縮刷版98年8月中旬号


【8月20日】 馳星周さんの最新刊「夜光虫」(角川書店、1900円)を読んで他人なん頼ってられるか信じられるのは己だけや、なんて孤高モードに入っていたところに「トライガン」が始まって、2人が助かるか全員死ぬかの瀬戸際にあってそれでも全員が助かる道を探って実現までしてしまうヴァッシュ・ザ・スタンピードの登場にやっぱり人を信じるんは気持ちええなあ、などと前言を翻してしまう節操の無さはいったい誰譲りなんだろーかと考える。それはともかくフィフス・ムーンの事件を経て甦ったヴァッシュが辿る物語が、いよいよ単行本バージョンから外れて独自の路線へと進みはじめ、さて残り1カ月と少しの中で、どう落ちつかせるのかに俄然興味が沸いて来る。

 モティーフ的には「マキシマム」に登場するヴァッシュの昔からの知り合いらしー爺さんと、老化しないヴァッシュを子供の頃に見たとゆー青年と、マンガでは実際には登場しない青年が密かに恋いこがれるものの彼女は実はヴァッシュが大好きとゆーお姉ちゃんがアニメの方にも登場し、共通な部分を感じさせるけど、舞台となったのが空中に浮かんだシップの残骸だったり、そこにガン・ホー・ガンズの一味が乗り込んで来たりと本編とは全く違った展開を見せている。マンガと違って未だ健在なレガートが放つ刺客とヴァッシュとの闘いが次週へと続いて終結した後、果たしてヴァッシュはナイブズ本人と見えるのか、んでもって彼らの正体は一体何で星にはどんな未来が待っているのか。説明仕切れないまま「荒野に佇み呟くヴァッシュ『待ってろよナイブズ』そして荒野へと歩みさり後をメリルとミリイの凸凹コンビ(覆面には埼玉県警の文字がっ)がトリウマに乗って追いかけていく」ってな結末に至る可能性もこれでたっぷり出てきたなあ。

 乾くるみさんの「匣の中」(講談社ノベルズ、940円)を仕事で読む。実は読んだことが無いんです「匣の中の失楽」状態な不謹慎書評屋だったりするけれど、それでも密室殺人が立て続けに起こって周囲の若者たちはあれやこれや議論に時間を費やす展開に、鮮やかな謎解きを期待してついついページをめくるスピードも早くなる。がしかし。「Jの神話」で本格ファンを驚天動地させた空前にしておそらはくは絶後のエンディングが大口を上げて読者を飲み込み、「J」ファンな僕を至福の境地へ、そして「匣の中の失楽」ファンを地獄の大釜の中へと導いて、どちらにしても魂を揺さぶり脳味噌をかき回して心臓に豆鉄砲を放って息の根を止める。大森望さん言うところの新本格ストレートは、手元でバットをはって手首ではね上がり心臓へとぶち当たって命を削る「アストロ魔球」であったのだ。あるいは右ストレートかと思って避けたらとんで来た見えないアッパーとか。

 歌野晶午さんの「ヴードゥー・チャイルド」に綺麗なまとまりを感じたものの驚天動地な謎解きがなく美しいけど物足りなさを覚えていた末期のジャンキーのよーな頭には、「匣の中」の潔いまでの非常識ぶりが心地よく、ますますもって次への期待が沸いて沸騰してとまらない。講談社ノベルズも京極夏彦さんは間もなく発売なる「塗仏の宴 宴の支度」の後はどうせ1年くらいは刊行はないだろーし、森博嗣さんの犀川&萌絵シリーズもとりあえずは次巻で決着が付くみたい。驚天動地では先輩格の沈清涼院流水さんはここのところ沈黙著しいこともあって、彼らに代わり得るトリックスターな方として、これはもう音羽グループを挙げて次作、次々作を落ちついて創作できる環境を与えて差し上げなくてはならない。とりあえずは裏山のプレハブに缶詰にするって手はどーだ。ついでだから高瀬彼方さんも缶詰させて早く新刊を書かせて、ね。

 アニメやらマンガが流行になって何やらお金を生んでくれそーだと思われるよーになって、初めて大企業とかってのは腰を上げて出資やらビジネスモデルの構築やらに乗り出して来る。素のまんまの作品に直接お金をリスキーだけど出して、当たれば分配もたっぷりなんて悪く言えば博打だけれども本来あるべき投資の仕方ではなく、コンテンツを軸にして例えばインターネットとか、CD−ROMとかテーマパークとかキャラクターグッズとかいったマーチャンダイジング的な発想のビジネスを志向して、核となるコンテンツの囲い込みに入る。金気のあるところにビジネスの虫が集まる構造は資本主義の世の中故に仕方がないとゆーよりは当然の事態で、別にあからさまに非難をするつもりは無いけれど、三菱総合研究所って国内でも有数と思われているシンクタンクが「マルチ・エンターテインメント・ビジネス」とか銘打って、マンガやアニメを軸にしたビジネスの可能性を調査するプロジェクトを立ち上げたと聞くと、そこにただビジネスありきのスタンスしか見えず、いささかゲンナリしてしまう。

 何よりこのプロジェクトが組んでいるのが、業界的には重鎮だけと今現在のマンガシーンで先頭を突っ走ってる人あんんてほとんどいない「マンガジャパン」とあっては、プロジェクトの成果として見えて来るのはマンガジャパンのメンバーがすがる過去の栄光を、その栄光に影響を受けた人たちにいかに知らしめ共感を呼ぶことができるのかを探る「墓堀りビジネス」くらい。線路を引いて駅を作って車両待ちの人のために売店も作り待合所を作りさらには駅の周りを整備して街まで作ってみたは良いものの、肝心要の電車すなわちコンテンツを作る努力が顧みられていないよーな気がしてならない。プロジェクトでは参加する1社から集めるお金が200万円で最終的には20社程度の参加を見込んでいるそーだけど、さてどんな企業がメンバーに入るのやら。ターゲットズバリな客層に向けてキャッチーなキャラクターをピーアールに使いたい消費者金融とかが入るのかな。ともあれ堅い三菱総研がどんなリポートをまとめビジネスモデルを構想して来るのか、最先端でキャラクタービジネスに手を染めコンテンツ作りに邁進している企業たちには失笑を、コンテンツの受けてであるオタクなりコアなファンからは嘲笑を、浴びせられる事態にだけはならないよーに気を付けて。担当な人はちょっちオタっぽかったから、意外と結果は真っ当かも。


【8月19日】 最近は嘘発見ソフトの「トリスター」で話題となったアルファオメガソフトが、例の佐々木潤子さんがイラストなんかを監修した戦略恋愛シミュレーション(何だ?)の「英雄降臨」をフルバージョンのまま1000円に引き下げて発売するとか。元が9800円だったからおおむね9割引な大バーゲン、ってことになるけれどそれで果たして売れるかどうかは悩ましいところ。それがいったいどんなゲームなのか、ある程度知識を持ってないといくら1000円だって買う人は少ない。家に帰ってドライブに突っ込んでファイルを開けてみるまで、いったい何が入っているのか確かめようがないってゆー、これがCD−ROMの弱点の代表的な例。だから各社ともどんな特徴があるタイトルなのかを広告とか記事を通じてユーザーにアピールしよーと頑張る。あるいは店頭でデモって実際に中身を見てもらう。

 同じCD−ROMでは老舗のデジタローグが名作「イエローズ2・0トウキョウ」と「イエローズプライバシー」を確か2800円だったかに引き下げて発売するけど、こちらは認知度で行けば業界でも屈指(裸がいっぱい)のタイトルだけに、前の8800円って値段に臆していた人が一気に買いに回る可能性は大。巷にヘアヌードがあふれる今となっては、紙で見られないヘアヌードって利点はさっぱり落ちてはいるけれど、それでも仏頂面な素人娘の直立不動の裸をじっくり観察する楽しみとか(「イエローズ2・0」)、散らかったり生活感でいっぱいの家ん中ととのぞき見る楽しみとか(「イエローズプライバシー」)は、その独特のインターフェースとも相まって未だ価値として衰えていないからね。

 どっちかってゆーと、同じく廉価版ROMとして出す「マイクロフォンフェンド」ってカンヌで開かれた「ミリア」で入選か何かした作品の方が大変かも。リリースによるとキーボードとかマウスとかから信号を入力するんじゃなくって、パソコンについてるマイクから音声を入力した時だけ画面が何やら反応を見せるタイトルだんだとか。こーゆー作品の面白さって実際に試してみないと解らないじゃん、だからせめて大手の販売店には実機をおいてデモって見せるくらいのことはするんだろー。あとはどれだけユーザーが面白がれるフックを垂らすかにかかっているけれど、そんでもデジタローグってブランドが過去営々と培ってきたイメージとか信頼感が多分にユーザー側に効いているから、それだけで買うって人も多くはないけど確実に何百人かはいるだろー。もちろんそこまで来るのに1度たりとも信頼感を失わなかったからってのもあるけどね。伝統は力で継続も力。んでもって1番強い力が中身。大変だけどやってかなくっちゃ、CD−ROMは滅びかねんからなー。すでに死んでいる? うーん当たってておまけにどえりゃー近い、からなー。

