図書館内乱

 銃弾が飛び交い、ヘリコプターが飛び回るようなシーンはない。正義の味方が颯爽と現れ、悪の手先に向かって「出直してきやがれ」と啖呵を切るような場面も見あたらない。総じて地味。だからつまらないかというと正反対。むしろ面白い。というよりとてつもなく面白いのが有川浩の「図書館戦争」(メディアワークス、1600円)に続く”図書隊シリーズ”第2弾、「図書館内乱」(メディアワークス、1600円)だ。

 興味本位から来る行き過ぎた表現が、人権を脅かすようになった事態に対抗して作られたメディア良化法が、今度は表現の自由を行き過ぎて取り締まるようになってしまった近未来。図書館だけが図書館法を縦に表現の自由を守る組織として屹立し、図書対を組織し、あらゆる本を集めては保護し保管する活動を続けていた。

 そんな図書館に対し、武装化したメディア良化委員会が検閲を理由に繰り返し行う襲撃に、若い図書隊員の笠原郁たちが立ち向かい、ひとつの危機を乗り越えるまでを描いたのが前作「図書館戦争」だった。

 けれどもそれで全てが終わった訳ではない。メディア良化法は厳然として残りメディア良化委員会として図書館に弾圧をかけ続ける。検閲という名の表だっての襲撃を行う場合もあれば、搦め手から図書隊員たちの活動に不備がないかを見張り、綻びがあればそれを衝き、なくても無理矢理ほころびを作っては手を突っ込んでかき回す。

 1人の図書隊員が、近所に住んでいて仲の良い耳の不自由な少女に、難聴の女の子が主人公の物語を勧めたことが、少女の同級生たちのお節介によって虐待とみなされ噂になる。聞きつけたメディア良化査問会によって糾弾される図書隊員。そんな攻撃をどうにかしのいだと安心したのも束の間、今度は図書館側が制作しているホームページに、個人の意見として悪罵を連ねた書評が掲載される事件が勃発。本を愛する郁を憤らせる。

 さらには書評ページを作った人物の不思議な行動に巻き込まれ、郁自身が図書館の組織から糾弾される身に。いったい何が起こっているのか。そこからは、メディア良化法を相手に一枚岩で戦っていると思われている図書館という組織の内部で繰り広げられている、思想闘争と権力闘争が浮かび上がって来る。

 メディア良化委員会と同じ権限を得るために、金科玉条と掲げた図書館法の一部を降ろし、検閲も認めさせつつ何十年かをかけて検閲制度を撤廃させて、永続的な自由を勝ち取るという道も存在する。急がば回れ。相矛盾する法律を、国と図書館とがそれぞれに根拠として戦いを繰り広げるばかげた状況を打開する上でも、有効な策だと見て見られないことはない。

 けれども、検閲が行われている何十年かの暗黒を、生きなくてはならない人たちは存在する。1人の赤ん坊が成人へと育つ長大な期間、本を読む自由を奪われて過ごさなくてはならない哀しさを味わう世代が存在する。そん世代を、たとえ後の世代のためだからといって果たして作り出して良いものなのか。答えに窮する問題だ。

 メディア良化法を縦に権限を強める勢力と、一触即発の状況を維持しながら守らなくてはならない自由もまた残酷。いつ何どき起こるかもしれない騒乱に身をさらす危険を鑑みれば、いったんは自由を預けてみるのも得策だと、考えてみたくなる人もいるだろう。図書隊に家族を持つ人々のように。

 そんな2つの考え方が、表だっては純粋な想いをぶつけあい、裏側では権力を巡る争いを繰り広げながら主導権を争っている状況が、この「図書館内乱」ではクローズアップされて描かれる。

 明確な敵が相手だったら手に武器を持ち闘いを挑む覚悟を持った、元気さだけが取り柄の笠原郁だが、図書館の内部で巡らされるさまざまな勢力たちによるはかりごとが相手では身動きがとれず、逡巡ばかりを重ねる。彼女の猪突猛進ぶりが売りだった前作に比べて、展開が地味に見えるのも仕方がない。

 そんな郁に代わって「図書館内乱」働きを見せるのが、美貌と明晰な頭脳を持った情報通で知られる柴崎麻子。良き相談役として郁を支えるだけでなく、腕力とは違った”力”を使って、郁が巻き込まれた謀略を暴き、そして自らに及ぼうとしている謀略の網へと敢然と挑む。

 動の郁に対する静の柴崎。情報戦の渦中に飛び込んでは冴えた頭脳と美貌で戦い抜く彼女もまた、”図書隊シリーズ”における主役の1人と見ても差し支えはない。

 とはいえそこは笠原郁。挟まれても圧迫されても、揺るぎない直感で正論を吐いては、どっちが良いんだろう? とゆらぐ読者の気持ちに活をいれる。そんな彼女の真っ直ぐぶりを支えにして読んでいけば、勢力争いの中で繰り広げられる理論闘争に隠れて置いていかれがちな人たち、読みたい本を求める真の読者人たちでも、何がいちばん大切なのかを理解し、進む勇気もきっと失わないで済む。

 表現の自由といった部分に限らず、正論を吐けば現実論が引っ込められ、現実論が幅を利かせれば理想が後退するという、世につきものの状況の中で繰り広げられる政治的な駆け引きの気持ち悪さと重要さ。そんな駆け引きに勤しむ人たちの、純粋さと汚さを気づかせてくれる社会的で政治的な物語。いったいどっちなんだと答えが出せない難しさを浮かび上がらせてしまった「図書館」は、これからどこへと向かうのか。見極めなくてはならない。

 さらにそんな図書館にあって、己が信念に準じる覚悟を決めながらも、新たな悩みに戸惑うことになった笠原郁のこれからも、楽しみになって来た。図書館の未来と郁の将来。どっちも難しい課題だが、さてどう描く?


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