プッチーニ:『蝶々夫人』

第9章 『蝶々さん』歌姫列伝-11
ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス

 
                 Victoria de los Ángeles

         ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(Una Noche en la Operaより)


ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス
( Victoria de los Ángeles: 1923年 - 2005年 )
 ビクトリア・デ・ロス・アンヘレスは、スペイン・バルセロナ出身のソプラノ歌手です。1941年、彼女はまだ学生だったにもかかわらず、リセウ劇場で『ラ・ボエーム』のミミ役でオペラ・デビューを果たし、その後音楽の勉強を続け、1945年に再びリセウ劇場に戻って『フィガロの結婚』の伯爵夫人役でプロデビューを飾りました。1949年、パリ・オペラ座で『ファウスト』のマルグリット役を歌い、翌年、ザルツブルクとコヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスで『ラ・ボエーム』ミミ役を歌ってデビューします。1951年1月、ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮でミラノ・スカラ座で『ドン・ジョヴァンニ』のドンナ・アンナ役を歌っています。

 その後、ニューヨークのカーネギー・ホールでリサイタルを行った後、1951年3月17日、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で『ファウスト』のマルグリット役としてデビューを果たし、その後10年間同歌劇場で歌いました。特筆すべきは、彼女がオペラ出演前にこれらの都市すべてでリサイタルを行ったこととされています。 メトロポリタン歌劇場でデビューしたの時の様子は、『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』紙に掲載されたヴァージル・トムソンによる熱っぽい批評から見て取ることができます。トムソンはパリでナディア・ブーランジェにも師事した作曲家でもありました。

 「彼女は音楽の旋律と同様に歌詞も明瞭に響かせ、その舞台には珍しいほどの、繊細でありながらも熱のこもった演技を見せました。見事な訓練に裏打ちされ、あらゆる面で確固たる安定感のある歌唱は、卓越した表現への集中と、大仰な演出を避ける姿勢によって際立っていました。リサイタルの時と同様、彼女は控えめな佇まいで音楽に愛情を込めて向き合い、角の立つような粗さは一切なく、無理に声を張り上げたり、聴衆をあっと言わせようと狙ったりすることもありませんでした。その表現は実に心地よいものでしたが、熱狂的な喝采を巻き起こすような派手さはありませんでした。大仰な演出が支配しがちなこの劇場において、抑制の効いた柔らかな歌声を耳にし、サーカスのような奇をてらった手法に頼ることなく役柄に命を吹き込む女優の姿を目にできたことは、実に清々しい体験でした。

 デ・ロス・アンヘレス嬢に声の力が欠けているわけではありません。単に、それを聴き手に力任せにぶつけるようなことをしないだけなのです。彼女のリリック・ソプラノの声は音域が広く、柔軟性と表現力豊かな音色の変化を可能にする訓練がなされています。中音域には素晴らしい温かみがあり、高音域は完璧に響き渡ります。音程を外したり、声を震わせたり、耳障りな音を出したりすることはありませんし、音階のパッセージで正確さを欠くことも、音楽や劇の内容を伝え損ねることもありません。しかし、彼女はまだ若く(26歳だと言われています)、賢明にも、自身の持つ最大限の音量を出すことは控えています。彼女は偉大なスター歌手となる資質――声、訓練、音楽性、誠実さ、そして力強く温かみのある舞台での存在感――を備えていると思います。とはいえ、現時点で彼女が演じるべき役柄がすでに決まっているとは思いません。ドラマティック・ソプラノへと転向するかもしれませんし、リリック・ソプラノのままいくかもしれません……。

 今断言できること、そしてヨーロッパの聴衆によってすでに認められていることは、彼女が並外れた、いや、凡百の歌手をはるかに凌駕する歌唱芸術家であるということです。『ファウスト』のマルグリット役での彼女の演技は、その類まれな音楽的才能に加え、強烈な印象を残す舞台での存在感を彼女が備えていることを、私に改めて確信させました。彼女は素晴らしい歌手であると同時に、優れた女優でもあります。多くのオペラ歌手と比べても、その演技力は際立っています。彼女は舞台の上で実に自然体であり、演じる役柄のリアリティを観客に信じ込ませることができます。彼女は常に役になりきっています。役から抜け出したり、無駄な動きをしたり、気を散らしたりすることはありません。常にプロフェッショナルであり、一流なのです。昨晩の舞台では、彼女の存在によって、他の共演者たちが音楽的にも演技的にも、どこか素人っぽく見えてしまうほどでした。(The New York Herald Tribune)。」

