マーラー : 交響曲第1番 CDレビュー V




V.  1985-1989年録音
         ♪マゼール♪メータ♪若杉弘♪ハイティンク♪リットン♪バーンスタイン♪
         ♪小澤征爾♪ナヌット♪シノポリ♪ドホナーニ♪若杉弘♪アバド♪
                    
◆ マゼール/ウィーンフィルハーモニー管弦楽団(1985年10月 SONY CLASSICAL)★★★★(★)
 意外にもウィーンフィルはマーラーをあまり録音せず、この曲も1950年代以来30年近くも手をつけていません。歴史をひも解けば、マーラー生前においても必ずしもウィーンフィルはマーラーに対して好意的でなかったことがわかりますし、バーンスタインがウィーンに登場してマーラーを取り上げた当初もオーケストラ内部からの多くの反感と無気力に直面したことをバーンスタイン自身が語っています。しかし、バーンスタインの努力によってマーラーに開眼したウィーンフィルは、ようやくこのマゼールの指揮で全集を完結することになります。なお、この1番は1982年に開始された全集録音の最後から2番目に演奏されたものです(最後は8番)。

 序奏はごく自然な遠近感を感じさせる中を木管が美しく歌います。ヴァイオリンはそのフラジオレットで音を伸ばす時に、管の旋律に応じてなんとダイナミクスを変化させます。いつもこうした誰もが思いつかないことをするマゼールですが、このウィーンフィル相手に平然とやってのけるのはさすがです。ここでは譜面にない指示ではあるものの、管楽器が断片的に登場するこの序奏にあって全体を有機的に関連付けることに大きな効果を上げています。序奏から主題部への移行は何の抵抗もなく自然と流れていきます。チェロの主題にはバス・クラリネットが長閑に寄り添います。ヴァイオリンの演奏からは震えるような息使いまでが聴こえてくるほどで、その音色はウィーンフィル特有の瑞々しさを湛えています。管楽器はどのパートもよくコントロールされていて、とりわけトランペットのピアニッシモによる音階にはため息が出ます。また、フルートの円弧を描くような滑らかなフレージングも印象的です。マゼールの指揮は終始肩の力が抜けた余裕が感じられ、音楽に幸福感が満ち溢れています。マーラーが書いた音符をこれほど克明にしかも美しく再現した演奏は他にはないでしょう。この主題部が最初にffからfffでクライマックスを迎えるその前で勝負あったというべき演奏です。そのクライマックスでも乱暴にならず、深刻になったり大仰になったりしませんが、やや音が濁るのは気になるところです。展開部での音楽つくりはマゼールの真骨頂で、まるで魔術師のように次から次へと仕掛けを繰り出してきます。ホルンは寝ぼけたような音を出し、チェロは物憂げに応えます。一方ヴァイオリンは自由自在に戯れ、オーボエは明かりを灯します。しかし、リードするのはフルート、出るべき箇所ではきちっと出て場を引き締めています。楽章のクライマックスに向けてのマゼールは予想に反してアクのない進め方をしますが、その頂点ではしっかり「らしさ」を出して有名なホルンの雄叫びをスローテンポで吹かせています。しかしその後は快速に飛ばしてやや月並みに楽章を締めくくります。ウィーンフィルがのびのびとその実力を発揮した最高の演奏と言えます。また、フルート奏者必聴の演奏でもあります。

 第2楽章は威圧的にならず、遅めのテンポでのんびりとしたムードで開始されます。弦楽器が8分音符をばか丁寧に弾いている様はマーラーが込めた皮肉を面白おかしく表現しているように聴こえます。金管は弦楽器を邪魔することなく確実に指定どおりの音を出すことで、すべての声部をクリアに際立たせています。チェロとバスによるピアニッシモのところは、まるで酔っ払っているかのような千鳥足で弾かれていて思わず笑ってしまいますが、その動きに他の楽器がピタッと合わせて弾いているのには驚かされます。トリオではポルタメントの何たるかを教えてくれるヴァイオリンの艶っぽい演奏が断然光っていて、さらにテンポルバートを織り交ぜて聴き手をドキッとさせてくれます。再現部ではやや大人しい表現に徹していて、最後のコーダでもあまりテンポを上げないために物足りなく感じられます。第3楽章。粘りのある音ですすり泣くように演奏するコントラバスのソロはこの葬送行進曲を見事に再現します。また、それに続く他の楽器がその雰囲気を壊さないように気を使っているのがよくわかります。舌ったらずに吹かれるオーボエが戯画風のイメージによく合っていて面白く聴けます。第2主題では木管に動きが出てきます。ここでもフルートがそのうまさを発揮して聴き手を楽しませてくれます。弦楽器は色っぽく語りかけながら、音楽の決めどころをひとつひとつおさえていきます。フレーズが終わるところにおいて、さらに一歩踏み込んで美しく歌いきるところはただ唖然とするばかりです。ヴァイオリンの名手マゼールと天下のウィーンフィルが全てを掌中に収めつつその奥義を開陳するといった感があります。中間部では平らに吹かれる木管が主体となっていて、時折ヴァイオリンが艶のある音で囁くといった趣で進行します。決してでしゃばらずに刹那の輝きを見せるなんとも見事な世界を作り上げています。しかも、ここを締めくくるフルートのため息を聴くと『さすらう若人』が立ち止まる様が目に浮かんできます。まさに時が止まる瞬間でしょうか。再現部では各パート共濃厚な音でゆっくりと音を紡いでいきます。

 第4楽章は開始からあまり肩を張らずに演奏されます。ヴァイオリンの粒立ちは見事で、緊張感を失うことはありません。第2主題では比較的大人しい表現に留まっています。ヴァイオリンは弱音でも人数が多いことを感じさせる奥行きのある音で演奏され、決して大げさな身振りをせず端正に音を紡いでいきます。音はぼやけずに生々しさを維持し、自然な盛り上がりを作っていきます。クライマックスの終わりで大きなため息をつくところはヴァイオリン奏者必聴です。展開部に入ると、意外にも素直な音楽進行が続き、やや単調さを覚えます。コーダに向けても堅実さはあるものの、どこか物足りない印象が拭えません。最後は大きな昂揚感はありますが、マゼールにしてはまともすぎて肩透かしといった感じです。終楽章は少々期待外れの感がありますが、ウィーンフィルの名に恥じない名演と言えます。


