日刊リウイチ特別編

「2009年マイマイ新子日記」(抜粋)

【9月21日】 コトリンゴが素晴らしい。というか「マイマイ新子と千年の魔法。」の主題歌に使われていた「こどものせかい」って楽曲を聴いて初めて存在を歌声だけでなくって個人として認識して、これはいったい誰だとアルバムを探して当該の曲が収録されたアルバムの「trick & tweet」を購入。つぶやくように発せられる澄み切って伸びる声が麦畑のひろがり風がわたる防府の自然を駆け回る子供たちの姿を思い起こさせて、心が洗われるような気持ちが浮かんできた。淡々とした曲調は矢野顕子さん的であり歌い方は大貫妙子さん的。それでいて声はどこまでもどこまでも透明な楽曲は聴けば1発で大勢の人を虜にしてしまうだろう。そんな歌が聴ける映画「マイマイ新子と千年の魔法。」は絶対にみんな見ること。アルバムも買うこと。完成していたアルバムにボーナストラックとして無理目に突っ込んでもらったそうなんで。


【10月17日】 イベントもない土曜日、とかも言ってられない「コ・フェスタ」マンスリー、って割には世間ではまるで盛り上がってないぞ「コ・フェスタ」。去年はそれでも麻生前総理が秋葉原に顔を見せてさいとうたかをさん弘兼憲史さんと対談なんかしたりして、メディアにも取りあげられたんだけれど今年はそういったメディアへの露出を狙った仕掛けがまるでなし。ある意味では健全とも言えるけれども世間がまるで気づかないまま過ぎていくイベントもあったりする訳で、せっかくいろいろな作品が上映されたり、すごいクリエーターの話が聞ける機会もあったりするのに勿体ないこと甚だしい。今日も今日とて「ジャパンアニメコラボマーケット(JAM)」ってイベントであの「アリーテ姫」で「BLACK LAGOON」で「マイマイ新子と千年の魔法」の片渕須直さんが登壇してトークをするってんで仕事じゃなかったら普通に行って、映画を見てトークを聞いたんだろうけれども仕事だったんで映画は前に見た記憶をそのままにいろいろとお仕事。

 コトリンゴさんの楽曲が流れてから始まったトークは聞いて、そこで片渕さんが映画に描いた防府の松崎小学校3年3組に、原作者の高樹のぶ子さんだけではなくって7月に亡くなられて片渕さんも送る会に関わっていた金田伊功さんが通っていたという話が披露されて偶然というものの素晴らしさに触れられた、っていうかすでに片渕さんも各所で形ってはいたようだけれど、映画を見に来た人にとってはそうなのかって思いにも繋がったんじゃなかろうか。過去から現在から未来まで、すべてが繋がっているという事実を描いていたりする「マイマイ新子と千年の魔法」。防府に1000年前にあの清少納言がいたという史実を引っ張り出してそこでの彼女の暮らしを見てきたかのように描いてそれを、新子が走り回る昭和30年の世界とつなげて重ねてみせる。

 1000年前があり昭和30年があってそして現在がある。1000年前はもとより昭和30年に活きていた人もいなくなっているかもしれないけれども、確かにいたという事実、それを感じることで過去に思いを馳せ、自分という存在がその瞬間に突然現れたのではないのだということを知り、そんな自分が未来のために何かを繋いでいくことになるのだという可能性に思いを馳せる。「Always」 3丁目の夕日」的なノスタルジーの喚起だけではない、過去を今につなげて考える大切さって奴を教えてくれる映画だってことを知ればなるほど、見てみたくなる人も大勢いそうだけれどもそうやって知らしめることがなかなか難しいんだよなあ、今の時代。キャラは可愛いけれど萌えてないし、アクションはあるけどガンではないし。でもそこは口コミパワーの発達している時代。見た人の心が語ればきっと広まっていくだろう。片渕さんは22日の「ロケーションマーケット」にも細田守さんと共に登壇の予定。行って聴こう、防府と上田を描く楽しさを。


【10月22日】 会場も早々に抜けだして六本木ヒルズへと向かい「ジャパン・ロケーションマーケット」のトークイベントを見ようとしたものの時間があったんで下の広場で「ばくだん焼き」を食べたら見た目の割にそんなに大きくなかった。1つがデカくても1つな「ばくだん」と1つは小さめでも6個8個あるたこ焼きの方が総体としてはデカいってことか。んでもって「ジャパン・ロケーションマーケット」ではアニメだってロケしちゃお、ってテーマでまずは細田守さんが登場して「サマーウォーズ」のロケハンについていろいろ語る。信州上田を選んだ理由はつまりはノロけかどうなのか。それはさておき現地では何か異様に盛り上がっているみたいで、例の小さいパンフレットも有志が作り上げたんだとか。歓迎してもらえるのはやっぱり有り難いというか、アニメの舞台になること歓迎してもらえる時代になったんだなあ。

 それは片渕須直監督の「マイマイ新子と千年の魔法」でも同様みたいで山口宇部空港あたりの時刻表とかに新子ちゃんが登場したり立て看板が出来たりしているらしい。高樹のぶ子さんではリアルな存在としてあっちこっちに引っ張り出すのは大変だけれど新子ちゃんならバーチャルなんでいつだってご登場願えるってことで特任だかの観光大使になった模様。山口に行けばあのマイマイに会えるのかな。しかし片渕監督、資料集めにかける精力が半端じゃなかった。前に古い航空写真とか地図とかは見せてもらっていたけれど、今日は現地で撮影した写真なんかを披露して、それがもうとてつもなく膨大で、学校を出て家に帰るまでのフォルダーが4つだか埋まるくらいにとりまくっていたみたい。

