縮刷版97年8月中旬号


【8月20日】 いやあ驚いたのってなんのって、昨晩の「開運なんでも鑑定団」のことですよ。北九州のスペースワールドで開かれたらしい「第3回SFお宝コンテスト」に、あの宇宙軍大元帥こと野田昌宏さんが出演、意気込んでその価値を得々と喋るオタクならではのあの口調で、持参した古めかしいファイルがなんなのか説明していた。なんでもジョージ・ルーカスが最初に書いて映画会社に持ち込んだ「スター・ウォーズ」のシナリオで、それがどーして大元帥の手にってことになって、松尾伴内が不思議なオヤジだと思って聞きただすと、角川から出た最初のノベライズを翻訳したのはオレ様だってなことを披露して、相手をのけぞらせていた。SFファンなら当たり前に知っていることでも、普通の人はやっぱ知らないんだねえ。もしかして日本テレワークって有名な番組制作会社のエラい人ってことも知らなかったんじゃないのかな。もうこれで仕事、来ないかも。

 しかし大元帥、大いばりで「500万円」なんて値段をつけたら、「まんだらけ」の古川益造は「ルーカスの書き込みとかがないから」なんて難癖をつけて、それでも大元帥に敬意をはらって「50万円」と解答、これにはさしもの大元帥も、頭かきかきふにゃふにゃになっていた。手を回してルーカスのサインでも入れておけば、もうちょっと値段が上がったかもしれない。一般の人にとって大元帥の威光は薄かったってことが、よく実感できました。しかし「SFお宝コンテスト」っていえば「SF大会」の夏の名物企画だったはず。それが「スペースワールド」で終わってしまったってことは、「アキコン」じゃあ没ってことなんだろーか。「SF大会」の威光もやっぱ薄れたってことなのかなあ。

 大元帥を弱らせた古川の「まんだらけ」が新装なったと読んで、渋谷に行ったついでに立ち寄る。期待していたコスプレ店員のアニカラ・ステージは、時間が折り合わなかったのか演っていなかったけど、代わりに安田成美が唄う名曲「風の谷のナウシカ」をBGMで聞くことができた。すっげー幸せいや不幸せ。映画が公開された当時は、ベスト10番組なんかにも頻繁に出て唄っていたけれど、いやーとにかくすさまじいの1言で、彼女自身そのキャリアから消し去りたかったんじゃないだろーかと思っている。生憎と宮崎駿監督が世界的な巨匠になってしまい、その出世作として「風の谷のナウシカ」が位置づけられている関係で、イメージソングだった安田成美の唄も今に残ってしまった。「もののけ姫」の特番なんかで過去の名作のフィルムが流れるバックでかかっていたこともあったくらいで、きっと聞きながら床でのたうち回っていたことだろーなー。また生で唄ってくれー。

 しかし広いぞ「まんだらけ」。ナムコだったかのゲーセンが地下1階に出来たちょっぴりオシャレなテナントビルの「BEAM」に、あの汗くさくかび臭いまんだらけが合うはずもないと地下に降りるエレベーターで確信したのも束の間、入り口を入って左右に広がるその光景に、ここは青山ブックセンターかと一瞬思い、けれども置いてある古漫画やらガレキやらグッズやら同人誌の山に、原型の解らないコスプレをした店員の姿を見るにつけ、やっぱり「まんだらけ」だと認識する。本の量がさほど増えたという感じはしないけれど、見やすさは格段に良くなった。あとグッズ類やガレキ類の整理も行き届いているので、欲しい商品を手早く探すことができる。LDは数では秋葉原に負けるけど、相場は若干低いよーな気がした。

 店内にはなぜか韓国語を喋る少年少女がいっぱいいて、15000円もする「ファイブスターストーリーズ」のキットを手に取ったり、少女漫画を漁ったりしていた。もしかして「まんだらけ」、「東京ディズニーランド」みたく海外からの修学旅行のコースに入っているのだろーか。台湾はともかく、日本の文化の移入が決してフリーではない韓国で、日本のアニメがどのくらいの頻度で放映されているのかは調べたことがなく、コミックがどれくらいの量放映されているのかも良くは知らないけれど、熱中して探す少年少女の姿を見るにつけ、これは結構浸透しているに違いないと考える。取材に行ってみよーかなー。エヴァプラとかお土産に持ってけば税関フリーパスになるかなー。

 秋葉原に回って行き着けのLDショップで「エヴァ」のDVDの第2巻を買う。いきなりの割引価格で売っているのでなけなしの財布には有り難いショップ。全巻揃えた時のオマケが特製置き時計に決まったみたいだけど、しかしいったいいつ出るんだ第6巻と第7巻は。LDショップや中古ではほかに、「マスターモスキートン」のDVD−B0Xが発売になっていたのを見つけたけれど、お金がないので次に回す。去年スタートしたばっかりのシリーズを早くもDVDにしてしまって、よほど急いで金にしたかったんだろーな、それだけつまらなかったんだろーなーといらぬ邪推をするが、それだけに希少盤になるかもしれないから手に入れねばならぬ。イナホって結構好きなキャラなんだがなー。

 別の中古LDショップでは、「ザンボット3」のBOXが28000円で出ていたけれど、これも流石にあきらめる。冬になればもうちょい下がるだろーか。帰ってテレビで「少女革命ウテナ」を見ると、こっちもLDがいよいよ来月3日に発売になるとゆーCMが流れていた。うーん金がもたん。しかしCMにいきなり幾原邦彦監督が斜に構えたポーズで出演していてびっくり。ルックスが良いのは認めるけれど、あくまでの「アニメ界では」って言葉が付くことを忘れちゃいけないと思うなー。まーこれはラジオにCDに絶好調な声優さんたちにも言えること、だけどね。


【8月19日】 夏休みの千葉テレビは古アニメの宝庫と化す。ってことで今や幻の「御先祖様万々歳」が放映されたのでビデオに撮って見たけれど、いきなり第3話だったのでしくしくしく。もっと早く知っていれば第1話からちゃんと録画出来たのにぃ、んでもって闇で流して丸もうけっ・・・なんてことはしませんが、まあ第3話を見ておおむね劇場版にダイジェスト化された「MAROKO」と同じだったのでちょっと安心する。これから不定期に最終話まで放映していくみたいだけど、「Gコード」が利かないんで予約がちょい面倒、んでもって合間に毎日のよーに劇場アニメの放映もあるんで、撮るビデオがバラバラになってしまう。やっぱもう1台ビデオ買うか、って感じで増えていくんだな、オタクん家のデッキ数は。

 毎日1本から2本、劇場アニメを放映するのが夏休みの千葉テレビの特徴らしく、昨日は「クラッシャージョウ」もいっしょに録画、夜中につらつらと見るがギャグな動きがちょっとしんどい。ぶんなぐった手が赤く腫れ上がってフウフウと口で吹いて冷やす描写にしても、見張りのところにアルフィンがいってデレーっとしたところをジョウがポカリ、ってな描写にしても、およそリアルとは縁遠い。それでも楽しめた時代があった訳だから、なにが変わったんだろーって考えて、たぶんギャグが思いっきり「メタ」の方向に進化してしまった現在において、「クラッシャージョウ」のギャグはスベリ方が中途半端なんだろーと考える。

 漫画家さんたちを多数起用したクリーチャーのデザインも画面から妙に浮いている。昔だったら「おいおいあのキャラ吾妻ひでおだぜ」「えっ、とりみきも出てるよ」「あっ、唐草マント羽織ってる」ってくすくす笑って見ていられたのになあ。慣れってのは恐ろしい。でもまあアルフィンが可愛かったから全部許す。ダーティーペアも出ていたし。声優をやめてファミレスの店長をやっていたのを高千穂さんがヘッドハントして主演にすえたって何かに書いてあった竹村拓さん、今はなにやってんだろー。千葉テレビの特番は今日もあって「機動戦士ガンダム哀・戦士編」を放映したみたい。でも見たことがあるからいーや。来週の放映予定では「イデオン接触編・発動編」一挙放映と「マクロス 愛・おぼえてますか」が注目。あとやっぱ幻の「マクロス2」の放映もあるみたいなんで、物好きは頑張って録画しよー。圏外の人はUHFアンテナ買おうね。

 「20世紀ノスタルジア」で思い出したこと1つ。「機動警察パトレイバー」で押井守が描き出した東京が、なんだかくたびれ果てて無機的になって、それでも存在していかなくてはならない辛さをいっぱいに放射していたよーに見えたのに、「20世紀ノスタルジア」で原将人が撮った東京は、隅田川べりを歩いても、浅草に行っても、東京タワーに上っても、レインボーブリッジを渡っても、どこに行っても人があふれ、光が満ち、街がちゃんと街らしく映っていたよーな気がした。

