図書館員日記 2010

3月31日(木)

遅番なので、朝インターネットラジオを聴いていたら、ボブ・ディランの『ライク・ア・ローリングストーン』がかかる。なんとなく久しぶりに聴いた気がする。年度の終わりの日はどたどたと過ぎる。閉館近くに、銀杏BOYZのTシャツをきた若者とその恋人とに接客。銀杏BOYZの話や、峯田和伸の話をするうち、『アイデン&ティティ』について話題を転じた際、不思議な感覚にとらわれる。あの映画のエンディングは『ライク・ア・ローリングストーン』。シンクロニシティはしばしば起きるものである。

3月30日(水)

昼休に直販の出版社とか澤の大会のなんとかなど、いろいろと振り込む。お金というものはあっという間に減るなあ、としみじみ感じる。

比較的余裕のある日であった。

3月29日(火)

『ふうらい姉妹』というマンガを読む。最近あまりマンガを読んでいなかったのだが、これは毀れている感じが面白かった。

交流会の原稿起こしがほぼ終わる。

日本代表対J代表の試合をテレビ観戦。三浦知良すごい。

3月28日(月)

『トゥルー・グリット』を観る。女の子がかわいい。おしまいのあたりがいかにもコーエン兄弟。良い映画だった。

3月25日(金)

内示が出る。私はそのまま。

3月24日(木)

俳人の読書会の日。楽しい仕事。

3月23日(水)

休み。澤で永田耕衣の特集をするとのことで、耕衣の本が何冊か置いてあったな、と古本屋あじさい堂へ久々にゆくと、娘さんが、「父が亡くなったことは話しましたか」と言う。いつのことですか、と訊くと去年とのこと。80歳。それ以降も2、3度か行ったが、確かに主人はいなかった。30年近く通った店。ここ数年は月に1度ほどしか行かなくなっていたが、それより前には毎週必ず出かけ、買うものがなくとも本の話をして帰ってきたものだった。娘さんからはお礼を言われたが、こちらこそ買いもしないことがわかっている貴重な本をよく手にとって見させてもらったりしてお世話になったと頭を下げた。

重たい気分のなか交流会の原稿まとめ作業をする。

夜、友達にメールをすると、返信に、共通の友達、10年くらい前までは数年間毎日のように小説や俳句についてのメールをしていたひとが10日ほど前に亡くなったと書かれていた。まだ40代の半ば。とても仲の良かったひとの訃報を続けて聞く不思議な日であった。

3月22日(火)

休み。『冷たい熱帯魚』を観る。でんでんがすさまじい芝居。黒沢あすかが怖い。スプラッタすぎるが、ところどころユーモラスで息が抜ける箇所がある映画。おしまいは私には唐突だったというか、そこまでの感情となる理由がよくわからなかった。しかし園子温は大傑作『愛のむきだし』を超える作品を作るのが大変であろうなあ。

先週の中部図書館情報学会での交流会発表をまとめる作業をする。かなりの量かもしれない、といまさら気づく。

3月21日(月)

なかなか混む。明日は休館日なので今日のうちに返しにきてくださいね、と延滞督促をする。

3月20日(日)

出勤前にWebサイトやtwitterで図書館や本についての情報を集める、というか眺める趣味があるのだが、なんだかつらい昨今。

普段と同じくらいの混み方の日曜日。延滞督促。

 

3月19日(土)

土曜日としては空いていた。難しいレファレンスが時折ある。延滞督促の電話をかける。

 

3月18日(金)

休み。名古屋市美術館で開催されているゴッホ展にゆく。名古屋市美術館でこんなに人がいたのを見たのははじめてだった。ゴッホばかり沢山見るとくらくらするだろうなあ、と思っていたが、やはり少しくらくらした。

 

3月17日(木)

朝、カウンターに入り、11時過ぎに仕事場を出て、愛知県図書館へ。ネットワーク研究会の日。いつものことだが沢山喋ってしまった。

 

3月16日(水)

見計らい、発注、来年度用のあれこれ、カウンター業務。慌ただしく過ぎる。

 

3月15日(火)

利用者多し。年度末のあれこれでどたばたと過ぎる。

 

3月14日(月)

午前に中部図書館情報学会理事会、午後から愛知淑徳大学との共催事業である学生と図書館員との交流会。10分の発表5本のあと、それぞれ質疑応答。終わってからさらに討議。我が国の図書館についての問題をさまざまあれこれ論じる。沢山喋ってしまった。

 

3月13日(日)

午前中の利用者少なし。午後混む。

 

3月12日(土)

地震の被害の全容はまるでわからない。津波が怖いことはスマトラの映像で知っていたが、日本でこれほどの災害が起きるとは思っていなかった。

レファレンス講座を行う。受講者は4人の予定だったが、1人欠席。少人数ではあったが、熱心に聞いてくださった。ciniiやレファレンス総合データベース、国立国会図書館の書籍のデジタル化事業については普通に生活している人たちには知られていないことがわかる。

 

3月11日(金)

カウンターにいるとき、隣にいた臨時職員さんが「あの看板揺れていますよね」と言う。「揺れているね」「地震ですよね」「地震だね。変な揺れだね」と私。利用者に「みなさん、本棚から離れてください。地震です」と大きな声で言うが、地震だと気づいていない人が多い。淡々とカウンターで本を借りていく人もいるので潜ることもできない。ずっと揺れている。五分ほどでおさまる。書架を見て回るが利用者も本も無事。「こんな変な地震は生まれてはじめてだ」と言うと口の悪い後輩が「じゃあ半世紀はなかったということですね」と言う。Yahooを見ると東北で大変な状態であるのを知る。

年度末なのであれこれどたばたと仕事があったのち帰宅。少しだけテレビを見るが恐ろしくて消す。

3月10日(木)

法律に関するレファレンス。インターネットを使うことができるというので、探し方について説明。法令は総務省が出しているので間違いないが、ほかのサイトに関しての信憑性についてはご自身で判断する必要があるといったようなことを話す。利用者のお話がそのままであれば、法令にしっかりと書かれていることと一致。訴訟を起こせば良いのですね、と尋ねられたので、それには事実を確かめることができるかどうかなど、様々な別の事柄が絡んでくるでしょうし、法律の専門家にご相談なさるべきでしょう、と答える。法律に関連するレファレンスへの対応は司書によって様々であろうが、調べ方やその後どういった方策をとればよいかという基本的なあれこれからわからない利用者がかなり来館なさるわけで、法律相談に出かけるまでの知識の準備のための手伝いくらいはすべきではなかろうか、と私は考えるのであった。

最近多い質問に、買おうと思う土地が以前田圃や池ではなかったかの確認ができる地図がないかというのがある。以前、よくよく調べたらその地番は山だったが、溜池もあり跨っていた、などというケースがあったため、GHQが撮影した1948年の航空写真ではそこまではわからないことが判明している。戦後埋め立てた土地で保存されているものがあるとしたら、税務課の固定資産担当にゆき公図を見せてもらえば一番堅いし、近所のひとに聞いてみるのも良い。住宅地図の古いものだと住宅がないところについての細かい図面はないし、なかなか難しい質問である。市町によっては明治大正昭和初期の詳細な図を保存しているところもあるのであるが。

隣の町が再来年、指定管理になるらしいとの話を聞く。近隣の市はすべて指定管理か窓口委託となっている。窓口委託はともかく図書館の指定管理というのはかなり様々な問題があり、今年の1月5日も片山総務大臣が図書館は指定管理になじまない、と発言しているのだが、財政状況の悪い市町はまず文化施設と福祉施設から手をつける傾向にあり、今後ますます指定管理の図書館は増えると思われる。なにがまずいか。長期にわたる地域関連資料の継続収集保存が不可能となるのがまず一番。普通に買える資料でなく、集めにかからないと手に入らない地域資料が世の中には沢山あり、そこで入手しないとあとから探すのが困難な場合が多々ある。こまめに情報を収集し、どうしたら図書館に入れることができるかを考えて集める気で集めているのだが、その経験がない人たちにしてください、と言ってもそれはかなり無理な話なのである。数十年後、その資料があれば市町の歴史の重要なことがわかったはずなのだが欠落することとなる。それはある文化、歴史が町から欠けるということを意味する。それをたいしたことではない、と考える人が多いから、あるいは考えたことがない人が多いということがそもそもの問題であったりするのだが。

3月9日(水)

混む。土曜日並の貸出。4000冊ほど。慌ただしく過ぎた。

3月8日(火)

『恋とニュースのつくり方』を観る。ハリソン・フォードとダイアン・キートンがとても良かった。ストーリーは少し雑な感じがしたが、楽しい作品。

3月7日(月)

今日明日と連休。映画を観て本を読んで過ごす。『ツーリスト』を観る。途中からもしやと想像していたのが当たったのだったが、かなり捻ったストーリーでアクションシーンもよくできていて面白い娯楽作品だった。

3月6日(日)

朝からレファレンス多し。尋ねられた際、それが何の分野であるかを判断し、開架に本が残っていそうかどうかを考え、貸出が多くなさそうな分類であれば書架へ一緒にゆき、どのくらいの内容の資料が必要であるか、またそこから派生する調べものの可能性の有無の確認をし、と、いったような展開となるのであるが、初めの段階で分野の見当がつかなくて、OPACのキーワード検索をしちゃったりして、この本をどうぞ、と渡しておしまいにすると、レファレンスは簡単になってしまうわけで、もっと簡単なのが、「うちの図書館にはありません」と答えてしまう方法であったりする。それで利用者が調べるのを断念するか、ほかの図書館へゆくとしたら、安易な答えをした図書館の存在価値はなくなるわけであるが、だからといってしっかりと対応している図書館がすべての人にとって存在価値があるかと言えば、そうしたわけでもないあたりが困るのである、なんてことを昼休に考えたりした。

3月5日(土)

休み。『アンチ・クライスト』を観る。R18+なのだから検閲しなくても良いだろうに、と感じる。ま、20年ほど前と比較すればましにはなっているが、どこがどうなったのかわからない映像にされたのでは困る。監督の意図が伝わらないのではないのか。シャルロット・ゲンズブールは『なまいきシャルロット』からずっと好きなのだが、この人は天才であるな、と改めて思った。トリアー監督の映像がひたすら美しい。しかしまあなんというかこれは欧米では大騒ぎになるであろう作品。私はと言えばところどころ笑ってしまった。見なければ良かった、との感想も多々あるようだが、一見の価値があると思う。

グランパス、開幕戦。負けてしまったか、と思いきや、永井が入って奇跡的な同点劇。杉本恵太のデビュー戦よりも衝撃的な速さ。

2月22日(火)

休み。『毎日かあさん』を観る。永瀬正敏が良い。小泉も良い。そういえば長らく西原理恵子のマンガをまとめて読んだことがない。最後に読んだのは『ちくろ幼稚園』かなって、古すぎるな。

 

2月21日(月)

『ヒア・アフター』を観る。死後の世界の話。実のところ私は死後の世界になんの興味もない。中学の頃、そうした事柄に凝っていた友達が亡くなってからは、多分そんなものはない、と考えていて、あればあったで面白かろうが、それだけをテーマにされてもなあ、といった気分にはなるのであった。重層的に話が結びついて面白い映画であったが。

2月17日(木)

昨日休みをとったため、あれこれと仕事がたまっていたのだが、受付に入る時間が3時間半。業者との話が1時間。合間に選書、カウンターローテーション表作成、その他あれこれをする。利用者多し。