 なおかつ新子の家がどう見えるかってのをイメージとしてつかむために、実在する家が現在は他の家に囲まれ普通には見通せない状態になっているのを、過去の発掘調査なんかやってた当時の記録写真を探すことで、手前が空き地になっている新子の家のビジュアルを見つけだしたとか。想像してできないことじゃないんだろうけど、現実があるならそっちに勝るビジュアルなしってことなんだろう。

 あと1000年前の女の子がどんな格好をしているかってところでは、子供向けの十二単っぽいものを着せてもらえる場所があるってんで家族で出かけて娘さんに着せて、子供っぽい脚を投げ出したようなポーズをとってもらって写真に撮っておいたみたい。あのリアルさはそうした所から出ていたのか。っていうか片渕監督の娘さんってあんなに小さかったのか。そんなパパが作った「BLACK LAGOON」は良いアニメだからちゃんと見ているのかな、ってことはそのうち家を二挺拳銃で走り回り始めるのかな。それは何だか。せめて麦畑を泳ぐ程度にしておいて欲しいのが親心って奴で。

 しょせんは絵空事のアニメで何故に2人ともリアルさを貪欲に持ち込んだのか、ってところがやっぱり疑問として上がったみたいで、聞かれて細田監督は「アニメって、そのままの雰囲気でやると、絵空事になる危うい世界なんです。だからビジュアルのリアリティだけでなく、歴史も含めたトータルの場所の力が必要な時がある。こういう主人公像があったらお面白いといったことを、土地柄から想像する。主に人なんです。それを裏打ちするのが風景であり、土地なんだと思います」ってなことを話していた。風景をそのまま持ち込んだからといって説得力は出ない。そこに息づく人なり植生なりってものを取り入れてることで「土地の説得力が映画にリアリティを与える」ことになるんだという。

 片渕監督も「行かなければイマジネーションは生まれないかというと、そこは意見が別れるところで、空想の世界だけでやろうと思えば出来たけれど、空想だけで埋めてしまうと、どこか絵空事に陥ってしまうような気した。空想だけれれど本当だったかもしれないという縁(よすが)を残したかった」って話してた。高樹のぶ子さんの作品を洗って周囲にどんな植物が生えていたかもリストに残してそれをベースに現地で撮影して絵にしていったからこそアニメーションとなってスクリーンに現れた防府のリアルな風景。現地の人も太鼓判を押す空気感って奴になったんだろう。

 問題はそんな素晴らしい映画を防府や山口以外の人にどうやって知ってもらい、どうやって視てもらうかってところで、アニメったらトトロのマークが出てくる奴しか見ないし信じない人の多々あって、そんな監督の言うことは善って空気が色濃い国だけあって、そうじゃないけどそれ以上って作品が山とあることをどうやって知ってもらうかってことが、きっとこれからの日本にとって重要になって来るんじゃなかろーか。スタヅオ・ヅブソって架空のプロダクションをアラン・スミシー的な共用の財産にしてそこが作ったことにすれば或いは。


【11月12日】 昨日申し込んだ「マイマイ新子と千年の魔法」のサントラが今朝に届いた。何という速度。クレセントスタジオさん仕事早すぎ。注文してすぐ発送したってあったけれどもこれほどまでだとなるほどリアル店舗が衰退していくってのも分かるよなあ。つかリアル店舗だと置いてあるかどうかすらも怪しいんだよ、アニメ映画のサントラなんて。あってスタジオジブリの楽曲が中心。あとはディズニーとポケモンとキッズアニメ諸々で、いわゆるハイエンドなアニメの関連CDとなると普通の町中にあるレコード店にはまず置いてない。秋葉原の専門店でアニメのDVDやブルーレイディスクなんかといっしょに売っているのを探すのが精一杯で、それすらも最近のショップだと回転が速くなっていて、カタログ的なものは消えてしまっている。

 ジブリでもなくヒットアニメどころか公開がこれからって映画のサントラが、だからリアル店舗で売っているってのは相当にマニアック。でもネット店舗だと確実にそこにある。あるからアクセスできて購入できる。問題はだから届くまでの時間的なラグで、家にいないと受け取れないとかいった問題が解決されない限りは利用もなかなかままならないだろうなあって、大昔に考えたけれどもコンビニでの受け取りとか配送所での預かりなんかのシステムがきっちりしてきた上に、駐車場問題を受けたヤマト運輸なんかは配送所をそれこそご町内に1つの割合で置いて脚で配るような体制を整えたから、脚で行ける範囲に受け取れる配送所があったりする。これって結構便利。朝からやってるし。

 ロジスティックのシステムさえ整えばあとはもうバーチャルもリアルも関係ない。むしろバーチャルの方にこそ軍配が上がりそうってことを痛感もさせられたりする昨今。おまけなんかも付けやすいし。ちなみに「マイマイ新子と千年の魔法」のサントラには監督をした片渕須直さんのほかに作曲した人と歌った人のサインもはいって、背後に新子ちゃんたちの絵もプリントされているなかなかの逸品。アイドルとかとは遠いけれどもアニメ回りでもあんまり出ないだろう品物なんで、欲しい人は早めに申し込んでおくのが吉。ちなみに歌っている女性シンガーはあの「BLACK LAGOON」で双子が唄った歌を実際に唄っていたMinako“mooki”Obataさんって人。だから「BLACK LAGOON」のファンも是非に絶対におさえておくべし。また双子出して欲しいよなあ。無理だけど。あっと新シリーズでは巻末のセルフパロディなおまけ漫画が映像化されるんだっけ、そこに双子も出てるよなあ、歌も是非に、ってちょっとタイプ違い過ぎ?

