マーラー : 交響曲第1番 CDレビュー W




W.  1990-1998年録音
         ♪テンシュテット♪ラトル♪マズア♪ノイマン♪ジャッド♪
         ♪デ・ワールト♪シャイー♪リーパー♪ルード♪ブーレーズ♪

◆ テンシュテット/シカゴ交響楽団(1990年5/6月 EMI)★★★☆☆
 テンシュテット3回目の録音で、ほぼ同じ日の演奏会の映像も見ることができます。ライヴにしては優秀な録音で、演奏もシカゴ響の実力をみせつける極めて完成度の高いものになっています。

 序奏は荘重たる雰囲気の中、確固とした足取りで開始されます。弱音が続くにもかかわらず密度の濃い音を維持しています。主題部に入っても落ち着いたスタイルで堂々と演奏されます。とりわけチェロの豊かな響きは魅力的です。テンシュテットは盛んにフレーズの最初や最後で微妙な伸び縮みをつけていますが、始めのうちは今ひとつ奏者間の息が合っていないようです。終始遅めのテンポで、抑制の効いた金管をバックに弦楽器を主体とした貫禄十分の演奏を聴かせます。マーラーがこの楽章で意図したと思われる若々しさはあまり感じられませんが、マーラーの書いた音符が余すところなく音にされています。

 第2楽章は。豪快で且つキリリと引き締まったチェロ・バス、端正なヴァイオリン、整然とした木管、音質的にも音量的にも常に適切なバランスで吹かれる金管と、全てのパートが理想的なスタイルをもってマーラーの世界を築き上げています。トリオではヴァイオリンが柔らかい音で色っぽいポルタメントを多用しています。シカゴ響からこのような音が聴けるのはめずらしいことです。主題が再現した後は存在感ある木管奏者たちのソロが印象的です。第3楽章の冒頭では、広いスペースでコントラバスをはじめ様々な楽器が淡々と演奏するという独特な雰囲気が楽しめます。しかし、続くオーボエが上手すぎるというか上品すぎるために、そこまでの葬送行進曲のイメージが損なわれるように感じられます。ここでもテンシュテットはフレーズ毎にテンポを揺らして品を作ります。さらに、どこでどのパートが表に出るべきかということが事細かに指示されているようで、各楽器が頻繁に見え隠れする極めて面白い演奏になっています。

 第4楽章はなんとも遅いテンポに驚かされます。残響の多いホールではないのに、テンシュテットは何をこの楽章で意図したのか疑問に思うところです。しかし、シカゴ響は全く動じるところなく、一音とも疎かにしない整然とした演奏を繰り広げます。冒頭はともかくしばらく進むとさすがに聴いていてイライラしてきます(会場で聴いていればそんなことはなかったでしょう。)。シカゴ響は決して威嚇することはなく、常に弦と管のバランスは完璧に保たれています。どんなにテンポが遅くなっても全くそのフォルムを崩さないところはさすがです。第2主題も遅いままで、フレーズに応じてさらに伸びるところもあります。それでも弛緩することなく潤いも失わずに活きた音で応える弦楽器にはただ脱帽するのみです。第1楽章に回帰するあたりではますます遅くなって今にも止まりそうになります。その後、時折テンポが上がりかかりますが、すぐ元に戻ります。結局コーダに入ってもテンポは上がりません。最後まで全く衰えを見せない金管は見事で、バランスを崩さずに大音響を維持します。それなりに感動的なフィナーレを築いてはいますが、やや疑問の残る終楽章と言えます。


◆ ラトル/バーミンガム市交響楽団(1991年12月 EMI)★★★☆☆
 このCDには『花の章』がカプリングされていますが、なんとトラック1に収録されています。まず『花の章』を聴いてから交響曲第1番を聴くという趣向になっています。交響曲の2番目の楽章に『花の章』を入れることの矛盾を意識し、しかも終楽章ですべての力を出し切った後に聴く曲ではないということも考えてのことなのでしょう。ライヴ録音ということで、バランスやクリアさにハンディはあるようですが、水準は極めて高い演奏になっています。

 序奏では、冒頭のクラリネットがモヤモヤしていたり、無台裏のトランペットが遠すぎてよく聴こえなかったりと、これから何かが始まるという期待感を高めることには成功していないようです。主題部に入ってもあまり空気の変化はなく、テンポの乗りも今ひとつで、けだるそうに音楽が進行します。丁寧な弾き方がそのことを助長しているようです。最初に盛り上がるところでようやく活気がついてきますが、強奏時でのクリアさはなく、トライアングルだけが耳につきます。序奏に戻ってからの弱音は素晴らしく、丹念に音を作り上げていく姿勢が強く感じられます。ただ、木管がテヌート気味に音を長く押すように吹くので重々しくなることがあります。また、チェロ、ヴァイオリンと主題を受け継ぐところでも音楽が流れ出していかないのが気になります。再現部冒頭のホルンをはじめ金管群は大音量でスケール感ある響きを作り上げますが、音楽の進行はぎこちなく、ルバートがかりそうでかからないところがあったりして、奏者たちの迷いが演奏に表われているようです。