 しかし映画のなかで、チュンセこと徹が「スペシャルエディション」として撮ったビデオの映像が、映画の地の場面で映し出される、人がいっぱい車もいっぱいな活気あふれる東京の街とは対称的に、雑然として冷たく無機的で排他的な、押井の演出する映像に近い東京に見えたことを思うと、のっぴきならない不安から東京を撮り続けて、けれども癒されずにオーストラリアへと逃げ、そこでも先に進めずうずくまっていたチュンセの心理に、東京を撮らなくなった押井の心理と、どこか重なり合う部分があるのかもしれないと、そんな想像をしてみたくなった。この項も思いつきで書いているので、あんまり信じないよーに。

 バンド・デシネの人気作品「ティコ・ムーン」を作者のエンキ・ビラルガ自ら映像化した「ティコ・ムーン」を渋谷のパルコまで見に行く。せっかくだったので途中となりのビルでやっていた飯野賢治さんの「エネミー・ゼロ展」に寄ると、入り口でいきなり「カメラ持ってるか」と聞かれちょっと戸惑う。そーいえばカメラのフラッシュで見る作品ってのがあるんだったっけと思いだし、「持ってます」と答えてそのまま入場、もらったヘッドホンをつけ、カーテンをめくるとカーテンがあった。なんじゃと思ってまためくり、さらにめくってもまだたどり着けず、うんうんうなってようやく入るとそこは真っ暗でなにも見えず、おいおいこりゃなんじゃいと訝り鞄からガサゴソとコンタックスを取り出す。

 まず1枚「バシャッ」とやると、壁際になにやら文字か模様が描かれたパネルらしきものが、一瞬の光の合間にほの見えた。別の方向を向いてまた1枚。今後は「E0」のヒロイン、ローラらしき人物が映ったパネルが見え、それならとあちらこちらの方向に向かってフラッシュを閃光させているうちに、だんだんと部屋の大きさと構造がわかって来た。もらったヘッドホンからは、歩く場所によって異なるサウンドが流れるようになっていて、めまぐるしく変わる音をたよりにあっちに行ってバシャッ、こっちに行ってバシャッとやりながら、しばしの時間を潰す。1カ所、ヘッドホンからギャオーッてな悲鳴とやばそうな警告音が流れるところがあって、これはたぶん「E0」で怪獣かなんかが出てくる場所ってのをイメージしてるんだろーと、ひとり勝手に納得する。

 出口のカーテンを分けてダークゾーンから外に出ると、そこでは怪獣の立体モデルやCGパネル、企画書の山なんかを展示。プレステ向けに作るよって契約書がケースに入っていたのには苦笑、でもそれがあってこその「E0神話」だからしゃーないかって気にもなる。総じて飯野さんの自我爆発ってな展覧会で、ファンな人は結構楽しめるんじゃないかと思う。そうでないとツライかな。ダークゾーンがもっと広くてそこに20人くらい人が入っていれば、違う楽しみ方もできたんじゃなかろーか。こっそりおさわり、ってな犯罪的な楽しみは別にして、頻繁にストロボが閃くなかで、立ち現れては消え、ふたたび現れる作品を存分に見ることができただろーなー。ほかに1人じゃそーいった楽しみ方は出来ません。隅に飯野さんがじっと黙って座ってるってのも、それはそれでたのおそろおもしろかなしいかも。きらめく閃光にほの見える・・・・

 さて「ティコ・ムーン」。月を支配する1族はみな業病に犯されていて死にゆく運命にあって、それを直すには「ティコ・ムーン」の臓器を移植する必要があった。しかし「ティコ・ムーン」は何十年も前に病院を逃げ出して行方不明、そこに再び「ティコ・ムーンは生きている」とゆー噂が広まり、期を一にして支配者一族が次々を暗殺され始めた。犯人はいったい誰なのか、「ティコ・ムーン」は本当に生きているのか、ってなスリリングな展開を経て、後におよそ予想どーりのエンディングを迎えるんだけど、そういったストーリー上の退屈さは抜きとして、パリの街に火山灰を降らせたよーな月世界の街のイメージといー、そこで暗躍する赤いウィッグをつけた女殺し屋の美しさといー、ビジュアル面の衝撃度はさすがにバンド・デシネの旗手だけのことはあると感心した。

 途中までしかないエッフェル塔に凱旋門に新凱旋門をホテルの屋上からながめる光景の、なんとゆー美しさよ。これが折れた東京タワーに雷門に桜田門じゃー洒落にもならない。ハリウッドによくある派手な演技と演出と音楽とは正反対の、抑制された演技と演出に耽美的だったり退廃的だったりする音楽がいかにもヨーロッパ的とゆーか、悪く言えば毒のない「未来世紀ブラジル」あるいは「12モンキーズ」って感じ。ともかく赤いボブカットのウィッグをつけて走り回るジュリー・デルビーが超綺麗だったので全部許す。しかし250人近くはいるスペースに50人も客が入っていなかったのはちょっと哀しいぞ。フランス1のバンド・デシネも、徳間が誇る「もののけ姫」の敵ではないんだなー。


【8月18日】 早起きできなかったけどそれなりに朝起きて新宿に出かける。コミケであれだけ歩き回ったのにちっとも疲れていないのは若さの特権、といえば聞こえはいいけど30過ぎて若さもへったくれもなく、ただサッカーで30分はフィールドを走り回れるくらいの体力をつけていたから、その恩恵に預かれたってところ、ですか。去年は結局とらずにいたから、2年ぶりの夏休みなんでのんびりと優雅に高尚な映画でも見て過ごすかと、新宿まで行って「20世紀ノスタルジア」を見る。地下の劇場に降りると待っていたのは意外と若い観客層、そうだいたい高校生くらいってところ。中にはお弁当を食べているご高齢のご婦人もいたけれど、まあ全体としては20代以下が7、8割ってところだろーか、広末涼子ファンの。

 個人的には別段「りょんりょん」の熱狂的なファンじゃなく(でもNTTが作ったカレンダーは持ってるけど)、「Begin」の映画評でも滅茶苦茶に批判されていたから、観賞前にはちょっちヤバいかなとも思っていた。それでも大森さんといー森下さんといー、SF系の人が妙に誉めていたので心を鬼にして見ることに決定。鬼だから少々のことでは動じないとは思っていたけど、しかしやっぱり飛びますね、広末がいきなり隅田川の河川敷で唄い出す場面には。しかしまあ、ミュージカル的とも評していた別の映画評とは随分とおもむきを異にしていて、割と唄う場面が必然的に繋がっているとゆーか、あって当然とゆーか、とにかく見ていて気恥ずかしさはほとんど感じなかった。

 それこそ映画だったらなんでもありだろうってのを、劇中劇ってゆーのか、映画の中で撮っている映画とゆー形で2重に強張しているから、少々のことでも動じない。同じよーにビデオの液晶モニターに映し出される広末と圓島の、もうほとんどがバカってなおしゃべりも、あのザラついた映像と目眩のする(ちょっと酔う)カメラワークによって、2重の意味でメタな世界へと飛んでしまっているため、屈託なく笑い喋る広末と、なんだか嶋田久作っぽいむき出しの歯茎がお茶目な圓島の顔を、「演技の演技なんだから」と笑って見通すことができた。

 そして地に返った時、つまりは映画の中の映画じゃなくって、映画の役所である杏(あんず)を演じている時の広末の真面目な表情が実にまたキュンと来る。たとえば1人ではとバスに載っているときに窓の外を覗いている広末の、実にシリアスな表情がガラスに映っていて、「ほよー」っと寄り目で笑っているだけの脳天気じゃねーぞ、こいつはってな将来性を、ちょっぴりだけど垣間見せてくれた。トータルで見れば不安な少年とそれに気づかずにバカやってた少女が、いろいろあってお互いに気づくってな純愛ラブストーリーだけど、2人を結びつけて仲を深めて時には離ればなれにさせたビデオって存在から、いっしょに写ることで仲を確認したり、交換し合ってコミュニケーションに役立てる「プリクラ」の大流行も含めて、自分を確認すること、そして他人を確認することに、言葉だけじゃ足りないのか、映像メディアが重要な位置を占めて来ているんじゃないかってことを、ちょっと想像してみたりもした。この論考、思いつきなので信じないよーに。

