チャイコフスキー : 歌劇『エウゲニー・オネーギン』〜「手紙のシーン」

チャイコフスキーとその妻エリザベータ・ラヴロフスカヤ  フォン・メック夫人  プーシキンが描いたオネーギン
作品とあらすじ

 1876年、チャイコフスキーはパリでビゼーの『カルメン』を観て、その身近な題材をベースに活き活きとした登場人物たちが織りなす悲劇に大きく感銘し、「自分たちと同じような人間」が登場するオペラを書くことを決意します。歌手エリザベータ・ラヴロフスカヤの薦めでプーシキンの『エウゲニー・オネーギン』のオペラ化を計画し、1877年4月、交響曲第4番のスケッチを完成させるや『オネーギン』の作曲に没頭します。しかし、チャイコフスキーの私生活は多忙を極め、アントニーナ・ミリューコヴァからの突然の結婚の申し入れ、結婚、悲惨な結婚生活、破局、自殺の企て、神経発作、海外療養、という一連の悲劇で作曲は一時中断します。その後ジュネーヴ湖畔での静養に前後して始まったナデジダ・フィラレトブナ・フォン・メック夫人との文通により、精神的物質的援助を得てから健康と創作力を回復し、1878年には交響曲第4番のオーケストレーションと平行して『オネーギン』を完成させます。

 この曲は、当時のオペラの観念からは異なるために、チャイコフスキーは「抒情的場面」と呼び、初演は大劇場ではなく、モスクワの小劇場を選び、モスクワ音楽院の学生たちによって歌われました。しかし、皇帝アレクサンドル三世の命によりペテルブルグ帝国劇場で上演されて大成功を博するに及び、ロシアを代表するオペラとしての地位を不動のものにしました。

 ロシアの国民的詩人と呼ばれるアレクサンドル・セルゲエヴィッチ・プーシキン(1799-1837)は、帝政ロシア末期において文学が社会の精神的発達の上に重要な役割を果たす国民的な事業であることを自覚した、最初のロシアの詩人でした。国民のことばに基づいたロシア写実主義文学の確立者でもありました。しかし、専制政府におもねることなく自らの芸術の独立を守りつづけたプーシキンは、その不屈な態度をにくむ人たちのしくんだ陰謀のなかに、決闘によって命を落とします。絶世の美女と謳われた妻をめぐって近衛将校と勝ち目のない決闘に散ったとされていますが、「詩人の口に封印」をするため、皇帝の後押しを受けて殺人が仕組まれたものといわれています。この作品の中で詩人のレンスキーがオネーギンとの決闘で命を落とすことと奇妙な符号を見せています。代表作はこの『エフゲニー・オネーギン』(1831)の他に、『ボリス・ゴドノフ』(1825)、『スペードの女王』(1833)がありますが、いずれもオペラ化されていて、しかもロシア・オペラを代表する作品になっています。

 この『エフゲニー・オネーギン』でプーシキンはロシアの2つの典型的な人物を描いていることに注目されます。まずは「オネーギン」、高い教養と才能を持ちながらそれを活かす場所を都市にも農村にも見出せず、現実社会に背を向けて「ニヒル」で「デカダン」な「余計者」として無為な生活を送る帝政末期の貴族として描いています。こうした人物はレールモントフのペチョーリン、ゲルツィンのベリトフ、ゴンチャーロフのオブローモフ、ツルゲーネフのルージンへと受け継がれ、19世紀ロシア文学の潮流の先駆けとなります。一方の「タチャーナ」は、外面の素朴さにもかかわらず、高い道徳性と激しい愛情を内に秘めるこの女性として、ツルゲーネフの『その前夜』、トルストイの『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』、ゴーリキイの『母』など、その後のロシア文学の中で発展を遂げた女性像の原型となっています。

 なおプーシキンは、オネーギンを一典型にまで高め同情の涙を持って取り扱っているに対して、チャイコフスキーは彼を冷血漢として憎み、題名にも関わらずタチャーナを主人公として取り上げ、克明な心理描写から彼女のあらゆる感情の陰影を慈しみながら描いているところが興味深いところです。
 

●登場人物
エウゲニー・オネーギン(Br)/ラーリナ(女地主、Ms)/タチアーナ(その娘、S)/オリガ(その妹、MS)/フィリッピ・エヴナ(その乳母、MS)/ウラディミール・レンスキー(オネーギンの友人でオリガの婚約者、T)/トリケ(フランス人家庭教師、T)/グレーミン公爵(功績のある将軍、B)/ザレツキー(士官、B)/その他