 第2楽章も非常に丁寧に演奏されています。やや落ちついたところがあって、各パート間のバランスはいいのですが、チェロ・バスから熱気があまり感じられません。起伏が少なく、危うさや遊び心がない演奏に終始しています。トリオでは爪先立ったオーボエとヴァイオリンの緻密な表情づけが印象的で、フレーズ毎にテンポを大きく変化させるなど、初めてマーラーらしさが出た演奏になっています。第3楽章は淡々と開始され、室内楽的にこじんまりした佇まいを見せます。相変わらず弱音に拘ったところがあり、角のない音で洗練されたスタイルを呈しています。第2主題でのヴァイオリンが登場するところなどフレーズのつなぎ目でルバートをかけて何かを期待させるのですが、旋律が始まると一本調子に聴こえるのが残念です。中間部では静謐な音楽つくりの中に、ヴァイオリンの大胆なポルタメントによる艶かしさをうまく交えています。とても美しく仕上がっていて、ラトルがこの曲で最も力を入れてきたことがここでようやく実を結んだと言っていいかもしれません。再現部ではトランペットが急にテンポを落としたり、クラリネットが激しく叫んだりとようやく大振りな表現がなされます。だいぶマーラーらしくなったという感じがしますが、もっと早くこうなってほしかったと思えてなりません。

 第4楽章。冒頭から金管はパワーを全開させ、ヴァイオリンは熱気ある演奏を繰り広げます。これまでのどこか気の抜けた感じの演奏がウソのようです。音楽運びも冴えていて、随所で見得を切りながらも絶えず前を見据えた演奏になっています。第1主題の締めくくりあたりでヴァイオリンの8分音符が横すべり気味になりますが、全体としては重心の低い見事な提示部を聴かせています。続く第2主題は、おそらくラトルがこの曲の音楽的な頂点と捉えていると思われるところです。とことん遅いテンポでじっくり構え、一音一音弾き込んでいきます。ヴァイオリンの音質には混じりけのない均質さが維持されていて、ラトルが私淑していたチェリビダッケのスタイルを彷彿とさせます。徐々に緊張を高めていって見事なクライマックスを築きますが、もっと迫るようなところがあればなおいいかもしれません。第1楽章に戻るところでも同様に丹念な音楽つくりをしています。すべてのパートが完璧にコントロールされていてとてもライヴとは思えないくらいです。ただ、あまり遅くて失速しそうになるのが問題です。また欲を言えば、いわゆる決め所でもっと活きのいい、切れ味にある音がほしいところです。しかし、金管が派手に活躍する箇所ではどこを取っても見事で、不明瞭なところや雑なところのない驚くほど磨き上げられた完成度を誇っています。


◆ マズア/ニューヨークフィルハーモニー管弦楽団(1992年4月 TELDEC)★★☆☆☆
 マズアがメータの跡を継いでニューヨークフィルの音楽監督に就任したのがこの曲を演奏した前年の9月。約半年でどれだけ掌握できているか興味深いものがありますが、ライヴ録音ということもあってあまりいい条件ではないようです。

 第1楽章の序奏における金管・木管のこもった音や霞みのかかったところはそれなりに雰囲気はでていますが、テンポが遅いことも手伝って、やや散漫で集中力に欠けるきらいがあります。録音で意図的に操作されているようにも感じられます。主題部に入ってホッとしますが、どこか抑制された印象は拭えません。各楽器のソフトな音は長閑な気分をうまく表現しています。次第に緊張感を増していき、極めて自然なかたちでなだらかなクライマックスを築いていくところは、かつてのニューヨークフィルでは成しえなかったスタイルです。硬質なサウンドと言われてきたこのオーケストラから柔らかい音を引き出すマズアの手腕には感心させられます。再現部におけるホルンの雄叫びにおいて初めて大音響で牙を剥くところを聴くとマズアのねらいがここにあったかと合点がいきますが、時折弦楽器が軟弱に聴こえるところもあり、必ずしも万全な演奏とは言えないようです。