 幕張メッセでやってる「フラワーEXPO」とやらに出かけてサントリーが子会社でスポンジに苗を植えて育てたのを壁に貼り付ける新しいアイディアなんか見せていてこりゃあネタになると仕込みつつ、フランスパンにソーセージをぶっさす「フランスドッグ」ってのを久々に喰らいつつざっと見てから三井アウトレットモールなんかをちょい舐め、なんにもないと見きって戻って健康診断を受けたら体重が前回の5月から6・8キログラムほど下がっていた。ラッキー。つか夏前にパスポートの更新というか期限切れだったんで再交付を受けた時に撮った写真があまりにも丸くて、こりゃあダメだと一念発起し朝というか昼は野菜サラダにおにぎりにヘルシア緑茶で済ませて夜もそんなに喰わず、「もやしもん」の影響でガブ飲みしていたビールも止めて寝る前もせいぜいが野菜サラダに抑えてかれこれ3ヶ月。見事に大幅ダウンを勝ち取った。

 はじめる当時は5月よりもさらに上積みされていただろうから実質的にはどうだろう、8キロぐらいは減らせたかもしれないけれども大学時代からすればまだまだ重たく社会人10年目からでもちょっと多め。なのでここは引き続き節制に勤めてヘルシア緑茶に黒烏龍茶に番爽麗茶をがぶ飲みしつつサラダサラダサラダ肉サラダサラダカロリーメイトソイジョイな食事を続けて年越しまでに63キログラムまで持っていこう。いけるよね。つか野菜ばっかり喰っていると何か野菜がとっても美味く思えてきたんだ。むしろ肉丼とか逆に食えなさそう。そういうものなんだなあ味覚って。

 好調さに小躍りしていたら何と六本木は東京ミッドタウンでmookiさんが登場するイベントが開かれるって情報が見つかってさっそくかけつけたら昨日は首相夫人とご一緒していた片渕須直監督も見学に来ておられたんで手持ちの記事を渡して御礼。それからmookiさんがパソコンに入れてあった多重録音をバックに唄う様を見る。なあるほど。山下達郎さんがアカペラでコンサートをやる場面は見たことがあったけれども多重録音とはいえ同じパートを重ねて厚みを出している達郎さんとは違って、mookiさんは4つくらいのパートを左右のチャネル向けに作って入れてあるのを再生した、その上にメロディだったり別のリズムだったりをその場で歌って重ねていく。

 その意味では本当の多重性って感じ。聞いていると多層的に聞こえて来る声が奥深さを感じさせて脳を揺るがす。でもってクライマックスあたりで声が重なりボリュームがわっと上がった感じがする場面があってそこなんかで感動がぐっと増す。例えるならラベルのボレロのオーケストラバージョンで最初のあれはフルートだっけ、静かに始まったのが様々な楽器が重なっていって、クライマックスに差し掛かるような感じ? とにかく面白い。おもいっきり低音のリズムもmookiさんが唄っているのかなあ。ジャズのスキャットっぽい声を自分で出した場面でも割に低めの声とか出してたし、そういう訓練も経てそして高い声も出せるシンガーななろう。その力がおもいきり爆発しているであろう「マイマイ新子と千年の魔法」のサントラを聞きこむのが楽しみ。イベントでも売るみたいなんで週末に余裕のある肩は六本木ミッドタウンへとゴー。


【11月21日】 こっちもやって欲しいぞ片渕須直監督、ってことで舞台挨拶のあった「マイマイ新子と千年の魔法」をピカデリーで観賞、何かすっげえ高いところにあるんだなあ、入り口から延々とエスカレーターを上がらされたぞ。そして現れた監督と新子と貴伊子の声の子たち。小さい子供を元気に演じている新子の声の人が大人っぽい女の子で喋り声のトーンが静かだったのと、貴伊子の声の人が美少女で喋りがハキハキしていて順に録っていった過程で映画と同じように新子役の人と仲を深めていったって話をしたのがちょっと面白かった。これで演技はまるで逆。役者って凄いなあ。

 意外というか嬉しかったのは新子を演じた中学3年生の子が、普通にさらりと新子が同級生達と別れていく場面を見てこれは本当に信頼し合っていて繋がっていてこれからも繋がっていけると信じていたから普通に別れられたんだ、それにひきかえ中学を卒業して味わう別れが寂しいと思ってしまう自分は、まだまだ繋がっていなかったんだってなことを言ったこと。映画に描かれた子供達の関係を、演じる中で理解するだけじゃなくってそれを言葉にして、自分にとってちょっぴり厳しい内容であっても発していける聡明さは、役者としてこれからきっと彼女を大きくしていくだろう。福田麻由子の行く末に期待。

 見るのは試写に続いて2度目。子供の頃を思いだしてそうだったとうなずけるような描写の積み重なっている様には当然のように感じ入ったとして、前回は強く意識していなかった隣り合わせの死のビジョンについてよりくっきりと見えてくる。金魚の死と、そしてクライマックスに来る男の死は直裁的に描かれ子供たちの前に明確に立ちふさがり、観客にその存在を強く意識させるとして、ほかにも貴伊子は母親を失っているし、千年前に繰らす諾子は、迎えてくれるはずだった同年代の女の子が、直前に死んでしまったことを教えられる。インサートされる小さなお墓のような映像が、失われてしまった命を思わせ、父親らしき男の飄々とした語り口の底に漂う哀しみを匂わせる。

 千年前に諾子の館で働いていた少女の家族も食あたりで死の少し手前まで追いつめられる。今なら普通に治る病気が当時は命取りになる。暮らしぶりのあまりの違いにも驚かされ、人は平等ではないんだってことを見せられる。ずっと楽しげで幸せそうに見える新子も最後に祖父を亡くす。ラストに流れるコトリンゴさんの「こどものせかい」という歌には、神様によって突然連れて行かれて、夏に1日しか会えない子のことが唄われる。さまざまな死のビジョン。人間という存在が過去より営みとしては繋がっていて、記憶として続いていても個は厳然として死によって断ち切られる存在なんだと意識させられ、その死が割に身近にあるんだってことを感じさせる。だからこそ周囲に頻発する死を受け止めて心に抱き続けることが大切なのだ。人は死ぬ。けれども思い出は人によって受け継がれ語りつがれるものなのだ。

