縮刷版99年6月上旬号


【6月10日】 をを。蓑浦紗裕未とはまたゴージャスな。画数多いんでサインなんか30人もすると指が腱鞘炎になっちゃわないかと心配です平仮名4文字の方が簡単です筆ペンで書くとなお良いです「にんじんだもの」っぽくなるし。それはさておき「アニメ批評」の創刊号はやってくれるだろーと期待していた「ガンドレス」の真相話が、2ページ程度の観覧レポート&ネット上で散見された程度の情報をまとめただけになっていてちょっと拍子抜け。無論それすらも掲載し得ない雑誌の山ほどあることを考慮し、また真正面からも裏口からもやはり相当い入り組んだ事情があって取材が難しかったのだと類推して、頑張ったとのエールは贈りたいものの、やっぱり読みたかったなあ切羽詰まった修羅場な状況を。しかし近づく8月のビデオ送付時期に向けてさて、どんな手直しが行われているんだろーか。現状どこかで動いている筈と信じたいけど、一向に伝わってこない「その後」を勘案すると空手形に終わってしまいそーな気がしないでもない。うーむ。

 「アニメ批評」は批評誌だけあって載ってる文章はどれも正攻法の硬質な文体の力作評論が並んでる。若い人たちがアニメを真剣に論じたいって考えて浮かぶ表現の方法としては至極正しく真っ当だけど、いい加減歳とって草臥(くたび)れたおじさんにはちょっぴりムズカシ過ぎ、ここまで真剣に考えないとアニメって見ちゃいかんのかなー、なんて思えて仕方がない。いわゆる「キャラ萌え」な要素を極力避けよーとしている節が伺われてて、萌えってほどじゃないけど例えばあのシーンのあのポーズ、あのシーンのあの表情だけで「おっけぇぇぇ」と半ば無理にだけど思って心を納得させる、不真面目だけど楽な見方を最近特にしている自分が、もっと真面目にアニメしなさいって怒られてるよーな気分になって来る。自意識過剰ですね。全体に「である」「のである」調の文体が多いことも硬派ってイメージを醸し出す遠因になってるみたい。どーいった層にアピールし、こーゆー硬派の評論が商業ベースで成立していくのかを、半年1年先へと推移を見ながら考えていこー。

 「アニメージュ」に「宇宙海賊ミトの大冒険 2人の女王様」の記事が。掲載されたカラーイラストの葵はクンじゃなくってちゃんの様、だってどはいてるのスカートだぜ胸なんかボンボーンだぜおまけにむちゃくちゃ可愛いんだぜ参ったぜ。女子校生になって女性からも男性からもアプローチされて悩む姿のなんとインモラルなことよ、前作も最初のうちは昼間にだって放映できると思っていたらラストのドンデン(そー言えば式貴士さんの短編に「ドンデンの日」ってのがあったねえ、男女の性別が一斉に入れ替わる日が制度的に設けられてる国を描いたエロティックSF)にこれは昼間じゃ神経傷けられてトラウマになる子供が大勢出るぞと真夜中の放映を納得した経緯があるから、今回は冒頭でいきなりのドンデン状態に真夜中の放映こそがピッタリ、真夜中に背筋ゾクゾク股間ズキズキさせながら、1人ほくそ笑みつつ見るのがやっぱり正解と強く思うぞ。

 雑誌の話ばっかりで恐縮ついでに「噂の眞相」7月号に「J−文学」を巡る状況の記事があって中で東浩紀さんと平野啓一郎さんとの確執がまことしやかに書かれてる。思想的なことよりもむしろビジネス的な面での妬み嫉みを確執の理由に挙げているあたりがいかにも「噂眞」らしーやり口だけど、現実に多分東さんは平野さんを含めてファンタジーで現代の問題をオブラートに来るんだ形で伝えようとする風潮が嫌いだろーし、一方で平野さんは現代風俗なんか扱ってなくたっていーんだ的発想で半ば確信犯的にファンタジー世界を絢爛豪華に描くことに力を入れているから話が重なるはずもない。まーどうでも話題になるのは決して拙いことじゃなく、どっちにも頑張って欲しいと思っているから、それぞれが思想活動創作活動に支障が出ない範囲で対立の図式って幻想を文壇論壇マスコミに植えつけて、しっかりちゃっかり存在感を高めていって頂きたい。それにしても「あの写真には騙された(笑)」ってのは、なあ。どっちかってーと丸化してるだけのよーな気がするんだけど。加えて明化とか。


【6月9日】 しかし一向に無反応なまんまだとマジじゃねーかと心配にもなるなあ、をろをろをろをろ(嘘)。眠くって仕方がないけど夜は遊びたいから朝のうちに課題図書の感想文をチョロチョロと。何より今回は清水ちなみさんの「にんじんだもの」(扶桑社、1200円)が秀逸で、見て一瞬あの方の本だと間違えて手に取ってしまったおじさんおばさんの少なからずいただろーことを予想したけど、開けて並ぶは会社とか家庭とか男とか上司への愚痴やら文句やら嘆きやらを、筆でヘタウマに綴った教訓ばかりで例えば「ブスで性格のいい女なんてたったの1人もわたしは知らない」とか「心が清くて何になるっていうんだ」とか「安物の化粧品でもノーブランドの服でもとりあえず身につけられたらいいじゃないだって私はびんぼうだもの」とか、読んでなるほど心にズドンと1直線な警句が並び、女性はもちろん男にだって背中をグサリな気分を与える。額に飾れる色紙版とか日めくりのカレンダー版とか、出せば売れるよ、でも旦那恋人のいる部屋にはちょっと飾れないかなあ。

 とにかく原稿。300行は書いたかな、したっぱだもの。中で目立ったのはアスキーは「ファミ通」グループがゲームソフトのショップを支援する事業を本格的に始めるって奴で、「ファミ通」ってイメージの什器とかステッカーとかポスターを作って会員になったゲームショップに頒布するんだとか。毎週のランキングとかソフトの発売情報とかもまとめて提供する予定で、ほかにもグッズの優先販売権だとか、「ファミ通」お得意のゲーム会社とのタイアップキャンペーンのショップでの展開なんかも面倒みちゃういたれり尽くせりの内容で、加入したゲームショップはともに「ファミ通」の絶大なる御ブランドのイメージで、ユーザーの心を鋭くキャッチって寸法だ。加入に何10万円とかかかるけどな。

 「ファミ通」お得意のランキングがいったいどんな集計で出ているのか確かめた訳じゃないけれど、確か全国の協力してくれるショップから販売情報をまとめて集計してたんだったっけ、それをまとめて「売る」ってのは、ネットワーク作りにかけた努力を踏まえ、かつ情報がお金になる時代が来ているだけに、とっても当たり前の行為だって言って言えなくもない。けれどもジャーナリズムってボロいけれども未だに御旗のイメージを持つ言葉に照らし合わせると、あんまりウツクシくないよーな気がしないでもない。新聞が「知る権利」を国民の代理として行使する立場から記者クラブに席を置いて1次情報にアクセス権利を付託されている以上、そこで得られた情報を新聞以外に商売にするってのがどーにもウツクシくないのと、根底に流れる理由は同じだと思って下さい。それがジャーナリズムの矜持って奴ね。自分家が守ってるかって言われると穴に入ってブエノスアイレスまで逃げたい気分ではあるけれど。

 例えばこーゆーショップをイメージで囲い込む戦略をとった時に、会員じゃない店が「『ファミ通』で1位!」なんてPOPを出すことを果たして認めてくれるんだろーか、ってな疑問もこれありで、そこいら辺りをどーゆー具合に運用していくのか興味がある。レコード屋さんが「オリコンで1位」ってPOP立てるたんびにオリコンが金集めてるって話も聞かないから、まーそこまで無体なことはしないでしょー。そのうち聞いてみよー。とにかくも明らかになったことは、メディアでも一頭抜けて「権威」となった情報には絶大な価値が生まれ、付帯するサービスも幾つだって出来てしまうとゆーこと。ホットドックのお店を開くってタイトーの話が他社に資料が持ち込まれるより先に、広報資料と同じ写真付きで日経に記事が出てしまうって事実がそれを裏付けてるんだけど(怒ってるよオレは)、権威を権威として確率させるまでの努力に権威を係属させるための努力はそれなりに認めてやんなきゃね、僻(ひが)みじゃなくさ。

