R.シュトラウス : バラの騎士 CDレビュー U



U.  1960-1979年録音
      ♪カラヤン♪ヴァルヴィーゾ♪ニューハウス♪ショルティ♪ベーム♪
      ♪ラインスドルフ♪プレートル♪C.クライバー♪デ・ワールト♪ドホナーニ♪

                 ( )内はマルシャリン、オクタヴィアン、ゾフィー、オックス男爵の順

リザ・デラ・カーザ(マルシャリン) カラヤン指揮  レジーヌ・クレスパン(マルシャリン) ヴァルヴィーゾ指揮  リザ・デラ・カーザ(マルシャリン) ニューハウス指揮

◆ カラヤン/ウィーンフィルハーモニア管弦楽団(1960年7月26日 GRAMMOPHON)★★★★☆
(デラ・カーザ/ユリナッチ/ギューデン/エーデルマン)
 ザルツブルク音楽祭でのライヴ録音で、祝祭大劇場のこけら落としとなった演奏です。同じ時期に収録されたパウル・ツィンナー製作監督の映画ではカラヤンとウィーンフィルは同じですが、マルシャリンがデラ・カーザの代わりにシュヴァッルツコップ、ゾフィーがギューデンの代わりにローテンベルガーでした。この年の音楽祭では、7月26日、8月4、6、13、18、28日の計6回「ばらの騎士」が上演されていまして、そのうちシュヴァルツコップはたった1回しかマルシャリンを歌っていません(何日かは不明)。その1回をライヴ録音して、後から音に合わせて演技して映画に収録したのでした。

 序奏から溌剌としたテンポでいやが上でも期待にワクワクさせられる見事な演奏です。録音の状態はあまりよくなく、高音や強奏時における金属的な響きには辟易させられますが、それをはるかに上回る演奏であることは、曲が進むにつれて明らかになります。

 ユリナッチのオクタヴィアンは若々しさと力強さを漲らせた歌を聴かせ、デラ・カーザのマルシャリンは輪郭のはっきりした生気溢れる声を楽しませてくれます。二人ともやや肩に力が入ったところも見受けられますが、ライヴだけに舞台での華やかな演技を髣髴とさせる気合の入った演奏と言えます。また、二人の声質が異なることもシュトラススの音楽をわかりやすくしています。モノローグにおけるカーザの歌は、いたずらに感傷に浸らず、湿っぽさのない、しかし僅かな瞬間にメランコリーを示唆するもので、シュトラウスが求める理想的なマルシャリンを演じています。声には常に力強さと繊細な起伏に富み、高貴さと若さを湛えています。カラヤンの棒は極めて控えめで、シュヴァルツコップとのスタジオ録音における激しい感情移入をせずに、淡々と音楽を紡いでいきます。しかし、決め所を外すことはなく、シュトラウス音楽のツボを押さえた美しい演奏となっています。

 第2幕の冒頭も活気に溢れ、ゾフィーの期待と不安を的確に表現し、これから始まる喜劇への期待感を高めています。オクタヴィアンは音域の広い安定感ある声で歌われ、ギューデンは輝かしい高音と芯のある声質で勝気なゾフィーを聞かせます。そのクライマックスでは、二人がその声をオーケストラをも巻き込みつつ競い合っているようなところがあって、やや力みが感じられます。しかし、ライヴならではのスリル感を楽しむことが出来ます。カラヤンの音楽は終始陶酔することなく自然なテンポを維持します。フィルハーモニア管とのスタジオ録音のような違和感は全くありません。男爵を歌うエーデルマンは完全に役を掌握した見事な歌とその場で求められる完璧な雰囲気づくりでこの幕を面白く聴かせています。その貴族としての品と田舎者らしい野蛮さの両面を見事に演じるさまを聴くと、シュトラウスが当初このオペラの主人公をオックス男爵としていたことを思い出させてくれます。

 第3幕。活き活きとした弦楽器の速いパッセージの中、ときおり爆発を交えた演奏は録音がモノラルであることが惜しまれるほど見事に仕上っています。ややスマートすぎてパントマイムの雰囲気が感じられないこともありますが、粋な感じはうまく出ていて、どうだ、と言わんばかりのこの演奏は音楽祭のモニュメントとしての上演にしては効果的なものと言えます。エーデルマンとユリナッチによる演技たっぷりの年季の入ったやり取りは音だけでも十分楽しめます。最後の三重唱におけるカーザの明確な発声による引き締まった声をはじめ、厚ぼったいオーケストラの中から3人の特徴ある声がくっきりと浮き上がってくるところは見事と言えます。続く二重唱でのユリナッチとギューデンは若々しさを失わず、オペラの枠組みから外れない歌唱を聴かせます。カラヤンの音楽は意外にも淡々としていて、クライマックスに向けて僅かにテンポを上げて歌の自然なテンポの揺れについていきます。しかし、マルシャリンが退場するオーケストラだけの場面では、待ってましたとばかり止まりそうなテンポで面々と音楽を紡いでいきます。この計算しつくされたカラヤンの音楽つくりにはただ感心させられるばかりです。