◆ メータ/イスラエルフィルハーモニー管弦楽団(1986年7月 EMI)★★★★☆
 メータ3回目の録音で、花の章を第2楽章に入れて演奏しています。この曲を演奏すること自体は問題とされませんが、通常のこの版で演奏する時に第2楽章に入れることは最近の研究では根拠がないと言われているだけにメータの考えを聞いてみたいものです。過去オーマンディ、小澤(旧盤)がそうしていて、メータの後にジャッドが踏襲しています。いずれもアメリカのオーケストラというところが興味深いところです。ま、堅いことを言わないで、いい曲なのだし終楽章が終わった後に聴くのも付けたしみたいだから、・・・ということなのでしょうか。

 第1楽章の序奏では弱音の指示に拘わらず木管にはストレートに音を出すなど抑制をせずにのびのびと吹かせています。主題部に入ってもどのパートも開放感と色彩感のある響きで演奏され、かつ小気味のよいテンポで進行します。メリハリを効かせたヴァイオリン、厚みのある低弦、随所でピリッと引き締めるハープとなかなか聴きどころがあり、クライマクスにおけるホルンの雄大さには思わず唸ってしまう見事さがあります。全体的に弦楽器が常にリードしていて、金管は攻撃的にならずにそれでいてツボをしっかり押さえた演奏を披露します。肩を怒らして空回りすることの多いメータにしてはリラックスした感じで、あれこれ考えずに自然に音楽の流れに乗った指揮を展開します。常に活き活きとした雰囲気を維持することでマーラーのひとつの側面をうまく表現していると言えます。

 第2楽章(花の章)。気取らずにあるがままに音にしているという演奏で、曲の不完全さが露呈するのも厭わずに素朴さを前面に出しています。第3楽章。いたずらに低弦を強調させずに明るいスタイルで演奏されます。あまり悩みがないというのも考え物で、起伏や変化が少なく軽く流れていくところには違和感を覚えます。それだけイスラエルフィルが楽々演奏できてしまうということも言えるかもしれません。トリオも余計なことを考えず演奏しているのか大きな変化もなく進行します。再現部ではやや雰囲気を変えて音楽をキリリと引き締めています。第4楽章。どのパートも輪郭のはっきりしたスタイルに貫かれています。オーボエの明るすぎる音色は気になりますが単純明快というのも面白いかもしれません。中間部も小細工を弄さずに淡々と演奏する姿勢は変わりません。

 第5楽章。冒頭の音を思いっきり長く引き伸ばしていよいよ戦いの火蓋が切って落とされたといった感じを印象づけます。今まで隠していた牙を剥き出し、貯めていたパワーを全開させます。これまでの楽章で取ってきたスタイルとのコントラストが鮮やかに浮かび上がってくる見事な演出といえます。しかも決して一線を超えずに、バランスを崩したりメカニカルに陥ったりしないところもさすがです。また、金管に負けない力強いヴァイオリンの演奏も光ります。第2主題ではめいっぱいテンポを落として今にも止まりそうになります。起伏をつけずに単調に進行するために行き先を見失う瞬間もありますが、弦楽器の潤いのある響きは適度な緊張感をもってマーラーらしさをうまく表現します。唯一欠点といえば、一貫して真面目すぎるところで、時には苦悩にのたうちまわってもいいのですが、極めて完成度の高い演奏であるだけに惜しい気がします。


◆ 若杉弘/ドレスデン・シュターツカペレ(1986年8月 Deutsche Schallplatten Berlin)★★★★☆
 ドレスデン時代に若杉がいかに堅実な仕事をしていたかを窺わせる名演です。彼独自の主張というものはあまり感じられませんが、自然に音楽が流れ、スタイルもオーソドックス、万人向きの聴きやすい演奏と言えます。第1楽章の序奏では過度の緊張はありません。よく言えばまとまった開始ですが、ホルンの柔らかさに耳を奪われものの、他の楽器の演奏にインスピレーションが感じられない時があります。かたさがあるのかもしれません。しかし、主題部に入ると水を得た魚のように急に音楽が動き出します。速めのテンポで爽やかと若々しさを横溢させたスタイルは聴いていてわくわくするほどで、とりわけヴァイオリンの滑らかさと艶っぽさには感心させられます。響きが多すぎるために強奏時に音が濁るのがなんとも惜しい限りです。序奏に戻ってからの落ち着いた音楽運びは指揮者とオーケストラ間の深い信頼関係を想起させ、それに続く展開部で様々な楽器が入れ替わりたちかわり顔を出すところを実に面白く聴かせるあたり、第一級の演奏と言えます。ここでも響きの多さが足を引っ張りますが、それを補って余りある活き活きしたテンポ感と絶えず前進するエネルギーに満ち溢れた音楽は聴き手の心を掴んで離しません。クライマックスへ向けてややテンポを落としていくところは大きな効果を上げていますが、頂点でのホルンによる爆発は今ひとつです。しかし、そこから一気に駆け抜けるところは、この楽章の性格を見事に表現しています。

 第2楽章はこの録音会場の響きを活かした見事な演奏です。低弦は威嚇せず、しかし弦楽器全体としては厚みのある響きをつくります。金管はのびのある明るい音色で響きを楽しんでいます。欲を言えばトランペットがもう少しいい音で鳴ってほしいところです。トリオではヴァイオリンの柔らかい弾き方、木管の明解な歌い方、とりわけオーボエの明るい音色が特徴的です。テンポをあまり落とさずに溌剌とした気分を維持しています。第3楽章。冒頭では、マーラーが意図したイメージは感じられませんが、空間に点在する様々な楽器から音が出てくるといった不思議な雰囲気が漂います。しかし、クラリネットがやや異質なイントネーションで歌うのには気になります。続く第2主題でも素っ気無い吹き方になっていて、そのせいか、この部分の音楽にあまり生気が感じられません。中間部ではハープを始めとする伴奏部の分厚い響きに乗ってヴァイオリンの艶かしい上降ポルタメントやソフトな木管の歌が次第にマーラー独自の世界に導いていきます。中間部を締めくくるフルートは見事です。再現部に戻ると、抑制されたスタイルながらトロンボーンの歯切れのよさや、バランスのよさ、濃厚な響きなどが相まってマーラーの世界をうまく作り上げます。