 アスキーイーシーって会社の記者会見に行く。コナミのCP事業本部なんかが入ってるビルの1階にあるでっかいスタジオを使った、債務超過の会社にしては珍しくもド派手な発表会でちょっと驚く。協力している渦巻きな会社だって大赤字でかつ大借金だもの、それでも金をかける時にはかけて前へと進もうとする意気はやっぱり買ってあげなきゃね。さても発表されたのは、その名も「e−sekai(イーセカイ)」って死んだ沖田ヒロくんが唄ってたよーな曲に似た(似てないイーだけしか)アスキー期待のサイトで、検索はもちろん100万点ってな商品をホイホイ買えちゃうECの機能もついていて、変な所へと飛んでから購入手続きするなんて不用心なことをせずともすべて同じアスキーのサイト内で処理されてしまうため、安心に安全にネット通販が利用できるって点がウリみたい。

 あと渦巻きな会社の「時代の詐欺師」(自称、昔そう言ってたモン)こと秋元康さんが企画した、吉野紗香さん主演の「インターネットドラマ」の発表会もあったみたいだけど、時間がないんで紗香さんの姿は拝めずサッサと会場を後にする。場内で見かけたアスキーの鈴木憲一社長、今日もシャツが青かった。会場を出てちょろりと「キディランド」に寄って地下をのぞくと「たれぱんだ」のグッズが山と出ていて2万円の巨大縫いぐるみもあって、ソニー犬が買えなかった身にはこわいものなんてないんだと思えるよーになってはいても、その大きさその重さに躊躇してまたの機会へと譲る。バンダイ製じゃないツイル地の顔だけの縫いぐるみは安いから欲しいなー。商品はまだないんだけど「たれぱんだ」系のデジタル商品ってどっかで企画、進んでるのかなあ。気分としては色々なポーズをした「たれぱんだ」が上から落ちてきて積み上げていく「コラムス」系なんかあっても不思議じゃないと思うんだけど。積み上げ過ぎると崩れるの。出ないかなあ。

 夜になったんで新高輪のプリンスホテルで開かれたソニー・コンピュータエンタテインメントの「プレイステーション・アウォード」へ。さっさと腹に飯を詰め込んで場内を勝手にウロウロし、デジタル有名人でもいないかと探したけれど暗くて良く解らず、かろうじてやっぱり短パン姿のカプコンは岡本良起さんが辻本社長たちといたのを遠くから見かけたくらい。あと@マークなネットワーク端末の消滅後、その動向が取りざたされていたらこないだの渦巻きなネットワーク端末の発表会場で久々に見かけたバンダイの鵜之澤さんとかもいたなあ。芸能人とかはちょっと不明。発表会は派手な音楽の後で舞台上から美人が次々と会場に降りていってウエイトレスになっていく展開の後、粛々と売れたソフトに盾を与える例年どーりのセレモニー。無駄な演出もなくシンプルで解りやすくて良かったですね。

 中央に伸びた花道の両脇をカメラがレールに乗って行ったり来たりするんだけど、ステージに向かって左側で地上をベタに這っていくカメラをのぞいていた揃いのお団子頭のうちの1人が立派な足でミカン箱っぽい台を挟んで座るものだから、反対側にいた自分の目には見えなかったけれども見えそうだった黒の奥底がとってもとっても気になって、受賞者の顔を眺めるどころじゃなかったのが嬉しい、いや残念。壇上のニットだかのワンピなお姉さんもスカート丈が短く期待と部分が膨らんだけど、流石に近寄って下から煽る訳にもいかず遠目から歩く際にのぞかないかのぞなねーなと嘆息しつつも一抹の期待だけは抱きつつ壇上を見続ける。えっと表彰は何だったっけ? 覚えてないや。

 帰りがけにアスキー浜村編集長と何時もながらにラフなシャツ姿のマリーガル香山氏がエスカレーターで上がってくる姿とすれ違い、ゲームボーイにサクラ大戦級のワルダクミでもしてたんかいなと思いつつ、クロークが混む前にさっさと会場を後にする。もらったワインは週末に開けよう。スクウェアとコナミが強かった「アウォード」だけど、ミリオンに到達したタイトルが存外少なかったよーな(去年の数字覚えてないんで)印象の今回、「電車でGO!」は打ち止めだろーし「クラッシュ」「サイ」はソニーの商品。一頭抜けた「FF8」は別格として、せめて新作タイトルで10本はミリオンが出れば音楽業界なみに世間も注目してくれるだろーし、ろくすっぽ10億円を超える映画も出ないのにお高くとまっている映画業界の気取ったステータスに近づけるよーな気がするんだが。関係ないところで支持されてるってのも悪くないんだけど、そこから先、やっぱ見たいもんファンとして。


【6月8日】 ラブリー眼帯の力も借りずに竹刀も真剣も指2本でちょちょいと摘む流石は柳生十兵衛の力を受け継ぐ十兵衛ちゃんとカンドーしました第10話。縛られた縄の間でかえって膨らむ十兵衛ちゃんのボンボーンに目を奪われる男の子の様は、最近の鞄を襷(たすき)にかけた美少女のストラップに谷間を押された反動で盛り上がる現実のボンボーンを電車の中で横目てチラチラ見ている朝晩の電車移動の楽しみを、見透かされているよーで流石はオヤジなスタッフによるオヤジ願望充足アニメと簡単しました今回も。

 日の差す畑の上で四郎に取り付く謎の老人、だーれーもいーないいーっ、ってのは違う早大卒の悪魔の歌だった、ともかく謎の老人に取り付かれた四郎と十兵衛の最後の聖戦が残り2話だか3話で果たして纏まるのかって気もするけれど、そこはブッ飛びなシナリオ演出を誇るスタッフの力を信じて期待して待ちましょう。おっと7月にはいよいよ「宇宙海賊ミトの大冒険」が「2人の女王様」のサブタイトルも添えて復活の兆し。第1話に限ってはディレクTVの「アニメシアターX」で7月2日に地上波に先掛けて放映される予定とか。第2話以降は地上波が早く放映されるってことで「AT−X」は18日の日曜日へと繰り越されるそーで、良かった地上波もあるのかと島田清次郎は「地上」の主人公宜しく(知ってるかい?)地上波しか見られない貧乏暮らし故の山と今春期待だったアニメが見られなかった哀しみを、「ミト」には抱かなくても良いんだと喜ぶ。しかし「2人の女王さま」ってつまりは葵ちゃんまだあのまんま?

 まるで休み無く当ページが続いているのも休むとかえっていろいろな事が言われてしまう可能性を懸念してのことなんだけど、その割には街を歩いていて「読みましたよ」と美人に言われることは滅多どころかまるでないのは何故なんだ。そうは言ってもホームページを紹介する雑誌とかも滅多に出ないし出てもページの片隅にチラリとまるで穴埋めの如く紹介されている程度だったりするんで気が付かれないのも当然か。似顔絵も髭生えてないしなー。髪は3年先を予想して減らしてましたからもーピッタリ今のまんまです。をーいをいをい。

 そーだ思い出したぞ何カ月か前に確かソフトバンクの雑誌(「PCライフ」だったっけ?)からページを紹介したいってなメールがあって、勝手にコメント付けるから了解だけしてねって依頼は日経BPから過去に幾つかあって最近もアスキーから1つあって「お願いします」と返事をした経験はあったけど、この時はページを始めたきっかけとか毎日更新する苦労話とかをコメントにして寄越してちょってあったんで、適当に簡単にさっさと仕上げてメールで返事し、直後に頂きましたとかって返事があった割にはその後ちゃんと雑誌が出たとも出なかったとも連絡がない。

 新聞やってて取材させて頂いた先に掲載紙を送る事はあんまり無いんで(読んでる所が多いし、そうじゃない時はコピーを送ることはする)人の事は言えないけれど、当然のごとく掲載誌なんてもなー送ってはこなかった。まあ雑誌やってる人に恨みはほとんどないような気もしちゃったりはしてるんだけど、バンクには取材を最近断られちゃったりもしたんで坊主憎けりゃ下駄の鼻緒の解れた糸まで(雑誌部門は鼻緒かい?)、沸々を湧く怒りに過去の経緯を思い出してつまりはバンクなんてそんな会社なんだと思っちゃったりしたけど、良いのかな? バンクな雑誌なお方たち。

