縮刷版98年10月下旬号


【10月31日】 明け方まで「朝まで生テレビ」がやっていたよーな。お題は小林よしのりさんの「戦争論」を軸にして、これが正しいのか違うのか共感できるのかできないのか云々から、戦争の正当化国家の存在意義他あれこれな、あまりマジメに考えたこともなく実は考えることから逃げている事柄について、喧々囂々侃々諤々な議論が闘わされた、みたい。いや途中で寝てしまったもんで決着がどう付いたのかまでは知らないんだけど。集まったメンバーから見ればどちらかと言えば小林さん不利な左サイドのウエイトをかけた陣容に、けれども闘わされていた議論は、相手の主張を踏まえ反論し反論される、おおむね有意義な展開だったような気がする。やはり読まずに逃げられんか「戦争論」は。

 メンバーでは撃墜王・坂井三郎が異色。東大の姜尚中さんは低温の魅力で冷静に訥々と喋り出すと場が締まって圧倒的な存在感を放つ。「女性が」と口にする松井やよりさんが妙に浮いていたのが印象的。精いっぱいなのは解るけどテレビという場では余裕かまし失笑を加える相手の顔との対比が真摯な意見をも呑み込むのだな。あまりに1事が万事でちょっとトンガり過ぎてて男としておよそ共感できなかったのも事実だけど。辻本清美さん議員なんかやってて良いことあんの?

 立場天気が良かったので本八幡にある日本毛織工場跡地に作られたんだかな「ニッケコルトンプラザ」の「トイザらス」を見物に行く。駅を降りてちょっと東に行った古本屋に創本SFの古い所がちょこっとだけあったけど、価値が解らないし買っても読まないからパス。サンコミックの大島弓子が500円は高いのか安いのか。何も買わずに出て向かい10分ほど歩いてようやく現地に到着、中をうろうろするも目当てに「サイバーショット」は置いておらず、仕方がないので入り口付近で安売りしていたセガの「サクラ大戦フィギュア」から「真宮寺さくら」を500円でゲット、家に帰って下からのぞいて、袴の奥でちゃんと履いているのを確認し、太正時代はシンポ的だったんだなーってのと、どーやって色塗ったんだろーってなダブルな驚きに興奮する。売れないのかなあ、出来は良いのに。

 ついでじゃないけどタカラから「スーパードールナイト イヅミちゃん」を一緒に購入、こちらも当然×10の事ながらイの一番めくり上げ、ちゃーんと履いているのを確認してから様々なポーズを取らせてイジる。股関節がリカちゃんに比べてちょっち弱まっているのは値段のせいかそれとも単に個別の特質か。オマケにスタンドってのを貰ったけれど見るとただの丸い平ぺったい缶ケースで、つまりはそこの上に磁石で立てろってことなのかと、余りの当たり前ぶりに呆然とする。ピルケースにも使えそうだけど、ハードボイルドな男だったらやっぱり屋外用のアッシュトレイに使うのが吉。ダークスーツにトレンチコートに頭にはボルサリーノのソフト帽、迫る闇のなかで探偵はシュボッと煙草に火を着け、1服、2服と深く吸い込んでから「リカちゃん缶ケース」の底でもみ消し、再びポケットへと仕舞った後、腕にはめた「リカちゃんコーリングリング」で時刻を確認しよーにも出来ないんだよね、あれ。

 テレビ東京で「ナビ98」。キッズ市場の今を「劇場版ビーストウォーズ」を軸に解説する半分は「ビーストウォーズ」を放映しているテレビ東京のPRっぽい番組だけど、玩具と映画と雑誌とテレビががっぷり組んで1つの「コンテンツ」を盛り上げて行こうとする構図は、およそ今のほとんどの子供向けキャラクター商品に当てはまるので知ってる人は今さらだけど見た人は結構タメになったんじゃなかろーか。番組にも担当者が顔を出していた版権ビジネスやってるイオンはあんまり表には出ない会社だけどリカちゃんなんかも仕切ってるし映画の事業も手広くやっているからちょっち注目な企業、かも。ギャガになれるか。ギャガとは違うか。先々週だったかに求人広告出てたなあ。後タカラの開発の人の髪型が番組司会のボストンコンサルティングの堀紘一さん以上にヘンだったのが印象に残る。ををタカラのスーパードール広報・渡辺さんだ。相変わらず髪型が(以下自粛)。


【10月30日】 遅れ馳せながら「ジェネレイターガウル」第4話。なるほどまるで初号期暴走ですねアンビリカルケーブルまで付いていて往時のテイスト再びな気分に浸れたけれど、お話はちょっと違って人間自体が持つ潜在能力を如何に引き出すかにかけた科学がそのしっぺ返しを受けそーになってリセットに乗り出してあれこれ、といった展開がなんとなーく見えて来た。

 プラス科学は探求心に従うべきかそれとも人間の幸福を願うべきなのか、問題も明示されていよいよ脳天期なガウルの大食大寝のラブコメディの影にある、ハードなバイオなSFチックな展開も見えて来て、第5話以降の中盤戦への強いつよーい期待を抱かせる。真夜中っちゅーか明け方の放映だけは何ともならんなー。メジャー化の為にエラい人の宣伝望みます。しかし相変わらずな女子どーして日産純正のL20型エンジン用オイルクリーナー大型を頭に付けているかなー。思わず昔ケンメリいじってたときのオイルクリーナー外しの輪っかな形を思いだしちまったぜい。
 ポケモンはいよいよサイクリングでヤッホー、ヤッホー。だけどだんだんツブしたマップの箇所が増えて来て、次に進むべき道は用意されていない気がして悩みが増す。捕まえたポケモンも数はまだまだ40に満たず、オオネコことピカチュウのレベルは50を越えても他のポケモンのレベルがなかなか上がらず、対戦してもピカチュウがやられた後のフォローが出来そうもなくってこのままで果たして最終段階まで進めるのかと、不安も抱いていい加減この当たりで知った気になってやめておけば、心満足し本読みに復帰出来るんじゃないかとの気もして来た。

 しかしやり残しの方がよほど気分が悪いので、あと1週間は頑張ってみたい所存でありまする。じゃによって来週末の静岡の怪しい例会(謎)は、きっとカラーゲームボーイでピカポカやってる馬鹿が1人出現しますので、吉祥寺の座長のおかれましては恐悦至極に存じます。しかしもらった委員会のメンバー(何の委員会だ?)、ちょっとすっげー濃すぎるぜ。見た目自分が一番カタい人間に見えて来た。案外自分ってまだまだ真っ当な人生、歩んでるんだなー。

 開店直後の本屋で走る安田ママを背中に笠井潔さんの「スキー的思考」(光文社、1900円)を買う。サヨクがブルジョワでカンキョウハカイなスキーについて書くとは何事ぞ、とまあ紋切り型な批判も出来ないこともないけれど、個人的にスキーをほとんどやらない人なので、スキーにのめりこんだ中年作家が自らの創作的な源泉をもその分野に包含していこうとする試みを、実は正直理解できない。ゴルフに熱中した作家がゴルフ的思考に乗っ取って本を書く、サーフィンが大好きな作家がサーフィン的思考で自らの思想を総括する。言葉がいささかキツくなるけどどこか滑稽な印象を受けて仕方がない。うーむ。

 うーんスキーとゴルフとサーフィンをいっしょにするなと言われそうだけど、やらない人から見ればみーんな同じブルジョワっぽいスポーツで、そんなもんを元に思想を総括せんでくれやと思えて仕方がない。中身が実はどーゆー論旨になっているのか、未読なので明言は出来ないけれど、笠井さんをして何故にの思いは尽きず、中身を読んでさてその思いが増すかそれとも納得できるか、不安じくじく期待わくわくで週末を読み込もう。

