縮刷版98年11月中旬号


【11月20日】 早起きして新宿にとり・みきさんの「石神伝説 第2巻」発売を記念したサイン会の整理券を貰いに行こーとも思ったけど、来週中に掲載予定のゲーム業界バトルロイヤル関連記事の執筆にきっと1日取られてしまって夕方は出られそうもないと、早々に見切りを付けて涙を飲んで諦める。決して目覚めた時間がすでにして7時半だったからじゃないので、いや現実にはすでに7時半だったけど夢を見ていた5時半の時点で夢の中で「そうだ今日は仕事が忙しいんだ」との結論に達していたので7時半まで休んでいただけなので、いけなかったご無礼を平にお許し下さい全世界のとり・みきファン約3億人(推定)。

 決して前日の明け方午前3時まで「ドラモン」やっていたからじゃないとポリグラフを付けるのを拒否した上で証言しつつ、眠い目をこすりながら会社へと到着して日課となっている「日経産業新聞」を開いて眠気がすっ飛ぶ。ををこれは山形浩生さんではないかおおよそ120行はあろーかとゆー巨大なスペースに顔写真入りでインタビュウが載っているではないかもしかして例の裁判絡み? と思ってワクワクして読んだら違って「ネット氾濫 サイバー社会点描」ってな企画にネットワークに詳しい人として取りあげられていただけだった。まあこの記事を読んだところで間に裁判の記事が掲載された時に名前もないただの「翻訳家」とだけ紹介されていた人物と、まさか同じだとは思わなかっただろーね。顔写真だって凶悪さのカケラもないし、鼻にもピアスしてないし。耳にはしてるみたいだけど。

 中身はすでに「WIRED」なんかで書いていたよーなオープンソースソフトウエアへの期待表明で、リーダーがいて協力者がいてコミュニティーが形成されて成果が産まれるといったことを、最近流行の「Linux」を例に説明している。青筋たてて赤旗振って人々を導こうなんて野暮な事はしないで、ゆるやかなつながりがそれとなく目的に向かって蛇行したり斜行しながら進んでいくことで、従来のカチッとした枠組みからは外れてしまう人でも取り込めるんじゃないかってな雰囲気のコメントには、なるほど現実世界では冴えないうだつの上がらないしがないおっさんの文章でも、それなりの人に読んでもらえている事からも、例えとしては不適切だけど何となく解る。略歴には「翻訳家としてSF系の作品が多くウィリアム・バロウズの紹介者としても知られる」とあって「SFの人」との認識を全国40万の読者に顔入りで印象づけたことでしょう。本業に差し支えなければ良いが。

 仕事して夜の9時になったので「週刊アスキー」の創刊1周年記念パーティーに「新宿ジョイポリス」まで出向く。えっとでも確か「週刊アスキー」って一昨年の5月だかの創刊だったじゃん、なのに1周年っておかしいじゃん、と言うときっと初台あたりで夜道も歩けなくなるから口には出さない思うだけ。本当はちゃんと知ってますよ西さんが「最初からそう決めていた」と言ったパソコン誌への転換からようやく1年が経ったって事で、会場には誰も予想しなかた「1周年」の文字に驚きつつも喜ぶ人が大勢集まって、立錐の余地もないくらいの大混雑ぶりを見せていた。旧「週刊アスキー」の創刊披露も確か六本木で立錐の余地もないくらい詰め込まれていたなー、と苦い思いでの墓を掘る。

 場内では唐沢俊一さん唐沢なをきさん開田裕二さんの多分夫妻が一カ所に固まっていて結構な濃さ。知り合いではないので近巻きにして(すぐ側で観察してた)俊一なをきの2人はやっぱり兄弟だなーとの思いにとらわれる。やっぱそっくりだよなあ、口元の感じとかが。乾杯の音頭をとったのは「EYE・CON」時代からおおよそ8年位にはなろーかとゆー連載人の大御所・いしかわじゅんさんで間近に見てやっぱりでっけえと思い、誰か倒れるんじゃないかと心配していたとの話に立ち上がり字に小さな記事を3カ月ばかり書いていた身として深く強く納得する。確かに皆さん大変そーだったからねえ。会社の方も合わせてどんどん大変なことになって行くし、でもって結局大変なことになってしまったし。「新宿ジョイポリス」で忘年会を開いてそのオープニングセレモニーに会長として大川の功ちゃんがダミ声張り上げてテレビ出演するくらいの大変なことに。

 連載陣の1人でもあるとり・みきさんが来ていたかどーかは不明。でも神足裕司さんは超ネクタイに光る電球状のヘッドをこの目でしかと見て、テレビに出ている人にそっくりじゃんとミーハー気分にちょっとだけ陥る。神足さんとは海岸の週刊誌でも初台の月刊誌(ちょっとまだマイナー、だけど評判は良い、との噂は聞いている)でも同じライターとして仕事をしているカンケイだけど、向こうは名入りの大メジャーでこちらはしがないアルバイター、だけに近寄って「やあ」なんて言うこともかなわず遠巻きにしして輝く後光を見入る。食べる物も早々に品切れとなってゲームをやる年でもないので早々に退散、帰りがけにもらったのが小さいカップラーメンの6コセットってのが泣けて良い。この日はつまりこの日だんだから全員に「タイタニック」を持ってかえってもらうのが「沈没」の運気を会社から追い出す意味で良かったのかも。景気良く「ドリームキャスト」を配っても絵にはなったなあ。


【11月19日】 遠方(でもないけど)よりメールが届き開けると高田馬場のマルチメディアの会社が飛んだとの報。急ぎ関係各所に連絡するとどーやら本当らしく、連絡が取れない携帯に出ないもぬけの空だ社員は全員解雇された債権者が詰めかけている等々のまるで「会社つぶれてしもうたがな」的状況に見舞われている模様。噂では如何ともしがたいのでまずはいっしょに合弁の流通会社を作っていた玩具商社に連絡を取るとすでにして今年の春に9割方の株式を取得し10月には全株を取得して完全子会社化していたとかで、間際の施策にこれは下準備の上でのフライトか、はたまた脚をちぎっては相手に食べさせこっちは運転資金を得ていたのかと思案する。聞くと同じビルに入っている事務所には月曜日から「解散しました」の張り紙が出ていたそーで、やはり噂は真実であったとの確を得る。

 さらに信用調査会社に聞いて確証を得るも、裁判所に会社更生法の適用なり和議を申請するなり破産を申し立てるか、解散ならその法的手続きを始めるかしないと難しいけど現実にはそのどれもが前に進んでおらず、かといって現実に夜になって直に事務所まで行って確かめたから言うけど本当に「解散しました」の張り紙が出ていて、会社はすでにして機能していないように見え、いったいぜんたい代表者の人はどこで何をしているのだろーかと半ばその出鱈目さに呆れ、半ばマルチメディアに抱いた夢を壊された怒りに燃え、半ば1つの素晴らしい会社がこれで無くなってしまう事への哀しみにうち震える。半ばが3つもあるのはご愛敬。けど冗談じゃなくどっかの建設会社の人みたく、屋久島にでも飛んでワンカップを開けて来年には白く細くダイエット完了ってのだけは困っちゃうんで、代表者の人にはどうでも早いところ表に出てきて欲しい。。

 今でこそ珍しくも何ともないCD−ROMだけど、その面白さ不思議さを日本でも実に早い段階で見せてくれたのがその会社が作ったタイトルで、高い評価を受けて表彰もされてクリエーターは一躍時代の寵児となって世界の50人だか100人だかの中に入れられるほどの人気を得、プロヂューサーでもあった代表者の人はさらなる業界の発展を目指して業界団体を設立した。今も確か役員を務めているはず。そんな業界の顔でもあった人が経営する、業界を代表する会社が消えてしまうのはもったいないの1言では片づけられないほどの意味を持った事態であり、悪くすれば業界全体の信用にも関わる問題だけに、周囲の同じ業界の人たちが抱く不安は決して少なくないみたい。

 浮き沈みの激しいCD−ROM業界ではこういう事態は確かに日常茶飯事だし、現に業界の黎明期に恵比寿や渋谷で派手にビジネスを展開していたCD−ROMショップも今は無い。けどそんな浮かんでは消えていく泡沫(うたかた)のよーな会社だっとは信じたくないし、すでにして動いている象男なハリウッドの有名監督を起用したインタラクティブソフトしかり、また世界的なクリエーターとなった人に作らせていたはずの前作を上回る水面下世界を舞台にしたインタラクティブムービーしかり、面白そうなプロジェクトだってたくさん進行中で、厳しい環境にあるとは言っても先行きにまだまだ期待を抱いていた。もちろん会社が解散したからといって、企画だけもって復活してくる可能性だって億に1つもないとは断言できないけれど、今の経済環境を考慮に入れると、現時点ではやはり多大な期待を抱くのは難しい。