 珍しく早めに会社に行くと記者会見にかり出されて帝国ホテルへと向かわされる。日放って日産自動車系の広告代理店がアメリカのでっかい代理店に買収されるって内容で、始まった会見ではバレンタイン監督に似た相手の会社の会長さんが、「ニッポンの文化学びたいでーす」と英語で(当たり前だ)言って買収の意図を説明してた。まあいくら広告がグローバルになったからって、媒体の確保から日本人にキャッチな広告の作り方まで日本に独自の文化風土っていっぱいあるから、外国人がいきなりやって来たってなかなか成功はおぼつかない。そこに親会社のリストラで中途半端な立場になった日放が、撒き餌疑似餌のごとくぶら下がっていたからパクリとやっちゃったってのが買収の背景ってことになる。

 買収された後の日放がいったいどんな会社になるのか解らないし、そもそも日放がクリエイティブにマーケティングでどれだけの実力を持っているのかもよく知らない。買収した側のTBWAに関しては、何でもカンヌで山ほどの賞をとってる優秀なクリエイター陣を抱えているそーだから会見で日放の社長さん言ったところの「新しい遺伝子」が注入されて、新しい広告が生まれてくる可能性はある。もっともそん時ゃーノウハウなりを吸収し尽くされた後の日本の古い遺伝子が淘汰されてるって可能性は大。日本的風土の中でぬくぬくとして来た業界がグローバルの時代に置いてきぼりにされてやがて滅びるってゆー、まあ一種の典型例ではありますなー。とか言ってるうちにドメスティックで国際競争力が皆無とゆー点では最右翼の新聞までもが、国際的な波にもまれて買われるなり滅びるなりする可能性だってあるんだけどね。買ってもらえる実力があるだけまし? ごもっとも、ええとっても実感してます、他山の石の石ころとして。

 馳星周さんの最新刊「夜光虫」(角川書店、1900円)を買って一気に読了へと持ち込む。台湾のプロ野球界を舞台にした八百長疑惑の渦中にあった男が、やがて黒社会に呑まれてのっぴきならない立場へと追い込まれ、窮地の中で内なる声にせっつかれて爆発し暴れ回ってすべてを滅ぼしていくとゆー、暗黒小説の極みのよーな内容は、相変わらずの文体の冴えとストーリーテリングの妙に支えられ、手をゆるめる隙を与えない。ちょっくらエロいシーンが少ないよーな気もするけれど、ポルノじゃないんだしそれがなくたって切ない愛と爛れた愛の錯綜するシーンは十分な官能をもたらしてくれる。何より肉親半肉親の愛憎渦巻く関係の中、誰が見方で誰が敵なのかが解らないまま繰り広げられる信頼と裏切りの嵐は人を信頼する気持ちを失わせ、ただ己のみを信じる強さと己しか信じられない悲しみを、読者につきつけて止まない。まずは1読、そして周囲を見渡し仲間や家族の顔をながめて、自分が本当に愛されているのか、幸せなのかを考えよう。今の出るお茶、ちょっと妙に苦くない?


【8月18日】 哲学からクラシックから家具からアニメまで、守備範囲の広い「〜高川朋和の微小世界〜」さんから「がんばっていきまっしょい」のページを案内戴き早速見る。おー田中麗奈様さま様がいっぱいいるぞ、おまけに(田中麗奈さまを主体と考えた場合のおまけ、であって本質的にはこっちがメインな)映画の情報も深く広く濃くって、これだけのページを作って映画の宣伝に1役も2役も買おうってゆー、ページ制作者の作品への思い入れの強さに感じ入る。松山市での先行ロードショーはともかくとして、これが東京は新宿東映パラス2の単館上映ってのはどーしても納得できない。アルタミラピクチャーズの年齢不詳な白髪鬼こと桝井省志プロデューサーの辣腕にも期待がかかるけど、ここは全国から「なっちゃんのブルマ見たい」の葉書を東映に送ってわが町へと「がんばっていきまっしょい」を呼び込もー。んな不謹慎な要望には答えられんと言われたら、その時は御免。

 起きて再び「lain」の第7話。思わせぶりなスカート脚の組み替えに朝の爽快な屹立を一段と刺激されて苦しい思いにとらわれたけれど、それを超えて登場したのが、やっぱり妖しい奴だった宅配便のロンゲ兄ちゃん。本人が何かを意図して配達人をやっているのか、単なる運送会社のバイとなのかはちょっと未定だけど、少なくとも彼が配達したものには、玲音の巨大なナビしかり、マンションのお尻がキュートなママに届けられたガンダム高性能化パーツ(こんな古いものを、父さん)、じゃない得体の知れないマークが描かれたボードといい、ナイツって名乗っている集団による何らかの息がかかっているかのよーに思える。

 「吸血姫美夕」では転換点となるエピソードで「とんび」として登場した千葉繁さんが今度は「ねずみ」と名乗るモバイル野郎の声をあて、男のイッちゃってる感を見事に演じきっていた。そのねずみがヘッドマウント型のディスプレーの向こうに見た、ワイアード世界から来た刺客の1人を見た時に、蜘蛛の巣という意味でのウェブのよーにリアルワールドに張り巡らされた、ワイヤードからの操り糸のよーな物が浮かび上がって作品世界の全体像をちょっとだけ垣間見せてくれたよーな気がした。玲音という少女がタダものじゃなかったことも解ったし、どーやら家族とものっぴきならない関係だったと解って、さてもお話は後半戦へと突入し、玲音をめぐってヘンなおっさんとMIBの一味VSナイツの面々のMリアル、バーチャルと問わない激しいバトルが繰り広げられることになるんだろー。いよいよ目が離せない。ウエザーブレイク前のキャッチとともに。

 バンダイから新しい玩具が届く。一見チュパチャプスをセットしてモーターでグルグル回しながら舐める玩具を思い浮かべたけれど、来社した何故かお腹だけが巨大になりつつある美人広報がキャンディを舐め舐め(口をすぼめて舐める仕草がこんちまた)円筒形のボディについた4つのボタンを操作する。けれども外部的には単にキャンディを加えているだけに過ぎないこの玩具の秘密を聞いたところ、なんとこれは一種の楽器でありプレーヤーなんだとか。どれどれと思ってサンプリを取り出し先端にチュパチャプスをセットして、スイッチを入れて丸いキャンディを耳に押し合えたところ、ヒップでホップなラップっぽいサウンドが耳の骨を伝わって聞こえてくるれはないですか。

 じゃあとゆーことでキャンディを口に入れてやっぱりスイッチを入れると、おおこれはすごいぞ歯の裏側にコツリと当たったキャンディの振動が頭蓋骨の振動となって伝わり口内に音楽が鳴り響いているよーな感覚を覚えさせる、が驚いたことに外部には一切の音は漏れていない。満員電車で蹴り入れたくなるけれど強そーなんで大目に見てやっている(虚勢)デカ音イヤホンなウォークマン男とは違って、他人に迷惑をかけずに自分だけで楽しめる音楽プレーヤーとしての機能も持っていたのであった。聞くと「骨伝導」とゆー補聴器なんかでも使われている理論を採り入れているとかで、今回のキャンディ舐め舐め玩具以外にも別の新しい感覚を味わえる玩具を作って、おいおい発表していくんだとか。ってことは例えばアレな形をしてて口内でフ○ラするフリをしてスイッチを入れると「おうおう」とゆー声がする成人向けの玩具とかを思い浮かべてしまうけど、流石に美人広報に向かってそんな事はいえず1人胸の内に止めておく。アソコに入れて恥骨伝導で音楽が子宮に鳴り響かせて胎教ってのはマジメな発想だけど、バンダイさん、どう?

 しかし凄いね津田優。かつてはウェブ日記界の王として君臨しながら幾多の試練を経て今はひっそりとでもしっかり日記の更新を続けていると思っていたら、知らんどる間に(ちょっと名古屋弁)沖縄アクターズスクールとアミューズが開催した安室奈美恵やSPEEDに続くスターを見つけるオーディションに応募して、しっかり9人のグランプリの中に入ってるんだから驚きだ。おまけに年齢も10歳なんて言っていったいどうやってあの慧眼にして恐眼なマキノ正幸校長を納得させたんだろう。ってことは全くのデタラメでもなくって、実際に行われたオーディションで神奈川県横浜市出身の津田優ちゃんって子がグランプリに選ばれているんですわ。サンケイスポーツのリストを見て唸った唸った。どうせだったら初期のウェブ日記界の重鎮たちをズラリ集めてSPEEDもB.B.WAVESもかくや、と思わせるダンスチームを結成したら話の種だけにはなるんだけど。折角だからセンターは大森望さんに務めてもらおー。SF大会は名古屋に金曜日入りならやっぱり夜は山本屋本店で味噌煮込みっすか?