 第4楽章。慎重かつ丁寧な演奏で、あまり反動をつけずにスパッとフレーズを繋いでいくところはユニークです。音符の長さを几帳面に守っているせいか木管や金管が重く聴こえ、その分後ろに引っ張られる感じがします。第2主題では、よく響くチェロ・バスのピチカートに乗ってヴァイオリンがサラリと上品に音を紡いでいきます。強烈なインパクトはありませんが、自然に音楽が流れるところは評価していいと思います。響きが多いにも拘わらず、ヴァイオリンの確かなテクニックと金管群のコンパクトな吹き方はこの楽章を引き締まった音楽に仕立てています。コーダに入ってトランペットが他の金管群から浮き上がる印象を受けますが、最後まで緊張感を失わない見事な演奏を繰り広げます。


◆ ハイティンク/ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(1987年4月 PHILIPS)★★★☆☆ 
 この曲をコンセルトヘボウ管弦楽団で既に3回も録音しているハイティンクにとって、性格の違うヴィルトォーゾ・オーケストラであるベルリンフィルに何を求めて指揮に臨んでいるか想像すると興味はつきません。なお、当初はハイティンクとベルリンフィルの組み合わせでマーラー全集が計画されていました。しかし、不況のためにキャンセルとなり、7番までしか録音されなかったのはまことに残念なことです。意外にもベルリンフィルにとってこの演奏がマーラーの1番の初録音で、この後アバドによって録音されています。

 第1楽章。ベルリンフィルが猫をかぶっているみたいに優等生的な演奏を繰り広げます。序奏では清楚な佇まいで丁寧に音をつないでいき、遠近感を際立たせたり、それぞれの楽器が性格の違いを克明に表現したりして自然を音楽で描写することに成功しています。主題部に入っても丁寧さは変わらず、すべてのフレーズがあるべき音量でしかも微妙な音量差を持ってコントロールされているのには心底驚かされます。トランペットの弱音、チェロのピチカート、適度な厚みを持ったヴァイリンによる流れるような歌いまわしと、すべてが淀みなくあまりに完璧すぎて呆れるほどです。さらにハイティンクの持ち味である幸福感に満ちているのも特徴のひとつです。マーラーの音楽がこんなに美しいだけでいいのかという疑問は残りますが、この楽章くらいはこれでいいかもしれません。あまりテンポの変化はありませんが、コーダに入るとアップテンポになって爽快に曲を締めくくります。録音に今ひとつ冴えがなく、強奏時に音が濁るのが残念なところです。

 第2楽章。おおらかで明るい気分が横溢しています。どんなフレーズも軽々と演奏していて厳しさはありません。ベルリンフィルの超重量級の低弦セクションが手持ち無沙汰にしているようにも聴こえますが、弱音の指示に思いっきり音量を落とすあたりさすがはベルリンフィルといったところです。ヴァイオリンの旋律に隠れがちなチェロ、ヴィオラの細かい動きも鮮やかに際立たせるところも見事で、どんなパッセージも楽々と弾き込んでいます。トリオは遅めでソフトな音楽作りを行なっていますが、スルスル進んでいくばかりで面白みに欠けます。第3楽章。コントラバスのソロはたぶんアバドの時と同じツェペリッツだと思われますが、なんとも味わいの深い音楽を聴かせています。様々な楽器に受け継がれても淡々とした行進曲風の音楽は維持されますが、響きは豊か過ぎるように感じられます。第2主題に入ってもこれまでと雰囲気が変わらず、極端な表現は一切ありません。少しは毒気のようなものがほしいところです。フレーズの変わり目にあるヴァイオリンによるルバートは大胆にかかっているのですが、とってつけたような印象を受けるのはその前後に気配のようなものが感じられないからだと思われます。中間部に入っても美しく演奏されているのですが、第1楽章からずっと音楽のカラーが変わっていないような気がします。こうした傾向はハイティンクのコンセルトヘボウとの旧盤でも同じこと言えます。新しいフレーズが出てくるとそれがどんな音で表現されるかと期待していても、ハイティンクの答えはいつも豊かな響きで余裕に溢れた同じ音、これでは楽しめませんね。

 第4楽章。ベルリンフィルの重量感のある低音に支えられたバランスのよいサウンドが炸裂します。音が拡散されず引き締まっているところがとても良く、各パートがそれぞれの実力を発揮しているのが手に取るようにわかります。余力を残したスマートな演奏は、いつも安心して聴いていられるのはいいのですが、物足りなさも感じられます。第2主題では長いフレージングでゆったりとしたテンポで進みます。明確なビートを打たずに、どこを目指しているのかわからないくらいフワフワした印象を受けます。この良し悪しは別として、全曲中唯一ハイティンクが自分の存在感をアピールしているようにも感じられる面白い箇所です。その後、第1楽章に戻るあたりは例えようのないくらい美しく、その静謐さを作り上げるベルリンフィルの表現力には脱帽あるのみです。コーダではようやく持てるパワーを全開させ、大きなスケールで堂々とした音楽を築き上げますが、推進力に欠けるのかやや単調になっています。


◆ リットン/ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団(1987年7月8日 Virgin Classics)★☆☆☆☆
 ニューヨーク生まれのリットンは1992年に34歳の若さでダラス交響楽団の音楽監督に就任、編曲やピアノ協奏曲の弾き振り、ジャズバンドまでこなす才人ですが、そういったところが日本での人気が上がらない理由かもしれません。

