縮刷版98年5月上旬号


【5月10日】 久方ぶりに「DTエイトロン」の第4話を見る。いちおー最初から録画はしているんだけど、番組の放映時間がむちゃくちゃなんで適当な空きビデオに3時間とかゆー真夜中の番組ごと録画していて、それも手近なビデオに適当に録画している関係でどこに入っているのか探すのが面倒で、第2話と第3話は実はまだ見たことがない。従って弱っちーと評判のメインメカ(メカなのか?)の「エイトロン」もまだ見たことがなく、何を考えてか「AX」が見開きで組んでいる記事に登場しているご尊顔に、逆さ富士みたいな頭の形がまるでアニメ版の「幻魔大戦」のベガやんけ、おまけに赤いマフラーなんてあんたは島村ジョーかいな、などと入らぬツッコミを入れてみる。

 それはおいても、1発目で見えた管理社会とそれに反旗を翻す勢力との狭間で自分を取り戻し成長していく少年の物語、なんて物語の大枠自体は間を2話飛ばしてもあんまり変わってないよーで、今回は地下の浄水施設にリターナーと呼ばれるドロップアウトした人々が集まって、データニアと呼ばれる都市に住む人々が企んでいる市民の大量リセットを阻止しようとちょっかい出しているところで終わり。予告では浄水施設を囲んでいたデータニアの兵士にリターナーたちが捕まって、これは大変大ピンチってな展開になるみたい。

 その後の展開を予想すると、例えば管理社会から逸脱して少年が成長していく流行の言葉で「ビルトゥングロマンス」を見せるのか、あるいはデータニアとリターナーという2項対立を仕組んださらに上(マザーコンピューター、オーバーロード等々)の存在がいて、対立の中からより環境に適応した新人類を生み出そうとしているってな「孵化器」の物語を見せるのか、とまーいろいろと考えようはある。どっちにしたって過去にいくらも類のある展開だけどね。

 オープニングのカッコ良さとは対称的に実になんとゆーかSFの人にとって「ありきたり」の設定とか、先に言ったよーな主人公メカ(メカなんだろーか)のお茶目な形状と振る舞い(なんか途中で力尽きるんだって)とかってのが、通でなるSF系の人たちにはことのほか評判が芳しくなかったよーで、「先だっての「SFセミナー」で一生懸命(眠いのを我慢して)夜の講座(古本の自慢話)を聴講している時に、ブルブルと震えた我が「たまぴっち」にカラオケ番長が「エイトロンハドノヘンガオモシロイノ」「ミズタマトオノウエガキイテル」なんてPメールを寄こして来た。

 凶悪なメンツの揃った古本大自慢の会場で、こっそりPHSを隠しながらも返事を送ろうとして、実はその時はハタと悩んで明確な答えが出せなかったけど、2話だけみてあらためて、この「ありきたり」さがいつ崩れるのか、んでもって今までにないビジョンを見せてくれるのか、良い意味での裏切りが行われるのかってところに期待とゆーか希望の灯火を探して、眠い目こすっていつか見た光景を我慢して、まあ最後までつき合ってあげよーじゃないの。ってあたりで良いでしょーか香山哲さん?

 アニメ版「幻魔大戦」の話題が出たところで思い出したのが黒人超能力少年のソニー・リンクス。ラップとゆーかヒップホップとゆーかまあそんな雰囲気のファッションをした、みかけはチビのエマニエル坊や、だけど実はすっげー力を秘めた黒人少年ってなスタイルが、まんま「DTエイトロン」のハッカー少年ドリーにつながっているのが気になった。もっと吃驚したのが「アニメージュ」に載った「カウボーイビバップ」のラフに、ハッカーのエドが最初は黒人の少年として想定されていたこと。「幻魔」との関わり云々はまー単なる偶然としても、同じサンライズが作ってる「DT」と「ビバップ」で、ともにハッカーが黒人少年と想定されたのは偶然としたら面白い。こーゆーイメージってのがいったい何に起因するものか、いつか暇があったら調べてみよー。

 ハイテクシューズもローテクには弱かった。ってとこで3月に3000円で買った1代前のNIKEのジャンプマンプロが1本の画鋲で昇天なさってちょっとシクシク。座っている時に靴の底に何やら張り付いているのを発見、ちょうど底の中央にある市松模様の固い部分が覗いている所に丸い金色のオーソドックスな画鋲が突き刺さっていて、歩くと時折カチカチってな音をたてていた。仕方がないので手近な挟みで画鋲をひっかけ、ひょいと抜いたのが100年目、プシューッってな音をたてて肝心要のAIRが抜けてしまい、青ざめて足をおろすと右と左で触感がまるで違ってしまった。

 こーなれば残る正常な靴も画鋲を刺しで空気を抜くしかないのか。しかし正常なものを無理矢理不良にするのはやっぱりちょとしのびない。それでもいつかのNIKEバブルの時期に何万も奮発して買った靴じゃないから、笑い話で済んでいられるだけマシってもので、これが5万も10万も出して買ったAIR MAXの95年モデルのイエローグラデだったら、やっぱり死にたくなっただろーね。ってことで気にいらない奴がNIKEのAIRを履いてたら、いじめられっ子は椅子の周りに画鋲をまくか、下駄箱の中の靴に釘でも売って仕返ししましょー。


【5月9日】 あちらこちらで評判の、人によっては螢マック(闇夜でぼーっと光るから、らしい)とも蚊取りマック(リキッドタイプの電子蚊取り機に似てるもんで)とも呼ばれているiMACのデスクトップタイプ。背中の取っ手を掴んで投げればストライクも取れそうな形状がとってもキュートで、ピンクに塗れば丸くってちっちゃくって三角なおにぎり煎餅エーイ、ぢゃないサクマのいちごミルクにだって見えて来る。しかしCPUにG3積んでCD−ROMドライブなんか24倍速でなのに値段は日本円で15万から20万円ってスペックは、さんざんっぱらパワーマックが登場して新型機が発売され互換機が投入されるのを見てきてなおかつ動かなかった僕に、いよいよ愛機のLC575からバージョンアップを試みる時が来たってことを教えているよーな気がして仕方がない。少ないボーナスの行く場がいよいよ決まって来た感あり。ああ物欲は果てしない。

 「アニメージュ」買う。巻末のOVAレビューで「フォトン」の第4巻「ポチの気持ち」が登場してるけど、前作でトーンダウンを心配していたあさりよしとおさんは星は、やっぱり3つと手厳しい。それでもほかの人たちは星4つだったり5つだったりと高得点で、これだけTVシリーズやらOVAやらが氾濫する中でも良質にして傑作の作品であることを示している。問題はそれが一般にほっとんど伝わってないってことで、雑誌なんかでも特集なんて皆無だし、たぶんセールスだって超厳しい。

 おまけにおそらくはTVシリーズ氾濫のあおりを喰って、制作も遅れ気味で第5巻の発売なんか7月だ、えーいあと2カ月もあるのかと思うと胃もキリキリと痛んで来るし、それ以上に8月のコミケあたりで「フォトン本」出そうと思ってた人たちも(いるのか?)、進まない展開に苛立つ日々が続いているだろーなー。しかし泡喰って出さないでもいーだけクオリティの維持だけはシッカリでバッチリだろーから、とにかく年内の完結だけは期待して待ち続けることにしよー。

 同じOVAレビューに「聖少女艦隊バージンフリート」登場。しかしこれは激しく評価が別れていて、あさりさんは星2つ、ぶるまほげろー氏に至っては星1つと最低の評価を下している。が意外にも女性陣のうちむっちりむうにいさんは星4つと好評価で渡辺麻紀さんも星3つと「一見の価値あり」と断。「バージンパワー」なんて超ハズカシイ言葉が頻出すると赤面し居心地の悪い思いをしながら見ていた男(ってつまりは僕)なんかと違って、女性はそのあたりあんまり気にせず見られるのだろーか。キャラと展開で男の子のユーザーを狙っているのだとしたらビームエンタテインメントの川島社長、一度マーケティングリサーチをかけてユーザーの反応なんか聞いてみて、宣伝なんか変えてみるのも手かもしれませんぜ。いちおー第2巻はアクションとかに期待、してるんで。

 「ニュータイプ」買う。はさみ込みの「星方武侠アウトロースター」のメルフィナのポスターが何といーますか、おそらくはアニメ雑誌始まって以来の「ヘアヌード」だったりして、どーにかして折り目を取る方法はないかと思案して、スチームアイロンによるプレスする方法やら布団の下にいれてズボンみたいに皺を伸ばす方法やら、大昔のアイドルピンナップ全盛自体にお兄さん(つまりは今のおっさんたちやな)が試みたであろー方法を、試してみるかと考える。いっしょに輪ゴムでとめてある「まるごと富野」の表紙が富野さんのノンヘアヘッド(スキンヘッドだな)ってのがなんだか対称的で妙。しかし表紙の表情見ても裏のポーズ見ても富野さん、完璧に躁に入ってますねえ。