【8月17日】 コミケで買ったエロ系は「魔法探偵社」ってところの本を1冊くらい。去年はそれこそ金にあかせて混んでる店にはらなびそーでない店でも表紙だけ買って見ていたけれど、中身とのギャップに伴う使い勝手の悪さにほとほと困り果てた学習効果もあって、ある程度は中身を吟味してそれも必要最小限のせいぜいが5回は使用可能ならば良いかって割り切って行った関係で、1冊だけの購入に止まった次第。流石にケンシロウ詩織な「ときめきの拳」じゃー使えんでしょー。なに俺は使える? まーそーゆー人がいても良いとは思うけど、世間は果てしなく広いんだし。

 ここんちを買った理由は単純明快で表の表紙が「カードキャプターさくら」のさくらちゃん、裏の表紙が「YAT安心!宇宙旅行」の桂さんと個人的にツボな2人が抑えられていて、中身も両名がそれぞれにご活躍なさる話だった事が決め手。さくらちゃんはどこのサークルでも売り切れ必至な状況で、ワンフェスでも同様だったけど今の女性キャラ人気の大半を集中的に受けている感じがする。根強い人気の桂さん関係は他にも何サークルかで見掛けたけれど、良さげなのはやっぱり売り切れになっていたのが残念、とはいえ冬のコミケまで果たして今の人気を意地しているかとゆーと、今やってるセカンドシリーズの評判はイマイチだったりすることを考えると、なかなかに苦しい物があり、あるいは今回買い逃した事が後々までの悔いになる可能性もちょっと高そー。近くある即売会、「YAT本」探しに行こーかなー。

 それでも添乗員姿もバッチリ出てくるファーストシリーズが12月12日にいよいよSPE・ビジュアルワークスからLD−BOX化されることもあるから、あるいは冬にもう1度くらいの百合戻しがあるかもしれないとちょっと期待はしている。但しLD13枚組みで全50話一挙収録のLD−BOXはお値段も定価で6万3000円とちょっとヘヴィー。ノンテロップのオープニングとエンディングと全予告編が付くのは当たり前だとして、ブックレットとかで相当に気張ってもらわないことには、なかなかに食指も動かない。前に「はれときどきぶた」も出ることだし。おっと忘れていた映像特典としてはあのキャプテンロックが歌う演歌(じゃないロックだよ、いーもんいーもんどうせ僕なんか・・・)の名曲「星の舟歌」のミュージッククリップも付くそーだから、ごくごく少数とは思うけれどもロックファンは買いかも。本当だったら桂さんの子守歌クリップも欲しいけれど、聞いたら寝ちゃうから意味ないか。

 「週刊将棋」は当然のことながら1面から村山聖9段(死亡時は8段だったけど後に連盟から9段を贈られた)の追悼特集。2面に村山がまだ4段だった当時に撮られたとゆー例のアパートの室内の写真が掲載されていて、その乱雑振りに当時は唖然としたものの、今見ると「僕の部屋より綺麗じゃん」と思えてしまう当たりに短いよーで結構な年月を活躍していたんだなーと感じ入る。とはいえ大山康晴15世名人のA級在位50年を筆頭に還暦までは活躍できるのが将棋の世界、だけにやっぱりその半分にも満たない29歳での逝去は惜しまれて余りある。現役だと中原谷川羽生クラスの棋士が棋譜なんかを全集として刊行してもらえるんだけど、おそらくは将棋を勉強する人にとって時に脅威的なひらめきを見せた村山の棋譜を広く残す意味で、全棋譜再録の本なんかを出してやっても良いんじゃないかと思う。個人的には彼がどんなマンガを読んでいたのかを知りたい。天才の人となりを知りつつ自分との共通項を求めて安心したいだけなんだけど。

 聞いた話では昨日の会社では朝日新聞に掲載されていた「鳥取環境大学」に関する話題で持ちきりだったとか。何それそんな記事出ていたの? って人は心がまだまだ優しい人です何故ってこの「鳥取環境大学」って文字が出ていたのは朝日新聞の日曜日最大の読み物である求人欄。つまりは多くの人がそこん家のページを毎週食い入るよーに見ているってことで、求人動向から最近の企業のニーズを探り記事に結びつけよーとする新聞記者魂をそこに見た思いがする。すいません嘘です。しかしまた1人月末の退社が決まっていよいよもって戒厳令な様相のわが社、ついでに3階の本紙も空襲警報発令中で紙面の上で「景気回復通し」とか「失業率が上昇」とかって他人事みたいに書いてる場合かと、そんな声が下の方から上がって来る可能性がじわじわと高まっている。

 かといって「鳥取環境大学」の教員募集に応募するかってゆーと、ほら鳥取って砂しか無い県でしょ。住民は駱駝で移動しているしコンビニの変わりにオアシスがあって「CCレモン」しか売ってないって聞いてるし、ときどき蜃気楼とか砂嵐とかが発生して人心を惑わすらしーから、湿気の多い名古屋生まれの身には乾燥がお肌に悪そーな気がしてちょっとご遠慮したい。それにしてもこの大学、「社会環境学科」ってのは環境法とか環境経済学とかエコビジネスとか環境社会学とかいった分野を勉強するからまだ解るんだけど、「情報メディア環境学科」ってのがいまいち良く解らない。理系の立場から環境を研究するってんならまだ解る。けどこの学科で勉強するのって、見ると情報処理学科のカリキュラムに相当した内容らしく、科目は計算機とかプログラミングとか人工知能とかデータベースとかCGとかがズラリ並んでる。つまりは情報学科って縮めて言っても正解ってな科なのに、何故に「メディア」と「環境」を付けるのか、あるいは付けざるを得なかったのか、大学行政のそこに不思議さを感じる。浜松はどっちだったっけ?

 但し環境は環境でもはじめから「コンピュータ環境」であり「ハードウェア環境」で使う意味としての「環境」を、また記録媒体と言う意味での「メディア」を科目の名前に引っ張って来ているのだとしたら、それはそれで正しいので何とも言えない。んな莫迦なことがあるか? 環境っちゃーエコの事だろー? と憤れる人はきっとまだまだ世間がスキップでわたれると思っている理想主義者じゃなかろーか。この際背に腹は代えられないどころか背中さえも細って腹に変えよーの無い某マスコミでは、環境に続いてピンと地帯と靴に共通な世界で一旗上げよーとしてるから、どんな展開を行う腹積もりなのか、ちょっと聞いてみたい気がする。靴も地帯もピンも取材対象になっていたとしたら? それはそれでいよいよもって日曜日の朝日新聞を毎週毎日待ちこがれるって事になるわな。

 「がんばっていきまっしょい」の誉め記事を書く。ボート漕いでる写真も付けたけれどモノクロなんでブルマはよく解りません。冒頭から最近の会社員が10年先20年先の出世ばかりを伺っているのとは対称的に、「がんばっていきまっしょい」の女子ボート部の部員たちが17歳は1度きりしかない、だから精いっぱい頑張ろうとしているって話を枕に持っていったため、これは何かのアテツケかと勘の鋭い同僚記者たちから攻められる。無論そんな糸など9割しかなく、1割は純粋に田中麗奈さんのブルマ写真を載せたいがために記事化したまで。大きさも含めて読者のご期待に答えられるかは不明だけど、気が向いたら滅多に売ってないけどキオスクあたりで探してみて下さい。きっと苦労します。

 おっと送って戴いた田中麗奈さんサイト情報のメールを飛ばしてしまいました。ご返事かけずスイマセン。「lain」見ましたかあ? 何か陰謀が明るみに出て来てそーで、話が一気に転がり始めた感じ。密度の高さ情報の多さの割には説明の皆無さがいっそうの謎解きブームを招きそうで、ちょっぴりゲンナリもしているけれど、久々にアニメが結構な話題になりそーで、それは決して悪いものじゃなく、しばし議論の行方を眺めつつ、クライマックスへと向けて話をどう収束させるのか、お手並みを拝見して行きたい。小中千昭さん責任じうだい。しかしウエザーブレイクネタも飽きたのか今度は牛柄ゲイトウェイネタで来たか。これは相当にマニアじゃないと解らないと思うけどね。せめて来週は林檎にしましょー。


