが、一度卒業したが最後、博士号という栄光からは想像もできないほどの辛く過酷な現実が待っているのである。卒業して直ぐに常勤の研究職に就ける人間はほとんどいない。余程の強運の持ち主でないかぎりありえないだろう。また、たとえ助手に採用されたとしても、最近では助手の多くは任期付きなのだ。これではほとんどポスドクと変わらない。酷い話だ。
 何とかポスドクになったとしても、任期が終わらないうちに就職活動をして別のポスドクを探すなり、常勤の研究職を探すなりして生きる糧を探さなくてはならない。こんな状況でまともに集中して研究できる人間なんてどこにいるのだろうか、と言いたくなるが、研究して成果を出さなければどんどんと状況は悪化する。業績がなければどの公募に出しても門前払いだし、そうこうしている間にもどんどん博士は増えているのだ。この苛烈な競争に最終的に負けてしまうと、恐ろしい現実が待っている。まさに「地獄」だ。

タイムリミット
普通ポスドクは35歳までである。35歳を過ぎるとポスドクの採用はほとんどなくなってしまう。つまり、35歳までに常勤の研究職に就けなかったら、もうほとんどアウトなのである。だから悪いことは言わない。その前に諦めた方がいい。人生のやり直しは早ければ早いほうがいいからだ。私の個人的見解としては33歳が精神的限界だと思う。33歳というのは、博士課程卒業後、数年の任期つきのポスドクを2回やる年齢ということだ。私も33歳までやって駄目ならきっと諦めていたと思う。だから35歳というタイムリミットは精神的タイムリミットよりは若干長いのかもしれない。ただ、年を食ってから博士課程に進む人間にとっては恐ろしい壁だ。卒業時に35歳を超えていてはすでに手遅れなのだ。だから悪いことは言わない。卒業時に33歳を超えてしまうような人は絶対に丸腰で博士課程に行ってはならない。そういう人は社会人として博士を取ればいい。その方がはるかに利口なのだ。

敗者に背負わされるもの
最終的に敗北、つまり常勤の研究職に就けなかった場合どうなるのか。それを書いておこう。まず、膨大な借金を抱え込むことになる。大学院では大抵の人が奨学金という名の借金をしているからである。その金額は膨大で、とても簡単に返せる額ではない。大学院の5年間で600万くらいになるのではないだろうか。常勤の研究職に就きさえすればその奨学金の返還は免除されるのだが、(確か最長で卒業後5年以内に)就職できなかった場合、全額返還しなくてはならない(最近ではこの免除制度すらなくなってしまった!)。就職できないだけでも災難なのに、その上多額の借金である。まさに踏んだり蹴ったりである。就職できないということは安定した収入がないということであり、安定した収入のない人間に借金がさらに降りかかってくるという、まさにこの世の地獄である。とてもまともな社会生活は送れないだろう。博士号という紙切れ一枚(本当にしょぼい。東大だと修士号と色が違うだけ)に対して、あまりにも大きな、いや、大きすぎる代償である。

プロの研究者になるにはどうしたらいいか
なろうとするな。これが私の第一声だ。あんな非人間的競争に敢えて挑むのは馬鹿である。私は楽観的に考えていたからなる事になっただけである。どうせ自分ならすぐ就職できるさ、とね。自信を持つのは結構だが状況を楽観視するのは愚かである。私が愚かだったように。もうあんな思いは二度としたくないし、他の人にもしてほしくない。他に道はいくらでもある。会社に入るなり公務員になるなり起業するなりしよう。

利口な人の生き方
リスク少なく博士を取るには社会人入学が一番。最も楽に、最も簡単に取れる。それこそ学校に行く必要すらないほど簡単。はっきり言う。課程博士なんてやめろ。時間の無駄だ。私のように学振DCを通っていなければ膨大な借金を抱え込む。社会人なら帰る場所があるのでいつでも辞められる。博士を取るのに何年掛かっても痛くも痒くもない。課程博士ならば逃げ場はない。しかも逃げなければ逃げないほど状況は悪化する。利口な人間は修士卒で就職し、後でゆっくり博士を取ればいいのだ。私はこのような博士号の不公平に激しい憤りを覚えているが、現実は現実なので利口に生きよう。(ただ、論文博士は早晩なくなるようなので注意。)