私の働いている図書館は継続貸出を2回までとしているのだが、今日来館なさった方はマニュアルのような資料を幾度も続けて借りる上時折延滞もなさるので、私以外の職員がすでに二人説明をしていたりもするのだが、延滞した資料を続けて借りたいとおっしゃるので、すでに長い間借りていらっしゃるので間を開けて借りてください、とお願いすると、「明日くれば良いのだね」とおっしゃる。「一月ほど間をあけてくださいませんか。ほかの方のお目にふれなくなってしまいますので」と言うと「一週間では駄目か」とおっしゃる。さらにICレコーダーに電源を入れたりもされる。「著作権法第30条と付則の5条の2」により個人で使われるのでしたら、全冊の複写も認められていますので、長く借りるのではなく、必要な箇所をコピーなさっては」とも提案。「コピーも只ではない」と言われる。なんとなく消耗する。

2月16日(水)

休み。ノラが風邪気味なので獣医にゆく。抗生剤の注射を打ってもらう。

午後、『エリックを探して』を観る。ケン・ローチ監督なので期待してしまったのだが、途中までかなりつらかった。

2月15日(火)

朝に図書館協議会、午後から電算システムのデモンストレーション。今のシステムと比較すればどのメーカーのもよく見える。どたどたと1日が過ぎる。

2月14日(月)

『あしたのジョー』を観る。伊勢谷友介がものすごい減量をしたとの話を週刊文春で読んでいたのだが、怖いほどだった。山下智久がかっこいい。丹下段平は確かにああいう人だな、と思わせる香川照之のすさまじさ。時間が短いのでどこで終わるのか、と思っていたら順当な箇所で切っていた。篠崎絵里子の脚本はシャープで原作に忠実。映画としては良かったが、漫画史上に残る傑作を上回ることは残念ながら無理な気はする。だって、『あしたのジョー』を本当に好きな人の場合、ひとりひとりがあの漫画について過度の思い入れをしているのだもの。漫画を読んでいないひとがこの映画を初めて観たらきっと驚くことだろうけれど。

2月13日(日)

混む。慌ただしく過ぎる。名古屋のTさんから映画関連の難しいレファレンスがあったので何か資料がないか、記憶がないか、と問い合わせ。80年代初めに名古屋でリバイバル上映された二本の映画について。どちらも確かに観ているのだが、どこの映画館でいつであったかの記憶が今ひとつ判然しない。

帰宅後Tさんからメールがあり、認定司書、通っていたとのこと。全国でいったい何人が今年認定司書になったのかが気になる。

2月12日(土)

混む。くらくらするくらい混む。調べもの多し。

2月11日(金)

雪。利用者少なし。明日、明後日と混むな、きっと。カウンターローテーション表を組む。

2月10日(木)

本当は休みを取りたかったのだが、せねばならぬ仕事があれこれあり、カウンターローテーションも組みにくかったため、半日出勤。帰宅すると日本図書館協会認定司書の審査を通った通知がきていた。うれしい。

『ウッドストックがやってくる』をミリオン座で観たあと、名古屋駅まで歩く。ジュンク堂をながめ、ウィンクあいちへゆく。今回のなごやレファレンス探検隊は開催場所が変わったのであった。

認定司書の事前審査を去年通っているといっていた名古屋のTさんにメールをすると、まだ通知がきていないとのこと。明日は郵便の来ない日、さぞや心配であろうと思う。

2月9日(水)

早番。ブックポストへ1200冊ほど返っていた。2日休館していたので混む。することが多くてめまいがした。

2月8日(火)

『海炭市叙景』を名古屋シネマテークで観る。佐藤泰志の小説は雑誌に載っていたときに何作か読んだことがあったが、そのときにはあまり気にとめなかった。亡くなったことも知らずにいた。twitterで村井康司さんが小学館文庫に入ったことを書いていらしたので読み、こんなに良い作家だったかと驚いた。ことに職業訓練校に通う男の話が好きだったが、映画にはこのエピソードはなかった。加瀬亮はやはり光っていた。立ち退きに応じないお婆さんの役をしたひとは素人とのことだが、とてつもない存在感。重いが、美しい作品だった。

ちくさ正文館で『現代詩手帖』を手にとると、「やまだ紫特集」。買う。やまだ紫は詩人にも分類されるのだ、と知る。

2月6日(土)

今日から四連休なので、鈍行で東京へゆき、俳句の会などに出ようと考える。久しぶりに会う小澤先生や友達とどうにもくだらぬ話をしたりして楽しいひとときを過ごす。

鈍行はしかし腰に負担がくる。このところ金欠気味なのと、景色を見たいと思ったためなのだったが曇っていた。

1月30日(日)

朝日新聞の読書欄に久世朋子さんのインタビュー記事。聞き手は大上朝美さん。とても良い記事。『テコちゃんの時間』は「月刊百科」のエッセイをまとめた本。久世朋子さんと7月にお会いしたあとで昼休に「月刊百科」のバックナンバーを読み、涙が出てきそうになったり、出たりした私はこの本が出版されてすぐに購入したのだった。そういえば7月には久世さんの隣に大上さんもいらしたのだったな、と思い出したり。きれいな装丁は「暮らしの手帖」をイメージしたとのこと。とても良い本なので多くのひとに読まれると良いなと思う。

混む。レファレンス多し。このところむずかしい調べものが多い。インターネットでは見つからなかった、とおっしゃる方も増えている。

1月29日(土)

四時に起き、twitterをチェックするとエジプトで大騒動。BBCを観る。日本のテレビ局ではニュースでちらと報道するだけだが、BBCとCNNではほかの番組を全部止してエジプトについての報道。日本のメディアは変だとしみじみ感じる。

混む。レファレンス、閉架資料の出納多し。

萩市での電子書籍貸出記事を読み、スキャナーで読みこむ本の著作権処理はどうしているのかが気になる。

アジアカップを観る。よく勝った。グランパスにいた本田圭佑、吉田麻也、川島永嗣、そしてこんどグランパスにきた藤本淳吾が先発しているのがうれしい。ザッケローニ監督が淳吾を替えたときには、どうなっちゃうのかな、と思ったが、長友を上げて、4バックのままで、左サイドの危なさがうすくなって、真ん中が高くなって、おおこれが狙いなのかと驚いた。李忠成、よく決めた。

1月28日(金)

関西のとある図書館から住民票、印鑑証明を発行している我が館への問い合わせがある。発行した経験のある職員がまったくいない状態で、準備もほとんどないまま、はじめるらしい。無茶である。指定管理にされづらい、という点と、図書館司書が反対しても味方はほぼ現れないことを説明。現実に行うためにどんな問題があるのかを整理し(そのなかには市民に迷惑がかかってくる可能性のある事柄もある)、そうした点を解決してもらう方向に進んでゆくのが良いのではなかろうか、と話す。指定管理にされるかもしれない、との恐怖があまりないエリアの図書館らしかった。脅かされているというか、被害妄想気味になっているというか、まあ、現在の公共図書館の司書は、さまざまなことについて反対できない状態なのである。片山総務大臣が図書館を指定管理に安易にすべきではない、と言ってくれても法はそうなっていないし、多くの自治体ですでにそちらに舵を切られているなかでは、なんともならない感がある。知とか文化は我が国のほとんどの為政者にとってさしたる意味を持っていないということであるし、また、司書が認知されるような仕事を為してこなかった、ということでもある。そして、本らしい本を読み、知的好奇心がある人が大勢はいないということでもあり、そうした人たちに役立つ仕事を図書館が為してこなかったのかもしれないということでもある。図書館だけのことでなく、日本の国のさまざまな話が変化しないことには公共図書館の司書がよりよい仕事をできる状況にはならない、と20年以上この仕事に携わってきてしみじみ感じるこの頃である。

電算会社が修正要望箇所をこんな風に直しますと、説明に来る。導入して2年。まずい箇所は今までに数百。そしてその会社はこのパッケージを直す前にクラウドコンピュータシステムを開発し、電子書籍の貸出システムも開発したのであった。毀れているところのひどい例としては、帳票が五十音順に並ばない、Webopacのある箇所が五十音順に並んでいない、というデータベースソフトとしての根幹に関わる問題もあったりしたのだが、そうしたことを1年以上そのままにして、「こんなシステムができました」とマスコミ発表したり。これはつまり、家を建ててもらったらところどころ床板がなかったり、屋根に穴が空いたりしているというのに、「ああそうですか」とテキトーに聞き流して、別のところで新しい大きな家を建てていた、というような話なのだが、別に悪びれる様子もなく、急に開発担当者が変わったりしても挨拶もなく、とまあなんだか素敵な会社であったりする。世の中ではさまざまなことが淡々と起きている。

上杉隆さんが代表となる日本自由報道記者クラブを作ったとのこと。偉い。

1月27日(木)

俳人の読書会。短い句についての読みがさまざまあって楽しい。なかなかユーモラスな句も多いのである。夕方に役所で講話。どたどたと一日が過ぎる。

1月26日(水)

休み。『キック・アス』を観る。痛快娯楽作。女の子が可愛い。はじめからおしまいまでわくわくどきどき。人がやたらと死ぬ映画。「実は○○」といった裏表がまったくないところが良い。

1月25日(火)

すること多し。なかなか混む。慌ただしく過ぎた。

twitterで図書館=無料貸本屋論議が盛り上がっている。公共貸与権についての話が出てこないのが不思議。それにしてもこの話題10年にいちどくらいの割合で出てくるなあ。そして出版状況の変化などで、確かに無料化資本屋のような状況になってきている気がする昨今であったりもする。

1月24日(月)

『白いリボン』を観る。犯人が誰であるかが早い時点でわかってしまい、それでどんな話になることやら、と思っていたら厭な感じの展開。さすがにハネケ、映像は美しい。でも私の好みではなかった。

Windowsで私のページが見られないことについてMさんに質問をしたところ、文字コードを変更し、metaというところを直すべし、と明快な回答をいただいたので、ぼちぼちと直してゆくことにしたのでありました。

1月23日(日)

朝、郷土の事件についてのレファレンス。今のところ、電算データ化されていない事柄。こういった調べものについて指定管理となった場合には対応ができないであろうなあ。とてつもなく混む。

1月22日(土)

先週の日曜に雪が降ったため、来られなかったひとが多くいたことと関係しているのか、混む。レファレンスも多し。

1月21日(金)

このところ難しいレファレンスが多い。インターネットで調べきれないことをお尋ねになるからなのであろう。当然のことながら、それに対応できる司書が必要とされているのである。

中学1年生が5人、図書館の仕事に関するインタビューに来館。どうしたらこの仕事に就けるのかとの質問への回答が難しい。司書の資格を取る、あるいは図書館情報学を大学で専攻する、そして募集のある自治体(10年後にどうなっているのであろうなあ)の試験を受ける、というのが答えなのだろうが、現在の窓口委託、指定管理の波、電子書籍化による変化などについても少し話し、状況は10年後には間違いなく変わると話す。閉架を見学してもらったとき、昭和21年からの新聞原紙があるので、「昭和21年は西暦ではいつかな」と尋ね、第二次世界大戦が終わった年の次の年だよ、などと言ったのだが、彼らは1997年、 98年の生まれ。私と三まわり違うとあとから気づく。彼らにとっては生まれる50年以上も前のこと。私が生まれる50年前は明治の終わり。昭和20年には父母が子供の頃のわけだが、明治の終わりなんて祖父母が子供の頃。そんな古い話はわからないわなあ、と昭和が遠くなったことを感じたのであった。

1月20日(木)

気がつくと11月から更新していないのでとりあえず更新することにする。図書館で起きたことや、先週までかかって書いていた論文について記録がほとんどしていなくて、映画の話しか書いていなかったりするのであった。またあとから足して書くかもしれない。『しあわせの雨傘』を観る。おしまい近くで失速した感のある映画。フランソワ・オゾンの映像はきれいであるが。『エクスペリメント』を観る。まるで私の好みではなく、観ない方が良かった、と途中で思われたが、最後まで観る。ううむ。