【8月16日】 死ぬほどに暑いなかを東京ビッグサイトに向かう。今日が最終日のコミケは午前11時半で行列こそ出来ていなかったけれど場内はなかなかの混雑振りで、それなりの活気が未だ続いていることを実感させられる。とはいえ東館から西館へと通路を移動するのでさえ結構な苦労をともなった去年の夏に比べると、多少は混雑が緩和されている気がするのは気のせいか、それとも来場者数の問題か。エスカレーターの下にとぐろが出来て4階に上がるまでに何分か待たされたのは去年の冬のコミケだったけど、エスカレーターが止まって外部の階段に回らされたにも関わらず、たいした行列は発生してなかったしなー。たぶんそのうちにそう入場者数が明らかになるだろーからそれで解るだろー。案外増えてたりして。

 取りあえず西館に行って「サリーガーデンズ」のブースで2冊ばかり購入。「ひみつの階段」の第1巻と第2巻がが偕成社から絶賛好評発売中で書店の店頭で探すのも難しい(売れたのか売ってないのか判別は不能だったりするけれど)紺野キタさんがやってるサークルで、新刊予告にあったロミオ本が落ちたみたいだけど、キャラキャラした「ひみつの階段」の世界とは違ったちょっぴりインビだったりする、女同士のアレな世界を描いた作品を読めたのが収穫だったかな。再録本を2冊買ってそのまま東館へと大移動して、今度は岡田斗司夫さんが出品したコミケ本「未来玩具」を1000円でゲット。持ってるロケットとモノレールと万博グッズの自慢をした本だけど、ピックアップされた品物の種類や数といい、つけられたコメントといいお宝資料としてのまとまり具合は十分で、見ているうちに夢の未来ににわくわくとし、エアカーとモノレールがビルの間を飛び交い行き交う絵を描いていた子供の頃の思い出がよみがえる。脳天気だったなー。

 後で再び寄ったら午後の2時を前にして用意していた本は完売。アスキーから予定していた2冊の出版が取りやめになったカバーは、これで少しは出来たかな。しかし完売の理由にこのところの知名度、とりわけコミケとゆーマーケットに集まる客層における知名度認知度の高さがあっただろーことは否定できないけれど、それだけでない中身を伴う本をちゃーんと出して来たところに、歳に似合わず何にだってのめり込める性格と、それを支えるだけの知識とそれからネットワークの分厚さ幅広さにはほとと関心させられる。「おたくは40過ぎてから」、なのかやっぱり。「宇宙未来編」とある以上はきっと続編なんかも登場してくるんだろーけれど、さて何になることやら。しっかしホームページの更新も滞らせながらの同人誌作りに本気でのめり込まれては、出版社の人とかで困る人も結構いるんだろーなー。

 東館ではそのままCHOCOLATE SHOPでCHOCOさんの個人誌を購入。値段に比してのボリューム感が嬉しい。44ページにある小学校6年生の卒業文集に描いた扉がすげー。東館では「フォトン」関連をあーだこーだと探して3冊ばかり見つけ、安かったんでまとめて買う。去年の11月にスタートしたシリーズも残り1巻を残すのみになったけど、評判の高さにしてこの盛り上がってなさはやっぱり問題があると思うぞ発売元のキングレコード。大月ブランドじゃないと売れないとでも思ってるんだろーか。ここはどーでも角川書店あたりに頑張って戴き、もうちっとメディアミックスを仕掛けてせめて「天地無用!」の半分くらいは本が出るよーになって欲しいですわ。売れないまんまの方が先週買ったフィギュアが貴重品になってそれはそれで嬉しいかもしれないけれど。

 客が1人もいなかったぞ「静岡大学デジタル文化研究会」。卓上に両隣のサークルの紹介を書いてあるでっかい看板が置いてあって、ちょっと見ただけじゃーそこにサークルがあるのかすらも解らない。それに第一何を売っているのか解らないのよ、よく見ると机の上にフロッピーが並んでいるのが見えるけれど、せめてそれに何が入っているのかくらいはプリントアウトして見せてくれないと、誰も買わないと思うぞ。売り子さんは何だか落ちつきなさげに上向いたり下向いたりしていて客が(っても俺だけど)がちょっと近寄っても目を合わそーともしなければ声をかけよーともしない。まあ確かに髭面にサングラスでおっかない顔はしてたけど、そこを突き抜けていかないとあれだけのサークルが出そろう場での自己主張は難しい。せめて助教授がいれば・・・とも思ったけれどいたらいたで「CCさくら」関係のエロ本パロ本ファン本を買い漁りに出払ってしまうだろーから一緒か。冬コミは「デジタル版わかば日記」でも売れば少しは客も集まるか。締め切り間際の原稿の督促に編集者が集まるって可能性もあるけれど。

 再び東館へと回って「青木光恵うさぱらーず」のブースへ。久々に見る小形克弘さんに挨拶しつつ、個展のカタログにもなっている「FRUIT PUNCH」を買う。1500円は最初高いかな、と思ったけれど開けるとオールカラーで個展に出ていたイラストが印刷されていて、イラストエッセイもいっぱいあってこれはこれでお買い得な1作と手に入れられた僥倖を喜ぶ。5月に東京で開かれた個展が9月23日から28日まで今度が大阪の日本橋駅徒歩2分にある「ギャラリー・スペースわかな」で開かれるとかで近所の人は見にいってみて下さいな。おっぱいの大きな女の子のイラストがいっぱい出てます。原画の予約もしていて値段は30000円から高くても54000円とまあそれなりのお値段。アートかどーかはともかくミスターの絵よりは真っ当ですし。36番の「アダルトmamyちゃん」が個人的にはお気に入りの1品。でもお金ないから買えないよー。

 ついでじゃないけど小杉あやさんの「あるまじろ日記」も同じブースで購入。そーか小杉さんて青木さん家のアシさんだったんだよな。中身はといえば飼ってたアルマジロについてのエピソードを描いた日記マンガに近いけど、飼育しているのがアルマジロって珍しい生き物だったりすることもあって、生態なんかが結構な勉強になりますわ。アルマジロって言えばグルリンと丸まる生き物って先入観があって、だからして背中は蛇腹がずーっと付いていると思っていて、それにしてはマンガのアルマジロは中央部分にしか蛇腹がなく、もしかしてこれは背中の保護のために小さな座布団なんかを荒縄か何かで巻き付けてあるのかと、思ってしまった私に非はあるのでしょーか。巻末の52ページでアルマジロ持ってるデカい兄ちゃんは誰やねん。

 コスプレ観察。「トライガン」は前にも何かのイベントで見た比較的1分の1に近い人を発見、見た中では彼が1番ハマってるけどちょっと気を抜くと布袋寅泰にも見えてしまう当たりが日本人の限界か。メリルとミリィのカップルも通路で見掛けたけれど、背が同じでやっぱり女性には1分の1は難しいみたい。けど意気は買いますやっぱりコスプレって他人の目ばかりじゃなくって本人のやる気が1番だからね。「VIRUS」はエリカとジョウイチロウ(女性)を発見、「星方武侠アウトロースター」は壮絶にグラマーなエイシャとかがいたなー。けど屋上テラスは日差しもきつくって、皆さん汗かきながら写真に撮られてました。夏ややっぱり「吸血姫美夕」がやっぱり涼しげでいーねー。


【8月15日】 夏風邪っぽくノドがジトジト痛くって、さてどうしようかと思っていたけど天気も涼しいんでコミケへと出向く。西船橋から武蔵野線のホームに上がると想像していたより少ない人出。昼前なんで既にしてラッシュのピークは過ぎてはいたんだろーけれど、新木場から臨海副都心線に乗って国際展示場で降り、ビッグサイトへと向かう間も行列は一切無く、一仕事終えて鞄に戦果を詰め込んで帰途に付く人たちとすれ違っては出遅れ感に焦燥の念を抱く。とりあえず東館と回ってしばし散策。通路が広く取ってあるよーに思ったのは気のせいだろーか、前回前々回の卓配置図と比べてみれば解るんだけど。その割には歩くのに疲れるほどの混雑もなく、一般マスコミも含めて世間が「おたく」に異様なまでの関心を示した(もちろん「エヴァ」の影響が大きかったのは言うまでもない)去年の夏あたりをピークにして、徐々に規模的にも熱的にも適正化しつつあるのかと推測する。最終日を見てみない事には何とも言えないけれど。