◆ヴァルヴィーゾ/ウィーンフィルハーモニア管弦楽団(1964年9月 DECCA)★★★★★
(クレスパン/ゼーダーシュトレーム/ギューデン)
 このCDは抜粋です。第1幕の序奏と導入部、マルシャリンのモノローグと二重唱と終幕、第2幕のばらの献呈、第3幕は男爵の退場から三重唱と二重唱を含む最後までです。たぶん全曲として収録はされているはずですが、わずか4年後に同じ DECCAから同じマルシャリン、ショルティの指揮で録音されたために全曲のCD化は難しいのかもしれません。なお、この曲を得意としたゼーダーシュトレーム(彼女はデラ・カーザと共にこの曲の3つの役を歌うことができました。)がオクタヴィアンを歌う唯一の録音です。レヴァインの指揮で三重唱(マルシャリン)を歌う映像は見ることができます。

 序奏は、近年あまり聴くことができない豊かな響き、輝かしいサウンドをウィーンフィルから引き出し、力の漲った勢い溢れる素晴らしい演奏を聴かせてくれます。モノローグではクレスパンが気品と自在さをもって潤いのある歌を披露します。オーケストラは柔らかな音で歌を引き立て、すべてが完璧なかたちでシュトラウスの音楽を再現しています。その匂いたつような色気に高貴な香りを添えることができるのはこのオーケストラだけでしょう。オクタヴィアンが再登場すると音楽は一転してドラマティックな様相を帯び、激情へと急き立てていくところは見事です。オクタヴィアンを歌うゼーダーシュトレームの張りのある声と艶を失わないクレスパンの声とのコントラストはきわめて効果的で、フレーズ毎変化する心の動きに敏感に反応するところも見事です。オーケストラも負けじとある時はむせび泣き、ある時は爆発しつつ音楽を紡いでいきます。随所に活躍するヴァイオリン・ソロがこれほど優しく歌に寄り添い、これほど色っぽく絡まり、しかも音楽をリードする演奏はないでしょう。恐るべき演奏です。

 第2幕ではオクタヴィアンを歌うゼーダーシュトレームがソプラノのとしての特質を活かしています。メリハリの効いた明確な歌い方は、オーケストラの的確なサポートを得て凛とした輝きを放っています。グロッケン、チェレスタ、トライアングルといった打楽器群がピシッとはまって聴こえるもの心地よさを与えています。6種もの録音に登場するゾフィーを歌うギューデンはこの彼女にとって最後の録音においても全くスタイルを変えることなく、張りのある輝かしい高音を聴かせます。二人は最初こそ静かな歌い方ではありますが、徐々に力のある発声へとシフトしていき、節度あるクライマックスへと音楽を作り上げていきます。この二重唱では、数あるウィーンフィルの演奏でも出色の出来栄えと言える見事な演奏を聴かせています。

 第3幕は男爵が去ってからの3人の葛藤と歌うところから収録されています。オーケストラを含めて終始起伏の激しい明確な音楽が展開され、3人ともパワー全開でそれぞれの特質を十二分に出しています。三重唱では、マルシャリンのレガートを効かした気品溢れる歌が印象的で、全体に息の長いフレージングで進行します。オーケストラは全く遠慮することなく音楽に参加し、弛緩のない緊張感を維持します。テンポは途中から速くなり、一気にクライマックスへと登りつめていきます。続く二重唱でも速めのテンポは維持され、これが却って感動に震える二人の姿をさりげなく表現しています。オーケストラは終始緻密かつ豊かな響きを絶やさず、シュトラウスの描いた世界を再現し続けます。最後の2つの和音がビシッと決まるこの演奏はすべてを満たしてくれると言って過言ではありません。全曲のリリースが待たれる名演です。


◆ニューハウス/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(1966年1月 )★★★★☆
(デラ=カーザ/デラ=カーザ/ローテンベルガー)
 『ばらの騎士』の女声3役をそのキャリアの同時期に歌い分けたリザ・デラ=カーザの実力の片鱗を示す録音です。かのロッテ・レーマンも3役を歌いましたが、ゾフィー、オクタヴィアン、マルシャリンの順にキャリアを積み上げていったのであり、後年はマルシャリンしか歌っていないのです。このCDでは、第1幕モノローグから終曲(マルシャリン)、第2幕二重唱2曲(オクタヴィアン)、第3幕二重唱(同)が収録されています。