中部図書館情報学会の理事会。3月に図書館情報学を学ぶ大学生、大学院生と図書館員との交流を目的とした研究会が開かれる話があり、楽しみ。

名古屋市のTさんと名古屋市の図書館から他市の図書館へと転職をされた方とで会食。図書館の未来についてさまざまな話をする。私のサイトがWindowsパソコンのインターネット・エクスプローラーでは読めないと聞く。どうしたら見られるようになるのであろうか。はて。

1月12日(水)

『相棒Ⅱ』を観る。1とちがってよくできていた。多少無理のある話があったが。おしまいにはおどろいた。

1月11日(火)

『リッキー』を観る。フランソワ・オゾン監督作品はとにかく美しい。おしまい近くの展開がまったく好きではないが、良い作品であった。『ハーブ&ドロシー』を観る。面白い作品。

1月3日(月)

『人生万歳』を観る。ストーリーはじつになんということのないものなのだが、ウディ・アレンは見事に見せる。エヴァン・レイチェル・ウッドがとても良かった。

12月21日(火)

『クリスマス・ストーリー』を観る。カトリーヌ・ドヌーブ目当てに行ったのだが、私の好みの作品ではなかった。

12月20日(月)

『ノルウェイの森』を観る。松山君が慟哭しているシーンでなぜか笑えてしまった私であった。

12月14日(火)

『ゲゲゲの女房』を観る。目的は吹石一恵。テレビ版と比べるととても陰気で不思議な雰囲気で良かった。水木しげるのお母さん役の南果歩が怖い。貸本屋のおやじの役が鈴木慶一。妙に似合っていた。

11月30日(火)

朝早起きをしてあれこれしていたら電話が鳴ってすぐに切れる。三時くらいのこと。

今週末は休みなので片づけねばならない仕事が多いのであった。

11月27日(土)

常用漢字がかなり増えるそうで、「拉致」の「拉」も入るとのことで、「○○ら致される」という表記をそのたび「イタされる」と誤読する癖のある私はほっとする。このことは亡くなった山本夏彦さんも書いていた記憶。新刊『とかくこの世はダメとムダ』はとても良い本だった。しかし常用漢字のうち「一合五勺」の「勺」の字がなくなるが、ミリリットルで言わないといけません、という話なのかな。いずれにせよ私は自宅で何かを書くとき、好きな漢字を使うので無関係ではあるが、新聞やテレビなどで不思議な平仮名表記を目にすることが少なくなるのは身体に良い。

土曜日らしく混んだ。

11月26日(金)

「取り置きしてある本も借りてゆきます」と利用者の方が言うのだが、その時間、取り置いたものはない。「閉架の本でしたか」と尋ねると、「何日か前に取っておいてもらっておいた」とのこと。「その日、返却期限を遅れている資料があったけれど、借りたい資料があったというお話でしょうか」と訊いてみるとそうだというので、「取り置きはその日か、夕方にいらしたのであれば翌日だけしかしておりませんが」と言うと、そんなことは聞いていないとおっしゃる。普段は必ず説明しているはずだが、「言った」「聞いていない」とのやりとりになるのは不毛なのでお詫び申しあげ、その時の本が何であったかを教えてくだされば、書架からとってきましょう。貸し出されたのであれば予約をしておきましょう、と言うが、動こうとしない。それ以外にこちらとしてはできることはないし、延滞された方への便宜としての取り置きを幾日もしておいたのではほかの方がそれらの本を利用できないし、置いておくスペースもありません。そうした場合の取り置きについてのルールはどなたに対しても同様ですし、ご理解願います、と切り口上で言ったのだった。あとで職員に尋ねると、3日前の閉館1時間ほど前にいらした際、「今晩ブックポストへ返すから貸してほしい」とか「来館していない家族の貸出券を利用できないのか」とかなり長らく主張なさった方であり、「明日の七時までにお越しください」と念を押しておいたとのこと。借りているものが遅れている人に何の担保もせずにさらに貸出をすることは誤りなのだが、多くの図書館は何日かの延滞利用資料がある利用者に対してもさらに貸し出し、本人の貸出券に利用ができないほどひどい延滞があっても、来館していない家族の貸出券を使えるという恐ろしいルールをつくっている。利用者とのトラブルを避けるためなのか、それが利用促進というものであると勘違いしているのかわからないが、そんな図書館のある町に住んでいた利用者が私の勤務する町に引っ越してくると、大変な不便を感じるわけである。図書館は社会教育施設である。社会の人々が正しくルールを守るようにお願いをし、ルールを遵守する人達が乱す人達により迷惑を被らないシステムを作って運営してゆくのは当然のこと。当日が返却期限の資料であれば、それをできうる限り早く返してくださいね、と言って次の資料を貸すわけだが、この場合であっても、残っていた資料の返却がその日貸した資料の返却期限と同じ日となることがある。まして、某市のように30日の延滞までは次の資料を15日借りられて、督促も受けないということならば、45日まで常に延滞を繰り返す利用者がいて当然なのだ。もっとひどい利用者となると、家族の貸出券の束ねたのをカウンターに投げて、使える券で貸して、と言うのだそうだ。社会教育施設としての役割を果たすつもりがない図書館は社会に対して責任ある発言ができるのか、ルールを守れない人達の天国を作って平然としていて良いのか、といったあたりについての話が公共図書館の世界ではほとんど論じられずに来た。社会において当然守られねばならない貸借のルールをないがしろにしたまま運営している図書館の多さを良識ある市民は知らずにいる。我が館は1日期限を過ぎた資料が1冊でもある利用者に対しては貸出をしておりません。延滞督促を定期的に行い、ことに予約の入った資料については3日遅れれば必ずしています、と言えるのは本来は当たり前のことであり、予約の入った資料だけでなく、3日でなく、1日でも遅れていたら催促をすべきなのだが、仕事が大変である、利用者からクレームがくるのが厭だという理由で、このあたりの仕事があまりしっかり行われていない図書館が実に多い。

督促の電話を100件ほどかける。

11月25日(木)

近所のエリアで行われる研修会の質問への回答をつくる。指定管理になったり窓口委託になったり、司書がいなかったりといった図書館ばかりになってしまい、質問してきている事柄の意味がよくわからなかったりあれこれしている。ここ何十年かの図書館運動はなんだったのか、というあたりが私の最近の気になっている点。指定管理や窓口委託が安易に行われ、それに対して大きな問題である、と感じている国民の少なさこそが公共図書館の今までの歴史に対する答えではあるまいか、などと思ってしまう。国の問題、民度の問題とも言えるのだが、それをなんとかできる、なんとかしてゆける、と公共図書館運動は考えて実践してきたのではなかったのか。インターネットの出現と出版状況の変化と財政事情の悪化によって、正規職員の専門職が多く存在する図書館が国中から随分減ってしまった現実は何を意味していて、これをそのままにしてゆくと、今後どうなってしまうのか、本来はどうするべきかを司書である我々はすぐに考えねばならないし、今までの誤りについて認めてゆかねばならない、と私は考える。

毎月第四木曜日のとある俳人の読書会であった。十七音の作品を数人で、私はこう読んだ、と語るのだが、思いもよらぬ読みがあらわれるのが楽しい会である。

11月24日(水)

久々の仕事。沢山あれこれがたまっていて大変であった。

近頃公立図書館の児童サービスについて思うこと。ブックスタート、保育園、幼稚園、小学生への読書支援といった仕事がどこの市町村図書館においても行われていて、それ自体は悪いことではないのだけれど、家のことは家で、保育園、幼稚園、小学校のことはそれぞれのプロである施設職員でなされるべきであり、図書館司書はその援助をする、というのが本来なのだけれど、行事にゆく図書館も増えていて、来館する子供や親たちに対してもいろいろせねばならないという状況なのだが、そしてそれはとても大人数を対象としてゆくことになるわけで、しっかりと分け目をつくってゆかねば破綻するのではなかろうかという危惧。つまり、図書館に於ける児童サービスはこれとこれとこれである、と定義をすることが重要ではなかろうかと思うのである。保健センターではこれをしたほうが良いからと保健婦さんにレクチャーするとか、保育園では保育士さんに、幼稚園では幼稚園教諭に、小学校では小学校教諭に、また若いお母さんに、といった読書指導のようなことは司書の仕事であろうが、その場に出かけていって司書が子供たちに何かをするというのは領域が果てもなく広がっていってしまうわけで、それを行政がすべて支えてくれるのであればともかく、本来業務がお留守になるのが必然であるような方向に動くのは間違いである、と公共図書館全体で声をあげるべきではなかろうか、と私は考える。今より十倍児童図書担当者が増えるのであればともかくさ。そして児童書担当司書の資格に上級のものを作ったらどうかとも思う。重要な教育の分野に携わるのであるから、それなりの知見と意識と責任を負えるような専門性がなければなるまい。

11月23日(木)

豊田スタジアムへFC東京戦を観にゆく。FC東京強い。しかし、サポーターの野次が汚い。前半終了間際闘莉王の反則に対して「闘莉王、闘莉王、くそったれ」と声をあわせている。前の試合、ロスタイム寸前にシュートを決められたのが悔しかったのであろうが、子供がすぐに真似をしていて困ったことであった。以前から気になっているのが、彼らが応援に使っている『東京ラプソディ』の音程がずれていること。なんとかならないものであろうか。ま、グランパスの応援歌についても気になる箇所があったりはするのだが、子供の頃から幾度も聴いている歌のメロディが違っているのはなかなか気持ちの悪いものなのであった。0 対1で敗れるが、優勝したので試合後のサポーターはあたたかかった。「またつじつま合わせですか」などという垂幕が下がっていた年とは違うのだ。あと2試合、しっかりと戦ってもらいたいものである。

11月22日(水)

ひさしぶりにこのページを更新する。根気があったら、間を途中で埋めるかもしれないが、はっきりしていない。

土曜から四連休の私。名鉄百貨店にゆく。傘がよれよれだったのでグランパス優勝記念セールで買う。この傘をさすたび、グランパスの優勝を思い出すことであろう。

11月21日(日)

いろいろとせねばならないことがあるのだが、とりあえず新聞の大人買いにゆく。中日新聞と中日スポーツが充実している。録画しておいた特別番組を何本か観る。増川と小川が面白い。シャンパンファイトのシーンでは森山ゴリがインタビューしていたシーンが良かった。巻祐樹がうれしそう。あまり試合に出られなかったが、チームを盛り上げていたのであろうな。私が生で観た今年のシュートではブルザノビッチの60メートルのと、中村直志のミドルシュートが印象に残った。と、一日グランパスバカで過ごす。

11月20日(土)

休みなので平塚まで行こうか、と考えたが、湘南ベルマーレの降格が決まっていて、なんだか彼の地で盛り上がる自分が厭な人間に思えそうな気がして止す。ベルマーレファンは良いひとが多く、皆、おめでとうと言っていたようであったが、私が逆の立場だったら、妬むに決まっているわけで、その時の自分の心境を考えてしまったのであった。そこで家でひとりでテレビで観戦。優勝が決まる。ここ10年ほど、一昨年以外はずっとひどい感じで終わっていたのだった。気づいたら涙腺が緩んでいた。シャンパンとステーキを買ってきて鯨飲馬食して寝る。なごーやぐらんぱす、と呟く。

11月17日(水)

仕事をはやびけして天皇杯を観る。前半快調。楽勝だな、と思っていたら後半ばてて別のチームのようになる。同点にされたとき、ああ、そういえば天皇杯って延長戦もPK戦もあるんだ、と気づく。そしてPK戦。目の前で見るととても興奮するのである。なんとか勝つ。

11月11日(木)