 X JAPANのhideが主題歌を歌ってた関係で、事件のあおりでちょっとは名前が露出して存在が認識されるのかと思ったのに、全く触れられずこのまま沈黙してしまうのかと思われた「AWOL」も、どーにかビデオ&LDの発売が決まったみたいでまずは僥倖。ただしテレビ放映の全12話を再編集して50分の全4話のバージョンで発売されるとかで、こんなことならTV放映分を全部録画しておけば良かったと、あんまり思えないところが「AWOL」らしさでもある。いずれDVDなんかで全12話を2枚組にでもして出してもらえりゃいーか。

 「AX」も買う。SCEとSCEから分離独立したシュガー&ロケット、そして我らが(?)プロダクションI.Gのプロジェクトになる「やるドラ」シリーズの大特集が組まれているのがいかにもソニー系ってとこだけど、I.Gの社内の紹介とか「ダブルキャスト」はこう作られた的デジタルアニメの塗られ方解説があって勉強になる。作られている4本では妙に地味な「雪割の花」にガロ風ちゅーのか青春漫画風ちゅー趣を感じてちょっと惹かれる。もちろんアニメ絵してる他の3本にも興味津、うーんこれ見るためにいよいよもって「PS」を買いそーな予感がひしひし。いくらなんでも3000万台記念のお土産に「PS」ってこたーねーよな。

 強いぞ我らが名古屋グランパスエイト。圧倒的なスピードとパスワークによって鉄壁のディフェンスを誇る横浜マリノスをフンサイ、興が乗った時のグランパスって多分、国内のチームで1番華麗なサッカーをやるチームじゃなかろーか。名古屋出身の贔屓目じゃなしにホントそー思うよ。平野のクロスにちゃーんと突っ込んでいる福田のプレイも、川口に絶対とれないゴールの上の隅に思いっきり蹴り込んだバウドのシュートも凄かったけど、そのバウドにヒールでちょんと出したストイコビッチの美技たるや、まさにワールドクラスの証明だあ。最後の平野の突進からシュートしてポストに弾かれたシーンはまあご愛敬、だけどジュビロがあれだけ特失点で上を行っている以上は、取れる時にとってそれから取られない工夫をしていかないと、いざトップ争いってなった時に負けてしまう恐れがあるからね。ゴーゴーグランパス、あとは小倉の復活を待つばかりだ。


【5月8日】 林葉直子でちょっとは盛り返すかと思ったのに中原誠永世10段の追求も腰砕けで尻すぼみ、逆に林葉へと世間の矛先が向くにおよんで中原側に寝返ったかに見える「週刊文春」だけど、そんな痴情のもつれなど軽くケシ飛ぶ超大物が満を持してコラムに登場、常識にへつらう世間を高笑いしながらフンサイせんと、その悪魔のよーな破壊力を持つファンタジー界の最終兵器を、ついに大衆の面前へと披露した。その名は中村うさぎ。「女殺借金地獄」(角川書店、1200円)でつまびらかとなり、先だっては「本の雑誌」の貧乏王選手権でも結構な闘いを見せた貧乏、とゆーよりは浪費ぶりを今度はリストラでびくびくしているサラリーマンの為の教養雑誌で見せつけてくれるんだもん、その気持ち良いまでの金離れの良さに、お昼の煙草代もままらないお父さん読者はきっと拍手喝采を贈る、わきゃないよな。きっと怒りに打ちふるえたお父さんたちによって、住んでる麻布のマンションは近く取り囲まれることであろーな。

 7日発売の「週刊文春」からスタートした中村さんのコラムは、タイトルが「ショッピングの女王 私は買い物依存症」。実によくその性向を表していて文句の付けようもないけれど、ただし第1回目に持って来たブツが、グッチでもシャネルでもフェラガモでもプラダでもない北欧製の健康椅子。前傾姿勢で座って膝をささえる部分があって机には前向きに取り組めるってな触れ込みの、新聞日曜版終面の通販ページによく乗っていそーな椅子だけど、そこは流石に中村うさぎ、払う値段も12万円とまあそれなりの無駄遣いぶりを見せている。

 無駄遣いって椅子なら流行が終わって着れなくなるとかゆーことはないから無駄じゃないっしょ、との声もあろーけど、何せ巨体で成る北欧人向けの健康椅子、身長153センチの平均的小さな日本人の中村さんでは前掲もきつくなりリラックスどころか緊張感で苛まれ、不健康に拍車をかけるシロモノだったらしー。ああ無駄遣い。とはいえ12万じゃーまだまだジャブのうちだろーから、2回目以降きっと世界を震撼させる無駄遣いぶりをご披露願えることでしょー。イラストはやっぱ安永航一郎さんが良かったなー。いちおー(チビだけど)美人に描くし。

 セガ・エンタープライゼスから封書が届く。いよいよもっていわゆる次世代機の発表日が決まったとかで、5月21日に超一流ホテルで大々的にお披露目があるそーな。形とか値段とかソフトとかって詳しいことはやっぱり当日を待たなければ分からないんだけど、それほど大々的だったって印象のない「サターン」に「プレイステーション」(「ピピン」ってのもあったなー)に比べると、場所にしても招待状にしても気合いの入れようが格段に違っていて、評価はさておきその本気さはニジニジと伝わって来る。

 セガの大幅減益にアスキーの断末魔に近い大リストラと明るい話題に乏しかったCSKグループにとっても、起死回生どころか本気で天下取りを狙う意気込みに満ちた発表会になるだろーから、当日はきっとセガやCSKや入交昭一郎さんや大川功さんにシンパシーを感じている人たちが大勢わっさと詰めかけて、大礼賛をしてくれることでしょー。例えばあの人とか。

 話は変わって(変わってないけど)次世代機の翌々日になる23日は東京国際フォーラムで西城秀樹の久々のコンサートが開かれる予定、じゃない西城秀樹をゲストに迎えて「ローラ!」の叫び声とともに超大作「Dの食卓2」が発表される日。もちろん主役は前項とは関係ないけど(ないのか)飯野賢治さんで、いったいどのハード向けに作るのか、それから何よりいったいどんな内容なのかってことを満天下に発表し、未だ衰えない存在感を誇示してくれる、はずになっているけど日記を読む限りでは今もまだ準備に追われていりよーで、当日まで閣下は多忙な日々が続きそうだぞえ。

 しかしそんな閣下の入交さんへの心酔ぶりはますます深まる一報で、同じ日記には誕生日となった5月5日に入交さんに呼ばれてアメリカへと飛んで仕事したってことが書いてある。凄いのは誕生日を迎えた夜の記述で、何でも大川御大のアメリカの家へと招かれて、大川御大に入交さんに西さんにほか大勢から「ハッピーバースデー」の唄をプレゼントされたとか。決して美しい声ではなかっただろーけど、その振る舞いの背筋がゾクゾクするほどのハマり具合にトイレも近くなってしょうがない。

 しかし、決して400万本とかってな超絶的に素晴らしいセールスを上げた訳でもないクリエーターさんに、これだけの厚意を示すセガって本当にフトコロが深いよね。ってことは前作で70万本を売って新作でもこのご時世に50万本は固い「サクラ大戦」を作った広井王子さんなんて、カーネギーホールでニューヨーク・フィルをバックに大川さんと入交さんと西さんと廣瀬さんが「ハッピーバースデー」をコーラスで披露してくれたに違いない。指揮は小澤か? ケーキだってきっとフランスの3つ星レストランからの直輸入だろーな。

 ほかにも「E0」くらいには数を稼いでる「サターン」のサードパーティーは幾つもあるから、誕生日を迎えるたびにきっとアメリカで似たよーなお祝いの行事が開かれているんだろーね。まだ呼ばれてないって人も心配いらないんじゃない、飯野さんがサンフランシスコなら自分はロスアンゼルスかなあ、とでも考えて誕生日を指折り待っていればいいんじゃないの。こんなにクリエーター思いで家庭的で暖かみがあるセガにきっとこれからはどんどんとサードパーティーもなびいていく筈だし、行かなきゃやっぱ損だよね。あとメディアだってクリエーターほどじゃないけど、ソフトやハードのセールスにちょっとは貢献しているんだから、サンフランシスコとは言わないけれどせめて箱根湯本あたりでお誕生日を祝ってもらったって不思議はないな。何だか誕生日が楽しみになって来たぞ。