 1曲目は、まさにロッテ・レーマンの後継者という貫禄ある歌いを聴かせます。決して声に溺れないストイックなまでのコントロールに加えて、微妙な変化に静かな感情移入がされていることを聴き取ることが出来ます。知と情の絶妙なバランスに立った演奏と言えます。クライマックスにおけるオーケストラの雄弁さは見事で、初演した歌劇場ならではのものと言えます。また、チェレスタが美しく聴こえる演奏です。2曲目は、男爵の家来が狼藉を働いている隙にゾフィーがオクタヴィアンに救いを求めるところの二重唱、3曲目に「ばらの献呈」の二重唱となっていて本来の順序とは逆になっています、ここではカーザの中高音における巧みな表現にため息が出ますが、ゾフィーを歌うローテンベルガーが遅いテンポのせいかやや重々しく聴こえます。4曲目の二重唱では二人のよく分離した透明感のある声が見事です。なんとなくモヤモヤした演奏が多いところだけに、このような輪郭のきちんとした歌い方には好感が持てます。もちろんカーザは一瞬マルシャリンになって"Ja,ja"を歌っていますが、二重唱の後半でのカーザはやや音程に安定さを欠いています。オーケストラは終始完璧さを誇り、打楽器もすべての楽器がクリアに聴けます。全曲のスタジオを残さなかったカーザの歌が聴ける貴重な演奏と言えます。なお、このCDには歌劇『アラベラ』から第1幕の二重唱が1曲収録されています。


レジーヌ・クレスパン(マルシャリン) ショルティ指揮  クリスタ・ルートヴィヒ(マルシャリン) ベーム指揮  セーナ・ユリナッチ(マルシャリン) ラインスドルフ指揮

◆ ショルティ/ウィーンフィルハーモニア管弦楽団(1968年11月 DECCA)★★★☆☆
(クレスパン/ミントン/ドナート/ユングヴィルト)
 ショルティはウィーンフィルから豊潤で明確な音楽を引き出していますが、突出する美しさやウィーン風の洒落た世界を作り出すことはせずに、ひたすら正確無比な音楽を聴かせます。

 マルシャリンを歌うクレスパンは重くならず、軽くもなく、かすかなメランコリーを添えて心の揺れを緻密に表現しています。彼女のコントロールの効いたさりげない歌唱は自然に耳に入ってくる感じです。ミントンのオクタヴィアンは陰をつけすぎず、くっきりしたメリハリある音楽つくりに徹していて、最もショルティの音楽に合っているようです。どこかマーラーの歌曲のように響くところがありますが、彼女はこの録音の後1970年代にショルティとマーラーの歌曲や交響曲を録音することになります。ゾフィーを歌うドナートの天使のように澄んだ声はシームレスに流れると同時に力強さも垣間見せます。ユングヴィルトのオックス男爵も声は美しいものの、少々真面目で感情表現に乏しく単調さが気になります。

 終幕の三重唱では、マルシャリンにやや力みがあって落ち着きを失い、力ずくで声を繋いでいるように聴こえます。オクタヴィアンは終始落ち着いていて安心して聴けますが、ショルティの音楽は逡巡することなく一直線に前進するだけで、物足りなく感じます。せめて頂点に達する直前でテンポを緩めるなりしてもいいのではないかと思われます。続く二重唱ではふたりとも慎重すぎるのか音楽が重くなっていきます。マルシャリンが部屋から出て行くところでは、ヴァイオリンにグリッサンドをさせずに素っ気無く通り過ぎてしまうのは、ショルティらしいといえばその通りですが、まさにショルティの最大の欠点とも言うべきところでしょうか。せっかくのウィーンフィルが実力を発揮しないまま終わってしまうのは何とも物足りなく、惜しい気がします。「銀のばら」のテーマを作り上げる音符ひとつひとつがやや長いために違和感を覚えます。第2幕の同じテーマでは問題なかったのに、何故弾き方を変えるのか疑問に思えてなりません。