 それでも取材お断りの返事を翌日に寄こすくらいの配慮はあるからソフトバンクはまだ良いさ。半年以上も大昔からの依頼を足蹴にしつつ得々と日本では最大の経済専門紙には情報を流して知らない人たちを喜ばせてて、最近も激しく突っ込んで返事くらいは頂きたいと重ね重ねお願いしたにも関わらず週が変わっても音沙汰のない会社もあるから世間はまだまだ広い。クリエーターを大事にするとか言って、確かに某クリエーターは大々的に1万人もの人を集めて発表会を行ったソフトの発売が半年以上も遅れているにも関わらず未だに可愛がっているのに、身内のクリエーターは何が何でもソフトを出せとせっつき、挙げ句に出したソフトは確かに売れはしたものの大爆発とは行かず、世界最高峰のクリエーターから「可哀想だよ」と同情され、さらにはハードのおまけの如く超安値で叩き売られてしまうこの腸捻転ぶりからして、気にしているのは世間体ってことがヒシヒシと伝わってくる。まー小さなメディアは世間なんて全然代表してないから、相手にされないってのも解るけど。世間ってほんと広いからねえ。

 浅草にある雲古ビルのそのものズバリな建物の4階で開かれたスパイクって会社の新作ソフトの発表会をのぞく。演劇仕立ての珍しい発表会で入ると会場は舞台から伸びた花道がT字になって取り付けられてて、真っ暗な中を待っていると「100日目が云々」「人面鴉がどーたら」ってなセリフがグルグルと回る抜群の音響の中で語られ叫ばれちょっぴりおそぎゃー(名古屋弁)気分に。そのうちに舞台に女性が2人と男性が1人あらわれて、謎な会話を繰り広げつつソフトの導入部らしきストーリーを演じやがて舞台に会われた謎老人森の、ってのはさっきやったから却下して謎の男がそのソフト「夕闇通り探検隊」の主だった概要をモニター内の画面に合わせて説明し始めた。

 つまりはいわゆる学校階段都市伝説っぽい物語を追いかけながら進んでいく一種のアドベンチャーって感じの内容で、街並みを再現したCGの結構なリアルさが目につき現実と重ね合わせの恐さをちょっぴり誘った感じ。噂のポイントでは画面をぐるりと360度回転、それもぎゅいーんと止めた部分で奥行きが出る魚眼か超広角っぽい雰囲気のエフェクトを付けて回転させて周囲を見渡し、なんにも無いと安心した刹那後ろから暗闇から上からどっかからドッキリな演出があるそーで、真夜中に1人ヘッドホンとかを付けてシコシコやってたら、それはそれで結構な恐さを覚えそーな印象を受けた。登場する3人のうちの1人が横スクロールっぽいイメージで歩いていく際の腕の振り方がなんかカワイかったなあ。9月22日発売。ちょっぴり披露された舞台も「ちびまるこ」TARAKOの作・演出により劇団「WAKU」が再度公演するそーなんでファンは期待だ。


【6月7日】 マルチマルチ嗚呼マルチ。アニメ版「To Heart」に全国は無量百千億劫のファンの期待を負ってマルチ登場、その実直純真素朴にして素直なキャラクターにお兄さんもうメロメロです。真っ二つに割ったドライヤーみたいなものを両の耳に着けているのはご愛敬としても、あの手が半分隠れそーな長い制服の袖に短いスカート、そして股の上まで伸びている長いながーいストッキング、でもってうりゃうりゃと走りながら廊下をモップかけしたり庭を掃いたり犬に話しかける姿が、ドジっても虐げられても人間扱いされなくっても(ロボットだもん当たり前だな)健気にしっかり前向きに生きてるマルチの全てを体現していて涙が出ます。ちょっとオーバーです。

 ただの学園ラブコメに唐突に人間そっくりなアンドロイドが登場してしまう、それがたとえゲームの肝であったとしてもアニメが初見な人にはハテナがいっぱい浮かぶだろー設定の暴走具合も、毎回手を変え品をかえて登場する「女の子」のキャラクターを、アンドロイドの姿を借りて典型的なひな形に入れて登場させ、「男の子」との関わりやら他の「女の子」たちとの対比を描く上で必要だったとメタに解釈しておこー。

 犬にあげるクッキーの全てがどこかで見たことのある色柄形でとってもリアル。学校の裏庭の雰囲気に金網のごみ箱(アールがバットで粉砕して猫様の小屋の戸にしたよーな奴)の描写もなかなか昔を(10年は軽く昔だ)を思い出させてくれて、相変わらずの仕事の丁寧さには頭の下がる思い。珍しく次週も続きのマルチ後半、さてもどーなるかは誰かをラブラブなゲームじゃない、アニメ版ならではの解決策を見出してくれていることを期待しよー。しかしロボットが存在する時空でパソコンはラップトップが図書館だけでコピー機も扱い面倒そう。バスは運転手が運転してて学校には廊下を勝手に磨くお掃除ロボもいないってのはやっぱり、なあ。

 富野監督の髭は益々快調なよーで最近見てないけれどとりあえずは良しとして、20周年を記念するイベントとしてもー1つアメリカでシコシコと作られていた実写&CG版ガンダム「G−SAVIOUR」がいよいよ何とか完成した兆し。まだアフレコとか音楽音響といったポストプロダクションの部分を鋭意制作中とはいえ、とりあえずはまとまった所までを一応は90分の映画として、この18日と19日に沖縄県那覇市にある那覇市民会館で開かれる「アメリカン・ショート・ショート」ってアメリカの短編映画ばかりを集めた映画祭の冒頭でプレミア上映されることが決定、今日その発表会見がヤマハホールで開かれたんでとりあえずチラリとのぞく。

 とりあえず会場で披露されたのは確か去年の「ガンダム・ビッグバン宣言」でも上映された記憶のあるテスト版で、一応なUSA版として上映される今度の作品はキャストもデザインも結構な変更が加えられているとか。短編映画の祭りで90分の映画を上映とは噛み合わない部分もあるけれど、何しろ世界に先がけての上映ってゆー大きな付加価値と、沖縄とゆー場所「アメリカン・ショート・ショート」って映画祭のテーマを勘案すると、日米合作とゆーこの「G−SAVIOUR」のデビューの場所としてとっても相応しいってことになったらしー。上映によって得られた収益のすべてが地元の団体とユニセフの寄付されるチャリティって当たりもサンライズが乗った大きな理由。子供の夢が実現した作品を子供に還元してあげるって、なんとも綺麗な纏まり方だもんね。

 オープニングプレミアの日程は18日の午後2時からで入場料は前売り500円で当日800円。とってもとってもとっても行きたいところだけど、ほら貧乏とゆー言葉を千億那由多重ねたて追いつかないくらいに草臥れた会社だから沖縄までの出張旅費なんか出る訳もない。AからDまであるプログラムではジョージ・ルーカスが学生時代に撮った短編映画が出世作の「THX1138 4EB」も含めて上映されるそーなんでこっちも見たいこと山々だけど、前述の理由で行くことかなわず超絶残念、なのでせめて沖縄在住な方々は世界でも始めて明らかになる実写版一部CGな「ガンダム」の勇姿をその目に収め、世界の「ガンダム」マニアに向けてガンガンと情報を発信してやっちゃーくれまいか。

 なるほど「ちゃんと真っ当に見られる出来なの」と心配するのは解るけど、大丈夫実写版とは言っても太ったシャアは出ていないし、CGの部分はゲーム以上にしっかりしてそーなんで後は肝心のストーリーが日本人向けなのかどーかを観察してくれたまえ。アメリカでも23日にロスアンゼルスでチャリティ上映が行われる予定だからアメリカ在住の人も報告頼むぞ、ってこのページ全部日本語なんでアメリカ人は読めないか。

 で肝心の本上映なり本放映が何時になるのかってのは未定だけど、今回の上映版をおそらく手直しした上で2000年には何らかの形で一般の目に公開されることになるらしーと植田益朗プロデューサーの弁。その頃にはきっと「逆A」の評価も定まり希望的観測で言えば世界が「ガンダム」1色に塗りつぶされている筈なんで、誰もが諸手を上げてアメリカ帰りの「G−SAIVOUR」を歓迎することであることよ。いや希望的過ぎる観測だけど。