 バンダイの懇親会でエラい人たちとお話。なるほどさても「G.R.M」はキャメロン没って仕切直しの状況なのかと関係のない話で盛り上がりつつ、最近の商品について情報交換を行う。会場に置かれたテーブルでまず目立ったのが「たれぱんだ」。聞くとやっぱり出れば直ぐに売り切れるほどの人気だそーで、近く発売される現行の大より更に大きいバージョンと、それよりもっとでっかいバージョンが現行の大中小の下に重ねて置かれて、迫力の山積みを見せてくれていた。入って来た女性のたぶん毎日新聞の記者が「あっ『たれぱんだ』だっ」と行って嬉しそうな顔を見せたところから、じわりと広がって来た人気のほどが伺えた。数万円もするけれど、でも欲しいよ抱えて寝たいよ超々特大。

 もっと売れているらしーのが「遊戯王」のカード。アニメはあまりに色ピカピカで目バチコになって見られなかったけど、漫画も含めて少年たちには結構な人気を確保しているよーで、満を持して投入して宣伝もバリバリな「カオスギア」が「モンコレ」に負けていまいち動かないのに比べると、カードダスの自販機ですでに数千万枚が売れてるそーで、年度内には大袈裟かもしれないけれど数億枚が売れるんじゃないかと、そんな期待を抱いてる。コナミの「ゲームボーイ」用のソフトも数十万とかのオーダーで売れているとかで、落ち目の評判著しい「少年ジャンプ」でもその実マガジンに次ぐ部数を売って人気の漫画もあるんだって事を深く認識し、流行に流されがちなブンヤの浮かれた気分を諌められる。43枚パックでもらた「遊戯王」カード、来週末の会合でプレイして見せるか、今時の大流行として、公務員たちの目の前で。


【10月29日】 だからといって11月8日に秋葉原のVOKESのショールームで開かれる吉井怜ちゃんのサイン会&水着フィギュア予約会に出かけるほどズッポリな「仮面天使ロゼッタ」ファンだとは思いたくないんだけど高橋先生はおいといてDVDで買って途中まで見てストップしておいた「AMITAGE3」の第2話から最終第4話までを観賞、ふーんこーゆー話だったんだと英語版しか知らなかった我が身の不明を恥じる。ハッピーエンドだねそれもニッポン的にすっごく。ジュリアンが初登場で声がいきなり冷波の連れてる人形さん(シンジじゃーないな)だったんで体がピク付く。中尾隆聖さんといー声一発ツカミOKな声優はやっぱり強いよあなー。

 劇場版だと途中のエピソードでズッポリと抜けている当たりがあってそれが結構物語りに厚みを与えていて、だからなのか最初に劇場版を見た時に抱いた不明確さがようやくにして理解できた。日本語って事もあるし何より笠原弘子ちゃんの声がエリザベスなんとかよりはるかに可愛いし。けど途中で不思議とノイズってる部分があってこれは単なる色の塗り間違いなのかエンコードデコードのどっかに齟齬があるのか不明。劇場版DVDでどうーなってるのか確かめないといけないけれど後者だとするとやっぱり過渡期のメディアなんだってな事になっちゃうのかなー。えっウチのプレヤーが古すぎる? 買って1年半で型落ちたぁーDVDもパソコン並の進化だね。

 マジメに仕事は三田国際ビルにあるあの会社。神田にも分室があってそっちが一般的には知られていたりするタイトルを山と出していたりするんだけど、一応は社長に近況を聞きつつもドリキャスの発売でゲーム業界がどう変わるかって事も聞ければとリクエストを出していたところ、今年の1月の例のオタクアミーゴスでも「パブリック・エネミー」なゲームの1つとして挙げられそうになったタイトルを出して以来、あちらこちらでそれやこれやだったプロデューサの人も来ていて、1月のあと1週間で発売って時期に会った時以来の体面となり、その語のどうしたこうしたがあって流石に最初は切り出せなかった。中古が980円はいくらあれでも酷いよね、とか。

 思うところたくさんあたみたいだけどその方は、けれども発売した以上はOK出した自分の責任だからと立場を認識しての言葉を発し、つまりは相当に何だったってことを理解した上で、それでもファンがいる以上は公然とは絶賛の逆は言えないと申しておりました。つまりは大人的にいろいろあったって事で、次なる「DC」向けのタイトルは自社の制作ラインではガッチリと確保して来た絵へのコダワリを存分に発揮しかつ、色もフルカラーを実現できるハードの特性を存分に活かしたタイトルになるとの事で、だったらとりあえずは期待しちゃおーかなと、納得させられてしまったですわ。パソコン版がどーなるとは流石に聞けなかったけど。

 「SPA!」に小松左京御大登場、うーん顔がぷよぷよ目がしょぼしょぼ。袖口から除く手のシワシワがいかにも爺さん然としていてかつて「ブルトーザー」と呼ばれていた頃の写真からも感じられた漲(みなぎ)る迫力が感じられない。かといって枯淡の味わいかとゆーとちょっと違うのみたいだし、されど実際に会って話を聞いた人が、「タフな響き」と書くからには偉大なる先人への畏敬の念とはまた別の、秘められた知性と活力が漏れ伝わって来たに違いない、と信じたい、よなー。けど「日本沈没」の再映画化には現時点では個人的には懐疑的、やっぱり20億円じゃー実写はキツかろー。「松竹の浮沈どもども注目」のコメントは単なる礼賛だけに止まらない毒味があって良いですねー。

 変わったね「じゅげむ」。発行がメディアファクトリーだしザラザラした紙は入ってるし何とポケモン田尻さんの伝記マンガまで入ってるよ、これじゃーまるで「少年マガジン」だ。記事連載その他に大きな変化はないから読んでいて違和感はないけれど、いずれ大幅な改変もあるんだろーな。個人的には攻略は良いからゲームのタイトルの情報と簡単な紹介がある方が仕事する上で便利なんだけど、そんなスタイルじゃーあんまり明るくないしウケないしね。かといってレビューいっぱいとかも差し障りがあるだろーし。さてもどーゆー雑誌に変わっていくのか成り行きに注目と紋切り言葉をとりあえず贈ろう。関係あるけど表紙の佐藤藍子さん、前に横浜ベイスターズの優勝時にテレビ見ていて喜んでいた映像でも思ったけど、ちょっと頬顎、フクラんでない? まるでメダルゲームのメダルのよーに(謎)。


【10月28日】 新作小説をネットだけで販売してしまうってなインターネット時代に相応しい(とは紋切り型で好きくない表現だけど)試みを始めた「SFオンライン」での恩田陸さんは「イサオ・オサリヴァンを捜して」PDFデータオンライン販売の話をそのバリューが高いを判断して(その実単なる趣味として〈さらにその実ネタがなくって紙面が空きそうになったため〉)、我が表の新聞で大々的に取りあげるもおよそ反応はなく、これはSF読者が世間に極めて少ないからか、あるいは単純に新聞がほとんど読まれていないからなのか、理由を考え考えあぐねてヤケ酒を呑む。

 ネットと「SF」って勝手に相性が良いと思ってたんだけど前にフジオンラインが「電子書店パピレス」で矢野徹さんの書き出しに後をつなげる試みをやって、実にわずかな応募しかなかったって話を聞いていて、ありゃっ? と意外に思った記憶もある。とはいえ読売新聞なんかが主催して開いた「インターネット文芸大賞」(って名手だったっけか?)ではSFに近い傾向の作品があつまって賞を取ってデータで販売されているところを見ると、「サイバーパンク」の例に従う訳じゃないけど、ネットとSFの親和性はまだまだ結構なモノなのかもしれない。うーむとすればやっぱり単純に新聞が売れてないからだけなんだな。げしょげしょ。

 日販の週報からあれこれ。ブルドーザーみたいな体育会系のパワーファイトぶりがいまいちい好きになれない「幻冬舎」から幾つか面白そうな本が出るみたいでフクザツな気持ちにかられる。まずは篠田節子さんは「三日やったらやめられない」が11月2日に発売の予定。タイトルどおり「小説家は3日やったらやめられない」的内容のエッセイみたいで、おそらくは今とってもノリの乗ってる篠田さんの、小説家になるまでなってからなった後のいろいろな、苦労話楽しい話が満載の本となっていることでありましょう。