 「カウボーイビバップ」を見る。昔の恋人の情婦が賞金首でそいつを苦しみながらも捕まえる、ってなストーリーはいまさらながらにいまさらで、定型の素晴らしさに酔いしれる人もいただろーけどマンネリに悪酔いした人もいたんじゃなかろーか。ちょっち評価の別れる回。ついでに昨日録画しておいた「星方武侠アウトロースター」を見る。伊吹秀明さんが富士見ファンタジアから出し始めた「星方遊撃隊エンジェル・リンクス誕生編」から人を借りてのエピソードは、商売のネタを漫画とアニメから小説へも広げて共に発展を目指す上で正しいメディアミックスのあり方、ってことなんだろー。爆乳娘の李美鳳は小説の主人公なんで流石にお出ましはかなわなかったか。乳名刺の技、アニメで見たかったなー。


【5月7日】 「トライガン」の第6話はやっぱり原作にはないみたいなオリジナルストーリー、だけど巨大な電球のよーなプラントが、ロストテクノロジーを使ったこの世界を維持してく為には欠かすことの出来ない存在であることをサラリと説明した上で、剽軽なヴァッシュ、凄腕ガンマンのヴァッシュが実はプラントと何らかの関わりを持った存在であることも説明する、こでまでのエピソードの中では1番示唆に富んだものとなった。次回からは徳間書店の原作にある暴走機関車のエピソード(ちょっと違うか)へと突入するみたいだけど、これが2話くらい続いてさてその後ってのはどーなって行くのかな。手元に単行本がないし秋田書店の方はまだ見たことがないから分からないけど、4話までのオリジナルの出来6話の出来と世界観を壊さずなかなかの所を見せてくれただけに、まんず安心していーのかな。ミリィさんの嘘泣きカワイイな。

 「トライガン」の合間にずーっとやってるCMの「ジオブリーダーズ」が、25日の発売も近くなってさてどーしよーかと思案中。こちらも原作は読んだことがないのでCMで判断するしかないんだけど、出演声優陣の豪華さともりやまゆうじの名前にはちょっち惹かれるものがある。あと帽子被ったギャング風の久川綾さんが声あてる姉ちゃんが振り回している2丁モーゼル、ですか。「狼の星座」に「アリサ」の頃よりモーゼルは心の愛銃、いつかふたたびマルシン(マルサン? ああ忘れた)のプラモデルを手にいれんと願っている身とあって、あの場面には心揺れるものがある。でもねえ、マガジンを差し替えるタイプのモーゼルは個人的にはちょっち苦手、何故ってやっぱモーゼルは、クリップで上からジャジャジャッと押し込むのが気分だと思ってる口なんで。モデルガンの方はどっちのタイプが多いんだろーか。

 とか考えながらビデオを見ながら支度して、8時半には家を出て仕事場じゃなく東京駅へと向かう。珍しく京都へと出張することになって新幹線の中で読む本を八重洲の地下街で物色、ちょっと前から気になっていた宮内勝典さんの「ぼくは始祖鳥になりたい」(上下、集英社、各1800円)を購入する。薄さにも関わらずのこの値段は純文学ならではのセールスに起因するものだと想像するけれど、だったらもうちょいエンタメっぽい雰囲気で売ってしまえば刷り部数も多くなって値段も下げられたのに、ってな印象を持つ。だってこれ、面白いんだもん、物語として立派にちゃんと。

 かつてスプーン曲げ少年と呼ばれながらも20歳をこえて才能が消えてしまったジローは、アメリカに呼ばれて何やらいわくありげな施設で披検体となってアヤシゲな装置をつけられていた。そんな彼の所を訪れたのが、電波望遠鏡で遠くの星から発信されるメッセージを拾おーとゆー研究を30余年にわたって続けて来た教授の爺さんと彼の元で学び今は宇宙飛行士となった中年のおっさん。2人はジローの才能に惹かれ彼を施設から解放して満天の星が見える砂漠へと連れだし、ジローはそこから自分を見つめる長い冒険の旅に出る、ってな展開へと至る。

 鬱屈した少年が解放され虐げられる人々悩み苦しむ人々それでも果敢に生きている人々と出会い仲間となり内面を見つめ直していくビルトゥングロマンス(成長物語と言えよなその方がわかりやすいぜ)とも言えるし、片や砂漠をはいずりまわって差別からの開放貧困からの脱出をもくろむ人たちがいて、こなた無限の星空にパラボラを向けて一向に届かない(あるいは永久に届かない)宇宙からの声を待ち続けている、そしてその事をどこか疚しく申し訳なく思いながらも詰められれば正当化してしまう大学教授がいて、ってな世界の描写に世の理不尽さを教えられる社会派小説とも言える。

 とらえようによってはいかようにも読めるけど、いずれにしても心に強いイメージ(メッセージとゆーよりはイメージだね)を残してくれる小説だから、値段は高いが暇なら読んで。何せ帯には「日本語で書かれた世界文学誕生!」とか、「国境を超えた21世紀文学登場!」とか、「こんな小説は日本になかった」とかいったはっきり言って読者をとても限定してしまいそーな文言がならんでいるから心配なのよ。告発小説まがいだと思われている「三本の矢」が意外や真っ当かつサスペンスフルなミステリーだったこともあるから、ほんとコシマキとか惹句ってのは難しいーなーと考えさせられる昨今、ですぢゃ。

 東山区にあるかつての花札屋さんは受付のお姉さんもお腰に吉備団子をつけていて、受付から応接までの長い廊下をヒールをカツカツ言わせながら歩いていく、その後ろをピッタリ付いてカチカチと歩数を刻んでいるであろーその吉備団子の、はたして「いいかんじNOW」なのか「フレンドリーNOW」なのかを聞いてみたい衝動にかられる、が恥ずかしいのでそれはご遠慮。やがて現れた広報のエライ人とか広報のちょっとエライ人とかと話し始めたらとまらず、延々3時間くらいとりとめもない事を喋り、肝心な取材の方はお留守になって正門を出て近くにある駅まで歩く途中で激しい脱力感に襲われる。ああやっちまったぜ、きっとひでーオタク野郎だと思われちまったぜ。

 とりあえずゼルダは秋にゃー出るみたいなんでそれなら買っても良いかな64、DD版も後に続くみたいだしと考えながら電車を乗り継ぎ京都駅へ。平べったい京都の町の風水とゆーか風通しを完全に疎外していると個人的には批判的な巨大駅ビルの中を散策、中央部分の吹き抜けの大階段はさすがに迫力で、溜まっている女子高生を下から見上げながら薄暗くなってしまった空と曇ってしまった我が目の悪さを呪う。さすがに望遠とか双眼鏡とかで見上げる訳にはいかんからなあ、見たいといっても絶対に。歩いている女子高生が意外にルーズソックスなんで吃驚。依然は関西じゃー誰もルーズなんて履いてないって聞いていたからね。栄養なのか生活習慣からなのか分からないけど、昔に比べて足が立派に変化を遂げているのは日本全国同じみたいで、それを逆手にとって格好良く見せるルーズソックスは、やはり全国でも流行る要素があったのかも。


【5月6日】 気持ちの上では永遠にゴールデンウィークなのだがフトコロが許さない事情があって真面目に背広来て頭洗って会社に行く。休み中に家で書いてしまおーと資料まで持ち帰った原稿は、地球が太陽の周りを回っていて月が東から登るほどには当然のごとくやってなく、その上通常は前日出稿すなわちゴールデンウィークを挟んで先週の金曜日には出しているのが当然の原稿なので、仕方なく朝の6時に起きて8時には家を出て超満員電車に揺られて朝まだ人の少ない編集局でパコパコと原稿を書く。こんな時自分が大国ニッポンを経済面から支える闘うサラリーマンであることを実感する。たとえ時計は午前の10時近くで、編集側のオフィスにいるのは数えるほどとゆー、聞いたらそれのどこがサラリーマンだと怒る人も大勢いそーな状況であっても。

 まー聞けば海岸の某社は午後の3時で人が揃い始めるってんだからよほどの物だけど、元職の人に聞くとそれはいくらなんでも遅くないかいってことで、推察するに都営新宿線の曙橋にあった時代に家を京王線沿線だとか新宿線の東の方とかに購入し、けれども移転で東京もはずれ(事実海のそば、だし)の港区海岸へとオフィスが移って通うに地獄の遠距離通勤を余儀なくされている人が多いのか、とも思ったけどやっぱり単なる習慣なんでしょー。ゴールデンウィーク明けの今日からちゃんと仕事している人がいるって方が、かえって驚きだったりするんだけどね、さっきお仕事渡したらちゃんと返事、くれたもんな。

