縮刷版98年2月下旬号


【2月28日】 朝方まで「街」る。マチルダさーんbyアムロとは関係ない。ようやっと刑事と作家の1日目が終わり、残りの6人の1日目を潰すべくすでに終わった人そうでない人を行ったり来たりしながら、街や会話の中で人と人とがすれ違う瞬間に、別の人の物語へと乗り換える「ZAP」を駆使してそれぞれの登場人物が進むべき道を探る。

 最初はまったく要領を得ず、リニアの時間経過の中でどうやったら別の人の物語に移れるのか頭を悩ましていたけれど、何度か苦労しているとだんだん仕組みが見えて来た。このまま進めばなんとか今日中には1日目を終えられそうな感じだけど、2日目3日目と進むうちに分岐も複雑になり人間関係も錯綜して、なおいっそうの苦労を求められることになるのだろう。最後まで攻略本も付属のマニュアルも見ずにクリアできるか? これはおじさんの全知全能をかけた挑戦なのである。と書いておけばとりあえずノルマ消化と見なしていただけますでしょーか、20前であろーと40近くであろーとやっぱりおじさんなマチーズの方々賛江。

 そーも遊んでいられないので秋葉原に仕事に行く。土曜日の秋葉原で仕事? って思われて当然だけどちゃんと仕事なのだよ今日に限っては。なんでも文化放送とソニー・ミュージックエンタテインメントが初めて最初から手を組んでゲームソフトを作ることになったとかで、会場として指定されていた、会社なき後多目的ホールと化したヒロセムセンの1階にかけつけると、そこには早大勢のあんちゃんのカタマリが発生。脇の受付で名刺を出してバッチをもらい、あんちゃんたちをかき分けて前に用意してあった席に付いて発表会が始まるのを待つ。

 やがて時間となってしつらえられたステージに登場するは、文化放送のラジオディレクターにしてパーソナリティーの女装もすなるおたく野郎のカリスマ、おたっきぃ佐々木。ゲームにアニメ三昧の生活で培ったすべての才能と人脈をそそぎ込んで製作総指揮するとゆーゲームソフト「いつか、重なりあう未来(あした)」の発表に、女装もせずにちゃんと真面目な格好で望むとは、これでなかなか社会人してるじゃんとは思うものの、よく見ると背広の柄は渦巻きで、髪も一部が緑色、これでこそラジオのディレクターだと、せいぜいが丁髷でワークブーツでデニムのシャツってな面目な格好の、実に新聞記者らしー我と我が身を振り返る。やっぱ頭染めよかな。染められるうちに。

 さても「いつか重なりあう未来へ」は、製作総指揮をおた佐々が務めるのみならず、プロデューサーにはバーガー鈴木、監督・脚本には天野裕充、キャラクターデザインにスタジオウイズと聞く人が聞けばそれなりなメンバーを集めている、とか。あたゃしゃ第1世代なんでよー知らんけど、おたくのオピニオンリーダーなんて夕刊フジあたりでも持っちゃげられてるおた佐々が選んだ人たちだもん、そんな彼らが作る作品にまー間違いがはるはずない、よね。ちなみに内容は「SFドラマ的な未来の士官学校で学園生活を疑似体験する」ってな王道を行くストーリー。クリアファイルのイメージイラストに男の裸を載せるなんて、過去にない試みをやってくれちゃっている辺りに、ただの学園恋愛シミュレーションにはない兄貴な雰囲気を感じてしまうが、さてこれはいったい誰の趣味なんだろーか。発売の冬が楽しみ。

 登壇した長沢美樹さんがごくごく普通の細っこいお姉さんだったり、ソフトの中に登場するキャラの格好をコスパでしつらえたお姉さんが2に登壇してもりもりぴちぴち蟹道楽な肢体をご披露してくれたりと発表会も大盛況のうちに終了。おた佐々ほか関係者はこのあと2時と4時からトークショーまで開く大盤振舞で、長沢美樹さん見たさに集まるあんちゃんたちでヒロセムセン前は結構ごった返していたみたい。さすがにそこまでつき合う気力もないと、そそくさと会場を抜け出して秋葉を散策、「ねらわれた学園」のLD−BOXに心揺れるもしばらく保留と決意したり、ヤマギワソフト館前でアルファ・オメガソフトのウソ発見ソフトのデモを見ながらこりゃ面白いと思ったりしながら週末の秋葉でもまれる。

 秋葉原デパートの3階の本屋で鶴田謙二さんの箱入り限定画集を発見、「ねらわれた学園」とは違ってこっちは放っておいたら売り切れてしまうこと必定なので、とるものもとりあえず1冊レジまで運んで4700円(税別)の大枚をはたいて購入する。段ボールケースに入った造本を開けると中には描き下ろしを含めた36点のB64版サイズのイラストが本になっていて、量感たっぷりな鶴田キャラを美麗な印刷によって堪能する。オールスターキャストの解説本でもあるリーフレットとポスターがついて4700円とゆー値段は正直高いよーに思うけど、それでも買う奴(ってオレにことか)がいるってことで、しっかと土台のファン層を持つコンテンツの強みを見せつけられる思いがする。描き下ろしの御前崎真帆のでかい胸見られただけで僕なんかは基本的にオッケーなんだけど、ね。


【2月27日】 宇宙船の近接格闘戦なんて「超時空要塞マクロス」のダイダロスアタック以来かなー、なんて思ってしまった「星方武侠アウトロースター」の第8話。急加速急停止を繰り返しながら宇宙船が伸ばしたアームで銃(っても大きいんだよね)を撃ち相手を掴んで引きずり回すその様は、顔も目玉も付いていないけどどこかモビルアーマーを思い出させる。宇宙が舞台のスペースオペラ、ミサイルを撃ちまくっては逃げたり隠れたりするしかない宇宙空間での艦隊戦を、カッコ良く見せるためにはやっぱこーするのが1番だったってことなのかな。裸のメルフィナがジーンを抱くシーンは是非ともLDで補完してもっと詳しくもちょっと長くして戴きたいもの。ポッドに収まったメルフィナの、胸を抑えた腕と足の付け根を覆い隠したパーツにも、是非とも後退場願おう。そこんとこよろしくねサンライズさん(聞いてない聞いてない)。

