図書館員日記 2012

3月16日(土)

 このところ、利用者が減っているのだが、今週はなぜか混む。利用者が減っているのは図書館界全体がそうである。インターネットの普及により、調べものに図書館へゆかなくても済む、と考えている人が多いこと、読むものが増えていることは挙げられるであろう。ほんの少しの、あれが気にかかる、記憶が曖昧だ、といったことの調査であれば、インターネットサイトで問題なくできる。そうそう、それに間違いない、と本人が安心したいがための調べものというのはままある。大学の時、夜に友達の下宿で会話をしていて、あるプロレスラーの名前がわからなくなり、気になって仕方がなくなって彼と二人、遅くまで開いているプロレス関連図書を多く揃えている本屋へ出かけたことがあった。図書館員向けの性格とはこうしたものなのではあるが、そんな困った状況を解消するために、書店や図書館でなく、ウィキペディアがあったりする。知らないことを確実に多くの情報によって知りたいということならば、図書館は有用であろうが、忘れたことを確かめたいとか、ほんの少し気にかかっていることをだいたい知りたいという場合、インターネットで済む。図書館の参考資料があまり使われなくなるのは当たり前のことである。そしてインターネット上に資料、情報が増えれば増えるほど司書の仕事は減る。未来の知について、我々司書が考えねばならないことは山のようにあるはずなのである。

3月11日(月)

 ぼんやりしていたら3月である。ぼちぼちとこの日記を書いてはいるのだが、FTP送信をしていないので当然ながらいつまで経っても更新されていないのである。

 先月、中学1年生が職場見学に来た。将来は図書館で働きたいとのこと。大学を卒業するのは留年、浪人しなければ9年後。図書館の世界はどうなっているであろう。この図書館が好きで、できたらここで働きたい、という中高生が今まで幾人来館したか。ここで働くことはほぼ無理、といった返事しかできない職場。昔は正規司書の採用が予定されていないといった理由からであったのが、指定管理化の可能性についても語るようになり、今は、電子書籍が公共図書館に及ぼす影響についても説明する必要がある。実際9年後にどうなっているのかは楽しみなくらいである。電子書籍の貸出が紙の書籍よりも増えたら、今居る図書館員がどれだけ不要になるのかがはっきりする。残る仕事は何か。司書はどのように変質するか。かなり高度な専門性が求められるようになり、館の数が各自治体ごとに要るのかどうかが再検討されているのではあるまいか。中学生に言ったのは、図書館員に高い専門性が必要となるであろうから、つきなみではあるが、しっかり勉強をした方が良い、といった内容。どれだけ勉強しておいても図書館で役に立たないことはないのだから。

 3月5日に愛知学院大学の図書館で行われた内野安彦さんの研修講演に休みをとって出かけた。内部の研修なのだが、知人が呼んでくれたのであった。内野さんは鹿嶋市の図書館長を経て、塩尻市の図書館長となり、退職し、松本大学松商短大部非常勤講師をしていらっしゃる方。図書館のブランディングについて。その町の記憶を保存するための図書館というお話に肯く。あとで尋ねると、私の勤務館にもいらしたことがあるとのこと。どことなく妙な感じの利用者がきていた記憶が蘇った。

 今日は中部図書館情報学会の理事会があった。来週は「大学院生・学生と図書館員の交流会」があるので、その打ち合わせなど。

1月11日(金)