 その海岸雑誌がゲームのコーナーでユニバース企画ってあんまり聞かない何でも安田火災海上保険の関連会社で不動産管理なんかをしている会社が、初めて手がけたエンターテインメントソフトの「ぴーちゃみん」が大々的にフィーチャーされていて仰天。なんでまた世にもメジャーな「SPA!」が(あっ言っちゃった)未だマイナーなかつて記事になったのは我が表の新聞くらい(新聞じゃーそーかもね)ってなソフトを取りあげているのかちょっと悩む。もちろん知名度はイマイチでも、それからネーミングがちょっと普通じゃなくっても、ソフトの中身は「ぴーちゃみん」、インコを音声デバイスから入力することで鍛え育てていくって他に類をみないもので、その点を納富さんちゃんととらえて書いている。

 音声デバイスによる育成って点では、富士通の「テオ」があるじゃないかって人もいるけれど、「テオ」はあくまでも音声を合図に使っているのに対して、この「ぴーちゃみん」は音声をインコが記憶して(いるフリをして)それをマンマじゃなくいかにもインコの脳味噌を通したかのよーに、間違えたり他の言葉と混ぜたりして返してくれる、いかにもほんとに「インコ」ってなソフトに仕上がっている、そうな。いや実物見たことないんで詳しいことは分からないけど、聞くと別に「ぴーちゃみん」だって音声を認識している訳じゃなく、ただ記録して内蔵のアルゴリズムに従って変成して返しているだけ、なんだとか。つまりは名実ともに「オウム返し」(オウムもインコも似たよーなもの、としておこー)をしているって訳ですね。

 どっちみちパソコン用のソフト流通が壊滅状態にあるなかで、こーゆー紹介のされ方をされた「ぴーちゃみん」がどんなセールスを見せるのか興味のあるところではあります。もっと高度な技術を多分、使った「NINTENDO64」のピカチュウ物がどんな内容になっているのかは知らないけれど、やはり人は喋る生き物音声によるコミュニケーションが何であれとれるってのはこの世知辛い世の中で、ウレ筋を見つけるキーワードになってるんでしょー。さても沈黙の任天堂が、マリーガルな音声認識技術をどー組み込んで来るのかにもやっぱり興味のある所で、そこは偶然にも上京する明日、カルタ工場の片隅でちょっと伺って参りましょう。

 カラオケ番長でPHS魔人でデジペクイーンなさいとうよしこさんからSFセミナーの会場でツカマされた宝島社から発売のムック「あそべるPHS・ケータイ・ポケベル」(552円)の紹介記事を無理矢理でっちあげて表の新聞にたたきこみ、メールで届いていたスタジオぴえろの創立20周年記念展覧会の告知をやっぱり無理矢理でっちあげて記事として仕立て上げ、フヌケた頭にしては割れながらカイチョーと思いつつ、読み返すと噴出する誤字脱字の量に茫然となりながらも、とにかく明日付けの新聞を作る。「あそべるPHS」は企画・構成がさいとうさんで表紙が水玉螢之丈さんでほかにもSFの女房SFの殉教者ら多数のSF関係者が関わっている世にも稀なるムック、なので紹介しなければ高い壇上からブラッドベリの「万華鏡」読んでない奴と同様に1言「死ね」と言われかねず、のしかかるプレッシャーをはらいのけ、ポップな表紙をいぶかるデスクをだまくらかして記事にする。明日掲載、なので見たい人は見てねまず見られないけどね。

 スタジオ・ドゥンバってな妙ちきりんな名前のオランダのデザインスタジオの日本では最初の展覧会が始まったので大日本印刷の銀座のギャラリー「ggg」に行く。デザインの善し悪しってのは美的感覚に乏しい身では一概に判断が出来ないけれど、少なくともドゥンバのデザインは絵柄もタイポグラフィも斬新でエッジが立っててそれでいて上品さも失わない、質実剛健な英国とも華やかなフランスとも違う雰囲気があるよーに感じた。まあ半分はオランダって先入観からそー見えただけなんだけどね。地階には郵政省とか警察とかいった公共機関向けのCIの事例が写真で飾られていて、それがまた日本の風呂屋の煙突が高いより一目瞭然な郵便ポストの赤さとか、黒と白なんて対極の色を使っているのに地味な警察の色彩とかに比べると、何ともいえずモダンでシャープで明解で美しく、景観にとんと無頓着な国民性をこの時はしっかと実感させられた。たぶん月内は開催中。


【5月5日】 息苦しくで夜半に目が覚める。ノドに何かつまったよーな感じでムセてセキをゴホホゴ、喉の奥がらムリムリっと出てきた痰をティッシュに取って仰天する。大量の粘液の中に混じるは見るも鮮やかな血で、これはもしや軽井沢当たりのサナトリウムで静養しているうちに月の明るい夜花を摘みに出て溺れる薄幸の美少女か、文化系で博識で明晰でけれども決して体力は無い和服が似合う未来の夢を馳せながらも意思半ばで没する白面の美声年が罹る病かと胸をドキドキさせる。けど妙にむず痒くかつ鉄くさい臭いに鼻を掃除してやっぱりティッシュが乾いた血で赤く汚れ、なーんだつまりは真夜中に、鼻血が出て喉に流れて痰になっただけかとホッとしながら残念がる。どっちみち30過ぎた薄く丸いおじさんには似合わないびょーき、だもんで鼻血くらいがちょーど良いのかも。へろへろへろ。

 ちょっとだけ寝て8時半に起きて銀座に出勤、じゃなくって映画を見に行く。祝日だからたいがいのお店で早くから映画がかかっているのがありがたく、とりあえず日比谷映画まで出向いて9時40分の回から例のムシムシ映画を見る。南洋の離れ小島に出来た世界最大級のサウナで2人の男が1人の美女を争って無制限サウナ耐久レースを繰り広げるその周囲を裸でタオル1ちょの男女が桶持ってヤシの葉持って唄い踊りまくる総天然色ミュージカル、な訳はなく、遠く離れた惑星で鍛え抜かれた男女がムシムシムシの大群に蹂躙されながら愛と友情を育む国威発揚映画、であった。そう例の「スターシップ・トゥルーパーズ」のことですね。

 ただしムシムシ度は南洋の離れ小島のサウナ風呂をはるかに上回り、それこそ劇中のセリフじゃないけれど嫌いな人はとことん「ムシズが走る」映画だろー。そして別の意味でも「虫酸が走る映画」。語られる表面的なメッセージをストレートに真っ正直に受けとめる人がたとえば国家の中枢にいたら、あるいは真っ白で無垢な脳味噌にメッセージが刷り込まれてしまったら、訪れる未来はなんとゆーかとてつもなく居心地の悪いものになりそーだね。いまさら染まれない、かといって反発もできない中途半端な僕みたいな人間は、鬱屈しながらも長い物に巻かれていじけながら暮らしやがて死んでいくんだ、その未来では。

 物語は単純。恋人への見栄から軍隊に入った青年が、挫折しかかりながらも両親の死を経て軍人への道を辿り、おきまりの恋とありきたりの失恋といかにもな戦友の死とやっぱりな恩師の死を乗り越えて、最後は敵をせん滅するのに極めて有用な戦果を上げて賞賛を浴び、今は立場は違っても変わらぬ友情を暖めあい、さあこれから最後の闘いに挑むんだ、そして地球人類の敵である醜いムシどもを皆殺しするんだ、ってな内容はどこから見ても立派な軍隊礼賛愛国心状勢国威発揚の大翼賛でしょー。それはもうくどいくらいに。

 つまりはそのくどさを逆手に取って、ステレオタイプを笑い飛ばす映画って見るのが良いんだろーし、事実見ている多くが戸惑いながらも苦笑しているよーに映った。でも哀しいかな感情表現が地味とゆーか奥ゆかしいとゆーかはっきり言えば下手な日本人、苦笑は決して場内を巻き込んでの爆笑とはならず、むにゃむにゃしているうちにエンディングまでたどりつき、何ら非戦なり反戦のメッセージを与えられず、心の奥底に体制へと身を委ね国のために命を投げ出す心地よさ、ってな細いけれども鋭い針を打ち込まれたまま、ポーンと場外へと放り出される。

 この現代にいきる大多数の賢明な人ならそんな針なんてやがて溶解し雲散霧消するハズ、だけど時代が移り変わって例えば再び到来の翼賛の世に、映画の毒はたぶん百薬となって国威の発揚に大いなる貢献を果たすはず。だからこそ観客はもっともっと場内で爆笑しステレオタイプなストーリーを笑い飛ばして場外に出る前に自分たちに取り憑きかけてる妙な気分を払拭しなくっちゃいけない。でもねー、後ろの席に爺さんとかGIとか自衛官とか座ってた日にゃー、「人間として最低」なんて言われなねないから笑うのちょっとためらうんだよね。爺さんはともかく自衛官にGIじゃー喧嘩、かないそーもないし。