 雪印のコーヒー牛乳飲んでいるから許しておくれよ、と言ってもダメだろーけどやっぱ根気入れてやらないと進まないんだよねチュンソフトの「街」は。一応メインのキャラ8人全部をざっとたどってみたけれど、美子の2分でバッドエンドを手始めに、キャラの全てがことごとくバッドエンドへとたどりつき、何時かなんか渋谷の街まで吹っ飛んじゃって、それでいて未だに1日もクリアしていない。少し頭を冷やそーと、代わりにドライブに放り込んだ「悠久幻想曲2」も、やっぱり仕事がことごとく失敗で、信頼は得られずお金も稼げず、このままではバッドエンド間違いなしって状況に陥っている。アクションやシューティングで反射神経の無さを認知はしていたけれど、生来の優柔不断さもやっぱりゲームに向いていなかったとは。鈍感で優柔不断でもパンパカパーンなゲームって、何かありますかぁ。

 松竹を叩きだされれ2カ月もたたない現時点で、新しい映画の企画会社を作って仕事を再開するとは、映画への情熱の賜と見るべきなのだろーか、それとも解任されたことをいささかも恥ずかしいと思っていないと見るべきなのだろーか、奥山和由さんにナムコや日活や多分ギャガあたりがお金を出して、企画会社を設立するってニュースには、見かけ以上にドロドロとしたものが感じられてちょっと怖い。奥山さんを追い出した旧体制にどっぷりとつかった映画業界、東映東宝の重鎮たちだって支持したクーデター劇の当事者を採用するとは、端で見ていると旧体制に思いっきりケンカ売ってるよーにしか見えない。

 エースピクチャーズとアスミックが合併する時だって、エース親会社の角川書店の角川社長は失楽園とかエヴァとかいったヒットソフトを供給してあげているにも関わらず、ちゃんと東映岡田さんのところに行って挨拶し、アスミックのビデオ事業が東映ビデオなんかとバッティングするってことはないと詳しく説明したとか。奥山さんについても、反省の色無しで映画撮るなんて10年早いと角川さんの語気も厳しかったし。とにかく旧体制がガッチリして逆らいがたい雰囲気のある映画業界から、撮影とか配給といった部分で奥山ブランドで果たして支持が得られるのか。ってことから映画館まで買ってしまおーってことになりそーなのかな。とまれ秋にゃあ何らかの成果が実績となって出てくる筈なので、背水の陣から絞り出される英知にとりあえずの期待をかけておこー。

 お金のある人は明日朝1番に秋葉原に行って新品の「ピピン」を買ってそのまま50年倉庫に放り込んでおこー。ついに「バンダイ」あのマルチメディア端末の「ピピン」事業を事実上断念して、「ピピン」をやっていた子会社のバンダイ・デジタル・エンタテインメントを解散し、もうハードは売らないしソフトも作らないことになった。聞くと「ピピン」は日本じゃーたったの3万台しか売れてなくって、全米と合わせても4万2000台しか流通しておらず、残った5万台の在庫は一挙に処分することが決まっているから、絶対量の少なさが希少品としての価値を増すことは間違いない。そーいえば歴代のCD−ROMドライブのほとんどを有しているとゆー助教授は、もちろん「ピピン」モ持っているはずで、情報の広がっていない今この時間に譲渡を約束させれば、後で利ザヤが稼げるかもしれん。おーいどーだーい。

 うまくしたものでバンダイ・デジタルでソフトを仕切っていた鵜之澤氏、1月のうちにバンダイ本体へと戻ってしっかりとデジタルエンジン・プロジェクトのリーダーに就任してるから今回の会社清算のアオリを喰うってことはない。社長の人によると別に意識して戻したってことじゃなく、「パトレイバー」とかやってた時代に培ったアニメ人脈を発揮して欲しいとの思惑があってのこと。映像自体はもちろん渡辺繁さんのバンダイ・ビジュアルが担当することになるんだけど、その上に本体で鵜之澤さんがでいーんとかまえていたら、やっぱりプロジェクトのイニシアティブは鵜之澤さんが取るってことになるんだろーね。運輸省から出戻った僕が言うのも変だけど、やっぱ(オタク)藝は身を助ける、もんだねコンテンツの時代はホント有り難い。


【2月26日】 おっさんが乗るよーな自転車だからパパチャリでそれが7段変速だから「パパチャリーノ・ナナダン」だったとは、言われて初めて気付く吃驚仰天なネーミングであったのだよ「フォトンのドラマその2」で明かされていた真実に、梶島正樹さんの和風なテイストを入れ込んだ絵柄にも負けない特異なネーミングのセンスが、「フォトン」でも変わらず発揮されていることを知る。ドラマは「その1」に続いてバズーカ山寺大活躍。絞った野太い声でエロエロな役柄を演じてくれているのが音だけだとなおいっそう強調されていて気持ち・・・良かあないけどでもやっぱり凄い。アウン役の堀江由衣さんも凶悪さがにじみ出ていてこっちはイジメられてるよーで気持ちが良い。いつまでもアスカの「あんたバカァ」にブルッてないで、アウンの言葉の毒に身を浸してみるのいーぞ。キングレコードから絶賛発売中。LDはちゃんと出るのか?