 別に欲しい本もないので適当に目についたものだけをペラペラと立ち読み。溝口ひとで人って何だかプロフィルを読むと若いのにハードな人生を送っている人のマッチョ劇画風「カードキャプターさくら」本を新刊を含めて買ってみたり、宇奈無英雄さんて人のやっぱりマッチョな北斗の拳風キャラクターで「ときめきメモリアル」をやったその名も「ときめきの拳」を買ってみたりする。ケンシロウならぬ詩織がセンチの戦士の1人で名古屋の修羅こと山本るりかと闘う巻頭の1話がキレてます。12人全部と闘う「センチ上陸編」、やっぱり無理ですかねえ。ちなみに「ときめきの拳」は巻末に例のパロディビデオに対する訴訟への言及があってなかなかに挑戦的。これ読んで「僕の硬派なケンシロウのイメージが損なわれた」なんて訴える輩がいたらそれはそれでオモシロいんだけど。

 女性に受けたいというパイオニアLDCの思惑や如何にと「時空転抄ナスカ」本を探すも見掛けたのは3サークルほど。それでも立ち読みした限りでは絵も綺麗で内容もしっかり男のキャラどうしがアレする話で、地方での放映とか衛星での放映とかビデオのレンタルとかセルとかが始まってお話が全国的に浸透すれば、冬コミあたりでもうちょっとイジられる作品になっていることでしょう。素人的には主人公の恭資と師匠の館あたりが中心になるのかと思いきや、見掛けて参考までに購入した本(何故か売り子さんが「ファイブスター物語」のファティマだったりしたのだが)はウラナリな眼鏡くんでオマケに髪型まん丸な大門宏ことオレホンが総受になった一冊。なめさせたい握らせたいいじめたいいたぶりたい等々、オレホンへの激しい愛情がページのそこかしこに溢れていて、女性の好みは解らなんと思いつつもこれなら僕にもチャンスがあるかもと、若ハゲなオレホンと我が身(とゆーか頭)を比べてちょっとだけ安心する。んなことないって?

 そーゆー楽しみ方があるのなら、もらったビデオを見返してみるのも面白いかと思いつつ、パイオニアLDCと言えば一部に話題沸騰中の「lain」本を探すも、流石に番組が始まって1カ月ではキツいか、とあきらめかけていたところにコピー誌で1冊だけ発見。時期が時期だけに、ペン入れ前のコマ割りとネームの下書きって感じの本だったけど、リアルとバーチャルが交錯する「lain」の雰囲気を作者なりに解っている範囲で解釈してあって、意外やそんなところへと本編も落ちつくのかもしれんと啓蒙される。裏表紙のコート来てうつむき加減に佇む玲音の絵なんかちょっと良いです、あと奥付の熊ちゃんマーク付の帽子(本ページのカバーガールと同じやつ)を被った玲音の絵とかも。しっかりペン入れされたバージョンも読んでみたいですね。夏カゼな小中千昭さんが頑張ってる本編も折り返しに来て、このまま失速せずに話が終わった後の冬コミじゃー、もっともっと増えて来るだろー。期待してます。

 コスプレ広場には面倒だったんて出なかったけど、西館の4階の企業ブースをウロウロしていたらナスカのヤワルが歩いていたのを発見、でも女の子だったから胸板が厚くって結構ドギマギさせられましたわ。全身タイツは暑いだろーに。ここんところ人気上昇中な「トライガン」関係は結構な数いたよーで、1割引き2割引きのヴァッシュを何人かと、規制の関係でスイスの国旗にある十字のよーに小さく短くなってしまった十字架ライフルを背中にしょってた姿が結構情けないウルフウッドとかを発見。でもメリルとミリィのデコボココンビは終ぞ見掛けず、女性であのタッパはさすがに挑戦が難しいのかと推測する。マント姿なんで2人して肩車すれば出来ないこともないんだけど。あるいは竹馬を履くとか。ブギーポップも見掛けなかったけどテラスにはいましたかぁ? 昨夏はゾロゾロと歩いていたウテナが減ってCCさくらが増殖中は盛者必衰の理を現してんでしょー。アキハバラ電脳組はどーした?


【8月14日】 何日かぶりに寄った東武の旭屋書店が様変わりしていて吃驚。馴れでだいたいどこいら当たりにどぎゃんな種類の本が置いてあるかと覚えているから、模様替えされるとまずは配置を点検しなくちゃならず結構疲れる、けど興奮する。つまりはどんな本を売りたがってるのかって事が解って面白いんです。今回の改装の目玉は通路側に出した新刊話題書の平台で、見ると芸能ノンフィクションフィクションビジネスあたりがまんべんなく並べられて、一種のショーケースの役割を果たしている。が依然は結構まとまっていたよーなSF関係がミステリーに埋没してしまった感じでSF人(えすえふびと)としてはちょっと哀しい。とりあえずはオタク本のコーナーで清谷信一さんの「ル・オタク フランスおたく事情」(KKベストセラーズ)を購入。安田ママがレジ打ってた。

 さてもこの「ル・オタク」はタイトルそのままにフランスのオタク業界について書かれた本。清谷さんって軍事ジャーナリストの人なのに何でまたオタクの本を、と思って読んでいたら昔「スタジオぬえ」とか「セントラルアート」とかで仕事をしていた人らしくなるほどと納得する。表紙からして女ハーロックにモノホンなパツキンのセーラームーンに敬礼する一条輝早瀬美沙、ウィングマンにらんま1/2のうっちゃん他、コスプレが散りばめられていきなりの濃さを発散している。セラムン関係が多いのはやはり人気があったためか。ミニスカートからのぞく脚がみーんなスラリと長くって、テレビもまんまに抜け出して来たよーな等身で迫って来る。土台はやっぱりパリジェンヌにはかなわないと打ちひしがれる人も多いだろーけど、魂じゃーこっちが勝ってるはずだから決して「6頭身バージョンだもん」「SDキャラだもん」なんて言い訳する必要はないぞ、日本人よ。

 ところがどーして魂でもフランス人は結構な所まで行っているよーで、日本語を覚えて日本語のコミックスを買い改竄されるストーリーには文句をつけフランスのオリジナルに変えられてしまった主題歌を日本のオリジナルに戻せと訴える。それはもう日本以上ののめり込み具合だとか。とりわけ秀逸なのが岡田斗司夫さんの「TVブロス」の連載でも延々数回に亘って紹介された自称”フランス1のオタク”ことセバスチャン。日本人と見るやあう人あう人のすべてに「ハヤシバラメグミィ」と言って微笑む彼が実に写真入りで紹介されていて、見かけはローワン・アトキンソンで立ち居振る舞いは「ミスター・ビーン」なその姿を拝むことが出来る。フランスのTV番組にいかに林原めぐみが素晴らしいかを独演する姿を精神科医からアレされてしまったとかで、フランスにおけるオタクのネガティブイメージを一身に背負って今日も誰かに向かって「ハヤシバラメグミィ」と言っているんだろー。しかしその程度で精神科医からアレな人と言われてしまうのなら、日本からソレな人が大挙して押し掛けた場合、きっと精神科医も自我崩壊を起こすだろーな。やっぱ魂は日本の方がまだ上だ。

 なるほど下敷きが流行っているとは思いもよらなかっったフランス事情。日本じゃーどこか実用文具の延長めいてとらえられている感があって、同じ実用性ならクリアファイルの方がなんだか人気があるよーな気がするけれど、フランスじゃーキャラクターが描かれた下敷きのコレクターが、結構な数いるんだとか。トレーディングカードよりも大きく絵が綺麗でポスターよりは小さく収納が楽。おまけにプラスティックか何かで的でいるので折れたり曲がったりせず水に濡れてもふやけたり破れたりしない耐久性は、キャラクターグッズとしては究極の存在と言えるのかもしれない。ちょうど先だって「機動戦艦ナデシコ」のルリルリ下敷きを買ったことだし(買うなよいい歳して・・・)、これからはちょっち下敷きでも集めてみるか。んなこと言ってると、ブロッコリー当たりでトレーディング下敷きとかが出て来るんだ、きっと。

 世界はコミケ1色(僕的な世界に限定されるけど)に染まっているにも関わらず、サラリーマンはえっちらおっちら仕事に勤しむ、と突然のPメールに「コミケでボヤ?」とか入っていて、職場に何故かある時事通信(当たり前だが新聞社なんだから)を眺めると、おおあった何々昨日午後9字頃にコミケに置いて合った段ボールが発火したとかしなかったとか。前々から何とかゆー団体から爆破の予告が送られて来ていて、警察では威力業務妨害の容疑せ操作を開始したとゆー。これが本格的な爆発だったらとり・みきさんの「DAIHONYA」だったのに、なんて残念がることはせず、もしも大勢の来場者があった今日だったらパニックの心配もあったと、不幸中の幸いをとりあえず喜ぶ。明日はともかく明後日は午後あたりから散策している予定なので、もしも再びな事件があったらちょっと怖いかも。ピューリッツアー賞も欲しいけどやっぱり命は惜しいからね。どうせやるなら犯人さん、僕がいない明日のうちにドッカーンと・・・やっぱりいかんよテロはいかん。