 せからスポーツ関係では今やっぱりノリに乗ってる金子達仁さんが「惨敗」を上梓。タイトルのとおり日本のサッカー代表がワールドカップでボロボロになっていくプロセスを追って論じた本になっているんだと思うけど、すでにしてあちらこちらの媒体で書いている話だけに新味がどれだけあるのか。それでも読んで溜飲が下がること間違いなしなんで、やっぱり買ってしまうんだろーなー。なんか金子さん儲けさせてばっかり。ついでに馳さんも儲けさせてるし。

 その馳さんが日曜日だかに神田の三省堂書店でサイン会をするみたい。あれ文化の日だったっけか。まあいい「漂流街」は既にして購入してまだ読んでないとゆー状態に改めて1冊所望する勇気もなく、サイン会は行っても遠巻きでサインももらわずに終わるフクケン(謎)の術を駆使する可能性が大。一方で前日の服部真澄さんのサイン会はまだ本買ってないから当日も整理券配っているよーなら並んでも悪い気はしない。本人写真を見る限り結構マブ(古語)だし握手なんてしてもらえたらラッキーついでにアレしてコレしてヒモしたら働かなくっても食っていけるか、と思ってさて服部さんて既婚だったっけ? 未婚だったっけ?? 京極さん以来サイン会ちょっとご無沙汰だし週末はサイン会のハシゴにして集まる人見て売れてるかこれから売れるか売れなくなるかを考えよー。

 角川書店の傑作ホラーがともにマンガになって発売は大槻ケンヂさんの「ステーシー」を原作に長田ノオトさんが描く「ステーシー」(ぶんか社、900円)で、もう1冊が小林泰三の「玩具修理者」をもとに「HOUSE OF THE HORROR」(ワニブックス、900円)のMEIMUが描く「玩具修理者」(角川書店、780円)。前者は絵こそ一見雑っぽいけどキャラクターの造形の迫力たるや鬼気せまるものがあって原作の暗黒ポップなイメージをいっそう増幅して見せてくれる。後者はロリ入ったキュートな絵が特質のマンガ家が描くオドロの世界がギャップとなっていっそうの恐怖感を煽る。

 んだと思うけど実はいっしょに買った田中圭一さんの「復活 ドクター秩父山」(ぶんか社、1200円)に久々にハマってて読んでない。復活した「ドクター秩父山だっ」がエロ爆走の割にスベってる感じがあって昔読んだ感動(官能)を感じさせてくれなかったので、改めて読んだオールドバージョンの炸裂するギャグの面白さに深くふかーく感動して何度もなんども読み返す。しかし作者自ら折り返しの部分で「なんかこの作者もこの1本で燃え尽きた感じだよな」と言わせないでくれい。


【10月27日】 山賀さんが大好きみたいなトミーの「サイバーショット」が10月30日によーやくもって再発売になるとのリリース。光線銃を使って敵の頭にヘアバンドで止められたセンサーを撃つとセンサーがビリビリ振動して相手は死んじゃったことになる、実に男の子心を擽ってくれる玩具で、アミューズメントセンターの中なんかにある体感ゲームとは違って実に50メートルもの射程を持った光線銃で、フリーのフィールドをフリーダムにランできる特性は、まさに大人向けのアウトドアーなスポーツだとの印象を持つ。トレーニング用の的がついたバージョンが5800円ですぐに対戦できるよー2台がセットになったバージョンが9800円って値段も、大人には程良いですからね。

 いわゆる「サバゲー」がミリタリーっぽい雰囲気を持って傍目にはとってもカタそーな印象を持っているのと比べると、脳天気さでは人後に落ちず、よほどこめかみをゲンコツでグリグリやられるのが駄目な人でもない限り、撃たれても大きなダメージは受けないし、目とかをゴーグルで覆う必要もない。傍目にはでもサバイバルゲームに比べて大人がやったらそれも団地の公園とか真っ昼間のショムニなOLたちがベンチで昼御飯を食べている日比谷公園とか皇居前広場とか池袋ウエストゲートパークとかで背広姿にアタッシェケースを片手に持ちながらサイバーショットでバンバン撃ち合っていたら、バカ以外の何者にも見えなかったりするんだけど。だから1度やってみよーよ。

 コーエーに川澄綾子さんを見に行く。いや別に襟川のお母さまにお目通り願うでも良いんだけど。発表があったのは「インターネット・ミュージック・コンテスト」ってゲームのBGMをインターネットを通じて募集したようってこの「インターネット時代」に実にじつに相応しい公募の結果発表で、応募の大賞となったBGMをつけて欲しいゲームの1つで恋愛シミュレーションの「約束の絆」に主演で出演していた川澄さんが、実はゲストとして招かれていたのです。どんな顔してるのかなあ、なんて期待わくわく不安どきどきな気持ちで待っていたら、登場したのは小さいお鼻の鼻筋とおって顎はきりり目元はウルウルなパッと目かわいくジッと目なお可愛い女性でありました。これなら顔出しおっけーじゃんん、と思い一生懸命写真を穫るけど、悲しいかな遠くってあんまりよく見えません。変わりに襟川のお姉さまの写真を(以下消滅、行方不明)

 発表会場には当然のことながら受賞した人が集まっていて入選から順に楽曲がかかり本人が登壇しては挨拶をする事を繰り返していたんだけど、中の1人が立ち上がった瞬間に僕の前にあったアイスコーヒーのコップを横倒しにして戴いて、資料の上にこぼれヘリから落ちた分が鞄にかかり退屈な発表の間を時間つぶしに使っていた「ゲームボーイカラー」に少しだけ触ってしまった。マズイ、と思ってゲームボーイはデータをセーブし中身を取り出してひっくり返して水抜きすること数分。何とか再起動したのを確認して、新品についてない最近のパターン(カメラおとしモバギは真っ白状態)をここでも踏襲したのかと、瞬間抱いた心配を撤回する。

 こぼした人はしきりに恐縮がっていたけれど、たかだか珈琲をこぼされたくらいで机ひっくり返すよーな短気は損気でもないので、手のひらで「よかよか」と合図して冷静なふりをして(内心ゲームボーイを心配しつつ)変わりの資料と珈琲が到着するのを待つ。だからコーエーが何を考えてか投入する恋愛シミュレーションゲーム「約束の絆」で藤村美紗姫ちゃんて女性のテーマを作曲して「Wonderful(!?)Girl!」で応募した東京都在住で自由業で27歳とかゆー渋谷勇治くん、ほら君だよしぶやくーん、ぜーんぜ怒ってないし絶対にお根になど持ちませんし恨みも怒りも嫉みも妬みもやっかみもなにもかも、君にはいっさいのネガティブな感情を抱いてないのでまったくもって一切恐縮がる必要なんてないんだよー。ねえ。まあ将来レコード大賞でも穫ったらその時あんな事もあったなーと思い出しては僕に珈琲をごちそうして下さい、な。なっ!

 「Looker」で小中千昭さんのコラムはイラストがアリスで普通じゃん、と思って良く見たら隅っこのほうにちゃーんといつもの所在なげにビクビクしているちびちびレインが描かれていて嬉しいことしきり。記事はほとんど別にたいしてあれだけど、巻末の情報ページではカードのコーナーでハドソンは未来蜂歌留多紹介から「ロゼッタ」な吉井怜ちゃんおカードが「コレカラシリーズ」の1つとしてリリースされるとあって胸トキメかす。水着もあってあの巨大なお胸もバッチリらしーけど、全168種ってのはちょっと多過ぎやしませんか、ねえ。竹本泉さん描く初回限定の描き下ろしカードってのはどんなか見たいきがするけれど。高橋良平さん買うんやろか。


【10月26日】 ニッポンハムのスモークタンをかじりながらバーボン呑みながらありゃりゃこりゃりゃと読書して感想書いてメール。面白かった1冊が四谷ラウンドから出た「下町酒場巡礼」って本で、よーするに都内に残る小さい居酒屋をこまめに足で回って舌で感じて胃袋で判断するとゆー、フィールドワークの神髄を行く硬派な居酒屋ガイドなんだけど、出てくる食事は煮込みにモツ焼き、出てくるお酒はホッピーにデンキブランといかにも下町なテイストで、読んでいるだけでグビリと喉が鳴り、グググググウッと腹の虫が叫ぶ。

