縮刷版2024年4月中旬号


【4月20日】 図書館へと出向いて3時間ほど原稿を打つ。「処刑少女の生きる道(バージンロード)」と「勇者、辞めます〜次の職場は魔王城〜」の感想でどちらも異世界転生だとか勇者による世界平定といったフォーマットを裏返したりズラしたりして楽しませてくれる作品。「処刑少女」の方はだんだんと世界の構造とかに迫る面白さがあって相当の深さを味わえそう。「勇者、辞めます」はコミカルさで突っ走っていく感じだったけれど、SFとの接続でもっともたせるかと思ったら3巻で終わってた。人気になれば続くかな。ちょっと期待。

 図書館に「シン・ウルトラマン」が表紙のキネマ旬報の最新号が出ていたのでペラペラ。勝って読み込むと「シン・ウルトラマン」の情報が少しでも入ってしまって初見の驚きが削がれそうだったので今は我慢。あるいは買っても封印しておくか。そんなキネマ旬報の新作映画レビューに実写版「xxxHOLiC」の評もあってなかなかに凄まじい点数とそしてコメントがついていた。昨日から話題の人気漫画の実写映画ってどうなのといった見解に、真っ向から挑むというか挑まれるというか挑んだ挙げ句に踏みつぶされるかのようなレビュー。逆に興味が湧いてきた。舞台挨拶付きの上映チケットの抽選、応募してみるか。

 漫画の実写映画化はこのあとに「鋼の錬金術師」も待っていて、チビだと言われまくっていた原作とはちょっと似てないスタイリッシュなエドワード・エルリックとかこちらはCGなんで原作そっくりのアルフォンス・エルリックとかをはじめとしていろいろなキャラクターが日本人化されて洋風が舞台のファンタジーを日本で映画かする悩ましさってやつを感じさせてくれそう。いくら山本耕史さんだからってアレックス・ルイ・アームシトロングのボディは再現できないものなあ、でも近づけていそうで楽しみではある。アニメの圧倒的な作画にVFXがどこまで追いついているかも含め、まあそれなりに期待はしておこう。

 「ラーメン無限大」でつけめんをかき込んでから電車で幕張本郷まで出向いてアウトレットモールをのぞいてから駅構内の喫茶店で原稿を仕上げて送信。それから戻って食材を買い込み帰宅してつけたbayfmがAM化してとてつもなくつまらなくなっていたのでNHK−FMにしたら、ジャズのプレイヤーでテナーサックスを吹くゾウ・アンバとメリッサ・アルダナの楽曲が流れてどちらも凄まじく良かった。ゾウ・アンバはフリージャズで坂田明さんを低音にしたような面白さ、メリッサ・アルダナはたゆたう旋律を味わえる正統派といった感じ。こうした新しい音楽との出会いがあってこそのFMなのだと改めて思った。パーソナリティの身内いじりはFMにはいらんのだよ。

 「DAZN」でアーセナルとチェルシーの試合を見たいのでそれまでちょっと横になろうと布団に潜ったらこんな夢を見た。気づいたら部屋の中で布団に入って仰向けに寝ていて首を巡らせると隣とかに誰か寝ていてそれも1人じゃなく大人も子供もいるみたいだけど布団にくるまれていて顔とか見えずそれでも手を伸ばすとお尻とかに触れている感触がある。時間は午前4時とか。まあ良いかと思っていたら一緒に寝ている誰かが寝返りを打ちながら折り重なってきた。

 そして仰向けの僕と布団お間に入り込んで背中から抱かれているようになって、それが決して嫌ではなく柔らかくて暖かい感じで心地よかたけど段々とそのまま沈んでいきそうな気がしたので念仏を唱えながら両手を合わせようとしても指先だけで手のひらが合わない。頑張っても頑張っても無理な中で段々と意識が遠ざかっていって目覚めたらまだ午後9時で、仰向けになって手に読みかけの文庫を持っていて、なるほどこれでは両手は合わせられないと理解した。あのまま目覚めなかったらずるずると引きずり込まれていたのかなあ。でも気持ち良かったなあ。良い夢を見た。


【4月19日】 朝から「ゴールデンカムイ」がどうとか騒がしいので調べたらどうやら実写映画化が決まったらしい。やれ目出度いとはなかなか言いがたいのは日本において漫画の実写映画化がことごとくポン酢なものになっているからで、とりわけスペクタクルな要素を期待されるものとなると「進撃の巨人」だとか「鋼の錬金術師」といった原作の漫画とは似ても似つかない配役でもって突拍子もないシナリオで描かれ原作ファンの落胆を誘い、出演俳優のファンを呆然とさせる例が枚挙にいとまが無い。