 ただ少なくとも業界には苦しいなりに身の丈の経営に勤しんでいる会社はたくさんあって、素晴らしい製品をちゃーんと送り出してくれている。こないだ発表になったマルチメディアの賞を2つも受賞していた会社だってあったしね。だから少なくとも本当に代表者の人は、所在不明のままで業界への信用を失墜させ、他の頑張ってる会社が迷惑を被るようなかたちとなり、CD−ROMというICUに入った患者のよーなジャンルの息の根を止めるよーな事態にだけは、決して発展させないでもらいたい。そーいやー確かあの会社って、木村伊兵衛賞を受賞した写真集も出していたけどどーなっちゃうんだろー。探して今のうちにゲットしとくか。

 そんなこんなでドタバタしながらセガ・エンタープライゼスの決算を聞く。うーみゅ「ドリームキャスト」は今年のうちに30万台とかを売り切って、年度内には予定びったしに100万台を売る計画とか。さらにソフトは500万本とゆーからつまりは1人で5本は買えって計算になるけれど、ハードが3万円にソフトが1枚えっと6000円くらいだったけ? それが5本で3万円で足せば1人あたま6万円くらいを「DC」に注ぎ込むはずってな勘定は、つまりよほどコアな「セガ」の製品だったら何だって買うくらいのユーザーを相手にしての数字なのかと、発表を聞いている時にはまったく思わなかったのは発表者の自信に位負けしてしまったからなんだろー。まあコアな人が5本買うのは不思議じゃないとして、買えるソフトが5本もあるのかって所の方は実は大問題だったりするけれどね。あれとあれとあれで……あらら3本しかないよ、ってな可能性だってまだ大だからね。

 一方で「ワンダースワン」は発売に向けてソフト集めが着々と進行中で、発売と同じ来年3月中に10本のソフトが揃うおとになりそーとか。同時期の発売には何でもかの「WS」生みの親である横井軍平さんが手がけたとゆー「WS」を縦に使うパズルゲーム「GUN RAY」が確か2980円とかのキャンペーン価格で登場するとかしないとか。さらにスクウェアが協力してバンダイが作る「チョコボの不思議なダンジョン for ワンダースワン」とか「電車でGO!」とか「信長の野望」とか「デジタルモンスター for WS」とか結構メジャーな名前のタイトルが目白押しで、「めろん」くらいしか欲しいタイトルがなかった(僕的に、って意味。テニスもあれで結構面白そーだったけど)ネオジオに比べると、インパクトで結構稼げそーな気がしないでもない。あとはカラーだったら(直治)。おとっつぁんそれは言いっこなしよ(誠)。


【11月18日】 真夜中まで起きてたけれど外に出て流星群を見るなんてせず、布団にくるまったまんま明日になったらきっと皆さん目が見えなくなって街には歩き回る奇妙な木とかが生えていてSF者的に楽しい事態になってるんだと想像してワクワクしてたのに、開けて朝になっても人々は元気に出勤していて会社でも「10個見た」だの「20個見えた」だのと楽しげに話しているのを聞いて、33年ぶりのショウをつまらない期待で見逃した事にちょっとだけシマッタってな気分になる。まあ昔の版画にあるよーな空いっぱいに雨のよーに流星が降るなんて感動は誰も味わえなかったみないなんで、風邪気味で外に出てこじらせるよりは良かったのかも。いっしょにマフラーを巻いて2人羽織で空を見上げてくれる人なんていないしね。はあ。

 が、それでもトリフィドの呪いは日本各地で発生していたよーで、神奈川県では星を見ている途中で風で飛んだマフラーを取ろうとして欄干から女性が落ちて死亡し、茨木では星を見てからバイクに乗って帰ろうとした保母さんが対向車線からはみ出して来た自動車にぶつかって死亡し、仙台では免許取り立ての高校3年生が車で星を見に行って対向車線を走って来た2人乗りの乗用車と激突炎上して3人が死亡し、足利ではお婆さんが明け方近く道路を歩いていて空を見ながら走っていた車にはねられて死亡とまあ、報道されているだけで実に6人の人が流星群関連で死んでいる。これが例えば落ちてきた星に当たって死亡したってんなら世界中で話題になること必定だけど、そうでなくても流星群がなければ死なずに済んだかもしれないって点で、地球こそ滅ぼさないけれど罪作りな星だったって事にならないこともないでしょー。次の天体ショーではさて何人? なんてクイズは不謹慎だからやめよーね。でも次っておそらくは例の「7の月」だから、単位もきっと何億人って事態になるんだろーね。待ち遠しいなー。

 日本出版販売の週報からオモロげな本をあれこれ。新潮社から12月4日に発売は「グラビティー・ブラスト」ならぬ「重力の虹」の邦訳からかれこれ3年? 5年?? なトマス・ピンチョンの最新作「ヴァインランド」(佐藤良明訳、2700円)がリリース。うーん高いぞとは思うしきっと難解でいつもどーりに最初の数ページ読んで後は本棚行きの可能性は大だけど、刺激的な物語に憧れもつのっているだけに年末の繁忙期をしのげればハマってみたい希望あり。同じく新潮社でこれはヤバげな涼元悠一さんの「青猫の街」(1600円)は「検索エンジン、地下BBSを駆使して失踪した友人を追え」「失踪する恐怖を描くインターネット・ノベル」だそーで巷にはびこるインターネットにBBSの雰囲気を上っ面だけなぞっただけなら反発を喰らうことは必至かも。逆にツボをついていれば迎えられる土壌もあるだけに楽しみな所でもあります。

 池宮彰一郎さんの「島津奔る」(上下各1500円)は関ヶ原から遁走した島津がその後江戸幕府のなかで苦心惨憺して領地を護った様を描いた物語、らしい。なるほどそー言えば明らかに西軍に組した島津が幕末まで権勢を誇り続けられたのは何故? って疑問は昔からあってでも教科書は教えてくれなかったりして言われてみればなるほど確かに、と思ってしまう。こーゆー歴史の「何故?」を見つけだして挑めるよーにならなきゃ歴史小説家にはなれないんだろーなー、あと大胆に仮説をたてて強引に物語に汲み入れる腕力とかも。12月22日発売。最後は大御所・星新一さんの「星新一ショートショート1001」をご紹介、全3冊セットで値段が3万6000円もしやがるぜ。いったいどんな造本になっているのか見物だけど、1冊にだいたい333本のショートショートが入ってるって勘定だから原稿用紙に10枚としても3330枚で「屍鬼」なみか。ガンダムのLD−BOXも出てトミノコには辛い年末だけど、それより依然に星の子だった以上はやっぱり敬意と弔意を胸に秘め、あまりの重さに本屋でダンベル体操しちゃうんだろーなー。

 やっとこさ近所の本屋で発見して購入した復刊なった「バービーはなぜ殺される」(ジョン・ヴァーリー、浅倉久志他訳、創元SF文庫、880円)だけど、案外とっくに見かけていたのに気付かなかったかもしれないとカバーのイラストを見て思う。酷いよ創元さん。って別に岩郷重力さんに恨みはないし、単品で見ればまったくもってボワーッと不思議なボディが写ったシンプルなイラストに大きめの文字で解りやすいんだけど、実家のどこかかあるいはこっちのアパートの沖積層あたりに埋もれている前の版のカバーイラストが、失念したけどマンガちっくで可愛い女性が描かれていて、個人的にはそれが結構好きだったもんで出来たら同じ装丁で再刊して欲しかったってのが偽らざる気持ちですわ。次はまた10年後かの復刊にリバイバルを期待しよー。あればだけど。

 デザイン事務所のプロペラ・アート・ワークス代表にしてマルチメディア・タイトル製作会社のデジタローグCEOでもある江並直美さんがデジタルデザインについてまとめた「OUT OF DESIGN」(美術出版社、3800円)をクソ高いけど買う。僕以上に(ちょと見栄入ったかな)髭禿なおっさん顔が先に浮かぶ業界でも異貌のおっさんだけど、雑誌「ナンバー」の創刊間もない時期のアートディレクターに始まってヤスケンさんなんかがいた頃の「マリ・クレール」とか小学館の「Pand」、さらにはファッション雑誌の大御所ともいえる「エル・ジャポン」のアートディレクターを歴任したとゆー、日本のエディトリアルデザイン界においても結構すっげー人だったことを、経歴を読んで改めて思い知る。髭禿だけど。

 640×480ピクセルとゆーモニター画面に合わせた体裁の版型からしてデジタルを意識しているよーに、中身はデジタルツールつまりはマッキントッシュを使って手がけた様々ななデザインの見本と、デジタルを使う意味をつづった文章とで構成されていて、勉強する人にはきっと相当に勉強になる本じゃないかと贔屓目なしに思う。今でももちろんデザイン関連の仕事なんかはCD−ROMのプロデュースで少しは関わっているとは思うけど、メインの仕事が松本ジャングルパーク玄人さんの「ニンテンドウ64」向けソフトのプロデュースだったり、これが最期の雨宮慶太作品「鉄甲機ミカヅキ」のプロデュースだったりと別方面に及んでいて、本書でも炸裂してるエディトリアルデザインの才を雑誌で見られないのは、ちょっぴり残念な気がしないでもない。10年のマルチメディアを経済でも科学でもなくデザインから振り返る意味で重要な本。著者近影は入れなくって正解だったかも、ね。


