図書館員日記 2013

2014年3月30日(日)

 いままで「レファレンス講座」とか「調べもの講座」という名前で行っていたものを「大人のための図書館活用講座」と変えておこなったところ、少し受講なさる方が増えた。ランガナタンの五法則が現在も古びず、その法則に従って図書館運営を行っているのだが、それがみなさんとどんな関係にあるのか、とか、実際のレファレンスに役立つ、大きな辞典、事典から先に引きましょう、とか、そんなような話をし、閉架書庫、特別資料室を見学してもらい、割と好評であった。

2014年3月17日(月)

 愛知淑徳大学星ヶ丘キャンパスで行われた『図書館情報学を学ぶ大学院生・学生と図書館員の交流会』に出席というか司会をした。しっかりした学生が多いことに驚く。私が大学生の頃など、ろくなことをしていなかったものなあ、と振り返ったり。大学生図書館ボランティアによる広報誌発行、学生と大学図書館との協働、公共図書館における広報活動、明治期の学術雑誌に関わった人達と彼らが作ろうとしたソサエティ、彼らが与えた影響について、と、近いような遠いような四つの発表を元に様々な意見が交わされた。面白い会であった。その後、懇親会、二次会。今の大学生をとりまく状況のひどさを聞いて頭が痛くなる。私達はこんな国にしたかったのか。今からできることはなんだろうか。大学で真面目に勉強して、良い成績をおさめた学生よりも遊んで過ごしていた学生のほうが良いところに内定がどんどん決まってゆく、という話には昔もそうであったな、と思うのだが、真面目に勉強してきた子たちもとりあえず就職できた時代と、まるで勤め先がないまま卒業を迎える時代とは一緒にはならない。何か根幹から変えないと、明治以降、勤勉であることが高くされ続けて来た国の方向が変わっていってしまったのではないかと感じる。

2014年3月15日(土)

 『日本古書通信』連載、川島幸希さんの「懐かしき古本屋への讃歌」に愛知県刈谷市のあじさい堂書店が取り上げられていた。平成22年7月に亡くなった先代店主、二宮文夫さんの姿を見事に描いている。顧客でもないのにどうして稀覯本を見せてくれたのかを不思議そうに書かれておられるが、大学生の頃から30年ほどあの店に、時には週に2、3度通っていた私にとってはごく普通のことだとわかる。二宮さんは珍しい本が手に入ると、その本についてわかってくれそうな人に見せたくて仕方がない性分だったのだ。お金がないから買うはずのない私にどれだけの本を見せてくれたか。手にとって見てみてよ、なんて、気軽に言われるのだけれど、これ数十万円の本だよな、とこわごわ触ったりしたものだった。この本は元々帯がないんだ、とか、これで揃いなんだ、とか、装釘は川上澄生だ、とか本当に本が好きで詳しかった人。近所にあんな古本屋があったのはとても幸せだったのだな、と今にしてしみじみ思う。

 新刊本関連のイベントを大抵好きになれない。それどころか時折そうしたことについて考えていると、どうしてこんなに厭なのかをぐるぐると頭に厭な感じが巡ってしまってとまらなくなる。つまるところ、誰もが気楽に本に親しむのが良いことであり、大勢で本について語らったりして、本を通じていろんな人と繋がる、といった話を私は信じられないのである。本対人々、という図式が成り立つのはかなり特別な場合であり、基本は本対ひとりひとりの人、なのである。電脳筒井線という特殊な集まりに深く関わったことによって、本はそんなものではない、という意識がより強くなってしまったのかもしれない。カルトな作家の作品をだいたい全作読んでいて、彼とそれらの作品が大好きなのであるという多くの同好の士との邂逅、語らいの日々、なんて奇蹟はもう起こらないわけで、そこで過ごした濃密な時と比べて、なんて浅い次元で本と対峙しているのだろうか、といった腹立たしさが私の中にあったりもすることは否めない。高所から物を言う感じにならぬよう気をつけねば。でも、本ってそんなもんじゃない、とビブリオバトルなどを軽い気持で行っている人達に対しては言ってゆくつもりである。本は個と強く結びついているものであり、個って見も知らぬ人達の前で出し過ぎて良いものではないし、若い時であれば後悔と結びつく可能性のある行為なのである。何年もあとになって参加を悔やむ人が現れる可能性のある行事を私は企画したくない。

 土曜日らしく、利用者の多い日であった。最近また人名辞典を引く人が増えている気がする。それも若い人であったりする。インターネットよりも深く、できれば正確に調べようとしているらしい。

2014年3月11日(火)