 第1楽章。トランペットを豊かに響かせ、ソフトで明るい気分を出します。主題部に入ってからの弦楽器は流れるように旋律を歌います。強奏時のバランスが良くないのと、響きが多すぎることでクリアさに欠けることがせっかくの明るい曲作りが台無しです。リットンの指揮も盛り上がる時に判で押したようにアッチェランドをかけていて、もう少し工夫がほしいところです。第2楽章も明るい雰囲気で溌剌としたところは好感が持てます。しかし、決め所が今ひとつピシッとはまらない感じがします。トリオではテンポを動かしてそれなりに面白く聴かせています。再現部に戻ると、最初は重そうに開始してコーダにかけては思い切ったアッチェランドをかけています。ここはうまくいっているようです。

 第3楽章。速めのテンポでクールに始めるところはいい感じが出ています。しかし、第2主題はやや忙しく感じられ、いろいろ工夫を凝らしてはいますがあまり粋な効果は上がっていません。中間部でも速めのテンポで演奏されていて、もたれることなく進んでいきます。ヴァイオリンがそのテンポにもかかわらずいい雰囲気をつくっているのには驚かされます。再現部では木管群がややストレートすぎるのと、トランペットが第1楽章の時と同じようなソフトな吹き方ができないのが残念です。また、譜面に忠実しすぎて、楽譜の縦の線に入りきれないマーラーの音楽が表現できていないように思えます。第4楽章。大砲のようなティンパニが印象的です。弦楽器と金管楽器との距離を感じさせる録音で、どこか一体感に欠けるように聴こえます。その録音のせいか、ヴァイオリンが流され気味で、ここというところで気持ちが入らないせいか軽くなっているように感じられます。第2主題ではテンポは遅くて起伏に乏しいために、なかなか方向が見えてこないといった印象を受けます。最後は良く鳴り切った迫力あるクライマックスを築きますが、リードすべきトランペットの音の勢いに不満が残ります。

 メゾソプラノのアン・マレイが歌う『さすらう若人の歌』がカプリングされていますが、この交響曲より前のトラックに入っています。作曲された順番に聴けるというわけです。


◆ バーンスタイン/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1987年10月 GRAMMOPHON)★★★☆☆
 バーンスタインにとって映像を含めて3回目にあたるマーラー全集の録音で、この3回目はマーラーゆかりの3つのオーケストラを使っています。音楽監督をつとめながらも結局は理解を得られずに追われたウィーンフィル(5,6,8番)、その後に就任したニューヨークフィル(2,3,7番)、生前最もマーラーに理解を示していたアムステルダム・コンセルトヘボウ(現ロイヤル・コンセルトヘボウ、1,4,9番)です。この演奏はライヴ録音ということですが、そういったライヴならではの生々しさとかスリル感とかは希薄で、バーンスタインもどこか元気がないように思えます。ちょうど同じ頃(同年10月25日)にバーンスタインは同管弦楽団を率いてベルリンのフィルハーモニーホールに乗り込み、同じ曲を演奏しています。そのときの模様がFMで放送されて筆者の手元にありますが、録音やホールの違いもあるものの、驚くほど生気に満ちていて、バーンスタインも気合充分といった演奏を聴かせています。バーンスタインのライバル、カラヤンの本拠地に、最も得意なマーラーを引っさげて乗り込んだ意気込みでしょうか。

 第1楽章、序奏では木管の響きが豊かで、とりわけオーボエとクラリネットの音色が情景に違和感なく溶け込み、フレーズのおさめ方など粋なところを聴かせます。ホルンはゆったりとしていて夢を見るような美しい世界を作り上げています。序奏の最後も名残惜しそうにフル−トとクラリネットがポツポツと吹くさまが印象的です。ここではやくもノックアウトさせられるほど見事な演奏ですが、この先がいただけません。主題部に入ると、バス・クラリネットを強調してチェロを控えめに弾かせるまではいいのですが、様々な楽器が絡み合うときに豊かな響きが災いして焦点が定まらなくなります。バランスがよくないというか、リードするパートがいないといった感じです。音楽の流れはぎこちなく、盛り上がっても勢いがついてきません。展開部においてもまだ互いに様子見といった感じで、木管も序奏の時のような丁寧さに欠けます。ヴァイオリンやチェロもモヤモヤしていてノリが今ひとつです。低弦やハープなどが響きすぎるのかもしれません。しかし、再現部に向けて盛り上げていくところはさすがにスケールは大きく、頂点におけるホルンから目の覚めるようなアップ・テンポで一気に駆け抜けるところは見事です。ただ、ベルリンでのライヴと較べるとまだまだ大人しいものに留まっています。ベルリンでの演奏は、「永遠の若者」バーンスタインがあの肩を上げる独特なポーズで軽やかに指揮台で飛び跳ねているシーンが目に浮かぶほど興奮に満ちています。

 第2楽章。テンポは遅く重々しく開始されます。低弦は巨体を引きずるようで、ヴァイオリンには弾み方に切れがありません。演奏水準も高く、充実した音ではありますが、威圧感や力強さはあまり感じられません。ホールの響きを味方につけていないのでしょうか。バーンスタインの音楽つくりも真面目くさっているにもかかわらず、踏み込み方が足らないのかユーモアなところが表現できていません。トリオでは筋肉質な太い音で濃厚な音楽になっています。軽さがなく、テンポがどんどん遅くなるためにますます重くなっていきます。いろいろ表情をつけているのですが、音色が単調なせいかあまり効果が上がっていません。再現部もそのまま重々しく、締めくくりだけテンポアップしてお茶を濁しているようにも聴こえます。第3楽章では一転して速めのテンポでスルスル進みます。各パートが音色や歌いまわしを主張する間もなくセカセカと通り過ぎていくようです。第2主題でもなんとかマーラーらしさを出そうと試みていますが、わざとらしさばかりが耳につき、あまり印象に残りません。中間部は第2楽章同様響きの豊かな濃厚な音楽になっていますが、ここでは自然な流れがあってようやくしっくりくる演奏になっています。最後のハープと低弦の響きがとても深く印象的です。再現部での豊かな響きはいいとしてやはりセカセカしたところが気になります。