 しかしさすがにアメリカだ。CGの虫ムシ虫どもが実にすばやく残酷に、そして大量に動くうごく動き回る。何ってたってこの虫星人、酒飲ませたって絶対に酔っぱらったりしないし、自転車のチンコンじゃー絶対に吹っ飛ばない体力抜群肉体頑健な生き物だもん。もしもILMがこれだけの技術のほんの1万分の1でも良いからVSLに貸してあげたら、あの世紀の怪作「タオの月」だって1万倍は恐ろしくて格好良い怪獣映画になっただろーに。ってことは「タオの月」のマカラガってーのは「スターシップ・トゥルーパーズ」の虫の1億分の1ってことですか? いえいえそんな、それはちょっと大盤振舞過ぎ、ですね。

 「スターバックス」でお茶を飲んで時間を潰してからシャンゼリゼへと回り「女刑事RIKO 聖母の深き淵」を見る。アニメーション映画がひとおおり上映された後で午後から3回だけの上映、それも東京ですら1館と決して優遇されてはいない上映条件で、かつ宣伝もほとんどないとゆー中では流石にゴールデンウィークとは言え客足も鈍く、この日初回の上映ですら観客は数10人、ってとこだった。同じ角川書店とエース・アスミックの制作でも馳星周さんの原作を元にした「不夜城」は、駅張りポスターはばりばりでたぶん試写なんかもガンガンで、大量宣伝大量集客のいわゆるカドカワ商法の王道を行く作品なのに、この差はいったい何だろーと考える。

 これまで3作出ている柴田よしきさん原作の「緑子」シリーズで、いきなりな第2作の映画化にとまどう観客も多いんじゃないかってのが見た最初の印象。つまりリコがどーゆー経路をたどって映画では神宮前署へと左遷されたのかが詳しく説明されておらず、風間トオル演じるところの安藤とどーゆー関係でどーして子供を生んででもシングルマザーをやっているのか、初見の人にどこまで理解させられたのかちょっと悩む。それから元警官の麻生とヤクザの若頭・大内とのえもいわれぬ関係も、原作のラストで示される地位も名誉もすべてなげうってまで守りたい、ってなハードさが映画ではいまいち伝わりにくかったんじゃないかと思う。もちろん映画のよーなほのめかす描き方も好きだし、分かる人にはピンと来たかもしれないから、どっちが良いとはちょっと言えない。

 分厚い原作をはしょって映画にしたためか、飛ばされたエピソードや描かれなかったバックグラウンドも多いけど、おおむね原作どおりに展開しながらシングルマザーの刑事リコが世間とか職場とかの柵のなかで1人奮闘し闘っていく、けどやっぱり頼りたい人がいて、その人はすぐには手の届く場所にいないってな葛藤を、実に鮮やかに描き出してくれる。そりゃーもー公園デビューの場面なんて、子供もいない男の僕が見ていて嫌悪感でいっぱいになったからね。まったく嫌な光景で、そんななかで見出した1筋の巧妙が後で辛くなるって展開も、やっぱり心地よくはない。

 それでも凛として胸をはり、ついでに目尻も眉毛も吊り上げて(ってのは主演の滝沢涼子さんがそんな顔立ちだからだけど)、仕事も家庭も切り盛りしていく姿はやっぱりちょっとした感動を覚える。だからこそ宣伝な下手な映画会社にはもっともっと内容を世間に喧伝してもらい、本当に見て貰いたい働く女性と働く女性を身内に持った忙しい男性を、映画館にどんどんと呼び寄せて頂きたい。僕みたいな人間よりもそれこそ見るに相応しい人たちがたくさんいる、のに伝わらないもどかしさを覚えつつ、ここに広く映画が上映されていることを訴えよー。KAPSのやってるホームページも見てあげて下さいね。


【5月4日】 3日から続きだ、夜半に始まった例の「ネットワークとファンダム」。いわゆる大学SF研なり地域のSF研究会なりを経ずして「SFセミナー」のよーなファンダムに来る人が(自分も含めて)意外と増えているこの現実を鑑みた上で、ネットワークの普及がファンダムの形成のされかたにどう影響を与えているのかを考察する、まさに(陳腐な言葉だな)”マルチメディア時代の”セミナー企画。「SFセミナー」を仕切る人たちの大半は大学SF研なり地域のSF研あるいは作家のファンクラブ活動を経てファンダムへと至るという、ごくごくオーソドックスな経路を辿っていて、そこから見るとファンクラブとして例会をするでもなく、ファンジンを出すでもないのにネットを頼りにSF道へと入信し、修行(イヂメ)をすっ飛ばして「SFセミナー」へと参加して来る人たちの存在は、やはり不思議に見えるらしい。

 個人的には「SF大会」なり「SFセミナー」なりが毎年あちこちで開催されていることはもちろん周知の事実であって、けれども大学にSF研がなかったりしてこれまでなかなか縁がなく、仕方なく1人こもってSFに精勤していた10余年、たまたま触れたインターネットで意外と簡単に参加できることが分かり、見知っている人も何人か来るみたいなのでじゃあ行ってみっかと、まあそんな、いわゆる「ネットが敷居を下げた」にあたる理由での、セミナー参加とゆーことになる。もっと若い人たちには、ファンダムがあることをネットで初めて知って参加して来たとゆー人もいるけど、結果として同じネット経由でセミナーに参加しているから、僕との間にその理由に大差はない、と思う。つまりはSFが好きな人がいっぱいるしSFの有名な人がいっぱいいるから覗いてみる、ってこと。

 SF研のBOXに集い、毎日顔をつきあわせたりするよーなことはないし、ホームページを持っている人たちのつながりだってまちまちで、自分みたいにオフとは無縁でたまにメールをやりとりするだけの、1人勝手に地下道で詩集を売ってるよーな輩もいれば、ネットは入り口であり通信手段に過ぎず、その先に「肉の」関係(なんかイヤラシいけど関係ないよ)を持つアクティブな人たちもいる。だからといって大学SF研に所属してファンダムの活動にも熱心な人たちと比べて、SFの色合いとか度数とかに大きな違いがあるとは思えない。

 ネットワークなんてしょせんはコミュニケーションのツールだもん、手紙でやりとりしていた時代、電話で話していた時代に比べて、コミュニケーションの速度が上がり、機会が増え、コミュニティーが出来やすくなったってくらいの変化しかないし、できたグループの質は、「SFマガジン」の会員募集欄で参集したグループと、大きな差はないと思う。ただしファングループの形成という点では、先輩後輩の上下関係もなければ先生弟子の師弟関係もない均等なインターネット経由で形成されたファングループが、何か母体となってファンダムの興隆に積極的に1役買うまでのエネルギーを発揮できるのか、そのあたりは考察の要有りと思う。だって今のファンダムの人たち、ほんと熱いもん。

 そんな熱さの証明でもある「ほんとひみつ」が4時間目。三村美衣さんを手始めに牧眞司さん水鏡子さん飛び入りの坂口哲也さんトリは日下三蔵さんが古本新本を持ち寄って自慢をするとゆー企画、見たことのない本からこだわりで揃えた本まで多数、それぞれの熱さがこめられた自慢の逸品が披露されて会場を感嘆の渦に叩き込んでいた。目玉は「ポルの王子様」。あの「星の王子様」野パロディで、中身はタイトルが一目瞭然、つまりはソレがアレな内容で、女体に佇む王子様の表紙絵がすべてを物語ってくれている。錚々たるメンツによる錚々たるコレクションの披露のあとは、持ち寄られた珍本稀覯本のオークション。あの「SFマガジン」丸背のセットが仰天の1万円で落札されるなど、スーパーのタイムサービスも逃げ出す大盤振舞に、出品者のボヤキと落札できなかった人の嘆き、そして昔それを遥かに高い値段で手に入れた人の憤りが会場を錯綜して会場は熱気を帯びていた。

 「SFイズム」の揃いとか、「SF宝石」の1冊かけとか雑誌が続き、それからサンリオSF文庫が200円とか400円とかって値段でやっぱりな大盤振舞。唯一キース・ロバーツの「パヴァーヌ」だけがえっと2500円? 3000円? くらいまでセリ上がって人気の程を見せていたけど、これは実家に新刊で買ったのがあるから別にゆずる。「ポルの王子様」もいくらかで落札されて一件落着、とりあえずの企画をすべておえて朝までウダウダしてそのうち世も開け横で熱く濃すぎる人たちの「SFタイトルしりとり合戦」を延々と聞きながらエンディングまでの時間をつぶし、やがて迎えたファンファーレもなければ国旗降揚のセレモニーもなく、また来年のお言葉で解散、眠いなかをマックでご飯を食べ、電車を乗り継ぎ帰宅して寝る。ああ面白かった。