 などと、1月の終わりにあれこれ書いたままホームページにあげずにいたことを思い出したのが今朝。歳をとるというのは恐ろしいことだなあ。『われらの図書館』の魅力と危険性についてを書こうかな、と考えたりしています。落ち着いて考えるとあれは司書にとってかなり怖い本であったのです。前川恒雄さんが間違っている、ということではなく、すべての司書が前川恒雄さんではない、ということをついつい忘れてしまって、読むことにより根拠のない妙な自信をつけてしまうかもしれない本であるという点が気にかかるのです。って、もう27年も前に出た本なのですけれども、長く公共図書館で働く人たちに影響を与えていて、今でもその魔力は消えていないと感じています。

2014年1月24日(金)

 気がつけば2014年である。あけましておめでとうございます。って、遅い。遅すぎる。すみません。更新しなさすぎでした。

 1月1日に中学生であるという方からメールを頂戴した。将来図書館司書になりたいと思い、勉強をしているのだけれど、「日本の図書館制度が厳しいことは、存じ上げています。そこで、外国の図書館で働く方法を探しています」とのこと。情けないというか悲しいというか、どうしてこんなことになっているのだろうな、と、ここ何年もずっと自問している私である。さて図書館員の皆様はどう答えますか。私は、以下のようにこたえました。今現在であれば、日本の図書館に就職することは難しく、危険でさえある。しかし、10年後、どうなっているのかは不明である。電子書籍と図書館の関係がどうなるかがはっきりしていないが、紙資料から電子資料へと読まれるものが変わる可能性が高く、図書館の役割は博物館や文書館と近くなってゆくのではないか。もし外国の図書館で働きたいのであれば海外における司書は修士課程以上の資格である場合が多いし、また、様々な勉強をしているうちに今と志望が変わる可能性もあるので、選択肢が拡がるであろうため、海外でも知られている大学院へ進むことを考えておいた方が良い、といった返信をしました。専門性の高い図書館職員以外不要となるのか、今と同じの司書資格がずっと続くのか、10年先のことはさっぱりわかりません。1月5日には中学生が来館し、図書館の仕事についての質問をしてゆきました。この生徒も将来、図書館で働く希望を持っていそうだったので、10年後のだいたいの話をしておいたのでした。彼からの質問で悩んだのが、中学生のときは何になりたかったか、というもの。40年も前のことなのでよく覚えていない、と言いながら、先生になりたかったと思うと答えておいたのでしたが、ミュージシャンになりたかったことがあったな、とか、絵が下手なのにマンガ家になりたかったりもしたな、などとあとから思い出したり。

 私はそれほど図書館で働きたかったわけでなく、本に関わる仕事に就きたい、とか、あってもなくっても、なくってもなくっても良いような仕事に就けたら良いな、という風に大学の時には考えていたのだ、といった記憶も蘇ってきました。図書館員のなかには子供の頃から図書館で働きたくてたまらなかった、という人がいます。図書館で出会った本、図書館の職員に影響を受けたとのこと。私はあまりひとに影響を与えるのは厭だな、と思いながら仕事をしていて、自分で選んだり決めたりしてね、といった感じになるよう努めています。図書館員が選んだ本コーナー、とか、図書館員お勧めの1冊、というのは私の生理にあっていません。そういうことをどうしてもしないといけない場合には、書評集みたいなものをきっと選ぶことでしょう。あなたに教えてもらったあの1冊で人生が変わりました、とひとから言われるような人になるのは困るな、と考えるのです。

 それにしても日本の公共図書館はどうなっちゃうのでしょうね。10年くらい前から感じていたのが、『市民の図書館』一辺倒の公共図書館運動と、出版動向の変化、司書の専門性の低さとが相まって、無料化資本屋化が進んじゃっているな、という危惧。9割くらいの人が図書館に求めるのが、今流行っている本、すぐに役に立つ本を早く借りること。それ以外の図書館の機能を必要としていない利用者が数多くいるわけで、彼らの要望に即座にこたえるのが自治体のすべきことだ、となれば、そこをより一層充実させよう、とするのは自明。そうではない、こうしたことが重要であり、それがなくなっては図書館本来の存在意義がなくなってしまう、といったような論がある程度出てきても、数の多さに立ち向かうのはとても大変。こういう風になるであろうことをまるで予想しなかったわけではなかっただけに、どこかで何かを言わなかった自分の責任を感じている今日この頃。ただ、救いは電子書籍を図書館で貸出できるようになる時代が来そうであること。流行の本を読むためだけであれば、9割くらいの人達は自宅にいて、自力で用を足せることになるのです。それ以外の、無料資本屋ではない、専門性の高い司書の仕事がきっと残る。それができるだけの資質を持った人が要る、と分かる人もきっと居て、何かがどうにかなってゆく。といったことが希望。と、書くと、あなたはその頃定年が来る頃で良いでしょうが、私達はどうなるのですか、といった話になろうなあ。国の、国民の質が変化してゆかなくてはどうにもならないような問題なのだけれど、図書館と図書館員だけの力でそれをなんとかしてゆくのはかなり難しかったし、これからも難しいと私には思えます。どこがどう変わるとよりよき人々が過ごす世界になるのでしょうね。