◆ベーム/ウィーンフィルハーモニア管弦楽団(1969年7月27日 GRAMMOPHON)★★★☆☆
(ルートヴィッヒ/トロヤノス/マティス/アダム)
 数あるザルツブルク音楽祭ライヴの中では音質の極めていい録音です。オクタヴィアンを得意にした割にはスタジオでの録音がないトロヤノスの素晴らしい歌唱が聴けます。成熟した潤いのある声は役柄としての是非は別として大きな魅力と言えます。メゾ・ソプラノでマルシャリンを歌うのは極めて珍しいルートヴィヒは、高音の艶が欠けることもあって最初はややトロヤノスに押され気味です。しかし、二人のやりとりは生気溢れるオーケストラにサポートされて何気ないシュトラウスの世界を自然と作り上げています。アダムのオックス男爵は真面目で、幅の広い声質は魅力ですが軽快な発声があったりして、これまでのオックス像からはかけ離れた感じがします。マルシャリンのモノローグでのルートヴィッヒは中音域の聴かせどころではその本領を発揮していますが、やはり高音は肩に力が入って一本調子になりがちです。しかし、マルシャリンのひとつの姿をしっかり表現することに成功していることは確かです。

 第2幕のばらの献呈ではあまりに遅いテンポであるために音符に張り付いているように聴こえます。銀のばらの動機では音符をひとつひとつ押し込むように弾いているのにも違和感を覚えます。しかし、ゾフィーを歌うマティスの朗々と響かせる高音は見事です。オクタヴィアンが奥深い声で支える中、ゾフィーが思い切りよく高音を捉えるところは聴き応えがあります。オーケストラの演奏が雑に聴こえるのは残念なところですが、設定のテンポに問題がありそうです。舞台の演出の都合かもしれません。献呈の儀式が終わると普通のテンポになるだけに惜しまれます。マティスが弾けるような勢いで勝気なお転婆娘のゾフィーを見事に演じているのですが、最初からこうしてくれたほうが面白く聴けたかもしれません。ワルツのでアダムはやはりここでも男爵らしくなく、抒情的な美しいところもあるかなり異質な演奏です。ベームの指揮にも全く色気がありません。

 第3幕の序奏では熱くならずクールに演奏されます。弱音を活かし決め所を外さない、すべてを掌中に収めています。男爵とマリアンデルのやりとりでも音楽はひたすら美しく、真面目に歌われます。素晴らしいけれども面白みはありません。終幕の三重唱で、オクタヴィアンが「マリー・テレーズ・・」と歌いだす直前のオーケストラの和音でヴァイオリンのソロが素晴らしく美しい音を奏でています。ノン・ヴィブラートでひっそりと奏されることの多い個所ですが、このような艶のある音を聴くと新鮮に感じられます。マルシャリンのルートヴィヒはこの時に賭けていたかのようにこれまでにない輝かしい高音を聴かせます。ゾフィーは少々立派過ぎるきらいがありますが、バランスは見事に決まっています。遅めのテンポで3人の声を分離させて克明に聴かせますが、オーケストラは最初のうちは抑えすぎかもしれません。シュトラウスのダイナミクスな音響効果があまり活かされていないようです。しかし、クイマックスではその頂点に至るまで3人とも見事に歌い切っています。ここで残念なのは、高弦の音が金属的に聞こえることです。二重唱では一音たりとも疎かにしない実に精緻なアンサンブルを聴かせます。柔らかい声質、高音の艶と完璧に近い演奏です。オクタヴィアンの感極まった胸のときめきも見事に表現されていますが、ゾフィーはややテンポが遅すぎるのか、しっかりものという印象を受けます。もっと揺れる心の内が歌に表われてもいいところです。一方、マルシャリンの最後の「Ja Ja」がキツイ歌い方で、どこか場違いに聴こえてしまいます。二重唱の後半のテンポはだいぶよくなりますが、前半は遅すぎたのではないでしょうか。この演奏、振り返るとオクタヴィアンとゾフィーは完璧に近いものの、マルシャリンに難があり、最も問題なのはベームの指揮ではないでしょうか。


◆ラインスドルフ/テアトロ・コロン歌劇場管弦楽団(1959年9月 LIVING STAGE)★★★★☆
(ユリナッチ/ルートヴィヒ/ゲッツィ/ベリー)
 ブエノスアイレスのテアトロ・コロン歌劇場の『ばらの騎士』のCDはこれで2種類目。ライヴ録音でありながら極めて高い水準の演奏になっています。ラインスドルフというと日本ではニ流の指揮者としてろくな評価をもらっていませんが、この演奏を聴くと決してそう簡単にかたづけてはならないことがよくわかります。筆者はラインスドルフが亡くなる5年前、80歳を過ぎて尚かくしゃくとした姿をシカゴで見ていて、そのときは派手さはないものの曲の本質を見据えた堅実な音楽作りをしているという印象を得てますが、50歳代後半のこの『ばらの騎士』においても同じような指揮をしているように感じられました。録音の状態は非常によい(ノイズがほとんどない)のですが、舞台の歌手もオーケストラの各楽器が皆同じ平面から聞こえてきて、シンフォニックな楽しみはありませんが、歌手の声が細部までしっかり聴き取れます。