 山のように本を買い込む。でも種類バラバラ。スタニスワフ・レムの「虚数」とジェフ・アボットの「図書館の美女」と古川日出男さんの「13」とデボラ・キャドバリーの「メス化する自然」の間に共通点はまったくないし、他に鞄に入っているのが「フォトンのドラマCD」とハイパーヨーヨーとガシャポンのザラブ星だったりするから、仮にそうだな犯罪に巻き込まれて残されていた鞄を警察調べた時に、ロバート・K・レスラーが持ち主像を推定して頭を悩ませる姿が瞼の裏側に浮かんでは消えない。架空の本の書評ばかりを集めた「完全な真空」に続く架空シリーズ第2弾(なのか)の「虚数」は、半分は架空の本の序文ばかりを集めた奇天烈な本、でおまけに「日本語版への序文」まで付いていて、筆者は日本挨拶学協会会長の梅草甚一ってゆーからとことん凝り凝りな造りになっている。残りの半分は天才コンピューターの講義録、らしーからさらに奥深い。弱った脳にはキツイ本かもしれないけれど、春になって心に余裕が出たら(フトコロは逆に萎む)蛍雪頼りに読んでみよー。

 「図書館の美女」は「図書館の死体」に続く図書館シリーズの第2弾、だけど図書館がほとんど舞台にならず図書館に関わるエピソードもなく、図書館の館長が主人公である意味がほとんどなくなっているのがちょっぴり残念。物語自体は南部の田舎町のステレオタイプなまでに個性あふれる人々が、信頼感と猜疑心と愛情と憎しみにもまれる様に辟易としつつもほっとした気持ちになる。悪くない。「13」は内容はいっさい見ずに、マジックリアリズムって帯の言葉と、アンリ・ルソーの「蛇使いの女」の絵だけ見て買った本。たしか「虚数」と同じ「文学の冒険」シリーズにもルソーの絵を使った本があったっけ、確か南米のマジックリアリズムの本だったなあ、うんうんこれだイザベル・アジェンデの「エバ・ルーナのお話」。2つ並べると構図まで全くいっしょの表紙絵に、知らずにいたとしても装丁の人あるいは出版社の人の、抜かりを思って苦笑する。「眠れるジプシー女」とかにしとけば良かったのに。

 予約しておいた萩尾望都さんのCD−ROM作品集をショップで回収して来る。雑誌「WIRED」によれば、映画監督の佐藤嗣麻子さんが監督業をお休みしてまで企画から編集までそのいっさいに関わった内容で、萩尾さんが隠したかった絵でも引き出しを開いて出して来ては説得して収録したとゆー、ファンなら絶対に買い逃すことのできないCD−ROM。買ったのはもちろん限定版の方。CD−ROMにも入っている描き下ろしのカラー新作「彼」「お葬式」の複製原稿と、有名著名な人たちへのインタビュー映像と、新作のメイキング画像が入っているから超お徳。んでもってインタビューにはあの小谷真理さんと巽孝之さんの両方が名前を連ねていて、これで違う人なんだとゆーことが確認できるとCD−ROMを取り出して、その前に動作環境を確かめると、漢字TALK7.5.3以上とあるではないか。ドッカーン。未だケチって7・1を動かしている身を、今日ほど深く悔やんだことはない。アップグレードしよーかな。


【2月25日】 おめでとうございまーす、と加野瀬未友さんに1票、はもちろんジャパンミックスの新雑誌「ピュアガール」創刊を祝ってのもの。117ページのコラム「オタク定点観測」で加野瀬さんが分類するところの第1世代にずっぽりとハマっている僕としては、第3世代から更に先を担う人たちが誰でどんな絵を描いているのかを、同世代の感性によって教えてくれる実に有り難い雑誌です。いささかの偏見もあって見ていた美少女ゲームエロゲームだけど、掲載されている絵を見てまず思ったのが「美少女はどれも同じではありません」ってこと。誰もがとにかく綺麗で巧くてそしてエロい。

 四角形の中に美少女を配した時にどんなレイアウトでどんなポーズをさせればエロく見えるのかを、誰もが実によく知り尽くしているから、パッと見た瞬間に直に脳天に響いて来る。動いて男もおじさんも必要なアニメとは才能の種類が違うのかもしれないけれど、それは第1世代と呼ばれる人たちにだって、その前の世代に比べて言えたこと。オタク向けのブツは作らないけれど、オタク向けのブツに金を出す会社に向けた記事を書いている以上は、第1世代の感性だけで無責任なことは言えないと、よくよく思い知らされた次第。と書いておけばアンケートで何か当たるかな?

 第1世代とえいば「プロダクションI.G」が出している98年のカレンダーがちょっと凄い。北久保弘之さん描くところの謎のセーラー服美少女(戦士なのかな)とか、永野護さん描く日本神話風の美少年美少女とか、橋本正枝さんの寅美少女とか、黄瀬和哉さんの水着少女に尾崎南さんの悪顔美青年にいのまたむつみさんの蓮美少女とか・・・とまあ実に豪華なメンバーがイラストを寄せていて、非売品ながらも(非売品だからこそ、か)ショップで売れば数千円の値段が付いたって不思議じゃない。

 非売品の中身をどーして知っているかとゆーと、それはソニー・ミュージックエンタテインメントの関連会社で何度も紹介している「はれときどきぶた」なんかを作っているSPE・ビジュアルワークスの社長の人に見せてもらったから。ビニールを取り払って電話代の横に無造作に置いてあるその有り様に、いなくなった瞬間そそそそそっと近寄ってフトコロにガバ、ってな衝動にかられたけれどそれは流石にまずいよなあ。しかしアニメのスタジオってこーゆーオリジナルなカレンダーをたいていは作るものなんだろーか。アニメ雑誌なんかで特集してるのもあんまし見ないし、うーん今度サンライズとかで聞いてみよー。

 SME本体の機構改革でピングーとかこどちゃやってるSMEのビデオ部門が入ってくることになったSPEビ・ジュアルワークスだけど、当面はこれまでの仕事の形態を変えずに移管されて来た部門はキッズ向けのビデオとかスポーツ物とかアニメのパッケージングとかを手がけて、これまでの部隊は第1部となって「剣心」に「はれぶた」の制作と、それから映画の制作とかを継続していくことになるんだとか。ってことはつまり「はれぶた」は4月以降も続くってことで、それも予定では9月までは続くことになっているらしー。

 去年の7月にスタートし、1年と3カ月も続くことになるとは、大きいお友達には人気でも決してブームになっているよーには見えない「はれぶた」でも、これで結構人気があったんだね。こうなったら社長の人にはよりいっその人気の定着を狙って、夏の「ワンダーフェスティバル」には「はれぶた」も「剣心」も1日版権を許諾してもらい、いっぱいの「はれぶたちゃん」と「10円安」と「たまちゃん」と眼鏡を外せる「お父さん」とえっと面倒だ全部のキャラのガレージキットとソフビ人形とヌイグルミを、全国のガレキ屋さんに作ってもらいましょー。どうですか。