10月1日(火)

東京新聞「変わる知の拠点」がWebサイトでも見られるようになった。「第3部揺らぐ司書像(4)正規職員」を読まれた方からご質問をいただいたのでお答えする。

Q:郷土史については司書以外にも郷土史家、学芸員も詳しいが、郷土の調べものを利用者に説明するのが司書でなければならない理由はあるのか。

A:郷土の歴史に携わる学芸員は朝から晩まで郷土について調べているので、専門的な知識において司書が勝負しても勝てません。しかし、学芸員や郷土史家に一般市民が接しやすくはない、ということは言えます。また、学芸員、郷土史家は専門分野においてはとても詳しいけれど、その町の歴史全体について多岐にわたってすべて詳しいという人はあまりいません。網羅的にだいたいわかっているという点については司書のほうに分があります。郷土史家、学芸員、一般利用者が図書館に調べにきたときに様々な会話をし、彼らの調べていることがおおよそどんな内容で、どういった資料を使ったかを司書は覚えるようにしているためです。また、図書館に郷土の調べものをしにきた利用者が調べている分野に詳しい郷土史家や学芸員がいる場合においては、利用者を郷土史家や学芸員に紹介することもしています。郷土史家、学芸員は専門性がより高く、司書は汎用性が高い、ということが言えるかと思います。

Q:ある調べものに対して、利用者がどれくらいそのことについて知識があるのかを判断して答えるのは大変でしょうが、それはできるのですか。

A:司書は様々な分野についていろいろなことを知っているべきで、私は日常、知識を多く得ようと心がけた生活をしています。利用者とやりとりをするうちに、その人が調べようとしている内容をどれくらい理解しているのかを判断するのは難しい仕事です。提供する資料が利用者にとってわかりやすいものか、あるいは簡単すぎやしないかという点についてはいつも注意をしています。すべての調べものに対してそれができているか、と問われれば、全く私の知らない事柄についての調べものを受けることもないではありません。そうした場合、中身について詳しく尋ねると、大抵は一般の書籍では間に合わないことが多く、ciniiなどによる論文の検索方法を説明したり、大学からの相互複写、あるいは直接大学図書館へ案内したりしています。勿論、ただただそのことを私が知らなかった、というケースもあります。そうした積み重ねをずっと続け、知らないことを少しずつ減らすことが司書の専門性を高めることとなる、と考えています。

9月12日(木)

東京新聞夕刊文化面メーン記事「変わる知の拠点第3部揺らぐ司書像(4)正規職員」に私の話が少し載る。名古屋市瑞穂図書館長の田中さんと一緒に載ったのはうれしいことであった。短い字数で沢山の内容を盛り込んでくださったため、少し伝わりにくいところもあったかもしれない。補足をしておく。まず、前提として私が話したのは、狭いエリアの自治体についてでなく、全国津々浦々の公共図書館のことである。昔は司書職制度を敷いてはいなくとも図書館では司書が働くべき、との感覚を持っていて、一般職員が異動してすぐに司書資格をとりにゆくシステムを持った自治体があった。資格があるのとないのとではある方が良いに決まっている。また、館長が司書資格を持っていると、新館を建てるとき、国から補助金をもらえる制度が昔はあった。そのために建設が決まりそうなとき、館長候補が司書資格を取りにゆき、建ったら役所に戻る、という自治体もかなりあった。この制度がなくなってから、司書の館長で運営する図書館は減った。当然ではあるけれど資質と熱意は職員によって差があったのだが、向いている人もやがて役所に戻っていくというもったいないことになっていた。やがて図書館を指定管理にしてよいことになった。その1:司書職制度を敷いている町。その2:異動してきた一般職に司書資格を取らせる町。その3:本にまるで興味なく、意に沿わない異動をさせられた人達が選書からなにから図書館業務すべてを行っている町。と、おおまかにわけると自治体による図書館の運営はこんな感じの3種類があった。「その3」の図書館であれば指定管理になってよくなったと言われるであろう、と私は考えている。また、しっかりとした司書職制度が敷かれている大きな町の司書であっても割と簡単にとれる資格であるためその質はまちまちであり、司書資格自体の見直しができないのであれば、採用の折に慎重にすべきであろうとも話した。即戦力が欲しい、ということよりも、幼少期にどれくらいどのように本と接したかによって伸びしろに違いがある、と歳を経て感じるようになったためである。このあたりのことについては、論文「日本の公立図書館におけるこれまでとこれから」でも触れている。電子書籍が紙の書籍を凌駕するようになれば、公共図書館は劇的に変化し、そこで必要とされる司書の質はより高度となろうとも話した。ま、だいたい、このホームページですでに書いたような気がするのではあるが。