【11月17日】 遠方より声来る。ローラさんの銃は「ステアー・タクティカル・マシン・ピストル、通称ステアーTMPはほとんどがプラスティック製で、酷寒地でも金属製ほどには酷いことにはならない」そーで善哉。飛行機の中で銃はやっぱり撃つのはとってもヤバいでしょーと感謝を捧げつつ(ビンゴな隕石は「幻魔大戦」以来のお約束ちゅーことで)、ひたすらに「ドラモン」をプレイしてさっきよーやく石魔人だか何だかを倒したけどCクラスは強くて負け続け。先に越えるべきバーも見えているため仕事もアルバイトもサボってピコピコとしばらくは楽しむ事にいたしましょー。とか言ってるうちに週末は「ゼルダ」で月内どころか年末いっぱいはかかりっ切りの見通し。ますますもって仕事の出来ない日が続くぅ。

 「ゼルダ」と言えばあのカルチュア・コンビニエンス・クラブが「ゼルダの伝説」を「NINTENDO64」とセットにして、2泊3日1000円の料金でレンタルすることを決定。発売日から約1週間遅れの11月27日から、1カ月くらいの期間限定で都内とかのゲームを扱っている「GAME・TSUTAYA」の店頭で借り出すことが出来るそーな。決算なんかでも「N64」の販売台数の落ち込みは国内外とも顕著で、起死回生にはやっぱりどれほどののすっげーハードか知ってもらいたい、そのためには同じくすっげーソフトを遊んでもらうのが1番ってなことで、任天堂とソフトを売ってるCCCとの利害が一致したんでしょー。

 たったの2泊3日で「ゼルダ」の魅力のどこまでをつまびらかに出来るのかは疑問だけど、触って遊んで一目瞭然な楽しさってのはある筈で、かつ途中で止めることの困難さってのがある筈だから、そのエッセンスに自宅で人目を気にせず触れさせて、これなら買いたい、買わずにいられないと思わせる事が出来ればしめたもの。なりふり気にせずマジで巻き返しに出た任天堂の明日や如何に。今期の大増益が為替円安に伴う差益だったところを見ると、為替の円高だけが当面の敵ってことかな。

 週末はほかにも「タイタニック」のビデオが出るみたいだけど、レンタル向けへの供給が滞っていてこんなんじゃあお客さんの声に答えられないと業界が販売の差し止めを求めて仮処分を申請したとかどーとか。そうは言っても最初からダイレクト・セル・スルーで売り出すタイトルだから、レンタル向けなんかよりもメガストアとかなショップ向けにはどちゃりんこんと頒布あれて、当日は店頭にタイタニックも吃驚な巨大なビデオの山が出来てたりするんだろー。んでもってレンタル屋さんはますますキレるってな構図か。同じ供給が滞ってる「ドリームキャスト」だけど、ケタがマジメに1つ違うから世間的な影響力って意味では「タイタニック」の足下にも及ばないんだろーね。

 とはいえ「トゥナイト」なんかが「ゲーム機最終戦争」のド派手なキャッチで特集した番組でもやっぱり「ドリームキャスト」は1番話題のハードとして真っ先に取りあげられていたから、ことゲームという点に絞ればやっぱり「ドリカス」への関心は「タイタニック」並って事になるのかな。「沈没」とゆー結末までが一緒だったら困るけど、いや僕はともかく社員の人とかO川さんとかが。しかし見た目ではやっぱりプレイステーション陣営のナムコの「R4」が超絶的に良さげな出来。見たことないけどきっと「グランツーリスモ」なんて遥かに越えたクオリティーなんじゃなかろーか。流石「環八の雅」がヘッドはるチームだけの事はあるぜ。

 同じくPS組では2月11日に発売が決まった「FF8」。確かにCGの美麗さでは前作を段違いに上回っているんだろーと思うけど、贅沢になった目には「ふーん凄いじゃん」程度の驚きしかないだろーから、後は肝心のゲーム部分でどれだけの面白さを表現出来ているかが勝負になりそーな気がしないでもない。「ゼルダ」みたく予約してでも買うか? と聞かれれば買わないと断言出来ちゃう僕的な萌え度の低さを、システムとか物語とかの情報が高めていってくれるだろーか。「ドラクエ7」なら予約しちゃうんだろーな「ドラモン」の流れでやっぱり。

 「週刊プレイボーイ」もゲーム機戦争がメイン特集、だけど本文記事が横にナナメに遊び過ぎで肝心の情報を食ってしまっているからちょっと物足りない。「飯野さん本人はゲームに登場してこないのかな。そのほうが、より怖さが増すと思うのだが」とゆー「D2」へのコメントは誰もが思っていて誰も口にしない事だっただけに良くぞ言ったって感じぃ? でもおそらくは主人公のローラに自分を投影しているところもありーだから、それを思って別の意味での戦慄を覚えながらゲームを遊ぶってのもちょっとサブイボ立って良いかも。をを巻末の「物欲キング」に登場する「ドラモン」はキングスライムがレベル99で鍛え上げたスライムと鍛え上げたベビーデビルもレベル99か。こーなるまでにあとどれくらいの乾電池を僕は食べれば良いのでしょうか。教えてーくだーさいこのー世にぃ生けーとしぃ生きぃー(以下略)。

 しかし「週刊プレボーイ」を買った心底からの本当の理由は言わずもがなの仲間由紀恵様さま様のグラビアが掲載されていたからだったりする、僕はゲームよりアイドルを選ぶ不届き者です。相変わらず胸はそれほど盛り上がってないしお尻だって平べったいけど顔立ちのエキゾチックさは歳を重ねていっそう増していて、同じ沖縄出身の当然の事ながら亜室にMAXにSPEEDに知念なんかを軽くかーるく凌駕している、にも関わらずのマイナーぶりはやっぱり沖縄アクターズスクール出身じゃなくプロダクションだってあそこじゃないって事が大きく影響しているんだろーなー。ジャニーズのDA・PUNP潰しみたくやっているのか別系統の沖縄アーティスト潰しを。だとしたら何故にkiroroは迫害を免れてデビューしかつ大ヒットを飛ばせるのか、って顔を見れば解るわな。まもなくのサードシングルはいいいよな正念場でしょう「あみん」で終わるか前へと進めるかの。


【11月16日】 本屋をウロウロして40点満点な「ゼルダの伝説 時のオカリナ」レビューが載っている「ファミ通」を買って帰ろうとするとレジの女の子がごにゃごにゃ話している声が耳に入る。曰く「なんか子どもたちってわかんないよね、『ゼルダ』なんかじゃなくってえーっと何だっけ、確か『バンジョー』とかって言うソフトの方を待ってるらしいよね」「そうみたいだよね、今の子どもたちって最初の『ゼルダ』が出た頃なんて産まれてなかったんじゃないのかなあ」。まあ産まれてないって事はないだろーけど、歴史と伝統がエベレストよりも高く積み上がってそびえ立つ「ゼルダ」をいくらおっさんなレビュアーが褒めそやしても、小学生とかってもしかして全然ピンと来てないのかもしれないなーと考える。かつて50連勝を飾った栄光の「スカイラインGT−R」に、今や若い人の誰もが興味を示さないが如く、ってあんまり例えになってないけど。

 テレビCMに登場ずるのは前田日明に稲森いずみにスチャダラのボーズにほか沢山な芸能人だけど、子どもたちに圧倒的な訴求力と持つ子どもたちにとってのアイドルってそー言えばいない。CSKの運動会に現れて宣伝に一役買った湯川専務に子どもたちが群がったって話を前に聞き、存外「ドリカス」って案外良いところまで行くかもなあ、と思った記憶もあったけれどそれを叩き潰す先兵たる「N64」の旗艦ともいえるタイトルに、大きなお友達ばかりが群がる状況ってのはやっぱりどーにもしっくり来ない。まあ実際に子どもたちに聞いてみた訳じゃないから本当に小学生やら中学生が「ゼルダ」を案外待ち望んでいないのかどーかは解らないけど、そーだとしてもかつて「次世代機」と呼ばれた中では今もっとも安いハード(「PC−FX」の市価は不明だけど除外)でもっとも最先端のRPGを楽しめるんだから、評判さえたち上ればやがて広がる火のごとく、人気も燃え上がることでしょー。