 しかし、この映画が大ヒットすれば巷にビデオを抱えてバカやる奴が山ほど出るんじゃないかって思ったけど、大スター「りょんりょん」をフィーチャーしてなおこの映画、東京じゃー単館上映みたいだし、客の入りも決して芳しいものじゃなかったから、ちょっと残念だねえ、ビデオメーカーの方々。でも見た奴のなかから、それこそ映画の真似して東京タワーの前で「ニューロン、バチバチィ」なんて叫びながらカメラ回すのが出てくるかもしれないから、機会があったら夜のライトアップされた東京タワーを、こっそりのぞきに行ってみよー。誰もやってないよーなら自分でやるか、でも隣に「りょんりょん」がいない・・・。で「りょんりょん」募集、でも「自称」はご遠慮願います。あっと、僕は嶋だ久作じゃないけど大地康雄だから似たよーなもんです。

 新宿テアトルを出てその足で恵比寿へ。美少年と女装がたくさん出ているからと聞いて恵比寿ガーデンシネマに「百合の伝説 シモンとヴァリエ」とゆー映画を見に行く。カナダのアカデミー賞を受賞した作品ってことで後学のために見に行ったんであって、決して美少年とか、女装とかいったものに惹かれていったんじゃないからね。ええぜったいにないわよ。ウオッホン、煙草がむせた、いやまあ少しは興味はありましたけど、しかし実際の映画は想像していた以上にハードで(藝ってことじゃない)、心の傷を何十年も抱えたまま離ればなれになっていた老人の、何十年ぶりかの邂逅場面で演じられる壮絶な復讐劇を存分に見せてもらった。

 場所は監獄、そこに設けられた告解室に1人の司祭がやって来る。告解のための狭い部屋に入ったビロドー司祭が、小さな窓を開けて見たそこにいたのは、彼がかって偽証によって陥れた男、シモンだった。場面はそこから一転し、刑務所内に設けられている教会の礼拝室だった舞台が、ビロドー司祭とシモンと、そして人々から「白百合」をあだ名されていた美少年、ヴァリエたちが住んでいたカナダの田舎の村が映し出される。しかし登場するのは男も女もすべて男。というのもバックこそカナダの田舎の村ながら、設定はあくまでも礼拝堂で演じられている囚人たちの芝居、従ってヴァリエの母親で自分を貴族の妻と信じている女も、カナダの村をバックにした時はそれなりの格好をしてそれなりの喋りをするけれど、ふっと場面が礼拝堂に戻ると、カツラは被っておらず服装はまあカーテンを巻き付けたくらい、そして表情はクリント・イーストウッドもこれありってな凶悪でニヒルな渋い顔に変わって、声にもドスが効いてくる。

 フランスから気球に乗って飛んで来たってな冒険家の女も同じ。カナダの村で気球が降りて来て乗っているのが黒人だったのにちょい驚いて、しかしこれはあくまでも芝居、適役が囚人の黒人だったんだろーとゆーくらいの気持ちに切り替え、それから再びスクリーンに目をやると、立派に冒険家で社交界にも慣れたマダムの姿が、そこに映し出されていた。けれども場面が刑務所に戻ると、ツルっ禿げなマイケル・ジョーダンもこれありってな渋い声の黒人俳優になるんだけどね。

 めまぐるしく移り変わる場面に少々とまどいながらも、次第に明らかになるシモンとヴァリエとそしてビロドーの50年前の因縁。主題にはやっぱり男どうしの禁断の愛ってのがあって、そこに捨てられて狂ったと見られてもなお矜持を保ち続けたヴァリエの母親の強さと弱さが絡み合う。不思議なシチュエーション、それでいてストレートに伝わるメッセージ。美少年が趣味に合うかは別にして、それから女装が綺麗かは別にして、過去と未来、刑務所とカナダの田舎の村を行き来する不思議な映像美に堪能しつつ、つきつけられた最後の言葉にこれからどう生きていったのだろうと、ビロドーとシモンの2人のその後を想像してみるのも面白い。

 てなもんで、たまには映画を見るのもいーもんです。いっとき映画館の1時間半なり2時間が苦痛でもったいなくって仕方がなかったけど、つまらない試写をさんざん見せられたおかげで忍耐力も付き、お金を払ってでも面白そうな映画はみるべきだって意識を醸成することができた。ありがとう東映(おお名指し)。で明日はちゃんと起きることができたら渋谷で「ティコ・ムーン」でも見に行く予定。バンド・デシネの傑作が映画になったってことだけど、そんなフランスの田舎漫画(おお愛国者)のこたあ別にして、予告編で流れた新凱旋門と旧凱旋門と作りかけのエッフェル塔がいっしょに映っているシーンを見て、ちょっときちゃいました。何時になるかは解らないけど、スペイン坂あたりととろとろと1人で歩いているのを見かけたら、合言葉をかけて下さい。そう「ニューロン、バチバチィ」ってね。


【8月17日】 わからん夢は。京都かそのあたりの旧家の娘がやんちゃでそいつとどうも従姉妹かなにか親戚でいい仲にあってピッチか携帯で連絡とろうとしているのになかなか連絡がつかないシチュエーションだったり、どうも人を殺したみたいでその証拠が書いてあるノートを日本語がちょとだけしゃべれるアジアの人にあずけよーとして1000円札を渡しながらこいつを始末しないとあとで強請られるかもしれないなって考えていたり捕まったら押入のなかの恥ずかしいものが家宅捜索でひっくり返されてしまうとかそんなことを心配しているシチュエーションだったり。さいきん見た現実やテレビや漫画のシーンがごっちゃになって、それに記憶の奥底にひっかっかっている事柄が表出して来たんだろーと思うけど、しかい意味はさっぱり解らない。風呂糸屋さんでも湯ン愚屋さんでも解析してくれー。

 地学部だったんだよな、僕。それも部長、ってことは学園を乗っ取る計画の中心メンバーになれる可能性もあった訳だ。けど残念なことに研究していたのは化石であって鉱石じゃなく、鉱石を配ってそれをぶんぶんと振り回しながコンタクトをとって遊ぶなんてこともしなかった。「ねらわれた学園」がヒットしたら、男子学生がそれも各学年ごとに2人か3人くらいしかいなかった我が母校の地学部にも、「ねら学」の高校みたく女子生徒がわんさと詰めかけて、晴れて学校征服の計画を練ることができるのにぃ。でも1度しか行かなかった幽霊部長なんで、エラい事は1つも言えない。

 で3回目の「響焉(きょうえん)」は、いよいよ始まった学校征服の一端がのぞきはじめたエピソード。各クラスで委員の占拠が着々と進み、生徒会の息のかかったメンバーが次々と当選していくなかで、和美のクラスだけはなぜかうまく事が運ばない。人心の操作に失敗した響子が、夜の学校で鉱石ぶん回しのメンバーから追っかけられて、そこを和美が救出に来るってシーンが、よく練られた演出で緊張感にあふれるものになっていた。「たすけて」とメッセージを打てずに学校を走り回る響子が、学校に来た和美に再度、携帯から無言のメッセージを打ってロッカーに隠れる。けれども事情を知らない和美は、ベルがきっと響子のものだと考えて、廊下の公衆電話から携帯に電話をかけてしまう。ロッカーの中でピリピリッとなる携帯。過ぎ去った悪の一味が音を聞いて引き返してきてそして・・・・。

 奥に伸びる廊下の手前で電話をかけていた和美が、横の階段をかけ上がった同じカットで向こうの部屋から響子が引きずり出されて来る場面も常套手段だけど上手いなあ。でも校庭で意識を失って横たわる響子にかけよる和美が、しゃがむ時に妙にスカートのすそを気にしているよーでちょっと残念。一瞬止まって片足づつそっと下ろすんだよね。スローにしても見えない。見えないってなにがって、野暮なことは聞かないで。そうだ選挙に負けた響子が校庭で呆然自失としてしゃがみ込む場面でも、やっぱりよく見えないのだ見えそうなのに。ゴホン。えー、高見沢みちるもいよいよ登場して、次回からはもっと怒涛の展開となることでしょう。監督も実相寺系の清水厚さんが登板、あのでんぐり返るよーなカットをばんばん披露してくれるはずだから、地学部再興のためにもみんなで見よう、「ねら学」を。

 さあ今日もコミケだ、きっと昨日を上回るもの凄い人出だろーなー、でもおぢさんは負けない、西館の長いエスカレーターの下に立って上を見上げるとか4階のテラスに出て取材のフリしてコスプレ撮りまくるなんてそんああ・・・やってみるか。ゴホン、たぶんふらふらと歩いてますんで見かけたら鉱石で暗号送って下さい。しまった家ににゃあ鉱石なんてないぞ、マウントラシュモアから盗んで来た雲母混じりの石じゃダメ?