 気がつくと年が明けている。twitterで福井県立図書館の「覚え違いタイトル集」というサイトがかなり話題になっている。利用者がタイトルや著者名、出版社の勘違いをなさっていることはほとんど毎日ある。私がそれを集めておこうと考えたことはなかったので、以前見たとき、ああそうした手法もあるのだなあ、と感じたのだったが、これだけ見る人が増えてしまうと、あれはしても良いことなのだろうか、と気になりはじめた。間違えた人に掲載許可を取っているのであれば問題はないが、そうでないとしたらかなりまずい。司書の専門性をわかりやすく示しているし、間違えやすい本について書いている点は良いのだけれど、誰だって間違いはするわけで、まして相手はお客様である。私が経験した事例のなかでも、昔読んだとても大好きな本を久しぶりに読みたくなったから、といらした方が書名、著者名とも誤ってしまっていたというのがある。ずいぶんと気落ちなさっておられたので、「こうしたことはよくあるのですよ。内容を覚えていらっしゃるのだし、それほど大きく違っていたのでもないじゃないですか」と話したりしたが、それでも簡単に立ち直ることができた様子ではなかった。例えばそんな方のケースをああしたところに揚げて、そのひとが目にしたら、と想像すると何とも言えぬ気持になる。『図書館の自由に関する宣言』の「利用者の秘密を守る」に抵触するかしないかは微妙なところであろうが、本という繊細なものを扱う仕事をしている人間のして良いことがどうかをどれだけ考えた上で作られたサイトなのかが気がかりである。同じ内容を、例えば模造紙に書いて館内に貼りだしたらどうであろうか。インターネットの広い世界に、どこかの誰かの覚え違い、として書くと、それを読んだ人はひとごとだな、と距離を置いて読めるわけだが、間違えた当事者が存在しているのは確かである。もう少し配慮が必要なのではなかろうか。

12月2日(日)

  なぞなぞ商会の復活ライヴを観る。30年ほど前は後ろのほうでこっそり観ていた。そうでないと、なにをされるかわからなかったからである。客席からステージへ上げられて、Tシャツにマジックでサインされたり、服を脱がされ、肌にサインされていた人がいたり、ぐちゃぐちゃにしたバナナを手にして客席になだれ込んできたり、と、思えばそんなバンドであった。しかし、もう彼らも50代の半ばから60代。そんな無茶はしまい、と一番前にいた。冒頭から糸こんにゃくを投げられた。臭い。足もとが滑る。昔、なぜそんな目に遭うとわかっていながら、観に出かけていたかと言えば、音が良いからである。フランク・ザッパのコピーバンドなのだが、オリジナルの良い曲もあり、演奏が見事。そして合間の喋りがおもしろい。演劇的でもある。それになにより真面目なのである。真剣にふざけていて、時に本気で怒っている。狂気を感じるくらいのライブもあった。さすがに今の彼らは毒気が抜けてはいた。しかし、在り方の根底が変わってしまったという風ではなく、なぞなぞ商会はやはりなぞなぞ商会であった。これが最後のライブとのこと。

10月29日(月)

 久世朋子さんのお店、茉莉花が今月いっぱいで閉店するとのことで、なんとかゆきたかったのである。そして出かけた。いつもの友達が3人。隅のほうに私はいたのであった。作家の方が幾人かいらした。その後、新宿の猫目、風花。充実した時間であった。

9月19日(水)

 仕事をはやびけし、日本図書館研究会愛知研究例会の発表。若い人がある程度来る、と予想した内容にしたのだが、年輩の方の多い会であった。『市民の図書館』の貸出重視、市民の要望重視、さらにリクエスト・予約、相互貸借を出版状況の変化を考えずに勧めてきたことが、結局窓口委託、指定管理がしやすい状況をつくったのではないか。延滞をしていても貸出をする図書館がとても多いが、社会教育施設として、公の施設として市民への公平性が担保できていないのではないか、といった話をはじめにする。名古屋市の図書館員やOBが幾人か居、リクエスト・予約を増やす運動を進める運動の中心的な人もいる超アウェイな感じにわくわくした。何年後になるのかははっきりしないが、少なくとも20年後には紙の書籍を読む人の数と電子書籍を読む人の数は逆転しているであろう。現在30歳のひとが50歳になる頃。その時、図書館にどういう職員が必要とされているのか、そもそも、今、どれくらいの場面で専門性の高い司書が要るのかを冷静に考えるべきではないか、と常々私は思っているのであるが、歳の大きなひとほど自分を含めた司書の値打を高く見積もりがちである。私は専門家としての司書である、と言うひとが幾人も図書館界にいるわけだが、それで何ができますか、世の中の誰がどれくらい必要としている仕事でしょうか、と問われて、数にして回答できないわけで、今の時代、残念ながらそれでは許されなくなってきているのである、といったあたりについてしっかりと認識してゆかねば、未来の図書館員の道が築かれてゆかない、と私は考えるのである。図書館員がしっかりと認識すべきは、本を読むひとより、読まないひとのほうが世の中には多いこと。本を読むとは言っても、娯楽小説以外読まないとか、レシピだけしか読まないひとがかなりいるということ。調べものをするひと、本らしい本を読むひとのため、あるいは将来そうなる人に対してだけ仕事ができる、などという幻想は図書館員のなかの誰にもないのだろうけれど、じつのところ、そのような利用者たちの中だけにしか専門知識を持った司書を必要とする人はあまりいないのではないのか、という気がする昨今である。そうでなければこんなに簡単に指定管理者制度が図書館に導入されつづけたりはしないはずである。人々の頭の中を守る仕事をしているのだから、それにふさわしい技量を持ち、そうと世間にわかるようにつとめねばならないのであるが、実に難しいことである。

