ベートーヴェン : ヴァイオリン協奏曲ニ長調 CDレビュー I



T.  1940-1969年録音
    ♪シゲティ♪メニューイン♪ミルシテイン♪ハイフェッツ♪オイストラフ♪
    ♪シュナイダーハーン♪シェリング♪

ヨーゼフ・シゲティ(Vn) ワルター指揮  イェフディ・メニューイン(Vn) フルトヴェングラー指揮  ナタン・ミルシタイン(Vn) スタインバーグ指揮

◆ シゲティ(Vn)ワルター/ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団(1947年4月5日CBS )★★★★☆
 3種類あるシゲティによるこの曲の録音のうち2番目のものです。ワルターは開始から実に厳しいベートーヴェンを聴かせます。引き締まった音で推進力に溢れ、何より気合い十分の演奏です。遠くから鳴るラッパとティンパニは古い録音ながらいい感じに聞こえ、中高音域の音が良ければ申し分ない録音と言えます。

 シゲティの演奏はやや古くさい歌いまわしや技巧的に窮屈な箇所はあるものの強い意志に支えられた音楽運びで聴き手の耳を離しません。速いパッセージにおいては、あの長い指からはとうてい想像もつかない滑らかな運指の妙には心底驚かされます(シゲティの演奏に対してこの点にもっと注目すべきです!)。速めのテンポでグイグイと弾き込むと同時にフレーズによってはたっぷり歌い、息もつかせずクライマックスへ登りつめるなどと多彩な表現を聴かせてくれます。ワルターの指揮もオーケストラだけになると単調さを避けようと上手にはしょっていて、シゲティといっしょにエンタテイナーとしての側面もあって一般的に言われる「求道的」「精神性」では片付けられないことが言えると思います。ヨアヒムのカデンツァでは低弦の深い響きを活かしつつ慎重かつ淡々と弾かれていますが、やや盛り上がりに欠けます。

 第2楽章では、フレーズの最後の音を拍一杯に伸ばしそこに誰も真似のできない独特な弓使いで自らの刻印を記しています。その堂に入った歌いまわしは余人を寄せ付けないところで、弾き終わった後はきっと心でニヤリとしているのではないでしょうか。シンコペーションの箇所では弱音に拘らず、微細なヴィブラートで密度の濃い音色を聞かせてくれます。第3楽章はロンドらしく快速のテンポで演奏され、ワルターは途中何度もさらにオーケストラを煽っています。カデンツァで見せるシゲティの技は実に見事です。昨今の奏者の耳心地のいい音に慣れているとシゲティの音はゴツゴツした耳ざわりなものに聞こえますが、ここでは不思議とベートーヴェンの音楽が損なわれることはありません。カデンツァは見事ですが、速度をさらに上げたコーダでのシゲティは崩壊寸前になります。しかしそこに築かれるクライマックスは技術的なこと越えてベートーヴェンの音楽を間違いなく伝えていることは確かです。


◆ メニューイン(Vn)フルトヴェングラー/ルツェルン祝祭管弦楽団(1947年8月28,29日TESTAMENT )★★★★★+★
 全部で11種あるとされるメニューインによるこの曲の録音のうち3種がフルトヴェングラーとの共演で、この演奏が最初のものでメニューイン31歳でした。少年時代から神童として世界中を演奏して周り、第二次大戦中には戦地、被災地を慰問演奏に飛び回るするなど多忙な活動が祟って大戦後は技術的な衰えや演奏そのものに不調がきたしたとされていて、この演奏に対してはその不調期にあたるとして評価をされないこともあります。しかし、長年聴きなれたEMI盤を離れて、1997年にリマスターされてリリースされたこのTESTAMENTで聴くと、メニューインの演奏に変調は見受けられません。この録音に先立つ8月13日にブラームスの協奏曲でフルトヴェングラーと初共演をしその偉大さに深く感動したメニューインは、ベートーヴェンではまず演奏会で弾いてから録音することを希望したそうですが、スケジュールの都合がつかず、いきなり録音することになりました。しかし、その演奏からは初めて共演としたとは思えない両者の音楽的一致を見ることができます。