 中には「るろうに剣心」のように圧倒的なアクションでもって原作のスピード感を表現してくれている実写映画化もあるし、「キングダム」のようなスペクタクルなシーンも立派に再現している実写映画化もあるから一概にダメとは言えない。ただ成功のためには相当の覚悟と費用をかける必要があるとして、「ゴールデンカムイ」という明治末期の北海道を再現する力が日本の映画界に果たしてあるか、そしてアイヌとの交わりを史実的な資料に基づきしっかりと描ききれるかと言ったところで不信感が浮かんで仕方が無い。

 ハリウッドのようにアイヌの少女を描くならやっぱりアイヌの血を引く女優をといった声もあがりそうで、そこにむけて果たして努力をしてくれるのか、できないとしたらどういった理由付けを行ってそうした声を昇華させるかといった部分で作り手の側に覚悟があって、伝える側にも理知があるかが課題となってくるけれど、そのどちらも期待できないのが日本映画界だと昨今のセクハラパワハラ問題が証明してしまっている。アイドルが似ても似つかわしくない扮装で無骨な軍人やら犯罪者やらを演じアイヌになりきるような映画になって果たして誰が喜ぶか、ってありを少しは考えて欲しいけど、無理っぽいなあ。

 そもそもが大長編の漫画のどこをどこまで描くのか。全3部作にでもするつもりなのか。そこまで果たして保つのかといっても実際に「鋼の錬金術師」が間を置いて実写映画が再会されているのを見ると頑張ってくれないとも限らない。一方で「ジョジョの奇妙な冒険」の実写映画がピタリと止まってしまっている状況もあるから難しい。果たして……。とりあえず監督が誰でキャストがどうなるかに注目。再現が無理ならと現代に生き残った杉本とかアシリパの子孫にインタビューする合間に少しだけ再現ドラマが挟まれるドキュメンタリータッチの映画にしてしまったりして。さてもどうなる。

 やってくれるなあChim↑Pom。六本木ヒルズにある森美術館で展覧会を開いているけれど、その開催にあたってエリィの配偶者でもあって新宿は歌舞伎町でホストクラブとかを展開している人の会社、Smappa!Groupが資金を出そうとしたらそうした名前を掲出することは六本木ヒルズには相応しくないと断られたとか。「森美術館はヒルズという『文化都市』の顔である」だから、接客を伴う水商売の会社のロゴは掲載しないとか。もうこれだけで職業差別が甚だしい。

 それが裏社会のフロント企業めいた存在で反社会的だったりするなら問題だけれど、Smappa!Groupは現状少なくとも表に立って歌舞伎町を明るく安全な街にするような運動を新宿区長とともに展開している。水商売だろうとそれは許可をもらった上での商売であって同じ風俗という範疇に入るならば遊技場とも変わらない。そうした企業を「接客を伴う水商売だから」という理由で排除するなら六本木ヒルズは同じ六本木にあるあらゆる水商売を敵と見なしたに等しい訳で、だからこそ丘の上から君臨していると言えば言えたりもしそうだけど、それはどうにも尊大だ。

 法令に則り許可の範囲で適正なビジネスをしていても、印象だけで排除するような美術館とコラボする必要なんてないところをChim↑Pomは、アーティスト名にその企業の名前を入れることで一体化して提示するよう森美術館に求めている。ネーミングライツ的ではあるけれどもそれすらも排除するようならいよいよもって六本木美術館から展覧会後と退去なんてことになるんだろうか。一方で讃えつつ一方でその活動の拠り所である猥雑さも含めた表現を排除するこの動きに、表現の自由を叫ぶ国会議員様は何かしてくれるのかな。見守りたい。

 トランプ前大統領とゴルフをしたのは仲の良いところを見せて日本が外国勢力から侵略されたらきっと助けてくれると思わせるためだと安倍元総理がどこかの講演会で喋ったとか。本気というよりしゃれのつもりだったと思いたいけど割と本気っぽいところもあるだけに侮れないというか侮りたいというか。だったらどうして「プーチン大統領との関係については『あれだけ仲が良かったらロシアは絶対に日本を敵国とは言わないだろう。27回もの会談は国土防衛のためにやっていた』」とは回想しないのか。仲が良いとか悪いとかリアルポリティクスでは何の意味も無いと自分で証明して置いてこれだから信用なんてできないんだ。してないけど。


【4月18日】 もうすぐ発売の泉サリによる「みるならなるみ/シラナイカナコ」(集英社オレンジ文庫)がビリビリと来る内容。2編入ったうちの「シラナイカナコ」がいわゆる“宗教の子”の話で、新興宗教の象徴に祭り上げられ教義から見知らぬ女性達と暮らす四葉という少女の日々が綴られる。海外で地震が起こった日時に生まれたからと象徴に祭り上げられた四葉を囲む家族はおかあさんもおばあさんも一緒に暮らす年上年下の女子も教団にシャッフルされあてがあわれた他人ばかり。そんな中で育った四葉は普通に学校にも通っているけどスマホは持ってない。