 第2楽章では、最初からリズムを効かして溌剌とした気分で演奏されます。弦楽器は力のこもったキッチリとした弾き方でまとまりもよく、前の楽章での萎縮した演奏がウソのようです。速めのテンポであるため洗練さには欠けますが、音楽の勢いは衰えることはなく、遮二無に前進するところには好感が持てます。トリオではいささかのためらいのないストレートな歌い口で輪郭のはっきりした音楽をかたちづくります。第3楽章。コントラバスとそれに続いてソロを吹く木管の飾らないスタイルは、ここまでマズアがめざしてきたものとよく合っています。その分、第2主題のスタカートを効かしたクラリネットが対照的に際立って聴こえていい効果を上げています。くすんだ音色でどこかクルト・ワイル調に聴こえるのは筆者だけでしょうか。

 第4楽章。相変わらず磨かれていないやや雑な印象は見受けられますが、ニューヨークフィルの実力は遺憾なく発揮されています。弦も金管も鋭角的なサウンドはこのオーケストラらしいところです。第2主題ではタップリ時間をかけてスケール感溢れる世界を築き上げます。第1主題ではオーケストラに任せ、ここ第2主題ではマズアが手綱をしっかりと握り締めているといったところでしょうか。遅いテンポですが腰が重くなることはなく、起伏をつけてうまく曲を進行させます。展開部ではかなり動きのある演奏になっていて、各パート内は揃っているもののパート間ではかなりせめぎ合いが生じています。突っ込むパート、流れるパート、浮き足立つパート、煽り立てるパート、とバラバラではありますが、却ってライヴならでは手に汗握るところがあって面白く聴けます。ニューヨークフィルが暴れ馬ぶりを見事に発揮していると言っていいでしょう。最後まで力の衰えない金管群は立派ですが、響きのよくないことで有名なエイヴリ・フィッシャーホールということもあって、豊かな響きや潤いのある音は望むべくもなく、やや欲求不満の残るフィナーレとなっています。ハーゲゴールドによる『さすらう若人の歌』がカプリングされています。


◆ ノイマン/チェコフィルハーモニー管弦楽団(1992年9月 CANYON)★★★☆☆
 この曲を同じオーケストラで2回以上録音しているのはメータ、小澤とこのノイマンだけ。この演奏は1回目の全集が1982年に完成してちょうど10年後にマーラーの全集の再録音を開始した最初の演奏です。しかし、ノイマンは7,8番の再録を目前にして1995年に亡くなり惜しくも完結はなりませんでした。この曲では13年の歳月がどう演奏に出るかが聴きどころになります。

 この新盤では録音が鮮明になってそれはとてもいいのですが、第1楽章冒頭の霞みのかかった表現は旧盤のほうがより詩的で自然に聴こえます。しかし、ホルンの柔らかい響きは全く変わっていないのには驚かされます。弦楽器より金管木管が前に出ているように録音されていて、弦楽器のクリアさが欠けるのが気になります。ティンパニが重たいのも残念です。全体的に速めのテンポを取るノイマンの指揮は旧盤と変わりありませんが、旧盤に較べて緩急の変化が大きいように思えます。弦楽器が絡み合うところは厚い響きで堂々としていて、クライマックスへ向かうところもそのスケール感と重量感において旧盤に優る音楽つくりを見せています。

 第2楽章では充実した低弦に支えられた恰幅のよい音楽で開始されます。テンポは旧盤より遅めで、より豊かな色彩感に溢れています。あまりチェコフィルらしさは感じられませんが金管の開放的な響きは弦楽器との音の混じり具合をいい方向に持っていっています。第3楽章では輪郭のはっきりした、素朴で大人しい表現に徹しています。しかし、マーラー特有の間に割ってはいるエクセントリックなところでは少々物足りなさを覚えます。中間部では淡々とした速めのテンポながら美しく演奏され、主題部に戻ったところでは金管の潤いのある音がとても印象的です。第4楽章では厚みのある弦楽器と決して金属的にならない金管による力強い合奏を聴くことができます。すべてのパートが見事に溶け合っているのは旧盤と同じですが、やや響きすぎるためにティンパニがドロドロ聴こえるのが残念です。ノイマンの芝居がかったところのない明解なスタイルに貫かれた演奏は聴いていて安心感があります。


◆ ジャッド/フロリダフィルハーモニー管弦楽団(1993年9月 harmonia mundi)★★★☆☆
 このフロリダフィルはアメリカで唯一、本拠地とするホールを2つ持っているという羨ましいオーケストラです(フォート・ローダーデルとウエスト・パーム・ビーチ)。カリブ海に臨む世界でも有数のリゾート地として、またディズニーワールドの所在地としてあまりに有名なフロリダですが、クラシック音楽、しかもマーラーの交響曲とはおよそ縁の遠い取り合わせと誰もが思うところです。しかし、演奏を聴くとその水準の高さに驚くと同時に、アメリカの地方都市における地域文化の奥の深さをあらためて思い知らされます。