【8月13日】 和田はつ子さんの書き下ろし大長編「かくし念仏」(幻灯舎、2200円)を一気読み。安藤昌益って江戸時代の偉績を辿るいざこざに巻き込まれた、ロシア人とアイヌの血筋を受け継いだ青年助教授が、やがて自らの血の秘密にも関わる深淵な陰謀へからめ取られていく壮大な物語は、3部に別れて最初が未亡人との淡い恋、2部が函館の女子高を舞台にしたキリスト教的信仰が絡んだまるで新本格ってなシチュエーションのけれどもどっちかてゆーとサイコサスペンスに近い物語が展開され、それぞれが1冊の小説として成り立ちそーなボリュームと質を誇っている。夏の昼長をクーラーの効いた部屋で読んでいると、あっとゆー間に日が暮れるからちょっと注意が必要です。

 けれども何故に主人公が狙われるに至ったのかがすべて明かされる第3部を読み先の第1部、第2部をも包含する壮大な地球規模の犯罪が浮かび上がって来るに従って、面白さは3倍どころか3乗倍へと膨れ上がってくるから流石なもの。いささか早足なエンディングに何故にそこまでして七面倒くさい段取りを踏んだのか、心理的な分析がきまいち足りないよーな気がしたけれど、そこはキレちゃった奴の考える事は解らないってことで、とりあえずはめくるめくサスペンスの世界へと、耽溺してみてはいかがかな。どこか頼りなさげな雰囲気の助教授が犀川っぽくって流行なのかと思わせる、けどワトソンは萌絵的ってゆーよりは「シティーハンター」の冴子(だったっけ)的なキレ者女刑事。この2人が東京だろーと札幌だろーと実にあれこれ食べる場面が頻出するのは、作者の来歴と何か関係するところがあるんだろーか。

 ついでだ早稲田文学に書いた「プツン」がコピーの三田と謂れの深い三田誠広さんから激賞されたまきの・えりさんが実に6年もの歳月をかけたっちゅーかその間かけなかった時期も長かった小説「聖母少女」(KSS出版、上下各1300円)が発売。これも1500枚の大著だけどやっぱり読み始めたら止まらず、行きと帰りの電車と家での時間をたっぷり潰してやっぱり一気に読み上げる。美人で頭脳明晰な少女が実は格闘技にも長けていて、ボクサーとしてデビューしてエキシビションながらも男のボクサーを圧倒的な強さで倒していくってシチュエーションだけで成功は約束されたよーなものだけど、そこだけにお話が止まっていない、ってゆーかむしろ彼女を半ば狂言回し的に使って別の少年のボクシングを通した成長物語と、男たち女たちのボクシングをめぐる愛憎物語を描いている点に、物語としての奥深さ幅広さが出て読んでいる時間を全く飽きさせなかった。

 美女が「カカカ」と笑う場面も含めて、セリフがおおむね関西なのがお話に軽快さ暖かさを加えていて、これもありきたりのヤングアダルト的美少女大活躍物語に止まっていない理由となっている。少女の美貌と頭脳と関西弁をすべてフォローできる逸材がいれば、是非とも映像化を望みたい作品だけれど、男どもやらジムの会長ほかボクサー関係は調達できてもボクサー少女にぴったりの女優がなかなか思い浮かばない。ゼイラム姉ちゃんは歳とりすぎてるし、吉井怜じゃーアクションは無理。「スーパーヒロイン画報」(竹書房)の面々はすでにして古典だしなあ。まあオーディションによって見つかる可能性もあることだし、ここはすべての映像ソフトを司る人々は、すぐさま出版社なり作者の元へと日参し、映像化権の奪取につとめてかつ近々の映像化を実現したまえこれは命令だ。版元がビデオ関係の会社なんであるいはそっちからすでに話が言っているのかもしれんなー。

 オーディションと言えば度重なるオーディションでもピッタリの女優が見つからなかった作品で急遽呼ばれて見事合格した田中(なっちゃん)麗奈さんが主演を務める「がんばっていきまっしょい」を試写で見る。お盆前にも関わらず試写室は満杯になっていて、かの周防正行監督がプロデュースし、「Shall we ダンス?」を作ったアルタミラピクチャーズが製作した映画故の話題性から来る大入りか、あるいはヒマに明かした映画人がとにかくやってる映画なら何でも見てやろうと集まった結果なのか、関係ないところにまで試写の案内が行っているのかなどとあれこれ考える。どう見ても中学生くらいにしか見えない女の子が入っていたりしたからね。岡田会長は流石い今日はいなかったけど。

 さて肝心の映画だけどもう五重丸を5回重ねてプレゼントしてやりたくなるくらいの良い映画。何ったってブルマー姿のまだ胸薄い女子高生がふんだんに出て来て、時にはボートを漕ぐために足をちょっぴり広げて踏ん張る姿勢まで見せてくれるんだから、僕的には一切の文句のつけようがない。着替えシーンの覗きもバッチリ、他にも日焼けした足と日焼け漏れしたブルマーの下にある白い足との色の差が、ブルマーの裾を挟んでチラチラ映るシーンがあって、これはもうおじさんビデオが出たら文句無しでマストバイして、ついでに大型テレビも買って大画面にかぶりつきで細い足薄い胸を観察すること確実だあ。

 などと9割の本音を含む冗談はさておいて、映画としての「がんばっていきまっしょい」はそんな男共の欲望の対象としてだけではもちろんなく、かつて女子高生だったことのある、何事にも一生懸命に頑張っていた女性たちに圧倒的な支持を受ける映画になることは確実だろー。入学前に海岸で見たボートの勇姿に憧れて、新入生が男子しかなかったボート部に女子部を作って練習を始めた少女が、挫折し立ち直り優秀なコーチの指示を受けて成長し・・・・って実によくある物語。けれども主演の田中麗奈さんを含め、ボート部に入る面々の実に自然な方言まじりの演技にいつしか引き込まれ、幼なじみの主人公たちのが照れからかプライドからかなかなか好きだと言い出さないどかしさにイライラしつつも、絆(ほだ)され励ましたくなる。琵琶湖行きをかけたレースの場面で万年ドベだったボート部が成長した姿を見せる場面に至っては、あまりにもベタな故にかえってジンジンと胸を激しく踊らせる。タイトルにもなっている「がんばっていきまっしょい」のかけ声を、決戦に望む少女達が言う場面、ホント体がゾウゾクしたよ。

 5人では悦ねえこと田中麗奈のほかにヒメとあだ名される清水真実がなかなかの美人ぶりを見せていた。あとファッション関係を経て石井聰互監督の「BULLET BULLET」やピーター・グリーウェイの「8 1/2の女」にも主演している真野キリナのほどよく抜けたツッコミ振りが最高。撮影時にはたぶん19歳だったにも関わらずの女子高生ぶりは、単なる薄さだけではない天性の演技力(演技なんてしてなくってあれが地なのかも、とすればなかなかに痛快な娘だなあ)の賜だろー。イモッチこと久積絵夢のボケぶりは、海岸で走っていく最後に両足あげて前につんのめる場面にすべて凝縮されてます。

 過剰な演出とも無縁、華美な音楽とも華麗な女優とも無関係、だけれども故にほのぼのとやがてわくくとそしてしんみりと、心の奥からそう感じさせてくれる良い映画に仕上がっている。おかしいところでは笑いが起き、一生懸命の場面では場内の気も張りつめる。2時間という邦画にしては長尺であるにも関わらず、ラストまでを短く感じたあたりにも、脚本のうまさ演出の冴えが隠れているのかも。試写が終わって出口付近にいたアルタミラの白髪鬼こと桝井省志プロデューサーも客の入りに満足そうな表情。来月12日の松山での先行公開を経て、10月からの都内公開もきっと成功するだろー。少なくとも薄者ファンにとっての見所満載だから我が同好の士は見逃すなよお。当然僕も行く。目的は・・・聞かないでね。


【8月12日】 さらになおいっそうの人減らしな予感を受けつつもゲショゲショと仕事。もはや世界は終末への道を確実に歩んでいるよーだけど、んなことはお首にも出さずに会社では見かけ陽気な莫迦を演じている。とりあえずはナムコが京都の四条河原町で運営していた「ナムコタワー京都」がリニューアルしたって話なんかを記事にする。なんでもこの店はアダルトーな雰囲気にして入り口なんかディスコーってな感じになっていて、最初は結構繁盛していたんだけど最近のこの不景気で客足もぐぐぐっと途絶えていたんだとか。それはまずいってことでぐっと若者向けのお店に変えて入りやすく金も使いやすくしたってのが今回のリニューアルで、京都在住の人なら見れば瞭然、軒先にはパックマンの像が立って「ナムコの店だよー」ってな事を声高に(喋らないけど)主張しているのを確認できるだろーし、中に入ればプロレスのお店にクレープのお店にバービー人形のお店にマンガ喫茶と、まあこりゃいったい何のお店だろーってな印象を確実に抱く事になるだろー。マンガ喫茶はフードにドリンクの持ち込み可とかで、ご近所の人は時間つぶしや待ち合わせに如何? 3万冊もあるマンガのセンスが偏ってなきゃいーんだけど。地元の人、寄ったら教えて。