『ノーウェア・ボーイ』を観る。ジョン・レノンの少年時代を描いた作品。良かった。

レファレンス探検隊にゆく。青山学院大学の小田先生がいらしていて、レファレンス協同データベースを使った研究についてのお話をなさった。とあるレファレンスが、どうしてベテラン司書であればわかるのかというメカニズムがわかれば役に立つのだが、なかなか難しい、とのこと。私はなんとなく資質がかなり大事な要素のように最近は感じている。

11月5日(金)

『シルヴィアのいる街で』を観る。眠かった。しかし、映画と夢というのはなかなか近いものなので、眠い作品が必ずしも悪いわけではない。ストラスブールの街、女のひと、街のひとが美しかった。

中部図書館情報学会理事会。知らずにいることをさまざま知る良い機会。帰りにTさんと少し飲む。

10月31日(日)

休み。あいちトリエンナーレ納屋橋会場へゆく。傘を忘れてなかったか、と訊くとある。草間彌生の応接セットが強烈だった。

大学生の時、毎月観に行っていた「なぞなぞ商会」というグラムロックとパンクロックが混ざったフランク・ザッパマニアの人達のバンドがあって、それはもう何をするのかわからないライブで、バケツに絵の具を入れて客席に撒いたり、こんにゃくを投げたり、バナナをぐちゃぐちゃにしたのを手につけて客を触ったり、客をステージにあげて罵ったりと随分無茶なものだったのだが、そのバンドのヴォーカリスト遠藤豆千代が新しいバンド豆異℃というのを去年結成し、今年もライブがあるというので大須のellSIZEに観にゆく。このバンドのギタリストが友人なので、三十年前とは違い、安心して観られると思い、一番前でゆったり坐っていたのだったが、充分過激。豆千代が客席に降りるとき、マイクのケーブルが絡んで転びそうになっていたので、ケーブルをたぐったりしたのだったが、あとから、ステージ上でギタリストが、「薄情な奴だな。手伝ってくれなかった」と私に向かって言い、豆千代が、「そりゃお客さんはなかなか手を出しにくいでしょ」と言うと、「こいつ、俺の友達」とギタリストが言い、豆千代が「助けろよ」と怒ったりして面白かったのだった。かわいらしい新曲、なぞなぞ商会時代の懐かしい曲(「あいつが死んだぜ。せいせいしたぜ」で始まる『通夜』、「シンはぐにゃぐにゃだ」の『遊星からの物体X』)、そしてアンコールは全滅三五郎の時代の『夜重』。なぞなぞ商会の頃と同じ感じの配分で走ったらしく、豆千代はずいぶんとバテていて、「限界があると知りました」と言っていた。良いライブだった。

10月30日(土)

休み。豊田スタジアムにセレッソ大阪戦を観にゆく。1対0。なんとなく勝っている感じ。ともかく負けなければ良いのである。

ハナレグミを観る。失礼ながら歌がさらに上手になっている。良いライブであった。

10月25日(月)

休み。あいちトリエンナーレの広小路会場を回る。納屋橋会場にゆくと混んでいるので、入らなかったのだが、傘を忘れる。七ツ寺共同スタジオで『りすん』を観る。原作がメタフィクションなので、どんな舞台になるのか、とわくわくして観た。緊張感のある美しいメタフィクションな芝居。病室のセットを三方の客席から眺めるようになっていた。私の隣の席に原作者の諏訪哲史さんが居て、芝居が終わったあと、彼が知人と話している話をこっそりと聞いたりした。

10月20日(水)

休み。『七瀬ふたたび』を観る。芦名星の演技がシャープでクールで、顔はあまり好きではないのだが、とても七瀬らしくて良かった。

10月19日(火)

展示会場へゆくと、少し難しい質問を受けるが、なんとか切り抜ける。途中で私が小澤實の澤の同人である、と言うと、少し穏やかな感じになったのでもあった。これは事実とはいうものの、たまたま小澤せんせいにくっついて澤の創刊から居るというだけで同人だというだけのことで、俳句に詳しいひとよりずっと詳しくないわけで、言わば、はったりのようなものではあった。俳句関連の展示を観にくるのは、まるで知らないひとと、とても詳しいひととの両極端にわかれるため、展示にさまざま神経を遣ったのであったが、それでなんとか切り抜けることができるのである。幾人かの俳人の略歴を書いたのだが、代表句は誰もが知っている句と、ご本人の自薦の句をなるべく選ぶようにしたのだった。どういう基準でその句を選んだのだ、と弟子の方がいらして質問された場合に弁明ができないようではまずいわけで、何かとそのようなところが大変であったのだった。

10月18日(月)

休み。昼に近所のインド料理屋さんでナンを食べていたら、喉に刺さり、痛いな、と思って、トイレで咳をしたら、口から大量の血。晩に耳鼻咽喉科へゆく。鼻からカメラを入れて撮影をした映像をあとから見せてくれる。すごい技術である。大した怪我ではないが、確かに傷になっている。ナンには気をつけないといけない。

10月17日(日)

朝、みゃおが青大将を連れてくる。どこにいるのであろう。普段、蛇など目にすることはないのだが。

日曜日らしくどたどたと過ぎる。

10月16日(土)

展示にぼちぼちとひとがくる。利用者、さして多くなく平穏な感じで過ぎる。

加藤和彦の命日。フジテレビNEXTの特別番組を観る。

10月15日(金)

左の膝の調子がおかしいので朝、鍼灸院ではめてもらう。

10月14日(木)

いよいよ展示がはじまった。中日新聞の記者さんが取材にくる。若い頭の良い娘さんであった。

10月13日(水)

休み。名古屋市博物館と刈谷市美術館へゆく。名古屋市博物館は、『名古屋開府四百年記念』の桃山展。隠れキリシタン関連の展示が面白かった。刈谷市美術館は『宇野亜喜良展』。きれい。しかし、展示解説の文字が小さくて老眼の私にはつらかったのだった。

10月12日(火)

休み『恋愛戯曲』を深田恭子目当てに観にゆく。別の脚本家が書く件りがなんとなく変だったり、あれこれあるのだが、まあなんとなく楽しい映画だった。映像作家としての鴻上尚史は評価できないけれども。『ヌードの夜愛は惜しみなく奪う』を観る。佐藤寛子が偉かった。真中瞳改め東風万智子に少し期待していたのだったが、思ったほどではなかった。

10月11日(月)

展示する。何がなにやら良くわからなくなってくるが、なんとか終える。14日から展示がはじめられるのであった。めでたしめでたし。

10月10日(日)

展示解説、書き終え、貼りパネルに貼ってもらうのも終わる。俳句抄もできあがる。あとは明日並べるだけである。ふう。

10月9日(土)

それほどには利用者が混まない。展示の準備を続ける。展示解説がまだ終わっていない。明日にはなんとかなるであろう。って、なんとかせねば、明後日並べるのである。

10月08日(金)

来週から展示なわけでキャプションを書いたりもせねばならないのである。明明後日には並べてしまわねばならないのだ。笑えてくる。

アルゼンチンとの試合。日本、強い。しばらく前まで南米のチームと試合をすると絶望的な気分となったが、その頃と比べるとまるで異なる人種になったみたいである。

10月7日(木)

休み。名古屋シネマテークにゆくと木曜日は1000円で観られるとのこと。2本観ようか3本観ようか、と迷っていたのだが、頭を休めるため、3本観ることにする。『ペルシャ猫を誰も知らない』はイラン映画。自由が制約されている国だとは知っていたが、これほどまでとは知らずにいた。実話に基づいているそうであるが、おしまいが私は厭だった。『ハロルドとモード』はハル・アシュビー監督作品。出だしからとても面白くて、めちゃめちゃで良いのだが、おしまい近くの展開はいくらなんでも、といった感じであった。ラストの絵はきれいだが、私は好きではない。『バード・シット』はロバート・アルトマン監督

10月6日(水)

展示の仕事、なにがなにやらである。私が明日休みをとるため、二日続けての風呂敷残業。帰宅後、校正をするのであった。もう一人の担当はさらに大変である。

文学関連の展示というのはきちんとしようとすればするほどどこかに狂気を孕んでしまうところのある作業なのであると去年知ったのだったが、これは携わってみないとまるでわからないであろうし、調べものをすることのない、したことのないひとには想像もつかない世界である。そしてそれは展示の分量の問題ではなかったりするので厄介なのだ。朝から晩まで一年中この仕事をしていて良いということであれば楽しいであろうが、新刊図書を選び、カウンター業務をし、ローテーション表を作り、といった作業の合間にこれをしているというのが実に頭が変梃になりそうで素敵なひとときであったりする。

10月5日(火)

展示の仕事、どたどたである。パネルの原稿を書く。どうやら家で仕事をするしかない、と判明。

10月4日(月)

『悪人』を観る。妻夫木くんの表情の変化がとても良かった。深津絵里が上手いことはわかっているのであるが、ラブホテルにはじめてゆくシーンにはぞくりとした。

『昔日の客』(関口良雄著)の復刻版が夏葉社というところから出版されていることを知る。去年、随分と悩んだ末買ったのだったが、ううむ。かなり売れているとのこと。複雑な気分。

10月3日(日)

日曜である。ばたばたと過ぎる。

10月2日(土)

混む。ややこしいレファレンスがあったりもする。展示準備をする。

10月1日(金)

今週は日曜まで休まず働くのであった。展示の準備が終わりそうにない。

9月30日(木)

読書会がある日であったのを覚えていたのだが、今朝はすっかり忘れていた。頭の調子がいかれてきているのやもしれぬ。なんとか一日を終える。

9月29日(水)

展示の原稿書きにいそしむ。頭がくらくらしてくる。

9月28日(火)

展示準備でどたどた。調べものあれこれ。展示パネルの文章を書く。

としょかんだよりをつくる。

9月26日(日)

名演小劇場に『ネコを探して』を観にゆく。かわいらしい映画かな、と勝手にタイトルから想像していたのだが、全然そうではなく、私の好みではない作品だった。なにかに接するとき、できるだけ先入観を持たずにいたいために時々こうしたことが起きる。

9月25日(土)

休みなのだったが、葬式の手伝いをする。

9月24日(金)

あいちトリエンナーレの名古屋市美術館と長者町界隈をうろうろしたあと、晩にチェルフィッチュの『私たちは無傷な別人である』を観る。岡田利規にとても興味があって、いつかは東京に出かけていって観たいと思っていたのだが、名古屋にきてもらってありがたかった。役者がほとんど役でなく、他の登場人物に起こったことを説明するという不思議な芝居。登場人物を演じる役者がころころ入れ替わったり、一人の人物を三人で演じたり、無機物を演じたり、とこうした物語に慣れていない観客にとっては少しつらいかもしれない芝居であった。助詞の使い方が文法としてはおかしいのに、敢えてそうしていて、それがまた音楽のようで心地良く、身体を奇妙に動かしながら、日常的な言葉を語るのも美しく、必然性も感じられ、実によく作られてできあがった芝居であった。アフタートークで質問をした村上某というひとは演出をしたりするとの紹介であったが、まったく観るのが下手なひとで、つまらない質問ばかりしていて折角岡田利規がいるというのに話を引き出せず、いらいらさせられた。

9月14日(火)

休み。『トイレット』を観る。私はなんだか好きではなかった。荻上直子作品では今のところ『バーバー吉野』がいちばん好き。『セラフィーヌの庭』を観る。ヨランド・モロー、怖いくらい上手い。おしまいにおかしくなってしまう人物の実話映画がこの頃どこの国でも多く作られているのではないか、という気がしてくる。なんとなくそういうのに飽きてしまっていて、作品を素直に観られない私である。

9月13日(月)