 まいったぜ「D2」。今はもー記憶の彼方へと押しやられた5月の「東京国際フォーラム」での発表以来、極寒の雪山をキャリアスーツを来たストッキングを履いただけの脚で手には金属製の(当たり前だよね)銃を素手で持って走り回るローラに「寒くないんですかー」「手は冷たくないんですかー」と毒念波でもってずーっと呼びかけて来たけれど、いつの間にやら「アクションRPG」とジャンルの変わった「D2」が、雑誌の記事として再び日の目を見るよーになって初めて、実はローラは雪だって溶かすし金属だって暖めるくらいの燃える女だったって事が解って、よーやくにして疑問に合点が行った。そーゆー闇設定があるならあると最初からちゃーんと言ってくれなきゃ、ねえ。

 なんでも「ファミ通」105ページの記事によると、戦闘画面に現れるユラメキが実はローラの生命力を表す命の炎で、「この炎は寒さの厳しい雪山においてローラが持つパワーを表現すると同時に、極寒の状況に抵抗する熱量をも表している」んだとか。極寒の雪山をまるで真夏の日比谷公園の如く自由に闊歩できるだけの熱量が、いったいどれくらいになるのかは知らないけれど、きっと相当なカロリーの消費が必要だろーから、その分ローラは毎日毎晩山のよーにご飯を食べてエネルギーを補給してるんだろー。空想非科学読本あたりで取りあげてやっちゃーくれませんか、ローラが1日に食べるご飯はお茶碗で何杯分か、とか。

 気を取り直して今市子さんの「百鬼夜行抄」第5巻。これまではおとぼけな作品が多かったけれど今巻に入っているエピソードはどれも結構怖い。それこそ夜中にトイレにいけなくなるくらいの恐さで、ってトイレの隣りで寝ているワンルーム住まいの僕にはまったく関係なかったりするけれど、トイレが縁側のどん突きとかにある旧家にお住まいの貴方に貴女に貴男は、これから夜に水分は摂らない方が良いですよ。いやそれは大袈裟にしても冒頭に入っている駆け落ちした娘を追って来た母親がとりあえず退散した帰りに事故で死んで、にも関わらず毎年のよーにやって来ては娘を返せと訴えることに郷を煮やして母親を欺こうとして云々、ってなエピソードも、一見普通なよーでいて後でゾクリとさせられる仕掛けが満載で、エンディングには気持ちが良くなるけれど途中を思い返すと結構怖かったりする。

 残りも比較的身近な死とかが絡んでたりして、生きていればいずれ必ずや訪れる死に、一見平気なよーな顔をしていて実は存外恐がっている身にはなかなかにキツい。いつかは達観できるとはしても、少なくとも今はまだとても達観なんてできはしない。そんな執着が何かの拍子に発現したら、やっぱり自分も浅ましい事態になるのかと、思い常に身だけは綺麗にして、執着を残さないよーにしよーと瞬間考えたけど、あれも欲しいこれも買いたいとばかり考えている身には、執着をさっぱりとぬぐい去るなんてやっぱり無理みたい。たぶん実際に死んでみるまで達観なんて出来ないんだろー。

 銀座テアトル西友で夜に1度だけ上映されている「クジラの跳躍」を見ると、なおのこと「死」への言い様のない震えが来てたまらない。ごくごく普通に海を渡っている豪華客船からクジラの跳躍を見ようとしていた人たちがいたと思ったら、次の瞬間時間はゆっくりとした動きになり、波立つ海はガラスのよーに硬化して、その上を黒猫を連れた老人が歩いてガラスの海を割って小魚を取り出し、中空に止まっている飛び魚を捕まえては日々の糧としている様が描かれる。やがて海が膨らみかけた場面へと出くわし、クジラの跳躍を見てとってそこにしばし止まって、半日をかけてクジラがガラスの海から抜け出て中空へと浮かび上がり、やがて再びガラスの海へととけ込んでいく様を、老人以外にも友人の画家や若いカップルやほか様々な人々が見学している。

 クジラが海へと潜った後で、老人はかつて自分が乗っていた船の名前を思い出し、それを聞いた画家はその船がかつて荒波を滑り落ちていった様を目撃した事を思い出す。つまり。ということで静寂に満ちたガラスの海の世界に覚える憧憬は、そこでしか「生き」られない老人や猫や画家ら、跳躍するクジラを半日かけて見た人々への止め置かれることへの哀しみと対になって、見る者に「生」の熱い苦しさと、「死」の冷たい安らぎの意味を問う。原作者で映画では監督も務めたたむらしげるさん自身の絵柄が淡々としてメルヘンチックなだけに、最初のうちは心温まる雰囲気を感じるけれど、23分の短いストーリーが描き出したテーマを全身に感じた時に、最初の印象はガラリと変わって結構重い気持ちに囚われる。

 たむらしげるの絵を2Dでアニメ化しつつ、ガラス化した海を3DCGで描きかつ跳躍するクジラをぐるりと回り込んで映したりするカメラワークを実現したりと、相当に高度なデジタルの技術が使われていながら見ている者に「すっげーCG!」とか感じさせないあたりが奥ゆかしいとゆーか、とにかく凄い。ガラス化した海の上に立つキャラクターの影がちゃんとガラス化した海に映り込み、キャラクターの動きとともに影もちゃんと動いていたのにはちょっと吃驚。決してメジャーではない「愛があれば大丈夫」(社名だよ)のこと、時間はあっても多分金はなかっただろーに、かくも徹底した作り込みを行うこだわりは、プロセスではなく結果こそ全てとゆーコンテンツに当然の事を当然の如くやるとゆー、「愛」に根ざしているんだろー。まさに「愛」があったから「大丈夫」だったってことで。やったね潮永光生さん鈴木祐二さん。これは未だ見ぬ「FF」なんかよりもずーっと記憶と記録に残る作品だよ。「ファンタスマゴリア」と「銀河の魚」も見られてお得なレイトショーに、人々よ、いざ行かれよ。


【11月15日】 「落下する夕方」には実にいっぱいの物を食べるシーンが出てきて、お昼時とか夕方とかに見るとそれこそお腹が「グゥ」と鳴って静かな音楽が鳴る映画館で目立つことしきりなので、事前に何かを口にしておく方が吉、かも。冒頭からしてプール帰りの原田知世と渡部篤郎が、今晩は何にしようかと話していて八百屋に寄って、でも別れ話を家ではいいたくない渡部が知世をファミレスに誘うシーンだし、以後も惣菜屋で夕食を買うシーンに家で菅野美穂のためにキュウリのサンドイッチを作ったり、天丼を食べたりたこ焼きを焼いたりセロリの香りを嗅いだりすき焼きを作ったりおにぎりを頬張ったり等々、2時間もない映画でこれほどまでに食事のシーンが登場するのは他に「タンポポ」くらいしか思い浮かばないねえ。あれは食がテーマの映画だから当たり前ちゃー当たり前なんだけど。

 思うに食べる行為ってのは1人だと侘びしさ、2人だと優しさ、3人だと明るさ、4人以上だと楽しさをシーンの中に登場人物の関係性といっしょに醸し出してくれるから、監督としても使いでがあったんだろー、聞いた訳じゃないから知らないけれど。それにやっぱり人間ってのは食べなくっちゃ生きていけない行為だし、1日のうちにトイレは1回でも食事は普通で3回は摂っているんだから映画にたくさん出てきたって不思議はない。食事を何かトクベツにして神聖な行為として映画の中で印象的に使うケースってのは拙い記憶で例えば「家族ゲーム」の横1線とかがあるけれど、自然な流れのなかでかくもたくさんの食事のシーンを使ってくどさ鬱陶しさを感じさせない映画ってちょっと珍しいのかも。誰かキネ旬あたりで分析してやってくれー。

 4時に起きてモケモケと「ドラモン」なんぞをやりながら夜明けを過ぎて午前7時半。始まった「ポポロクロイス物語」は実にまた何とも微妙に揺れる乙女心が短い時間の中に詰まっていてジンと来る。これほどまでの演出脚本の作品が、やっぱり数字稼げないうちに終わってしまうのはもったいなさ過ぎるので、テレビ東京はもっと宣伝をするよーに、それから同じソニー・グループの「AX」は次の号で8頁の大特集を組むよーに強くつよーく言っておくからよく聞けよ。何聞いてない? それは残念。けど実は現にしっかりと、ファン層が出来初めているらしーのはあちらのフォーラムこちらのBBSなんかを見れば感じられるので、安心して頑張って良質の作品を作り続けてちょーだいと、どこかで見ている白川隆三SPE・ビジュアルワークス社長には言っておきます、何やっぱり聞いてない? それはやっぱり残念。