9月7日(土)

気がつけば9月。時の流れは早いものである。夏休、どたどたしているうちに終わった。小中学生の調べ物が減っている。インターネットでなんとかしているのであろうか。来館者、貸出数はここ数年減り続けているのだが、窓口のどたばたした感じはあまり変わっていない。相互借受が増えていたり、難しいレファレンスが増えているせいかもしれない。

選書、郷土資料のレファレンス、中規模公共図書館ではなんともならないけれども、教えることのできる難しい調べ物の調べ方について、相互複写、貴重資料の出納、児童に向けたイヴェント、学校との協力といったあたりが、10年後にも残る仕事であろうか。児童サービス以外の箇所はキュレーターと近い仕事になることであろう。読書案内というのも残るかな。でも、Webに信用のおけるそういう趣味のひとが100人もいれば事足りる気がしないでもない。読書の秘密を守る、といったあたりが気にならない人ばかりであれば。ビブリオバトルというのが流行っている。若い頃の私であれば、絶対関わらないイヴェント。本と自分の距離、本と他人との距離、本と自分と他人との距離の問題について真剣に考えるひとは、そもそもあまり沢山はいないのであろう。

しばらくまえ、新聞社の方から取材を受けた。司書の専門性について、公共図書館におけるひとの問題といった内容。その取材のあと、ずっと前から問題があったのだが、図書館界がそこについて根本からなんとかしようとしていたのか、といったあたりについて考えている。司書資格がある職員を図書館に配置すべき、という主張は繰り返されていたわけだが、図書館雑誌など内輪にむけてしていても力があったとは思えない。認定司書が3年経っても世間の誰も知らないのも同じ動き方をしているためである。これで良いわけではない、と考えてはいたものの、方法はなかなか難しい。世の中において声が大きな人、幾度も報道をされるところが立派なのだ、と思われるのだから、そのあたりについて何かしてゆくべきなのだが、私にはそれは向いていない気がする。

明日9月8日、NHKFMの東京JAZZの中継番組に昼から熊谷美広さん、夕方から村井康司さんが出演なさるとのこと。お二方とも朝日ネットで知り合った友達。仕事で途中からしか聴けないが、うれしい話。

5月18日(土)

朝、電算トラブルでどたばた。1時間くらいで復旧。督促電話を沢山かける。この仕事を好きだな、と思う。わかりやすい正義。土曜日なのでなかなか混む。

5月17日(金)

どたばたと過ぎる。近頃の主な仕事はいっぱいになった開架といっぱいになった閉架をなんとかすること。ここまでぎゅう詰めではまずかろう、というところまできてしまっているのであった。閉架に入れると尋ねにくい関連の本は開架に出しておかねばならないのだが、最近はヒトが変化したためか、え、そんな本閉架にしまっちゃったっけ。よくぞお尋ねくださった、といった本のタイトルを口に出してくださる妙齢の女の方がいらしたりする。そしてその本は開架に戻したりするわけである。沢山本があり、開架にあった方がよいのか、閉架で構わないのか、といったあたりの判断をしてゆくのはとても専門性の問われる作業である。

古い友達である荻窪圭さんが『タモリ倶楽部』に出演。関東エリアでの放送は今日の深夜なのだが、名古屋近辺では多分26日午前1時50分からなのではないかと思われる。

5月16日(木)

気がつけば新年度の5月も半ばである。今日はなごやレファレンス探検隊であった。発表を予定していたひとが急なご都合で出られなくなり、私がこのごろ思っている、「司書であれば知っていないとまずいのだけれど、なぜか司書資格取得の時に学ばないこと」について話をしたい、と申し出たのであった。中身は、出版社と本との関係、調べものとは何か、辞典のつくりかた、書誌のつくりかた、郷土資料に強くなるには、司書の日常生活はどうあると良いのか、といった話。出版社を気にしていない司書がなぜか居て、それでは本を選べないし、提供の時、その本は信用できるのか否かの判断もできないわけで、それではまずかろう、とか、自分が調べものをしないのに、他人の調べものについて、なぜ調べようとしているのか、何を調べようとしているのかをわかるのか、とか、そんなような内容。私の中では、本が好きで調べものが好きな人であれば中学の頃から普通にわかっていると思われることであり、司書の資格を取るくらい本に興味があるのだから、それは当然わかっているという前提で彼らと接してきていたのだけれども、どうやらなぜかそうではない、と10年ほど前にぼんやり感じ、最近、確信に変わったので、そこから始めないといけないのだと思うようになってきたのである。

休みの今日は更衣をしたのであった。なぜ夏のほうが服が多いのであろうか。名古屋シネマテークで『ホーリー・モーターズ』を観る。かなりへんてこな映画だが、面白かった。