 とまあそうした見方も可能だし、もっと普通に昭和30年代のノスタルジックな風景を、大人はそうだったなあと思い知らない人はそうなんだと驚きながら見て楽しむってのもひとつの手。跳びがしてくる犬の腹をさすってやる新子のしぐさに笑いウイスキーボンボンを食べて酔っぱらう3人の少女に吹きだし、最初はなじめない貴伊子に同情と反発心を抱きつつ、そんな貴伊子が新子の前向きさによってすくい上げられ仲間に入れられ、馴染んでいく様子にこのいろいろと難しい人間関係が言われる社会で、何をどうすればもっと誰もが幸福を得られるのかを考えるのも悪くない。

 というか、そうした見方をするだけでも存分にいろいろと得られる物語である上に、死のビジョンなり営々と続く人間という存在の凄さなりを思って喜べる映画でもある「マイマイ新子と千年の魔法」。すでにして日本のアニメーションがとてつもない領域に来ていることを、実例として示す作品ではあるけれど、これが普通にヒットしてこそ日本にアニメーションが本当の意味で普遍化したんだと言える。だからこそヒットして欲しいんだけど。応援するしかないか。ならば書こう、獏さん調で。この映画はぜったいに面白い。


【11月23日】 まあそれでも今はやっぱりアニメな日本、ってことであちらこちらに評判も立ち始めた「マイマイ新子と千年の魔法」のサウンドトラックを手がけた村井清秀さんとMinako“mooki”Obataさんがそろって登場するイベントを見物にタワーレコード渋谷店まで足を向けると、ビートルズBOXがステレオもアナログも山積みだった。なんだったんだあの売り切れ騒動は。値段も海外版とはいえ1万円とかさっ引かれていたりするのを見ると、ちょっと待てば良かったかもとやや後悔。でもまあああいうのはイベントに乗るから買えるんであって、今だから安いからって買えるもんじゃあありません。半額とかになれば別だけど。ってことで半額になっていた「鉄人28号 白昼の斬月」のDVD&リボルテック鉄人セットを購入。嫌いじゃないんだこのアニメ。でもあんまり売れなかったよなあ。勿体ないよなあ。「機動戦士ガンダム」からも「機動戦士ガンダム00」の主題歌集が出ていたけれども2割引ではちょっと。もう一声。

 さても始まったイベントはmookiさんの一人アカペラで幕をあけ、ピアノの村井さんも招き入れてトークセッション。それからピアノのソロがあって最後にカーペンターズのsingを歌って締めという、前に六本木のミッドタウン東京で見た時よりも濃くて充実した内容になっていた。singなんて誰が歌っていても素晴らしい歌を、ジャズの歌唱で歌ってくれてやっぱり素晴らしい曲だと感嘆。でもってカレン・カーペンターって偉大なシンガーだったんだと冥福。すでにサントラのCDは持っているのでサイン会とかはパス。山口から来ていた2人は映画を見に来たのかそれとも何か縁の人か。観客もそれなりに入って徐々に知られ始めているようで、この波が一気に盛り上がって映画への動員につながるといいなと期待。


【12月5日】 ネットってそりゃあ便利なツールで、ひとつの情報を光の速度で伝達させて大勢に広めることができるし、それを受けてさらに発信することで、等比級数的って意味分かんなくて使っているけどともかくネズミ算的勢いで、広い範囲に情報を届けられる。もっともその反面、そうやって情報を発信することによって伝播に貢献した気分になってしまって、伝えることで使命は終えたと満足するなり、そこが自分の限界だって留まってしまって、肝腎の情報によって起こって欲しかった物理的な動きに、ほとんどつながらなかったりする場合、ってのがあったりするのもなるほど一考。ネットで話題、って言われたところで、それはひとつの情報がグルグルと回っているだけのこと。本当の動きは極めて些細ってこともあったりする。

 それでもそうやって動きはじめる現象があれば良い訳で、広がった範囲が大きければ分母も増えてその上で動く現象も多くなって不思議はないけど、動きが欲しいのは喫緊であて、情報が広まるまでって悠長なことを言っていられない場合、やっぱりすべきことは情報を投げると同時に、自らが率先して行為してみることだって短絡的というか直情的な気分を盛り上げつつ、世界が震撼すべき映画であるにも関わらず、日本すら震撼させられないという状況に陥っている「マイマイ新子と千年の魔法」を新宿へと朝1番で観賞にGO! 1万人がネットで素晴らしいから見ようよと言ったところで、その全員が見ていないからこそのこの窮状。言うならまずは動いてみせるのが、行ける範囲で映画をやってて時間もあって金はないけどひねり出せる動ける立場にある者の義務なのだ、たぶん。

 そして試写も含めて3回目となった「マイマイ新子と千年の魔法」はやっぱり良いなあ、諾子ちゃんのの声が。予告編で上映される「よなよなペンギン」のヒロインでもあるんだけれどもそっちにも負けない可愛らしいトーンの声で一人遊びに興じたり、ようやく出来そうな友だちの貧しい家で懸命にお人形遊びをしてみんなを勇気づけようとするお姫さまを演じてる。この声を聴くだけでも一興。おにやらいおにやらい。ちいさいせいのめ。あそぼうよ。どうやったらあんなに自然にはしゃぎつぶやき喜ぶ子供の声が出せるんだろう、って子供かまだ。森迫永依さんは。