 京極夏彦さんが築地の先生と読んで師と仰ぎ、最新作の刊行にあたっては推薦文まで寄せている明石散人さんの「鳥玄坊 ゼロから零へ」(講談社ノベルズ、760円)が出たんで買って読む。なにしろこの世の始まりと終わりについて日本の滅亡どころか宇宙の崩壊も絡めて描かれる壮大なんて言葉が小さく思えるくらいのスケール感ある物語。それだけに初見の人が読めば一種「トンデモ」かと思うだろーことは想像に難くないけれど、未だ信じられないくらい不思議な仕事だった「謎・ジパング」(講談社文庫)の解説を担当させて頂いた(ホントだよ)後で、ご本人とお逢いしまたノンフィクションな歴史関連の書籍も幾つか読んだ上での判断によれば、史料と資料に想像力を駆使して極めてロジカルな文章を著す人との認識があるため、「鳥玄坊」シリーズのとりわけ「ゼロから零へ」で紡ぎ出される想像力の爆発も、やはり何らかの「真理」が込められているのかと考えてしまう。

 同じ爆発気味の想像力では柴田よしきさんの「遥都」(徳間書店)が前2作を超えて一気に超次元へと飛び出していて驚いたけれど、「鳥玄坊」シリーズの最終巻は見ていたビジョンが揺れ動き語られていた描写が膨れ上がる感覚が「遥都」のまったく比ではないくらいにすさまじく、そのモードになれない身ではまさしく「トンデモ」な描写のオン・パレードとした思えない。実は今もって半ばそうした意見に与したい気分もあるけれど、一方で怜悧な観察眼と熱い言葉を合わせ持つキャラクターを間近に見た経験から、その言葉が語ろうとしている何かを見つけたいとゆー気持ちに駆られて仕方がない。京極さんは「我々はただ揺らぎ、そして驚愕する。それでいい」と言っている。多分それで良いと思いつつ、けれども真理を探して前2作ともども精神的体力の回復を待って再挑戦したい。いやマジでキレそうだぜ、あんぐりと開けた口の両端が驚きで。


【6月6日】 午後の8時に寝たら目覚めるともう朝の4時で翌日休日の夜を無駄に過ごした気分に、だったら夜遊びに行けよとゆー声があっても遊びに行く場所もなければ遊びに行く相手もいない独り身なれば、夜は夢の世界に遊ぶより他にないのだ。その割には見たのはドロドロな悪夢だったよーな。朝の4時に起きて2時間ばかりウダウダした後で再び寝入って、再び目覚めると朝の10時で今度は「ゴーゴーファイブ」「ロボコン」「おジャ魔女」見逃した悔しさに枕を濡らす。「ヤマモトヨーコ」は見てないの。汗でそりゃもうベトベトに濡れた枕をひっくり返し、下に入れたお気に入りのアニメの良い場面を「ポケピィ」で撮影したインスタント写真(結構綺麗に写るのよ)にウインクしてから、今日は「ペプシ」は飲まずに朝ご飯を食べに近所の「ロフト」の下にあるオープンテラスになった珈琲屋へと向かい、サンドイッチを貪り食いながらまるでパリのカフェのよーな気分だけを味わう。

 飯にしながら読むのは昨日珍しく仕事でもないのに買った「安藤忠雄 建築を語る」(東大出版会、2800円)。独学で建築を学びコンクリート打ちっ放しの手法で知られる建築家が東大で教授として行った講義録をまとめた本で、自分が影響を受けた芸術家やら建築家の話に自分が手がけた作品についての解説にほか建築科の学生が知識とゆーより教養として学ぶべき事がたくさん語られている。瀬戸内の直島で行ったコンテンポラリーアートミュージアムの建設で、現代美術家のリチャード・ロングがやって来て絵を描いたことに建築家として白い壁のまんまが良いと思う一方で、絵があっても面白いかと思う当たりに方向は違えど人間の心に関わる仕事をする2人の心意気が伺われて面白い。建てて終わり描いて終わりじゃない、モニュメントとしての箱じゃなく、そこに来る人住む人見る人との双方向の関わりがあってこその建築なんだって言葉には、見かけすっげー人を排除してそーなコンクリートの打ちっ放しの建物なのに、自然と周囲にとけ込んでいく作品を作る秘密があるよーな。

 安藤さんの作品で間近に見たのは京都の高瀬川そばに立ってる有名な「Time’s」くらいで、97年の春頃の日曜日にうろついた時は結構な人出に賑わっていた記憶があるけれど、最近だと京都も駅前にガメラとイリスが戦ったことで有名な京都駅が出来たお陰で商業的にはうまくいってないとかでちょっと寂しい。その京都駅のデザインコンペにも実は安藤さんは参加していて、高さ60メートルながら中央に巨大な通り抜け部分を持つ建物を提案しており、採用されていれば南側から京都タワーの足下あたりがのぞけるよーなイメージの駅になっていた。安藤さんは採用された今の京都駅の屋根のかかった大広場を画期的と褒めそやし文化的建築遺産とも言っているけれど、98年の春に任天堂へと出向いた折にうろついた時、春にしては暑苦しい日だったこともあって南北の風遠しが完全に分断されている印象を抱き鬱陶しく思った事もあり、安藤さんの案が採用されいていたらと考えてみたり。でもそれだと「ガメラ3」のエンディングが出来なかったからなー。

 近所の古本屋を何軒か回って風呂に入りながら読む本を漁る。吉野朔実さんの「いたいけな瞳」がこれって全部で何巻だったっけ? とりあえず8巻が揃っていて家に全部揃っているけどもう1組あってもいーかなって気分も湧いたけれど、手持ちの資金も乏しくとりあえずは見送る。欲しい人はゴーだ但し船橋なんで地の果てだヨ。別の古本屋は文芸とか歴史とかに妙にリキが入ってて教養を追究していた若い頃なら買ったけど、今となっては教養に頭を悩ませると爆発しちゃうんで簡単に読める松本零士さんの大昔の作品から「マシンナーズ(完全版)」(サン・コミクックス)を300円で買う。カバーなしにしてはちょっと高いか。不完全の「マシンナーズ・シティ」は持っていたから記憶と比べるとなるほど確かに幾つか違いが見られる。思うにこの頃の絵が登場人物のスタイルも細身だし1番好きかなー。しかし初出から30年経っていても多分それなりに読める内容ってつまりそれだけ先見性があったとゆーべきか、スペースコロニーも出来ずクローン人間も途上せずエアカーも飛ばない時代の見た目の進んでなさが、未だに漫画のビジョンを憧れの向こう側に置き続けているのか。アトムなんて4年後には誕生だもんな。月は今年中に大爆発で地球から飛んでいっちゃうはずなんだけど。

 「コーラ浸け」はやめて真っ当に素麺の夜。昨日の2束から今日は3束に増やしておかずもナマ鯖をフライパンで焼いた(網あるけど油飛ぶからヤなの)ものに茹でて絞った小松菜をつけて日本酒とともにグビグビモグモグ。結構いっぱいになる腹に日本食も悪くねーなと思ってみたりはするものの、昨日とほとんど変わらぬメニューでも飽きずに食べられる食へのコダワリの無さが実は根底にあることに実はうっすらと気付いている。葱も小松菜も余っているからしばらくは同じ食事が続きそう。あるいは1日くらいは野菜たっぷりのうどんになるかもしれないけれど、スパゲティでもラーメンでもなく日本の麺類になるだろーことは間違いない。ってあたりでふと頭をよぎるのが安永航一郎さんのとってもメグロな(意味不明確、でも説明したくねー)漫画のことで、食べつつ思い出すとお腹の中がとってもウヤウヤしてくる。同じ漫画を読んでて日本の麺を食べながら読んでる人は思い出させて御免なさい、でもほら見ていると見えてくるでしょ、素麺がアレに(うひひひひ)。