 その「ワンフェス」では冬のレポートが「モデルグラフィックス」に掲載。表紙ではボーメさん原型の村上隆作「KO2ちゃん」が、ちょっとだけパンツみせてすっくと立って微笑みかけてくれている。うーんますます手に入れられなかったのが悔やまれる。がしかし中をあければ居並ぶホンマもんのガレージキットの数々に、いくらボーメさん原型とはいえベースに厳然と存在する村上さんの「ガレージキットのベタな文脈を持ち込んだ」デザインが、アニメやコミックやゲームのキャラがベースにある普通のガレージキットとは、やっぱり違うものであることを見せつけられる。

 しかし表紙でテキストを書いているあさのまさひこさんの、「錯乱状態」とか「事前予想を裏切り」とか「半年ほど前は完全に『オタクの敵』扱いだったことを考えれば」とかいった表現には、「オタク」の代弁者然としてふるまうあさのさんの、純粋だけれど頑なにフィールドを守ろうとする意志が感じられて、アートにも関心を持っている読み手をちょっと身構えさせてしまう。アートの側にとっては正直言って不愉快だし、オタクの側でもなんだかオタクの狭量さを象徴するような文章で、何もそこまで言わんでも、もっとおおらかな気持ちで受けとめてやってもいいんじゃないかって気がしてくる。

 同じ号ではあさのさん、ニューヨークのギャラリーでボーメさんの作品が展示されたことに関連して、ギャラリーのオーナーに行為を含めてアートと考える村上さんのアプローチが、純粋に作品性だけで勝負するボーメさんの作品と決定的に違うとゆーことを分からせよーとしていて、挙げ句にうまく聞き出せずに「負けだ」とぶん投げている。なるほど村上さんはガレージキットを作るという行為を含めてアートと意識していやっているけれど、それから村上さんの「KO2」ちゃんとボーメさんの作品は確かに違うものだけど、その違いをニューヨークのギャラリーのオーナーが知る必要があるんだろうか。

 行為を含めてアートという傾向をどこか忌避して純粋に作品性のみを見て欲しいを考えている節のあるあさのさんだけど、その実ガレージキットを作りたいという作り手の意志をくみ取って、その意志こみで作品の評価をしていることになりはしないか。無理に違いなんて分からせる必要なんてない、純粋に出来上がった作品だけをニューヨークに放り出して評価してもらえば良いと思う。認めないならこっちで勝手に怒れば良いし、勘違いしているなら笑ってやれば良い。これってやっぱり似非オタクの考え方、なんだろうか。

 しかしどうして「彼氏彼女の事情」なのか分からないぞ庵野秀明監督の次期作品。昨日のガイナックスのサイトですでに発表になっていたけど、実際に書店で「LaLa」を見て、実際の漫画を読んでみて、ますます分からなくなって来た。この絵がどうやって動くんだろーか、それからどんなシナリオになるんだろーか。楽しみだけど不安もたっぷり。より真相に近づくために、ここは募集している声優オーディションに応募して、現場であれこれ確認してみるか。18歳以上とはあるけれど、30歳未満とは書いてないからきっと僕でも応募だけなら大丈夫だな。合格したら会社なんて飛び出したっていーさ。どーぶつだってしょくぶつだって演る覚悟はありますぜ。


【2月24日】 しゃこしゃこと小豆洗い、じゃない机の上に積み重なったリリースの処理に午前中を費やす。つーてもお昼間際からのスタートだから午前ったってものの1時間くらいしかないんだけど、そーゆー怠惰な日常の暴露はさておきアスキーがインターネットのホームページでGAGAの向こうを張って新作映画絡みの来日記者会見の配信を始めたのには何か理由でもあるのだろーか。かつて映画で大きな痛手を負った会社がまたもや映画へと復帰する、これを嚆矢を見る人はいないだろーけど、とりたてて映画雑誌を出している訳でもなく、内容的にアスキーならではのテクノロジーが使われているよーにも見えず、これだけのために費用や人材を裂いてやいるのだとしたら、それがもたらす収入なり効果を考えた時に、果たしてペイしているんだろーかと疑問で仕方がない。まあ将来への布石かもしれんし、おいおい様子を見ていこー。単純に考えればただ映画が好きな人がいてやろーって鶴か亀の一声を発したのかもしれないけどね。

 面白れーよなー、バンダイって会社は何にだってキャラクターを付ければ済むと思ってる。でもその付け方が実に堂に入って歴史と伝統を感じさせるから、どこもがバンダイにキャラクターを預け、それでバンダイは一儲も二儲けも出来るんだろー。その最新作ってのがかの「ドラえもん」をフィーチャーしたガーデニングのグッズ類。たとえば植木鉢にはタケコプター付けたドラエモンが双葉の芽吹く鉢を抱えたイラストと、ドラえもんの浮き彫りが付いてるし、それから中に水を入れて植木鉢に指しておく一種の水差しは、もろドラえもんの形をしていてちょっと可愛い。でも色が2種類あって1つはブルーのドラちゃんなんだけど、もう1つが緑のドラえもんでちょっとブキミ。ドラ焼きならぬキャベツかレタスでも食べ過ぎたよーな顔色で、よくぞ版権者が許したものだと首を傾げる。緑色のミッキーなんて多分絶対登場しないだろーからね。

 まだ発売前だけど、茎とか蔓とかがどれくらい伸びたかを図る定規みたいな形をしたフラワーネーム・プレートには、なんと頭のタケコプターが風でクルクル回るドラちゃんの人形が付いている、よーにイラストでは見える。どーせだった音楽を聞かせると育ちに影響するって説を採り入れて、逆境にも負けない強い植物を育てるために中にテープレコーダーを仕込んで日々唄を流すジャイアンの人形とか、上から水をまくと服がすける静香ちゃんの人形とか、同じ水をためる貯水層が横についていて、そこにはいつも静香ちゃんが使っている植木鉢とかを出せば、なおいっそう「ガーデニング」を日本に広めることが出来るのにいと、ここに勝手ながら提案させて戴きます。