 ガミガミ魔王の四畳半では足つきのテレビに出てくるピエトロを見てウルウルし、お供の2人組(巨大化出来たのか奴等!)にコテンパンにやられて傷ついたピエトロを、お絞りで拭き拭きして介抱するヒュウなのに、ピエトロを追ってナルシアが登場するととたんに意固地になってピエトロなんて大っ嫌い的態度をとってしまう、これってやっぱり靴のマルトミ(超ローカル)な「女の子ってフクザツね」を地でいく心理、なんでしょー。あやかりたいあやかりたい。しかしガミガミ魔王たとえ頭を踏んづけられても上から降りて来るスカート姿のヒュウを見上げられたなんて幸せな奴と思った人は手を挙げて。パンパン(柏手)1万人の手が上がったのが見えまーす(超死語)。ナルシアは空を飛ぶけど残念無念にもモンペはいてるから見上げても見えないのが残念、けど姉さんにしては老けすぎているギルダのコシマキは見たくないから魔女はスカートはかなくっても良いです。

 恵比寿の東京都写真美術館でヌード写真をテーマにした「ラヴズ・ボディ」を見て死ぬ、いやーつまんねえ。これだけ世界にヌード写真があふれているってゆーのに集められた作家は10人かそこいらで展示スペースも目茶狭くって圧倒される感じがしない。テーマとして「女という他者の視線からヌード写真の既存の枠組みおよびヌードの歴史を読み直す」ってのがあるそーだけどその割には妻のジョージア・オキーフを撮ったアルフレッド・スティーグリッツの写真とか、自殺した妻を撮影した古屋誠一さんの一連の作品群があったりして、メイプルソープやピーター・フジャーおよびその弟子デヴィッド・ヴォイナロヴィッチといったいずれもエイズで死んだ写真家群、さらに「たまゆら」で名を挙げた神蔵美子にファットなボディに注射針を突き刺したセルフ・ポートレートなんかを出しているキャサリン・オビーといった女性作家の作品群との関係性がうまく見えない。

 たぶんキュレーターには男性が情欲なりを込めた視線で見る女性のヌード写真を廃して夫としての視線でありゲイの視線であり同じ女性としての視線で撮られた写真を並べたかったんだろー。けどパティ・スミスを撮影したメイプルソープの写真はあくまでも女性のヌード写真でしかなく、そこに彼の性的な指向なり視線を読みとるのって、それがキュレーターのお仕事だとしたらちょっとあんまり好きくない。神蔵美子の写真と荒木経惟の写真とどちらが優れているのかという作品としての価値が比較検討されず(「たまゆら」は傑作だったねえ)、ただ同じ女性が撮った作品だからそこに特定のベクトルを持った視線という別の価値をもって作品をピックアップするってのもよく解らん。まあ崇高なキュレーターの意図を読みとれないのは、やっぱり僕が情欲にまみれた男性だからなんでしょーか。葉月も買ったし菅野も買ったし藤田朋子だって持ってたりするから。今幾らくらいになったっけ?

 20分でおん出て三越横にある映画館で洋モクならぬ洋アニメを観賞、ワーナーが「スペースジャム」に続いて送り出した「キャメロット」は実に英国のアーサー王の伝説を素材に強ーい女性が頑張る物語。円卓の騎士の1人が叛乱を起こした時に王を護ろうとして死んでしまった騎士の娘が長じて王国の危機を救うために頑張るって物語は、エクスカリバーを探しに入り込んだ森での出会いと恋愛を通してやがて最期の決戦へと向かう。単純にして明解でかつ洋アニメにありがちにあ歌と踊りのシーンも満載の物語はミュージカルの伝統を持つ国だけあって、それがたとえステレオタイプで鼻についた演出だとしても、見る者をとりあえず飽きさせないだけのメリハリはある。双頭の竜が活躍する場面でそのまま「スーパーマン」の音楽を流すのはやり過ぎって気がしないでもないけどね。

 歌で吃驚は叛乱を起こす悪役騎士の声をあてているゲイリー・オールドマンがまんま唄っているって事で、例えば「レオン」なんかで鼻歌を唄ってたよーな記憶があるけど、ちゃーんと演技しながらミュージカルった歌を唄うオールドマンってのは、顔こそアニメのキャラクターにすげ代わっているけど結構おかしい。アーサー王の声に「007」のピアーズ・ブロスナンが起用されていたり(歌はスティーブ・ペリーが演ってるけどね)、双頭の竜の1匹がモンティ・パイソンのエリック・アイドルだったりとホンマもんを使うアメリカならではの配役も楽しい。映画だけあって金かけてると見えて3DCGと2Dのデジタルペイントされたセル風な場面とのマッチングが気にならない程度にはとられているのは流石。岩男はちょっと浮いてたかな。女の子も日本人的に全然可愛くないけど夏から相次いだ「アナスタシア」に「ムーラン」と続いた女性が主人公の洋アニメと比べて検討するには、やっぱり見ておく必要があるでしょー。日本語版はオールドマンはバズーカ山寺が唄うか?

 東中野へと回ってっBOX東中野で「ニキ・ド・サンファル 美しい獣」を見る。原色も鮮やかな豊満ボディの人形彫刻で今は知られるニキ・ド・サンファルの伝記映画とも言えるものだけど、「LIFE」の表紙にもなったほどの美人だったニキが、やがてライフルでスプレーやら絵の具袋が張り付けられた絵画を撃ってペンキに絵の具を噴出させて1枚の作品を仕上げるようになり、ガラクタを組み合わせて動き続けるスカルプチャーを作って知られるジョン・ティンゲリーと一緒になってやがて「ナナ」と呼ばれる地母神的な作品へと至り、そこからさらにいろいろな立体物へと進んでいく、その内面的にも外面的にも波瀾万丈にして驚天動地な生き様は1時間半近い映画になっても全然飽きない。構成の妙ってのも勿論あるけどね。

 射撃芸術の時に重を構えて立つニキの後ろ姿で大映しになるプニプニしたお尻とか、ニキが撮った映画「ダディ」に登場する少女(実の娘?)がスッポンポンになってプールで泳ぐ場面とか、イスラエルにあるニキが作った滑り台からすべりおりる少女のまくれあがるスカートからのぞく白とかいろいろな”僕的見所”はあったけれど、全体としてニキとパートナーのティンゲリーとの実に友愛あふれる関係とか、裕福な家庭に産まれながらも自らの衝動によって行動し突き進み今も前に歩き続けているニキの強さとかが感じられてニキの作品が好きな人ならまずオッケー、嫌いな人でも芸術家の創作の秘密を知る意味で、見てそんなに損はないドキュメンタリーではないでしょーか。終わり近くに登場するティンゲリーのお葬式が実に莫迦げていてカッコ良いぜ。あんな葬式やってみてー。


【11月14日】 何を思ってか葉月里緒菜さんの自伝「真実」(小学館、1365円)を読む。いわゆるタレント本にありがちなポップな文体をプリティな写真が彩る造本とは正反対の、すべてが文字でカバーもやっぱり文字だけで写真の1枚もないとゆー、飾りっ気の無さがかえって本文への真実味を産む。いやまああんまり産んで欲しくも無いんだけど。例えばピンクの(白だったかな)無花果を使って凸っと膨らんだお腹を凹ませたエピソードとかって余りに強力でこれから出演している番組を見る度にあのお腹を凹ますためにトイレでどんな格好をしていたんだろう無花果を持つ手は後ろから増したのかそれとも脚と脚の間から差し込んだのか云々。ああ見たい知りたい代わりに差し込んで上げたいとまでは思わないけどしかしやっぱり生々しい。

 しかし本当に日本ってのはプライバシーを悪い言葉で”切り売り”しないと女優やってくのも大変なのかな、本来はたぶんスクリーンなりテレビの画面の上で見せる表情であり仕草がすべてであって私生活なんでどーでも良いじゃんと言い抜けてしまって通じる世界だと思うし、たぶん葉月さん(初対面の人に里緒菜ちゃーんなんて呼ばれるのはキライなんだって)だってそう思うからこそスリーサイズと聞かれて「測ったことない」と答えるし記者会見を開いて釈明することもしない。誰を好きになろうとフィリピンにまで飛んでいこうとそれが仕事と関係ある?