プーシキン    決闘で倒れるプーシキン

あらすじ

第1幕 
 1820年代のロシア。農村の女地主ラーリンの娘タチャーナは、穏やかで平和な夕暮れに未亡人の母、乳母、タチャーナの妹オリガとのとりとめのないおしゃべりの中で小説を読んでいます。物思いに耽っている文学少女の姉タチャーナと陽気な妹オリガとが対照的に描かれ、レンスキーという婚約者がいるオリガは「私は、憂いに沈むなんて、だめ!」と妹らしい単純さをふりまきます。そこへ、詩人レンスキーがやってきて友人のオネーギン紹介するとタチャーナはオネーギンに一目惚れしてしまいます。本の世界に生きているタチャーナには、オネーギンの投げやりな風情が恋物語の悩める主人公のように映ったのか・・・。一方、恋するレンスキーは情熱を込めてオリガに愛を捧げます。

その夜、寝付けないタチャーナは乳母にペンと紙を持ってきてもらい、胸の悩みに悶えながらオネーギンに手紙を書きます(「手紙のシーン」)。

「私を軽蔑という鞭で罰したいのでしたら、どうぞ! でも、私の不幸な運命に少しでも憐れみ気持ちをお持ちでしたら、私を見捨てないでください。」
「何故、私どもを訪れたのです?忘れられた田舎の片隅で、私はあなたを知ることもなく、つらい苦しみを舐めなかったでしょうに・・・。」
「あなたは誰なの?私の守護天使?それとも呪うべき悪魔?」
「でも、いいわ!私の運命をあなたに委ね、・・・あなたに保護を求めるの・・・。」

 愛、予感、ためらい、服従の各旋律がチャイコフスキー独特のオーケストレーションで色づけされ、タチャーナの心が恋におののく様子を刻々と描いていきます。「手紙のシーン」が終わるといつしか外は白々とし始め、乳母に手紙を託したタチャーナは切ないため息とともに一夜の余韻に身を任せます。

手紙のシーン

 翌朝のラーリン家の庭、遠くから苺摘みの娘たちの声、屈託のない歌声とは対照的にオネーギンへの思いに沈むタチャーナ。そこへオネーギンが登場、しかし出てきた言葉はタチヤーナの軽率さを冷ややかにたしなめ、「僕は安楽のために生まれたのはなく・・・兄の愛情であなたを愛しましょう」と。「若者がやってきたら、散らばるのよ・・・サクランボを彼に投げようよ…」と娘たちの歌声が遠ざかる中、タチャーナは涙することも適わず茫然と立ち尽くします。


第2幕 
 ラーリナ家の居間ではタチャーナの命名日のパーティが開かれ、華やかなワルツが踊られています。単独で演奏されることの多い曲ですが、オペラでは客人たちの合唱を伴い、さらには彼らの会話が巧みに織り込まれています。オネーギンはタチャーナとつまらなさそうに踊っていますが、周りのからはあんな男じゃタチャーナが可哀想と陰口も聞こえてきます。いつしかオネーギンはオリガと踊り始めます。軽薄にも婚約者を嫉妬させようとオリガは愉しげにオネーギンと踊り続けます。これに黙っていないのはレンスキー、オネーギンから侮辱の言葉も浴びせられついに決闘を申し込み、オリガはその場に卒倒してしまいます。

 翌日の早朝、雪の中でオネーギンを待つレンスキーのアリア「どこへ行ったのか、わが青春の黄金の日々よ」は、このオペラで「手紙のシーン」と双璧をなす名曲というだけでなく、ロシアオペラ史上に燦然と輝くテノールの名曲です。伴奏部に現われる上下する三連音符がレンスキーの悲痛な嘆きを切々と訴え、悔恨と孤独を慟哭とともに歌い上げます。やがて現われたオネーギン、二人はピストルを構え、決闘は容赦なくかつての友人同士を引き裂きます。銃声とともにレンスキーは倒れ、レンスキーのアリアの断片が断腸の響きに変えられて幕を閉じます。


決闘のシーン


第3幕 
 ところ変わってペテルブルグの社交場、絢爛たる大広間ではポロネーズが演奏されています。この曲も単独で演奏される名曲です。あれから数年後、相変わらずここでも退屈しているオネーギン、彼はレンスキーを殺した後外国を放浪し、ロシアへ帰ってきたのです。やがて将軍グレーミン公爵が公爵夫人タチャーナを伴って登場します。かつての田舎娘は今では輝くばかりの美しさと高貴さを湛えています。タチャーナはオネーギンの存在に気づくとオーケストラは彼女の動揺を調性の間断のない変化で表現します。オネーギンの切なる願いを聞いてタチャーナは応接間で彼と会います。彼女は燃え上がる初恋の追憶に幾度か打ち負かされそうになりながら、ついにすがるオネーギンを振り切って走り去り幕となります。


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