 ほかにもいろんなキャラクターのガーデニング商品を出していくそーだけど、「仮面ライダー」のサボテン男の頭の形をしたサボテン用の植木鉢ってのはあんまり出して欲しくないなー。あと「キノコモルグ」の頭の形をした椎茸の苗床とか(って出すはずなかろーに)、テレビ蝿の頭の形をしたテレビとか、ってこれはガーデニングとは関係ないか。やっぱここは「エヴァ」でシリーズを出して、育ちの早い植物に被せる綾波形のフクロを出して、ムクムクを大きくなる様を見て楽しむなってことを、潤いの乏しい男の子たちに味わわせて戴きたい。どうでせうか、バンダイさん。

 そんなに巨大化する綾波が気になって仕方がないのか鶴岡法斎さんは、本日発売のジャパンミックスが満を持して刊行する話題の特撮映画雑誌「ヘッドプラス」のコラム「総天然色美少女」で、病院に見舞った少女が芋ヨーカンを食べて巨大化する様を妄想している様を、スパイが感応してそれが映画にパクられたんだと、自由な発想を膨らませている。同じページに見開きで、右に配されたコラムは何とまあ特殊翻訳家の柳下毅一郎さんの「罪物語」で、なかなか濃い目の人選にこれでなかなかイケる雑誌なんじゃないかって、そんなことを思い始めている私はよく道に迷います。

 コラムの凝った人選はほかに高橋良平さん、いぬちゃんこと加藤賢崇さん、永瀬唯さん、中原昌也さん、唐沢俊一&唐沢なをき兄弟ほか多数。毎月これだけのSF映画特撮映画ホラー映画が集まるんだろーかってゆー創刊号は濃度あるけど来月号が早心配な本編はさておき、コラムに連載を読むためだけに買ってもいーかなって思ってる。思ってるだけであとは立ち読みで済ます可能性も大だけど、広告に入っていた「ピュアガール」は25日創刊、もしかしてもー店頭には並んでいるのかな。「一番絵のキレイな美少女マガジン」ってアオリに編集者某の絵へのこだわりが伺われる。590円って値段もとってもリーズナブルで、あとはどんな連載が載っているのか、とっち確かめつつ手に取りこっちは勉強もかねて買ってみたい。だからはだかいっぱい、ね。

 いいことをしていなくてもいいことはある。横浜のスターライトマリーから「悠久幻想曲 セカンドアルバム」が届く。セガサターン向けだけさっさと出してくれる、サターンユーザーは神と崇めてもよいその行いに、西の空を眺めながら深く頭を心の中で下げる。自宅に帰って早速プレイ、中身自体は前の「悠久幻想曲」はもちろん「エターナルメロディー」ともほとんど同じ、仲間をつくってお金稼ぐなりしながら時々ルーレット双六で対決するってパターンだけど、やりだすとついついノメリ込んでルーレットをちゃこちゃこと回している自分に気付く。

 今回は猫手パンチなメロディーは仲間としては登場しないけど、時々現れては「ふみゅう」とか言ってくれるのがラブリー。オープニングの多分タケカワユキヒデさんの唄はプリティー。血管経ってない青筋も入ってない腹筋も痛まない気軽に楽しめるソフト、渋谷が大爆発に巻き込まれて一巻の終わりな「街」を脇にのけても、しばらくは「悠久」三昧の日々が続きそー。うーむこれで自分がパイ投げられ増当さん以上の「悠久ファン」であることがバレちまったい。内村さんありがとー。

 といいつつ横浜市だけどちょっと場所が違う日吉駅そばにある光栄へと向かう。歴史シミュレーションの光栄が、いよいよプレイステーション向けのRPGとかに本腰据えて取り組むって発表会で、それだけのためにソニー・コンピュータエンタテインメントお徳中社長が来場するとは、よほどSCEさんソフトベンダーに気を使っているみたい。挨拶でもPS立ち上げの時に今の襟川副社長(つまりは奥さんの方ってこと)から歯に衣着せぬ意見を頂戴したって話していたほどで、やっぱりそれだけセガ・エンタープライゼスの「次世代機」発売がソフトベンダーの再度の旗幟混沌を招くのかもしれないと、SCEが恐れているってことなんだろー。まあ大丈夫だろーけど。

 なおのこと吃驚したのが「精霊使い」の岡崎武士さんがゲストとして来ていたこと。中央列の左ハジに座っていた丁髷の髭が僕ですよーっだ。しかし岡崎さん、漫画家の仕事は引退したとかで今はイラストを中心にやっていると聞いていたけど、まさか光栄でゲームキャラの絵を描いていたとは。そのゲーム「封神演義」は中国を舞台にしたシミュレーションRPGで、岡崎さん描くキャラクターは主人公の太公望ほか顔に見事に岡崎さんの絵のイメージが再現されている。もちろん実際のゲームになった際にどこまでイメージが再現されているかは疑問だけど、とにかくも少年ジャンプで大人気のマンガの向こうをいって、我らが岡崎キャラが「封神演義」には相応しいなんてことを、世間の人々に言わせて欲しいですね、光栄の技術陣さんへのお願いです。

 他のプレイステーション向けタイトルでは、膨らんだり避けたり割れたりと、縦横無尽に変化するマップの上で戦いを繰り広げる3D格闘技ゲームの「デストレーガ」なんかにちょっと関心。あとRPGでは「ジルオール」ってタイトルソフトを出す予定で、いっしょにくっ付いて来た末弥純さんのイラストの、それぞれのキャラが失わない高貴な凛々しさに感じ入る。ゲーム場面は相当にダミーが入っていて、これが発売後もそのままではちょっち苦しいかなってな不安をとりあえずは払拭してくれた。3本の新ジャンルに加えて教育とかいろいろな分野でも呼応して新しいソフト作りが始まりそーな光栄。20周年を迎える今年は副社長のドクゼツともども見逃せない、ぞっと。


【2月23日】 「エヴァ」の胴体を模したライターとか、シンジくんの通学用ランドセルとか、最近ではエントリープラグ型の極太ボールペンといった具合に謎のグッズを次から次へと手がけているビームエンタテインメントに行って社長の人と雑談、去年のバンダイの大騒動で茂木隆さんが本体の社長になってしまった関係で、常務から昇進して今や社長となってしまった川島さんに、ますます快調なオリジナルアニメビデオの話とか、ますます怪調なレア物グッズの話を聞く。