 第1楽章。さすがに弦楽器の人数が少ないせいか音がカサカサした感じが気になりますが、こじんまりした中にも室内楽的に丁寧にかつ美しく音楽を作り上げています。主題部に入ってすぐのところではチェロよりバス・クラリネットの旋律を強調したり、フレーズに即してテンポを細かく揺らしたりと工夫を凝らしているのがよくわかります。スケール感はないものの全体によくまとまっていて、しかも音楽の勢いが失われていないのには好感が持てます。どのフレーズもごく自然に処理されていて十分に弾き込まれているという印象も受けます。楽章全体の構成感もしっかりしていて、とりわけコーダにおいてテンポを上げて爽快に締めくくるあたりは見事と言えます。木管、金管の水準は極めて高くアンサンブルの綻びはありませんが、録音のせいか低弦が時折ぼやけて明確でないことがあります。

 第2楽章。冒頭はゆっくり始めて、5小節目で急にテンポを上げています。アバドがベルリンフィルとの録音でも採用していることですが、これは、総譜の5小節目に唐突に括弧つきで速度記号が付点二分音符=66と印刷されているからです。冒頭に書かれてある速度や表情に関するドイツ語に続いて書かれるべきであったのがなんらかの事情で右に寄って、少し離れた5小節目に速度記号が印刷されたと解釈するのが通例で、その場合は楽章の冒頭から同じテンポで演奏されます。ドーヴァー社(1906年版)のスコアとユニヴァーサル社(1967年)の全集版のスコアではその表記の文章の長さが異なり(前者は「力強い動きで」、後者は「力強い動きで、しかしあまり速すぎないように」)、3小節も空いているのが前者で、1小節だけ空いているのが後者です。速度記号の位置は両者とも同じだからです。ということは現存しない最初の版ではもしかしたらもっと表記が長くて、速度記号との間隔はなかったかもしれません。それを改定作業によってマーラーが表記の文章を削ったり増やしたりしたのにもかかわらず、速度記号に変更を加えなかったために、最初に書かれた位置から変わらないまま誤って印刷を重ねたという解釈が成り立つわけです。ジャッドとアバドはこれに従わず、あくまで速度記号の記された位置は正しいとしているものです。この彼らの解釈には、では何故冒頭にそれとは違う速度記号をマーラーは書かなかったのかという疑問は残りますが、徐々にエンジンがかかるように最初の4小節間は自由な速度でもいいとマーラーは思ったのかもしれません。ベートーヴェンのエロイカ第1楽章冒頭にある2つの和音、第九交響曲第2楽章冒頭ののフォルティッシモのところなどはそこだけを主題部分とは別の速度で演奏されることが多いのですが、それをマーラーが意識したなどと想像すると興味はつきません。

 話をジャッドの演奏に戻しましょう。第2楽章は引き締まった音で、カッチリ弾かれます。低弦をことさらに強調はさせないで、木管や金管を際立たせ、全体として活気を失わない見事な演奏に仕上がっています。トリオはテンポ・ルバートを多用した艶かしい雰囲気でありながら、よく統制された演奏になっています。第3楽章。速めのテンポで開始され、こじんまりした空間にすべてがあるべき姿におさまって聴こえます。各パートが平坦にならず、しかも忙しくならないところは立派です。第2主題からはフレーズの最初と最後にごく自然なルバートがかかっていて、どこか古風な雰囲気を醸し出しています。中間部も第2楽章同様、咽ぶようなマーラー節を聴くことができます。このあたりは最近の演奏にしてはめずらしいことです。

 第4楽章。よく分離したクリアな録音で、やや遅めに演奏されています。金管は攻撃的にならず、ヴァイオリンはすべての音符を丁寧に音にします。途中フレーズの性格上ややもたれ気味のところもありますが、弦楽器の音が際立っているために聴いていてストレスは感じられません。第2主題は予想通り、これでもかと綿々と歌い上げます。極めて高度にコントロールされているばかりか、弦楽器によるフレーズは最大限のテヌートがかかっていてここの雰囲気を盛り上げています。欲をいえば起伏やアクの強さがほしいところです。展開部以降のトランペットが鳴りきらない時があるのは気になるところです。また、もう少しパワーが欲しいと感じることもあり、最後はやや盛り上がりに欠けるために残念な思いがします。