 序奏の冒頭こそハラハラさせられますが徐々にアンサンブルもはまっていきます。オクタヴィアンを得意としているユリナッチがマルシャリンを歌っているせいか、ルートヴィヒのオクタヴィアンといっしょに歌うと声が似通って聴こえます。幕明きの不安定さのために二人とも声を張り上げ気味になっているのかもしれません。しかし、マルシャリンのモノローグではユリナッチの声域がここの音楽とちょうど合っていて、彼女の充実した低音がマルシャリンの心の内を静かに映し出しています。オーケストラも彼女にぴったり寄り添い、テンポを緩めずに淡々と音楽を進めるあたりはツボを心得た棒であると思えます。なお、イタリア人歌手役の歌い方がいかにもR.シュトラウスが揶揄したかったように情緒綿々こってりしたスタイルで歌われるところも作曲家の意図をしっかり理解していると言えます。

 第2幕。「ばらの騎士の登場」に至るオーケストラの難所は混沌とした状態が続きます。ゾフィーのゲッツィは冒頭こそ固さがありましたが、オクタヴィアンが登場してからは落ち着いた声で終始音楽をリードし、明確な発音と芯のある声質で極めて安定感のある声を聴かせます。しかも美しい音楽に酔いしれることなく、嫁入り前の若い娘が感動に打ち震える様を見事に表現しています。弦楽器の人数の少なさそうなオーケストラによる室内楽的な響きと、不思議と管とのバランスがいいのが加わって独特の空間を作り上げています。続くベリーのオックス男爵は他を圧倒する声ではないものの舞台上のドタバタが目に浮かぶほど活き活きとした歌を聴かせます。ワルツでは速めのテンポにも関わらず男爵は洒落っ気を失ないません。男爵の幕切れの笑いも下品の一歩手前に留まっていて観客も大いに沸いています。

 第3幕。幕明きからオーケストラが気合いの入った演奏を聴かせます。速めのテンポできっちり弾いているのは立派です。オックス男爵が登場すると舞台の動きに合わせるのかテンポが落ち着いていきます。オックスとマリアンデルに扮したオクタヴィアン、つまりベリーとルートヴヒですが(この録音当時二人は実際夫婦だった)、このふたりのやり取りを聴いているとなんとも可笑しくなります。心なしかルートヴィヒがリラックスして調子を上げてきているように感じられます。三重唱に入ると、まさにこの曲のためにこれまでのすべてが存在したかのように舞台全体が引き締まってきます。これまでにない遅めのテンポに乗って3人それぞれが最高の歌を競い始め、「マリー・テレーズ」とオクタヴィアンが始めるところのトランペットの完璧さ、マルシャリンの歌をなぞるオーボエの神がかったところなどオーケストラを含めて極めて高い水準の演奏が展開されます。しかし、ここで少し張り合いすぎたのかマルシャリンが別室に去ってからの二重唱ではオクタヴィアンが力みすぎて不安定な歌唱になっています。再びマルシャリンが登場してファニナルに答える「Ja, ja」があまりに完璧だったせいか、或いはその後にオーケストラが聴いていてしびれるほどの実に見事な演奏を聴かせたせいか、オクタヴィアンは別人のように立ち直り、ゾフィーとの最後の二重唱をこれ以上ないというほどの美しさで歌いきります。素晴らしい名演です。


グンドラ・ヤノヴィッツ(マルシャリン) プレートル指揮    エヴリン・リアー(マルシャリン) デ・ワールト指揮

◆ プレートル/ナポリ・イタリア放送管弦楽団(1971年10月16日)★★★☆☆
(ヤノヴィッツ/ファスベンダー/コトルバス/リッダーブッシュ)
 ヤノヴィッツのマルシャリンはドホナーニのザルツブルクのライヴでも歌っています。オクタヴィアンを得意としていたファスベンダーには意外にも正規の録音がありませんので(C.クライバーが指揮した映像では歌っています。)、このCDは貴重と言えます。また、ちょうどこの頃ウィーン国立歌劇場でゾフィーを歌っていたコトルバスが聴けるのもこのCDも魅力です。彼女のドイツものは『魔笛』や『ヘンゼルとグレーテル』を除くと極めて珍しいと言えます。指揮をしているプレートルはイタリア、フランスもののオペラ指揮者というイメ−ジがありますが、最近は『ばらの騎士』組曲や『カプリッチョ』などを録音していまして、四半世紀前もシュトラウスを振っていたというのも興味深いところです。