 と言い切って超然としていたって構わないにも関わらず、そういった事を本にして説明しないと「生意気ねえ」とかってな評判がたって、マスコミには叩かれ監督やPDには使ってもらえず肝心の仕事が出来ないって事にもなってしまうというこの矛盾。まあそれだけ仕事に熱意があるならどんな困難だって乗り越えて掴め、頭だって下げなさいと言えば言えない事もなく、残念なことにここは「美藝公」の世界でもないので、やっぱり仕方がないのかな。「不夜城」の降板に関連してやりたいやりたいと思って役が回って来て、でも途中で「夏美という女がわからなくなってしまった」「どう演じたらいいかわからない」から降板すると言うのを甘えと見れば”身の程知らず”との非難も出るけど、分からないままでは演じない強い意志があるとも言える。要は体内のハヅキ度によってどうとでも読めるって事でしょう。

 電車で読書をしている内に秋葉原に到着。早速ショップをかけずり回って話題の「ネオジオポケット」用ソフト「めろん育成日記」を……探さなくたってどこのショップにも残っているからそれは後回しにしてソフマップの2階で再出荷分の「ゲームボーイ」用ソフト「ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド」をよーやっと発見して即購入、早速手持ちの「ゲームボーイカラー」に差し込んで光る回る東芝、じゃなかった任天堂カラーの世界を堪能する。しかしゲーム慣れしてない我が身にこれが初とゆー(初なのか!)「ドラクエ」の世界は荷が重く、連れていた栗(じゃないスライム)があっとゆーまにご逝去遊ばされ、どっかの世界をしばらく棺桶を引きずって歩く羽目になってヘナヘナになる。やっぱ甘かぁねぇなぁ「ドラクエ」は。

 まんま駅前のラジオ会館へと向かい6階のVOLKSをチェックするとををあったぜ「杖」が4つも。もちろん「封印の鍵」もついて9800円は例の「CCさくら」のアイティムだけど、これから銀座で映画でも見ようかって身にはちょっと重く(精神的に、って意味で)買うのをとりあえず見合わせる。まだ自制を働かせる事ができるなあ、これが土砂崩れを起こすと例えば学園祭でゼミの生徒のコスプレ用にコスパで制服を買い百貨店で杖を買い地獄の番人ケルベロスに我が身を粉にして働くことになるんだわ。ざっと舐めると発売なった「幻の素体 男の子バージョン」が山積みで予約の棚にもぎっしりで、いずれこれらを土台にした男の子ドールが山と登場してその筋の女性(一部男性)の目に青葉、山不如帰な賑わいを見せてくれることでしょー。

 銀座はアベックがいっぱいでキレそーになるが負け惜しみになるから黙ってる。マリオン下はすっげー賑わいでこれは「踊る大捜査線」に封切りなった「トゥルーマン・ショー」への長蛇の列だろーと推察し、かくも映画が人々の関心を集めるに至ったのは果たして不景気故の身近な娯楽への回帰なのか、それとも面白い映画がいっぱい作られるようになったのか、あれこれ理由を考えてどっちも当てはまっているんだろーと考える。あとたぶん「もののけ姫」に「タイタニック」の超絶的な賑わいがメディアでばしばし取りあげられるに至って、”映画”を”映画館”で楽しむってゆー”娯楽”がある事を皆が”再発見”したんじゃないかとも。かくも好条件が重なっている中でさらに面白い作品をぶち込めばなおいっそうのスパイラルなマーケットの拡大が期待できるんだけど、つまらない作品ばかりになれば景気も真っ青な逆スパイラルになりかねないので、よほど映画屋さんには頑張って戴きたいものですね。

 とくに東銀座の会社には、なんて言いたいと思っていたら意外と面白くってちょっと見直したのが銀座シネスイッチで公開中の「落下する夕方」。冒頭でいきなり原田知世を振る渡部篤郎が登場して「てめぇこのやろー」と思い知世様さま様を泣かせる映画に不幸あれ、と思ったけどやがて話が進んで渡部がそれでも玉砕覚悟で向かった相手が菅野美穂と知り、かつその菅野美穂が演じた根津華子があまりにもキていてこれじゃー渡部仕方がねえよなと納得の10乗。「リアルサウンド」に出てヌード写真集を出してテレビのヴァラエティー番組にも出て最近、訳分かんない仕事でばかり目にした菅野の天然なのか演技なのか分からない”不思議さ”が爆裂的に発射された映画だと、まずは声を大にして言っておこー。

 原田知世演じるリカは一見強そうな女性で恋人が離れて行く時も黙って見送って影でこっそりと泣く弱さもあってだったら面と向かって泣けよ、と言いたいけれどそれが出来ないプライドもある多分、大人の都会に住む人だったら女性に限らず男性にだっていそうなタイプの人間。対して華子の菅野美穂は一見奔放で無頼で天衣無縫な性格で、思うに従って行動しているように見えて実は心の奥底に秘めているものがあって、とまあなんともフクザツな人格で、そんな2人が一緒に住むことになって起こる対立と融合の中から、殻を破って心をむき出しにして生きていく真の心の強さが見えて来る、ってな寸法か。

 なんてテーマも去ることながら、個人的な見所がプールで仰向けになって泳ぐ原田知世の水着姿だったり、図書館で白いタートルネックのセーター姿をした原田知世の突き出た胸(ポッチリ付き)だったりするあたりが何ともやっぱりイヤラシい。およそ出ていない最近の日本映画は無いなじゃいかとさえ言われる大杉漣の渋い演技もさることながら、落下して不随となったパラグライダーのパイロット(ってゆーのかは知らないけれど)を演じる中井貴一の演技を越えた演技も見物。動かせない体変えられない表情の代わりに指先の震えと虚ろな目の光で内に溜まった思いを表現する、その演技に説明無用の「役者魂」を見る。でもやっぱり聞いてみたいな中井貴一に何故出たのか、って思うあたりが僕も日本人だねプライバシーを切り売られて喜ぶってゆー。


【11月13日】 画集を買った勢いで、中古ビデオ即売会で買った「超人学園ゴウカイザー」の第2巻と第3巻を一気に見て、そのキャラクターデザインそのファッションそのアクションにハマってしまえる自分を発見し、馴れって怖いなーと我ながら空恐ろしくなる。をを製作は行方不明との噂も聞いた山地浩さんか。しかし「ゴウカイザー」、ストーリーの端折り方、ってゆーかとてつもなく壮大稀有な設定が学園都市に集約して、ごくごく狭い人間関係の中で終始させられているのが妙と言えば妙だけど、そんな些末な事などお構いなしのド迫力な映像と気連味たっぷりなセリフが、トロトロになった頭にスーッと入り込んで、あっと言う間の30分を各巻でそれぞれ過ごさせてくれる。胸胸胸に尻尻尻に太股股間は動きがついてイラスト以上の官能美。来年にも放映開始のロボット物は多分これほどまでの悩殺えっちな展開にはならないだろーけど、やはり持ち味であるところの圧倒的なアクションは、倍増3倍増になって目の前で繰り広げられることだろー。刮目して待つぜ。

 大手町にあるアーバンネット大手町ビルで「第14回コミュニケーション・フォーラム」として開かれた「メディアとしてのインターネット」をのぞく。待っているとピカチュウなケルベロスの助教授が来てデジカメによる撮影を依頼、すぐさまカメラマンと化して助教授を筆頭に居並ぶ識者らを撮影しておいたのでいずれどっかのページの載るでしょう。さて4つあるセッションの1つとして開かれたのはタイトルも偉大な「個人の情報発信メディアとしてのインターネット」で、うち助教授はレジュメの提出が遅れたためかプログラムの方にはタイトルがセッション名と同じになっていて、抜き取り出来る挟み込みのステープラーで止められたレジュメの方で、ようやく「個人の情報発信としての『web日記』」との演目が明かされていた。相変わらず………ですね。

 同じ会場で次に開かれる予定の演目「インターネットがマスメディアになる日」にいきなりケンカを売りつける助教授の言は、要約すれば「個人ホームページを舐めんなよ」でありまして、ツマンないページの代表選手のよーに言われている「子育て日記」や「ペット日記」であっても、同じ境遇の子を持つ親や同じ動物に興味のある飼い主なんかにとっては立派に有益なコンテンツとなりえる点を強くつよーく訴えて、個人の情報発信力を過小評価してはメディアとしていずれしっぺ返しを食らうからな、ってな耳が痛く自戒もたっぷりな意見を広く開陳していた。成り立ちについて”自然発生的”と言ったのは草創期を「日記リンクス」あたりへと遡って説明したって理解されないだろーとの意が働いたから? 僕としても「リンクス」以前の「光あれ」な時代は流石に知らないので、何時か誰でも詳しく追っかけルポにでもしてやってちょーだいな。「その日彼はウェブに日記の最初の1文字を記した」とかってな具合に。

 続く仙台で退職者を集めたネットワークを組織している爺さんの公演は元気溌剌オロナイン軟膏な展開で眠たくなった目を醒ましてそのまま寝させなかった。やるね爺さん。中身では例えば「インターネットを身近に使おうとする姿勢が足りない」「パソコンは高齢者の為にある」「情報をとってきて自己責任の中で完結していく」「新聞やテレビなどで一方的に作られた情報が必要な物とは限らない、インターネットは自分の必要な情報を取ることができる」等など。これが本当に70歳を越えたお爺さんの言葉と、このセッションの後に開陳されたであろーメディア学の専門家や実践者らによる「マスメディアの方は信頼感があっていーじゃん」的な意見との、どちらがより”若い”と思う? 直感と実践と経験の言葉に学者マスコミ人はもって耳を傾けるべき。「商品券なんかバラ巻くくらいなら私たちの方にお金を使って欲しい」ってのも至言だねえ。