 いったん帰宅してから秋葉原へと出陣、ってもとりたてて目当てがある訳じゃなく、歩行者天国で賑わう通りをあっちにフラフラこっちにユラユラしながら(半分は徹夜明けの目眩でフラフラだったいするけれど)「ゲーマーズ」から「メッセサンオー」「リバティー」あたりとざっと舐める。「ゲーマーズ」では長く探していた「吸血姫美夕」のアクションフィギュアを発見するも、制服バージョンだったのでちょっと買うのを躊躇する。短いスカートはオッケー、でもね見上げると見える「白」の造形がイマイチ、なんですよ手首の間接とか股関節もムキ出しになっていて、なんか興醒めするんですよ。とはいえ顔の造形とか間接を被った足のギミックとかは面白そーで、戦闘服バージョン(着物バージョン)を見つけて比べてみつつ、どっちか買いたい方を購入すべーなんて考えている私は、ああ泥沼のフィギュア道へとまっしぐら。

 帰宅してから録画しておいた「ローザンヌ・バレエコンクール」の模様を見る。毎年楽しみにしている番組、別にバレリーナが足を高くあげたその中央1点集中視線が射抜くってな観賞をする訳じゃなく、あの熊川哲哉を生み出した由緒正しいコンテストに登場して、未来のジョルジュ・ドンを目指す(何か違うかな? まーいーか)ってなバレリーナを発見することとか、至極真っ当にバレエの優美さとそれから力強さを堪能するってのが目的です。

 しかし1番の楽しみは何といっても毎回登場する女性の解説者のコメント。いやーすごいんですよこの解説者、例えば「足の筋肉の形が気になっりましたね。鍛錬しても優美さと張りのある筋肉が形作られていません」とか、「体の向きが考え抜かれていなかったのが残念、彼女に向いていなかっませんでした」とか、もうどうすりゃいーねんってなアドバイスをゲシゲシとくれちゃってくれて、日本人なら帰国して番組を見て、きっと泣き出すんじゃないかって思うくらいストレートに悪い所をグサっと指摘する。

 「骨盤と足の上の内側への動きです。基本が完璧に出来ていないと進歩することは出来ません」ってのも同様。振り付けが物を言う創作の部では、「客に媚びるような流行的な振り付けは彼女のためにはなりません。彼女は幸せではありません」と振り付け師にも批判の矛先を向ける。「バレエ界にとってはとても魅力ある人材です」とか言って手放しで誉めてみたりすることもあるけれど、続く人には「腹筋が弱いようですね。前の人より訴える力が足りません。正確さが足りません」と思いっきりケナしてみせる、この明確さがかえて気持ちよかったりする。

 誉めてるよーでケナしてたり、逆にケナしながらも絶対的には断罪できない曖昧さを旨とする当方にとって、参考にしたいなーと思いつつも言ったら後が怖いなーとその場合を想像して悪寒にサブいぼを作る。萩尾望都さんのバレエ漫画に出てくる「ライモンダ」とか「ドンキ」とか「海賊」といった曲目がコンテストの演目として登場して、漫画を読む時に役立つ知識を蓄える上でも勉強になる番組なんで、たぶん再放送されるだろーからその時は見てちょ。やっぱ凄いと思うよ女解説者の辛辣なグサリは。


【5月3日】 北村薫さんのサイン会に神田神保町まで行ったついでに入手した内藤泰弘さんの「トライガン」(徳間書店)を読む。「少年キャプテン」に連載されていたことを巻末の初出を見て知り、ほかにもたくさんの面白い漫画(「土曜ワイド殺人事件」とか)が連載されていた「少年キャプテン」の、どうして今はもうないのかを酷く嘆く。思い返せば古き良き田舎暮らしの貧乏時代、創刊号から3年ばかりー「少年キャプテン」を買い続けていたことがあったっけ。「宇宙家族カールビンソン」を看板(僕的に、ってこと)に、「ガイバー」とか「魔神伝」(だったっけ?)とかいろいろな漫画がたっくさんたくさん載ってたなー、うん今はヴェテランの感すらある永野のりこさんをはじめて見たのも「キャプテン」だったけか。

 ずっと買い続けていれば内藤さんももっともっと早く知ることが出来ただろーし、それより全巻揃ってれば結構な値段を古本屋で稼ぐことができたかもしれん。こーゆー経験を活かして買ってみたのが「頓智」に「月刊KITAN」に「コミックアルファ」だったりするんだけど、前2つはもはやなく、「アルファ」も3号にして倦怠期の観。あとはそーだね「AX」はちょっと期待してるんだけど、何年保つのかアニメブームの先行きとともに不安な部分も山ありで、ほかにもカードを揃えておいた方が良いかもと、日販週報の新刊情報に目を光らせている昨今だったりする。「電撃B−Magazine」は「B−CLUB」同様、地味にしぶとく行きそーだな。

 戻って「トライガン」は冒頭に載っていたのがテレビで言うところの第5話、ネブラスカ親子との対決シーンから始まっていてすでにSFチックな設定がそこかしこから染み出している。続く中編ではさらに「プラント」の秘密が描き出されていて、たぶん雑誌の休刊で完結しなかった「トライガン」の壮大な世界観は、帯にある7月刊行の「最終完成型総集編」とか、それから今連載中の少年画報社の雑誌とかで描かれているんだろーね。アニメの方はそここまでは描いてくれんだろーな。メジャーな人気が出て昼間に移って1年位の放映になってって、そーなれば可能だけど、それが無理ならせめてカルトな人気になって、1巻末の後書き漫画のブリスターパック入りフィギュアくらいは出て欲しー。あと1分の1ミリィさんを是非。

 「テロメア」は三輪ひとみがボンデージにならず残念。あの格好で走るとゆっさゆっさすること「だけ」が楽しみな番組だけに、これでは主食抜きのオカズ抜きの朝御飯、にもかかわらず肝心なものは抜けてなく、ムシ暑い夜のひとり寝を激しい身悶えに襲われる。近くムックが出るみたいなんでそっちでビジュアルは補完しよー。悪夢にうなされつつ目覚めると、相変わらずノドは痛いしセキも止まらないけど、お祭りなのでとりあえず「SFセミナー」に行くことにしよー。面白そーな企画も目白の焼き蛤なんで、今んところは出るつもり、なんで見掛けたらすかさず声をかけよー、そーだね合い言葉は「ラブアーーーーンド・ピース」(指はクロスさせるんだよ)だ!

 で、到着した全逓会館は1昨年が庵野秀明さんに岡田斗司夫さんに梅原克文さんのそろい踏みとあって大賑わいだった「SFセミナー」、その時に岡田さんが「なんでこんなに大勢いるの? EVAだな」と言ったのは記憶に古いところで、その時は(ふーんいつもはもっと空いてるんだ)とニッポンSF界の後退を肌で感じたものだけど、1年飛んで今年のセミナーは、いわゆるオタク系な1人もいなかったにも関わらず、会場は午後にはすでにいっぱいとなり、後に別に席を作ったり、それでも立ち見をする人がいて、これは案外SFの輪は拡大しているのかもしれんぞと思ったりする。あるいはインターネットの普及で参加の敷居がちょっとは低くなっているのかもしれず、その辺り夜の合宿の企画「ネットワークとファンダム」で解明がなされるのかもしれないと考える。

 始まったセミナーは1時間目が「血は異ならず −恩田陸インタビュー」。出演が覆面作家の恩田陸さんで聞き手が「SFマガジン」でもインタビューをしていた大森望さん。これまで頑なに写真の露出を拒んで来た恩田さんがはじめて公の場に顔出しするとあって、ファンの期待の朝っぱらから結構高まっていたけれど、恩田陸さんという男が大森望さんと同一人物であることは周知の事実で、幕が開いても壇上にいたのは大森さんが1人、先のインタビューと同様に、与えられた時間をひたすら独演で終えた、なーんちゃって。いやもちろんこれはまるっきりの冗談で、恩田陸さんは1964年生まれという歳相応の格幅をした美しい女性でありました。