 しかし昨日以上の人出だったぞ最終日だけあって。11時半ごろに到着したら臨海線の駅前までずらっと行列が出来ていてちょっとビビったけど、そのままつらつらと後についていったら10分ほどで場内に入ることができた。で当てもなくウロウロしながら適当な同人誌をペラペラとチェック。昨日はちょっと気後れしていたところがあったけど、今日はもう堂々と立ち読みしてから立ち去るか購入するかって決めるだけの余裕があった。しかし余裕があってもそこは哀しいオタクの性よ、見て気にいった場面があるとついつい欲しくなってそのまま財布から1000円札をゴー。しかして鞄のなかはたちまち同人誌で一杯となり、代わりに財布はカラッポと化すのだった。ああ、明日からの休み、どーしよー。

 東館では主に「YAT本」を探すが売り切れだったりオチてたりして見つからない。ようやくにして桂さんが表紙(裏はアンシー)の本を買うことができたけど、これがまあそこそこに、とゆーかかなり絵が上手くて読んでいて全然辛くなく、流石は壁際の大手を呼ばれる(んだよね)サークルだけのことはあると感心した。午後も遅くなった時間にもう1度前を通ったら店じまいをしていたので、きっと完売だったんだろー。ほかには某キノトロープの人が小説を書いている「セラムン本」を購入、ご本人がおらず挨拶はできなかったけど、とりあえずは読ませてもらいますんで覚悟(ウソ)しといて下さい。

 あとは「星海本」と「ガガガ本」あたりをファンジンとして購入。個人誌では青木光恵さんの大きなタテカンが貼ってあった場所で「bubble」を買わせていただきました、やっぱり上手いなプロだけあって。プロといえば一本木蛮さんの「亜州漫帝」とか柴田昌弘さんのメイド本「RED EYE 深夜直行便」が出ていたかな。でもこうゆうプロの安心できる同人誌ばっかり買うのって、なんでもありなコミケでの本の買い方としては邪道なんだろーか。あとでさいとうよしこさんの買った本を見せてもらったら、「スポーツドリンク本」(国内で発売されたスポーツドリンクが写真入りで紹介されている力作。でもポッカの「維力」が載ってない。私は哀しい。好きだったので)とか、同じよーな「カルピス本」(あっちの先っぽから出るカルピスじゃないよマジなカルピスだからね)とかがあって、こーゆーのこそコミケで売る価値買う価値があるんだって目を覚まさせられた。もって次回の課題とすべし、って冬も行く気か帰省もせずに。

 アニメの「みすてないでデイジー」はことのほか評判が悪いよーで、そのことをしたためた同人誌が早登場していたのには納得しつつも驚かされた。やっぱりあのヘッポコな絵とシナリオと声(ってことは全部か)はなんじゃい、ってな反応が大半を占めていて、唯一「ミミちゃん」が動いているのが可愛いし救いだって、そんな声がたっぷり全国から寄せられていた。そこまで言われるとさすがに救ってやりたくなるのが人情ってもんで、ここにアニメ版「デイジー」の良いところをあげて・・・・えっと・・・・ああ・・・・仲間由紀恵がエンディングやってて最高・・・・うーん、まあ一寸の虫にも五分の魂ってことで(なんのこっちゃ)。


【8月16日】 「小説海越」のその他の記事をぱらぱら見ていて、殿谷みな子さんが短編を寄せていたのにちょっと驚き懐かしくなる。むかしは「SFマガジン」によく登場して、昔話を題材にとったような短編小説を書いていて、確か本も何冊か出ていた。すべて揃えるほどのめりこんでいた訳じゃないけれど、まだ今ほどには女流でSF雑誌に作品を発表する人が少なく(大原まり子さんがデビューしてやっと、って頃だもんね)、へー珍しい人がるもんだ面白い作品を書くんだって、そう思いながら読んでいた。

 最近も、といっても記憶が定かじゃなくバックナンバーも部屋のあちらこちらで勝手に蟻塚を作っているので掘り出せないから未確認だけど、1編か2編、「SFマガジン」に作品を寄せていたよーな記憶がある。読まずに知らず時が去り、結局どんな話だったのかあまり印象に残っていないけれど、少なくとも「小説海越」に寄せられたような、シリアスな内容のものではなかった。

 「葦原の家」と題された殿谷さんの短編は、帰郷した美也子という女性が死の瀬戸際にある妹お伊津子を見舞う話で、たぶん1人の家族の死を挟んで、勝手気ままにすごして来た姉と残された家族との、かみあわなくなってしまった心の襞をこすりあわせていくような、読む人にとっては結構ハードな内容のように見える。妹はもちろん死に、かわりに美也子に娘が生まれるという場面で終わるというのは、一種生まれ変わりを暗示しているのだろう。あるいは私小説に近い部分もあるのかもしれない。たぶん良品の短編。私小説かもしれない。

 面白いといえば、小久保圭介という人の「春と転倒」もだいぶ電波入ってて面白い。18の短いショート・ショートが積み重なったよーな短編で、主人公の妄想が全編を埋め尽くして異種異様な雰囲気を出している。アレすることを「ヒジキする」といって強引に展開する冒頭の「ヒジキ」から、部屋中の米粒からキッチンテーブルからパソコンまでが喋りだした空間で、大江健三郎の物まねをして黙らせる「大江健三郎」、詩人からの忠告で書き上げた原稿を持って新潮社に行き編集者の柳瀬(っているのか?)をつかまえて「原稿を読め」「装丁は横尾忠則、帯は森毅だ」と叫びかみついて帰ってくる男の話「詩人からの忠告」などなど。マジに電波なのか気をてらっているのかが解らない。なんでも名古屋の「ユッカ」(ライブハウスね)で活動していたフォークシンガーらしーけど、うーん覚えてないなー。

 おっとそろそろ出かけなきゃ。午後は東京ビッグサイトで人間掘ってますんで、見かけたら石投げないで下さい。特徴は頭しばってる(マジで5万はいそー)、Tシャツを来ている(30万人はいるな)、ワークブーツ履いてる(これは3000人くらいか)、エヴァのキーホルダーを持ってる(100万人はいるね)、んでもって「たまぴっち持ってる”男”」(これは貴重かも。よっしアスカのキーホルダーをぶら下げておこー)。でも入り口で列みて帰るかもしれないんで、その時はたぶんアキバあたりを徘徊していることでしょー。まーそっちでも「ウォーリーを探せ」的格好なんだけどね。

 と思ったら行列なんてどこにも出来ていない。まあ到着したのが12時半で、人気の同人誌はたぶんすべて売り切れた後だったんだけど、それにしてももっとぎゅうぎゅう詰めで身動きがとれない状況を予想していたのに、ちょっと肩すかしを喰らったって感じ。でもまあ他のイベントなんかに比べれば、軽く10倍、100倍の混雑なんだけどね。とくに女性が多く参加しているだけあって、女子トイレはどこもかしこも大行列が出来ていて、なかにはコスプレしたまんま並んでいる人がいて、アンシーの格好して座ってる姿とか、レオタードをにゅにゅにゅっと下ろしてしゃがみ込む姿を想像すると、それはそれでなかなかにソソるものがある。見てみたい? 見てみたいけどそれは犯罪なので、ここは男のコスプレが小用をたしている姿で我慢・・・したくねーぞ。

 会場で大森望さんとさいとうよしこさんを見る。もうそのまんま大森望さん(どんなまんまだ)ってな姿形をしていたので、遠くからでもすぐ解った。とゆーか出没を宣言していた場所が小説を題材とした同人誌のコーナーが集まった西館だったから、アニメ中心の東館ほどには大混雑しておらず、結構遠くまで見渡すことができたんだけどね。しかし推理小説のファンジンなんだけど、出店している人たちが見事に女性ばっかりで、作品への傾注度合いを行動によって真っ直ぐあらわすことのできるそのパワーには、正直感心させられた。京極さん関係はほんと山のような出店数。あと有栖川さんとか摩耶さんとか島田さんとか。西澤本はあったんだろーか? 絵になったタカチをちょっち見たかったなー。

 結局同人誌は買わず、そのまま西館4階の企業ブースに良く。プロダクションIGが「攻殻機動隊」のメイキングビデオの予約受け付けをやっていたので、2000円と送料の390円を払って予約、これだけで今日行った義務は果たした。あとは別のブースで「YAT安心!宇宙旅行」のセル画を購入、ゴローちゃんと桂さんとお邪魔なウッチー、カナビーが移っているヤットダムのコックピットのセルと、トラのマスクを被った桂さんが投げをうとうと踏ん張っている絵柄。もう家宝ですね。さらに特大のオマケが登場、企業ブースであの「アニメタル」のライブをタダで見ることができて、もう大満足して帰途につく。さいとうよしこさんも見ていたみたい。これだけで行った価値があったって感じでしょう。

 しかし「マジンガーZ」とか「グレートマジンガー」とか「海のトリトン」とかって僕らの世代がリアルタイムで見ていたアニメを、見渡したところ20代前半ってな大多数を占める観客が、口を合わせて唄っているのってやっぱりとっても不思議。僕らにとってスタンダードもバリバリな曲が、彼らにとってはどんあ位置づけを占めているんだろーか。「ハリマオ」はちょっと古いか、「ビッグX」とか「マグマ大使」みたいなんのだろーか。だって「トリトン」なんてもう何年も再放送、やってないよ。マジンガーもグレートマジンガーもそう。なのに完璧に知っている。まさか「アニメタル」として知っているの?