【6月5日】 「ペプシ」漬けの日々。朝に朝食替わりに自販機まで走って350ミリリットル入りの通常缶を買いゲップを吐き出しながらもグビリグビリ。当然のことながらめくったシールは「ハズレ」でボトルキャップは貰えない。夕方は帰りしなに徳々サービス中なんで120円と350ミリ缶と同じ値段になっている500ミリリットル入りを2つも買うがその場で剥がしたシールはやっぱりともに「ハズレ」で、これを飲むのかと思うと最近迫り出して来た腹にコーラ好きな方々の体型が重なりなんともフクザツな気分にかられる。

 まあコーラ好きでも痩せてる人もいるからデブチン化は体質も絡むんだろーけれど、一方でほら、骨が融けるけるとか「エスタロン・モカ」が効かなくなるってな「副作用」も伝聞伝説取り混ぜて伝わって来るんでそんなにガンガンとは飲みたくない。けど一方でやっぱりグッズ欲しい病がこっちは脳味噌融かし始めてるんで買い続けること必至の情勢だけい、溜まるコーラを例えば他の用途で使えないかと考え料理方法などを考えてみたり。浸けておくと肉、柔らかくなるんだったっけ? カレーに入れるとどーゆー味になるのかな? ちなみにこれで洗うと精子が死ぬ(もちろんデマ)なんていった使い方も大昔に何かの本で読んだことがあるけれど、そんな状況は自分は当然他人に試す機会も絶無にして皆無なんでやっぱり料理かせいぜいがコーラ風呂にして楽しむ(お肌がベトベトになりまーす)くらいにしておこー。

 世界でもトップをひた走る日本の2アーティストがまとめて展覧会を開いている今世紀最後にして最大の展覧会を見るのは今この国この街に住んでいる者の義務とばかりに荒木経惟さんと草間彌生さんの展覧会を東京現代美術館へと見に行く。どちらも2度目。入るといきなり入り口に山と女子高生だかが私服姿でたむろしていて社会見学か何かだろーかと思うも、今の展示物はヌード満載のアラーキーに神経がタフじゃなけりゃー参ってしまいそーな草間さん。どちらにしたってハイブロウな美術教育のイメージとはほど遠いアーティストだけに最近の美術教育も進んでいるなー、でもってこーゆー作品を若いうちから見られるのってシアワセだなぁと羨ましく思う。大仏に陽明門ばかりじゃー神経わびさび入っちゃうもんね。

 とりあえず最初は荒木さん家を見学。入るなり横のブースで始まった撮影場面を映したテレビ番組だかにずっと見入り、その素早いシャッター押しにカメラの取り替え、アングルの切り替え、でもってその間のべつまくなし喋り倒してモデルを和ませ崩させる手法に、普段のお茶らけた雰囲気とは対極の写真家としての顔を見る。場面をモデルとさくりと切り取るアングルもさることながら、同じ街並みを撮ってもおそらく僕には出せないあの青、あの赤、あのセピア色の不思議を、誰かマニュアルにして教えてくれれば欲しい人は結構いると思うけど、今ですら山積みなアラーキーのエピゴーネンをさらに増やすだけにしか作用しないのもつまらないし。荒木を超えるってどーゆー奴のどーゆー作品なんだろー。

 場内で入り口に溢れていた女子高生っぽい軍団と遭遇。人妻のヌードが大股開きにしている写真の前でメモを取ったり眺めたりしている、その姿にやっぱり最近の10代は堂々としていると感じ入った次第。眼前にあるヌード写真に服を着た女学生軍団を重ねて想像するのは楽しいけれど、ジトジトっと眺めているのもオヤジ臭いし(オヤジだし臭いのは山々だが)変態っぽんで(ぽいんじゃなくって変態だけど)横目でチラチラに止めておく。女子高生もそーだけど開場にはザマスなPTAっぽいオバさんもいて真剣に写真を見ている当たりが現代美術の栄光か荒木自身の作品のパワーか。結局はPTAだろーと昔は姉ちゃんでヤってたって事には変わりないってだけなんだろーね。

 草間彌生はやっぱり目が眩む。見入っているとモヤモヤとしている心の葛藤が増殖して溢れ出してやがて世界を多い尽くして中に閉じこめられてしまう気分になる。んだか珍しく美人の人妻が子供旦那連れだったけど見物してたんで陰に闇に後を付けつつなるべく同じ場所を見物するよーにして、横目でチラチラとパンツ姿の足やら腰にセーター姿の胸を眺めてうまくやりやがったな旦那さん、ってな事も思いつつ甘えられて羨ましいぜガキめが、ってな事も考えつつ草間の呪縛にとらえられることなく展示を見終える、っていったい何見に言ったんじゃ。帰りしなに懸案だった荒木草間の世界最強ツーショットTシャツを購入。これ来てニューヨークを歩けば誰もが振り向くインパクトは、今年のTシャツ大賞を受賞したって絶対に不思議じゃない。ミュージアムショップじゃ他に村上隆さんのグッズも幾つか販売中、次は「MoMA」と「ポンポドゥー」だ。

 元中央公論の安原顯に元三一書房の井家上隆幸さんが永江朗さんを挟んで対談した「超劇から爆笑鼎談 『出版』に未来はあるか?」(編書房、1500円)を爆読み。いやもーオモシロいったら無いってのはこのことで、かの中央公論社の読売新聞への吸収の理由を、言論の衰退でも出版不況でもなく単刀直入に「バカばっか」(byルリ)だったからと喝破してみせる。お高くとまった言論機関じゃー絶対に書けないこの明解さ。中でも出色なのは3代目嶋中行雄の言動行為のすさまじさで、こーゆー人をトップに座らせ仕切らせて恥じない親も親なら社員も社員、傾くのもやむをえんって気になってくる。って人のこと言えんか俺っちも、赤字体質の会社のくせにどこからか振って来た思いつきを賞賛して実行した挙げ句に傷口を広げて累損を積み重ねて部数も減らして、それでも幹部から平まで誰も責任をとったなんて話を効かない、この生き馬の目を抜く時代には素晴らしくも珍しい超アットホームな会社で働いてるんだから。

 帰宅して晩飯は最近ドカ食いが祟って体重増加の兆しアリなんで節制して去年のお中元で届いた割には放ってあった素麺を箱から(箱入りなんてすげえ)出して2束ほど茹でて桃屋じゃなく桃子の「おいがつおつゆ」に葱を切り刻んで入れて焼いた鯖の文化干しと一緒に食う。これも去年買ったのに勿体ないオバケが出てずっと冷蔵庫に眠らせてあった大吟醸の蓬莱泉「空」を開けてグビグビ。とっくに味が落ちてて不思議じゃないのに、安っぽい瓶入り日本酒に比べてまろやかにコクのある味が残っているのは流石大吟醸とゆーべきか。箱を開けた以上は素麺も外気が入りやすくなって痛みも速いだろーから加速化して食わなくっちゃいけないけれど、これも毎日「おいがつお」じゃーつまらないから中華風とか沖縄風に炒めて食べるか。コーラに素麺浸けて食うってのも、あり?


【6月4日】 あの中1の夏(歳がバレるな)に瓶入りのコーラを山ほど飲んだのは、王冠の裏に「スター・ウォーズ」の場面がプリントされていたからで、それはもー家の引き出し親の財布から麦の絵柄の旧コインまでをもひっくり返して近所の駄菓子屋へと持って行き、毎日のよーに「コカ・コーラ」を飲んでいたことを今でもゲップとともに覚えてる。ついでに小さい人形の入っていた「マーブルチョコ」とかキャラメルとかも山と買って貪り食ってたけれど。

 瓶入りのコーラを滅多に見かけなくなってしまい、せいぜいがペットボトルの今だと裏蓋をペロリとめくってどんな絵かなーと期待に胸膨らますことは出来ないけれど、代わりに120円だかを投入口へと叩き込んでどんな絵柄の缶が出るのか、シールをめくると当たりか云々を楽しめるのはやっぱり「スター・ウオーズ」がお客さんを誘って止まないだけの存在感を持っている作品だから、なんだろー。とゆー訳で家のそこら中に散らばってるコインをかき集めて僕は毎夜毎朝近所の自販機に今回は「ペプシ」を買いに走るのです。当たりはまだ出ないぃぃぃ。