 普通だったらこーゆー本って地図があって全域をカバーする広域図があって1人前のお値段とかがあってってのが王道だけど、流石に足で稼ぐのを旨としている人たちばかりが書いた本。地図もなければ値段表もなく、記述を便りに近くまで行って足で探してみるしかない。それでも構わないって飲兵衛だけが、読む資格を持ち結果飲みと食べ物にありつけるってことでしょう。口絵写真の木の丸椅子に木のカウンターの店がとにかく格好良い。行ってみたいけど1人じゃ怖いけど彼女とは行けそうもないしってそもそも彼女なんていないし。おっさんいかへん? とは言えそのうち下町に同じ本持って歩き回るアンアンキャンキャンな方々が大量に出没したりするんだよなー。乙女の行動力を舐めるなってことですか。

 サンライズの件でバンダイに電話したら広報サイドではバンダイは一切関知しておらず、おそらくはサンライズが独自の判断で行っているとのことらしい。もとより最近のサンライズはバンダイの傘下にあるとはいえ版権をすべて自前で管理するようになっており、バンダイといえども1ライセンシーに扱いとしては過ぎない。もちろんいろいろ緩かったり優位だったりはするんだろうけどね。今になっての強力な権利の主張はいったい何があったんあろうか解らない状態に変化はなく、あんまり突っ込まれたくないんだろうけどとりあえずはバンダイ経由でサンライズの高飛車、じゃない高潔な権利意識の発露について探ってみるか。誰か入れ知恵でもしてるんかなー。

 結論から言えば玉虫色。あるいは執行猶予付きの仮釈放って感じだろか。編集局経済部員としての籍を持ちながらも一方で事業局事業部員としての籍も持つことになる辞令への内示を前にしてあれやこれやと考えを巡らし、これやあれやと質問責めにする。曰く「編集記者として取材に行き事業部員として展示会のコマを取ったりするような仕事はあるのか」「事業部員としてのクライアントの記事を編集部員として何らかのアドバンテージを持って扱うのか」「ただでさえ面倒な編集の仕事を行うかたわらで日曜とかに活発な事業部の展示会の仕事とかにもつき合わされるのか」などなど。

 想像しうる鬱陶しい事態を避けるために逐一可能性を示しては1つ1つ潰して行き、最終的には最初に明示されたような、あくまでも事業に対してさまざまな提案をしていくという役割のみを果たせばよいとの言質を得て、暴れなくってもとりあえずは済みそうとの感触を持つ。もっともだったら何も辞令なんて正式な書類を出さなくっても、協力しまっせと言って実際に協力すればよいのだが。意識を明確にするとの理由があっての発令だとしても、根本的な部分でどうしても噛み合わない。それでもとりあえずは編集としてヘラヘラと仕事をしていて文句を言われないための予防線を張りまくることには表向きは成功したので、一両日中とかの噴火はなくなりました。ボーナスも近いし、なあ。

 ただし、取った言質はあくまでも個と個の間での確認事項であって、編集部門と事業部門をたとえ名目上はアドバイス程度の関わりであっても、事実として「兼務」している人間が存在していることが、マスメディアの世界において果たして許されるのか否かについては明確な解答も得られず、こうした人間を抱えた言論機関を果たして読者が、あるいはクライアントが「信用」できるか否かについては、未だ不明な点が多い。当事者が確固たる信念を持って「信じろ」と叫んでも、「信じられない」と言われた時に反論すべき材料がないのだ。「言論の自由」が担保されるのは言論機関が公正中立な場合に限っての場合であって、たとえ実際に公正中立を脅かすような活動か行われなくとも、それを行い得る可能性を持った人間が存在するということ事態が、公正中立への挑戦だと、とられても正面切って反論はできないの。

 ちっぽけな会社のちっぽけな人事がはたしてどれだけのバリューがあるかは解らないけれど、いわゆる不当配転の問題とは違って、編集と業務の兼任と言う事態が内包する問題は、決して意識改革の推進といったレベルで解決できるものではない。あえて実行する以上は、企業としての考えもあるだろうしまた自信もあるんだろうけれど、日本新聞協会にしてもメディア学者にしても、外部からどう見えているのかは論じていく必要はあるのだろう。不景気で部数減収益減にあえぐメディアが、国民より付託された「知る権利」をたてに企業へとアクセスし、ついでに営利事業にも行うという半ばドーピングにも似た施策がまかり通る時代になれば、もはや新聞は死んだも同然だ。

 だからこそ内示には幾度も幾度も突っ込みを入れて、怪しい部分を潰し曖昧な部分を排除して、新聞への信頼感を殺がないような施策を取るよう要望したんだけど、決めるのは周囲だけにさて、一体どうなることやら。兼務が問題ならばおおっぴららに問題にしたって構わない、築地や竹橋のような姑息な手段は使わない、とゆー作戦に対する絶無の確信を持って実行しているという。他がこれまで大っぴらにやられなかったのは、ひとえに疚しい行為だったからで、決して堂々とやって良いものじゃないような気もするが、敢えてそれを正式な形で堂々と展開する以上は、主観的に正しいことを行っているとの確固たる頑な迄に強固な(クドい)認識があるのだろー。じゃあ本当にそうなのか。それが新時代の新聞のあり方なのか。このあたりは本当に当事者では不明な点が多く、メディア学者にメディア研究者ほかの見解を聞いてみたいところでありますね。

 酒見賢一「聖母の部隊」のハードカバー版およびノベルズ版を届けるために渋谷のルノワールに言ってそのまま英語の授業につかまる。そりゃあ仕事で英語の資料をナナメ読みして知った気になるくらいのことはあるけれど、高校では2、大学では1度は単位を落としたこともある英語(の割にはインド史の卒論で英語の原書の歴史書を読むなんて事してた。バカだねえ)の、それも物理学用語が頻出するショートショートを読むのはやはり相当にツラい。翻訳してある文章はあったけど、比べて見てもどことどこが対比しているのかが解らないくらいだし。

 それでも訳文を前にして御大・伊藤典夫さんが正確な意味を踏まえた上で逐語訳を進めつつ文章としてこなれた形にしていく作業は、なるほどこれが文芸の翻訳かとの感嘆に染まる。あの歳にして解らない部分があればブルーバックスでも原書でも読み返して物理学なり天文学の用語を探し事実関係を確かめてるもんねえ。ゲスト懇談を踏まえつつあとは居酒屋でごりょごりょ。浅暮「ダブ<エ>ストン街道」三文さんより工業新聞2紙の産業広告賞の仕事を結構やっていたと聞き、正直初めて工業2紙を見分けられる人に遭遇する。適当に散会、真夜中に替えってふつふつと思いが募り眠れないけど「聖ルミナス学園」はリアルタイムで見ない。録画はしてるけど何かイタそうで見られないんですよね「ラブひな」とどっちがオモシロいんだろー?


【10月25日】 実は始めてだったりする日本語で喋る「アミテージ」。ストーリーはたいして違わないけれど、英語で字幕を追いながら見るのと日本語を見るのとでは印象が大分違うかな、ってゆーか日本版の笠原弘子さんと外国人のオバさんとでは受けるキャラクター年齢の印象がガラリと変わってしまうのが、印象が違う大きな要因なんでしょう。兄ちゃんの方は対して違いがないけれど、やっぱりダン・クロードは中尾隆聖さんの野卑でどこか人を小馬鹿にしたようなところがあって高飛車な雰囲気が超ピッタリ。たった1声で周囲をハッとさせる声の持ち主だけにハマればこれほど強力な声優はいない。間違えると違和感ゴロゴロでつき合ってられなくなるのが難だけどね。そーいえば確か「伊賀のカバ丸」ってテレビ放送の時中尾さんが声あててなかったっけ? 記憶が死んでる。