日本の学問に未来はない
夢をぶち壊して申し訳ないが、日本の学問に未来なんてこれっぽっちもない。政府の方針だから。独立行政法人だもんね、何しろ。研究費はなくなり、外部資金の取れない研究室では年間25万円くらいしかお金ない。給料は下がる一方で、そのくせ外部評価だとか、競争的外部資金を取るために毎日毎日競争させられ、集中して研究できる環境はもう日本にはどこにもない。今後大学はバタバタと潰れ、ポストはますますなくなり、ようやく就職しても低賃金で無茶な競争を強いられる。こんな世界のどこがいいのか?捏造データも大流行中。捏造しまくってでも成果を出したほうがお金取れるんだから仕方ない。捏造データも政府の方針。それでなくとも日本では地位の低い科学者の地位はもう下がりっぱなし。高い学費と長い学生期間の犠牲を払って低賃金かつ衰退していくことが確実な事業に手を出すなんてどういうことか。そういうのを愚かな選択と言うのだ。今後数十年間で日本の学問は著しい衰退をしていくことだろう。だからさっさと学問の世界と縁を切ってしまえ。少なくとも自分がアホな選択をしているという自覚のある人だけが学問の世界に留まるべきだ。少しでも学問をかじった人間が日本の舵取りをしないかぎりこの最悪な状況が改善される見込みは全くない。

博士号の序列
一言で博士号と言っても、価値がまったく違う。大雑把に言って、文系の博士>理系の博士>医学博士、という序列になる。最近は博士の量産によって文系の博士の価値も急落しているが、上の序列は変わっていないだろう。かつては文系の博士号と言えば教授でさえ持っていないほど大変なものだった。同じ博士号と言っても価値はまったくバラバラなので、敢えて文系の博士課程に進むのは余程の強運と才能がない限り人生を棒に振ること請け合い。だから悪いことは言わない。文系の博士は特にやめておけ。学位取るのも大変な上に就職もない。

博士論文の書き方
ぶっちゃけ博士論文なんてただの自己満足。博士号を取るためだけなら内容なんてある程度いい加減で構わない。その程度でも理系なら取れる。だから博士論文なんてそこそこに仕上げて就職を考えよう。博士論文は業績にならない。無駄な労力は最小限にしよう。できの悪い学生に居座られるくらいならば学位を出してとっとと追い出したい、という指導教官の本音もある。結果として、あまりにいい加減でない限り日本語で100ページも書けば大抵通してくれる。私みたいに英語で数百ページも書くというのは完全に無駄な労力。そんなに書いてはいけない。というか審査員はそんなに長い論文は読めないので。また、真面目な審査員の方からすればずしりと分厚い博士論文を渡されたら溜息しか出ない。

超就職難時代を生きるための精神
あまりに就職できないと当然精神的に参ってくる。先の見えない不安、就職もできないのかという世間や周囲の目、数え上げたらきりのないストレスの連続に心身ともに疲弊し、下手をすれば自殺する場合もある。そんな場合、どうやって心のケアをすればいいのか。まず、考え方を変えよう。
 就職できないのはどうしてか。ずばり運だ。運がないというよりも、運が巡ってきていないからだ。人事を尽くして天命を待つよりほかに術は何一つない。自分の何かが悪いと考える必要はない。しかし人事を尽くしたとしても運だけは自分の力ではどうにもならない。これはもう「待つ」しかない。頑張って耐えよう。人生の99.99999%は運だ。だから運を上げる、つまり確率を上げる努力しかできない。ただ、これだけは言っておく。来るものを拒むものは運を捨てている。人から紹介された職ならば絶対にNOと言ってはいけない。どんなに気に入らないポストであろうとも必ずYESと答えよう。自分が望むようなポストがある、自分がやりたい研究テーマがある、と考えるのは幻想だ。そんなものはない。人から望まれる仕事が自分のなすべき仕事。自分を必要としてくれる場所が安住の場所だ。だからNOと言ってはいけない。また、捨てる覚悟、諦める勇気を持っているべき。35歳になっても就職できないということは、その分野が自分の居るべき場所ではないということ。大変な未練はあるだろうが絶対に諦めた方が得策だ。

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