『東京島』を観る。目的は木村多江。リアリティのない話。窪塚洋介はやはり上手い、と再認識。

9月8日(水)

休み。ゴールド劇場で『瞳の奥の秘密』を観る。よくわからないところのある作品。アルゼンチンの国内事情がわかっていないせいかもしれない。

展示関連の調べものをするため、鶴舞中央図書館へゆく。

中部図書館情報学会理事会。帰りに懇親会。

9月6日(月)

休み。『BECK』を観る。おしまいの10分くらいが私の好みではなかったが、良い映画だった。客席が一体となるのは良いのだが、手を挙げて横に揺れる客たち、という映像はどうかと思ったし、OASISの曲を使う理由もそもそもよくわからないけれども、音が入る間合いが違う気がした。

9月3日(金)

休み。晩にRAGFAIRを観にゆく。

9月2日(木)

展示まであと一ヶ月半。キャプションをまるでつくっていないのだが、調べねばならぬことも沢山あって、どうしたらいいのやら見当がつかない気分のまま、電話にてご教示たまわったりあれやこれや。受付もなかなか混むが、昨日ほどのことはなかったのだった。

9月1日(水)

わあい、夏休が終わった。と、安心していたら、混む。随分と混む。長く休んだのと、今週はもう一日休むのとで、せねばならぬことが山積しているのだが、進まず。

8月31日(火)

休み。読めずに積んであった新聞のまとめ読みをしたりなんだりしているうちに一日が過ぎる。俳句の宿題があれこれあるのを片づける。

8月30日(月)

昨晩、みんなは遅くまで飲んでいたのだが、私はそそくさと寝て、朝5時に起き、春日大社へひとりで出かけた。ほとんど人がいなくて幸せであった。

奈良県立図書情報館を見学。説明を受けるが、不思議な箇所があったりした。昼ご飯を食べた後、皆はあちこちをまわるとのことであったが、私は帰宅。

8月29日(日)

名古屋レファレンス探検隊の奈良ツアーに参加する。参加者が10人を超えていた。行程表が昨日メールで送られてきて、図書館に2館も行くのだっけ、と驚く。みんな図書館が好きなのだなあ。奈良市立図書館で丁寧な説明をしてもらったあと、東大寺へ。私は37年ぶりであった。

8月28日(土)

朝、シネマスコーレで『キャタピラー』を観る。上映開始15分前に着いたのだが、「補助席で構いませんか」と訊かれる。私の好きな一番前の席が開いていた。すごいひと。終わって出たらもっと沢山いた。寺島しのぶ、ベルリンで主演女優賞をとっただけあって壮絶であった。好きな作品。

名古屋シネマテークへゆき、『ザ・コーヴ』を観る。太地町だけで年間二万三千頭のイルカを殺しているとは知らなかった。イルカは殺さないらしいが、ヒトを沢山殺すアメリカ人にあれこれ言われるのは厭だが、奇妙なことが行われていることをアメリカ人に指摘されねば知らずにいるのも厭だ。隠し撮りの箇所がスリリングで面白い作品であった。

名演小劇場で『華麗なるアリバイ』を観る。映像はきれいであったが、なかみはぱっとしなかった。あいちトリエンナーレ、草間彌生の水玉プリウスを観る。面白い。本屋さんをはしごする。ついつい沢山買ってしまう。

瑞穂で京都戦を観る。1対0でなんとか勝った。いつも弱いチームに負けるグランパスだが、今年は違う。帰りに名古屋の図書館のTさん夫妻と会い、少し話す。

8月27日(金)

混む。視聴覚資料の整理をする。再来月の展示のしたくをする。略歴を書こうとして、さまざまな不明箇所が見つかる。上京した年が食い違ったり、辞典にある記述の元となる資料がなかったり。なんとかなるのであろうか。はて。明日から四連休である。

8月26日(木)

受付、読書会、受付で一日が過ぎる。

8月25日(水)

どたばたと過ぎる。中学生の勤労体験。今回も良い子たちである。

8月24日(火)

混む。しかし、あと一週間で夏休もおしまいである。ふう。

8月23日(月)

休み。穏やかに過ごす。twitterのなにやらをあれこれしてみたり。

8月22日(日)

朝、朝日新聞を見てまた驚く。

急に早番となった。混む。夏休の終わりなのになあ。

急な早番のおかげで、グランパス対ガンバ大阪戦を観にゆくことができたのであった。チケットはアウェイしか残っていなかったのだったが、おかげで中村直志のシュートを間近で観ることができたし、楢崎のスーパーセーブも観られた。3対1の快勝。

8月21日(土)

朝、朝日新聞を見て驚く。岡崎市立図書館のサイバー攻撃事件の詳細。かなり謎な話がいっぱいなのと、ひとつ間違えばどこの図書館でも起こりそうである怖さ。

夏休の終わりが近いと土日はさほど混まない、と油断していたら夕方から混む。

朝日新聞名古屋本社版夕刊に岡崎の事件の続報。電算会社が2006年から不具合を把握していたのに、対処していなかったとのこと。その箇所を修正さえしていれば、クローラーを使うひとがいることにも気づかなかったわけで、ううむ。しかし、おまわりさんを呼ぶのが早すぎはしないか、と感じる。

8月20日(金)

カウンターローテーション表を組む。夏休バージョンがそろそろ終わるわけだが、休む職員が多く、組みづらい。

混む。なにがなにやらなうちに一日が過ぎる。

8月19日(木)

混む。視聴覚資料の整理をしたりする。そろそろ秋の展示にむけて本格的にいろいろしていかないといけないのだが、ひとの多さに頭がくらくらしてくるのであった。

8月18日(水)

夏休の終わりが近いというのに混む。中学生の勤労体験の子たちがなかなか良い。

8月17日(火)

休み。右手薬指の老人性乾癬がひどくなってきたので、皮膚科へゆくと、休み。悲しい。あちこちで渋滞。世間の夏休と私の夏休とが一致していたことに気づく。

8月16日(月)

休み。デジタルテレビのなにやらをどうにかするため、あれこれ。

先日の村井康司さんお祝いの会で少しだけ言葉を交わした若手女流俳人佐藤文香さんが、twitterでおっぱい俳句大会という魅力的な会をなさるとのことで、参加するも睡魔に襲われ、途中退場。

8月14日(土)

お盆の土曜日。昨日までよりはましかもしれない。もう夏休はなにがなにやらな感じで過ぎてゆくので、感覚が麻痺してゆく。しかし、あと半月である。それが終われば、ああ、様々すべきことがたまっている。

8月13日(金)

慌ただしい。すること、せねばならぬことが多いのだが、進まぬ。来週のカウンターローテーションをつくったくらいで、あとは受付やらなにやらで過ぎた。人の多さにくらくらしてくる。歳かもしれない。

8月12日(木)

毎年世間のお盆休の時期、図書館はあまり混まないのだが、今年はひとが多い。不景気なのかもしれない。どわどわした感じで過ぎる。

先週の勤労体験の中学生はかなり良くて、ほかの日にも書架整理にきてはくれぬか、と思うほどであったが、今週はま、普通の中学生である。

8月11日(水)

朝、分館の応援にゆく。ブックポストに返ってきていた本が400冊以上。開館から1時間で返却が500冊、貸出が300冊、登録があり、住民票、印鑑証明の発行があり、どたばた。どうにかなりそうであった。

午後から本館へ。受付混む。登録多し。へろへろになる。夏休は恐ろしいのであった。入館者約2000人。建物の大きさ、職員の数からすると、ほとんど限界なのであるが、PRが足りぬ、とか、さらにひとを呼び込め、という話が時折出てくるのは、こうした状況であるとの説明をあまりしていないからなのだが、それを宣伝すると、さらにひとが沢山来たりすることとなり、また、そうした話をしに出かけるだけの余裕がなかったりもするわけで、ああ。図書館業務はわかりづらいものである、としみじみ思う。そもそも貸出重視の図書館活動が正しかったのか、といったあたりについて、ぼちぼちしっかり書かねばならない、と感じている私である。

8月10日(火)

『ソルト』を観る。アンジェリーナ・ジョリーが目的。楽しい作品だった。しかしあれこれ無理のあるところが気にはなった。あまり考えずに観ると良いのであろう。

『シスター・スマイルドミニクの歌』を観る。私は後半からの展開と映像が好きではない。見せ方が美しくない。主役のジャニーヌを演じたセシル・ドゥ・フランスはとても良かったが。

8月9日(月)

今日明日と連休。『シュアリー・サムディ』を観る。品のないところの多い映画であった。話の展開に勢いはあったが、無理な箇所が多々あり。映像に良いところがなかった。

8月8日(日)

朝、混む。午後、やや空いていた。しかし調べもの多し。

8月7日(土)

夏休の土曜。登録者多し。調べもの多し。

8月6日(金)

夏休もそろそろ半分ほどきたであろうか。中学生に、やや、ややこしい書架の整理をしてもらったところ、短時間で見事に揃えた。こういう子達であれば、時々来て欲しいと思う。利用者も褒めていた。利用者に叱られることはあっても褒められたのははじめて。

混んで、ばたばたと過ぎる。

8月5日(木)

朝、ブックポストに200冊ほど。三カ年実施計画のヒアリングに出る。カウンター業務。混む。中学生の勤労体験。今回の子たちは実に真面目。

夜、少年王者舘の『ガラパゴス』初日を七ツ寺共同スタジオで観る。開演前の会場整理を加藤智宏君がしていた。満席。真ん中に向かって右左から客を寄せる。『ガラパゴス』は外連味たっぷりの作品であった。長崎を舞台に時代の層をずらし、そして、見事に無意味を作り上げている。圧巻はおしまいのダンス。少年王者舘は進化している。

8月4日(水)

休み。名演小劇場にゆく。『パリ20区、僕たちのクラス』、パルムドールのこの作品、私はどうも好きではなかった。子供達の演技はすばらしいのだが、教師役のフランソワ・ベゴドーも良いのだが、おしまい近くの展開がううむ、といった感じであった。『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』、76年のセルジュ・ゲーンズブール監督作品。ジェーン・バーキンの裸ってあんなだったっけ、と久しぶりに観て記憶との差に驚く。セルジュの心地良い音楽と、私としては観ていてしっくりしないというか変な違和感のある映像が好きなのだった。

夜、レファレンス探検隊にゆく。発表者。なんだか私はこの会合、そろそろ離れる頃かな、と感じる。

8月3日(火)

朝、ブックポストに700冊ほど。慌ただしく開館。夏休である。どたばたと過ぎる。

8月2日(月)

電気屋さんに行って話をしていて、ケーブルテレビと契約すればアナログのままでも問題がないことに気づく。ということは、メイカーはモニターを売れば案外売れるのではないか、などと思う。ケーブルテレビ屋にもゆく。

本を読んで過ごす。

8月1日(日)

混む。もう厭だ、というくらい混む。開架をいったりきたり、閉架へいったりきたり。閲覧机をまわり、「この席は閲覧のための机だよ」と注意したり、小学生の調べもの、大人の調べもの、ああああああ、と叫びたくなるくらいばたばたであった。その合間に督促電話を100件ほどかける。

夜、『借りぐらしのアリエッティ』を観にゆく。猫のニーヤがかわいい。うちのみゃおと感じが似ている。防戦ののち、烏に襲いかかってゆくところとか、口の開け方などが特に。神木隆之介、志田未来がうまい。お話しは少し、乱暴なところもあったが、良い作品だった。

7月31日(土)

休み。暑い。名古屋市博物館に『ポンペイ展』を観にゆく。人が多い。大きな彫刻を観ていると幸せな気分になる。しかしほろびるときはあっという間だなあ、と思う。ヒトがほろびると、誰が展示してくれるのであろうか。