9月17日(月)

 気がつけば夏休も終わって9月である。夏休のはじめはいつもの年と同様、ばたばたであった。高校生の息子の宿題を母親が調べにくる、といった例年のような事件もあった。なんとなく違っていたのは、夏休のおしまい近くになってかけこみで調べにくる子供が少なかったことと、そもそも子供の自由研究などの質問が少なかった点である。インターネットの普及が影響しているのであろうか。

オリンピックはぼちぼちと熱心に観戦。開会式が良かったので、閉会式も期待し、早起きして観ていたのだったが、アナウンサーの無関係な喋りと、ステージや花火を映さない画像に唖然。

8月18日、20周年記念のグランパスの試合は最悪であった。トヨタからの帰り道がとても長かった。19日には友人の森香さんと、なぞなぞ商会のヴォーカル遠藤豆千代さんとのライヴだった。森さんは広島にツアーに出かけた際、足を骨折したとのことでギプスをしていた。ザ・ダーツ『ケメ子の唄』、ザ・テンプターズ『今日を生きよう』など懐かしい曲たち。遠藤豆千代さんが白塗りでなく、ノーメイクで歌ったのを初めて観た。終演後、森さんが私を遠藤豆千代さんに紹介してくれた。なぞ商の様々な話や遠藤豆千代さんがある雑誌に投稿していたことについてや、一番の疑問であった顔を覆うような小便器のお面をどこで手に入れたのかといった質問をしたり。30年前にとても好きだったバンドの人とこんな風に話ができる日が来る不思議。

9月9日に七ツ寺共同スタジオで『東京アパッチ族』を観た。大学のときの知り合いである加藤智宏君のプロデュース。派手で社会派でコミカルで外連味のある見事な群衆劇だった。

9月12日にはネットワーク研究会があった。去年は県内最後の1冊となっている各館の資料保存について、という明確なテーマでの検討会だったが、今年からは多岐にわたる内容であり、進行役の私がテキトーなこともあって心配なのだが、かなり様々な事柄がなんとかなっていった。

9月16日に豆異℃のライヴ。森香さんと遠藤豆千代さんのいるバンド。こちらは白塗。なぞなぞ商会を観にいっていたときには、友達とこっそり静かに地味にしていたのだが、この頃は顔見知りの人が増え、開演前にあれこれと話をしたりもした。55歳であちこち身体の悪い豆千代さんだが、パワフルな歌であった。私はロックが好きだな、と今更ながらに思った。

明後日、日本図書館研究会愛知研究例会で発表をするための準備をぼちぼちしっかりとせねばと思う。

7月20日(金)

 東京都立現代美術館で『館長庵野秀明 特撮博物館』を観る。特撮への愛情溢れる展示。『巨神兵、東京に現る』はとても良い作品だったし、メイキングが興味深かった。子供の頃好きだった特撮の世界を存分に楽しむことができた。と、昨日今日とまるでおたくのような過ごし方をしたのであった。

7月19日(木)