 第1幕の序奏は、録音がひどいこともありますが各パートずれまくってたいへんなことになっています。しかし、幕が開くとピタッと合ってきます。ヤノヴィッツとファスベンダーの二人は少々きつい感じの声に収録されていますが、バランス的にはとてもいい具合で溌剌とした雰囲気を作り上げています。メリハリのある発声と力一杯歌うところに好感が持てます。ただ気になるのが、ドホナーニの時と同様ヤノヴィッツの声質が軽くてゾフィー向きであるということです。オーケストラが普段よく聴くウィーンフィルでないために聴きなれないフレージングが耳に飛び込んでくることに驚かされます。新鮮に感じられることもありますが、演奏の精度が今ひとつということもあって決め所を外すことも多く、かなり違和感を覚えます。モノローグでのヤノヴィッツは押し殺したような歌い方をしていて、声質を意識しているようです。オクタヴィアンが戻ってきたときには一転してドラマティクな表現をしていますが、高音のf(フォルテ)での声が力づくで出しているように聴こえ、表情が単調に感じられます。

 第2幕の「ばらの献呈」ではファスベンダーとコトルバスの美しい二重唱を聴かせます。オクタヴィアンは淡々と無駄のないスタイルで口上を歌い、ゾフィーは不安に震えるさまを可憐に歌います。ゾフィーを歌うコトルバスの高音は柔らかく輝き、彼女特有のフレージングを垣間見ることができます。
 第3幕の冒頭はいくらかのカットが施されているようです。プレートルの指揮は穏やかです。オクタヴィアン扮するマリアンデルと男爵のやりとりでは、ファスベンダーが慣習的な裏声などを使わずに張りのある声で歌っていながら様々な工夫を凝らして歌っているのが印象的です。男爵も彼女の歌によく反応しています。終幕の三重唱でのヤノヴィッツはドホナーニ盤同様、硬質な声質と響きでマルシャリンとしてはやや異質な演奏を聴かせています。しかし、三人のバランスは非常によく、プレートルの自然なテンポ設定と変化に順応しています。続く二重唱では、コトルバスの感情が溢れてくるような歌い方にファスベンダーの端正な歌い方の見事なコントラスをなして曲に面白みを与えています。後半はやや息切れ気味ですが、最後はそれぞれの持ち味を出しながら美しく決めています。


◆ C.クライバー/バイエルン国立歌劇場管弦楽団(1977年 Legato)★★★☆☆
(ジョーンズ/ファスベンダー/ポップ/リッダーブッシュ)
 クライバーがバイエルンで収録した有名な映像の2年前、オックス以外はほぼ同じキャストでの公演のライヴ録音です。録音が悪く、金管がはるか彼方に聴こえます。しかし、生気溢れるクライバー節は健在です。ファスベンダーのクセのない豊かな声によるオクタヴィアンは、若さゆえの背伸びをしているような力みをうまく表現していて見事ですが、ギネス・ジョーンズのパワーあるワーグナー風の声には多少違和感があります。共に肉付きのいい声による濃厚な表現を競い合います。また、クライバー特有の活きのいい音楽運びも聴いていて爽快です。オックス男爵もマルシャリンに負けないくらいによく鳴らしますが、舞台の進行に応じて声の質が変わることはないようです。クライバーのフレーズひとつひとつに細かくニュアンスを与える指揮には驚嘆に値しますが、声量的に豊かな歌手達のそれほど繊細でない演奏とは目指す方向が違うような気がします。のちにクライバーはウィーンで室内楽的で緻密な演奏をしますが、そのときのキャストはまさに彼の意図を実現できる歌手で固められているのです。マルシャリンのモノローグでは、ジョーンズのどちらかと言えば楽天的な声では揺れる心のうちを表現するまでには至っていません。しかも弱音で歌うときに若い娘のようなかわいらしい声に聴こえるのも違和感があります。

 第2幕。ゾフィーを歌うルチア・ポップの広域に渡って安定した歌唱、中低音の潤いのある響き、高音の可憐さに耳を奪われます。続くばらの献呈でのファスベンダーはその充実した声を披露し、ゾフィーは感動に震える姿は表現していませんが静かに完璧な歌を聴かせます。オーケストラも見事で、とりわけオーボエの好演が光っています。高音を楽々と歌い、理想に近いバランスで二重唱が歌われますが、欲を言えば若いふたりの感動する様が伝わるとなおよかったと思われます。最後のワルツでは、クライバーの音楽は微に入り細に入り手をかけているのですが、肝心の男爵の歌にはあまり工夫がなく、マリアンネに押され気味です。リッダーブッシュは来日したとき『フィデリオ』でロッコを歌ったと記憶していますが、オックスのような喜劇的な役というイメージからは遠く感じられます。