 秋葉原へと寄って石丸電器で「少女革命ウテナ」の劇場版チケット付きCD「麗人ニルヴァーナ来駕 ボクのアンドロギュヌス」を購入。あちゃらこちゃらから集めた楽曲(ミュージカルも張ってるのかな?)に劇場版「アドゥレセンス黙示録」のBGMとかも含めたベスト版って触れ込みだけに、これまで出ている作品を実は1枚も持ってなかったりする身にはまとめ聴き時間節約バージョンとして有り難い。ジャケットの後ろにお尻をツンと張って立つウテナの格好がなんとも悩ましく、眺めているだけで音楽に身を浸らせるどころでもないんだけど。

 聞くと「月蝕歌劇団」の「ウテナ」公演の方も連日ド満員だったそーで、常連さんを除いても相当数の観客はそれなりのファンがそれなりにいる事を元気づけてくれて映画もそれなりには入るんじゃないかってことを伺わせてくれて有り難い。ほら夏は「スター・ウォーズ」に「山田くん」の自称超大作(ウソ、かな?)と真実の大ヒット確実作品「ポケットモンスター」が控えてて、”若者たちの神々”なんて某「朝ジャ」が大昔に新人類をイジった時に使った言葉を古証文のよーに持ち出せば今だとトップにハマっちゃいそーな東さんが目が出てるからなのか大好きらしー「パタピー」とカップリングの「ウテナ」でも、やっぱりちょっと心配なんですわ。CDも「ZARD」なんかと違って限定版がさっさと完売になってるそーもないし。ちなみに広末のビデオもまだ販売中。たったの15万人もファンいないのか、りょんりょんって?

 ちなみに付録のチケットの番号は8403番で素直に数えればつまりはチケットもそーだけどCDも出てせいぜいが数万枚って位っておとなのかな。ヒカルな600万枚はウソだとしても「エヴァ」が突出してた関係で比較的売れてるよーなイメージを持たれてしまってたアニメのCDも、現実はこんなくらいの市場で同じ何だって買う人を超コアに周縁を埋める作品のファンキャラのファンを含めて数千ってな市場しか持ち得なかったってことなのか。それでいて山と本編は出て山とビデオLDDVDは出てCDまで出るこの現実に、ド素人がベルギーワッフルがエッグタルト以上にド甘く「メディアミックスで丸儲け」なんて考えたら大ケガするぜとここに強く言っておこう、ってどこにだ? それは秘密だって僕サラリーマンだもん。

 男装のウテナを見ても「だったら自分が王子様に」なっただけなんだろーと漫然と眺めていた記憶が榊原史保美さんの「イヴの鎖」(双葉社、1800円)を読み終えて甦りさてもウテナはどーなんだろーかと思案したり。いわゆる「トランスセクシャル」を含めて性的に一般的な観念で言えばノーマルでない人たちが悩み苦しみ戦い愛し合う話、と言って正しいのかすら言えないくらいに人間の心情心理性格性別が入り交じっていて、こーゆー愛が別の愛し方をする人にはどー見えているのかこーふー愛され方はその人には嬉しいのか嬉しくないのか等など、肉体と精神の様々なバリエーションを当てはめつつ読んでいくのは、もとより誰からも愛されてばかりなんかおらず星にも絶対にならない僕にはなかなかに大変、だったね。

 耽美とゆー言葉のイメージが先入観からかすでにいわゆる男同士な雰囲気を頭に描かせてしまっていたけれど、主人公が女性でテーマが「トランスセクシャル」とゆー当たりでとりあえず読み手はいったんテーマを自覚し、決して楽には理解できないかもしれない展開だとゆーことを認識した上で手に取る必要があるみたい。とはいえ結末の悲劇とも自業自得とも運命とも思える展開に「なるほど」と納得出来たのは、そーゆー難しさを内包しつつも登場人物の悩みや葛藤を読者に解らせた上で、ドラマを展開させていくだけの力を作者が持っていることの現れ、なんだろー。暗渠に向かい果てしなく落下していくイメージのあるラストがとにかく秀逸。好きでも嫌いでもご一読を。


【6月3日】 編集長の交代なった「ゲーム批評」の7月号が出てたんで読む。冒頭のニュースから「次世代プレイステーション」の記事と知ってる奴等(ゲラゲラ)の文章が続いてて、ハマさん家の500号にはほど遠いけど通巻で42号をちゃんと数えて未だ現存し続ける硬派な雑誌に、「インベーダー」の次に遊んだゲームが「エヴァ2nd」だったりする輩が堂々と登場してしまうとは、世の中も大きく変わったもんだと自画自貶してジッと手を見る。頭脳戦薄いなー結婚線は出てねーなー。

 巻末の編集後記を見るとスタッフが2人いなくなり、レギュラーが編集長デスク編集部員の言ってしまえば「父ちゃん母ちゃん僕ちゃん」の3ちゃん雑誌と化していて、瞬間大丈夫なんだろーかと思ったものの月刊の「SFマガジン」でも編集は2人でバイトが1人だったりしてんだから、景気低迷に失業率も上昇中の真っ暗闇の経済環境にあり、加えて来月で地球が滅亡しちゃう可能性もあるこの時期に、隔月刊なんだし何とかやりくりしろって事にもなってしまうんだろー。けどSFと違ってイベント発表会の目白押しな業界だけにキツいかも。表3にライターの大募集もあるんで1番長時間プレイしたのが「サクラ大戦2」なんて輩をハタいて我こそはってなライター希望者は、ゲシゲシ超応募しちゃってやって下さいな。

 何が書いてあるのか読む前から解ってたんで(ヘラヘラ)読むのはクリエーターへのインタビューとか第2特集の「アーケード氷河期」。インタビューの方は「絵じゃなくアイディア」ってクリエーターの矜持に溢れるコメントを誰もが発しているけれど、アイディアはどーでも絵のインパクトの方が目を頼りに生きてる人間にはとにかく伝わりやすいって事実が厳然としてとあり、かつ実際に絵のインパクトで客を引き、中身も加わって(いるのかどーかは人それぞれだけど)ミリオンのダブルトリプルを実現してしまうタイトルもある位だから難しい。1000円2000円のソフトならいざしらず、5000円6000円払ってまでと思わせる、その食いつきのために絵にも頑張れるところがやっぱり受けてしまうんだろー。ナムコも聞くと同時発売は狙ってるそーだしスクウェアも含めて登場してくる大手の作品にとりあえず注目。絵だけじゃ、ねーよな。

 「アーケード特集」の方はなんだかカプコンの岡本吉起さん(イラストの春麗ポーズ最高っ)がコラムで全部「言わして」くれちゃってる感じ。ソフトの供給については例えばタイトーがやってる「G−NET」が、ROMカードだけを差し替えれば新しいゲームに早変わりって仕組みで、岡本さんの言ってるCDなりDVDなりでの供給に雰囲気近いものがあるけれど、残念にもタイトーはナムコでもセガでもないんでゲーセンの主流にはなり辛くあんまり賑わってるって雰囲気がない。名越さんの両替ゲームなんて発想は、おそらくはゲームセンターをゲーム機の前だけじゃなく建物内装雰囲気すべてを含んで「エンターテインメント」に彩らせ、イベントに参加してるっぽい雰囲気を来場者に与える今週発売の「SPA!」でも指摘していたゲーセンの新しい動きに繋がる発想で、そのままの実現は無理としても思想として受け入れるべき内容を持ってるのかな。

 その意味で面白そーなのが6月26日からナムコが渋谷にある「INTI渋谷」でスタートさせるイベント「タツノコFESTA」。名前を聞けばお解りのとーり、アニメ制作会社の「タツノコプロ」の協力で、あの渋谷のコジャレた複合アミューズメント施設の「INTI」で、オールナイトでタツノコアニメを流しつつDJやらVJも見せちゃおうって摩訶不思議なイベントで、来るのはオタクかそれともクラバーかゲーマーかとちょっぴり思案に暮れる。地下にあるのは「まんだらけ」だしコスプレ店員が帰りに寄るとも考えられるし、タツノコを幼少時に擦り込まれた先端な人種がヒップにホップな(死語×2)イメージを感じて来るとも考えられるけど、何かやってみよーって意欲だけは十分に感じられる。成功するかはともかく。