 トミーからはかの「トミカ」と「プラレール」のカタログをネットでも公開したって話。っても一部の商品の画像を紹介してるってんじゃなく、小売店なんかで配っている毎年発行の人気カタログを、印刷にも使える画像データのまんまPDFにしてアップしてるってんだから豪毅だ。重さっていったどのくらいなんだろー。聞くところによるとこのカタログは1万部が発行されているんだけど、何せトミーでも屈指の歴史を誇る商品だけに今も昔も根強いファンが多くって、カタログは品切れとなり「欲しいんだけど」ってな問い合わせが年に3000件もあるとか。ならば折角ネットもあることだし、カタログまんまアップしちゃえってのが今回の電子カタログ制作の理由。データとそのまま移管すればオッケーだから、新しくホームページ用にレイアウト組み直す必要もなく手間もかからんて寸法だ。手抜き? ってもやっぱりファンとしやーまんまカタログが欲しい訳だから、これはこれで需要があるのかも。幸いにして貧乏だったんでトミカもプラレールも買ってもらえずファンにもなれず、カタログに一向に食指が伸びないからそこいらあたりのことが良く解りません。プラレールファンにトミカファンの人って、そこまでしてでもカタログ、欲しーんでしょーか。

 ハドソンからは名前忘れたゲームボーイ用の新作ソフトの記事。なんでもプレーヤーは大家になって店子の育成をするって内容とかで、遊んでやったり面倒みてやると子供の相談をしてくれたり生まれた子供の名付け親になったりできるんだと。挙げ句に店子の子供が大きくなった時の職業にまで影響するってんだから大家の仕事も楽じゃーないけど、しかし今日日のマンションとかアパートとかで、ここまでして店子の面倒を見てくれる大家がどれだけいるんだろーか。長屋の時代には当たり前だった、んでもってちょっと前の近所づきあいが生きていた時代なら何となく肌身で理解できたこーゆーコミュニケーションを、プレイする子供たちはファンタジーか何かとして受けとめるんじゃないかって、そんな気がしてならない。ってことは「めぞん一刻」なんて管理人と下宿人の関係ってのもファンタジーなのか。いや美人の未亡人の管理人ってのは何時の時代でもファンタジーだけど、ワンルームマンションなんかが当たり前になってくると、マンガの持つ同時代的な重さってのも、やっぱり伝わりにくくなるんだろーなー。21世紀まで保つか「めぞん一刻」の神通力は。

 時代の神通力とえいえば大森キネカの1000円デーを上手くつかって見た「プルガサリ」でも感じた事が多し。何かねえ、皆さん四六時中笑ってるんですよ、怪獣がちょっと可愛いしぐさを見せたり、明らかにスクリーンに映った怪獣をバックに人々が歓喜の雄叫びを上げているバレバレな合成の場面とかで。もちろん稚拙な撮影技術にお約束のよーなシチュエーションに「お約束だー」と笑うのも悪くはないんだけど、何か楽しいから笑うんじゃなくって笑うことを楽しんでるって雰囲気があって、映画が語るメッセージをくみ取ろうって愛ある姿勢がどこかすっぽり抜けてるよーな気がして仕方がない。怪獣映画が当たり前に公開されていた時代だったら、極めて真っ当な「大魔人」的農民が圧政に苦しんで一揆を起こしてでも失敗しそーになってそこの神の使いが現れて権力を倒して去っていく、ってかんどー的な話なのに、それが陳腐と思われて、とゆーか陳腐を思うことがカッコ良いよーに思われてゲラゲラと笑われてる。怪獣映画を讃える神通力が落ちてるらしー。僕もおかしい場面では笑ったけどね。

 そー言えば何かの映画を見ていた時に、流れた「燃えよドラゴン」の予告編で学生らしい男の子がゲラゲラ笑っていた場面に出くわした事があった。僕らの世代にとってはカッコ良いとはあーゆー事だな「アチョー」の奇声とアクションが、今の子供たちにとっては江頭2:50分並な変態アクションの男にしか見えないらしー。同時代の神通力が隔世によって様変わりするって1つの例ね。幸いにして戦隊物やら巨大変身ヒーロー物とかは継続的に放映されてて笑われる対象にはなってないみたいだけれど、やがて世代を挟んで1人の男が巨大な全身タイツの仮面マンに変身して何やら奇妙な生き物を「ター」とか「トー」とかいってプロレスする番組を、何かの冗談だとゲラゲラ笑いながら見る子供たちが出てくる事になるんだろー。そうなった時に初めて、「プルガサリ」を何かの冗談と笑う子供が大きくなって今の僕と同じ違和感を感じるんだろーね。

 さても肝心の「プルガサリ」だけど、あれが朝鮮民主主義人民共和国とゆー国の体制なんかを気にせずに言えば、現代文明と戦争に関する極めて示唆に富んだ重いテーマを含む物語だった。初めは農民たちに見方していたプルガサリも、鉄を食べて大きくなるって習性が禍して最後は農民たちの大切にしている農具までをも口にしなくてはいけない。国内の鉄を食べ尽くした果てにあるのは海外への侵略のみ。結局は圧政をしいていた権力者と同じ道を歩むと理解した時にプルガサリの恩人とも言える女性が取った行動は、神々しさを発して場内のクスクス笑いを吹き飛ばし、神妙な表情へと変えた。入場を待っていたときに場内から出てきた前回の観客が一様に神妙な顔をして黙っていた理由がこれで解った。

 特撮は貧相で俳優も女優はともかくヒーロー役の男優なんかまるで橋本慎也って感じの肉体派。ラストの戦闘シーンでプルガサリの襲われた宮城の場面で明らかに観光客向けと思われる矢印付の看板がチラリと映っていたりするのもご愛敬だけど、強大な武器が実は諸刃の剣であるってな映画が語るメッセージの重さでは、最新の特撮を駆使して多額の資金と投入して製作された米国版「ガッジーラ」でさえかなわないかもしれない。少なくとも資金なんて何10分の1すらもかけていないだろー。同じ大森キネカにある隣りのスクリーンで当の「ガッジーラ」が上映されているのは何かの因縁か、あるいは荘厳華麗になったのと反比例して中身が薄まった「ガッジーラ」への、せめてもの当てつけなのか。とはいえ実はまだ見てなかったりする「ガッジーラ」、なので取り急ぎ近日中に見てみよー。まだ当分上映するよね、東宝も、意地になって。


【8月11日】 荷物は無事届いていたよーで何よりな「lain」の第6話を早起きしてビデオで見る。何だか知らないうちに魔窟と化した玲音の部屋は冷却装置に空気中の湿気が水滴と化して下に溜まったらしく入ろーとした決して後藤隊長ではないお父さんが足を踏み出すと靴下をピシャリと濡らす。あれだけ溜まってればきっと下の部屋は雨漏りがして大変だろーと思うけど、1人であれだけの装置を組み上げた玲音のことだから、きっと床をはがして防滴工事もしっかりやってあるんだろーなー。熊ちゃんのニッカボッカー履いて熊ちゃんのヘルメット被ってセメント塗り塗りしてる玲音って、ちょっとかーいーかも。昼のドカ弁も箱が熊さんだったりして、ね。

 それはさておきワイヤードのレインとリアルワールドの玲音が次第に一致し始めたってゆーか、ワイヤードのレインが顕在化して来た展開に過去の何やら爺さんによる実験も絡み、それが15年の時を経て子供たちに何らかの影響を与えているらしいって事が明らかになって、お話は観念的なリアルとバーチャルの邂逅から、俄然SFチックな要素を帯びて来る。レイン=玲音が何故に選ばれた人間としてリアルとバーチャルの双方を行き来しつつ謎を探っているのかが未だ判然とせず、その当たり目覚め掛けた玲音の姿に愕然とするお父さんの表情から、こいつ昔何かやったな、って当たりが読みとれる。あるいは過去の発明をほじくり返して世の中の子供たちを誑かしているナイツのもしかしてお父さんも一味か。