 冒頭からまず驚かされるのがオーケストラの見事なバランスとアンサンブル。フレーズをおさめる時の微妙なニュアンスまで息がぴったり合うあたり、臨時編成のオーケストラで、しかも棒がわかりずらいことで有名だったフルトヴェングラーなのにこれが何故可能なのか不思議でなりません。音楽が盛り上がるにつれてつんのめるようにどんどんアッチェランドしますが、音楽が静まると何事もなかったかのようにゆったりとしたテンポでなっていく自然な移り変わりに思わず引き込まれます。ソリストが登場する前までにベートーヴェンの見事な管弦楽作品に圧倒されてしまいます。

 メニューインのヴァイオリンは端正の一言。ポルタメントやポジション、弓の都合によるルバートや響きへの欲求などヴァイオリン弾きが陥る誘惑に負けることはなく極めて現代的なスタイルを押し通し、メニューイン特有の魅力的な音色でひたすら無心に音楽を紡いでいく姿、真摯にベートーヴェンの音楽に取り組む姿勢には心打たれます。オーケストラだけになると、突然に厳しい切り口の決然とした音楽がそのフレーズが求めるスタイルのすべてが満たされたかたちで鳴り響きます。カデンツァ(クライスラー作)では気迫が漲るただならぬ雰囲気を帯びつつ構成感を常に意識した演奏を繰り広げます。技や響きに溺れることなく、このカデンツァがこれまでフルトヴェングラーが築いたベートーヴェンの音楽の延長上にあることも忘れてはいません。とりわけ後半にある有名なダブルストップによる2つの主題の同時演奏では淡々とした中に詩情をたたえています。耳に残るベートーヴェンの音楽を背景に一幅の絵画を観せてもらったような得した気分に浸ることができる稀代の名演と言えます。

 第2楽章はその冒頭から弦楽器はベルベットのような柔らかい響きで大きな起伏をつけて演奏します(フルトヴェングラーの演奏でこのような評は書く人はいないかも・・)。メニューインは、フルトヴェングラーがつくる有無を言わさない確固とした音楽の枠組みの中でこれ以外ないという程の均整美の取れた演奏を聴かせます。両者のめざす方向が一致しているというより、フルトヴェングラーが作る音楽にメニューインが完全に溶け込んでいく感じです。失われて久しいドイツ・ロマン主義音楽への強烈な郷愁を彼らが心に抱いていたかはわかりませんが、止まりそうなテンポでの長いため息、その息遣いからはノスタルジーだけでなく深い思索をも感じさせます。協奏曲でこれほどの深みを求める作品は他には少ないですが、その深みを目の当たりにしてくれるフルトヴェングラーの偉大さに畏敬の念をあらたにするばかりです。

 第3楽章でもフルトヴェングラーの作る音楽にメニューインはその柔軟性を活かして寄り添い、各フレーズが持つ様々な局面に過度の緊張を伴わずに自然に反応していきます。オーケストラだけになると前のめりになるあたり、フルトヴェングラーの意思を垣間見ることができます。協奏曲としてだけでなくベートーヴェンの管弦楽作品としてヴァイオリン奏者と指揮者が取り組まなければならない課題の方向性を初めて示した演奏として時代を越えて聴きつがれるべき名演です。


◆ ミルシテイン(Vn) スタインバーク/ピッツバーグ交響楽団(1955年1月10日EMI)★★★★☆
 5〜6種類あるミルシテインのベートーヴェンのうち最初の録音です。もっとも40年以上という長い録音キャリアを持ちながらこの曲を録音したのは1955、59、61、68年とわずか13年間に集中しています。キビキビしたテンポでエネルギッシュな開始です。オーケストラは少々甘い音程とアンサンブルの綻びが気になりますが、鋭角的なアタックをつけながら前へ前へと突き進んでソロの登場を迎えます。昨今ではあまり聴けない演奏スタイルですが非常に新鮮に感じられます。ミルシテインのヴァイオリンは勢いのある力強い発音に完璧な音程、引き締まった響き、確固としたテンポ感、胸のすくようなクリアな走句、ためらうことなくクライマックスへ突き進む爽快感、そして何よりこれしかないという自信に満ちた弾き方で聴き手を納得させます。しかし、単調になることはなく、フレーズ毎に明確に弾き分けたりフレーズ間で微妙にテンポを変え、しかもその移行を絶妙に行なうあたりただ感心するばかりです。そればかりか思わぬところでポルタメントで肩透かしを食らわせるなど洒落たところも魅力的です。自作のカデンツァは華やかさを抑制しながらも驚くほどの高い技巧を感じさせるものです。