 学生の夏休期間が始まる少し前の今日と明日、休みをとって東京へゆくことにした。北浦和の埼玉県立近代美術館で行われている『ウルトラマン・アート』を観る。ウルトラ警備隊、キリヤマ隊長のヘルメットや、ウルトラマンに出てきた怪獣のなかで一番私の好きだったゴモラの頭部があったりして、ノスタルジックな気分にひたった。弥生美術館へゆき、『大伴昌司の大図鑑展』を観る。少年マガジンのグラビア特集や、怪獣図鑑を編集したことで知られる人。ずいぶん前、彼の評伝『OHの肖像』を興味深く読んだことを思い出す。

 

夜、久世朋子さんの『茉莉花』へゆき、友達三人と飲む。レコード会社のプロデューサーだった方が、歌謡曲にまつわる楽しい話をしてくださって盛りあがる。私は以前、朝日ネットで日本の音楽の会議室の運営をさせてもらっていたのだったが、歌謡曲をかなり好きであることをこのごろしみじみ思う。その後、新宿の『猫目』、『風花』に連れていっていただいた。めくるめくような一日であった。

7月16日(月)

 図書館でボランティアをしたいという高校生が来館。将来は図書館に就職を希望しているとのこと。日本の公共図書館で専門職として働くとはどういうことなのか。数年後、図書館がどうなっているのか、といったことについて、説明をする。本当はこんな話をしたくないのだけれども、子供の頃から本と図書館が好きだ、という若者に対して真摯に現実を伝える義務が、図書館で長年働いてきた私にはあると思うのだった。電子書籍が普及し、建物としての図書館の意味が変質し、それでもまだ必要な専門性を持った職員とはどういう存在であるか、について、をこのところずっと考えている気がする。

7月14日(日)

 休み。マックス・エルンスト展を観る。日曜なので混んでいるかと思ったらがらがら。横浜でもあまり人気がなかったと聞く。可愛い作品が多いのだが。

7月3日(火)

 今朝、ずっと飼っていたノラが死んだ。17歳。今年初め、腎臓の数値がかなり悪くなっていて、4分の1ほどしか機能していないとのことであったため、点滴を週に幾度か受け続けていた。ずっと元気でいたのだったが、眠るように逝った。

7月2日(月)

 長い間、日記を書いていない。学校図書館へのサービスがはじまり、先日、ブックトークを小学4年生向けにする。割と好評。

 

今日は中部図書館情報学会理事会。今年度のスケジュールが決まる。

4月26日(木)

 分館への勤務。朝、混む。郷土資料に寛永4年の地震、津浪についての記述があることを知る。被害の程度は不明。一日がどたどたと過ぎる。

4月25日(水)

 休み。ノラを朝、病院に連れていく。無理矢理に飲ませている錠剤が2種類となる。朝晩2回とのこと。少し気が重くなる。

 ダルデンヌ兄弟の『少年と自転車』を観る。はじめのうち、これは好きなタイプの作品ではないな、と感じたのだったが、少しずつ面白くなってくる。おしまいが良かった。映像が美しい。  中部図書館情報学会の理事会。もうじきある総会について、など。

4月24日(火)

 勤務地の知らなかった歴史の書かれた資料を持ってきてくださった利用者がいたのだが、その資料を所蔵していたのであった。大正期に書かれたものを、昭和初年に採録したもの。調べたことがあったのだが、まさか20年ほど後の資料にあるとは考えていなかったのだった。

4月23日(月)

 猫のノラが17歳で腎臓が良くなくて、このところ頻繁に犬猫病院へゆく。元気ではあり、飛んだり走ったりはしているのだが。

 『SPEC 天』を観る。テレビ版の『SPEC 翔』を観落としてしまっているため、ああ、ふうむ、とよくわからぬところのあるまま観たのであったが、1960年前後生まれにしかわからないような、小さなギャグが面白かった。加瀬亮が良い。しっかりとした娯楽作であった。

4月22日(日)

 昨日もなかなか混んだが、今日はへろへろになるくらいどかどかと利用者が来た。調べもの多し。

4月19日(木)

 午後、愛知県公立図書館長協議会にネットワーク研究会の報告。慣れないことで疲労。終わってから名古屋の館長らと話す。ぼんやりしていると、昔は良かった、という話題になってしまう。私はなんとなくインターネット出現以前の世界がこの頃とても懐かしかったりする。