◆ デ・ワールト/オランダ放送フィルハーモニック(1993年10月13日 BMG)★★☆☆☆
 この交響曲はワールトにとって2回目の録音ですが、今回はライヴによる全集として一気に録音されました。最新録音のバジェット・プライスにしてはレヴェルの高い演奏といえます。第1楽章。序奏ではライヴとは思えないピッチの良いヴァイオリンのフラジオレットと木管のくっきりした響きが印象的です。主題部では若々しさを感じさせる演奏を展開しますが、弦楽器の人数が少ないようで音が硬めに聴こえるのと強奏時にかき消されるのが惜しいところです。マイクの位置のせいか金管と木管に距離感がなく同じところから聴こえてくるため、いっしょに吹くと区別がつかなくなります。マーラーは(ブラームスに代表されるように)異なる楽器どおしで溶け合ったハーモニーをつくるというより、お互いに別な旋律を対等にしかも同時に演奏させるところに特徴があるだけに、こうした面白さが聴こえてきません。木管にあまり主張が感じられないのもその一因かもしれません。しかし、ワールトの指揮は常に手堅く、引き締まった音楽を聴かせています。

 第2楽章。元気一杯、馬力のある低弦による見事な演奏も、弱音がぼやけたり分離がよくなかったりと条件の悪いライヴ録音のせいか効果が上がらないのはもったいない気がします。爽快感ある音楽運びも、時に詰めの甘さがあって決めどころを外しています。トリオは素っ気なく、音符の行間からは何も聴こえてこないようです。人数が少ないことによる密度の低い音がそのことをさらに助長しているようです。第3楽章。ソロ楽器に近いマイクのせいでクリアすぎるきらいはありますが、素朴さを出すことには成功しているようです。しかし、第2主題では音がストレートすぎるのと、フレーズ毎の変化の乏しい歌い方が曲を単調にしています。

 第4楽章。これまでの録音のされ方から容易に想像がつく結果になっていまして、強奏時においては弦楽器が聴こえず、ティンパニが入ると全体がドロドロしてしまします。テンポはやや遅めで、ヴァイオリンはかろうじて粒を際立たせることに成功しています。第2主題のヴァイオリンはのっぺりとした起伏の少ない演奏ですが、クライマックスは上手い具合に盛り上げています。展開部からじっくり音楽を進行させ、厚みのある響きを維持させつつ絢爛たるフィナーレを築いていきます。会場で聴いていたらきっと感動したであろう演奏です。録音にやや問題が残ります。


◆ シャイー/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1995年5月 PHILIPS)★★★☆☆
 マーラーの全集録音を進行中のシャイーはこの曲の他に5,6,7,8番をリリースしています。マーラーゆかりのコンセルトヘボウにいるだけにマーラー・フェストをはじめとしてマーラーを振る機会の多いシャイーですが、この演奏を聴く限りでは他とかなりアプローチが違うように感じられます。

 第1楽章の序奏は、ヴァイオリンのフラジオと低弦の持続音による質感のある空気の中を管楽器が色彩豊かに動き出します。遠近感はありますが、クラリネットがやたらと前面に出ていて元気な音を出しているところが一風変わっています。序奏の最後で吹かれるフルートが最前列に陣取って吹いているように聴こえ、とても艶かしい吹き方をしているのが印象的です。主題部に入ると、遅めのテンポであるせいかあまりなめらかに流れていきません。弦楽器は穏やかで、木管は確固とした響きをつくります。トランペットが音階の到達音で美しく音を減衰させるところは何度も聴きたくなるくらい見事です。最初のクライマックスのあたりでようやく音楽の流れがしっくりしてきます。響きは明るく、色彩感に溢れていますが、開放感はありません。展開部ではハープの完璧な音程と引き締まった響きが周囲の鳴る断片的な動機をつないでいます。ダイナミクスの幅は大きく取り、テンポも微妙に変化します。コンセルトヘボウは終始力がこもっていて自信に満ちた演奏を展開させます。まるで高性能のスポーツカーみたいにトップで走っていてもアクセルを踏めばさらに加速できるような余裕すら感じさせます。しかし、頂点に向かっていっても音楽に勢いが感じられないのどうしたことか。トランペットはいい感じで吹いていても他のパートがついていかないもどかしさがあります。全体に木管が太い音で重々しいのと、低弦の音が響きすぎることも音楽が自然と流れない原因と言えます。再現部に入ってからも推進力に欠けたままです

 第2楽章。弾むようなチェロ・バスと張りのあるヴァイオリンが堂々とした音楽をつくります。バランスもよく、その音には暖かさを感じさます。しかし、一点の曇りがないところがかえってメリハリがないものに感じられます。トリオは極めて神経の行き届いた演奏です。木管はそれなりの表情づけをしようとしていますが、どうも上っ面を流れていくような印象をうけます。ぎこちないワルツを表現しようという狙いかもしれないのですが、演奏そのものは出来すぎているということもあって人工的に聴こえ、そこにさすらうマーラーの姿を見つけることはできません。第3楽章。コントラバスのソロがあっさりしていて、それに続くファゴットの見事な演奏に霞んでいます。ここまでファゴットは随所にその存在感をアピールしています。第2主題はアウフタクトで音を大きく膨らませるオーボエや、軍楽隊、ヴァイオリンの登場などよくまとまっていますが、どうも思い切った表現ができていないようで、マーラーの意図が伝わってきません。しかし、通常はほとんど聴こえないファゴットの高音部が朗々と響くのにはびっくりさせられます。中間部ではファゴットをはじめ木管群が健闘しています。ひとり気を吐くファゴットが楽章の最後でまたも見事なソロを聴かせてくれます。ファゴット奏者必聴の演奏です。