 まずはOVAは広井王子さん企画の「聖少女艦隊ヴァージンフリート」で盛り上がり。今や「サクラ」で飛ぶ鳥だってケンタッキーに変えてしまう広井さんが、時代的には「サクラ」の次に属する乙女の純情可憐な活躍を描いた作品を、どーしてバンダイグループとはいえ決して世には知られていないビームが手がけるよーになったのか、忙しい人を篭絡する秘訣を聞く。つまり結局は人のつながり重要ってことで、やっぱアニメの業界は、長くないと生きていけないんだなーと嘆息する。

 グッズ類ではその造詣の異様さに売れるのか、と心配していた10万円もする綾波レイのクリスタルアートが、意外や150体も注文を受けていると聞いて驚く。このグッズ、直方体の透明クリスタルの中にレーザー傷をつけて光りが素通しにならない部分を、それも綾波の形に作ってしまうとゆーハイテクな逸品。但しチラシの段階では中に刻まれた綾波の頭あたりがちょっとデコボコしていて、有名原型師の手になるフィギュアを見慣れた目にはちょっと不満足な品に映った。

 けれども応接の部屋に燦然と輝き陳列してあった完成品は、ツクダかどこかの原型を元に光によって刻まれたプラグスーツ姿の綾波の、体表は滑らかにブラッシュアップされていて、それからレイの背後でやっぱりクリスタルの中にしっかりとネルフのマークも刻まれて、これぞ近代科学の勝利ってなオーラをさんざんっぱら発散していた。部屋を暗くしてスイッチを押すと、下の台から本当に光が当たって中でキラキラとレイが輝くらしー。イスラエルの軍事技術を応用したってことだけど、まさかイスラエルも軍事技術でニッポンのアニメのギャル刻まれるとは思ってなかっただろーな。でもとにかくすっげーぜ。

 さらに凄いのが本日初公開な「初号機」バージョン。もとがアニメなキャラを立体化したレイとは違って、ガイナックスご推奨なバンダイのLMHGの「初号機」を原型にした本作は、透明のクリスタルの中に化石のように刻まれた、眠りに尽きながらもいつかクリスタルを割って飛び出して来そーな迫力の初号機がホント格好良く、お金があれば是非とも1つお買い求めさせて戴きたい逸品に見えた。透明だから股関節が食い込んである部分もグラデュエーション的に再現されていて、ちょうど透明フィギュアがガラスの中に封じ込められたイメージになっていて、見る物の不思議感を増してくれる。

 担当者の人によればやっぱりロボットの方が3次元データがしっかりしてたりするのでディティールをしっかりとクリスタルの中に再現しやすいんだとか。今はエヴァ程の訴求力を持ったキャラがないから他への展開は未定だそーだけど、それこそアメリカンなキャラを入れれば市場は一気に世界へと広がるだけに、これはビームなかなかな物を作ってくれたとメイド・イン・ジャパンの底力に期待がかかる。マクロスとかガンダムとか作んないかな。マジンガーでもいーや。

 ここんちのもう1つのウリがちょっと高級な限定テレカのシリーズ。「15周年マクロス」とか「サクラ大戦」とか「ナディア」とかフ「ァイナル・ファンタジー」とか、実にいろいろなキャラクターを見つけて来てはテレカにしてメダルを付けてショップとかで売ってるんだけど、だいたいがほとんど売れ行き好調で、デジタル関連がちょっぴりダウンなグッズ部門にあって確実な売り上げが期待できる商品になっている。最近ではやっぱり「エヴァ」で特別版のテレカを出してこれもなかなかの評判。世の中には「限定」に弱い人が多いんですね。不思議なのが「悠久幻想曲」のテレカもやっていることで、これってミリオンには絶対的にほど遠いゲームなのに、何故か根強いファンがいて、フィギュアなんかも結構出てたりするんだよね。もーすぐ「2」も発売らしく、テレカも合わせて出していくとか。「悠久」ファンなら注目だ。つまり僕が個人的に注目だ。

 ちょっとだけ昨日の続き。例えば山形浩生さんが「オルタカルチャー」で結果的にかけてしまった迷惑の代償にと、東洋経済新報もダイヤモンドも日本経済新聞社も扶桑社もソデにして、100万部は確実な革命的文体の経済書であるところのポール・クルーグマンの「期待しない時代」をメディアワークスから出すことになったとしよー。ゲーム雑誌やヤングアダルトは得意でも経済書なんて初めてな出版社がそうそう容易に経済書ーっ、てな重厚な装丁を出せるはずもないし出しても主婦の友社ではとてもセールスが出来ないから、ここはこれまでの流れを入れて、雑誌や文庫と同様にタイトルにもでっかく「電撃」の文字を入れることになるだろー。

 うん、これでメディアワークスの本だってゲームファンにもばっちり、って別にゲームファンに読ませる訳でもないけれど、せめて30歳過ぎてるんだったら、ゲームが好きだらってたまには経済書くらい読んだ方がいーよ。つまり自分のことだけど。でもって表紙はそーだな、メディアワークスの雑誌をこれから連日飾るであろー「電撃」イチオシのアーティスト、そう「悠久幻想曲」のイラスト担当のmooちゃんが、メロディー・シンクレアか誰か可愛い女の子を書けば、なおのこといっそうゲームファンにアッピールできること請負だ。悠久プレーヤーであることを編集後記でカミングアウトしたキネ旬のパイ投げられ増当サンだってきっと買うぞ。


【2月22日】 とりとめもなく池袋へ。パルコの5階でアクションフィギュアをざっと舐めた後で三省堂書店の跡地をのぞくと、あちらこちらから古本屋が出張って店を出していたので何か出てないかチェックする。ワイド版で大昔に出たたがみよしひささんの「我が名は狼」が2冊組で800円で並んでいて迷うも、片づけたばかりの部屋に鳥の巣よろしく古本を、それも文庫の何倍も大きな本を持ち込んで部屋を狭くするのも適わんと、はやる心を抑えてそっと棚へと戻す。