 でもまあ、「サイボーグ009」があのジュディ・オングが003を当てていた古い方の「赤いマフラー、なびかせて」って唄じゃなく、井上和彦さんだったかが島村ジョーをあてていた新しい方になっていたのはやっぱりってゆーか仕方がないってゆーか。僕はどっちも知ってるんだけどね。唄いすぎてノドが痛くなったのでそのまま退散、家に帰って「YAT」見る。良い1日でした。明日もまた昼過ぎあたりに出向く予定。どのみち水曜日までは夏休みなので、それまでは都内各所に出没する予定ですので、やっぱり見かけても石投げないよーに。


【8月15日】 「も」なんだって。なにがってプリーズなパスワードの最初の言葉がだよ。去年だっかた一昨年から「ポンキッキーズ」がさんざんっぱら引っ張って来た、カガマルが番をしている「キッズプラネット」へ入るときのパスワードに、ついに具体的なヒントが登場した。いやーよくぞここまで引っ張ったぞフジテレビ、間にカガマル唄うところの「ジャナイ」なんてコーナーも作って、いい加減にしろさっさと教えろもう飽きたなんてお子さまの声も、きっと起こっていただろーなー。

 これで1日1づつヒントを出して、そうだなきっと1週間くらいで全部あきらかになるなじゃなかろーか。って甘い? うんちょっと甘いかも。例えば「ま」で始まる言葉が例えば「寿限無」のよーに長かったら、「じゅげむじゅげむごこうのすりきれ・・・・」、あーいかん指が足りない、まあいいやたぶん3カ月くらいはかかるだろー。円周率だったら1生かかっても終わらない。さていったいどこまで引っ張るか、どんなパスワードが登場するか。ジャイアントロボのかけ声だったら今日で終わっていたのになー。「まっ」。

 愛知県出身の作家でシミズヨシノリさんとゆー人がいて「蕎麦ときしめん」とか「やっとかめ探偵団」とかいった名古屋を題材にした小説を書いていてでも東京に住んでいる。愛知県在住の元高校教師で現在短大助教授のシミズヨシノリさんとゆー人がいて谷崎潤一郎のことを書いて群像の評論部門で新人賞を受賞して文芸評論家として活躍している。同じシミズヨシノリとゆー名前を持った愛知県に関わるこの両名、混同されない方がおかしいと思っていたら、案の定あちらこちらで混同の嵐にあっていて、例えば評論家のシミズヨシノリさんのところに小説の依頼が来たりしたことも多々あったとか。いっぽう小説家のシミズヨシノリさんもCD−ROMで検索していて書いた覚えのない評論集がリストに入っていて、おれは知らないうちにこんな本まで書いていたのかと、驚いたとか驚かなかったとかいう話も伝わっている。

 その二人のシミズヨシノリがついに対決する日が来た。というかもう対決したんだけど、その模様が名古屋の出版社、海越出版社が発行している文芸誌「小説海越」第3号に掲載されていて、もう読みながらむひむひむひっと笑いが出て、それから「名古屋もすてたもんじゃないがね」ってな郷土愛の意識も、ほんのちょっぴりだけど芽生えて来た。「二人のしみずよしのり」と題された特集は、6月25日に愛知県小牧市で開かれた講演会と対談の模様を採録したもので、まずはリョウテンこと清水良典さんが「スタンダードとパスティーシュ」の演目でさんざんっぱらギハンこと清水義範さんに間違われたことを披露している。あの吉本ばななさんにまで間違われてしまったこともあったとか。きっと内心怒り狂ったんだろーなー。

 ギハン清水義範さんは「名古屋人と日本人」の演目で講演、これはまあ出世作の「蕎麦ときしめん」が、イザヤ・ベンダサン(山本七平)の「日本人とユダヤ人」を素材にしたパスティーシュとして書かれたことにひっかけたタイトルなんだけど、中身ではそういったパスティーシュによって名古屋を茶化すことにしたのかに振れながら、尾張徳川家が今に誇る名君(じゃないわな、破産させたんだもんな)、徳川宗春のことを書いたきっかけとか、その宗春が蟄居させられて後に借金で苦しんだ反省から名古屋って場所が倹約家でいっぱいになったんだとか、まあそんな話を披露している。

 講演後の対談がまたなかなか。名古屋に関する発言が多くて、名古屋に関わりを持たない人には退屈だったりつまらなかったりするけれど、名古屋モンロー主義な名古屋在住者・出身者にとってはこれほど興味深い対談はない。曰く質実剛健で遊びの少ない名古屋のビル街の様子なんかをあげながら、名古屋には「オトナ」の文化があるんだ指摘しているあたりとか、名古屋の人たちは自分たちの文化を自慢ではなく悪口によって受け入れる屈折したところがあると言っている箇所とかに、いちいちウンウンうなずきながら、でもこれってやっぱり悪口を屈折して受け入れてるんだなー、やっぱりオレってモロ名古屋なんだなー、などと嘆息しながら感心してしまった。

 爆笑なのは名古屋大学の学生に「もう一度名古屋大学に入りたいか」と聞くと大半が「いやだ」と答えるということが書いてある部分。たわけだった僕はもちろん名古屋大学なんかに通ってないから、どうして「行きたくない」と答えるのかが解らないけど、たぶん遊ぶところといえば東山動物園でカバの「福子」(1997年8月15日没、享年47歳)を見るとかコンクリートの恐竜によじ登るとか植物園で大オニバスに乗ってひっくり返って怒られるとか、まあそんなところしかないから、やっぱり上野動物園でパンダが見られる東京か、天王寺動物園でキリンと遊べる大阪の方がいーんだろーなー。河川敷に10メートル感覚で座れる京都も捨てがたいか。そのあたりぜひとも名大出身者に聞いてみたいところ。しかし「放課」と「分団」が方言だっとは知らなかったぞ驚いた。興味のある人は本屋で探して読んで下さいでも売ってるのかな普通の本屋で?

 詰めている運輸省からお昼休みを使って銀座の阪急にある「HMV」へ行く。どうした弾みかテクノの新鋭、RyoAraiさんのCD「Again」(フロッグマン・レコード)が聴きたくなって、どこあるんだろーと探すと5分間。あったあった、ちゃんとテクノの棚に入っていた。すでに新宿渋谷方面では品切れになっているそーだけど、テクノに1番似つかわしくない銀座だけに売れ残っていたみたい。とりあえず購入して地下にあるコーヒーショップの前を通ったらいきなり昼バイキングの店になっていて食い意地が張っていたこともあって突入、大皿に山盛り積んで食べ始めたら途中で苦しくなってきたけど意地汚いので全部平らげる。苦しかったー。

 食べ過ぎはお腹の形に良くないので銀座から霞ヶ関まで散歩、日比谷公園内の景色を散策しつつ15分ほどで合同庁舎に到着して、それからちゃんと仕事する。つまり睡眠と読書をね。しばらくするとちゃかぽことPメールと放浪の「たまごっち」が到着し、調子にのっててけてけと返事を書いていたら、まだフェーズ2だった僕の「たまごっち」が「ホシニカエルネ」と言い残して去っていってしまった。もしかして遊びにいかせた時に拉致監禁されたか、なんて思ってもみたけど監禁されても身代金は払うつもりがないので、どうぞ好きにして下さい。

 「Again」聴く。むわーっと下から沸き起こってくるよーなサウンドがアンビエントだとすると(実はよく知らない)、そこにチャカポコなテクノの要素が加わった(と言い切って良いのか?)、メロディアスでリズミカルとゆー難しいところをうまくミックスさせた希有な作品、ってことなんでしょうか。なにをいってるか自分でも解らない。ノイジーでもなく重低音がドカドカ来るでもないのでチャカポコしていても心にはとても優しい。2曲目の立ち上がりの部分とかって映画音楽っぽいし、3曲目とかもメロディアスで好き。