 第2楽章。昨今の演奏でよく聴ける静寂でソフトな世界とは大きく異なり、むしろ無骨な歌いまわしと明確な発音によって淡々と演奏されます。しかし、むしろこの方がベートーヴェンが求めた音楽に近いような気もします。第3楽章は軽快で明るい演奏です。決して弾き飛ばすことをせず、丁寧に弾かれていますが、ここでも勢いを失わずに多彩な表現を駆使して聴き手を飽きさせません。コンパクトに仕上がっている自作のカデンツァも曲の構成感を損なうことなく、そのままコーダになだれ込みオーケストラを引っ張りながら圧倒的な存在感を示しつつ曲を閉じます。名演です。ミルシテインは晩年になっても見事な演奏を披露していましたので、この曲の録音も70〜80年代に遺してくれればよかったのにと悔やまれてなりません。


ヤッシャ・ハイフェッツ(Vn) ミュンシュ指揮    ダヴィッド・オイストラフ(Vn) クリュイタンス指揮

◆ ハイフェッツ(Vn) ミュンシュ/ボストン交響楽団(1955年11月27-28日 BMG)★★★☆☆
 ヴァイオリンは登場からまるで怒っているかのように力がこもっています。この箇所のテンポが極端に速いのもユニークです(再現部も)。録音のせいか高音は耳障りになることもありますが、中音域で艶があるのはハイフェッツの特徴と言えます。あまりテンポを緩めず常に気を抜かない弾き方は、息もつかせぬ迫力を持っています。胸のすくような速いパッセージの煌きは現在の若い奏者なら誰でもできますが、力強さと全音域にわたるバランスとれた響きと発音の均質さではハイフェッツに敵う者はいません。しかし、セカセカした印象はぬぐえず、抑揚やコントラストが少ないのと、録音のせいで弓を押し付けてフォルテを弾くときに音が割れるのも気になります。カデンツァはアウアーが作曲したものをハイフェッツ自身が手を加えたもの弾いています。常に冷静でどんなに難しいフレーズもさりげなく弾くところが魅力的です。カデンツァ自体も技巧を追求していながら洗練さも備わったいい作品と言えます。

 第2楽章でのハイフェッツは高音での精度が今ひとつです。どのフレーズも霞んだりせずにめいっぱい弾き切っているために、この楽章の神秘性や恍惚感とは無縁の演奏になっています。オーケストラもマイクが近いのかあまり霞がかかっていません。第3楽章でもハイフェッツの力強さは変わず、フレーズ毎に表情づけを変えようともしません。しかし、現代風のクールな演奏スタイルは録音当時にあっては新鮮だったと思われます。3連音符が連続する箇所では拍の頭にアクセントをつけて弾いていてあまり音楽的ではない印象を受けますが、伴奏のオーケストラが遅れるからなのでしょうか。古い時代から受け継いだ表現手法も多少残っていますが、引き締まった響きでパワー溢れるボウイングと冴えわたる技巧において、ハイフェッツをしのぐ奏者は未だいない言っていいでしょう。


◆ オイストラフ(Vn)クリュイタンス/フランス国立放送管弦楽団(1958年11月 EMI )★★★☆☆
 長年この曲の名盤として高い評価を受けてきた演奏です。明るく穏やかなサウンド、歯切れのいい弦楽器、バランスのいい管楽器とこの時代の録音にしては実にいい感じにリマスターされています。序奏におけるフランス国立放送管は非常に立派なベートーヴェンを築くことに成功していて、鉄のカーテンの向こうからやってきた驚くべきヴァイオリンの大家を丁重に迎えます。オイストラフの登場はまさに堂に入っていて名実共にヴァイオリンのキングというものにふさわしいものです。かといって脅かしたり威嚇することもなく、美音に媚びることもなく、ベートーヴェンの音符をひたすら丁寧に紡いでいきます。昨今の何者も恐れない若い世代の奏者に慣れていると、このオイストラフの真摯な姿勢には頭が下がります。ソロもオーケストラも幸福に満ち溢れた音楽を展開させ、細部に至るまで非常に緻密なアンサンブルを維持しています。

 ヴァイオリンの音符が混んでくるとテンポが少し遅くなるのは慎重なせいでしょうか、もう少しクリュイタンスは適所でテンポを戻す努力をしてほしいものです。曲が進むにつれてオイストラフは時折フレーズをたっぷり歌い込むようになり、テンポも少し揺らすようになります。後半になると弾きだす小節の頭やフレーズの終わりの音を少し長めに弾く傾向が出てきて、少々耳につきます。今だからなのでしょう、こういうスタイルは古臭いと感じてしまうものです。クライスラーのカデンツァはこれまで同様明るい雰囲気で呆れるほどの完璧な演奏です。しかし、やや穏やか過ぎる感じも受け、何かが起こらないとカデンツァとしての面白みは半減してしまいます。