 4月末で務めていた不動産屋を退社して専業になった恩田さんが話してくれたのは、これから書きたいとゆー小説のタイトルとプロット。実にその数11本もあってこれから出版社を相手に「スタ誕」を開いてセリにかけて、高く札を入れた出版社に権利を売り渡すことにしているとか。ざっとタイトルだけ並べると「月の裏側」「グリーンスリーブス」「闇の絵本」「草の城」「ライオンハート」「ロミオとロミオは永遠に」「ユージニア」「夜のピクニック」「海鳴りとめまい」「夜舞うつばめ」「ピースメーカー」。中身はといえは空豆に着想を得た侵略SFあり、菅柴田に挑む京都大観光ミステリーあり、80キロ死の行軍ノンフィクションあり、ニッポン中小企業ほそ腕繁盛期ありとバラエティーに富んでいて、どれもが刊行を待たれる内容であった。ストーリーはまるっきりほとんど決まってなかったみたいだけど。

 覆面作家をやっていたため表向きいろいろと挙動に不振なところが出て、バツ1と思われたりサラ金に大借金があると思われたりしてそれなりに苦労があったみたいだけど、これからは全日創作に使える良い身分、かつ朝はいつまでも寝ていられる羨ましい身分、されど時間の区切りがとれず結局ほとんど書けない毎日で編集者をやきもきさせる身分、これだけのプロットが日の目を見るには結構な時間がかかるかもしれない。けどまー年に例えば1作は出るだろーし、多ければ2作とか3作くらいは可能でしょー。それでも良いから是非ぜひ書いてください、個人的には「六番目の小夜子」の系譜につらなる高校3部作の完結と、後は京都物と行軍物と中小企業物(しかしすごい格差)が読みたいですね。

 2時間目は野田昌宏大元帥の自慢話をお願い。間もなく始まるNHKの人間大学で「宇宙を空想してきた人々」を担当する野田大元帥がこれを橋頭堡にNHKにSF番組を増やすことをもくろんでいる、その計画が赤裸々に開かされて来場者には「1人2回は反響の電話をNHKにするよーに」との勅命が出された。あとアスキーから出た新しいCD−ROMがたったの17部しか売れてなく、うち15部は大元帥が自分で購入していたことが分かって今さらながらにパソコン用CD−ROMタイトルのマーケットのシュリンク具合を実感する。アスキーもっと売ってやってよ。でないと祟るよ、大元帥だもん。

 「オンラインSF出版の現在」「SF優生学」と真面目な企画が続いて昼の部最後は「オリジナル・アンソロジーの可能性」。廣済堂出版でオリジナルアンソロジー「異形コレクション」を編纂している作家の井上雅彦氏と、どう見ても出版芸術社の編集の溝畑さんにそっくりだけどヒゲがない評論家の日下三蔵さんが登壇して、アンソロジーの戦略についてあれやこれやと話してくれた。なにより「異形コレクション」は順調に巻を重ねているよーで、いずれはここから飛び出した新人による長編とか、漫画も含めたアンソロジーの編纂とかも手がけられる可能性があることを井上さんが話していた。

 あと、某一太郎な会社から出ていた「バカSF」のアンソロジーが、文庫になって廣済堂から出版されることになったそーで、これはつまり某一太郎な会社が、花子ともどもノックダウンで出版をやってられなくなった可能性を示唆しており、ってことは新しい「バカSF」のアンソロジーは、舞台を変えて廣済堂から刊行されることになったんだろーかと、勝手な想像をして一人盛り上がる。某初台な会社も某一太郎な会社もSFに理解を示していただけに、最近の落ち込み具合とその結果としての出版部門の縮小(あるいはその可能性)は、決して喜ばしい状況じゃないんだけどね。

 夜の部は1時間目が日下三蔵さんがまだ溝畑さんだった時に計画していた出版状況的に現実味のある「日本SF全集」の企画案(没)の披露と舅姑らによる糾弾会。全20巻の構成で立案された企画をなぞってこれは切れあれは入れろと言い合う実に有意義な企画で、1巻の星新一さん2巻の小松左京さん3巻の筒井康隆さんは比較的スムースに周囲の納得を得られたけれど、4番目の眉村卓さんで「ねらわれた学園」「なぞの転校生」「ねじれた町」のジュブナイル3本をピックアップする企画に「なんでジュブナイルばかりなんだ」と文句が出た。じゃあ何と聞かれて「消滅の光輪」「引き潮のとき」のまとめてCD−ROMにしろとかいったムチャな意見が出たけれど、これは棚に上げて現実問題考えた時に落とし所は妥当と収斂、紛糾は免れた。

 ほかには「豊田有恒さんはアンソロジーで良い」「田中光二はいらない」「栗本薫は進行中の全シリーズの『いきなり最終回』で編め」等々、革命的にして建設的な見解が飛び交っていたけれど、誰が何をどう言ったのかは記録がないのでいまいち不明、いずれ「SFオンンライン」あたりで克明な暴露が行われることと期待して、3時間目の「星新一氏追悼」をのぞく。10人くらいしかおらずちょっぴり寂しい会場は、牧眞司さんと星敬さんと溝畑さんであるところの日下さんのかけいあいを中心に、星さんがいかに偉大な人だったか、けれども1000編達成の騒動を境に変わってしまったかが披露された。星さんが、自作から時代性を排除するために電話のベルの音をかえるといった改稿を、版が変わるたびに行っていたと聞かされて、そのふるまいに漂う寂しさに、偉大な人材を受けとめきれず、高みへと押し上げて孤高な立場に追いやってしまっていたことに、この国のSF文化への無理解さをうかがい知る。さて3時間目は・・・ってとこで日付が変わったからあとは上。


【5月2日】 夜中になってもいっこうにセキが収まらないので診療所でもらった薬をむさぼり喰う。1つは袋に入った漢方っぽい咳止めで、こちらは副作用とか気にしなくて良さそーなんだけど、もう1つは「アストミン」という錠剤でどういった種類の作用があるのか分からない。こんな時に便利なのがインターネットの有り難さ、GOOでサーチしたらどっかのお医者さんが薬の分類を薬効、副作用なんかにつてまとめているページがあって、アストミンは「延髄中枢に作用してセキを鎮める」とあった。

 効きそーだけど体には決して良さそーな薬じゃなく、こんなものに頼ってまで人は生き延びなくてはいけないのかと、滅び行く人類の最後のあがきに暗然とした気分になる、ってな大袈裟な事は考えずに、直るんなら良いーやとドバドバと貪り喰う。ちょっと前は胃腸薬をボリボリと喰ってたし、その後はバファリンを常用してたし、朝にリポB夜にオロナミンとドリンク剤も飲み放題。もはや体は養鶏場のブロイラーもかくやといわんばかりの薬漬けになっているから、仮にニューギニアで首狩り族につかまっても、きっと肉、まずくて食べられないだろーね。

 見逃した第4話のすさまじさに、もしかすると第5話も、なんてイケナイ期待感もたっぷりに見た「ロストユニバース」は、残念というか良かったとゆーか、ほとんどの場面でちゃんと絵が動いてたし、絵も崩れてなかったし口もちゃんとパクパクしてた。1カ所倉庫の中で振り向いた主役の口が喋っているのに開いたまんまだったくらいで、ほかに数カ所気になるところもあったけど、お話の出来不出来は別にして、絵的には放送禁止なレベルじゃなかったので、これはスタッフ寝ずに頑張ったんだろーなーと、その苦労を偲ぶ。

 こーなると第4話がどれほどすさまじかったのか気になるところだけど、こちとら大昔の「マクロス」で似たよーな目にあっているので、ちょっとやそっとじゃ驚かない。むしろ今のこの週60本とか70本とか作品が流れている状況で、くどいようだけどお話の出来不出来は別にして、至極真っ当な作品が流れていて、中にははるかに高いクオリティの作品が数多く含まれているってのは、むしろ感嘆すべきじゃなかろーか。

 問題なのは、にもかかわらず否むしろ昔より過酷な条件下で昔より高クオリティの作品と作り続けている現場が、たぶん昔より幸せになっていそーもないことで、この状況が改善されるにはもはや世界を革命するしかないと、3色旗掲げてラ・マルセイユーズを歌いながら、「ふらんす祭り」で賑わうお台場に決起したアニメスタジオの人々が、制作の運転するバンに乗って続々と集結する日も遠くないなーと考える。あたしゃ目ん玉旗かかげて迎え撃つ側だったりするんだけど。

 痛む体を持ち上げてサッカーの試合は疲れがひどいのでパスして神田の三省堂まで北村薫さんのサイン会に行く。早く着いたのに会場にはもう列が出来はじめていて、あわてて階段を登って最後尾に並ぶ。清水玲子さんが「PUTAO」に描いていたスキューバダイビングの免許をとって苦労をしながらも潜りに行くとゆーエッセイ漫画とか、たぶん彼女の作品では一番散漫だったんじゃないかと思える「ローズメリーホテル空き室あり」の第4巻すなわち完結編を読みながら待つことと45分あまり、動き出した行列について進んでようやくめぐってきた自分の番、整理券といっしょに本を差し出し相手を見ると、やっぱりおっさんが座ってた。