 聴くとこのRyoさん、スクウェアの新作ゲームの音楽とかも手がけたとかで、バトルにはリズミカル、ドラマにはメロディアスなBGMが合うんじゃないかて思っているゲームのBGMに、両方の特性をもったRyoさんのサウンドがぴったり合ったってことなのかな。そっちも聴いてみたいけど、でもスクウェアのソフトじゃな。まずやらないな。ちなみにRyoさん、「怪奇大作戦」好きで「シルバー仮面」好きってんだからもしかすると「ヲ」な人かも。そーいえば「怪奇大作戦」、今度ダイジェストなLDが出るんだったっけか。買おかやめよか音頭、踊りそー。テクノをBGMにして。


【8月14日】 あー、ついに恐れていたことが起こってしまったー。読書感想文を山の様に積み上げたページが同じディレクトリの中にあって、ときどき新しい本を追加しては1人悦にいっているんだけど、もしかすると取りあげた本の著者か関係者、あるいは友人知人親戚ペット、さらには出入りの三河屋からドミノピザの宅配人まで、関わりを持っている人が読む可能性もあるんじゃないかと考えて、感想文では極力罵倒しないよーに務めてきた。

 気にいらないところがあっても、それよりは気に入ったところを誉めるって方法を取っているから、人によっては「実物読んだらぜんぜんつまんないじゃん」とか思った人も多いと思う。でも、本人であれファンであれ、気に入っているものをあからさまに罵倒されて気分を悪くする人が出るよりは、「つまんねえ本を誉めてんじゃないよ」って、こっちがバカにされる方がまだ良いかなって思ったこともあるんだけどね。まあ弱腰ってことには変わりがないか。

 しかし時にはムクムクと天の邪鬼モードが立ち上がって、裏から手を回して引っかいたり、下から手を伸ばしてつねったりすることも無い訳じゃない。そんなモードに入った最大の感想文ともいえる柴田よしきさんの「炎都」が、どうやら御本人の目にとまってしまったらしく、それを聞いた時には冷や汗がざあざあと体表を瀧のよーに流れ落ち、脚がくるぶしまで水に浸かってしまった。今となってはどんな心境で書いた文章だったのかは覚えていないけれど、読み返すと相当に嘲笑モードが入っていて、よくぞこれだけのことを書けたものだと、我ながら不思議に思った。

 今さら書き直すのも業腹なので、いくら本人の目に入ろーと、文章を変えるつもりはまったくないし、ほかのシリーズ物の感想文を書く時に試みているよーに、最初の感想文の文体に極力あわせて2巻目以降も書いていくって方針に従って、月末に発売が予定されている「禍都」の感想文も、きっと素晴らしくアイロニカルな文章になるだろー。1つ理解不足を懺悔するなら、柴田さんは決して大真面目に「炎都」を書いたんじゃなく、笑いと話題性をねらってかくもオーバーかつ大映な(日活だったけ、それとも東映か)作品を書き上げたらしい。「禍都」はさらにスケールアップしたはちゃはちゃSFになるそーなので、今はとにかく刊行を待ちたい。やっぱり感想文では茶化すんだけどね。

 「たまぴっち」に新しくできたお友達が遊びにくる。がしかし、遊びにきたのはちょっと見過ごしているうちに困ったことになっちゃった的な「たまぴっち」のキャラクターで、あろうことかあるまいか、とぐろ状のウンチを置いて帰って行くとゆー所作に出て、しまったこっちがやりたかったことを先を越されてやれてしまったと歯がみする。ならばこっちもおかえしとばかりに、置いてくるウンチが出るのを待っていたが、いっこうに出る気配がないので、そのまま逆に遊びに行って、「ウンチハトイレニ」と言い残して返ってくる。

 しばらく経って、またまた遊びにきた悪い悪い「たまぴっち」、でもこんどはこっちの「たまぴっち」と、ポカポカ笑いながらおしゃべりしたりあやとりしたり(しないしない)して、気分よく帰っていったみたい。あの表情のキャラクターとニコニコ談笑してるのって、なんかやっぱり変だよなー。しかしウンチして帰った後、こっちの「たまぴっち」のごきげんマークが、一気にゼロまで下がったのはやっぱりとゆーか驚いたとゆーか。見かけはニコニコしてるのに。ってあの小さな画面で表情なんか付けられんわな。

 明日からコミケ。折角なので取材にでも行くかと思って、神保町のコミック高岡まで行ってカタログを買う。はじめてのこみけ、はじめてのかたろぐ。おいおいこりゃ電話帳か? 2分冊になったのも仕方がないってところでしょー。でも1900円は高いよな。見ると取材には腕章が必要なよーで、それには総本部までたどり着かないとけないみたいだけど、しかし予定している土曜日と日曜日に、総本部はおろか入り口まで果たして開場時間中にたどり着けるのか。どっか入り口の外で腕章だけ配って、あとプレスはフリーパスってんなら取材はしやすいんだけど、それやるとズルっこけてプリネームあたりでプレス関係っぽい名刺を偽造する人とか、本当にマスコミ関係者なんだけど実はオタクで取材は2の次本当は目当ての同人誌を売り切れる前に買うんだって、そんな悪巧み(僕? 僕はしないよそんなこと! たぶん・・・)する人が出るから、無理なんだろーなー。

 しかし上下2分冊にもわたる情報の中から、どうやってみんな意中のサークルの案内を見つけるのはちょっと不思議。知ってるサークルだったら索引を50音順にたどれるんだろーけど、たとえば好きな作家なり小説を研究している同人誌があって、それが超マイナーでおまけにサークル名に作家の名前も小説の名前も付けていなかったら、とても索引からじゃ探せない。根性があればカットから虱潰しに探せるんだろーけど、私ももう歳だ、「目も悪くなったし手も動かない」(「もののけ姫」製作発表会見での宮崎駿監督の言葉)から、当日は物見遊山とぶらぶらと歩いて(ぎゅうぎゅうと押されて)会場を回ることにしよー。見かけたら「たまぴっち」を鳴らして下さい。


【8月13日】 今でこそJ−POP界の大御所として君臨する山下達郎さんだけど、若かりし売れない不遇の時代は、テレビのCMソングをさんざんっぱら手がけていて、あるいはそのままソングライターとして食っていこうかと考えたこともあるったとか。幸いにして「ボンバー」がヒットして、それが「ライド・オン・タイム」のベスト10入りへとつながり、「フォー・ユー」そして「メロディーズ」が大ヒットして一気に大御所入りを果たすと、CMソングも手がけるけれど、それはJR東海の「クリスマスイブ」だったり、JALだったかANAだったかの「高気圧ガール」のように、立派にシングルとして通用する楽曲が中心になってしまい、「さっわっやっかっサーイダー」とか、「かんもにんコォークッ」って具合に商品名を連呼する、王道なCMソングを手がけることはなくなってしまった。

 コンサートツアーで販売していたパンフレットの付録として付いていたレコードに、山下達郎CMソング集とゆーのが入っていて、今や幻となってしまった「サイダー」や「コーク」などのCMソングを、ごっそりまとめて収録していた。手元にないから確認できないけれど、「コーク」のよーに曲になっているものから、たったひとこと商品名を言うだけの数秒の曲まで、たぶん10曲以上は入っていたんじゃなかろーか。って、なんでまたこんな話をしたのかとゆーと、それは奥田英朗さんの処女長編「ウランバーナの森」(講談社、1600円)を読んだから。キーワードはそう、「無花果浣腸」ですね。

 「ウランバーナの森」がどー「無花果浣腸」と関係しているのかは本を読んでもらうとして、問題は「浣腸」といえば「無花果」という連想に、山下達郎さんのCMソングがどれだけ影響を与えたんだろーかとゆーこと。正直テレビでこのCMを見たことはないけれど、なんとなくいつのまにかそーゆー連想が、絶対無比のものとして頭に深く染み込んでいた。ちなみにCMソング集に入っている唄は、サビの言葉もそのままに「かんちょうは、いちじく」ってな実も蓋もないもので、直前に入る「ぴーうっ」ってなたぶん浣腸を差し込む時の擬音とともに、CMソング集でも1番印象に残る楽曲だった。

 聞けば聞くほど心に染み込むインパクトに、あるいは僕より上の世代にとって、このCMソングが「浣腸」=「無花果」ってな連想が、トラウマ的に頭に残っているのではないだろうか、故に本の中でも「浣腸」といえば代名詞的に「無花果」を用いているのではなかろーかと、そんな類推をしてみたくなった。ちなみに奥田さんは1959年生まれの今年38歳。ここはひとつ同世代の人に、「無花果浣腸」のCMに覚えがあって、それが「浣腸」=「無花果」の連想を形成する原因になったのかを聞いて回って見たいところ、だね。