 第4楽章。やや遅めのテンポで丁寧に弾かれています。厚みのある豊かな響きはマーラーの意図した音の洪水を見事に再現します。ゴッホの絵画に見られる極太の筆致を思わせるところがあります。しかし、トランペットにもう少し緊張感がほしいのと、全体に驀進していく激しさが欠けるように思えます。また、途中入るテンポ・ルバートが今ひとつこなれていないように感じられます。第2主題でもテンポは遅く、どうもピンと張ったところがなく、ヴァイオリンの音にその内側に秘められたものが見えてきません。行き先がはっきりしないために、頂点に向けてぎこちない展開を続け、結局クライマックスでは肩透かしを食らってしまいます。しかし、第1主題に回帰するあたりの木管は丁寧に吹き込んでいていい効果を上げています。経過句でため息をつくヴァイオリンのところでようやくマーラーが姿を現わしてきます。強奏のときに決してバランスを崩さないところは評価できますが、コーダにかけての音楽作りにはやや疑問が残ります。整いすぎるバランスとアンサンブルを駆使しているのですが、もったいぶった大仰なスタイルを取っているために、音楽に若さがなく、老獪さばかりが目立っているからです。強奏時の響きがソフトでテインパニの音が寝ぼけたような音であるのがそれをさらに助長しています。


◆ リーパー/グラン・カナリア・フィルハーモニー管弦楽団(1996年6月 ARTE NOVA)★★☆☆☆
 ランチの価格で音楽が聴けるという売り文句でひところ話題になったレーベルですが、レギュラープライスのメジャーレーベルのCDに決して引けを取らない演奏と言えます。スペイン領の大西洋に浮かぶグラン・カナリア島にオーケストラがあるなんて驚きですが、1845年にまでその歴史を遡ることができるそうです。リーパーがこのオーケストラの常任になったのが1994年、すでに10数種のCDをリリースし、マーラーは1番の他に3,4,5,7番を録音しています。

 序奏は弱音に徹した演奏で、とりわけ木管の繊細な吹き方とホルンの落ち着いた響きが印象的です。どのフレーズももったいぶらずにサラッと演奏しています。主題部に入ってもスタイルは変わらず、速めのテンポながら細かいところまで気を配っています。音量が増すにつれて弦が管に隠れるバランスの悪さは、それほど管は爆発していないので単に弦の人数が少ないのが原因かもしれません。展開部では録音の感度が悪いのかハープや低弦の動きがあまり聴こえてきません。左から聴こえるホルンのテーマは、よくある霧に霞む森の情景とは程遠い南国の明るさと陽気さがあります。そういえばこの演奏は、ラテン系のオーケストラでこの曲を録音している唯一のものになります(フロリダフィルにはラテン系の奏者は多いかもしれませんが)。室内楽のように各パートが対等にかつ緻密なアンサンブルを聴かせていますが、録音がもっと鮮明だと効果が上がったと思われます。再現部でも控えめな演奏で、クライマックスにおける重量感やコーダにおける快活さがほしいところです。

 第2楽章。ここでも重量感のないが整然とした演奏が聴けます。前の楽章よりは活力が少し出てきていますが、まだ物足りなさを感じます。多少の破綻があってもあふれ出る何かがほしいものです。トリオは速めのテンポでスイスイ進みます。きちんと音を取っているだけに音色の変化や歌いまわしに工夫がないのが惜しまれます。第3楽章はリーパーの室内楽的なアプローチがいい効果を上げています。しかし、第2主題ののっぺりしたオーボエ、ニュートラルなトランペット等、踏み込みが足りません。中間部ではヴァイオリンのソフトで美しい音とオーボエが自然に交じり合っています。再現部ではクラリネットが健康的な音で突然前に出てくるのにはやや違和感がありますが、トランペットはいい感じを出しています。しかし、全体としてはぎこちなさが残ります。