 あとエンディングで流れるコトリンゴさんの「こどものせかい」が、映画館ならではの臨場感あふれる立体音響で聞こえてくるから実に最高。とても楽しい田舎での子供の暮らしがあって、けれども昔ながらのちょっとしたことが死につながってしまう子供の生活があって、それでも明日はちゃんとやって来るんだってことを感じさせてくれる詞の内容が、映画を見終わった人ならストレートに心に響いて泣けてくる。家のCDからでもiPodからでも音楽は聴けるけれども、あの臨場感とそして余韻は映画館ならではのもの。最後の歌を聞くってことだけでも、劇場に足を運ぶ意味がある。それも音響の良い劇場に行く意味が。

 120人弱は入る劇場で朝1番って時間的な不利はありながらも入場は20人くらい。若い人とかもいてアニメファンって感じじゃないオシャレっぽい人もいたから、きっと何かに興味を持って来てくれた人なんだろう。あと年輩の人もちょっといたかな。肝腎の親子連れがいないのがどうにも。でも子供に見せてウイスキーボンボンとか食べられたら拙いか。あの場面で貴伊子に母親がいないって最初に語られればとっても深刻にならざるを得ないシチュエーションを、あっさりと通り過ぎさせて貴伊子の境遇を示しつつ、新子と貴伊子の間を一気につなげて彼女を田舎の子として迎え入れてしまう流れの妙に感心。

 それが原作のままなのか、手元に本がないから確かめようがないけれど、映画として見ている人間にあんまり心を湿らせさせず、心に無理をさせないまま、楽しい展開の中に異文化への浸透と定着が計れるんだってことを教えてくれているのは、このどうにも世知辛い世の中で、異質なものへの壁が高くなりがちな風潮を壊し、人間関係なんかが小難しくなっている学校生活にひとつの解決策を見いださせる上で有効なような気がしてならない。それだけに同世代の子にもっと見て欲しいんだけどなあ。見に来ている感じがないんだよなあ。かといってもう自分は遠く離れ、かといって子もいない世代が昭和30年をノスタルジーで見に行ってたんじゃあ伝わらないし。悩ましい、ってそうした世代ですらない不惑過ぎの独りもんが言うことじゃないけれど。


【12月13日】 初日の初回は見ていなくても「機動戦士Zガンダム」の劇場版は3部作ともちゃんと劇場で見たからきっと「宇宙戦艦ヤマト 復活編」もそのうち、多分そのうちに見に行って森雪のワープシーンならではのお楽しみを楽しんで来ようと思いつつサッカー成分不足を補おうと思いつつ、真夜中のクラブワールドカップの「キーウイ対サボテン(あるいは羊対テキーラ)を見逃し「とある科学の超電磁砲」も撮りおいたまま見ないで、GA文庫の何やら車椅子に乗った毒舌少女が推理しまくるライトノベルを半分以上読んだところで寝落して、起きて続きを読んでつまりは人の心理を暴く話だけれど、心理を暴ける力が自分を傷つける話だったということで理解。気がつけば前日の午後5時から何も食べず飲んでもいない腹を、途中のコンビニで買ったおにぎりと温かいヘルシア緑茶で満たしつつ、JRに乗ってこれから新宿へと「マイマイ新子と千年の魔法」を見に向かう。

 到着すると新宿ピカデリーの上映は朝1回のだけになっていて放送で完売近しと案内されて結局は完売した模様。これが初日から続いていればきっとこれほどまでに苦労することもなかったんだろうけれど、上映前にだっていっぱいの評論の人とかメディアの人間が見ていたはずでそうした人たちが果たしてどれほどのことも伝えていなかったってことが、間際になっての口コミパワーにつながっているんだとしたら、そうしたパワーを招き寄せるだけの作品をそういった作品として紹介し切れていなかったメディアとしてちょっぴり反省すべきところもありそうな気がする。僕はなるほど記事にしたけどそれだって果たして魅力を存分に紹介し切れていたか。まあメディアとしてマイナー過ぎるってのがやっぱりネックなんだろうけど。

 一方でメディアがいくら一過性の情報を垂れ流したところでネットを中心に回り広がる口コミ情報ほどにはもはや、浸透力も拡散力も影響力もないって現れでもありそうでとても考えさせられる。なるほどボーナス出なくなる訳だよ。ともあれ満席になって良かった良かった。あとはこれがせめて週内は続いて間をおいてでも再上映につながるような影響を与えられたら嬉しいうれしい。さすがにこれで上映が延びるほど興行の仕組みは甘くないだろうけれど。夜にちょいディスカウントで阿佐ヶ谷のラピュタ阿佐ヶ谷で上映されてしまうからなあ。そっちはそっち、一般は一般で昼間にも続映を是非に。

 客層はアニメな人に交じってオシャレなカップルなんかもいたり子供連れもいたりと幅が広がっている様子。こういう人にこそ見てもらってもっと一般の人を引き込むにはやっぱり昼間夕方の上映が必要なのだ。有り難いけれども午後9時のレイトショーではそれは無理なのだ。でもって「マイマイ新子と千年の魔法」。4回も見ると展開に怯えることもないの今日は貴伊子と諾子のエピソードのシンクロ具合を中心に見ていく。そうか諾子は貴伊子の動きや考えと重なって現れるのか。新子の想像の中の女の子という訳ではなく田舎に来て不安な中で友達来てよと願っている貴伊子の願望なのか。なんて。だから最後には貴伊子がメインとなって新子を送り出す。言葉も発して話を締める。これで寂しかった貴伊子が生みだした架空の友達が新子だった、なんてなったらそれこそSFでファンタジーだけど、千年前の女の子と違って金魚もいたし新子もいた。いたからこそ貴伊子は立ち直れたんだということで。