 終わりがけに「新聞は個人ホームページへの正当な引用を認めろ」との眠け覚ましな助教授のアジテーションに拍手が1つ2つはマスコミ人なのかそれとも個人ページユーザーなのか。マスコミの人で意見はあるかとのコーディネーターの問いに下を向いて黙っていた僕が恥ずかしい、ことは全然ないけどね。ウチの新聞をだって引用してもらえればすっげー宣伝になるじゃない、もしかしたら販売部数より大勢の人たちに見てもらえるかもしれないし、っていったいどれだけ(しか)売れている(いない)んだろー。そんなこんなでセッションを終えて用済みとなった助教授に引っ張られて池袋の東武百貨店へ。途中の電車で一応昨今のゲーム業界とか「ドリームキャスト」に噂の「PS2」の2つ巴(「N64」はどこだーっ)がどーゆー決着を見るのかなど取材。たまにはマジメな話をしていても方やオタクでこなたピカチュウなケルベロスだから説得力に乏しいわ。

 東武百貨店で向かうは国内有数と言われる玩具売場で狙うは当然のことながら「カードキャプターさくら」の変身ステッキ封印の鍵つき。すでに発売されてしばらく経つにも関わらず、ほとんどの玩具屋で見かけなかったのはやはり圧倒的な人気を誇って出れば即日完売となっているからだろーけど、そんな代物を朝から百貨店をチェックして購入の意志を固めてしまうバイタリティーにはやはり感嘆、けど買って郵政省の偉い人やら学者やらが集まる会場へと持ってこなかったのはやはり矜持かそれとも羞恥か。総合司会の川端美樹ちゃん(だったっけ)に見られるのはやっぱり恥ずかしいのでしょうか。

 手持ちのサンプルソフトを渡して帰りの地下鉄は行きの時以上の完全ヲ武装な格好で聞くはゲーム業界の現在過去未来。ますます胡乱に2人組に周囲の視線もやや冷たい。銀座についてうろうろしてから原田知世様さま様のご出演あそばされるカツドウを見に行った助教授と別れて再び丸の内せんで会社へと戻る途中に本屋によって、こちらにとっては知世以上に関心の高いあの4人組、そう「SPEED」様さま様さま様の新しい写真集を買って電車で舐める。うーむ確かにお芸術な写真だったらボケボケでも構わないしそれが味になるんだろーけど、ことアイドルをメインにフィーチャーした写真集ではムッチリとした肢体をクッキリと写してボッキリとさせることが何より大事な事。記録としては価値はあっても見てあんまり楽しくない写真集にやっぱり酷かった前作の写真集を思い出して嘆息する。もったいねえ。


【11月12日】 昨日の「ロフトプラスワン」での永瀬唯さん他が出演した「ガンダム・センチュリー」に関するイベントの休憩時間に紹介のあった、「もののけ姫」も焼け石に水との他己紹介もピッタリな(のか?)徳間書店の神をも恐れぬ新雑誌「GAZO」を買って読む。アニメージュなスペシャルにして何故にいきなりの特集が「踊る大走査線」かとは訝る人も多々あろーけれど、前に「SPA!」でも読んだ脚本の君塚良一さんへのインタビューに「パトレイバー」との関連性が書かれてあったから、東京現代美術館で開催中の「マンガの時代展」に出ている村上隆さんや奈良美智さんのアート作品じゃないけれど、アニメに影響を受けている(それは作品への影響に止まらず世代への影響って意味ってことも含む)実写作品も取りあげるスタンスを雑誌が示しているのだとしたら、まさにピッタリなセレクトだったといえる。単に流行ってるしタイミングぴったりだから取りあげた、ってんでも実は全然構わなかったりするんだけどね。

 ディレクターの本広克行さんと押井守さんとの対談によれば本広さんも「パトレイバー」より以前の「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」の洗礼を受けている世代で、ってゆーか誕生日だけなら僕より3日遅いだけってゆー本当の意味での同世代で、だからこそ息を吸って来た時代の社会風俗流行もピタリ重なっているんだろー、アニメへの劣等感も罪悪感もない素肌感覚での傾注とか。しかし面白いのはデジタルエンジンにある押井さんお机で脇の本棚を見ると京極夏彦さんのシリーズがたぶん「塗仏の宴 宴の支度」まで全巻(たぶん「始末」は出てなかった時期でしょー)並んでいて、をを読んでるぜってな思いを抱く。人の本棚ってのはやっぱり本読みとしては興味の向かうところ。神様系神秘系の本が結構あるののは新作「G.R.M」への参考なんだろーか。「もののけ姫はこうして作られた」のビデオがデン! とあるのはやっぱり意識せざるを得ないって事なんでしょー。

 「表2」にガイナックスが発売した「エヴァと愉快な仲間たち」の広告があって付き合いにしても結構なところに広告を出せるんだなー、とその時は思わなかったけど会社に行って昼御飯の安い弁当を編集局で食べながらNHKのニュースを見ていると、どこぞのアニメ制作会社が脱税をやって上げられたってな報道が流れてもしや、と思って見るとやっぱりガイナックスだった。やっぱりってのは前に週刊誌なんかで査察が入ったとかってな記事が出ていたのを読んだことがあるからで、それがようやくにして結果となって出たんだろーと意外には思わなかったけど、流れて来た通信社の記事なんかを読むと隠していた所得が15億円もあって脱税していたと税務当局にされた金額が5億8000万円もあったことの方がちょっと吃驚だった。いや儲かってまんなー、って点で。

 夕刊の「朝日新聞」の記事によると、隠していたお金は複数の貸金庫に分散して隠してあって、かつ脱税の方法も取引先に発注したと見せかけて実は内部で作り、お金をいったん相手方の銀行口座に振り込んでから引き出し、その際に協力謝礼として外注先に1割分を支払っていたとある。事実だとしたら、これじゃあバレる、よなあ。広報側のコメントによればすでに修正申告も済ませているとあるから、故に意図的なのか不可抗力的なものなのかを判断する材料はとりあえずなく、クリエイティブな会社にありがちな、経理とかに疎かった事が禍しただけなのかもしれない、あるいは空前のアニメブームに儲かってそうな会社としてねらい打ちされたのかもしれないという、穿った見方もできないこともない。それでも地検特捜部への「告発」という事態はそれなりにとてつもなく重い処置と言え、故にどちらにも相当の事由があったと見るのがやはり自然なよーな気がする。うーむ。

 NHKのニュースが1分以上の長い時間に及んだ理由が、単に他のニュースに乏しかったからなのか、それとも事態を重く見たからなのかは解らないけど、少なくとも数年前に比べて業界への関心が高まっているとゆー事だけは、本当だろーし業界の人たちも考えなくちゃいけないんだろー。さても心配はこれからの対応がどーなるかってところだけど、たまたま来週に掲載を予定していたアニメ制作会社に関する記事で、あのアニメに触れない訳にはいかず担当するライターの人から「どーしましょーか」とゆー電話があって、とりあえずは当該の会社に電話をするとまったく関係がないとのことで記事にはゴーを出し、キングレコードに今月のDVD、来月の超豪華なLD−BOXはどーなるのか聞こーとしたら「今知りました」なんて答えがかえって来て「これから対応を考えます」との返事をもらってただでさえ遅いDVDの発売に影響はあんまり出ないだろーとの期待を抱く。

 じゃあガイナも企画に噛んでいる「彼氏彼女の事情」を放映しているテレビ東京が、「ポケモン」じゃないけどウロが来て何かやらかすんんじゃないかと心配して広報あたりに聞いて貰うと、事件は会社としての問題であって作品とは関係ないから当面は影響ないとのご託宣を戴き見てないんだけどホッとする。玩具関係はまあ関係ないと見て良いんだろーけど、折角の登場にあるいは量産化なんて期待もあった「サバイバーショット」のガイナックスバージョンは、これでおおよそ再版はないんだろーなーとの観測を持つ。これこそ関係ないって代物だけど、やってる側に大会を開いて遊ぶゆとりが今後産まれるかどーかが心配で、大会が開かれなければ作られないだろーこと必定で、故にわが家の限定版はますます値が出てやがて億の単位までも、は大袈裟にしてもやっぱりプレミアムは必至って事に、個人的にはしたいなー(コラコラ)。

 アニメ制作会社の記事につける写真が小さかったので会社まで写真を貰いに中央線を乗り継いでエッチラオッチラ。返りに折角なんで三鷹で降りて統括本部のあるビルまで行っても前にカメラが並ぶとか、みといせいこか東海林のり子が立って喋ってるって光景もなく(あるかい!)、ひっそりとして静かなものだった。別の所にあるいはワンサと行っていたのかな。帰りがけに駅前にあるビルの本屋ですっぽんぽんのエリカとポーズを決めたサージが表紙の「大張正己作品集」(ムービック、2190円)を購入、全編を彩る大張テイストあふれたイラストの数々に落ち込み欠けた気持ちを奮い立たされる。圧倒的な胸、胸、胸そして尻、尻、尻さらに太股股間のド迫力。奮い立たされるのはどーやら別の所も一緒みたい。