 第4楽章。金管や打楽器は弦をかき消さないように気を使っているのか、その分勢いが感じられません。ヴァイオリンは相変わらずパワー不足です。安全なテンポで進行しますが、音楽に推進力が不足しているようです。第2主題もヴァイオリンが淡々と歌うのはいいのですが、それ以上の何かが足りません。伴奏のホルンもやや硬いせいかしっくりきません。しかし、音楽そのものはきちっとしていて、展開部以降も整然と進行します。もっと感情の起伏があれば面白い演奏になったことでしょう。


◆ ルード/ノールショッピンング交響楽団(1997年11月 SIMAX)★★★☆☆
 マーラーがブダペストでこの曲を初演した時の譜面は現存していませんが、1893年に改訂した版でその年の10月27日にハンブルクで演奏された譜面は残っています。このCDは現存するその最も古い版での演奏で、ウィン・モリス、若杉弘に次ぐ録音となります。この版での正式な題名は「ティターン(巨人) 交響曲様式の音詩」で、「花の章」を第2楽章に含み、各楽章には標題がついています。「花の章」を演奏する場合、厳密にはこの版でないと意味がないというのが今日では一般的な理解となっていて、それはこの後の改定によって「花の章」が削除されたからなのです。また、「巨人」というタイトルもこの版以降は削除されていますので、交響曲第1番「巨人」という言い方は間違いとされています。なお、この版のスコアを見ながら聴いたわけではないので正確な演奏評にはならない場合があることをご承知おきください。

 第1楽章。弱音と遠景にこだわった演奏であるため、全体的にモヤモヤしています。そのため、フラジオを使わないこの版の特徴はあまり感じられません。チェロによる主題部に入ってもまだ目が覚めないといった調子です。トランペットはいい感じで吹かれ、クラリネットはややとぼけすぎたところがあります。最初のクライマックスでは今ひとつ盛り上がりが欠け、丁寧に音を取りすぎているのか途中で気が抜けるところがあります。展開部で序奏に戻るところは、起伏を排した静かな進行に徹していてとてもユニークです。再現部のクライマックスに向けては、かなり大仰なスタイルでたっぷりと時間をかけていきます。トランペットのファンファーレは派手に鳴らされているのですが、頂点におけるホルンが急にしょぼくれた吹き方になっていてがっかりさせられます。若杉の時もそうでしたから、たぶん現行に版に較べてオーケストレーションが薄いのだと思われます。この後もノリが悪く、弦楽器もはっきりしないままバタバタと楽章を閉じます。

 第2楽章、「花の章」。この楽章が演奏したくてこの版を選んだと思われるくらい、ルードの強い思い入れが表われた演奏といえます。決して陶酔することなく、中庸テンポで進行する中、トランペットのソロのこれしかないというほどピタッとはまった演奏に心を奪われます。そればかりか他の木管楽器のソロも瑞々しさを湛えた美しい演奏を聴かせます。いかにも平和といった雰囲気の音楽が紡がれていき、やや硬さはあるものの、控えめなクライマックスを作り上げます。この端正な音楽つくりは、マーラーによる現存する最古の管弦楽作品とされるこの楽章にとってふさわしいスタイルと言えます。第3楽章。冒頭のチェロとコントラバスの序奏にティンパニが加わるというこの版の特徴を、単に楽器の違いというより、それによって生じる音楽の性格の違いを上手に表現しています。速めのテンポでグイグイ進みますが、少々真面目すぎて変化に乏しい気がします。金管はコンパクトで盛り上がりに欠けますが、よくまとまっていて終結部も大げさにはなりません。トリオは丁寧ではありますが、定型的なルバートをかけている割には歌いまわしが素っ気無く感じられます。再現部はどこか気だるそうに開始され、突き抜けるような厳しさや憑かれたようなエネルギーを感じさせないまま楽章を閉じます。第4楽章。モヤモヤした雰囲気を出そうとしているのか弱音に拘りすぎていて、もう少しソロ楽器が前に出てもいい気がします。第2主題はこじんまりしていてバランスもよく取れていますが、ここでも真面目さがマイナスになっていて硬さが耳につきます。続くヴァイオリンによるアウフタクトは突如艶かしく演奏さるのですが、その後は元に戻ってスッキリした音楽になるだけに、妙に浮いた感じがします。再現部での弱音によるトランペットはやや硬さはあるものの見事で、「花の章」での名演に気を良くしているようです。