 第2楽章ではソロもオーケストラもひたすら美しい世界を作り出し、まるで長閑な田園を散策しているうような気分にさせます。第3楽章では、オーケストラの音の密度が高い分やや重い感じがしますが、伴奏のオーケストラの音場が広く音が拡散するせいかどこかムード音楽みたいな印象を受けます。オイストラフのスタイルは第1楽章から全く変らず、軽快さと余裕のテクニックも申し分ありません。西側に出てきて模範的な演奏しなければならないというプレッシャーがそうさせたのか、完璧を貫く無骨なまでに頑なな変化のないスタイルは、一方で音楽に生気を吹き込むことに失敗しているように思えます。


ウォルフガング・シュナイダーハーン(Vn) ヨッフム指揮    ヘンリク・シェリング(Vn) イッセルシュテット指揮

◆ シュナイダーハーン(Vn)ヨッフム/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1962年 GRAMMOHON )★★★☆☆
 曲の冒頭からヨッフムらしい極めて厳格でがっしりした作りの音楽が提示されます。まるで交響曲が始まったかのような気合いの入れようで、テンポはかなり速めに設定されています。シュナーダーハーンのソロもオーケストラに負けじと力強い硬質な音で応え、ソロだけになる聴かせどころでややテンポを緩めることはありますが、全体的に冒頭の速めのテンポを維持し、正確な音程でグイグイと音楽を推し進めます。しかし、音色の変化に乏しく8分音符が連続するところでは単調になり物足りなさを感じさせることもあります。カデンツァはティンパニが参加する自作のもので、最近ウィーンフィルのコンサートマスター、ライナー・ホーニックが日本で使用したものです。パワフルな演奏を繰り広げますが、かなり長大で同じパターンを何度も繰り返し聴かされるので少々うんざりします。

 第2楽章も同様に力を抜くことをしません。明瞭そのもの、弱音とは無縁の演奏です。後半では息の長いフレージングを聴かせますが、カデンツァは次の楽章を予感させる素材がちりばめられていますが、この楽章にはそぐわない印象を受けます。第3楽章は落ち着いたテンポで妙に丁寧な弾き方になります。全部の音をパワー全開で弾いていますが、軽やかさと陽気さは失っていません。カデンツァはそれなりに楽しませてくれるものの、やはり同じパターンの繰り返しに閉口させられます。ソロの音符を全部しっかり聴きたい人にはお勧めです。


◆ シェリング(Vn)イッセルシュテット/ロンドン交響楽団(1965年 Philips)★★☆☆☆
 この時代の録音ではやむを得ないのか或いはCD化するときにうまくいかなかったのか、フォルテになると高音がつぶれ、中音域が鳴らないためにベートーヴェンの響きを楽しむことはできません。シェリングは一音一音噛みしめるように弾いていながら歯切れのよさを失わず、ハイポジションにおいては過度な響きを排した美しさを湛えた演奏を聴かせます。確固とした足取りによる淀みのない音楽運びは旧世代の音楽スタイルとの決別を打ち出しています。しかし、無機的な弾き方にはならず、ベートーヴェンの音符が求めるあるべき姿を正確に再現しています。高音から低音へ降りてくるときのポルタメントは今聞くとやや時代の古さを感じさせます。オーケストラはシェリングの意図によく反応してはいるものの、ソロとの掛け合う箇所では気の毒ではありますが美しさに欠けることがあります。しかし全体の音楽づくりには違和感はなく、場面場面にふさわしい表現を細かいダイナミクスの変化を効かせながらつけています。ヨアヒムのカデンツァでは熱くならず、攻撃的にならず、常に端正さを失いません。高い技巧を要求されるカデンツァにしては華麗さや派手さがないのはシェリングのスタイルなのかもしれません。

 第2楽章では徹底的な静寂の世界を作り上げていますが、アンサンブルなどの甘さによって輪郭がぼやけているために完成度に欠けます。シェリングは単一の音色を通し、高音部における無駄な響きのないヴィヴラートには思わず引き込まれてしまいます。第3楽章ではややどっしりとしすぎの感はありますが、音をがっちり捉え安定感のある音楽を聴せます。



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