俳句の宿題をする。

7月30日(金)

受付に沢山入る。利用者、今日も多し。

督促電話をかける。日々、予約が増え、延滞利用者が増えている。

今日発売の筒井康隆『現代語裏辞典』に私の名前が載るとのことなので、昼休に近所の本屋さんに行ったが置いてない。週刊文春を買い、小林信彦のコラムを読むと、『どれみふぁワンダーランド』について書かれていた。かなり遅れてこの番組を知ったのだなと驚く。伊東四朗がゲストの回を観ていないのは気の毒。そういえば私はこの番組で戸田恵子とRAG FAIRが歌った『小さな願い』でディオンヌ・ワーウィックを思い出し、昨年末に観にいったのだった。

7月29日(木)

受付に沢山入る。ばててくる。

7月28日(水)

朝、10時頃から混むのだなあ。昼にはよれよれになる。午後、中学生6人、きたる。勤労体験。この企画、どうなのであろうなあ、と毎年感じるのは私だけであろうか。勤労は、報酬があるのとないのとでは意味が異なりはしないか。将来働きたい、と考えている場所での労働ってことだと、まず、公共図書館で働くことが無理だ、とわかっているので、余計にそう感じるのかもしれないが。

瑞穂に湘南ベルマーレ戦を観にゆく。守備が危険な感じであったが、勝つ。なにはともあれ勝てたのは良いことである。帰りに名古屋の図書館のTさん夫妻と飲む。妻のひととは初対面。ここでも日本語についてのことが話題となる。というか、私がしたのか。クイズ番組に、あまりに簡単な漢字の問題が出ている、とのこと。私はテレビで観ているのは、『ゲゲゲの女房』と『どれみふぁワンダーランド』とサッカー中継くらいなので良く知らないのだが、そんなことになっているのか。漢字のクイズ番組を観るくらいならば本を読んだほうが良さそうに思う。

7月27日(火)

夏休の火曜は混む。どたばたどたばたと過ぎる。明日から勤労体験の中学生もやってくる。気が重くなってくる。督促電話をかける。

7月26日(月)

休み。土岐市のアウトレットモールへはじめてゆく。仕事着を買うためであったが、ここが日本一暑い多治見市の隣であることを失念していた。やたらと暑く、ふらふらになった。

7月25日(日)

夏休の日曜、普段の日曜より貸出は少ないのだが、質問が多い。くらくらする。課題図書は小学生用のものはすでに予約が一杯で、夏休に返却されるかどうか謎。しかし、課題図書って、意味があるのであろうか。よく書けている読書感想文は元の本がどうであっても良い、とわかるわけで、賞を贈る手前で、その本を先生が読めば済むことではないのか。先生の手間とはなろうが、課題図書以外の本の感想文が賞をとる場合も多いのであるから、そろそろ課題図書というもの自体を考え直してはどうかという気がする。

7月24日(土)

夏休の土曜日は比較的利用者が少ないことが多いのだが、今日はばたばた。身体がもつだろか。

瑞穂に清水エスパルス戦。チケットがアウエイのしか買えなかったため、前に4人、エスパルスファンがいて、面白かった。金崎が3点目を入れ、3対2となったとき、「まだあるまだある」と彼らが言うと、後ろから「もうないもうない」とグランパスファン。しかし、おしまいにボスナーに決められ、同点のままおしまい。良い試合だったが、勝ちきらねば。

7月23日(金)

夏休である。子供がわさわさいる。本棚がすぐにぐぢゃぐぢゃになる。しかし、今年の子供は割と静かである。登録者多し。朝だけで10人以上。

督促電話をかける。

7月22日(木)

二日目にして、「早く夏休が終わってくれないものか」と思いはじめる。児童書の書架に子供だらけ。沢山の来館者に対して、うれしい悲鳴というよりも絶叫したくなるような気分。

俳人の読書会。新しく参加を希望なさる見学者がいらした。終えてから、次回より参加なさるとおっしゃった。ゆったりほのぼのとした良いメンバーに新たな方が加わるとどうなるかが少し心配であったが、穏やかな雰囲気の方なのでほっとひといきついた。

7月21日(水)

いよいよ夏休。朝、いつもより1時間早く開館するため、出勤も早いのだが、ブックポストに沢山本が返ってくるのも心配であるため、さらにそれより30分早く出勤。ブックポストはそれほどでもなかった。朝10時から12時くらいまでがめちゃめちゃな状況となる。子供だけでなく、大人もとても多いのだ。目眩がするほどの慌ただしさ。

督促電話をかける。

7月20日(火)

休み。『あの夏の子供たち』と『ボローニャの夕暮れ』を観る。『あの夏の子供たち』は、なんだか乱暴な展開の映画であった。あの長女はそれでどうなるのか。映画作家志望のひとはどうなってゆくのかは気になるが、あとの話はなんというかどうでも良い感じであった。子供たちがかわいかった。『ボローニャの夕暮れ』はなんだか厭な映画だった。

7月19日(月)

祝日の月曜は普段あ、あまり混まないのだが、今日はなかなかばたばたであった。督促電話をかける。

7月18日(日)

村井康司さんを祝う会に出席のため、東京へゆく。 8時頃家を出て、新幹線。上野で降り、東京藝術大学美術館に『シャガールーロシア・アヴァンギャルドとの出会い』を観にゆく。初期のシャガールが好きである、と再確認。根津まで歩き、昼ご飯を食べた後、地下鉄で早稲田へゆく。3時から高田馬場でお祝いの会だから、早稲田から古本屋をめぐりながら歩こうとしたのであった。歩いてしばらくして気づいたのだが、日曜日は休みの古本屋が多い。そして今日はとてつもなく暑い。最後にこの界隈の古本屋を歩いたのは、俳句の会のなにかのとき、その会合の前に高田馬場から早稲田に向かってであった。途中で中華料理屋に入ったのだが、量がとてつもなくて、大変なこととなった記憶が蘇ってきたり。高田馬場に到着したのが2時少し過ぎ。芳林堂に入ると、古本のコーナーがあるのでしばらく見、良い頃合いになったので会場へ。村井康司さんと会うのは澤の創刊の時だったか一周年の時だったか。神保町で偶然会い、良い食べ物屋さんがないかを尋ねたのもその日だったような、いずれにせよ 10年くらいはお会いしていない。世話人で私にメールをくださったKさんとはもっとずっと前に会ったきり。村井さんが編集をしていた俳句雑誌『恒信風』の同人、『めくってびっくり俳句絵本』に収録された句の俳人、ジャズ評論も書いておられる村井さんの音楽関係者、とさまざまな方達が参加なさっていた。

まだデビューする前、彼が大学生の頃から幾たびかメールのやりとりをしたことのあった長嶋有さんに、「はじめまして、への6番です」と挨拶をすると、「え、はじめてじゃないでしょ」と言われてしまうが、はじめてであった。25歳の俳人、佐藤文香さんに、「『澤』の戸田いぬふぐりです」と挨拶をすると、「『澤』でお名前を知っています。藤田哲史さん、榮猿丸さんと親しいので」とのこと。そういえば彼女は句集『新撰21』のメンバーではないか、と気づく。歌人で小説家の東直子さんにもご挨拶をすると認識してくださっていたし、朝日ネットの句会でご一緒したことのある俳人の佐怒賀正美さん、寺沢一雄さんも覚えていてくださったようだった。村井さんとは朝のガスパール-電脳筒井線からのつきあいなのであるが、その頃のメンバー、朝日新聞社の大上朝美さん、伊豆の温泉旅館の若女将、佐々木美季さんもいらした。佐々木さんの句が、5冊ある『めくってびっくり俳句絵本』のひとつに載っているとのこと。みなさんのご挨拶をきいていたら、長嶋さんが、「恒信風の同人で31歳で亡くなった田辺一教さんの句も載っています」と言われたのに驚く。長嶋さんは田辺さんが亡くなったとき恒信風で田辺さんの追悼号を編集したのだった。長嶋さんが、「田辺さんが参加していた会議室を知りたい」とそのとき、メールしてきたことをよく覚えている。私にとっても大切な友達田辺さんの急逝から12年。『三つかぞえて』に田辺さんの「七夕や電送されし人の恋」が載っている。良い句を沢山作った人だった。「ロボットを菜の花畑に置き忘る」「卒業の夜に大きく歌ってよ」「悲しみは植木の並ぶ夏の暮」などなど、一度目にし、口にすると覚えてしまう句たち。恒信風のひとたちの、村井さんの暖かさを感じた。会に出て良かった、と思った。

二次会では銀座の文壇バー「茉莉花」のママをしている故久世光彦夫人、朋子さんと隣り合わせた。久世さんの文、演出が好きな私は、いかに好きであったか、『ブルータス』の連載にどれくらい驚き、喜んだか、単行本となったその『昭和幻燈館』の装丁の美しさにわくわくしたか、なんて話をすることができて、とても幸せであった。しかし、私は明日、仕事であり、日帰りをせねばならぬため、袋回しがはじまりそうになったときに、残念ながら中座してしまったのだが、実に充実した一日であった。

7月17日(土)

もうじき世間では夏休。ばたばたと混む。明日休むため、せねばならぬ仕事多し。督促電話当番でもあり、沢山電話をする。どうして延滞利用者がこんなに多いのであろうか。公徳心のないひとが多いからであろうなあ。

7月16日(金)

休み。朝、公然と言えない箇所を蚊に刺されたのでtwitterでつぶやいておいたら、古い友人である「とーふや」(本名失念)さんが反応してくれた。

ノラの口内炎の手術のため、朝、犬猫病院にあずけにゆく。『アデル』を観る。面白かったのだが、映画館で観なくても良いかもしれないという気分にもなった。

夕方、ノラをひきとりにゆく。歯を五本抜いたとのこと。借りてきた猫の子のようにおとなしくなってしまっていてかわいそうである。

7月15日(木)

混む。視聴覚資料の入力作業をする。

月曜に、村井康司さんが編集した『めくってびっくり俳句絵本てのひらの味』(岩崎書店)が、第57回産経児童出版文化賞のニッポン放送賞を受賞したお祝いの会が18日の日曜に高田馬場であるとのお知らせを友達からいただき、招待を受けたのだが、急には休めないので、欠席通知を出した私。ところが、休みをかわってもらえることが判明し、出席することにしたのだった。懐かしい人達に会える。村井さんは小学館の辞書の編集者で、川上弘美さんの『椰子椰子』や、穂村弘さんの『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』を編集したひとでもある。

7月14日(水)

貸出が3500冊ほど。どたどたと過ぎる。視聴覚資料の入力作業をする。

電算プログラムのヴァージョンアップしたところを確認。ヴァージョンアップで壊れてくる箇所が時折あり、確認に時間がかかってしかたがない。問題箇所は導入から1年半で数百。拗音が入ると五十音順に並ばないなどといった致命的なところが、修正検討としてほったらかしにされていたりする困ったメイカー。

つかこうへいについて、あれこれ考える。『小説熱海殺人事件』は出てすぐに読んだ。中学3年のとき。変な話だなあ、ととても印象に残った。80年に大学に入り、演劇を観るようになると、学生演劇の多くがつか芝居を演じていた。私の大学でも『蒲田行進曲』の公演をしていた。つか演出の芝居を観る機会が80年代末までなかったのが残念である。彼のエッセイは面白く、逆説的で乱暴で大好きだった。彼が編集した日記のアンソロジー『書くに値する日々』というタイトルは恐ろしかった。書くに値する日々を私は送っているのであろうか、と悩んだりした。ご冥福をお祈りします。

7月13日(火)

休み。『闇の列車、光の旅』を観る。痛ましい映像が沢山。しかしきれいで、おしまいがとても良かった。観終えて何かが残る作品である。

7月12日(月)