 スタートが真夜中の11時55分で終わりは明け方の6時だからまるまるオールナイト。第1回目の上映は確か「タイムボカン」と「樫の木モック」そして「新造人間キャシャーン」ととりあえず抑えられてるから、見て合間をDJVJに浸って夜を過ごすってのも悪くないかも1ドリンク付きで前売りは1500円、当日1800円。以後土曜日ごとに1カ月くらい開催の予定で作品的には主要なところはほとんどすべてが上映される。取材があるから第1回には覗いてみたい気分だけど当日はほら、確かナムコが株主総会を開く予定でクラブなイベントに相応しい格好はきっと株主総会には相応しくないんで、どっかで着替えてから行くか。いっそ「まんだらけ」で中古なコスプレイ衣装を買って着替えて乗り込むか。杖だけ別に買ってくから「CCさくら」のバトルコスチュームは売ってないかな「おジャ魔女どれみ」の魔女服でもいーや(いくない)。

 ソフトバンクの会見を覗く。インターネットで買った品物を「セブンイレブン」で受け取り支払いもその時にしちゃえるよーにする会見と聞いていたし、そのバリューに並ぶカメラの放列も凄く大変なことかと驚いていたら発表されたのは極めて限定的に「本」だけを扱うとゆー新会社の設立でちょっと引っ込む。とはいえ米アマゾンとかってなインターネット書店の盛況を見るにつけ、ネットで扱う品物として本を選びかつ宅配じゃー家にいなくっちゃいけないカード番号打ち込むのは何だかこわいって人向けに、コンビニをワンストップの場所として使うって手も素晴らしく、ありゃこりゃ考えたことをすぐさま実行に移せる力を持った孫社長ならではのアイディアだと言って言えないこともない。

 むしろ注目すべきは出資している会社に取り次ぎ大手のトーハンが入っていたことで、今でもすでにコンビニが雑誌や文庫、コミックの類で結構な販売量を確保している日本でも有数の「書店」って事実はあるけれど、面倒なんで扱わなかった文芸書やらその他いろんな書籍までもがコンビニの店頭で買えるよーになるってのは、見ようによってはトーハンの「町の書店切り」に繋がる歴史的画期的な判断がそこにあると言える。実際には書店をぐるぐる回って新刊をぺらぺらとめくっていまとめでドサっと買う楽しみは残るから、品揃えの良い書店は生き残って行けるだろーけど、例えば話題の新刊を発売前に受注を取って納本日の朝にコンビニで受け取って出勤できる、あるいは書店も閉まった帰りがけにピックアップできるまるでゲームと同じ体制が作られた日にゃー、書店も結構キツいかも。

 たまたまあった角川書店の決算説明会でもネットへの傾注を歴彦社長が滔々と語っていたのを聞くとなおのこと、ネット書店の台頭は黎明期から進展期へと入っているのかもしれず、出版社書店ともいろいろと思案の為所だろー。例えば難しい学術書でもネットである程度中身を解らせた上で購入者数を確定させて、それからコンビニとかへと流して確実に買って貰うよーな作り方売り方を考えれば、ネット時代にかえって業績を延ばせるのかも。ピンチはチャンスで変化もチャンス。活かせば上へと進めるこの時期に、権威を切り売りして金を巻き上げようとするだけで抜本的な展開を計れない某マスコミはピンチにパンチでグロッキー(死語×3)は必至だね。


【6月2日】 ナムコの新作アミューズメント機器展示会を覗く。さすがに消防士になろーなんて機械はなかったけど、コナミが独走する音楽ゲームの後を襲わなきゃマズいってことかギターをプレーしてリズム感を競うゲームが夏にもゲーセンに登場する見通し。コナミのがギター型のコントローラーなのにフレットを抑える感覚が味わえないのと比べると、まるでストラトキャスターなギター型コントローラーは弦こそないけどフレットはしっかりと作られていて重さも形もホンモノそっくり。出っ張ってるスイッチを弾くのはゲームとしての簡便性を考えた時に仕方がないと認め、フレットを抑えた圧力が感圧センサーを介してゲームへと反映される仕組みには、元ギタリストなおじさんにだって受ける要素アリと見た。マイピックなんて持っていってペチペチ弾くか、ベースっぽくチョッパーで弾くとカッコ良いかも。でも背広や肥満は傍目に見た目が良くないんで、頑張ってゲームに似合う体型服装にしなきゃ、ね。

 ホルスターから抜いたコルトの「シングルアクションアーミー」型をしたガンコンで正面の機械に登場する的を早撃ちして競うゲームはスピードが大事のゲーム性がお客さんの高回転へと結びつくゲームセンターにはもってこいの内容。ボディがちょっぴりデカいのが気にかかるけど1人のプレイが1分かからず終わってしまうから、1台置いておけば皆がベシベシと打ちまくってちゃっちゃとお金が溜まるかも。血なんて一切飛び出ず生き物も殺さず最後に吹っ飛ぶコップのギミックはナムコらしさでいっぱい。もう1つの「ガンバアル」系ゲームも撃つのは小憎ら可愛いオバケだから胸も痛まず心理に優しい、のかな。

少なくとも人を撃ち抜く類の歪んだカタルシスはないからやっぱりナムコらしー良い格好しぃなゲームでありますな。一方で殴る蹴るな「鉄拳」の新作もあって「優しさ」がポリシーって意味で統一されてる訳じゃなさそーだけど、セガの消防士とかパイロットかっていった”職ゲー”といーコナミの「ビートマニア」に代表される”音ゲー”といい、ゲームに付いて離れなかった残虐性のイメージのカケラも喚起させられない、新しいジャンルのゲームの増加がさて何を意味しているのか、世の中が残酷になり過ぎてゲームくらいじゃ満足できなくなったのか、それともゲームに自制心が働き始めたのか、暇なら考えてみたいねえ。ゲーム機の性能向上で家ん中で残酷悲惨な血みどろの殺戮を体験できるって事もあるのかな。

 「SPA!」最新号に東浩紀さんが登場。思想哲学の類は無学浅学故にまるっきり解らないけど、「メディアの中での影響力と若い人たちに対する影響力は決定的に違っていて、大きなギャップがある」ってな言葉には、メディアの一味として実際ふだんから感じている部分があるだけに、なるほど解ってらっしゃると感じた次第。こう言うとそれこそ身も蓋もないけど、美形かはともかく若くって東大博士課程を出ててフランスの哲学を語ってエヴァに詳しいなんてプロフィル「だけ」を見てオヤジなメディアがイジってたって部分が少なからずあったからね。

 上への媚びを否定して下への語りかけをのみ成立させ得るコミュニケーションの手段が、固定観念に縛られた価値観の上で情報を選り抜いて、とは聞こえが良いけど要するに自己都合的な立場で選り好みして伝えるメディアにいるとなかなか思いつかないだけに、「メディアからはじかれ」た後でどんな活動をしていくのかが気にかかる。まあ貪欲で狡猾なメディアが1度つかまえたイジり甲斐のある素材を放っておくとも思えず、持ち上げるにしろ貶めるにしろちょっかいを出して来ることは必至、それすらもかわして唯一絶対な道を歩めるとしたら、20代にも10代にもそれこそ今のひとケタ代が大人になっても残る言葉がそこに紡ぎ出されているだろー。そんときゃ俺、死んでるから関係ないんだけど。

 「上の世代はもう相手にしない!」なんて見出しで勇ましく書かれているけれど、上の世代として1つだけ忠告があるとすればそれはアレだね夜はマッサージを欠かさず予防につとめ夏も帽子は被らず時には薬もちゃんと塗りストレスは溜めず油っこいもの、珈琲や煙草といった刺激物の摂取も極力避け直射日光は浴びず風通しを良くしつつ決して乾燥させないってこと、くらいだろーか。僕だって27、8歳の頃の写真を見ればホントなかなかちゃんと立派にしっかりしてたんだよ、それが積み重なる不摂生と勘違いな人々によって蓄積させられたストレスによって10年と経たずにこんな(どんな?)惨状だ。注意一生毛も一生。太り過ぎにも気をつけよー。はあ。