4月18日(水)

 休み。岡崎市美術博物館の「巨匠たちの英国水彩画展」にゆく。『坊ちゃん』で初めて名を知ったターナーの作品は幾度か見ているのだが、歳のせいか、これはかなり良いな、と感じる。ジョン・エヴァレット・ミレーの作品も良かった。  夜、瑞穂に天津泰達戦を観にゆく。スコアレス・ドロー。終わってから名古屋の図書館のTさん夫妻と残念会。

4月15日(日)

 『東京プレイボーイクラブ』を名古屋シネマテークで観る。臼田あさ美は妙な雰囲気で良いし、光石研も大森南朋もうまいに決まっている。はじめのところの小気味よいスピードが途中で変化してきて、展開がすこし良くなくなり、失速したのではあるまいか。

 MLA名刺交換会@名古屋という会に出る。出席者26人。博物館、図書館、文書館をMLAというのだが、実際の参加者は図書館関係者ばかり。初対面の人がかなりいた。私が最年長ではなかろうか、と思っていたが、2人年上で少し安心。しかし、若い人が多い。お父さんの方が私より年下という世代が働きはじめているのであった。文化施設の未来像が私のなかにあまり見えてこないため、こうした集まりに積極的に出かけているのだが、どうもはっきりしてこない。

4月14日(土)

 今日から三連休。風邪をひかぬように気をつけねば。グランパスは豊田スタジアムで札幌コンサドーレ戦。客はそれほど入っていなかった。おしまいの1点は余分だったが、快勝。

4月10日(火)

 『アーティスト』を観る。映画とは何かについて少し考えた。作り手の映画を好きだとの気持がよく伝わる作品。『ドライヴ』を観る。  猫のみゃお(4歳)がしばらく前に怪我をし、家から出さぬよう言われているため、夜中に大騒ぎをしていたりする。

4月2日(月)

 『僕達急行』を観る。ゆったりとしたほこほことした、『の・ようなもの』を少し思い出すような作品。森田芳光の遺作か、と思うと観終えて少し涙が出た。思えばこの監督の初めの頃の作品はケンちゃんが出ていたものやシブがき隊が出ていたものまで全部観ている。『家族ゲーム』、『ときめきに死す』、『それから』は大好きで、何度か観ている。『僕達急行』はストーリーがあまりにご都合主義だが、そこがまたなんだか良かったのだった。ありがとう森田芳光監督。

4月1日(日)

気がつけば新年度である。熱は下がったものの、咳が続く。利用者の来方には今日も波があったのであった、なんとか乗り切れた。隣町の図書館も使っている、という方が、「この図書館は民営化になったりしないよね。あれのメリットはどこかね」と焦った感じでお尋ねになられた。丁度空いていた時間帯だったので、少し説明。民営化ではなく、指定管理という方式であること、近隣の図書館における指定管理化のメリットは運営費の削減である点、今のところ、というか、今年私の勤務先が指定管理になることはないこと、などを話すと、「ところで、その、指定管理になっちゃった図書館は誰が本を選ぶことになるのかね。市の専門の人じゃなくなるの」「ええ。指定管理会社が選ぶことになりますね」「どちらが良いのか、簡単には判断できないけれど、なんだか私みたいに、お、こんな本がある、と来て選んでいる人間にとっては困ることになるんじゃないかな。市の文化水準を示す施設でもあるのだし」とおっしゃってくださったのでした。ほかにも過去に、「指定管理とか窓口委託とか、そんな風になったら、私困っちゃうわ」と言っていらした方もあるし、図書館をとても大事に思っておられる人たちに、例えば鯖江市立図書館の友の会のように集まって何かをしていただかないともったいないような気がしてきた。

昨年、確か書き損ねたが、ムーンライダーズの活動停止前の中野サンプラザでのライブに出かけたのであった。その模様がWOWOWで先日放送されていたのを録画してあったので、観てみたところ、私がかなり大きく映っていた。ぎりぎりにチケットを買ったのだが、一番前の席であったため。しかし、また活動をはじめてくれぬものか、としみじみ思う。