 巻末の大張さんご本人の写真は皮の「Tシャツ」がとってもキャッチィ。身長181センチのガタイにその格好はまるでおよそアニメな人に見えないなぁ。「テッカマンブレード」のオープニングで本編には出て来ないペガスにテッカマンを乗せてしまうとゆー演出を行い、「宇宙の騎士テッカマン」へのオマージュと言い切るあたりに、これまた自分と学年が同じとゆー本当の意味での同世代ならではの共感を覚えるねぇ。

 気になるのが「俺が考えるカッコいい要素をこだわってぶちこんで作った『VIRUS』が、思ったような評価を受けている気がしていないからなんですけどね(笑)。もっと取りあげられて然るべきだと思っているんだけど。今のままじゃ、『じゃあ、俺、何やったの? 無駄じゃん』みたいな感じをどうしてもぬぐい去ることができなくて」という発言。そんな事ないぜ俺はLD持ってるぜトレカもコンプリートしたぜゲームだって待ってるぜ映画にだってして欲しいぜ、と常々言ってはいるんだけど一般的にはやっぱり露出は超少ない。んでここは「GAZO」のアンケートに「ここ2ー3年で一番好きなアニメ作品」として「VIRUS」と書き、「取りあげて欲しい作り手」として大張正己と書いて投函するぜ。最大の問題は次の号が出るかどーかだったりするんだけど。


【11月11日】 茶筒に目を眩まされて最近まで気付かなかったで不覚だったぜナツメの頭は正面から見るとイオニア様式の柱のてっぺんに付いている雲形の飾りだったって事に。あれコリント様式だったっけ? 東洋史専攻だったんで西洋史のこはとよく解らんないんだけど(中学生レベルだとの声は無視)、どっちがどっちでも実物が確か日本橋三越の隣りにある旧三井銀行本店で今はさくら銀行の日本橋支店だったかの円柱の上に付いていたよーな記憶がうっすらあるので、今度の日曜あたりに確かめにいこー。ちなみちその隣りの日銀の柱の上にはコリント(イオニア?)様式の葉っぱが箒(ほうき)みたく付いてますんでついでにチェックだ。でも帽子にサングラスなんて怪しい格好していると銀行強盗と間違われてしまうんで気ぃつけよーね、って俺の事か。

 そんな「ジェネレイターガウル」はますます製作快調でところどころ「エヴァ」の雰囲気を意識してかしないのか残しつつ(ジェネレイトしたガウルの暴走とか冒頭のまるでコアをぶっ潰すよーなシーンとか)、激しい戦闘シーンに謎めいた展開にほどよく散りばめられたギャグがミックスされて実によい味を出している。極上なブレンド珈琲の美味さ。問題はやっぱり深夜から早朝にかけての放映でたいていはビデオでの観賞になるんだけどそれでも見られている可能性は極めて超激弩少ないんだろうと思うとタツノコ、久方ぶりのオリジナル作品がまんま埋もれてしまうんじゃーないかと心配で夜はぐっすり眠ってお陰で視聴率には全然貢献できません。

 駅頭や街頭なんかにいよいよ例の白鳥のジュンちゃんなんのパンモロポスターが、じゃないワーナーヴィジョン・カパンから発売のタツノコ作品をセレクトしたビデオのポスターが張り出されてファンの股間を刺激していると思うけど、今が勢いのタツノコをさらに盛り上げ「ガウル」に続く新作をばしばし作ってもらうために、ここは皆さんで駅頭のポスターを剥がして「タツノコ人気衰えず!」なんて社会ネタにしてしまうってのは、犯罪だからやめよーね。しかし本当に剥がしたくなるよねあのポスター、西船橋駅に2枚、船橋駅に2枚、地下鉄丸の内線銀座駅から八重洲方面へと向かう地下道に2枚発見、さてさてどこが1番、人気(ひとけ)が少ないか。

 何故か各店で品切れが目立つ(それとも冊数が減っただけ?)「AX」をどーにか購入、布きれで包まれた部分の量感肉感が上も下もたっぷりでソソられるフェイ・ヴァレンタインの表紙を見て、これだったらさっさと無くなっても不思議じゃないかもと納得する。センターの織り込まれたミニポスターも下からハミでたチチにシリがムチムチでプヨプヨで不覚にもムクムクしてしまったよ朝だかし若いんだからしゃーないか。広井の王子様の対談は赤い玉子の会社も絡んでる「サウザンドアームズ」を手がけた伊東岳彦さんがゲストで半分(ほとんど)番宣だけどそれでも伊東さんが出て来るのって(写真入り、だもんな)珍しいかもしれないからそれはそれで貴重かも。

 新宿に行って時間までを「さくらやホビー館」でぶらぶら。2階に上がるとやっぱり「スーパードール リカちゃん」は見あたらず意外な人気か単なる欠品か悩む。どっかのメーカーのソフビっぽい銀鈴が1200円の特価で出ていてド迫力のバストに一瞬目眩がしたけど、箱から出してやっぱり下から見上げてそこんところの処理が極めて悪質だったので買うのをとりあえず断念する。悪質ってそれはつまりドレスのすそが平面になってやがってそこから足が2本突き出ているって事ですね。白とか黒とかって言う余裕も隙間もないってゆーか。同じ店では「めぞん一刻」と「ラムちゃん」がやっぱり確か1750円とかで出ていてこっちは往年のアイドルとして彩文館から出た「アグネスラム」の”今”を写した写真集とは違ってちょっと欲しまったけど、これからイベントがあるのにラムちゃん響子さんは抱えていけないので出直しを誓って歌舞伎町へと歩を進める。

 さて「ロフトプラスワン」は往年の名著と評判も高い「ガンダム・センチュリー」について作った人たちが鼎談するとゆーイベントで、司会進行に永瀬唯さん、ゲストに脚本・文芸担当の松崎健一さん、元OUT編集長の大徳哲夫さん、スタジオぬえの名前忘れた「センチュリー」では制作デスクをやって修羅場の時期に合宿で免許を取りに行っていたとゆー人の計4人が舞台に上がって、ムックが出来るまでの苦労とか当時の内輪話とかを実に3時間以上も熱心に語ってくれた。あの何だか理不尽に怖そーな永瀬さんが実は僕と同じ輝き光り煌めく人だったと知って安心。スポットライトの当たる壇上だと美しくって目もあけられない、とは大袈裟か。

 聞いたことはすっすと頭から抜けてしまうため、故に面白いことを聞いたよーな記憶があってもそれを再現できないのが辛いけど、振り返れば最初は「ガンダム・センチュリー」サンライズとは無関係の人たちの手によって出版されることを渋っていた安彦良和さんも、イラストを描いていた当時はまだ無名の学生さんだった(のかな)美樹本晴彦さんの絵を見てとたんに「ウチで仕事できないかなあ」と言ったとか、座談会のゲラに富野さんがみっちりを赤を入れて来ておまけに富野語が交じっていて大変だったとか、いろいろな秘話が明かされた、よーな記憶がある。その「ガンダム・センチュリー」、本当に復刻の準備は進められていて、そもそもの装丁を踏襲した1冊に新たに注釈が加わってケースに入るよーな形で、早ければ来年には出版されることがほぼ決まったとか。永瀬さん曰く「良心的な店」とゆー神保町のカスミ書房で1万とか2万とかの値段が付けられているムックだけど、復刊になれば多分下がるだろーから持っている人は今のうちに古本屋に売っちゃおー。

 休憩の時間中にたぶん水民玉蘭さんとおぼしき人がアジビラを配っていたけれど、トイレに行っていた時間だったんで貰い損ねて結局何が書かれていたのかは解らず仕舞い。けど質疑応答の段になって真っ先にその青年は手を挙げて、1年戦争の時の時間がズレてるのは何故ですか、ってな考えた事もない人間にはだから何なんだ的質問をぶつけていたけれど、答えは明解で「ガンサイト」とゆー当時を代表する(他にあったのか)ガンダム関連のファンジンのメンバーがテレビの上でのおかしい部分を独自に解釈していった結果が、その延長にあると言えなくもない「ガンダム・センチュリー」に反映されていいるからズレて当然ってな事を言っていた。そこから後は設定絡みの話が続いてキャラクターの名前にしてもモビルスーツの名前にしても決めている方が適当に決めているのに、ファンが自由な発想でふくらませて解釈しよーとしている事にいささかの違和感を永瀬さんあたりは表明していた。

 客層はほとんど男性で歳も結構行っている人たちばかりなのかな。空席はあったけど中身的には「アニメってこーやって出来るんだー」的内幕話もたっぷりあって楽しい時間を過ごせたのがラッキー。カレーパンを包んでいたインクを吸わない紙に印刷しなくてはならなかった「みのり書房」の内実あたりを暴露して、往年のリアルタイムに読んでいたファンを結構喜ばせていたみたい。今は忘れてしまっているけど思い出したら何が話題になったのかを逐次拾っていこー。ホント物覚えが悪くなったのが実感できるよ最近は。


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