マーラーへの憧憬〜オーケストラ放浪の旅〜5番

 
 マーラーの交響曲を演奏したいという渇望は募るばかり。このオーケストラで弾いている限りそれは望むべくもない、しかしここを去るとなると長年お世話になってきてしかも要職に就いていたことなどから躊躇していました。ところが音楽以外のことでゴタゴタしたことが持ち上がり(2005年)、その機会を逃さずすべてを擲って飛び出したのでした(団員の皆様には本当に申し訳なく思っています)。その年、大好きなブルックナーの交響曲第7番を演奏する高校のOBオーケストラに20年ぶりに参加した時に指揮者がマーラー演奏に意欲を燃やしていることを知り、そのオーケストラに同世代がいない寂しさがあったもののしばらくここで弾くことにしました。

 このOBオケは私が大学進学した翌年、高校の創立100周年記念にベートーヴェンの第9を演奏するために、室内楽で細々活動していたメンバーを中心にして各大学のオーケストラに散った卒業生達をかき集めて作ったオーケストラが母体になったもので、大学での演奏活動の合間に先輩方と奔走しただけにそれなりに愛着のあるオーケストラでした。しかし、大学オケと平行して参加できるほど技術的に余裕があるわけもなし、就職活動が始まれば自ずと足も遠ざかり、社会人になるとさっぱり行かなくなってしまいました。若い世代が頑張って運営するようになってから年寄りは身を引いたほうがいいとも思ったからかもしれません。

 ここに復帰して2年後の2007年についにマーラーの第5番を演奏することになりました。このOBオケは卒業後指揮者になった2人の卒業生が交代で振るというユニークな体制を取っていて、マーラーの5番は私のひとつ後輩の元ホルン吹きが担当となりました。彼が高校3年生になる頃、「俺、将来指揮者になりたい」とどこかの店で言った時、「バカヤロー、そんなことやめておけ、食っていけないよ!」とか言った記憶があり、今でも申し訳なく思っています。その約四半世紀後ヤマハの楽譜売り場の壁に、ある大学オケの演奏会のポスターが貼ってあり、そこにどこかで見た顔が載っているのを見て、それがあの後輩と気付いたときは驚くと同時に初志を貫いた後輩の強い意思と苦労したであろうその生き様に脱帽したものでした。リハーサルの合間に近況を尋ねると「ようやくなんとかなりましてね、家も買ったし、近々嫁も貰うところです。」と自嘲気味に応えたその表情には大きな自負に満ちていたのが思い出されます。その言葉からもしかしたら私の言葉を覚えていたのかなとも感じられました。それに引き換え自分は初志を捨て学府を離れてビジネスの道に走ったわけで、当時はともかくリタイアした今思うと色々考えさせられてなりません。オーケストラで演奏する者誰しも抱く指揮者になりたいという夢を実現させた後輩の指揮で演奏するマーラーはまた格別のものでした。

            ヴェニスに死す        ヴェニスに死す ファイナル・シーン

 しかし、演奏の方はといえばとにかくヴァイオリンは難しいパッセージの連続で苦労したことは言うまでもありません。そのため、あの映画『ヴェニスに死す』で有名になった第4楽章アダージェットを充分に歌い込む余裕がなかったことが悔やまれてなりません。幸いホルンは卒業後プロになった後輩が安定した演奏を聴かせてくれ、トランペットも同じ大学の後輩でもある名手が吹いたため全体ではそれなりに様になる演奏会だったと思います。また、ミューザ川崎という音響の優れたホールで演奏できたのもいい経験になりました。

 中学生の時友人宅で聴いたこの曲が私のマーラー初体験だった割にはLPレコードを最初に買ったのは比較的遅く、社会人になって最初にもらったボーナスの時でした。クラウス・テンシュテット指揮のロンドン・フィルの演奏でした。その時これがかのヴィスコンティの映画『ヴェニスに死す』のアダージェットかと遅ればせながら感銘を受けたものでした。その友人が就職先の会社の業務で米国のフィラデルフィアにホームステイすることになったのですが、なんとそのホームステイ先がフィラデルフィア管弦楽団の当時の主席トランペット奏者フランク・カデラベックの家だったのでした。1985年に私が米国に出張した際、その友人とニューヨークで落ち合ってプラシド・ドミンゴが出演するオペラ『トスカ』を観に行った翌日、ニューヨークの店でレヴァイン指揮のフィラデルフィア管弦楽団のこの曲のCDを買い、トランペットの主席にサインをして貰うよう頼んだのでした。ニューヨークのホテルからカデラベック氏の家にドキドキしながら電話したことや、携帯電話のない時代に異国の地で、私はシカゴから、友人はフィラデルフィアからニューヨークにやって来てよく会えたものだと今思うと懐かしさで一杯です。その翌年友人が帰国した時にそのサイン入りのCDを受け取りましたが、CDのブックレットにホルン奏者の名前しかクレジットされていないのをカデラベック氏は怒っていたとか。曲の冒頭で奏される有名なトランペットの冒頭を聴くたびにこんなことが思い出されてなりません。

       テンシュテット指揮ロンドン・フィル マーラー5番    レヴァイン指揮フィラデルフィア管 マーラー5番    主席トランペット奏者フランク・カデラベック

 プロ・オーケストラの演奏会でこの曲を聴いたのは、1983年ズービン・メータが指揮したイスラエル・フィルの来日公演。当時の私のノートには「切れることのない長い絹の薄布のよう・・・随所にハッとする美しさがある・・・アダージェットでのノン・ビブラートに身震いした・・・」と弦楽器を褒めていました。しかしこの演奏会、今でも鮮明に憶えていますが、終楽章になったところで3F中央の階段通路に若者が下りてきて通路側に座っていた私の席の脇にしゃがみ込んでしまったのです。ガサゴソ煩いなと思う間もなくそのうち寝息を立て始めました。ところが曲が終わった途端起き上がって大拍手するはブラボーを連呼するはで、お蔭様でマーラーの余韻に浸ることができませんでした。ノートには「日本の客にまだマーラーは無理」とも書いてありました。これがマーラー・ブームの実態だったのでしょうか。

      バーンスタイン指揮ウィーン・フィル マーラー5番    レナード・バーンスタイン    マーラー 当時のカリカチャ

 その後レナード・バーンスタインがウィーン・フィルを振ったCDを購入しました(1987年録音)。それは凄い演奏で、バーンスタインは全身全霊を込めたやりたい放題のマーラーを聴かせてくれます。指揮台の上で飛び上がり、のた打ち回り、顔面はまさに百面相、汗と涙を半径数メートルまで振りまきながら指揮している様が目に浮かぶ演奏です。今も残っている風刺画で描かれたマーラーの指揮振りをそっくり再現しているかのようです。


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