 第5楽章。金管のコンパクトな響きに導かれ、破綻のないテンポで勢いを失わない程度に弦楽器が丁寧に音楽を作り上げていきます。木・金管がリードするところでやや停滞気味になりますが、安全で安定したテンポが維持され、水準以上の演奏を聴かせます。第2主題に入るところのヴァイオリンは、第4楽章でもそうだったように急に艶のある弾き方をし始めます。これまで青年のような真面目さばかりが耳についていただけに、その落差は大きく感じられます。その後の歌い方も見事で、陰影をつけて時には立ち止まり、細かなニュアンスの変化を随所に見せてくれます。この突然の変貌ぶりには驚かされますが、「花の章」で見せたルードの見事な演奏ぶりを振り返ると、同じメランコリー調の曲でも異なるアプローチをすることで、その違いを浮き上がらせようとする意図が感じられます。こうした第2主題の演奏を聴くと、続く展開部での決して崩れたり猛り狂ったりしないルードの音楽作りに説得力が加わるような気がします。第1楽章の序奏に戻るところではたっぷり時間をかけていますが、方向性は失われません。再現部に戻ると落ちついたテンポで各パートを明確に際立たせます。この版では、コーダに入るところにある大きなクライマックスで、他の楽器より1拍遅れてドラの一撃があるのですが、若杉/東京都交響楽団の演奏ほどではないのですが(これは明らかに間違ったように聴こえます)、やはり違和感を覚えます。マーラーが次の版でこのズレを改めたのは当然のことと言えます。その後は遅めのテンポに終始し、何事も起きることなく平凡に曲を閉じます。全体的に版の違いをあまり意識させない演奏で、単に「花の章」が演奏したかったのではないかという印象を受けます。


◆ ブーレーズ/シカゴ交響楽団(1998年5月 GRAMMOPHON)★★☆☆☆
 しばらく沈黙していたブーレーズが指揮活動を再開したとたん、ラヴェル、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、バルトークといったお得意のレパートリーをベルリン、クリーヴランド、シカゴといったヴィルドォーゾ・オーケストラで録音し始めました。さらに、ウィーンフィルも加えてこれまであまり演奏しなかった(ブーレースから最も遠いところに位置する)ブルックナーやマーラーまで録音するようになり、ブーレーズもずいぶん変わったという観があります。戦後作曲界を引っ張ってきたブーレーズが、マーラーのいいところも悪いところもわかっているといった同業者による醒めた目で、従来のマーラー像を越える新しいスタイルを提起できるかが興味あるところです。   第1楽章。各楽器ともそれぞれの特色は薄められているものの引き締まった音で冒頭から緻密な世界を作り上げています。言い方は古いですがスイスの精密時計とでもいいましょうか。主題部に入ってからも透徹とした響きと軽快さを維持し、淀みなく音楽が進行します。マーラーの描いたこの楽章のひとつの側面である「若さ」、「新鮮さ」は見事に表現されています。ただ、ff で盛りあがるところで音が濁るのが気になります。また、テンポの変化のさせ方が定量的すぎてマーラーのほとばしる熱気をうまくつかみきれていないようにも思えます。もっとも、ブーレーズがそれを意図していないのかもしれません。クールでスマートなこれまでと一味ちがうシカゴの演奏を楽しむことができます。ただ、トランペットの鋭角的な響きはいつものシカゴです。

 第2楽章。速めのテンポでスルスル演奏されます。爽快感はありますが、低弦の軽い響きに乗った脂っ気のないサウンドは、ロマン主義的な音楽とは違うものをブーレースは表現しようとしているのでしょうか。トリオも何とも素っ気無く演奏されています。第3楽章は意外とメルヘン的で、動物たちの葬列をイメージしていたマーラーに忠実な演奏とも言えます。ソフトフォーカスのかかったような響きがとても印象的です。突然割って入る第2主題は上品で上手すぎるのが玉に傷。トリオも速めのテンポで聴き手に思いを巡らす暇を与えません。再現部のトランペットはこれまでになくアクの強い響きで吹かれていて、この楽章でブーレーズがめざす方向とは違うような気がします。

 第4楽章。さすが天下のシカゴの金管セクション、と唸らせる見事な演奏です。弦楽器もパワー全開で金管に負けていません。ヴァイオリンが8分音符を延々と弾き続けるところは、余裕のあまり気が抜けたような印象を受けます。十字軍的な熱意と崩壊寸前の危うさはここにはなく、ブーレースのあくまで醒めた冷静な音楽運びにヴィルトォーゾ達が整然と応えているといった感じです。とにかく、上手すぎるわけで、安心して聴いていられる反面、全体に大きな感情の起伏がないため、面白味に欠けるとも言えます。エチュードのように聞こえるところもあり、そのため繰返しの音型では単調さが気になります。また、パウゼにおける緊張感が乏しく、ここは指揮者ブーレーズのショーマン的なところのない性格に依ることでしょう。フィナーレでも冷静さは失われず、髪を振り乱したマーラーの姿を見ることはできません。シカゴの演奏も完璧に演奏することを続けるせいか、行き所を失ったようにやや元気のない姿で、今ひとつ盛り上がらないまま曲を閉じます。

                                  2000年11月16日現在


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