 「ガサラキ」を見る。停電はしなかった。輸送機から「TA」が降りるシーンで前は直に足から降りていたシミュレーションの場面があったけど、今度は救命ボートのような物に乗っての降下で荒れた地面をしゃがみ込んだままゴムボート(ゴムなのか?)で走る「TA」の姿が難か奇妙。実際に大きなものを降ろす時ってああいった手法を使うんだろーか、昔むかーしまだ純真なボーイスカウトだった頃に舞鶴の海自の教育隊に2泊3日で体験入隊した経験しかないミリタリー非オタクにはちょっと判断できません。仮にああいった人形2足歩行兵器があったとしてどうやったら降ろせるか、んでもって即座に攻撃態勢へと移行できるのかを考えた上でああいった降ろし方を絵にしてみせたのだとしたら凝ってるなあ。

 フトコロ具合の寂しさを予感しつつも年末だか来年だかからビデオが発売となる「ガサラキ」はきっと同時発売のDVDを買うことになるんだろー。「EVA」も「lain」もDVDだし「青の6号」もDVDなのはわが家の住環境を考えつ且つあの取り回しの簡便さを考慮に入れてジャケットの小ささライナーの貧弱さを相殺して、結果軍配を上げたのがDVDだったという寸法。入れてスイッチポンでドカーン! なサウンドと美麗な画像が出るんなら、別にスチルもスローも必要としない単なる観賞家にとって、DVDはまさに福音なのです。じゃによって「青の6号」も採用したあの中途半端に大きいワーナータイプのパッケージは、CDラックには入らず飾るには小さく中途半端にしか思えないので、やるならバンダイビジュアルくらい豪華なライナーを封入したいからLDサイズにしたんだってな潔さを示すか、あるいはCDと同じ大きさにまとめちゃって戴きたい。但しレンタルは別。購入する人は前知識で買うけれど、借りる時って裏面の解説とかが結構大切だったりするだろーから。まあ買えなくなる身にはどっちだって良いんだけどね。

 覚悟を持って明日の儀式に臨めるよーに本屋で「B」で始まる雑誌を買い(「電撃B−magagine」じゃねえぞ)書き方を見て文房具屋に行って白無地の便せんを買い封筒はどっかにあったかな、後は筆ペンか万年筆にちょっと豪華な印鑑があれば何時だってフリーダムな気分になれるよね。もちろん財布の中身もフリーダムを覚悟しなくちゃなんないんだけど。ついでに文房具屋でワープロやパソコンのプリンターを使って名刺を刷れる10分割できる「マルチカード」を購入し、家に戻って久々に起動させた「マックワード」で手打ちで自宅住所や電話番号やホームページのアドレスなんかを入れた名刺用のテンプレートを作成する。テンプレートが最初からついてるワープロソフトとか有れば簡単なんだけど、そこは自力更正が旨の中国人民、じゃない貧者の定め。1時間あまりを改行やら文字サイズやらを整えて、何とか形にしてペタペタと刷る。さて本当に使う日は来るんでしょうか来るでしょーね多分おそらく絶対に。

 新聞の日曜版はどれも不作でガッカリ。まあ良い1年くらいならどうでも食べていけると気を絞るものの瞬間悩みで胃がキリキリは我が優柔不断さを示しているようで情けない。それでも勉強べんきょうと気を取り直して買っておいた「本が死ぬところ暴力が生まれる 電子メディア時代における人間性の崩壊」(バリー・サンダース、新曜社、2850円)を買って読む。うーん確かに映像メディアが台頭すれば文字のよるコミュニケーションは経るけれど、だからといって識字率がどんどん下がっているとは思え……ないこともないか。先週の「やってTRY!」じゃー「若○の至り」の○に入る字を答えられない学生さんが結構いたからねえ。

 但し文字によるコミュニケーションがないと何故人が粗暴になるのか1度読んだだけでは説得される程にはよく解らず、またインターネットのように結局は文字が(使えない文字が出てはいたりするけれど)コミュニケーションの基本になっている電子メディアもあるから、サブタイトルは一概には当てはまらないような気がする。熟読玩味の上で批判なり賛同なりをしたいけど、すでに愛の無いところで暴力を発生させたい衝動がテンコ盛りなので、それは落ちついてからの課題としよー。おお次回の課題図書は「完全自己防衛マニュアル」(光進社)かあ、これの逆をやれば勝てるなあ。


【10月24日】 ソニー・マガジンズから2冊の少年がテーマの小説が発売、1冊が茶木則雄さんご推薦するところの「まさに歴史的傑作」な「リトル・ボーイ・ブルー」(エドワード・バンカー、1400円)で、もう1冊が池上冬樹さんが解説は「とんでもな小説」とか言う「アナザー・デイ・イン・パラダイス」(エディ・リトル、1600円)。どちらもまだ1行も読んじゃあいないがしかし、帯の惹句から醸し出される雰囲気が見事にバッチリ被っちゃっていて、営業政策的にこれは果たして正しいことなのかそれとも、関心が分散してしまって虻蜂穫らずになるのかどうか、プロの本屋な人の評価を聞いてみたいところです。不思議なのはどちらもソフトカバーで大きさは四六版? って言うんでしょうかそんなサイズなんだけど別に叢書でも何でもなくて実際、大きさも微妙に違っている。デザイナーさんの趣味の差なのか編集者の考えなのか。どっちにしたってややこしいことには間違いないので噂だけ聞いて雰囲気を知ったフリになって買う人は、本屋で良くタイトルを見ましょうね。

 功利主義で日和見な奴等に対する憤りと、病んだメディアが跳梁するこの国の未来に対する絶望に囲まれて、恋とは程遠い悩み事多く、見かけに反して意外に貧弱な神経がささくれ立って、神経性の胃炎が再発しそーで、朝っぱらから空きっ腹にチクチクと痛みが走るので、手近にあったバファリンを胃袋に突っ込み、薬局に行って漢方胃腸薬を買ってまとめ飲みすると気分はラリホー、ホコホコと暖まる体に痛みもすーっと抜けて、残るは怒りと憤りにすれ違う人のすべてが敵に見えてくるが、暴れるのは月曜日に取っておいてとりあえずは気分を落ちつけ、大きいことで有名な船橋駅構内のカツ丼をかき込み、見つからないモンスター探しに明け暮れつつ、総武線にのって秋葉原へと向かう。

 デパートを抜けて信号をわたってソフマップで「ドリームキャストの受付やめちゃったよー」ってな張り紙を見て、「立てんぞセガ」と大笑いしつつ、行き着けのLD屋で「青の6号」と「lain」の第2巻とOVA4枚分をその大容量の特質を活かして1枚に突っ込んだ「AMITAGE3」(日本語の奴だわな)のDVDを買って、小中さん物が2つもあるなあと思いつつ、ついでにじゃなくって本命の「カードキ(チ)ャプターさくら」の第2巻も買って、フトコロは寂しくなったものの心を豊にして、暴れ方をあれこれと考えつつ、地下鉄で新宿へと向かい、「さくらや」ホビー館では「スーパードールナイツ」の「リカ」と「イズミ」が品切れとなっている実状に、スパッツ人気白人気の現実を再認識するのであった。縫いぐるみコーナーの「たれぱんだ」は今日もちゃんとたれてました。

 さて「ロフト・プラスワン」だ「おたくアミーゴス」だ午後7時半の開演に午後6時45分頃入り口に到着すると早長い列が。階段を登ってしばし待ち、進み始めた列が地下2階の入り口まで来て自分まであと5人とゆーところで「ストップ!」がかかり、しばらく待ってほとんど通路ってな場所に脚立があってその上のテレビモニターを見ながらだった見られるよと言われて、それでも良いやとジェイルハウスにもたれかかりながら力道山のカラテチョップが始まるのを待つ。場所からはもちろん縁台に座る3人の顔は見えず、また置かれたテレビの音声が入っておらず声は向こうのスピーカー、映像は目の前のたしか14インチから流れて来るのを見ていると、目の前を見たことのあるおねいちゃんが果敢に奥の混雑へと突っ込んでったけど、すぐに戻って来てそのまま帰ってしまったのかな。やっぱり風邪後に立ち見は辛いもんね。

