彼女の役作りは視覚的にも説得力があり、ポーズ、身振り、表情、そして舞台上の細かな所作に至るまで、独自の工夫と驚くほど豊かなディテールが盛り込まれていました。それらの多くは、メトロポリタン歌劇場よりも小規模な劇場でこそ最も効果を発揮するような細部もあったかもしれませんが、全体としては役柄を鮮烈に描き出すことに貢献していました。『ある晴れた日に(Un
bel di
vedremo)』は、単なる聴かせどころのアリアとしてではなく、一連の劇的展開の一部として歌われました。その結果、音楽的な旋律の滑らかさが多少犠牲になった面はあったものの、劇的な効果は高まりました。とはいえ、細部の表現にこだわるあまり全体的な表現力が損なわれるようなことはなく、この役に内在する幅広い感情や蝶々夫人の悲劇的な運命が、説得力と情感を込めて見事に表現されていました(The
New York Herald Tribune)。」
「その歌声が”偉大な”ものだと主張するまでには至らないかもしれませんが、美しさと官能的な音色を備えており、解釈の才を活かして巧みに駆使されていました。しかし、ソプラノが歌う愛の場面は期待に届かなかったのは事実で、そこにはより伸びやかな旋律の運びや、さらには豊潤な響き、そして感情の強烈さが求められているからです。この時の歌唱は説得力に欠け、どちらかと言えば装飾的なものにとどまっていたのです。もっと繊細さを抑え、圧倒的な推進力と声量を持つ歌手が歌っていれば、より大きな効果が上がったかもしれません。というのも、この場面は決して繊細なニュアンスを要するものではなく、その効果の多くは、メロディが持つ強烈な活力や、ユニゾンや豊かな音色を駆使したプッチーニの壮麗なオーケストレーションに負っているからです(The
New York Times)。」
「蝶々さんを演じたリチア・アルバネーゼは、歌唱・容姿ともに最高の出来栄えでした。昨年歌った『あと一歩(Ancora un
passo)』での高音の変ニ音(Dフラット)はあえて省略したものの、その後に続くアリア『昨日、私は行きました(Ieri son
salita)』、『ある晴れた日に(Un bel di vedremo)』、『小さな神様(piccolo
iddio)』では、音域の処理も完璧で、美しい音色を響かせました。彼女の演技は胸を打つものであり、台本の世界観を余すところなく表現したのでした(Variety)。」
「昨日の午後、プッチーニの『蝶々夫人』がメトロポリタン歌劇場に帰ってきました。戦争中この作品は上演が見送られていました。その理由は、日本人が概ね適切な振る舞いを見せる一方で、米海軍士官が(領事の承認を得てとはいえ)不適切な振る舞いをするという内容だったからのようです。連合国による占領下、イタリアではこの作品が大変な人気を博していたといいます。イタリアの家庭では、米軍兵士に本気で恋をしてしまうとどんな悲劇的な結末が待っているかを、娘たちに教える好例としてこの物語が好まれていたのです。ここアメリカでもおそらく人気を博すことでしょう。ただし、その理由は道徳的な教訓というよりは、この作品が美しく感動的なオペラであるという点にあります。(中略) リチア・アルバネーゼは、その美しい歌声でタイトルロールを歌い上げ、見事な演技を見せています。低音域では声の響きがやや弱いものの、高音域は実に見事に伸びやかに響きます。(中略) 特にアルバネーゼが歌うこの作品がレパートリーに復活したことは大きな喜びです(The
New York Herald Tribune)。」。
「アルバネーゼの愛好家たちは、真珠湾攻撃以来初となるメトロポリタン歌劇場での『蝶々夫人』上演となったこの1946年の放送録音を、常に彼女の最高傑作とみなしてきました。彼女の声は、生まれつき極上の美しさを備えたタイプではなかったかもしれませんが、その独特で個性的な音色は、誠実で心からの感情を込めたドラマティックな表現を行う上で、常に大きな武器となっていました。ある意味で、彼女は『蝶々夫人』に理想的なソプラノの持ち主でした。スコアの親密で静かな場面では魅力的なほどに儚げな響きを聞かせつつ、プッチーニの最も情熱的なフォルティッシモの上にも軽々と声を響かせることができたからです。彼女が残した数少ない商業録音のどれをとっても、このライブ・パフォーマンスほど彼女の魅力を伝えているものはありません。そこでは、スリリングなほどの熱量と、豊かで即興性に富んだ役作りが展開されています。共演者たちは必ずしも”黄金時代”の名歌手と呼べる顔ぶれではなく、ピエトロ・チマーラの指揮もやや堅苦しいきらいがありますが、それでも現場の空気は、まさに今、本物の舞台が創り上げられていくという興奮に満ち溢れています(1975年7月6日付
The New York Times )。」
「最も有名な役柄のいくつかを公式にスタジオ録音する機会に恵まれなかったアーティストたち・・・アルバネーゼの『蝶々夫人』はまさにその好例です。このソプラノ歌手は1940年から1963年の間にメトロポリタン歌劇場でこの役を48回歌い、プッチーニの芸者役は常に彼女の代名詞となってきました。彼女がRCAと契約していたにもかかわらず、なぜこのオペラを録音しなかったのかは、誰も答えを知らない録音史の謎のひとつであります。
実際、RCAは1950年代にアルバネーゼの『蝶々夫人』を発表し、録音セッションも開始しましたが、何らかの理由でプロジェクトは中止されたのでした(1975年7月6日付
The New York Times )。」 *48回ではなく、正しくは1965年までに72回です。