 第4楽章。ついにホールの響きを掌中におさめたといった見事な演奏を展開します。この楽章の大音響をベースにマイクをセッティングしたのでしょうか。スケールは極めて大きく、身振りの大きなドラマティックな音楽が展開します。曲想に応じてテンポを違和感なく動かすところも見事で、やや重いところはありますが、要所要所を締めることで音楽の勢いと緊張感が損なわれません。ヴァイオリンが張り詰めた音で力強く演奏できるテンポであることもいい結果になっています。第2主題はバーンスタインお得意のところ。小細工を弄したり感情に溺れたりすることなく、それでいてここというところで泣きを入れます。終始方向性がはっきりしていて、感情の動きを細かいテンポの揺れで表現し、起伏を大きく取りつつクライマックスを築いていきます。難点を言えば、響きが多すぎてヴァイオリンの音色の魅力が伝わってこないことです。展開部以降はかなり大仰なスタイルながら、極限までテンポを上げたりして求心力のある音楽を作り上げます。バーンスタインがここにきてエネルギーを全開しているといった感じです。ただ、金管のバランスがあまりよくなく、とりわけトランペットの音が濁りがちに聴こえます。第1楽章に戻るところのオーボエの美しさは絶品で、それを導くヴァイオリンとともにこの楽章のひとつの頂点を築いています。第1主題を再現する直前で、ヴィオラに5回ある効果音のうち3回目をつんのめるような変わった弾き方をさせています。しかし、あまりうまくいっていなく間違ったように聴こえます(ベルリンでは完璧に弾けています)。他にも重要な決め所で打楽器が合っていないところがあり、気分がうまい具合に乗っていきません。最後はこれまで通りテンポを上げて興奮のうちに曲を閉じますが、演奏する側も聴く側も物足らないうちに終わってしまったという印象派拭えません。マーラーを得意とするバーンスタインにしてはいい出来とは言えませんが、水準以上の演奏であることは変わりません。


◆ 小澤征爾/ボストン交響楽団(1987年10月 PHILIPS)★★☆☆☆
 小澤2回目の録音で全集として完結しています。今回は『花の章』を演奏していません。第1楽章は、アメリカのオーケストラにありがちな乾いた物憂い雰囲気で曲が開始されます。ところが主題部に入ると急に明るくなるのがとてもユニークで、速めのテンポに拘わらず潤いを失わない弦楽器の音には感心させられます。また、細部の緻密な表現には小澤ならではのものがあります。しかし、金管が入ると他を圧倒してしまうバランスの悪さを露呈しています。また、トライアングルがやたら大きく聴こえるのと、ティンパニが重たいのが気になります。しかも、木管の細かい動きも聴き取れないところがある反面、あまり重要と思えない音が前面に出てきて弦楽器をかき消すといったあながち録音のせいとはいえないところもあります。これに加えて音楽の流れに確固としたところが感じられず、来るべき局面の変化に場当たり的な対応をしている全体像の見えない演奏になっています。

 第2楽章では中身の詰まった弦楽器の重々しい弾き方に木金管の音色がよく合っています。低弦は豪快さとリズム感のよさを併せ持っていてオーケストラ全体をリードします。ここでのトライアングルはいい具合に鳴っています。あれこれいじくらずに一気に聴かせているのがいい結果に結びついているようです。トリオではウィーン風に振舞おうとしながらそれができないぎこちなさをうまく表現しています。音色上の変化があればもっといいかもしれません。第3楽章も曲の由来とか特定のイメージを求めずにひとつひとつの音符を大切にした演奏になっていて好感が持てます。大仰に見得を切ることもなく譜面通りストレートに表現していて、しかも各楽器の音色の統一がよく取れています。

 第4楽章は透明感のある響きで各パートの正確な演奏を聴くことができます。こけおどしがない反面、熱気と迫力に欠けていてもう少しマーラーの毒気がほしい気もします。第2主題はきちんとまとまった優等生的な演奏で、弦の美しい瞬間はありますが、そこまでできるならもう少し踏み込んでほしいところです。展開部で金管がやけに明るいアメリカ的な音色で吹きまくります。曲の雰囲気がなんともハッピーになってしまうのはどうでしょうか。しかし、第1楽章に戻るところではいかにも寄り道をしているという気分になれるのがとても面白く感じられます。全体的にスケール感はありませんが小澤にしては肩の凝らない演奏で、ボストン響の実力をいい方向に発揮させているといえます。
 

◆ ナヌット/リブリャーナ交響楽団(1987年 SUISA)★★★☆☆
 このリュブリャーナという町は、1881年に若きマーラーが初めて歌劇場での仕事をしたところとして歴史に名を残しています。マーラーゆかりの地ということで、それなりの思い入れのある演奏が期待されます。また余談ですが、このCDには別の指揮と管弦楽団による交響曲第2番『復活』の第1楽章だけが収録されています。2枚のCDで1番と2番が完結するようになっていたのかもしれませんが、交響曲第1番が現在の4楽章になって初めて演奏された1896年ベルリンでの同じ演奏会で、交響曲第2番の第1楽章だけが演奏された事実(その日は『さすらう若人の歌』も初演)を踏まえたカプリングとなると、なかなか凝ったCDといえます。

 第1楽章は主部に入ると一貫して速めのテンポが取られます。細部が少々聴き分けられないところがありますが、歌い過ぎずたり、フレーズの終わりでテンポを遅くしたりすることをせずに前へ前へと進むところは好感が持てます。金管が加わる最初のクライマックスではやや重くなるところがあります。金管がかなり後方から聞こえ、木管の音が前面に出ているところからして、録音のせいかもしれません。ヴァイオリンの高音がつぶれ気味なのも気になります。展開部以降は、ヴァイオリンによるフラジオレットの音程の幅が結構あって喧しく聴こえますが、木管のカッコーをはじめキチッとした音楽つくりや、停滞しない音楽運びは見事といえます。再現部に向けては一転してテンポを落として精一杯大風呂敷を広げるように音量を最大限上げていきます。大見得を切った後は、再びテンポを上げて興奮のうちに楽章を閉じます。