 子供が見上げる空を上目遣いに見る玲音の表情がなかなか最高。絵も盛り返し、お話も謎の博士の登場で一気に転がり初め、再びのメン・イン・ブラック登場でいよいよ後半戦へと突入していく訳だけど、すでにリアルワールドの(つまりこの現実世界の)ネットでは(つまりインターネットのBBSやらパソコン通信のフォーラムでは)、お話の原典探しや謎解きが始まっていて一時の「エヴァ」騒動を思い出させる。騒動の規模では匹敵にならないし論争もまだあまり起こっておらず、アニメ雑誌も本家のAXをのぞけばほとんどが無視ってな状況では、ブームに火がつくこともそれほど期待できない。にも関わらずのコメントの多さを寧ろ誇るべき、なんだろー。個人的にはそーした見方は面倒くさいからあんまり好まず、まあ言ってしまえば間抜けなんで頭が働かないだけなんだけど、だらーっとグルーブ感ってゆーかお話のうねりに身を委ね、不思議感覚の中でラストまで連れていってくれたらいーなーって思ってる。予告の姉ちゃん、足太ってー。

 哀しい、というより寧ろ悔しい。「怪童丸」として名を馳せ、ヴェテランの棋士をして「終盤は村山に聞け」とまで言わしめた将棋界の俊英・村山聖(さとし)8段が8日に死去していたという。享年29歳はかの天才・羽生善治4冠王より1歳上で佐藤康光竜王、屋敷伸之棋聖らとも同世代で、括って10年ほど前に「恐るべき10代」「チャイルドブランド」と呼ばれた一群に、当然の事ながら村山8段もその筆頭クラスで顔を並べる。実力たるやかの羽生4冠王を相手に6勝8敗うち1つは今年4月の入院後の大局であったために不戦敗と、およそ5分の成績を残しており、幼くして腎臓を悪くして以来、病気がちで体力的に厳しい中での羽生相手の差し訳は、まさに羽生以上の天才、という称号すら相応しいかもしれない。

 病気の故か丸々と肥満した体を小さくかがめて、将棋盤に食いつくように胸を寄せた姿を幾度かテレビの将棋番組で見た記憶がある。最近では3月末に放映されたNHK杯決勝で、先述の羽生4冠王と大局して惜しくも破れた姿を見た。A級復帰が決まっていたにも関わらず、悪くなる体に4月以降の休場を決心した時点での大局は、おそらくは再発した膀胱ガンが全身に転移して相当な痛みを伴っていたであろう。にも関わらず並みいる棋士たちが参加する棋戦で勝ち抜いて時の人・羽生と戦う場面へとこぎ着けたその将棋への思いたるや、「執念」という言葉すら軽々しく思えるほどの重く激しいものだったろう。大局後の感想戦で、コロコロとした顔立ちには似合わないものの、歳相応の大人の声で羽生と会話していたのが、今となっては懐かしい。

 先に挙げたチャイルドブランドの面々が次々とタイトルを獲得して、棋界の頂点を極めようと琢磨している中でただ1人、幾度のタイトル挑戦を経ながらも無冠で終わった事と、時に何10時間にも及ぶ大局で磨耗する体力との関係を結びつけることは難しい事ではない。もしも、という言葉が許されるならば、村山8段がもしも健康な体を持っていたら、羽生、佐藤、屋敷、郷田、三浦、丸山といった同輩後輩の面々にいささかも劣ることなく、14歳にして棋士となり名人竜王の2冠を極めた羽生は別格としても、佐藤あるいは屋敷の上を行き1度ならずタイトル挑戦を果たし、うち少なくとも1つはタイトルの奪取を成し遂げていたであろう。将棋を知らない身にはその棋風のどこが他と違っていたかに言及すること能わずだが、風聞とそして勝率6割4分5厘という全成績から察するに、おそらくそれは事実だろう。

 優等生気質の多い若手棋士の中でも異色の存在で、部屋には少女漫画少年漫画が山のように散乱し、着る物にも無頓着で部屋には薄い誰もが家に1つは持っているような簡易型の将棋盤を供え、日夜研究に励んでいたという図を「週刊将棋」か何かで見たことがある。他を圧する強さを持ちながらも、同年代になお一層の才を持つ人材が結集したが故に不遇をかこち、為にギャンブルに勤しみ不遇を紛らわせてい先崎や屋敷を無頼と呼ぶのだとすれば、村山にはむしろ修羅という言葉こそが相応しい。修羅として己が命が削れていくのも承知で、一心不乱に将棋の道を極めんと欲した。先を行く羽生、佐藤らに遅れた分をいつか取り戻せると信じて、全身がガンに冒されていると知った4月以降も、棋譜を取り寄せては見入っていたという。薄れ行く意識の中で将棋符合をつぶやいていたというエピソードは、たとえ将棋を知らない者でも何か心打たれるものがあるはずだ。

 中原永世棋聖の問題で凋落したかに見える将棋への信望の中でも、その風貌に似合わず高潔な文字どおりの「棋士道」を貫いた村山8段に棋界は何でもって報いるか。存命ならばおそらくは枡田幸三、芹沢信雄、米長邦雄といったアンチヒーローの系譜に連なる棋士として、あるいは加藤一二三のように孤高の存在として熱狂的なファンを得、新たなファン層を獲得するだけの魅力を発揮したであろう村山8段の「無念の投了」(サンケイスポーツより)をどのように悼むか。先の中原問題、米長問題の時を思い出せば明白なように、メディアなどのとりまきも含めて、およそ閉鎖的なムラ社会である棋界にとって、不謹慎な物言いだが羽生の活躍以上に大きなアピールのチャンスだ。村山8段の偉績を広く一般に知って貰う努力を、ここは棋界にもとりまきのメディアにも求めたい。一助になれば嬉しい。

 村山とか羽生なんかを見ていると、「神童」という言葉は安易に使うべきではないんだよなって思うけど、新聞はどーやらそーやってヒーローを作るのが好きみたいで、今はさしづめ小説界の「神童」として、先に「新潮」8月号に掲載された「日蝕」でデビューした平野啓一郎さんを「三島由紀夫の再来ともいうべき神童」として持ち上げようとしている。23歳にもなった立派な成人を捕まえて「神童」もなにもないとは思うけど、小説は言葉遣い漢字遣い知識内容文体のどれをとっても近年では異例の出来だと言えないことはない。難しい漢字遣いはルビがないと読めないし、難しいキリスト教的テーマは知識がなければついていけない。何より何を言おうとしているのかが理解できない。

 それってつまり小説が下手なだけじゃん、と突っ込まれるのは承知で半分同意もしたくなるけれど、「夕刊フジ」に掲載されたインタビューで「言葉で表現不可能な超越的なものにふれるために芸術作品がある。その何らかの超越的体験を読者に与え世としたのがボクの出発点」「観賞する側にも努力が必要」「抽象絵画でも一目では解らない。一度読んだだけですべてが解ってしまうような面白さは、ボクは信用していないんです」なんて事を言っているのを聞く限り、どーやら「物語」を文章によって紡ぐんじゃなくって、ことばと文字によって1つのアートにも似た世界を見せようとしてるんだと理解できる。ってことは小説として読ませ理解させる努力を一切排除してあっても、文句を言う筋合いじゃないってことで、所詮はエンターテインメントな物語派の僕には、手に余る1本とここは判断保留を申し渡す。少なくとも文章があり物語があった三島由紀夫とは、多分異質の才能だと思うけどね。

 ギャガの試写室で「クロスゲージ」を見る。湾岸戦争で10歳の子供を狙撃することを拒否して上官を誤って殺してしまい死刑判決を受けた主人公が、謎の組織によって救い出されて仲間にされて薬品メーカーのトップの暗殺を申しつけられる。仕方なく応じた主人公は当日大統領夫人と病院なんかを回っていた薬品メーカーのトップに銃を向けるが、その時別の場所から発射された弾丸が大統領夫人の胸を貫き、逃げた彼はそのまま犯人として追われる身となる。事件の場面をたまたま撮影していた女医も、テープをめぐって謎の組織から追われる身となり、やがて主人公と邂逅して無実の罪を晴らそうと動き出した。

 なんだかありきたりのエスピオナージ的ストーリーに、時たま交じるギョッとさせてホッとさせるジェットコースターのような手法、言葉のギャグにシチュエーションのコメディも盛り込まれて全体にチープな印象を受けるけど、それでも次から次へと立ちふさがる難題を苦労しつつも鮮やかに解決していく主人公の活躍には、テンポの良さも相まって全く退屈しなかった。海兵隊上がりの元死刑囚が鮮やかにインターネットやパソコンを駆使して謎を探る場面には、それだけアメリカでインターネットにパソコンが浸透していることが伺われる。見て楽しめる一品。主演と脚本とプロデュースがバラエティーなんかで活躍しているとゆーキーネン・アイボリー・ウェイアンズ、敵方のトップがご存じジョン・ボイト。これが初の大役とゆー女医役のジル・ヘネシーは盛り上がった胸の形が最高で、これだけでもホント存分な価値がありますね。10月から公開予定。


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