 立ったまんまでおよそ2時間くらい。いつもながらの「マッドビデオ」に始まる演目は「ポケモンGGG」やら「北斗の怪物くん」やら見たことのあるネタだけでなく、「パタリロ」のテーマで「セラムン」とか、伊武雅刀の傑作「子供たちを責めないで」をバックに「赤ずきんチャチャ」とかいった始めて見る作品も結構あって、ぎゅうぎゅうに詰められた周囲の人たちの多くが、むぐむぐ笑いをしながらモニターに釘付けになっていた。もちろん立ちながら。ショートショートっぽい展開でアニメシリーズのサブタイトルに特撮系の映像を付ける奴とかってのもオモシロかったかな。アジアの人を紹介するえっと政府公報だったかに登場するアジア人がゾルゲにプロフェッサー・ギルってのはアジアをホントに良く見てます。ね。

 トークで昔は熱血SF者だったとゆーお方から、「SFは沈んでるよ、75年でいっぺん、でもって逃げ出した人が皆『我こそがSF』とかって言ってるんですわ」とゆーいとすさまじき意見が出たのが収穫ですか。対して合わせて唐沢俊一さんも日本SF作家クラブっていったい何だろーとの意見を言って、某栗本鉄工所の話でしばし歓談しだんだんと分厚くなっていく話とか(何がだ?)をすると、一方で岡田さんが熱中できる「栗本初段」にこうなったらとことんどこまでもついていくと半ばメタフィジカルに買い続けている「栗本2段」の話をして、栗本話はドロ沼になりそーだったので変えて高千穂話になる。書いてある場所に出没する高千穂さん、だけど「さよならジュピター」といっしょの場所には出ないとあるからここにはきっと出ない、だろー。

 やっと小松左京ファンでも「さよならジュピター」を笑って語れるようになったんだ、あと「ヤマト」だって10年たって落ちついて笑い語れるようになったんだ、だから「エヴァ」だって10年たって考えてみた方が良いよってな感じの話もあったかな、そこから今何がはずかしいのかって事になって、世代が一回りした「王立宇宙軍」ってやっぱすっげえ恥ずかしいなあ、って事を言う岡田さんが、「ガルビオン」とか「ビスマルク」とか「アートミック」とかって固有名詞を次々と出した最期に、トドメの如く出して来たのが「スタジオぬえ」。加藤直之さんのイラストに宮武一貫さんのメカの印象があって割と好感な「ぬえ」だけど、ことアニメに「ぬえ」が絡んだ場合は以下略以下消滅、ってことなんでしょーある程度の世代にとてやっぱり「ぬえ」って殺すべき親、なのかなあ。それとも壁に埋めるべき嫁?

 2時間も立ちんぼで疲れたのでいい加減退散。どーせ岡田さんとは来月に静岡で以下未定だけど未だ気分は半信半疑。ホンモノなのか? カップルが山ほどの新宿を抜けて帰って早速見ました「青の6号」は、ドルビーサラウンドの飛び回る音が右に左に鬱陶しく、狭い家粗末なスピーカーの環境を嘆く。プロジェクターの大画面に比べるとテレビモニターの画像はDVDだけに極めてクリア、だけど2DCGと3DCGの質感の違和感は小さな画面でもやはり気になる。何か得体の知れないものに襲われている婆ちゃんが一瞬の登場のあとに2Dセル風の画に変わる瞬間は実に妙。それでも3DCG場面だけなら海の雰囲気メカの感じは悪くなく、使いなれて来れば違和感もだんだんと調和してくるのかもしれないと、先への期待を持ってしばらくのリリースにつき合っていこー。紀野真弓ちゃん戦闘スーツの胸あけてのぞくフクラミがクーウッ! それだけでも男の子は買い、だね。


【10月23日】tarepan 人事の季節にキナ臭い香りで机の整理でもすべえと片づけ始めた書類の下から1枚、貴重な写真を見つけたのでアップする。でかいでしょ「たれぱんだ」。よくたれてるでしょ「たれぱんだ」。見かけたのは7月頭に東京ビッグサイトで開かれた文房具の見本市で、場所は確かサンエックスって文房具屋さんのブースだったかな。縫いぐるみが少しとあとは様々なポーズをとった「たれぱんだ」のイラストが描かれたメモ帳やらノートやら鉛筆やらが並べられていて、ふーんこれって結構面白いかもしれないなー、なんて気分で表にあった巨大な縫いぐるみを撮影した記憶がある。高さはそうですね7−80センチはあったでしょうか、この上にだったらだんだん小さくしていけば9段どころか19段くらいは「たれぱんだ」が積めそうだけど、市販の縫いぐるみの「大」まで間が何段階もあるだろーから、それ作る方が結構大変だったりするので、たぶん永遠にお目にかかれはしないだろー。残念。

 今にして思えばその当時、これほどまでに密やかながらもにヒットするとは思わなかったけど、8月に入って丸の内線の銀座駅から帝国ホテルへと抜ける地下道に「たれぱんだはじめました」の張り紙が出て行くと文具が少しだけだけど並べられていて、秋ともなれば「ロフト・プラスワン」帰りの新宿駅そばのゲームセンターで、婦女子が一生懸命「UFOキャッチャー」で取ろうとしている姿をみかける。どこでどーゆープロモーションをしたのか知らないけれど、ってゆーかプロモーションなんて一切ほとんどしてないだろーけれど、じくじくと下から盛り上がるブームってのが確かにありそーだなってことを、見せてくれる珍しいキャラクターとの意を持つ。大ブレイクするかな? まあしなくたって少しは関心を集めるでしょー「舐め猫」ほどには多分。しかし本当に「たれぱんだ」っていつ頃からあるんだろー?

 一般論として言えば、こーゆー動向をそれなりにアンテナ張って採り入れるのって一種の超能力みたいなもんで、ましてや世を挙げてのキャラクターブームだエンターテインメント産業の育成だって騒いでいる時代に、その業界に半分は(9割)は趣味とはいえどーっぷりと浸かって他の大資本で鳴るマスメディアに遜色のない仕事を(それもたった1人で)やってる人間を、トバそうとかユラそうとかしてるのだとしたらこれはもう目指している方向性の違いとしか言いようがなく、それならまだしも日本新聞協会の綱領とゆーかマスコミのモラル果敢に挑戦する、極めてチャレンジブルな人事政策を発動するよーだったらきっと、繰り返し言うけど一般論としてそれなりの対応が出てくるだろーとここに一般論としての推測を示しておこう。すでにもはや1人が1面を埋めているって段階で一般論のレベル越えちゃってるんだけどね。肩書きはずれそうでも11月の例の会にはちゃんと行くつもりですから見捨てず使ってやって下さいな吉祥寺とか静岡の方々、と一般論の風の便りが届く。

 とか言いつつ南青山のエイリアス・ウェーブフロントで最新の3DCG映画を見る。ってもごくごく短い5分しかない映像で、本当はエイリアスの社員が最新のグラフィックツール「Maya」(もちろんパソコンは持ってないし紅天女にもならない)の開発を進めるにあたって、使いやすさとか機能に対する一種のテストをかねてアーティストが作っていった映像だけど、その内容たるやお話はともかく映像的にはぎりぎり限界100万トンだった予算2億円の某映画とは画質も表現力も段違い。聞けば18カ月もの製作時間とおそらくは開発費絡みで2億円じゃあ効かないだろー金額をかけてかつ、作品がアカデミー賞の短編アニメーション部門の候補にもなったことのあるクリス・ランドレスが作った作品だ。違って当たり前ってことなんでしょー。

 「Bingo!」と名付けられたこの短編、もとはシカゴで上演されていた新未来派シアター・カンパニーによるシュールレアリスティックな作品で、テーマは人間がいかに説得されやすいか、ってゆーか長いものに巻かれやすいか、ってゆーか日和りやすいか、ってゆーかつまりは「あんたはビンゴだ!」と繰り返し言われた兄ちゃんが「そうだ僕はここにいても良いんだ」、じゃない「僕はビンゴなのかなあ」と悩み最期は転んでしまってさてそこは、という展開になる、シュールというよりはシニカルな内容を持っている。で椅子に座った兄ちゃんの横でヘンな男が「ビンゴ!」と呼びかけ叫び怒鳴る冒頭の場面が、クリスの手になるCG映画だとまるでビル・ゲイツな顔をした兄ちゃんの横にピエロが立ち、最初は静かに、やがて声が大きく顔も大きく膨らんで「ビンゴー!」と呼びかける展開になる。映画「マスク」でジム・キャリー演じる緑の顔の男の顔がどかーんと膨らんだイメージそのまま、って言えば正解かな。