 川辺にそびえ立つガンダムのフィギュアにピクっと来て、ふだん読まない今野敏さんの新刊「慎治」(双葉社、1750円)を買ってしまう。裏から開いてカバーの折り返しを見ると、紺色のビンのイラストが掲載されていて、下に「KON NO BIN」と書いてあってひっくり返るが、それはともかくガンダムを表紙に配した本の内容は、そのインパクトに違わずオタクな愛に満ちみちていて、読みながら強い感動と激しいショックを覚えた。ちなみに表紙のガンダムは、今野さんがフルスクラッチで削りだしたもとのことで、なるほど今野さんてハードな印象な割に、根はそーゆー人だったのかと、あとがきを読んでさらにひっくり返った。

 虐められっ子の少年が、モデリングに目覚めてついでにサバイバルゲームも楽しんで、立派な(のか?)オタク少年として更正していくストーリーは、「慎治」っていかにもなタイトルから連想するあのアニメの主人公の、まるで対局を行っているよーな気がする。学校なんてたいしたもんじゃないからって、そう教える先生の存在も型破りだし、少年がオタクに覚醒して自分を確立していくってシチュエーションも、2度と引き返せない地獄への道をたどる思いでオタク道を歩み続けている人が多数を占める現実とは、えらくかけ離れているよーな気がする。もっともそんなオタク道を明るく楽しい天国への道だと、立場を変えて発想を逆転しさえれば、仮面を被っていい子ぶって生きていくことが、実にツマラなくクダラないくだらないものだと達観できるんだろー。その意味で現実的との乖離を思った僕は、まだまだオタクの度合いが薄い。しゃーねー買い置きの「エヴァプラ」作るか。

 「少女革命ウテナ」はいよいよ若葉との対決、パターン化されたディオスの剣抜きがなかったところにバリエーションの変化を感じたけれど、総じてしばらくは同じパターンが続いて行きそうで、ちょっとばかり退屈を覚えてしまった。火葬場へと棺桶が落ちる場面にも、最初ほどの衝撃もなくなっちゃたし、あとは敵の正体が開かされて大幹部が闘いに望んでヒーローに破れて総裁の名を叫びながら爆死、ってんじゃー仮面ライダーか、まあとにかく幹部戦を終えてさっさと大将戦へと持ちこまないことには、たぶん2クールだと思った話が、まとまりを欠いたまま足早く終了してしまうことになる。もしかして「好評につき1年続ける」気か?

 髪飾りを付けた姫宮アンシーをすれ違い様ににらみつける若葉の表情がおそろしくてすっげー良い。決闘場で闘う時の若葉の表情も声もいつものタルさの対局にあるスゴみが存分に込められていて、絵を描いた人と声を出した人の芸域の広さにホント心底感動した。たしか今月末からビデオの発売がスタートする「ウテナ」、CDも最初のバージョンを買い損なってしまったし、もしかして密やかなれど幅広い人気を得ているのかと心配し、LDの予約をしといた方がいーだろーかと、ちょっと心配な今日この頃。予約特典って何だろー。水玉螢之丞さんがコラムで描いていた、剣が飛び出すアンシーの人形だったらバリ欲しい。でもチュチュのフィギュアだったら全然いらない。回る薔薇付きフレーム、ってのも良いけどね、持って歩くからさ。


【8月12日】 飯島真理さんの新譜「Europe」を朝っぱらからガン鳴らしながら、ホームページを見たり出勤の支度をして出勤までの時間を潰す。買ってから2日でもう10回以上は聞いたかな。最初の2曲なんて確実に20回以上は聞いている。それだけ良いってことで、これが売れなきゃ泣いちゃうぞってなくらいの惚れ込みようで御座います。だからしつっこく宣伝しちゃう。イーストウエストジャパンから絶賛好評発売中。買ってねお願い。ついでに「ねらわれた学園」も観てあげてね。

 飯島真理さんて名前、僕のよーな初期マクロス世代には、やっぱり「リン・ミンメイ役」としての馴染みが深いんだけど、ホームページを検索して見つけたファンの人たちの、ファンになった動機なんかを読んだり聞いたりていると、あんまり「ミンメイ」という役柄を飯島さんと重ね合わせて捉えている人はいないみたい。むしろ逆に「リン・ミンメイ」というレッテルを剥がしたくって仕方がないて人が多いような気さえする。僕自身の立場は、きっかけはやっぱり「ミンメイ」としてだったけど、1枚目の「ロゼ」を聞いて完全に「アーティスト」としての飯島真理を意識、以後ずっとそう思い続けているから、立場は彼らに近い。

 だからといって「ミンメイ」として唄った歌にも素晴らしい曲はたくさんあって、屈託なく「ひかるっ」って喋るあの声とともに、忘れがたいものではあるんだけどね。しかし「マクロス」から15年経っていろいろなイベントが目白押しの年なのに、アニメ雑誌への露出はほとんどとゆーかまったくないみたいだし、開かれたのか開かれるのかどっちだったけかのイベントにゲストで出るほかは、たぶんラジオなんかにも出ないんだろーね。その当たりスケジュール詰めてないから知らない。もとが声優の林原めぐみさんが、最後に帰る場所は声の仕事ってなことを何かで喋っていたのを読んだけど、もとがアーティストだった飯島さんが帰るのは、やっぱり音楽の場ってことで。とりあえず月末のコンサート頑張って下さいと、勝手に応援するのであった。なんだってフランスにいっしょに行こうツアーなんてものもあるのか?

 オタク系のフォーラムで人気爆発が伝えられているJR東日本の「ポケットモンスター・スタンプラリー」を、夏のスカスカになった新聞のツマにすべく記事化する。まずはJR東日本の関東支社に電話して概況を確認、予定では10万人となっているフリーチケットの販売枚数だけど、確認できた火曜日現在では7万3000枚に止まっていて、まだ2万7000枚の余裕があるとか。それでも週末にさらなる人出が期待できるので、売り切れてしまう可能性もない訳じゃなく、そのあたり「まだ間に合うか」なんて思ってズルけてる大きいお友達の人も、早急にチケット購入した方がいーでしょう。しかしいるのかね、限定ポケモンカードが欲しいからって、暑い盛りを30駅踏破する大きいポケモンファンのお友達が。

 いまのところスタンプ帳を持って電車に乗っては降りている人は、ほとんどが子供とその保護者たち。さすがに高校生とか大学生とかいさましいチビのイラストレーターは見かけない。業界人は週末にコミケで忙しくなるので、あるいはコミケのために上京して泊まり込んでいるこの水曜日、木曜日あたりに、大挙して「ポケモンラリー」に参加してくるのかもしれない。それだったらせめてコスプレくらいしていただきたいものですね。それか完全武装のビジネスマンってな格好で、革靴カツカツ言わせながら暑い最中を汗1つかかずにスタンプ集めて回るとか。誰かやりませんか、コスプレかもしくはニッポンのビジネスマンスタイルでのスタンプ集めを。写真撮りにいくかもしれませんから。

 記事作成にあたっては、やっぱりスタンプラリーを展開している営団地下鉄にも電話で取材。こっちは全70駅にいろいろな意味で話題の映画「ヘラクレス」のスタンプを配置しているんだけど、7月19日からすでに始まっているからなのか、それとも映画といっしょでスッポコなのか、ほとんど回っている人を見かけない。たまたま今日は霞ヶ関の日比谷線の駅構内で3人組の親子連れを発見したけれど、聞くと参加者は5000人くらいしかおらず、月末まで展開しても1万人に届こうかって状態らしい。それでも全駅踏破を成し遂げた人が半分の2500人もいたのには驚き。もらえるものはただのヘラクレスキャップなのに。こっちはどうかな、やっぱマックを食べて肉体を鍛えて、それから挑むべきなのでしょう。僕はちょっとパスします、モスの方が好きなんで。

 一部で話題になっていた「オタク学叢書」の第1弾「20年目のザンボット3」(氷川竜介、太田出版、1900円)を買う。企画は岡田斗司夫さんのオタキングでプロデュースも岡田さんが務めているけど、中身はほとんどというか完全に氷川さんの作品。はじめはLD−BOXの副読本として企画されたものを、話を進めるうちにもっと立派な「文字ばかりのザンボット本」(あとがきより)として成立させるべく方針を変更、ライナーとのバッティングを避けてインタビューなどを行わず、むしろ氷川さん自身が観て感じ考えたことを綴る「俺ザンボット」(同)本として出来上がった。岡田さんの名前はツカミみたいなものと言ったら近いんだろーな。