 別の棚では内田善美さんの「星の時計のLiddle」が3冊セットで1500円で出ていたのがメッケ物、でも出た時に買ったのをこっちに持って来ているので、救出は他の人に任せる。大泉実成さんが「消えたマンガ家」のラストで持てる愛をそそぎ込んで復活を呼びかけていたマンガ家さんだから、読んで絶対に損はない! と思うけどなかなか再評価なり再刊の動きは起こらない。哀しいなあ。

 当て所もなく池袋西武の食料品売場へ。バーボンが切れたのであれこれ物色していたら日本酒の棚にマボロシの純米大吟醸「蓬莱泉 空」が1本だけ残っていたので即ゲットォ! 地元愛知県でもなかなかお目にかかれないこのお酒、日本酒を滅多に飲まない人間ながら、知り合いに進められて何年か前に1本買って、そのフルーティーな味わいにグググイっと一気に開けてしまった事があり、以来ずっと記憶に残っていた。3200円とゆーお値段になかなか手が出せず、それ以上にショップに並ぶことが滅多になく、およそ6年ぶりくらいの購入に、わざわざ池袋まで出向いた甲斐があったと天に向かって感謝の言葉を捧げる。

 なんて思っていたら、自宅近くの船橋西武にもしっかり2本入ってやんの。遠くからわざわざ外気に温度が上がる心配に胸を痛めつつ持って帰ったのが、なんだか無駄足に思えて来たけど、それも結果論でしかない、ある時に買うのがやっぱレア物をゲットする鉄則なんだろーね。流石に2本ともゲットはお金がないのであきらめて、変わりにジャック・ダニエルズを晩酌用に購入する。なんでまたバーボンを、なんでさっさと飲まないの、とは言うものの、さても貧乏が板について蒲鉾と化している身だけに、高いお酒はもったいないが先に立ち、冷蔵庫の中で1年2年、眠り惚けてしまう可能性が今のところ大。さても栓を開ける機会は訪れるのか。記念日なんてないしなあ。

拠り所を求めてリブロへ。知らないうちにまたレイアウトが変わっていて迷う。「WIRED」の4月号を購入、だんだんとタテ書きのレイアウト造りに慣れて来たのか、最初の頃に比べてぐっと読みやすくなっている、気がする。「未来を探せ」とゆー特集に合わせたかのよーな、レトロフューチャーなフォントを配した表紙がとっても雰囲気出してるし、中身の方も例えば電通の株式上場に関連したイラストとか、新しく始まった「真レビュー大戦争カクレンジャー」のコーナーでヨーヨーぶん回すカクレンジャーたちのイラストとか、それぞれの企画それぞれの記事にどんぴしゃりな色遣い&レイアウト&イラストレーションで、記事の切り口の妙味も含めてよくぞこの値段(890円)で出せるもんだと感心する。編集後記のチクリ度もますます会長、じゃない快調で、どこのコンピューター屋さんにも気兼ねなく出せる雑誌ならではの強みだと、そのまま西の方角に向かって手を合わせる。合掌。

 ここんとこ読むとそろそろ撤退戦が始まったよーにも取れる山形浩生さんが、「WIRED」のコラム「山形道場」で触れている「ぼくがいま訳している経済学の本」ってのは、たぶんポール・クルーグマンの「期待しない時代」のこと。去年の終わり頃にコピーをもらってざくっとダイジェストで読んだけど、いやもう本当に偉いえらい経済学者の本なのかとゆーくらいに砕けた訳文になっていて、柳下毅一郎さんじゃないけれど「経済がこんなに分かっていいかしら」なのである。

 いや僕の頭では分かった気になっているだけで、その実右から左へとすーっと抜けてしまったりするんだけど、ともかくも冒頭のサミュエルソン大先生の「刊行によせて」から序文本分見出訳注に至るまで、すべてが「話しかけ」て来る。あちら側が撤退する敵を今が好都合とせん滅に来るかどーかは分からないけど、女性差別論争にはなってもSF論争にはどー考えても発展しそーにない裁判は早めにちょちょいと片づけて、ちゃっちゃとこっちゃの本をやっつけちゃって戴きたいもんです。でも出すとこ決まったのかな。

 「わかりました。あなたは『街』を買うしかないようです。あなたの進む道は用意してあります」。と御影草時はもちろん根室教授は言わなかったけど、代わりに浜松助教授が他のおじさんたちとつるんで叫んでいるので、近所のファミコンショップまでテコテコと歩いてチュンソフトの「街」を買いに行く。中古も扱うそのお店で「街」は4280円の中古価格が付いていて、だったら新品はと見ると4780円とあんまり変わらず、だったら一応体面もあるんで新品の方を購入する。秋葉原あたりでもだいたい4980円前後が主流だからちょっとは安いかな。

 プレイしてないんであくまでも印象だけで物を言うと、「街」がファミコンショップでギャルゲーとかスポーツゲームとかと一緒に並んで売られているのは相当に違和感がある。外観は確かにセガサターン向けのゲームで、同じCD−ROMとゆーメディアに入ってはいるけれど、こーゆー内容の作品を遊んで楽しい人、あるいは遊んでもらいたい人たちが、ファミコンショップなんかにやってくるのだろーかとゆー疑問が浮かんで来る。むしろ既存のリニアな小説に飽きてしまった、既存のリニアな映画に飽きてしまった本好き映画好きの人たちにこそ、相応しい作品のよーな気がする。

 けれども広告もプロモーションもレビューも大半がゲーム誌が対象で、これでは本好き映画好きに「街」なんて面白い作品があるって情報は伝わらない。本当だったら大新聞が、文化欄のそれも小説とか映画とかと同じ欄で、新しい形の小説だ、あるいは映画だ、なんて取りあげるのが手っ取り早く情報を伝える手段なのかもしれないけれど、そんな融通が今の大新聞のシステムで利くとは思えず、かといって超が1億個は付く我が新聞では何の足しにもならないし、そもそもまるで相手にされてない。それは読者だけではなく、作り手側、送り手側にも。ゲームがジャンルとしてだけではなく手法としても認知され、そこで何が語られているのか、表現されているのかによって垣根なんか関係なく幅広いシーンで取りあげられるようになるために、受け手も送り手も意識の変革が必要なんじゃなかろーか。うーむ、酔っぱらうと益々何言ってるのか分からなくなるなー。