 実演では絶対無理な演出もCGならではお手の物、って言えるけどクリスが凄いのは演劇のイメージをより強調する形でキャラクターたちに演技させているってことで、「ミュージック、スタート」と間に飛び出て告げる「ハーレクイン」と呼ばれる女性のキャラクターなんて、舞台じゃあ歩いて来てセリフを言うだけなのに、CGだとつかっ、つちゃっとやってきてはパシッとポーズを決めて「ミュージック、スタート」をやってくれる、そのキマリ具合が見ていて実に心地よい。モーションキャプチャーでも使って歩かせ言わせ去らせた場面を取り込めば出来る映像かもしれないけれど、驚くべきおとにクリスは主人公の椅子に座っている青年つまりは唯一シリアスなキャラクターの顔や指とかいった微妙な動き意外はまったく、モーションキャプチャーを使わずに人形を動かす見たいに全部、手で動かしているとゆー。

 前に鈴木敏夫さんと話していた時も「トイストーリー」が凄いのはキャラクターを動かしたアニメーターの凄さであって(もちろんシナリオも、声優も、だ)、日本で同じことをやるならやっぱり、その筋で修行したバリバリなアニメーターが、自分の頭にある表現を、そのまま絵にして見せられるくらいにツールが使いやすくならなきゃね、ってな話に終始したよーな覚えがある。その御ツールは発達してお絵かきは出来るよーになったけど、昔ほどじゃなだろーけど未だテクノロジー・オリエンテッドな傾向のある、何が描かれているか、じゃなくどうやって描いたか、に関心が集まってしまうような雰囲気があるかもしれず、その意味で試金石となるであろー映画「ファイナルファンタジー」の出来具合に、とりあえず注目しておこー。見られる人なら「Bingo!」は見て置いて損はないよ。バルーンガールが可愛いし(怖いけど)。

 人形と言えば立ち寄った数寄屋橋阪急の地下1階のギャラリーで「不思議の国のアリス」をテーマにした人形展が26日まで開催中。出展しているのは「小林とむぼ」ってゆー造形作家で会場にはアリスに似せたいわゆる関節人形が、何体か並べられて中にはヌードもあってその筋の男の子たちの下半身を欲情させて止まない。僕もその口だったりして。まあそんあ邪(よこしま)な念は置いておいても展覧会に並べられた数々の人形が与えてくれる暖かさ、ってゆーか優しさは例えば幽冥な雰囲気のある四谷シモンさんとも、どこか痛々しげな雰囲気のある可淡さんともちょっとづつ違う。陵辱なハンス・ベルメールとはもちろん違うけどね。まるでさらって帰りたくなるよーな美少女人形に会いたければ残り少ない日数だけど銀座にお立ち寄りの際は是非。東急ハンズの「ハンズ大賞」を穫ったとかゆートランプ兵隊倒れて起きあがり装置も楽しいです。


【10月22日】 夜通しでもないけれど第3巻が出るまで買わずにおいた「ジオブリーダーズ」のOVAの第2巻を第3巻といっしょにまとめ買いして真夜中の部屋で一人じとじとと見る。某アニメ誌で原作読んでる人にしか解らないと書かれていた事に原作読んでる人にしか解らないように作っていたスタッフは大喜びしたと第3巻のライナーに書かれてあってなるほどと納得。たしかにいきなりタクシーのおっちゃん出て来ても原作読んでないと面白くも何ともないよなあ。

 だいたいにおいてビデオ版じゃー、登場する警備会社の面々を始めキャラクターの属性の説明はほとんどなく、また化け猫と警備会社が何で争っているのかも解らず厚生省がどーして猫退治しているのかも含めた世界観のすべてが原作を知らないと理解不能になってしまう。綾金マルイの炊飯器から漂う炊き立てご飯の香りが大好きなお兄ちゃんとかいろいろな、キャラクター的お遊びはすべてが蚊帳の外。だから改めて言おうOVA見るなら原作読んで読み込んで名古屋に行って抹茶ケーキを食べること。抹茶スパ? それは食べなくっても良いですがや。

 主人公なのかなな田波くん家に居候している女の子の化け猫の名前が「まや」と言って、彼女が食べてるキャットフードが「ねこげんき」と言う。だから第3巻の冒頭に、「ねこげんき」のテレビCMってのが入っているんだけどねえ、これが何とゆーか超豪華メンバーの出演で、化け猫の「まや」は言うに及ばず、某第3新東京市でパソコンたたいていたショートヘアで潔癖症のお姉さんとか、何時か紅天女を演じるだろうと言われているけど誕生から今までの年限を数えると実は40は越えているんじゃないかと思われる天才的な女優とかが、目モザイクだけと愛想を振りまいてくれていて見る人のほとんどをのけぞらす。

 本編はもう水着水着のオンパレードで文句の付けようがない。肝心のお話自体があっさりとし過ぎているよーで今一つ。かつ次回へと余韻を遺す終わり方はますますもって原作を知らないと解らないとの非難を浴びそーな展開で、かくも熱狂的なファンを持つ作品がかくも熱狂的なファンだけのアニメと終わりかねない心配を、それで良いのだと思う反面もったいないなあと考え間に挟まってじくじくする。どうなることやら。まずは某アニメ誌での星取りに注目だね。

 録画はしてあるけど見ていない「バブルガムクライシス」は棚上げして会社へ。行く途中で本屋に寄って安田ママが仕事をしているのを背中で見ながらとりあえずはMPEG通信社ってところが出した「初のキャラクター人形情報マガジン」と銘打たれた「キャラドール」とゆームックを読む。名古屋が誇る1分の1フィギュアで有名な「ペーパームーン」への取材とか、各イベントのフォローとかは物がキャラドールと割り切っているだけに模型専門誌あたりよりも細かくて詳しい、が決定的に写真がポン酢でピンぼけありーの色刷りが不鮮明ありーの露出オーバー露出アンダーほかいろいろ。写っているだけで有り難いってな状況はちょっと雑誌としてまずいんちゃうんかと思うけど、実は写っているだけで有り難いんであんまりそれほど文句はない。

 ただし西村智史さんのコラム「神秘的おたく商品企画室」がすべて「カードチャプターさくら」となっている理由がホワイ? 実は僕読んで一瞬間違えてたのは自分かを心配になって家に帰って最初に買って置いてある「キュートメモリーコレクション」の箱書き見ました「キャプター」でしたけど。記事として言っていることはおおむね正しく、あれだけ大きなお友達の間でメジャーとなっている作品であるにも関わらず、小さなお友達の間で決定的に玩具が売れていない状況は、まさしく衛星放送というメディアで放映されているからに他ならず、それ故かこの春当たりのバンダイの商談会でも「CCさくら」にかける意気込みは役員の人たちそれほど強くなかった。

 がしかし秋あたりからは本腰入れるみたいで現にお人形が出たし間もなく9800円とかのスーパーに良い出来の杖も出るみたいだし、役員な人は地上波も遠くないってな事を話していたので爆発する可能性は大。となれば同じマッドハウスな某「リカちゃん」とのバッティングが気になるところだけど、可処分所得の多い大きなお友達はすでにして両睨みの体制なので、後は盛り上がって商品が円滑に入ることだけを祈るばかりでありますね。可処分所得が少なく年頃の娘さんを2人も抱えた人たちあたりの心配たるや想像を絶する物があるけれど、それでも当人が大きいお友達なら一石二鳥だから良いのかも。杖もー売ってますかー?

