再び交響曲第9番

 
 『復活』(5月)の興奮が覚めやらぬ同じ年(2014年)の8月、創立30周年記念演奏会ということで再び9番を演奏することになったのは全く予想していなかったことだけに嬉しさもひとしおでした。この大学の現役生が毎年演奏している9番にこのOBオケから数名参加しているのですがそれは弦楽器が主でした。木管金管はほぼ現役生で間に合っているので、OBオケの木管金管のメンバーは参加したくても吹けない、こんな身近で9番を演奏しているのに長い間関わることができない、「おじさん・おばさんの9番をやろう」という声が上がり、この記念演奏で取り上げられたのでした。数えれば2007年から2014年までの8年間、40回のオーケストラ演奏会に出演してそのうち10回の演奏会でマーラーを演奏していたことになり、文字通りマーラー漬けだったことになります。9番は自分にとって4回目ということになり、マーラー全曲演奏を目指した活動も残るは7番と8番の2曲を残すのみと一息入れた感があります。

 何度も演奏しているからといっておいそれと楽に弾けないのがマーラーの音符。わかっているのにやはり上手く弾けないことに悩ませながらも、これまで気付かなかった絶妙なフィンガリングを見つけたりして練習するのは楽しいものです。リハーサルで指揮者(このOBではほぼ一貫して同じ先生)から指示されることはいつも同じことばかり、前回現役の演奏会でも同じことを言われた気がする。その都度、団員の皆さんは譜面にいっぱい書き込んでいるけど同じことを重ねて書いているのだろうか、譜面の余白は真っ黒だけど読めるのかな、なんて眺めながら弾いていました。

 演奏会場は普段使用する都心のコンサートホールではなく、立川市にある「たましんRISURUホール」(旧立川市民会館)。ここはかつて私が最も多くステージに立った(計45回)ホールで思い出が一杯詰まった場所でもありました。当時の仲間を数名招待して聴いていただいたため、故郷へ錦を飾るってこんなものなのかなとステージに上がった時ふと思ったものでした。近年改修がなされていて客席やロビーは綺麗になっていましたが、バックステージはお粗末なままで、かつて舞台袖とステージの温度の大きさのせいで弦が緩んだり指が攣ったりしたことが懐かしく思い出されました。肝心の音響は客席にいたわけではないのでよくわかりませんが、当時大きめに弾かなければ客席に届かなかったことを思い出しても、常にスコアに忠実な指揮者の指示に従わなければならないというジレンマの中で弾いていました(2プルト目に座っていたので・・)。せめてできるだけダイナミクスの幅を大きくしよう、ピアノは極限にまで弱く、フォルテは可能な限り大きく弾こうと心がけたのでした。コンミスの直ぐ後ろでとても弾きやすかったこともあり、これまでのマーラー演奏の中でも最も満足のいく演奏会であったのは言うまでもありません。

 この曲の思い出をもうひとつ。1989年に米国出張に行き、仕事を終えた後の2日程休暇を取ってボストンに寄り、ボストン交響楽団の演奏を聴きに行きました。インターネットがまだ普及していなかった当時、日本にいて海外のコンサートのスケジュールなど知る術はありませんでした(唯一日本航空で予約はできましたが、主要都市のみでしかもどうしょうもない席しか確保できませんでした。)。渡米した後、日曜日に新聞を買い、その日曜版に挟まっているエンターテイメントの欄の隅っこを探すとようやくクラシック音楽のコンサートの予定が小さく載っているという情けない情況だったのです。そのため日曜日を過ぎてその地に到着すると演奏会があるかどうかもわからず、コンサートホールに行って初めて演目がわかるというケースがほとんどだったのです。その時も会場に行って初めて、当時の音楽監督だった小澤征爾の指揮でマーラーの9番が演奏されること知ったというありさまでした。それにしてもラッキーだったということは言うまでもありません。その年は1980年から始まった小澤征爾によるマーラー全曲録音の最中でもありました。

 期待に胸を膨らませてステージに向かってやや右よりの2階席に座っていると、誰やらマネージャーらしき人物がステージに現れ、「これから録音をするので演奏中はお静かに」とかなんと言って引っ込みました。しかし、アメリカのクラシックのコンサートに来られる方は当時既に高齢者ばかりで、静かにするなんて無理な話でした。演奏中にくしゃみや咳をするのはあたりまえ、しかもその際にハンカチをポケットから引っ張り出して口を押さえるためポケットに入っている小銭が一緒に出てバラバラと床に撒かれるのでした。その日も案の定、演奏が始まると客席のあちこちでも賑やかな音が沸いてきました。そうこうするうちに第1楽章も終盤、フルートの長いソロが終わった頃に突然、一瞬ですがトロンボーンのあるべき音がなくなってしまいました。指揮者も慌てて大きく棒を振り始め、なんとか事なきを得て無事に楽章を終えることができました。

 ライヴ録音中に冷や汗ものでしたが、帰国後1年くらいして発売されたCDを聴いたところ、別の日の本番かリハーサルでの録音を使ってうまく編集されていました。小澤征爾は相変わらずオーケストラに対してバタバタ棒を振り、各パートが奏する時に細かく指示(キュー)を出すというスタイルでした。もしかして、指揮者からいつもキューを出して貰えるため、たまたま指揮者がキューを出し忘れ、奏者が休符を数えなかったために落ちたのではないかと思ったりもします。マーラーの曲でバタバタ棒を振られると音楽は硬直するし、こちらも落ち着いて聴いていられないのです、と苦言を呈するのは私だけでしょうか。


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