 第3幕では、クライバーならではの熱気の漲る演奏が展開されます。オーケストラはそれに見事に応えています。男爵とオクタヴィアン扮するマリアンデルのやりとりは決して面白おかしいものではありませんが、ファスベンダーが観客におもねることなく様々な工夫を凝らした歌唱を聴かせているのが興味深いところです。三重唱が始まる前で、オクタヴィアンが「マリー・テレーズ」と声を掛けるシーンでのオーケストラは見事です。三重唱でのやや疲れ気味のマルシャリンの歌はかなりクセのあるもので、高音を時折抜くといった不自然な歌い方をしています。オクタヴィアンはここでも安定した歌唱を聴かせます。クライマックスの直前で大きくアッチェランドしますが、頂点を越えてからはやや緊張感を失っているような演奏です。続く二重唱は暗い感じで、ゾフィーも疲れが見えます。クライバーにとってはいろいろ課題の残る演奏だったのでしょう。


◆ デ・ワールト/ロッテルダム・フィルハーモニア管弦楽団(1976年7月 Philips)★★★★★
(リアー/フォン・シュターデ/ウェルティング/バスティン)
 ウィーンフィル(ウィーン国立歌劇場)とドレスデン国立歌劇場、この2つのオーケストラによる録音が圧倒的に多い中、意外なオーケストラによる演奏ですが、これが飛びきり素晴らしい演奏を聴かせてくれます。第1幕の序奏からきわめて緻密で整っていながら、グイグイと前に向かって進む様は聴いていて爽快感があります。時々整然としすぎているために物足りなさは感じることがありますが、シュトラウスの音符が完璧に音にされ、しかもクリアに響いているところは評価に値します。幕が開くとテンポを大きく落とし、マルシャリンとシュターデの二人にたっぷりと歌わせます。幕開け早々このテンポでは先々が思いやられますが、シュターデの力のある豊かな声で、熱のこもった起伏のある歌唱が聴けるのはうれしいところです。一方、リアーはやや押され気味で高音を強引に出そうとしているのか苦しそうです。しかし、二人の明確な発音によるしっかりした歌いは音楽にドラマティックな一面を与えています。この遅いテンポはオーケストラだけの時に退屈さを感じさせることもありますが、オーケストラの演奏は終始雄弁で一音たりとも疎かにしない立派なものです。打楽器の細かな動きも含めてすべての楽器が鮮明で、しかも色彩感のある音色がアンサンブルにおける音楽に輝かしさを添えます。オックス男爵のバスティンは様々な声を使い分けてこの田舎出の貴族の性格を見事に表現しています。マルシャリン、マリアンデル、男爵による三重唱、続く客人たちのシーンも驚くほど見事に演奏しています。とりわけ、イタリア人歌手役のカレーラスのその全盛期だけに素晴らしい歌唱を聴かせます。上手すぎると言われかねない演奏で、このオペラの主役の座を一瞬奪っているということが伝わってきます。マルシャリンのモノローグでは、リアーの調子もだいぶ良くなっていて、引き込まれるほどの魅力はないものの、その落ち着いた雰囲気と丁寧な歌い方には静かな感動を覚えます。オーケストラはここでも素晴らしく、終幕に向けて徐々に情感を増していき、かつ歌手に寄り添うような弾き方には心打たれます。
 
 第2幕では、ばらの騎士が到着する前からゾフィーを歌うウェルティング潤いのある声を披露します。ここではとりわけ彼女の中低音がバランスのいいオーケストラの演奏に浮き上がって聴こえます。このロッテルダムフィルは、聴きなれたウィーンやドレスデンの音よりは明るく鳴るため、ばらの騎士の到着シーンは極めて印象的です。オクタヴィアンとゾフィーの二重唱は遅めのテンポで、シュターデは低音の魅力を効かした大人の雰囲気で迫り、ゾフィーは高音でも充実した声で緊張した様を表現しています。儀式としての浮世離れした世界を見事に作り上げています。難点を言えば、二人とも最初からパワー全開で歌いすぎることでしょうか。なだらかな起伏を持ってクライマックスを築くまでには至っていないようです。オックス男爵はよく響く声で押しの強い性格を聴かせますが、ワルツでは大人しい、平板な歌に終始します。