【12月14日】 「マイマイ新子と千年の魔法」でちょっと思い出す。3年生の新子が5年生のタツヨシとか6年生のミツルと普通に喋っていっしょにダム作りとかしている光景は、名古屋市内だけど田んぼのある田舎で周囲の小学生と学年とか気にしないで、板をぶったて地面を掘っての秘密基地作りとか、田んぼに稲刈り五に積み上げられた藁束崩しとかやってた身にはすんなり入ってきたけれど、今時の都会に暮らしている子供にはこういった学年違いの子供と普通に遊ぶ習慣ってあるんだろうか。学年が違えば部活動とかあったり塾通いとか始まって、平日に学校が終わってからいっしょに遊ぶなんてこともなさそう。だからああやって普通に遊んでいる新子たちを、今時の小学生が見てどう思ったのかがちょっと知りたいところ。そんな子のお母さん世代だって都会だと経験なさそうだし。

 そういう意味で喚起されるノスタルジーという見方がなされても仕方がない「マイマイ新子と千年の魔法」という映画。だけれどもそこにハマってしまった人に、それだけではないのだという言い分を主張しても、どこか言い訳めいて聞こえてしまいそうなだけに、1度これは団塊のノスタルジーだと断じた人をひっくり返して、そうじゃない2度3度と見ると伝わってくる繋がっている時間の素晴らしさなり、死と隣り合わせの日常という当たり前だけれど忘れられがちなことがあるんだということなりが見えてくるはずだって、分かってもらいたいんだけれどそれには2度3度と見てもらわないといけないからなあ。でもって否定した人にはそんな気構えはない。瞬間の判断で決定づけられ語られ葬られる作品の不幸、って奴をここは加味しベルべきなのか、映画ってエンターテインメントにつかみどころがないのややっぱり決定的に間違っていると断じるべきなのか。10年経って伝説の傑作と言われればそういう議論も忘れ去られるから今はとにかく広めることに専念。出来ればまた行くことに挑戦。でもナミのお尻も捨てがたい。煩悩。


【12月18日】 思いだした「マイマイ新子と千年の魔法」って冒頭で新子が麦畑の海の逃げ込んだ時に、お母さんが出てらっしゃいお米一升あげるからーって叫んでいた。お米一升あげるってそれがご褒美になるのかなと思っていたら、クライマックスでお米一升をかついで家出する姿があって、これでどこまでも行けるって言っていたっけ。それだけの重さがお米一升にはあったんだなあ、あの時代、子供にとって。お母さんの叫び声も妙にほんわかとして良いんだよなあ。旨いなあ本上まなみさん。

 あと「マイマイ新子と千年の魔法」で妹の光子がいなくなる場面があって、映画では池の上の崖っぷちを上っていて瞬間脚を滑らせる場面だけ映って切り替わり、あの一瞬でもしかしたらと危険を察知させ、タツヨシの池の端を棒で叩いて探させる場面を挟んで不安を煽る流れがあって、語り倒さずに悟らせる巧さがあるなあと感じていたら、一応は光子が相当に危険な目に合うスペクタクルが用意されていた模様。なくなったのは尺の関係なんだろうけれど、それでもちゃんと察知させる映像に仕上がっているところに、見る人の心理を考え抜いた演出プランの成果があるって言えるんだろう。そんな巧さをもっと見たい見たい見たい見たい見たい。いくかラピュタ阿佐ヶ谷に。


【12月21日】 「機動戦士ガンダム」のアムロが安室奈美恵さんがコラボレーションしたとかいう映像は未だ見られず、テレビではひたすらアムロのそっくりさんが音楽を聴くCDのCMが流れていたりする中でいよいよ12月23日に迫った「BLACK LAGOON」のブルーレイディスク版発売。何しろ超傑作長編アニメーション映画「マイマイ新子と千年の魔法」がちょっとしたブームになっている片渕須直監督の直近の作品だから、「マイマイ新子」でそのクリエイティブワークの丹念さに気づいた人は、是非に見ておくと「マイマイ新子」に至った過程なんかが見えていろいろと参考になるかもしれないので、忘れないでショップでご確認の上ご購入のこと。

 なになに自分は「マイマイ新子と千年の魔法」のあの牧歌的でうららかな世界が気に入ったんであって「BLACK LAGOON」が好きになるかは分からないって? ご心配なく。「BLACK LAGOON」は「マイマイ新子」にもつながるとても牧歌的な作品だから見れば絶対に感じるところがあるはずだ。山口県の防府ならぬ東南アジアのタイあたりの港町が舞台。そこで出生こそ遠国ながらも移り住んで長く経ち、すっかり地元にとけこでは毎日を嬉々として楽しく生きている野性味あふれた少女レヴィが「BLACK LAGOON」のヒロイン、「マイマイ新子」で言うところの新子ちゃんだ。

 彼女はとっても物知りで哲学も文学もそらんじる船乗りのおじさんや、電気工事に強くて計算が得意なお兄さんたちといっしょに暮らしながら、街に起こる出来事と関わり立ち向かいっていく。そんなレヴィとおじさんとおにいさんの暮らしに、大都会からある時ちょっぴりひ弱そうな男の子がやって来た。最初は港町ならではのちょっぴり荒々しいところもある空気になじめなかった彼だけど、荒っぽいところはあっても根は親切なレヴィちゃんや、船乗りのおじさんやおにいさんの助けも借りてだんだんと街に馴染んでいき、そしてレヴィとの友情を育んでいく。

 つまりは「マイマイ新子と千年の魔法」で東京からやって来た貴伊子が、新子ややんちゃな友達に引っ張られて馴染んでいったようなストーリー。あと「BLACK LAGOON」では男の子はモスクワ旅館のとってもグラマーな女将さんや、近隣で手広く商売している三合会の大将に目を掛けられていろいろと引っ張り回されたり、教会に勤めているシスターのお姉さんにも癒されながら、港町の中に自分の居場所を得てそして、レヴィちゃんちといっしょに海を駆け回り、山を駆けめぐるようになていく。ここも「マイマイ新子と千年の魔法」に共通したストーリーって言えそう。