 第2楽章も速いテンポが維持されます。録音のせいか低弦の音が籠っていてよく聴こえなかったり、木管の切れ味が悪かったりするところはありますが、バランスは悪くなく、力で押し切っていきます。トリオではチェロの喜びに満ちた歌い方が印象的です。全体的にテンポを大きく動かすことはありませんが、トランペットが割って入るところだけテンポを変化させていて、大きな効果を上げています。第3楽章は籠った音で重々しく開始され、葬送曲らしい雰囲気をつくっています。オーボエの侘しい音色もよく調和しています。あまり手を加えないシンプルな表現が結果的に田舎っぽさを出すことに成功しているようです。ただ、再現部ではやや重く、単調に感じられることがあります。

 第4楽章。大音響の中を、比較的遅めのテンポでヴァイオリンが丁寧に弾くことで、確固とした音楽を作り上げています。つぶれ気味のトランペットをはじめ金管は物足りなさを感じますが、これも録音のせいかもしれません。第2主題でもこれまでと同様、小細工を弄さない素直な弾き方が印象に残りますが、もう少し録音が鮮明だと良かったかもしれません。展開部以降も丁寧さは変わらず、背伸びをすることなく音楽を築き上げていきます。時折キズはありますが、ローカルなオーケストラとしては出色の演奏といえます。


◆ シノポリ/フィルハーモニア管弦楽団(1989年2月 Grammophon)★★★☆☆
 2001年4月20日の夜、ジュゼッペ・シノーポリはベルリン・ドイツ・オペラで《アイーダ》を指揮中に心筋梗塞を起こして同日の深夜亡くなりました。このあまりに突然の死は音楽界に衝撃を与えましたが、ようやくオペラハウスに安定した活躍の場を確保しつつあっただけに、何より本人が一番悔しかったことでしょう。シノポリは、自らが持てる音楽を常に歌手や管弦楽団に伝えることができる職人肌の指揮者ではなかったですが、それがうまくいったときの奇跡ともいえる興奮と熱気に満ちた演奏は忘れることのできないものでした。マーラーは来日時に1番と8番を演奏したかと記憶していますが、このフィルハーモニア管弦楽団との全集録音は1985年から94年の間に演奏されたものです。

 第1楽章。序奏はゆったりと開始されます。舞台上と舞台裏のトランペットの音質にギャップがありすぎて違和感を覚えます。舞台での響きが多すぎるようです。序奏の終わりで急にテンポを上げたかと思うと、主題部に入る直前のクラリネットでブレーキをかけます。主題部はその遅めのテンポで開始されるわけですが、この予想を裏切るテンポの処理には1本取られました。チェロとバス・クラリネットが対等のバランスで演奏され、その後も緻密なアンサンブルに徹しています。パート間のバランスも常に保たれ、音楽の流れも自然で淀みがありません。雰囲気はどちらかというと楽天的で、しかし決して一本調子にならず、無理のないテンポの変化が随所に見られます。シノポリにしては随分大人しいアプローチとも言えます。終結部では響きが多すぎて明瞭な音楽になっていないのが惜しいところです。しかし、展開部に入ってからは、これまでの自然な音楽の流れが聴けなくなります。フルートは腰を落ち着けすぎていて、付点のリズムにおいても違和感のある吹き方をしています。オーボエはいいのですが、他の楽器においては統一感のない吹き方が耳につきます。再現部に向けての音楽作りはさすがに堂に入っていて、やや真面目すぎるところはありますが、大きなクライマックスを築き上げています。何かが起きるかと期待を持たせるのですが、意外にもまともなスタイルで締めくくりまでいきます。

 第2楽章。するどいアクセントを伴う力強い低弦で開始されるのですが、ヴァイオリンはあまり焦点の定まらない弾き方なのが気になります。これも残響の問題なのかもしれません。様々な楽器が色々な方向から聴こえてくる不思議な録音でもあります。しかし、活き活きとした躍動感溢れる演奏で、シノポリの憑かれたような唸り声が随所に聴くことができます。雑然としたところや粗野なところがある反面、響きの良さが厳しさを減じているところがあって、ちぐはぐな演奏になっています。トリオでは一転して丁寧に音を紡いでいきますが、テンポの弛緩はないところは好感がもてます。音楽が明瞭なのはいいとして、表現がストレートすぎるところもあってあまり面白みはありません。再現部は一本調子でセカセカと進みます。第3楽章。冒頭のコントラバスのソロは予想通りモヤモヤして聴き取れません。チューバあたりでようやく聴こえてきてオーボエの見事なソロでホッと息がつけます。しかし、葬送のイメージはあまり湧いてきません。第2主題ではこれまでとコントラストをあまりつけず、響きの多い滑らかな音楽が続きます。オーボエもトランペットも区別がつかないような吹き方をしています。もったいぶって登場するヴァイオリンも響きのせいで主張が感じられません。楽器間の音色の違いを楽しむことはできないようです。中間部では、響きの多さがようやくプラスに働いてくれています。ただ、全体に明るすぎるため、『さすらう若人の歌』の連想からくる陰影を聴くことはできません。再現部に入ると大胆なルバートをかけたりテンポを動かしたりと、この楽章のグロテスクな面がチラッと顔を出します。最初からこんな演奏をしてくれればよかったのですが・・・。

 第4楽章。ヴァイオリンが見事な演奏を聴かせてくれます。切れ味はするどく、気迫も十分です。しかし、金管が入ると何故か緊張感が失われてしまいます。響きが良すぎて自分の音に酔いしれているのでしょうか。さらに、ティンパニが遠くで鳴っているのもどこか気楽に叩いているような印象を受けます。第2主題では小細工を弄さずに、響きを味方に引き入れることで現実離れした世界を作り上げるのに成功しています。テンポ感や盛り上げ方も見事でしっかりした構成感をも感じさせますが、シノポリにしては大人しすぎて物足りなさを感じます。しかし、マーラーの音楽をわかりやすく聴かせているということは言えるでしょう。その後も豊かな響きの洪水は続き、金管群は華麗に吹いていますが楽天的なスタイルは変わりません。コーダの最後で大きくテンポをルバートさせ、ブレーキをかけるところがありますが、ここでも響きすぎてその効果は全く上がっていません。


◆ ドホナーニ/クリーヴランド管弦楽団(1989年3月 DECCA)★★★★★
 音楽業界の不況にもめげず、ゆっくりですが着実にマーラー全集の完結に向けて録音を続けているようです。現在のところ(2001年3月)1,4,5,6,9番の録音が済んでいます。ただ、日本ではあまり話題にはならないようです。