休み。朝、ワールドカップ決勝、オランダ対スペインを観る。紙一重の試合。気分としては日本が敗れたオランダを応援していたのだが、スペインのサッカーが勝って良かった。ワールドカップが終わった。長い一ヶ月であった。

『踊る大捜査線the movie3』を観る。なんだか途中までしかできていないような脚本で無理に撮っちゃったような映画であった。

7月11日(日)

休み。8月4日のレファレンス探検隊コメントをつけて、送る宿題が今日までであったので朝、なんとかする。

藤井達吉現代美術館に徳島県立近代美術館所蔵名品展を観にゆく。ジャコメッティ、キリコ、ピカソ、エルンスト、かわいらしいオブジェや絵がいっぱい。

7月10日(土)

としょかんまつり。慌ただしく過ぎる

7月9日(金)

休み。みゃおが風邪をひいたので犬猫病院につれてゆく。たいしたことはないとのこと。ノラがウィルス性の口内炎でしばらく前から治療をしてもらっているのだが、良くならない。来週手術をすることになる。

7月8日(木)

朝、ドイツ対スペインを観る。ドイツ、良いところなし。

視聴覚資料の整理、見計らい。どたどたと過ぎる。

7月7日(水)

七夕である。朝、ウルグアイ対オランダを観る。

視聴覚資料を整理する。もうじき恐怖の夏休がはじまる。

7月6日(火)

仕事がたまっているのであった。混む。ばたばたと過ぎる。

7月5日(月)

休み。歯医者に健診にゆく。異常なし。

7月4日(日)

10時に待ち合わせて、澤の友達2人と表参道へ。私が見たい服屋さんにつきあってくれたのであった。何も買わない予定だったのだが、セールをしていたり、とても欲しい服があったりして、頭は寝不足でものがよく考えられなくて、それでも我慢をし、セールのシャツを1枚だけ買っただけにとどまった。

昼ご飯は中華料理。紹興酒を飲んで、どかどかと食べ、あれこれバカな話をする。充実したひとときであった。

7月3日(土)

朝、ウルグアイ対ガーナ戦を観る。スアレスのあれはひどい。ガーナを応援していたので腹が立ってしかたがない。ギャンがはずしたのは気の毒であった。

昨日は呑んで帰って風呂に入ってサッカーを観て、少しだけ寝てまたサッカーを観て、そしてご飯を食べ、電車に乗り、新幹線に乗り、寝て、品川で降り、12 時から俳句の会澤十周年記念大会に出席したのだった。睡魔に襲われそうになったりしたのだが、記念講演で私の名前を挙げて書評を褒めていただいたりして、なんとなく持ちこたえた。もう10年になるのか。色んなことがあった10年であった。沢山のひととお会いできた。2次会では久しぶりに川上弘美さんとお話しをすることができたのだが、その時私はすでにかなり酔っぱらっていたりもしたのであった。マニアックなマンガの話をしたが、間違ったことを言いはしなかったか、とあとで不安になったりする。12時過ぎに4次会に行くという人達と別れ、宿に帰り、アルゼンチン対ドイツの試合を観るとすでにドイツが2点取っていた。強い。少し寝てパラグアイ対スペインを全部観る。私はどうかしているのではないか、という気分がしてくる。しかし、なんという試合。PKをそれぞれはずす、とは。

7月2日(金)

朝、カウンターローテーションを作り、新刊発注をしたあと早引け。

中部図書館情報学会理事会に出席。今年度の会誌についての話など。

帰りに名古屋の図書館のTさんとIさんとでプチ宴会。帰宅後、オランダ対ブラジル。オランダが勝ったというよりブラジルの自滅。

電算機に強い友達と最近twitterでやりとりをしていたことを思い出し、昨日のネットワーク研究会で出たプログラムの話をメールで質問すると、すぐに教えてもらえた。

7月1日(木)

視聴覚資料を整理し、今週分の図書の見計らいをしたあと、愛知県図書館で行われたネットワーク研究会に出席。愛知県中の公共図書館すべてから、とある資料が無くなってしまうのをいかにふせぐかについて、尾張2館、三河2館、名古屋1館、愛知県1人で検討。このところの睡眠不足のせいかテンションが高くなっている私であった。3時間ほどの会。なかなか大きく難しい問題である。

6月30日(水)

ばたばたと沢山仕事をする。さてそろそろ帰ろうかというときになって、していない仕事を思い出し、どたどたと片づける。

試合がないのでよく眠れる。

6月29日(火)

今週は今日と明日が一日出勤で、明後日は午後から出張、明明後日は午後から中部図書館情報学会、土日は休みなので、仕事を沢山片づけねばならないのであった。利用者多し。

ああ沢山仕事をしたなあ、といった気分でよれよれで帰った。

パラグアイ対日本、駒野がかわいそうだった。PK戦は運なので仕方がない。川島についていた神様があの時間に離れてしまったのであろう。ここまで戦うと予想していなかったので、うれしかった。

6月28日(月)

昨晩のドイツ対イングランド戦を観るのは諦め、早起きしてメキシコ対アルゼンチン戦を観る。アルゼンチンの1点目は明らかなオフサイドであった。あれはかわいそうだが、それもまたサッカーである。マラドーナのツキで優勝するのかアルゼンチン。

『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』を観る。それはないんじゃないかな、という設定で、謎の展開を見せ、ああそういう終わり方なのか、と身体の力が抜ける映画。映像はところどころ冴えているのだけれど、いくらなんでもな作品であった。

『通信句会の思い出』書き終える。

6月27日(日)

貸出が約6000冊。なにがなにやらよくわからぬままに一日が過ぎた。

月末が締切の『通信句会の思い出』、そろそろ過去の通信句会のあれこれを調べねば。そもそも特選になったのが何度で、どんな句だったかさえ記憶が曖昧。と、思っていたら、友達が特選句についての原稿を頼まれているとのことで、私の特選句を送ってくれた。持つべきは友。

6月26日(土)

混む。どたどたの一日であった。なぜか登録者も多い。

決勝トーナメントが始まった。ウルグアイ対韓国。韓国ベスト8ならず。

6月25日(金)

休み。朝早くデンマーク対日本戦を観る。本田がフリーキックを入れた時、ついついグランパスに彼がいたときの応援歌をテレビの前で歌っている私がいた。岡田監督、イングランド戦の前まではあんなにぼろぼろだったのに、どうしてこんなにチームがまとまったのであろう。不思議。今回の大会は前のジーコの時と同じくらい希望を感じられなかったのだったが。にわかナショナリストの血が騒ぐ。

晩に大須七ツ寺共同スタジオへ寅組の芝居を観にゆく。出演者は寅年のひとだけで、スタッフもほとんど寅年、12年に一度上演しようという試みとのこと。古い友達、知り合いが三人関わっている。演出の加藤君、大道具の永澤くん、役者の杉浦くん。みんな寅年の早生まれであるというのをこのたび知った。48歳にもなって、変梃なことをしているのがうれしい。

6月24日(木)

長く休館していたので、朝からたいへんな人出。どたどたばたばたと一日が過ぎる。

不思議なのはなぜか新規登録の方が夏休並に多いこと。

6月23日(水)

だいたいなんとか開架がきれいになり、明日から開館できそうな気配なところまで作業が済む。やれやれである。

スロベニア対イングランド。

6月22日(火)

開架の参考資料を閉架にしまうために、閉架の棚を動かしたというのに、開架の参考資料に手をつけていなかったことを思い出し、あわててあれこれする。閉架の作業は今日も続く。明日で特別整理期間は終わりなのだが。

フランス対南アフリカは観ずに寝てしまった。

6月21日(月)

休み。『アウトレージ』を観る。確かに暴力シーンが多く、痛そうだが、ギャグとして観るとかなり可笑しい。北野武監督の映像感覚がとてもシャープできれい。加瀬亮がとても良かった。石橋蓮司はどうしてこんなに面白いのだろうか。私としてはとても好きな映画であった。『告白』を観る。この映画を観たいがために文章が良くないので読みたくなかった原作を読んだのだった。ところどころひっかかる箇所があったり、少し甘いのではなかろうかと感じたところを映画は見事にうめていた。松たか子のうまさは怖い。木村佳乃の淡々と壊れている感じもとても良かった。これも好きな映画であった。

ポルトガル対北朝鮮。かわいそうな試合であった。

6月20日(日)

朝、カメルーン対デンマークを観る。これで点差からいけばデンマークと引き分ければ良くなったわけで、と、すっかりサッカー狂いの私。ワールドカップは恐ろしい。

今日も一日閉架で作業であった。汗まみれなのに慣れてきた。しかし、果たして終わるのであろうか。

即座に寝た。

6月19日(土)

ひたすら閉架での作業。これが終わらぬことには、開架から閉架への異動ができないわけで、明日あたりに終えて、来週は開架からの本を閉架へとしまわねば、利用者の目からはなんのために閉館していたのかがよくわからぬこととなる。もっとも開架から閉架へ本を動かしたとしても、利用者の目には、ああ、棚が少し空いたね、と映るだけのことではあるのだが。

オランダ対日本。よくぞ1点で抑えた。負けはしたが、川島永嗣はグランパスにいたとき何試合か観ていたが、なんだか神懸かりめいてきている感じがある。

6月18日(金)

ひとまず、不明図書リストを出すことができ、それを探す作業と閉架での作業とにひとをわけ、あれこれする。頭を使いながら身体を動かすこの期間は。ほかではあまり経験できない感覚を得ることができる、とも言える。

ドイツ対セルビアの途中で寝てしまう。

6月17日(木)

午前は図書館協議会。終わったら、スキャニングは済んでいた。ヴァージョンアップのため電算はまだ動かない。冷房のない閉架書庫で、大がかりな本の移動をはじめる。頭がくらくらする。

アルゼンチン対韓国を観る。アルゼンチンはこんなに強いのか。グループBでなくて良かった、と感じるが、グループEだってまだオランダとデンマークが残っているわけで、予選突破はやはり厳しいであろうな、と感じる。

6月16日(水)

開架の本をひたすらスキャニング。電算はヴァージョンアップのため、動かないため、データの流し込みができない。スキャンに使っているパソコンが壊れたら、それまでの仕事が全部駄目になる、ということを考えると少し目眩がする。

バテているので帰宅後すぐに寝てしまう。

6月15日(火)

明日から曝書(棚卸)であるため、あれこれとばたばた。

利用者多し。名古屋の図書館のTさんに電話をすると、真っ先に眠い、と言われる。

コートジボワールとポルトガルの試合を観る。そういえば大阪万博のとき、象牙海岸館というのに入った記憶が蘇る。

6月14日(月)

オランダ対デンマーク。オランダ強い。日本対カメルーン。日本まさかの勝利。案外強いのではないか、という気がしてくる。

6月13日(日)

早起きしてイングランド対アメリカを観たため、少しばてている。

混む。調べもの多し。

大きな声で同じお話をカウンターで延々と繰り返す方が、混んでいる時間の視聴覚資料室にご来館。事務室にいらしてください、とお願いするのだが、一時間ほど動かず。その方が帰られたあと、たまたま居合わせてしまった、普段はとても穏やかな利用者からお怒りの言葉を頂戴する。「あんな奴を図書館に来させるな」。そうはおっしゃられても、なかなか入館拒絶は難しいことである。

6月12日(土)

来週の水曜から特別整理期間なので、混む。郷土関連のややこしい調べものがあったりする。

韓国対ギリシャ戦を観る。韓国強い。日本もあんなチームだったら良いのに、と思ったりする。

6月11日(金)