 本屋で山と買い物。椎名誠さんが「ストアーズ」時代から書いていたあとがきばかりを集めた本を読み、嫌なことを書くときに読点を打たずにだらだらを文章をつなげていき、途中でその言い訳をしつつも、自らを正当化して開き直ったりするその手法が、何となく自分と似ていて既にして流石な椎名誠よ、軽薄な文体のおよそすべてを20年前に確立していたのかと、驚き同じことをさも新しげに実演している賢しらな人間である、我が身を深く恥じ入りつつも、だからと言って止めずに同じことを繰り返すあたりが、齢25歳にして1国1城の主たる編集長の座に就いて、創刊から12年に亘って辣腕を震った椎名誠と、明日辞める明後日辞めると愚痴ばかりを垂れ流しながらも、もらえる適当な給料に魅力を感じて理不尽を嘆きながらも未だにしがみついている自分との、器の違いを改めて感じてこれはそろそろ何とかせんとあかんかなあ、なんて思ってもやぱり何ともしないあたりが実にさもしいので、いい加減この辺で止めておこう。

 ついに完成は山形浩生さん訳ポール・クルーグマン著の(あっ順番が逆だ)「クルーグマン教授の経済入門」(メディアワークス、2200円)。おお2200円もするのかと値段にはちょっぴり驚いたけれど、背表紙からあけた著者近影がいきなり傘さした髭面のおっさんだったりしたのにもっと吃驚。こーゆー人だからしてやっぱり出版社の人々は、クルーグマン出す時にさも顰めっ面して読むよーな経済書あるいは経営指南書的装丁は、もっとポップにした方が良いと思うけどそーゆー経済書って有難みがないみたく思われてしまうんだろーね。

 ちなみに「クルーグマン教授の経済入門」はクリーム色の落ちついた装丁にイラストのクルーグマンおっさんが腕組みしているイラストがキャッチィ。「かつてない新機軸の口語訳と脚注」が掛け値無しの惹句だけど、冒頭のサミュエルソンの言葉が前に拝見したアジビラ(嘘)よりもちょっとだけ大人しくなっちゃのはちょっぴり残念。だけど少なくとも俺こんなふうに喋らへんで、とかクルーグマンやサミュエルソンがゆうて来るとは思えへんし、それをして係争とかってにはならないだろーから、今度は堂々と宣伝も出来ちゃいますよねメディアワークス。頑張りましょー。あっちも一緒に。


【10月21日】 「ジェネレイターガウル」は第3話に来て未だ衰えず良質のお約束的展開にビデオ観賞する朝の一時を楽しく過ごす。ヒロインの姉ちゃん頭の筒も髪の電球も付けっ放しはやっぱりもって「ガウル」最大の謎だったりするけれど、4話ともなれば中盤へと至る導入部のクライマックスくらいの位置付けだろーから、きっとド派手な戦闘に種明かしに愛に恋な展開も期待できるだろー。んでもって筒も電球もすぱっと種明かしが。なに謎なんて何もない? ただのアクセサリーだ?? うーんそれではツマラないので作者の人たち何か考えてやって下さいな。ガウルが変身しても服が千切れない理由とかも含めて(伸びる素材なんだ、とかでも好いからさ)、ね。

 目覚めて向かうは木場の「ローソン」。行くと電子レンジの上に待望の「ゲームボーイカラー」それも「クリアパープル」が鎮座在し我が手に収まらんと欲しているのが見えたので、予約券を渡して早速引き取り表へと出て頬摺りする。段ボールの箱が秋空に冷えて冷たかった。バスに乗って本所から地下鉄を経て浅草上野と回り末広町からアキハバラへ。ショップをのぞくと「メッセサンオー」は「入荷してねえ」との張り紙があって「ソフマップ」は「品切れ」との垂れ幕があって、やったね「ロッピー」で予約して正解だった、と喜ぶものの夕方に立ち寄った「リバティ」には4色のみだけど(多分クリアがなかったのかな)新品が売っていたから、決して国内市場が逼迫していた訳でもないのから。それとも予約だけだったのかな。週末にどーなっているか要観察。

 せっかくなのでカラーを存分に楽しめるソフトをと思わないのが似非ゲームファンたる我が特質。で買ったのは勿論「ポケットモンスター」の「ピカチュウバージョン」で、会社へと向かい取り出したボディにセットしてスイッチを入れて、登場する「ピカチュウ」の黄色さにそれでもれっきとした「ゲームボーイカラー」であるとの実感を抱く。持ってない人にちょっとだけ自慢。「ふーんきみたちのぴかちゅうはきいろじゃないんだ」。しかし始めて間もなく酔っぱらったおっさんがいて前へと進めなくなり、後はどうすれば好いのか解らずセーブの仕方も不明と似非ゲームファンのボロが出る。今晩は研究だあ。

 石丸でCS放送の「パンドラ」に出ている姉ちゃんたちが歌っているテーマソングを買うと日曜日にサイン会に出られるとの看板を見てぜんぜん誘惑されず、目当てだった「ガサラキ」のエンディングテーマを歌う種ともこさんの「LOVE SONG」と「lain」のサントラの「CYBERIA MIX」を買う。「さくら」はねえ僕サザンって苦手なんで買わないんですよ歌は唄えるけれど。聴いた種さんはただ「良い」の1言。新居昭乃さんて「星方武侠アウトロースター」のエンディングなんかも作っていた人だったっけ、メロディーの透明感に種さんの老いて(は大袈裟か)なお艶の増した声が組み合わさって醸し出されるはエキゾチックでジャパネスクな世界観。どっぷりとひたりつつジャケットに描かれたミハルの凛々しい弓姿に、もっといっぱいテレビに出てよとの思いを改めて強く持つ。オープニングはまだ買ってないけど、どーしよーかなー。

 種さんと同窓な人ならきっと買うに違いないとは思うけど、本屋で見かけた種さんの同窓生が山と出ている本に種さん本人が出ていたのかはよく確かめなかったから不明。京都町内会バンドのお姉さまはどーだったっけ。少なくとも静岡の助教授はちゃーんと出てはりましたぜそれも「ゲームボーイ」の発案者にして「ワンダースワン」を遺して逝ったゲーム界の巨星こと横井軍平さんより1つ前に。並びは不明で平尾誠治は巻末の方で筒井康隆が大トリだったから、前ならエラいって訳でもないのか。しかし極めてピーアールの性格が強い本を京都ならともかく東京ではいったいどんな人が買うのか解らないなーと悩むことしきり。まあ売っていたのはたまたまリブロって大きな本屋だったからで、本来的には入学案内的に売るとか同窓生に配るとかする類の本なんだろー。それでも本に出来るだけ有名な同窓生がいるってのは幸せで、その点我が母校だったらつぼイノリオが発禁な文章書いて酒見賢一が延々と終わらない連載をやって、結局は金も力も尽きて完成せずに終わるって事になるんだろーなー。ああ豊橋の空に竹輪の菜飯田楽。

 しかし「ミクロマン」までアニメ化とはノリにノってるタカラさん。「玩具はメディアだ」をスローガンに「ビーストウォーズ」から「ボンバーマンビーダマン」を経て「リカちゃん」へと至る玩具を核としたマンガにアニメのメディアミックスは、一見バンダイお得意のキャラクターマーチャンダイジングと似て見えるけど実は根本的なところが違う。それはバンダイが東映動画のアニメ作品を中心に据えて玩具を作りアニメのキャラクターに使わせて売って行こうとしているのに対して、タカラはあくまでも根本に純粋な玩具としての「トランスフォーマー」あるいは「リカちゃん」そして「ミクロマン」があり、それをより幅広いフィールドで売っていくためにアニメなりマンガへと枠を広げていっている。

 まあ「スーパードール リカちゃん」のように明らかにアニメと玩具が一体のコンテンツもあるけれど、そこ至るプロセスとして30年もの「リカちゃん」のバリューがある訳だからやっぱりちょっと他とは違う。さても伝統の上にたって新フィールドへと向かうタカラと、ウルトラマンやアッコちゃんやCCさくらや他いろいろなキャラクターの上にたって玩具を展開するバンダイとの道はどちらが明るいか。映像作品にスーパーな力があれば(たとえば「セーラームーン」みたいな)すぐさまに巻き返せるだけにバンダイもこれで捨てたもんじゃあないけれど、マスを狙う作品が生まれにくい雰囲気があるだけにさても苦境は続くんだろーなー。サンライズにしてもバンダイビジュアルにしても作家性、作品性の追求がトレンドみたいだし玩具とあんまし結びつきそーもないし。いつか詳しく考察しよー。


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