 序奏では、すべてのパートが遠近感のある配置からあるべき姿あるべき音量で整然と演奏されます。よくある解釈としての自然描写というより、マーラーが書いた音符を一音たりとも疎かにしないで完璧に近いかたちで再現する純粋音楽をめざしていると言えます。主部に入ると、しっかりとした足取りで、一点の曇りのないくっきりとした発音でフレーズを際立たせます。各楽器はバランスがよく、無駄のない引き締まった音で奏されますが、その音にははちきれんばかりの躍動感が込められているのを聴き取ることができます。まるで、徹底的に筋肉を鍛え上げたアスリートが疾走する姿を見るようです。また、このオーケストラの特徴とされることですが、ティンパニがどの音量レヴェルでも常に歯切れよく聴こえていてオーケストラ全体をがっちり支えています。安定感と同時に爽快感を与えつつ曲全体を引き締めていると言えると思います。さらに、トライアングルとハープも随所で絶大な効果を上げているのも見逃せません。

 第2楽章はよく響く充実したサウンドの低弦で開始されます。力強い演奏ですが、けっして拡散したり乱暴になったりしません。さらに、弱音になってもクリアさを保ち緻密なアンサンブルを維持しています。この見事な低弦に乗って、勢いのあるヴァイオリンと輪郭のはっきりした木管や金管が彩りを添え、これ以外ありえないという音質のティンパニが要所を締めます。トリオは速めのテンポですが、どのパートも軽やかに歌っていて、楽しみながら演奏しているようです。第3楽章。コントラバスのソロが侘しくトボトボ弾き始めると、どのパートもそれを引き継いで枯れた雰囲気を維持します。オーボエが吹くときは急に世界が変わる演奏が多いのですが、このクリーヴランド管は第2主題まではじっと身を低くしています。第2主題からは、優雅に弾くヴァイオリンを管楽器が打ち消すといったマーラーの屈折した音楽をサラリと表現しています。なお、ここではティンパニが完全に音楽をリードしていて、これほど説得力のある見事な演奏は他では聴けないでしょう。中間部は濃厚な響きでありながら音楽は淡々と進行します。

 第4楽章。金管は力だけを誇示せずに弦楽器とのバランスを保ちつつ、冷静にこのカタストロフィーの枠組みを明確にしています。ティンパニは相変わらず歯切れのよいロールを的確に決めていて、どんな時でもクリアにその存在をアピールしています。ヴァイオリンの正確さと充実した響きは言うまでもありませんが、フレーズの途中に1ケ所だけあるシンコペーションをこれほど見事にぎこちなく演奏しているのを聴いたのは初めてです。ドンちゃん騒ぎに終わらせずに、キラリと光るところがいくつもあるのが魅力的です。第2主題も冒頭からの雰囲気を崩さない演奏です。第1楽章に戻るところでは少しスタイルを変えて、どんなに短いフレーズでも緻密な歌い方をさせています。ヴァイオリンにポルタメントをさりげなくかけさせていますが、これまでほとんどなかっただけにとても新鮮に聴こえます。ただし、すべてのパートが完璧にコントロールされて緊張感が途絶えないのは変わりません。コーダでは、低弦の充実した持続音とティンパニの哲学的とも言える響きに支えられて、堂々としたクライマックスを築きます。マーラーの脆弱さ、悩みといった若さを意識させることはありませんが、最初から最後まで溢れんばかりのエネルギーを横溢させた別な意味での若さを印象づける演奏です。名演です。


◆ 若杉弘/東京都交響楽団(1989年10月 fontec)★★★☆☆
 1889年にブダペストで「2部からなる交響詩」として初演されてからちょうど100年を迎えた1989年にサントリーホールで行なわれた演奏会のライヴ録音です。その初演での譜面は現存していないために、若杉が使用したのはすでにウィン・モリスによって録音されているハンブルグで演奏された改訂版です。正式な曲のタイトルは「ティターン 交響曲様式の音詩」で、「ティターン」は「巨人」と訳することができますが、マーラーのこの次の改訂で「ティターン」の呼び名を削除しています。また、第2楽章に「花の章」が存在するのもこのハンブルグ版が最後で、これ以降では削除されています。

 第1楽章の序奏は、現行の版とちがって弦楽器はフラジオではなくノーマルに弾かれるのですが、かなり弱く弾かれているためフラジオなのかノーマルなのかも判別はつきません。しかし、管楽器はクリアに聴こえていまして、現行では舞台裏で吹かれるトランペットがステージ上の通常の席で吹かれていることはよくわかります。どのパートも丁寧ですが、ホルンをはじめ粘るように演奏されているのが特徴的です。主題に入るとようやく音楽が流れ始めますが、弱音に拘る姿勢がここでも維持されます。最初のクライマックスでは広がりのあるサウンドが鳴り渡るライヴ録音ならではの臨場感があります。展開部ではハープはよく通るのですが、ホルンがモヤモヤとしたけだるい吹き方をしていて重苦しい雰囲気になっていきます。続く弦楽器による主題でも焦点が定まらず、音楽の方向が見えてきません。再現部の直前でようやく一本に集約されていきますが、立派な盛り上がりにもかかわらずその頂点でのホルンが頼りない吹き方なのが惜しいところです。楽器編成が現行の版より薄いのかもしれません。その後のテンポはややアップするものの、音楽そのものに勢いは感じられません。