幸せの規準というのは、経験によって変化する気がする。あんなものを拾わなかったから今日は幸せな気分であった。比較的空いた日であった。

ワールドカップがはじまった。98年、2002年、2006年に私の身に起きたことをぼんやり思い出す。南アフリカ対メキシコ戦を観る。

6月10日(木)

不思議な落とし物が館内にあった。世界広しといえどもこれを拾ったひとは多くはいまい。

今日は木之内みどりの誕生日であったな、と妙なことを思い出す。

6月9日(水)

混む。3890冊の貸出。なぜこんなに平日にひとが来るのであろう。長く休んでいたため仕事がたまっている。どたどたと過ぎる。

6月8日(火)

『パーマネント野ばら』を観る。小池栄子が強烈な印象。池脇千鶴もうまい。江口洋介を好きになれない私であった。あまり良い作品とは言えない気がする。『川の底からこんにちは』を観る。満島ひかり、堂々とした変梃な役。面白いところも多々あるし、映像もきれいなのだが、散漫な感じのする映画であった。

6月7日(月)

休み。澤誌から『通信句会の思い出』という原稿を依頼される。余りよく覚えていなかったりするのだが。

6月6日(日)

休み。なんということもなく過ぎる。

6月5日(土)

今日から四連休である。衣替をせねば、と思うが、本の山のせいで箪笥の抽斗が開かなかったりする状況を思うと憂鬱になる。先日録画しておいたなかにし礼の特集番組を観たり、CD2枚組のなかにし礼作品集をみんな聴いちゃったりして、逃避に入ったのだが、暑くなってきたので、やはり衣替をしたのであった。

6月4日(金)

どたばたと過ぎる。慌ただしい。

6月3日(木)

明後日から長い休みなので、仕事多し。DVDを選んだりなんだり。

6月2日(水)

なにをしていたのかわからぬうちに日が過ぎた感じ。歳である。

6月1日(火)

気がつけば6月。衣替をしていないのであった。

ブックポストへの返却図書がなかなか多かった。ばたばたと過ぎた1日であった。

5月31日(月)

名演小劇場へゆき、『オーケストラ』を観る。面白い。おしまいに演奏されるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が圧巻。メラニー・ロランがとても良かった。

5月30日(日)

日曜らしく混む。へろへろになる。

秋に行う展示について、ぼちぼちとりかからないと曝書期間や夏休があって大変なことになる、と気づく。

5月29日(土)

とある閉架資料の閲覧請求から、調べているであろう事柄がわかり、それについて少し話すと、ほかにこうしたことも知りたいといった展開になる。こういうとき、司書は要らないわけではない、と感じる。

土曜らしく混む。

5月28日(金)

休みの職員が多くて、慌ただしい一日であった。

5月27日(木)

朝からばたばた。午後、読書会。カウンター混む。延滞督促電話。よれよれになる。

5月26日(水)

みゃおが風邪をひいている。目やにがひどい。喧嘩をしてきたらしく、顔に傷がいっぱい。玄関先に蛇の頭がとれたのが置いてある。そんなわけで休みの今日、犬猫病院にゆく。

晩にグランパス対セレッソ大阪戦。となりに坐ったひとたちがFC岐阜のサポーターらしく、去年までJ2だったセレッソについて詳しい。小松塁が交代で出てきたとき、「途中からよく点を入れるんだよな」と言っていたのだが、そのとおりになった。1対1で試合終了。これではナビスコカップ一次予選突破は厳しい。

5月25日(火)

慌ただしく過ぎる。

『1Q84』について利用者から「book4は出るんでしょうか」と問われる。出るとも言われていますが、はっきりしませんね。book2が出た時点で3が出ると言い切れなかったように、と答える。果たして村上春樹はどこまで考えて書いているのかが気になるところではある。

5月24日(月)

休み。俳句結社澤の通信句会の感想を隔月で書かねばならないので書く。なかなか重たい作業。俳句の主宰のひとはこの仕事を日々しているわけで、これは私には向いていない気がする、と感じるのであった。

5月23日(日)

日曜は慌ただしく過ぎた。

毎日延滞督促の電話をかける。

5月22日(土)

混む。さすがに土曜である。

督促電話をかける。

5月21日(金)

比較的混まない平穏な一日であった。督促電話を沢山かける。

5月20日(木)

気がつけば来週は読書会である。何の用意もしていないことに気づく。

督促電話沢山。

5月19日(水)

『ゼブラーマンーゼブラシティの逆襲』を観る。仲里衣紗を観にいったのだった。役を選ばぬ役者。ああこんなひときっといるいる、と、いるわけがないのになんとなく思わせてしまう。ガダルカナル・タカが怪演。吉田義男みたいなキャラクターを演じられるひとではないか、という気がした。良い子役と組んで『悪魔くん』でも作ったら面白いのではあるまいか。

5月18日(火)

休みが続いたので、仕事が溜まっていたのであった。督促電話を沢山かける。

5月17日(月)

休み。雨降り。俳句の宿題をする。本を読む。

5月16日(日)

休み。鹿島アントラーズ戦を観に豊田スタジアムへゆく。審判がひどすぎ。はじめの得点と次の得点は明らかな審判のミス。ピクシーが試合後怒っていたが、当然である。審判の水準を上げないと、金を払ってJリーグを観るひとは物好きだけになってゆくのは必然である。

5月15日(土)

休み。トゥイッターは一昨年から非公開であれこれしていたのではあったが、いまだよくわからぬままともあれ公開にすると、なにか面白いことが起きるやもしれぬ、と公開にしてみたのであった。@inufuguri

5月12日(水)

早朝、というか深夜に無言電話。すぐあとにみゃおが帰ってきた。みゃおが出てゆき、ノラが起きてきて、暴れる。慌ただしい朝。

2日間休館していたのでブックポストへの返却が1200冊ほど。以前は2500冊などという日もあったので減ってはきているのだが、慌ただしい。

利用者多し。COP10関連の企画についてあれこれせねばならない。早引けをする。

どうしてもエリック・ロメールの『海辺のポーリーヌ』を大画面で観たかったのであった。名古屋シネマテークへゆく。好きな映画。

名古屋レファレンス探検隊に出席。40人も人がいた。大盛況。服部さんの発表が興味深かった。アメリカのユーザー(図書館員)とエンドユーザー(図書館利用者)とのopacに対する意識の違いについての話。エンドユーザーは本文全文を目録の一覧画面から見たい要望が強いとのこと。Googlebookなど、全文が自宅から見られるようになっていて、横書きでもあるし、モニターと紙との差に抵抗の少ない世代が増えれば、目録や抄録→全文、と家で見られれば良くなる人たちばかりとなるわけで、図書館の存在は特殊な人たちのためのものとなるのが必然ではなかろうか、と、発表の趣旨とは違うことを考えたのであった。電話交換手がいなくなったように図書館員も必要とされなくなる、と昔私宛のメールに書いてきたひとがあったが、それに近い状況がやがて来る気がする。図書館とは何か、本とは何か、読書とは何か、本と人とを結びつけるのが仕事であるとされる図書館員が未来に何をしているのか、そのために今何を準備すべきかを真剣に考えねばならないのではなかろうか。

5月10日(月)

『劇場版トリック3』を観る。トリックはなかなか面白く、夏帆も嫌いではないのではあるが、これは映画でなく、テレビでも良いのではないか、と感じた。

5月6日(木)

『カケラ』を観る。満島ひかりを観たかったのである。不思議な雰囲気のある女優。中村映里子がとても良かった。光石研はいったいどれだけの映画に出ているのであろうか。安藤モモ子の映像はきれい。好きな映画だった。

4月26日(月)

休み。『のだめカンタービレ最終楽章後編』を観る。映画ではなく、テレビで充分な気がする。

4月22日(木)

毎月第四木曜日のとある俳人の読書会であった。楽しい。

帰宅後テレビが壊れていて、音しかしない。15年観ていたので寿命である。私の部屋にあるのはまだ観られるので本の山をあれこれしてから動かす。本の山に雪崩発生。テレビは重い。

4月18日(日)

どたどたと過ぎる。いろいろとややこしい話があったりする。

4月17日(土)

年度はじめの土曜はばたばた。さして混まないのだが、なんとなく時があたふたと過ぎる。

朝日新聞朝刊に斎藤美奈子が『1Q84』の評を書いている。人が色々言う前に早く読まねば。

4月16日(金)

『1Q84』book3の発売日。マスコミは早くも大騒ぎ。図書館にもリクエストが沢山入っているのであった。

帰宅すると『1Q84』がbk1から届いていた。

4月15日(木)

年度はじめ独特の慌ただしい感じで過ぎる。

8月のレファレンス探検隊にコメント担当をするので、問題を以前にだいたい作ってあったのをF本さんに再度連絡。いままでにない新機軸の問題であることは確か。

4月14日(水)

朝、ブックポストの本、1200冊ほど。返却処理を終えたあと、電算にまずい箇所を発見。一年半経ってはじめて気づいた我々に問題がある気もするが、パラメータ設定で直ることがらとのことで一安心。

利用者多し。ばたばたと過ぎる。

4月13日(火)

休み。ゆったりと過ごす。

4月12日(月)

『第九地区』を観る。今までに観たことがない感じの映画。かなりあちこち筋に無理があるのだが、そんなことを観ている間は忘れてしまうほど面白い。ラストが何とも言えぬ味わい。

4月11日(日)

祭礼のため、割と空いた日。レファレンスがあれこれある。

井上ひさしが亡くなる。物心つく前から『ひょっこりひょうたん島』を観ていた私としては、なんだか不思議な喪失感。ご冥福をお祈りします。

4月10日(土)

市内各地で祭礼の日なので、それほど混まず。割と穏やかに一日が過ぎる。

4月9日(金)

カウンターローテーションを組む。ひとが替わったため、かなり組みづらくなっているのであった。

ばたばたと過ぎる。

4月8日(木)

電算関連でまた腹立たしいことがある。

かけねばならなかった電話を何軒かかけたり、視聴覚資料の整理をしたり。

利用者多し。レファレンス多し。

4月7日(水)

休み。『ウディ・アレンの夢と犯罪』を観る。出来が良いとは言えないが、私にはなんだか面白い映画であった。トム・ウィルキンソン演じる叔父さんと木の下で話をするところが最高。ユアン・マクレガー、コリン・ファレル、どちらもとても魅力に溢れていた。

4月6日(火)

朝、電算会社が不具合の原因と今後の対応についての説明。はじめから製品ではなく、半生のようなものを売っていて、いまもその半生は腐りつつあり、全部なんとかしないとなんともならない、といったような状況であることはすでにわかっており、やはりそうであったか、と確認作業をしただけ。ともあれ今月中に、大きな問題についてはなんとかなりそうであり、再来月には新しい半生ではないものが入りそうである。導入からかれこれ一年半。はじめがめちゃめちゃだと、あとからはなんともならないものであるな、としみじみ感じる。

選書、年度初めのばたばたした作業で一日が過ぎる。

4月5日(月)

『NINE』を観る。ダニエル・ディ・ルイスは良いし、女優さんも良いのだが、『81/2』や『オール・ザット・ジャズ』を超えるような作品が簡単にできるはずはないわけで、もう作品ができない監督を描く作品は作らない方が良いのではないか、という気がしてくるのであった。

4月4日(日)

新年度はじめての日曜日。ゆるやかに混んだ日であった。

4月3日(土)

朝からどたばたしたが、なんとか平穏に一日が過ぎる。

登録者多し。

4月2日(金)

休み。『ハート・ロッカー』を観る。アカデミー賞受賞作はあまり期待せずに観ることにしているのであるが、これは面白い映画であった。いかにも映画。人間の不条理を描いている。ラストが良かった。

4月1日(木)

新年度がなんとなくはじまる。新しい臨時職員さんは新卒。就職難であることをひしひしと感じる。

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