 そんなレヴィちゃんと少年の日々に、さらに外国から女中さんを連れたお金持ちの音の個々がやって来て、見せる我が儘に振りまわされたりやっぱり外国から来た少年と少女のやんちゃな双子に、子供ならではの無邪気さでイタズラを繰り出されて引っかき回されるエピソードが絡んだ「BLACK LAGOON」は聞けば聞くほどに童心に返る楽しさと、子供に対する慈しみがわいて心をほくほくとおだされる。ここまで説明すれば「BLACK LAGOON」がどれだけ「マイマイ新子と千年の魔法」を好きな人でも楽しめるアニメ化ってことが分かってもらえるかも。双子が登場するエピソードでは、「マイマイ新子と千年の魔法」で素晴らしい歌を披露しているmookiさんがエンディングを唄っているので必聴必見だ。

 なんつって。いやここまでで嘘は書いていないぞ嘘はかけらも。ただ見る角度がいろいろ違っているってだけのこと。ということはつまり見る目さえ鍛えれば「BLACK LAGOON」はしっかりそういうアニメだって見えるってことで。何より子供が子供でいられない環境が現存する事実を経たからこそ、童話ではない現実の昭和30年が描けたのだってことを片渕須直監督も話している。「マイマイ新子と千年の魔法」へと通じる部分が必ずやあるから「BLACK LAGOON」を見ずしてやっぱり「マイマイ新子と千年の魔法」は語れないって断じたい。これで売れれば監督名も世に広まって「マイマイ新子」の続映にもつなあるし。

 あとブルーレイディスク版には広江礼威さんの原作漫画で巻末に集録された魔法少女レヴィのアニメが集録されているからやっぱり注目。トカレフマカレフケレンコフ、ヘッケラーコックで見敵必殺! がたぶん聞けるのだからこれはもう買うしかない視るしかない。バラライカじゃなかったモスクワ旅館の女将もフィギュアになっていたけど、やっぱりひとつ魔法少女レヴィちゃんのフィギュアが欲しいなあ。前屈みでステッキ付き。あと両手に拳銃ソードカトラスも、ってどんな魔法少女だよ。


【12月27日】 しかし今時、テレビアニメの劇場版でもなければ人気漫画のアニメ化でもない劇場オリジナルを宣伝するのって超大変。それは「マイマイ新子と千年の魔法」のスタートダッシュの失敗ぶりを見れば自明で、かつては「時をかける少女」もそんな憂き目にあいながらも口コミによって認知を広げ盛り返して注目を集めるようになり、そんな監督ならもっと見られるべきだとう意識を世の中に持たせて、次の作品「サマーウォーズ」のとりあえずの成功へと至らしめた。

 「マイマイ新子と千年の魔法」もそんな余勢を狙おうとしたんだろうけれど、テレビCMもほとんどなければ新聞メディアも公開前にほとんど取り上げなかったって印象。ふつうの映画ならともかくアニメとなるとそれなりに知られている人しか取り上げないのが新聞の悪い癖っていうか、有名じゃないと載せられないって判断が働くんだけれど、だったらどうやったら有名になるかっていうと、それは新聞に載ることだったりするというトートロジー。そんな間に他のメディアでもって認知され、広まり、流行になっていった半年1年遅れで載せるようなことをやっているから、新聞の読者離れも進むんだ。気づかないと明日はないけど、気づこうとしないんで明日どころか今日もなさそう。参ったねえ。

 じゃあ新聞以外が取り上げたかっていると、それもなかった「マイマイ新子と千年の魔法」は、結果としてアニメファンですら上映されていることを知らない(知ろうとしてないって感じもないこともないんだけれど)状況でスタートし、終わりの憂き目に遭いそうだったところをどうにかがんばってラピュタ阿佐ヶ谷を連日満席にし、来年1月9日からの再上映が可能になった。これはとっても喜ばしい。素晴らしい。ただなあ、レイトショーとして60席未満の上映環境が続いたところで、いったいどれだけの人に見てもらえるのやら。そこがどうにも引っかかる。

 熱烈なファンは通うなり遠くから駆けつけるなりするけれど、すでにアニメの良さを感じているそうした人たちよりも、むしろアニメってこんなに面白いんだということを小さい子供なり、中学生なりに知ってもらいたい作品。であるにも関わらず、そうした層がなかなか見づらい上映環境が来月も続いてしまうことになる。見られるだけまし、って言えば言えるしここから始まりなんだろうけど、そのために未来のアニメファンが見られる機会を何ヶ月も先に送ってしまうのもちょっと寂しい。都内で全日上映の環境を2週間、整えてくれる2番館が2月にも出てくれること願いたいなあ。それこそ新宿ピカデリー魔の11階で良いから。いやもともとそこだったんだけど客がさっぱりだったから終わってしまったんだよなあ。今からでも遅くないからかけ直して欲しいなあ。


【1月9日】 早朝に目が覚めたんで総武線と東西線と中央線を乗り継いでやっとこうんとこ等ピュア阿佐ヶ谷へと向かい「マイマイ新子と千年の魔法」のリバイバルレイトショーの初日整理券を確保する。9時45分くらいで13番だから出足としてはまずまずといったところ。さすがにその時間で完売とはならなかったし、なってもらっては会社帰りに見たい人に見てもらえないというちょっぴり本末転倒な状況が続いてしまうんで痛し痒し。まあ初日ってことで待ってた人が詰めかけたってことでこの後は普通に夕方に買えてそして連日満席という状況が続いてくれることを願いたいもの。その勢いで大藤信郎賞とかとったらすごいんだけれど大藤賞にノミネートされ得る公開時期だったんだろうか、っていうかもう決まってたりするんだろうか大藤賞、「サマーウォーズ」とか「よなよなペンギン」とかに。まさか「宇宙戦艦ヤ(以下略)」に……。ぶるぶる。