 榊原史保美さんの「イヴの鎖」(双葉社、1800円)と蔦森樹さんの「愛の力」(東京書籍、1600円)とゆー、方向こそ違えともにトランスセクシャルを扱っているらしー本が2冊ほとんど同時に書店に並んでいるのは事態が陰として隠蔽されていた過去から前身してむしろ理解を持って世の中に迎えれられつつあるんだと好意的に解釈した方が良いんだろー。そもそもが何故に僕がこの2冊をまとめて買ったかは僕自身もサルベージ仕切れていない真相心理のなせる技、読みつついろいろと考えてみたいところだけど、ここのもう1冊漫画でトランスとゆーよりは性差をこえた魂の結びつきっぽいエピソードが描かれている後藤羽矢子さんの「ラブタンバリン」(フランス書院、438円)があって単純にアレのシーンに興奮している身を客観的に眺めると、実は単なる好奇心なのかもしれない。そーいえば「ラブ・タンバリンズ」ってインディーズで活躍してたグループがあったなあ、関係ないけど漫画とは。


【6月1日】 準備のために朝もはよから起き出してとりあえず午前3時15分なんてとんでもな時間に放映されたんで録画に回した「十兵衛ちゃん ラブリー眼帯の秘密」を見ながら朝をナゴむ。そーか「ラブリー眼帯」には鏡やら小物入れやらの使い道が6つもあったのかと今さらながらに思うことしきり、噂ではどっかのキャラクターグッズ屋さんが早速もってグッズ化しよーとしているけれど、さてはて今回の放映で明らかになった7つ目の世界制覇の秘密はともかく実現可能な幾つかの秘密を、製品に盛り込んでいるのかそれともいないのか。いなかったらそれはもー偽物としてリテイクを要請するファンの山と出ること必定なんで頑張ってリアルへと近づけて下さいな。DVDのオマケで不完全版でも6つまでは秘密を抑えた「ラブリー眼帯」、付かないかな、ねえバンダイビジュアルさーん。

 で時間になったんでソニー犬のページにアクセスするとビジーで全然つながらない。あるいは繋がったら買ってやってもいーかなー、などと安易に構えていた自分がとたんに悔しくなってしまうのは「受け」がすべてを制すると身に覚えるに至った我が人生にとって、惨敗に等しい仕打ちを受けていると感じたからでこれは不味いとしつっこくリロードを繰り返しても一向に繋がらず、やはり家の今時な14400bpsモデムでは不可能だったかと今度は貧乏を嘆く。出勤の時間になったのでもうこれは諦めるしかないと家を出て、用事をこなした後に会社でソニーに取材したらなんと3000体のソニー犬はわずか20分ですべてが売り切れてしまったとか。まさかこれほどまではと思っていなかったソニーも甘いけど、本体25万にソフト5万を大のおやじ達がこぞって買っていたらしー実状には、「鉄腕アトム」に「ロボット三等兵」「まる出だめ夫」で擦り込まれたロボットへの愛着が、それなりな年齢層にも深く染み着いている我が国の他国にはない文化的背景を改めて見た思いがする。なるほど「P3」だって生まれる訳だぜ。

 犬を諦めて向かった先は東京・有明にある1000人規模のホール。セガ・エンタープライゼスが予告どおりに「ドリームキャスト」の発表会を開いたもので、既に「次世代プレイステーション」「ドルフィン」と相当にすっげーハードの発表が行われたこの後に及んで、DVDすら搭載してないハードをいまさらながらもり立てて果たして客に受けるのと、そんな心配も最初は抱いていたけれど流石は一般紙も注目させた「湯川専務」の存在が「常務」となった今も効いているのかセガの最後を見届けたいとお思いからか、大勢のメディアが詰めかけ開場はなかなかの賑わいを見せていた。とはいえ「東京国際フォーラム」やら「ホテル・オークラ」やらを選ばなかったのはそれだけのキャパを抑えて隙間が空くのを恐れたからなのか。だとすればセガさんもちゃーんと”解って”らっしゃる、「DC」が今年度で200万台しか国内で売れないと認識している程度には。

 ただその数字も或いは控えめ過ぎるのかもしれないと、予想はしていたけれど取材も面倒だからしなかったんで今日が初の告知となる「DC」の6月24日からの値下げを聞いて思ってみたり。価格は199ドルだったら受けたけれど流石に日本国内だけあって19900円と円建てで発表。ちゃっかり199とゆー数字を抑えてみる辺りにちょっぴり受けたいってな気持ちも見えるけど。まあそれは予想の範疇だったとして驚いたのが初期の定番として「DC」を引っ張った「ソニックアドベンチャー」「JULY」「ストリートファイター3tb」「ペンペントライスロン」なんかをやっぱりちなんだ1990円なんて値段で期間限定ながら販売してしまうこと。今もって店頭に山積みになっていたりするこれらのソフトをサクセスの囲碁ソフト(これがまた強くって。おりゃヒカルにゃなれんわ)とさして違わない値段にしてしまう、その暴挙にさてはてどんな流通対策がなされているのか興味の尽きないところでありまする。返品なんか受けちゃうのかな。

 だったら未だに初回パッケージがセガ・サターン版も含めて山積みだったりする某「リアルサウンド」を980円くらいで売っちゃた方が良かったりとも思ったけれど、場内にはあの巨躯にして長髪な兄さんが鎮座ましましておられたんで流石に聞けなかった。さてもその某兄さんは入場してくるなり入交昭一郎社長の隣りの席にドンと座ってとてつもなく親しげに会話なんかをしてみたり。他のコナミにしてもティー・アンド・イーにしてもゲーム・アーツにしてもナムコにしてもチュンソフトにしてもそしてレッド・カンパニーにしても粛々と定められた席につくなかでの勇気あるタメ口的振る舞いに、今さらながらイリさんケンちゃんな関係を見た思い。だったら困っているイリさんにさっさと出せばいーのにね、本当だったらすでいとっくに出ていて評価も定まっていた「D2」を。

 開場のデモでちらり写った「D2」の雪山をかき分けて歩くローラの足に茶色いストッキングらしきものが加えられたよーに見えたのは僕の幻か。流石に素足で雪山歩かせちゃまずいっしょと言い続けたのがシンクロニシティー的に伝わったかもなんて僭越にも思ってみたりするけれど、それにしても去年の5月だかの発表から1年を経て未だにカケラも見えてこない「D2」への批判が伝わっていないことを見ると、ド素人にしてマイナー紙のおっさん記者などアウト・オブ・ガンチュウの最たるものなんだろー。名前はケンちゃん親しげにしているリュウイチと一緒なのに。発表会で油売ってないで帰って「D2」作りましょーよ。

 かつて存在した「DC」のまるでプロトタイプとしか今になっては思えないバンダイの「プレイディア」に匹敵する幻のハード「ピピン」のビジネスを仕切って後に消息は不明じゃないけどあんまり表へと出てこなかった鵜之澤さんを久々に間近に拝む。その時から兆候は見られたけれどいささか不自由気味だったヘアスタイルが開き直ったのかとてつもなく短くされていて、頭頂部の平原を囲むよーにグルリ巡らされた外輪山のごとき髪の内なる生え際に、過ぎ去った時の流れを強くつよーく実感する。なんて書いてる僕自身が過ぎ去った時間の流れと抜け去った髪の流れないで流しに詰まる現象を、身を持って実感してたりするんだけど。鵜之澤さんすら追い抜いてしまったからなー、この3年で確実に。

 そのバンダイはガンダム物を投入し、お仲間のバンプレストはファンの期待がいっぱいあり過ぎて、あの「ワンダースワン」向けですら初日完売常態を産み出した「スーパーロボット大戦」を投入するとあって値下げも含めて「DC」への期待をちょっとながらも上向きにしてくれている。ネットワーク機能とか音楽CDとの連動とかは確かに面白いけどプラスアルファの要因でしかなく、本当はやっぱりどこも売れるソフト楽しいソフトが欲しいってことで、バンダイ、バンプレのソフトに限らずいよいよベールの下が見えて来たカプコンの「バイオハザード コード・ベロニカ」やらナムコの「ソウルキャリバー」やらセガの「電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム」やらが順次おいおい発売されれば、控えめな数字は何とかクリアできそーな気がしてきた。低く見積もり達成によってポジティブな印象を与える、そんな「DC」のマーケティング戦略にまだまだ期待を抱いてもいーのかなーと思えて来た。だから今度は本当に、「シェンムー」10月にちゃんと出せよな。


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