図書館員日記 2014
2014年9月30日(火)
気がつけば9月の終わりである。図書館の世界も、ほかの世界もいろいろな事件が起きている。いつも、世界に対して私に何ができるのかを考えて過ごしているが、考えているだけであるのかも知れない。
2014年5月19日(日)
気がつけば5月の半ばである。友達の三月うさぎ(兄)さんがTwitterに図書館関連の長い文章を書いてくださったのでまとめて、私の感想などを書き、ホームページに置きました。みなさん、お読みください。
「中部図書館情報学会の総会・講演会」が6月7日(土)にあります。総会以外は会員でなくてもご参加できます。懇親会もあります(事前連絡必要)。興味のある方はお越しください。
2014年4月4日(金)
利用者の方はほかの利用者の方を知らないので、自分のルールが正しい、とか、みんなそうしている、と考えているらしい、ということをかなり前から知っている。大半の方は返却期限を守る。予約やリクエストをなさる方であれば、ほとんどそうである。規則を守るべきと考えるのも当然だが、それよりも、ほかの人に迷惑がかかる、私も迷惑をかけられるのは厭である、だから、しない、と感じていらっしゃるのがひととして正しいわけだが、なかにはほとんど守らない、という人もいたりする。延滞督促電話を幾度もかけないと返してくれない人、電話がかかってきてからでないと返さない、といったひともいる。それは当たり前の話だけではなく、あなたは特殊な人なのですよ、と声を大にして言いたい。電話代も只ではないのである。あまりに悪質な場合、私の勤務する館では貸出停止などの処分をしている。普通に利用する方が迷惑するような行為を繰り返せば当然罰が与えられてしかるべきなのだが、そんな話をよその図書館ではあまり聞かない。社会教育施設は、公の場で、いかにあるべきかを人々に説く、という仕事もすべきであるし、世界をよりよくするために文化施設があるのであれば、良くない行為に対しては良くないと声を挙げるべきである。しかし、そうした仕事には大変な労力が必要である。民度が上がってゆくためには、個人ひとりひとりの意識が高まってゆかなくてはならない。大人が成熟し、それが子供に伝わり、社会全体が高いところに向かってゆくと良いなあ、そんな仕事なのかもしれないな、と公共図書館で働きはじめたわけであるし、公共図書館にはまだまだ潜在的な力があるとも思うのだが、日々の細かな、そんな個々人に対する少しの仕事さえなかなか進んでゆかない状況や、それさえ行っていない他館のことなどを考えると、まあこんなことなのかな、とあれこれ諦めるようになってきている昨今の私である。
難しい郷土関連のレファレンスがあった。この事象とこの事象とこの事象とこの事象が繋がっている、という証になるような文献があると良いのですが、というお話。江戸の初めの頃のこと。それらの事象が繋がっていそうではあるのだが、証拠となるような資料が果たしてあるか、と問われると難しい感じなのである。とても面白い着眼点ではあり、もしそうであれば、市のPRになりそうなことなのだけれども、決定できないのではなかろうかと思われる。もう少し探してみなくてはならないのだけれど。こんな質問には間違いなく司書が必要であろう。それらの事柄を網羅的に調べている研究者がいればともかく、広く浅く、だいたいの感じで知っているのが司書の強みなのだ。ただ、司書がすべてそのように色々知ってゆこうとしてはいない。また、体質的に知識が増えにくい司書もいたりするわけであるし。本来、こんなような感じの司書が地域の公共図書館に居ると良いのだけれども。数年後、十年後、電子書籍の増加によって多分大きな変化がやってくる公共図書館の世界を予想して、将来のモデルとなる司書像を描き、そうした司書を作るためにどうしてゆくべきかを今のうちから考えてゆかないといけないと思う。
2014年4月3日(木)
4月はすることが多く、あれこれしているうちに過ぎてゆく。あっという間に歳をとってゆく感じである。それにしても開架がいっぱいで、閉架もいっぱいである。この状況をなんとかしないとどえりゃけにゃあことになるのである。
2014年4月2日(水)
休み。名古屋市博物館に『大浮世絵展』を観にゆく。展示替が3回あるので4回観にゆかないと全部は観られないとのことで、とりあえず2回目。あと2回行こうかどうしようか。浮世絵だけでなく、版画を私はあまり好きではなく、今まで浮世絵の展示を観ても、へえ、と思うだけであったのだが、この展覧会の浮世絵は別格である。一級品とそうでないものはこんなに違うのだ、ということをはっきり知った。
「本の雑誌」4月号の特集『図書館を探検しよう』の話を書くのを忘れていた。新潮社常務の石井昂氏の「鶏を殺さないで欲しい」に考えさせられた。本当は公貸権について国がしっかりと検討し、図書館で貸し出す資料については国が権利者に補償をするシステムをつくるべきだ、と私は考える。それが進めば、電子書籍の貸出についての問題も解決してゆく。この特集、図書館を嫌うひとが多い感じで私には面白かった。 自治体がしっかりと支えてゆかねばならない「知」と娯楽用の資料とを分けて考えてゆかないと、今後ますますぐずぐずになってしまい、やがて、残してゆかねばならなかったところまで、無くてよいことになりそうなのが怖いと感じている。
「カレントアウェアネス」CA1819に名古屋大学図書館の村西明日香さん、『北米における冊子体資料の共同管理の動向』が載っていた。一昨年度の「中部図書館情報学会誌」に書いてくださった方。良い報告。どこの図書館も資料がいっぱいになって困っているわけで、こうした事例から学んであれこれしてゆかねばならないのである。
2014年4月1日(火)
新年度である。ベテランの司書が異動になり、新規採用の司書資格のない職員が配置された。しかし、司書資格があれば良いのか、と言えばそうしたわけでもないあたりが、現在の日本の公共図書館の大きな問題であったりもする。ともあれ、様々なことをなんとかしてゆかねばである。