 もはや「覆面作家さん」とは別人だとは知っていたけど、こんなおっさんを1度でも「覆面作家さん」と同一視した自分を、ちょっといたわってやりたくなる、って人は結構多かったんんじゃないかと思うぞ。もちろん北村さんはおっさんでも作品は素晴らしく、ファンであることにいささかの変化もないんだけど、ただサイン会では緊張感からなのかどこか表情も固くって、せっせと動かすペンにあんまり余裕がなく、もうちょっと嬉しそうにサインしてくれたら良かったのに、ってな身勝手な感想を抱いてしまった。筒井康隆さんは知人であろうとなかろうと、1人ひとりの顔を見て、「やあ」、とか「おお」、とか言ってくれたからなー。サイン会も数こなすと慣れてくるのかな。「講演旅行」ならぬ「サイン会旅行」なんて短編で、誰かそのあたりの心理を書いてくれないかな。

 日銀理事の鴨志田孝之理事が自殺、今はしがないアニメ記者が日銀を担当していた時期には確か三重野総裁の秘書役で、いつもぴったりつきしたがって歩いている姿をみかけていた。世田谷にある自宅にも夜回りに言ったことがあって、その時は空振りだったけど記者との懇親会の席上では会話したこともあったから、その死はやっぱりちょっとショックだね。日銀理事なんて偉そーな役職に見えるけど、大蔵省からガッチリ押さえ込まれて政治家には頭も上がらず、その中で内部の調査をする役を仰せつかって、政治家からは叩かれ大蔵省からは疎まれ、大過なく過ごしたOBなんかからは獅子身中の虫のごとく扱われて居場所がきっとなかったんだろー。

 エリートの挫折、なんてしたり顔してテレビで喋ってる日銀OBがいるけれど、この組織社会で組織の相違から逸脱する行為をとらねばならない人間の、苦しみは多分エリートも雑草も関係ない。それを上まってあまりある、何とゆーか「正義」の心でもあればしのぎ切れたんだろーけど、絶対的な正義はもちろんのこと、相対的な正義すらも見えないし誰も示せない今、人は何をよりどころにして進んで行けば良いのかを、とってもとっても難しいけれど、政治なり教育なりがもう少し考えてくれないと、羅針盤を見失った世界はますます混沌として、やがて瓦解へと進んでいくんじゃなかろーか。やっぱ使徒にでも攻めて来てもらわんとかんのかなー。

 「X JAPAN」のHIDEが自殺、最後に活躍したのがすでに幻の異色作となってしまったアニメ「AWOL」のオープニングだったとゆーのは、果たして喜んでよいのか笑ってしまえば良いのかちょっと分からない。ただし作品の出来不出来はここでも言うけど別にして、あのオープニングの映像とそれからHIDEの音楽は、結構良い出来だったと思ったし、CDだってランキングの結構上位に入っていたから、解散した後で一番伸びるのは実はHIDEじゃないかと見ていただけに、やっぱり不思議でならない。ドアノブで首吊りってのもやっぱちょっと異色だし、これは何かさらに奥があるのかも、なんて考えてしまう私はミステリー読者です。


【5月1日】 連休明けが新聞休刊日で連休中は一切発行しない「日刊紙」だったりするので会社に行ってもやることがない。とりあえずセキがひどくで夜も眠れない生活から脱したいと、会社の診療所に喉の薬をもらいに行く。連休前でお客も少ないからか、暇そーにしている事務員やら薬剤師やらの「ねえねえ、あの人毎週来るよね」的な患者をサカナにした噂話をしらん顔しつつもしっかり耳ダンボで聞き入る。

 名前を呼ばれて診察してもらいセキ止めをもらって退散、同じビルの下のフロアにある会社に戻り、机の上の山積みの資料を片づけたりとかいろいろと身辺を整理をして、「お世話になりました」と挨拶をして早めに会社を引ける。このまま連休明けも出社しなかったらまるで辞世のセリフなんだけど、残念なことにもらうお給料が唯一の糧、かつ夏のLD−BOX「機動戦士ガンダム」を買うにはどーでもボーナスだけはもらわくっちゃいけない。ので連休明けもしっかり会社に出て忙しい中の怠惰の生活を送ることになるんだろー。連休明けも事件おきないといーな。

 「東京キャラクターショー」の発表会で会ったブロッコリーの木谷社長から郵便が届いていて開けるとおおなんと。5日に六本木ヴェルファーレで開かれる「コスパ」への無料招待券が入っていた。「コスパ」に来てね、っていう以上はきっと何かのコスプレをして来いよ、ってことなんだろーけど、生憎とゲームはやってもアニメは見ても、同人誌とコスプレだけは未だ手つかずのチェリー君なんで、招待券を手にしてちょっと困る。会見で僕って実物に会ってどんな風体な人間か知っていて、敢えて招待券を送って来る以上は例えば「落ち武者」あるいは「さらし首」ってな、青いメイクでちょんまげほどいただけで可能なコスプレでも構わないってことなのか。それよりあの格幅の木谷さんがどんなコスプレで登場するのか、そっちにも興味があったりするんですが(しねーよ社長はコスプレなんかさすがに、さ)。

 東京駅から中央線快速を新宿で乗り変えて大久保へ。北口で降りてどこか危なっかしー店が並ぶ路地を通り抜けた先にある、小さなビルの2階に見つかったのが「ギャラリーSHIBAアート」。青木光恵さんの久しりとかゆー展覧会『Fruit Punch<女の子がいっぱい>』が1日から始まっていて、とりあえずご主人の小形さんには某パソコン週刊誌の終わってしまった連載で、ひとかたならぬお世話をかけたので挨拶がてらのぞくものの、あいにくと小形さんご本人は不在。たぶん青木さんって女性とファンなのかアシスタントなのかたくさんの女性がいたけれど、人見知りする性質(たち)なんで黙って会場をウロウロし、裸のお姉ちゃんたちのイラストにウヒヒヒと黙って笑い、ギャラリーの雰囲気にブキミなオーラをまき散らす。

 展示してあるのは、青木さんらしいムッチリ・モチモチ・プニプニ系の女の子のイラストが30点数ばかり、だったかな。多分直筆なんだろーけど、1枚ががだいたい6万5000円で売られていて、初日にして良さそーなところが既に10点くらいが売れてたみたいで、売約済みの赤い丸印が張り付けてあった。当方の月収の倍以上がたちどころに売れてしまう、彼我の差にはちょっと愕然とさせられたけれど、描く側にとってはそこまで自分を持ちあげてきた苦労、それからアイディアを絞って描いて色縫って仕上げるまでの労を勘案すると、決して安い値段じゃないのかもしれない。グッズ類とか本とかも売ってたみたいなんで、時間があればまた行こー。

 富樫倫太郎さんの歴史群像大賞受賞作、「修羅の跫(あしおと)」(学研)を読了、なるほど歴史といっても厳密な考証に基づいた時代小説ではなく、伝奇ありシミュレーションあり戦記ありファンタジーありつまりは実在な歴史を要素として絡めてあれば何でもありな賞であったかと理解する。「修羅の跫」も一応は白川法皇鳥羽上皇のいさかいを軸に、源為義平忠盛の源平のいさかい金太郎と酒呑童子のいさかいといった人間関係を絡めつつ、都を襲った妖怪変化の類とサンジェルマンも吃驚な人間離れした長命の陰陽師、安倍泰成の数千年にもおよび闘いを、描き出す長大なファンタジーの1編とゆーことらしー。

 とまれ出だしの1編は、いわゆる晴明物とも通じる陰陽師のすご腕ぶりと、柴田よしきさんの「火都」なんかにも通じる京都を舞台とした妖怪大戦争、それから朝廷に渦巻く権謀術策を描き出していて、デビュー作にしてはなかななのまとまりを見せていて、読み終えるまでずーっとわくわくさせてくれる。安倍晴明ほど泰成のキャラクターが立っていないのが読んでいてちょっと残念だけど、シリーズを通してずーっとで続けて主人公たちと絡み合う、「火の鳥」の猿田彦みたいなキャラクターと考えれば良いのかも。他のキャラクターたちも何かと因縁がありそーだし、完結した暁には、その辺りの因縁をじくじくと解きほぐして行きながら、遠大な時間を行き来する物語となるんだろー。とりあえず期待、大。


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