 このデビューの3日後、1951年3月20日の彼女の2回目の登場が『蝶々夫人』でした。地方公演先のダラスであったことから地元の『ダラス・ニュース』紙が記事を書いています。

 「ユージン・コンリーは米海軍士官のような外見や振る舞いとは程遠く、ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスもまた芸者のようには見えず、その立ち居振る舞いも芸者らしくありませんでしたが、二人の歌唱はまさにプッチーニの音楽そのものでした。
このことは、土曜夜に上演された『蝶々夫人』の真価を際立たせるものでした。会場は4,396人もの観客で満員となり、(中略) このスペイン出身のソプラノ歌手は、すでにレコード愛好家の間では通好みの存在として知られています。このところ急速に名声を高めてきましたが、その評価は決して過大ではありません。声の圧倒的な量感と豊かさ、卓越した発声技術、そして歌詞への理解と音楽への感性を兼ね備えた表現力において、彼女は現代のディーヴァ(歌姫)の中でも極めて稀有な存在と言えるでしょう。

 音の跳躍や音程の正確さが常に課題となる蝶々夫人の登場の音楽ですが、土曜の夜の歌唱は、人を惹きつける力強さと燃えるような輝きに満ちており、ありがちな音程のズレで台無しにされることもありませんでした。『ある晴れた日に』では、少々煩わしい演技が邪魔をしたものの、歌唱そのものは変わらぬ輝きと情熱を湛えていました。情熱的な愛の二重唱、『花の二重唱』、そして悲痛な死の場面も同様に素晴らしいものでした。着物姿の彼女の喉と胸から発せられる、あれほど温かみのある歌声は、めったに聴けるものではありません。それは、罪なきヒロインの苦悩を表現する際に最も高い創造性を発揮した作曲家の、熱のこもった筆致を見事に具現化した歌唱でした。

 とはいえ、蝶々さんという役は、デ・ロス・アンヘレスにとって必ずしも適役とは言えません。マノン、トスカ、エルザ、あるいはアルマヴィーヴァ伯爵夫人といった役柄にふさわしい堂々たる声量は、芸者という小柄で愛らしい役柄にはそぐわないのです。彼女の持つ豊満で女性的な存在感は、この物語が求める恥じらいや可憐さ、あるいはあの鈴を転がすような描写音楽の雰囲気とは、どうしても馴染まないものでした。(The Dallas News)。」

 歌唱については文句なしといったところですが、「蝶々さん」としては全面的には合意できないものがあるという批評でした。なお、デ・ロス・アンヘレスは、このシーズンは他に『ラ・ボエーム』も歌っています。シーズンが終わると英国に渡り、ロイヤル・オペラハウスで『蝶々夫人』を2回歌っています(6月19、27日。その後1957年4月20日にも出演。)。


 翌年1952年3月6日、メトロポリタン歌劇場での公演に出演したデ・ロス・アンヘレスの「蝶々さん」に対してもあまり好意的な評は書かれませんでした。

 「感情的な深みに欠け、技術的には入念だが慎重すぎるきらいのあった第1幕を経て、デ・ロス・アンヘレスの歌唱は、自由さ、色彩感、そして聴き手に訴えかける温かみを増していきました。彼女は、哀愁を帯びた歌声だけでなく、簡潔かつ真実味があり、要点を突いた演技によって、終幕を深く感動的なものにしました。声による役作りという点では、今回の蝶々さんは彼女の『マノン』ほどには優れていないように思われました。その理由の一部は、第1幕の音楽の多くに対する彼女の解釈がやや無機質で字義通りだったことにあり、また別の理由としては、後の場面でニュアンスの繊細さよりも歌のスケールの大きさを優先させる傾向があったことが挙げられます。それでもなお、傑出したパフォーマンスであったことに変わりはなく、声楽的な観点から見れば、メトロポリタンで聴けるものの中でも最高級の瞬間がいくつもありました(Musical America)。」