【2月21日】 うーむ椅子がないと原稿も書きづらいぞ、なんでってそれは床に跪(ひざまづ)いてほとんど目線の高さにあるキーボードを叩いているからで、中途半端に肩の高さに上げた腕がだんだんとひりつく痛みを感じ始める。このままでは腕が丸太ん棒になってしまうと、イトーヨーカ堂まで出向いて椅子を物色、5000円で出ていたパイプ椅子でも折り畳みでもない普通の事務用ってーか勉強用の回転椅子を買って担いで買える。今まで使っていた木製の折り畳み椅子に比べてはるかに良い座り心地に、これならアルバイトも捗(はかど)るだろーと思っても、2つあったうちの1つが敢えなく打ち切りとなって残りは1つ、せっかくの椅子がこのままでは宝の持ち腐れになるので、ここにアルバイトの口を募集して差し上げよう、ってなんかエラそう。料理得意です。

 買って帰ったは良いものの、積み上がった雑誌に本に文庫にコミックで椅子を置く場所がすでになく、これはいかんと片づけ始めたらあっとゆー間に2時間が経ってしまった、折角の土曜日の午後がこれでパー。雑誌はキッチンの脇にある下駄箱(ってーのがいかにもワンルーム)の空間に積み上げ、いらない雑誌はどんどんとごみ箱へと叩き込み、本を積み直したらなんとか椅子を置くスペースができた。てこてこと組み立てて置くとおおなんと、この座り心地はまさに椅子、向かうワープロも打鍵がはずみ、綴る文章は今まで以上にあることないことない交ぜとなって、世間の顰蹙もこれまで以上に買うのであった。安くしてね。

 20日過ぎの週末は秋葉原にお出かけ。もちろん目当ては「少女革命のウテナ」のLDであった。折り返し地点に経つ第7巻は「黒薔薇編」の最終2話を収録、インターミッションを経て「暁生編あるいはスポーツカー編」へと至る大事な巻で、加えて後半のシリーズを収録するBOX付だけに早めのゲットが肝要なのです。前はさいとうちほさんのイラストだったけど、今回はやっぱりピンクがベースながら、アニメと同じ絵柄のキャラクターを6人描いたシンプルだけどゴージャスな作り。何故か皆さん胸はだけてたりして半裸姿で、とりわけ樹璃のおっきなバストが先っぽ除いて露になっているイラストに、先っぽを手で隠したウテナともども惹かれるのでありました。ブロマイドでないかな。

 実は発売直後の先週に購入済みだったのが「VIRUS」の第3巻。全部のエピソードの中でも中沢一登さんが作画監督(だったかな)を担当した第5話は1番好きなエピソードで、電脳空間へと落ちてしまったエリカが偽物のサージと出会う場面から、サージが女サージのドナと出会う場面、そして「肯定しなさい」と迫る緊迫感あふれる展開に、その後明らかになっていくサージの秘密ドナの秘密レイヴェンの秘密etc・・・への期待が増していく。電脳空間から帰って来る場面で多分新しくつけ加えられた、宇宙空間でエリカとサージが2人で漂うシーンなんかは、ラストへと向けた重要な場面。テレビでの放映時に、既にどういう終わり方をしたのか知ってるんだけど、こーゆーシーンが加わって来ると他にもいろいろと新しい説明が加わるかもしれず、大張監督入魂のジャケットともに、ますますLDの発売から目が離せない。よな。

 リバティーで今日発売の「吸血姫美夕 オリジナル・サウンド・トラック」を買う。真夜中のTVアニメで流れる妖しくもの悲しい調べをとことん満喫できるとあって、大人げないとは思いつつもアニメのサントラを買わずにはいられなかった。70分を超える長尺なサントラは、オープニングからエンディングまで全編これ川井憲次節が炸裂。和風のテイストがアニメの美夕の耽美な画面を思い出させると同時に、どこか「パトレイバー」だったり(6曲目とか)、「攻殻機動隊」だったり(オープニングなんかモロ)する旋律が混じって、押井アニメのファンの心の琴線を擽(くすぐ)る。テレビでもエンディングの「美夕八千代夜」がラストにフルコーラスで入っていて、しんみりとした気持ちをぎゅっと引き締めてくれる。こんな傑作なアニメのサントラ、ビクター・エンタテインメントから出るなんて残念じゃないか? なあ、最初にOVAやったポニー・キャニオンさんよう。

 東大文学部博士課程を出たとゆーだけで頭下げてヘヘーな北野乙太さんによる「日本アニメ史学研究序説」(八幡書店)を購入、ハードカバーで仕上げれば学術書っぽくなるところを、アニメのスチールを散りばめたソフトカバーな別冊宝島的装丁に、値段も安く有り難い有り難いと失われつつある財布の中身を想像しながら感謝の念波を赤門に向かって送る。今も赤門にいるのかどーかは知らないけれど。冒頭に「ヤマト」を配してすべてはヤマトから始まったと展開する論には、1967年生まれとゆー僕と比較的近い(ホントだよ)年代ならではの物を感じる。学歴はケタが違うけど。

 石黒昇さんとこのアートランドで活躍した板野一郎、平野俊貴(旧俊弘)、そして美樹本晴彦を括って過去の栄光と今の状況を冷静に辛辣に書いた文章などに、同時代として楽しませてもらった者が感じている寂しさを見て共感を覚える。これを含めたアニメーター個人個人に着目した詳論などは辞書的百科事典的な使い方が出来てとっても便利、自分でやるのは正直言ってひどく面倒臭い作業だけに、東大卒ならではの几帳面さ(根拠はないけど)で地道に逐一情報を拾っていってくれている仕事に、とりあえず拍手を贈ろう。序説ってことは概説とか総論とか特殊講義とかってのも出るのかな。そもそも北野さんって何やって食べてる人なの? アニメの道にはまだまだ謎が多い。


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