 第2楽章「花の章」。開始からきっちり明確に演奏されているのが印象的です。木管のソロは前面に出ていてそれぞれ主張はわかるのですが、音楽全体として何を言いたいのか伝わってこないように感じられます。しかし、クライマックスへはごく自然に流れていて曲の良さは伝わってきます。後半のトランペットはやや硬いところがあります。第3楽章。冒頭のチェロ・バスにティンパニが加わるのと、ヴァイオリンが弾く主題でアウフタクトにスタカートをつけずにレガートで次の小節につなげるところがこの版の特徴ですが、とてもわかりやすく聴けます。ティンパニのおかげで重心の低い演奏ではありますが、ヴァイオリンの力強さが音楽に快活さを与えています。ピアニッシモでのチェロ・バスの動きがやや鈍く聴こえるのはホールの響きのせいかもしれません。第4楽章。コントラバスをソロではなく全員で弾いているかどうかは俄かには聞き分けられませんが、全体に流麗な感じで葬送行進曲としての暗さや物語性は感じられません。オーボエも響きすぎてこの楽章で何を表現したいのかよくわからないところです。その後はコントラストやメリハリに欠けますがまずまずの演奏と言えます。中間部は、その豊かな響きをうまく見方につけていて、決して退廃でも悲観でもない前向きな立派な音楽を作り上げています。再現部でのオーボエのやはり場違いな響きやフルートのテヌートを強調した吹き方に疑問は残りますし、木管のアンサンブルのズレがよく響くホールだけに変な感じに聴こえます。

 第5楽章。派手なシンバルの一撃で開始されますが、ティンパニの寝ぼけた音が気になります。しかし、ヴァイオリンの気迫は充分で力強さも感じさせます。やや重いところもありますが金管のバランスの取れた援護射撃も見事です。途中金管に主導権が移るところでは弦楽器がやや失速気味になり、肝心の金管も明解さを欠くことがあります。第2主題では、重みのある弦楽器によるしっかりと地に足のついた演奏という印象を受けます。木管の情けない合いの手にはがっかりですが、ヴァイオリンのからだを大きく揺するような弾き方、しかしクライマックスは冷静、さらに終結部での緻密な音楽作りと見事です。展開部ではバランスやアンサンブルに危ないところが多々あり、体を傾けながらもなんとか進行していきます。決め所での金管の音色や切れ味が悪いのも惜しまれます。コーダに入るところにある大きなクライマックスで、他の楽器より1拍遅れてドラの一撃があるのですが、何度聴き返しても間違ったようにしか聴こえません。最後はヘトヘトになって喘ぎつつ曲を閉じるのですが、耳を聾するばかりの盛大なブラボーと拍手にはその会場にいなかったCDの聴き手にとっては違和感が残ります。


◆ アバド/ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(1989年12月 GRAMMOPHON)★★★★☆
 カラヤン亡き後、アバドがベルリンフィルの音楽監督に指名(10月8日)されて最初にベルリンフィルを振った演奏会(12月16、17日)におけるライヴ録音です。当初はマゼールが予定されていましたが、キャンセルされたために急遽アバドが振ることになったことでも話題になった演奏会で、その模様はリハーサル等を含めて映像でも見ることができます。なお、当日の前プロはシューベルトの未完成交響曲でした。

 第1楽章の開始早々から各楽器をよく鳴らしていてあまり弱音に拘っていないようです。少々時代がかった大仰な表現もあり、それが果たしてアバドが目指す音楽かどうかは疑問が残るところです。最初ということで遠慮しているのかもしれません。ベルリンフィルはどんな時でも豊かな響きを欠かすことなく、その流れるようなフレージングはマーラーの書いた若々しい音楽を見事に表わしています。ライヴにもかかわらずバランスは見事で、あるべき時にあるべき音を完璧に鳴らすベルリンフィルには改めて感心させられます。ややスマート過ぎる印象を受けますが、クライマックスに登りつめた時の堂々とした響き、たっぷり時間をかけて楽章をしめくくるあたりの余裕の音楽作りにはただ圧倒されるのみです。

 第2楽章。ジャッドの演奏と同様、5小節目で急にテンポを上げています(詳細は1993年ジャッドの項参照)。ベルリンフィルのダイナミックで奔放な演奏にアバドは軽く手綱を持つだけといった感じですが、砂煙が濛々と舞い上がるほどの低弦のパワーを見せつけたり大胆なポルタメントを入れたりと結果的にスケールの大きな演奏であると同時に遊び心のある粋な演奏になっています。また、ライヴらしい雑然としたところがスリル感を一層高めています。トリオではどのパートも大きな音で演奏しているため少々喧しく聴こえます。輪郭がはっきりしているのはいいのですが、それだけで何事も起きないといった音楽的には単調な印象を受けます。第3楽章。名手たちのそれぞれに主張があるソロは聴いていて惚れ惚れしますが、マーラーが意図した葬送行進曲とはちょっと違うかもしれません。中間部は濃厚な響きでロマンティックな演奏です。再現部ではテンポの揺らし方がとてもユニークですが、ここでもやや大仰な歌いまわしが気になるところです。しかし各木管奏者たちの隅々まで神経の行き届いた演奏には舌を巻くばかりです。

 第4楽章。大音響による音の洪水でありながら、押したり退いたり局面に応じて細かな反応を示すところはアバドの趣向と思われます。聴き手をうんざりさせない見事な手腕と言えます。さすがに楽器間のバランスは崩れ気味で音の濁りも多々ありますが、ライヴならでの勢いに満ちた演奏がそういったことを忘れさせます。第2主題では待ってましたとばかりベルリンフィルの分厚い弦楽器がタップリ時間をかけて料理してくれます。多少のズレもものともせずに濃厚な歌い口で徐々に盛り上げていき、迎えるクライマックスにおいてパワーを全開させるところはこのオーケストラならではと言えます。豊かな響きで流れる時、力にまかせて突き進む時、柔らかい音から弦を噛む心地よい音まで弦楽器の柔軟性と機能性の高さには呆れるばかりですが、とりわけヴィオラの幅の広い表現力は心を打たれます。アバドはこうしたベルリンフィルの見事な演奏に乗って、意表をつくテンポ・ルバートやダイナミクスに大きな変化を与えることでこの楽章を起伏に富んだエキサイティングなものに仕上げていきます。マーラーの描いたものといくばくかの距離を感じさせますが、あちこちでマーラーの仕掛けを楽しむことができる演奏と言えます。なお、リハーサルの映像でいっせいに立ち上がるホルンパートにびっくりしたアバドが「マーラーの時代ならともかく・・・」と言って座ったまま楽器のベルを上に向けるだけにするよう指示するシーンがあり、アバドの考えを垣間見ることができる興味深いところです。


                                  2000年11月16日現在


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