 デ・ロス・アンヘレスには同じ年の1952年にブエノスアイレスのテアトロ・コロン(Teatro Colón)で『蝶々夫人』を歌い、圧倒的な人気と高い評価を獲得したとされています。テアトロ・コロンを大変気に入った彼女は、この年以降も1979年に至るまで、たびたび同地を訪問してオペラ上演やリサイタルを行なっています。

 デ・ロス・アンヘレスは、メトロポリタン歌劇場で1951年から1961年までのちょうど10年間に139回舞台に上がり、主な出演オペラは、『蝶々夫人』12回、『ファウスト』28回、『ラ・ボエーム』23回、『マノン』15回、『フィガロの結婚』13回、『マルタ』16回でした。1961年にバイロイト音楽祭で『タンホイザー』のエリザベート役でデビューした後は、お気に入りの『カルメン』に時折出演する以外は、リサイタル活動に専念していました。彼女の出身地であるリセウ劇場では1955-56年シーズンに『蝶々夫人』を歌っていますが、お金のために海外ばかりで歌っているなどの謂れのない誹謗中傷の中上演され、第1幕の蝶々さん登場の際に拍手をしないなどの仕打ちを観客から受けたという話しも伝わっています(Una Noche en la Opera)。

 商業録音は2種残しています。共にローマ歌劇場での録音でジャナンドレア・ガヴァッツェーニ指揮(1954年)とガブリエーレ・サンティーニ指揮(1959年)です(しかし、彼女はローマ歌劇場の舞台で歌ったのは『マノン』だけでした。)。その他に、ニューオーリンズでのライヴ録音(非正規盤:1954年)、コヴェントガーデンのロイヤル・オペラでのライヴ録音(非正規盤:1957年)などがあります。いずれも、彼女の良さがよく表われている録音と言えると思います。ジュゼッペ・ピントルノは、ガヴァッツェーニとの録音を歴史的価値の高い演奏として「このプッチーニの役柄に理想的な声を持っていたヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスを主役に据え、アンナ・マリア・カナーリ、ジュゼッペ・ディ・ステファノ、ティート・ゴッビらが共演したものです。(中略)この複雑な性格を持つ役柄の心理的側面に関する近年の研究を踏まえたとしても、デ・ロス・アンヘレスは、蝶々さんを演じる上で理想的な声と、最も完成された解釈を提示した歌手として際立った存在であり続けています(ジュゼッペ・ピントルノ著『「蝶々夫人」〜プッチーニ的歌唱の理想を求めて』 )。」と絶賛しています。また、一部のリスナーからはケンペとのライヴ録音が彼女の最良の蝶々さんとする意見もあるようです。いずれも YouTube で聴けます。

ワルター・ハーバート指揮ニューオーリンズ歌劇場(1954年3月18日:ライヴ)
Puccini: "Madama Butterfly", dirigida por Walter Herbert

ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ指揮ローマ歌劇場(1954年6月:セッション録音)
Madam Butterfly - Complete Legendary Performance

ルドルフ・ケンペ指揮コヴェント・ガーデン王立歌劇場(1957年5月:ライヴ)
Victoria de Los Angeles Madama Butterfly full opera (1957 live)

ガブリエーレ・サンティーニ指揮ローマ歌劇場(1957年:セッション録音)
Madama Butterfly: Act I
Madama Butterfly: Act II
Madama Butterfly: Act III


    アンヘレス   アンヘレス
             ニューオーリンズ(1954)               ローマ(1954)  


    アンヘレス   アンヘレス
            コヴェント・ガーデン(1957)              ローマ(1959) 


 

*参考文献の一覧は≪目次≫をご覧ください。 


                ≪ 前のページ ≫       ≪ 目次に戻る ≫       ≪ 次のページ ≫ 

Copyright (C) Libraria Musica. All rights reserved.