 横浜へと回って束芋さんの展覧会を見て青林堂な漫画の人がイメージを訥々と描きつつ並べてシュールな感じを出しましたって雰囲気で、それはそれで趣があるけどもっと密度の濃いのが束芋さんって印象があったんで、北斎漫画をさらにシンプルにしてシュールさを増した風な最近のはちょっとなかなかに難しいかも。戻って時間をつぶしてそして阿佐ヶ谷。20日ぶりくらいになる「マイマイ新子と千年の魔法」は、赤いダッフル姿で最前列で見て5回目ってことで展開に驚きはなかったけれどもスクリーンが近かった分、細かい表情なんかが見られて良かった。牛車をよける貴伊子の顔とかやっぱり面白いねえ。

 終映後は片渕須直監督のご挨拶。ブルーレイ化は決まってないのかどうなのか。決めろよエイベックスもしくは松竹。どこかのおしゃれなタブロイド誌の記者が2009年のベストに「マイマイ新子」を上げていたとの記事を紹介。ふーん。ちなみに現場では読み上げられなかったけれども2位は「サマーウォーズ」で3位は「ATOM」だ。誰だその記者。顔が見たい。毎朝見てるってそりゃあ大変。


【2月7日】「特撮魂」を刊行した川北紘一さんがサインをしている姿を見つつ、コスプレイヤーがカラオケで熱唱している姿を拝みつつ、ワンダーフェスティバルの会場を後にして新宿へと向かう前に家に戻って一休み。こーゆー時にも「幕張メッセ」が会場って地の利が活かされる。そして適当な時間に家を出てから「ロフトプラスワン」へと向かい「マイマイ新子と千年の魔法」をこれからいかに再び世の中に宣伝していくかって会議を見物する。最初はどんな感じで盛り上がっていったかって説明があって、それから後半に会場からいろいろな意見を募集。ジブリのマークを入れれば売れるという意見もあれば、ジブリと覆わせることで逆にいつものジブリなんだなと見に行かなかった人もいるという意見もあって、作品を宣伝することの難しさって奴を強烈に感じさせられる。

 試写みたいなのを再びやって、情報発信力のある人に見てもらうことで口コミで届く範囲を広げるとかいった意見は実現もできそうなアイデア。あと応援バナーのようなものとか。孫と祖父祖母がいっしょに見るとかお母さんたちとのアクセスがありそうな場所で宣伝するとかいった意見も。そんな活発な意見が繰り出されれば繰り出されるほど、これが公開の前後にどうして出来ていなかったんだろうかという後悔なんかも生まれてくる。公開2日で動員が見えてしまっ、てあとはそれに応じて上映数を決め期間を決めてしまうというこの興行における状況が、「マイマイ新子と千年の魔法」の場合は悪い方に働いてしまっただけに。

 そうした見切りの是非については経験値的に割に適切だったりもするんだろーけれど、そうでないものがないという可能性はない、というよりあってしかるべきな訳で、もしもこれから「マイマイ新子と千年の魔法」がリベンジの様相を見せていけば、公開2日ですべてを決することの無意味さとはいわないけれども難しさを、世間が気づいていろいろと考えることになるという、そんなききっかけが今生まれつつあるんだといった意見もマッドハウスの丸山プロデューサーから飛び出してた。何年もかけて作り上げたものが公開2日で没にされかねないことへの作り手としての無念さと、それでも諦めないで挑み続ける強さって奴が感じ取れるご意見。もしも歴史が変わるとしたら、そのきっかけになった1夜がこのイベントで、そこに居合わせられたことはあるいは凄いことだったんだと、後になって思うためにも何か出来ることをしていこう。とりあえず記事書こう。問題は読んでくれてる人が少なすぎることか。ダメじゃん。


【2月8日】 昨日の約束を明日につなげるために阿佐ヶ谷へと出向いて「ラピュタ阿佐ヶ谷」のロビーの様子を観察。キューピーちゃんはいたけどセルロイド製で手足が紐でつないである奴ではなかったなあ、ってそりゃあ仕方がない、それがあったら財産だよ。あとメンコとかブリキのポンポン船なんかも置いてあったけれども、乱雑ではなく整理されてて良い感じ。美術ボードとか動画集とかアニメを知らない人が見たらアニメってこんな風に描かれているんだと分かって勉強になるかも。

 そういう恒久的な展示をやる場所があったらなあ、ってあったじゃん「国立メディア芸術総合センサー」ってのが、構想だけ。でもつぶしたんだよなあ、国営漫画喫茶だのアニメの殿堂だのってくだらないレッテルをメディアが貼り付けて、麻生政権への憎しみとともに。感情の前に合理的な判断なんて雲散霧消するってことなのか。目的のためには見方にすべきものだって敵と誹るのが戦略なのか。

 何しろ熱狂的な愛情だってそれが深ければ深いほど、ちょっとでも容れられない部分があると全部を否定されてしまった気持ちになって、愕然として焦りと憤りにせかされながら憎悪と反感を吐き出してしまうものらしいからなあ。諦めっていうだけなら良いんだけれど、そうじゃなくって全否定にまで向かってしまいがちなところがどうにももの悲しい。

 当方は世の中にはいろいろとあって、そのなかで可能なところから少しづつでも変えていければそれで良いって思う立場だけれど、それでは遅い今が攻めどきだから一気呵成に攻め立てて、乗り切り突破しようと熱意を燃やす立場もある。それらがともに平行していければ良いんだけれど、急ぎたい人にはゆっくりな人がやっぱり気になってしまうもの。そして内側へと向けられた言葉は混乱を招き分裂を呼読んで…ってのが古来からの組織崩壊のプロセス。そうではないところをだから見せていかないと、先を逆に短くしてしまう可能性なんかもあるんじゃないか考えつつ、ここはってところで一気呵成に出られる手段も残しておく。難しいけどそれをやらなきゃ未来は来ないと思って、今はひたすらに出来ることを頑張ろう。


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