 しかしホント、「ザンボット3」ってハードな作品だったんだなー、ってのが全エピソードガイドを読んでの印象。実は本放送当時も再放送も「ザンボット3」を通して観た記憶がなく、「ボルテス5」から後は何故か「ガンダム」と「トライダーG7」に飛んでいる。それでも「ダイターン3」はノリの良さに幾度も再放送を見返しているのに、どうして「ザンボット3」は観ていなかったのか。今となっては謎としか言いようがない。決して暗い話からだったってことはないと思う。だってここまで暗いってこと、ホントに知らなかったんだから。

 各話エピソードにつけられた「チェックポイント」は冷静にして簡潔にまとめられていて、これだけ読んでも相当にストーリーの勘所を理解できる。残念なのはやっぱり動きを直に確認できないってことで、そのあたり金田伊功さんの爆発するキャラクターの表情の原画とか、躍動するロボットの動きの原画とかを見ながら、動いている奴を観てみてーなーと強く心を揺り動かされた。といっても今は流石にLD−B0Xをポンと買う余裕はなく、中古が出回り始める冬のボーナスシーズンあたりを狙い目に、しばらくは「20年目のザンボット3」を繰り返し繰り返し読みながら、ストーリーと動きの勘所を脳に焼き付ける作業に没頭しよう。それにしても185ページの富野さん、若いなー。


【8月11日】 某映画の配収66億円配収突破確実のお祝いも兼ねて、夜半までかけてカバーガールの新作を書く。「ラフィール」を書いてからホント久々の新作登場ってことになるのかな。いつもだったら2パターンある卵形の顔の輪郭を流用して、髪型だけいじって描くところを、今回は久々に顔の輪郭から描き直してみた。アゴの線と耳の形はまずまずの出来、けれども髪型がほとんどペケで、おまけに髪飾りのセンターもズレていて、なんか居心地の悪い絵になってしまった。

 相変わらずワードパーフェクトのおまけに付いてきた安物のペイントソフトを使って、くたびれたマウスだけで描いているので、どうしてもやっぱりうまく描けない。といってもタブレットを使えば上手く描けるってことでもないから、マウスで描いているから下手ってのは単なる言い訳に過ぎないんだけどね。気が向いたら来月当たりに更新する予定で、ウテナかアンシーあたりを描きたいけど、気が向く頃には放映が終わってそーな気がするから、結局描かない可能性が大。そんでルリルリもパスしたんだよなー、って描く気だったのか? ルリルリを。

 イトーヨーカ堂で中古ビデオのフェアをやっていて、山の中から新品の「耳をすませば」を掘り出して1980円で買い、夜半過ぎまでつらつらと見る。ブエナビスタからリマスター版が再発されたばっかりだけど、あっちままだ4000円近くするから一応得したってことになるのかな。宮崎駿さんが監督をしていないってだけで劇場では見ていなかったし、テレビでの放映も見逃していたから、これが初めての観賞になる。

 見終えての感想は「良い映画やんけー」。「もののけ姫」の映像とメッセージの土石流も確かに凄いと思ったけど、最初はホノボノとして時々キュンと来てラストにジンジンとなる「耳をすませば」だって、与えてくれる感動の質と量で「もののけ姫」に全然負けてない。ちょっと言い過ぎかな。でも、たかが中3のガキどもがこんなに前を向いて頑張っているのに、僕は一体なにやってんだろーと反省させられることしきり。やっぱ短い人生、やりたいことをやらにゃーいかんと、ポリ袋に突っ込んだ日曜日の朝日新聞と「Bing」を引っぱり出して、赤鉛筆なめなめチェックを始めた夜でした。

 「週刊アスキー」、横組みページの「デジタル・ニュース・スクランブル」がなんだか「ASAHIパソコン」みたいで、いよいよ某西氏言うところのパソコン雑誌へのリニューアルが始まったかと訝る。続いてインターネット絡みの記事があったり、電脳グッズを中心にした「グッズエクスプレス」があったりして、もう横組みページはパソコン雑誌化したと確信したら、いきなり「女の子マニアックス」がでいーんと「特別編」として登場していて、どっちに軸足を置いているんだろーかと頭がこんがらがる。きっと編集人も発行人もこんがらがっているんだろー。

 でも良かったです「女の子スクランブル」とくに最初の2人が、っておいおいそりゃいわゆる「チャイドル」じゃねーか、そーですよいけませんか「チャイドル」のファンで、篠山紀信の「NAMAIKI」だってちゃんと買って持ってるんですから荒木経惟さんの全集に入っている「少女性」なんか枕元で毎晩愛でてます。なんて冗談でも書いているといざ事があったら真っ先に疑われるんだろーな。冗談じゃないからなおさらか。

 で、今回登場の「チャイドル」は1人目が奈良沙緒理ちゃん12歳。胸は確かに薄いけど、スラリ伸びた脚がぜんぜん12歳に見えない。脚のところどころに虫に喰われたよーな痕があるのは、もしかして林間学校帰りなのか、それとも家で猫飼ってて蚤が大量発生しているのか。綺麗なんだからちゃんとお手当した方がいーですよ。もう1人は13歳の工藤あさぎちゃんだけど、こっちは表情体躯ともに歳相応に見える。パッと見は沙緒理ちゃんだけど、あさぎちゃんは演技力ありそーだし、ちょっと甲乙付けがたい。どっちが10年後にまだ芸能界に残っているんだろーか。もっとも10年後には愛でる対象としての興味を失っているんだけどね。

 運輸省は役人も記者も夏休みをとっている人が多く閑散としている。発表もなく窓の外で鳴くセミの声を聞きながら、つらつらと資料整理やネット探索をして時間を潰す。たまにトイレに行くために廊下へ出ると、歩いているのはアルバイトの女の子ばかり。なぜか運輸省、アルバイトとして働いている女の子の数がやたら多くって、休み時間なんかになると、流行りの細身のパンツスタイルにタンクトップってな格好の女の子たちが、何人も連れだってテコテコと廊下や庁舎の回りを闊歩している。

 丸の内のOLはキャリアがあってステイタスあってプライドもあって給料もそこそこだけど、霞ヶ関でバイトする通称「カスミちゃん」(今勝手につけた通称だから信じないよーに)ってのも、給料は安い(確かめた訳じゃないから知らないけれどまあ高くはないだろーなー、マックよりは)だろうけど、仕事はヒマだしあっても楽だし、昼時は超安定な役人と銀座か赤坂あたりでランチできるし、土日はしっかり休めるから、それなりに楽しい職場なんだろーなー。あーあ、僕も「カスミちゃん」になりたい。

 ギャガで「白雪姫」を見る。じゃなかった「スノーホワイト」を観る。なんだいっしょじゃんと思った貴方、観たらびっくりするから決してディズニーグッズなんかぶら下げていかないよーに。なにが違うってこの「スノーホワイト」、まるでホラー映画のようにナイフは振り下ろされ血飛沫が飛び散り、そして人がどんどん死ぬ。「ハイホー」な7人のこびとたちは実は黄金目当ての7人山師たち(もちろん体躯は常人、1人だけこびと)で、継母から逃げて来た「白雪姫」ことリリーを犯そうとする奴もなかにいて、別の仲間にたたき出されてそのまま映画から退場していってしまう。これじゃーもう「7人のこびと」じゃないよね。

 出演は継母が「エイリアン」なシガニー・ウィーバーで旦那が「ジュラシックパーク」で「ピアノレッスン」なサム・ニール。時代設定的には「ピアノレッスン」のイメージが近いかな。肝心の超絶美女たる「白雪姫」ことリリー役のモニカ・ニキーナ17歳が、奈良沙緒理ちゃんや工藤あさぎちゃんほど可愛くなかったのが残念だけど、それでも観ているとどんどん可愛くなって、それが「7人のこびと」ならぬ「7人の山師」の1人、「ショーシャンクの空に」で絶賛されたとかゆーギル・ペロウズ演じるウィルと良い仲になっちゃうシーンには、怒りで下半身が打ちふるえた。

 カメラワークと映像美に優れた作品、おまけにシガニーはじめキャストの演技も抜群とあって面白くない訳がない。ハリウッドのホラー映画ほどにはスプラッてはないけれど、「わっ」てな吃驚シーンは後半ふんだんに用意されているし、血飛沫も内蔵もそれなりに登場して楽しませてくれるから、「白雪姫観ようよ」と彼女を誘って、「キャー」なんて言わせたいニクい貴男にお勧めします。10月10日公開予定。


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