 第3幕の冒頭でも、手を抜くことなく丁寧に演奏されます。整然としすぎていてスリルはありませんが、粋な雰囲気を交えながらシュトラウスの目論見は十分に表現されています。指揮者ワールトの面目躍如といったところです。とりわけ、オーケストラのすべてのパートや登場する脇役たちの誰もがバランスよく舞台の進行に参加しているのには驚かされます。またここでも、シュターデが一枚上手で、男爵を抑えて巧みにマリアンデルを演じています。三重唱では極めて遅いテンポで一音一音丁寧に演奏されます。3人共かなり力が入っていますが、その充実した声の響きは隙間のないアンサンブルを聴かせてくれます。続く二重唱でも同様に遅いテンポでメルヘン的な雰囲気を漂わせます。終始安定したシュターデは、時折彼女の独特な節回しを交えながらこのオクタヴィアンという複雑な役を魅力ある声で表現してくれています。名演です。


ヴィッツ(マルシャリン) ショルティ指揮

◆ ドホナーニ/ウィーンフィルハーモニア管弦楽団(1978年7月26日 Gala)★★★☆☆
(ヤノヴィッツ/ミントン/ポップ/モル)
 ザルツブルク音楽祭におけるライヴ録音です。序奏は躊躇することなく一気に駆け抜けていきます。決してひとところに腰を落ち着けることなく、先を急ぐように進んでいきますが、音楽そのものが忙しくなったりはしません。幕が開いてもオーケストラは常にシンフォニックに鳴り続けますが、時には歌をかき消すことはあってもそのバランスはシュトラウスの音楽にふさわしい状態に維持されています。マルシャリンとオクタヴィアンは朝の起き抜けにしては格調が高すぎるところがあります。しかし、その曖昧さのない歌い方には好感が持てます。オーケストラも折り目正しい演奏で、ウィーン風のポルタメントに満ちた音楽を求める方にはお勧めできません。オックス男爵を歌うモルはパワーと押し出しの強い声で、二人の女声とのアンサンブルを見事に作り上げています。細部に至るまできちっときめつつパワー全開のオーケストラに加えて、軽快なテンポに乗った爽快感、弾むようなリズム感、エネルギッシュな推進力と、この三重唱の演奏としては極めて高い水準にあると言えます。続く客人たちが大勢登場するシーンでも速めのテンポが維持され、雑然とした雰囲気も上手に表現しています。パヴァロッティが歌うイタリア人歌手の素晴らしさは群を抜いたところがあり、すべての瞬間においてパヴァロッティの個性が発散されているのが手にとるようにわかります。シュトラウウスが書いた音符以上の音楽を聴かせていると言っても過言ではなく、ここまで演奏されるとシュトラウスの本当の意図はどうでもよくなってしまいます。ついでながら、パヴァロッティが歌う直前の独奏チェロの素晴らしいこと、ソリスティックで歌に一歩も引けを取りません。マルシャリンのモノローグではヤノヴィッツのオーケストラに負けない若々しい声が印象的ですが、深刻さがないのはいいとして、やや単調で物足りなさがあります。しかし、舞台を離れて純粋な音楽として聴くと、堅牢なオーケストラが作り上げるシュトラウスの音楽の枠組みにピタッとはまっている見事な演奏と言えます。

 第2幕では、献呈の儀式に相応しく飾り気なく真面目に歌うオクタヴィアンと余力を残して美しく澄んだ声で歌うゾフィーの二重唱が聴けます。しかし、ストーリーにおいてはもう少し緊張した、地に足が着かないところがあってもいいかもしれません。しかし、いたずらに派手さを求めず、こじんまりしたクライマックスにとどめた解釈はとてもユニークです。男爵のワルツでは、決して手を抜かないオーケストラにも負けない見事な歌を聴かせています。

 第3幕でも相変わらずオーケストラの分厚い響きが鳴り渡ります。男爵もマリアンデルに扮したオクタヴィアンもめいっぱい声を張りあげつつ面白そうに演技を繰り広げています。終幕の三重唱ではマルシャリンのゾフィーのような声質に少々違和感を覚えます。濃厚に弾き続けるオーケストラといっしょでは、クライマックスでの歌手は気の毒です。続く二重唱では、二人の声質は声量共とてもバランスよく絡み合い、とりわけゾフィーを歌うポップの中低音の美しさに惹かれます。しかし、声を張りあげすぎて疲れたのか音程にやや甘さが出てきて、最後の上降音階の到達音をオクタヴィアンが外しているのが惜しまれます。



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