 そんな設定の泉サリ「シラナイカナコ」は、水に着けられお清めされてもそれが教義と思い込んでいた四葉より年上の少女はアイドルに入れ込み教義からズレてやがて逃げ出す。四葉は学校で仲良くなった少女がタブレットを持ったことに嫉妬する。普通の世間が染みていく中で変わる四葉と変わらない家族。“宗教の子”に起こりえる状況が綴られていく。漫画でノンフィクション気味に描いたら抗議されて引っ込めた版元だけれどフィクションとして描いて”宗教の子”の問題をあぶり出すことはやってくれたとここは前向きにうけとめた。<BR>
 もう1編の「みるななるみ」は女子バンドを作って頑張る女子にトラブルが発生。キーボードを弾いていたメンバーが自分は受験だからちってフェスの直前に抜け、代わりに入ったのが新興宗教じみたセミナーに入れ込む男子。その教義にべったりだったり抜けようとしたりするフラフラとした感じが逆にリアルさを覚えさせる。人間って簡単には決められないのだ。バンドはフェスに出て人気投票でトップに立ったけどそこにはいろいろと裏があって……。そして立ちふさがるある種の壁に、堂々と立ち向かって実力で突破していこうとする主人公と、それを支える大人の態度に強さがあって読後感が嬉しい秀作。お読みあれ。

 大学に進学するなり就職するなりで上京する18歳とか22歳から牛丼の味を覚えさせたって、既に12歳までにマクドナルドの味を覚えてしまっているならそれは既に藤田田さんの思惑の下にあるのだよ。遅いのだよ吉野屋。なんて思った早稲田における社会人向けマーケティング講座で吉野家の常務から発せられた言葉への印象。酷い発言をおおっぴらに女性だっていただろう場で発せられてしまうのは、日頃からそういった概念をもってマーケティングを語っている現れだろうから、謝ったところでその芯にある思想は拭えないだろうからやっぱり立場を明らかにすることになるんじゃないかなあ。されもどうなる。

 個人的にはなるほど吉野家の牛丼を始めて食べた時にこれはと思った記憶もないでもないけれど、先に松屋の牛めしを食べて美味しいと思っていたことがあるし、船橋駅の構内に今はもうなくなってしまった牛丼を出す店があってここの牛丼が汁が染みて本当に美味しかったこともあるし、これももう新宿くらいしかなくなってしまったけれどたつ家って牛丼屋の出す牛丼が安い上に美味しかったこともあってことさら吉野家の子供にはならなかった。あとはやっぱり店が狭いんだよなあ、そこにぎっしりと人を入れる吉野家の店舗運営が苦手で敬遠していたら、年に1回も行かなくなっていた。味による刷り込みよりも店舗の入りやすさを先になんとかした方が良いんじゃないかな。

 「早期退職という名の指名解雇」という項目に書かれている事が自分の見聞きした事とまるで一緒で同じ会社かと一瞬思ったけどこちらは竹橋だった。1か月で6度も繰り返し面接を行うとか凄まじい。自分は3度だったなあ。そんなことも書かれている坂夏樹さんの「危機の新聞 瀬戸際の記者」(さくら舎)は貧すれば鈍すれば貧してさらに鈍と化していくマイナススパイラルにある新聞業界の状況を、分かりやすい言葉にして表してくれているのでこれから新聞業界を読む人は必読かも。人が減ってニュースが薄くなって発表ものとか共同電とかに頼って記者の足腰が弱っていくのはどこもいっしょなんだなあ。それでも竹橋は支局網を保っているけれど大手町の世界最大部数じゃない方の全国紙は……。だったらどこか掘り下げて手広く報道をしてくれるのか。地方紙と一部全国紙と共同通信だけが残るんだろうなあ、あと経済紙。そんな未来への確信をくれる本でした。


【4月17日】 横浜にある海軍道路の桜並木が伐採される計画があるらしい。1976年ごろから植樹が始まってかれこれ46年が経つ桜並木は片側1車線の道路の両脇にずらりと並んで大きく育ち、春には桜の花のトンネルのようになるところから大勢が訪れ道もぎっしりと渋滞するという。なるほど見どころではあるもののその時期に道を行き来したい人には結構大変な状況だったかもしれない一方で、その期間を不便にしてでも名所となってさえいれば心も潤い少しは懐も潤うといった算段があって、今まで保たれて来たのかもしれない。

 だったらそのまま永遠に桜並木が保たれるかというと残念ながらソメイヨシノには樹齢があってだいたい50年から60年で老木化が進んで病気になったり倒れたりするという。これは問題。そして日本中で桜の植樹が進んで半世紀くらい経っていることもあって同じような問題が起こっている。そうなった時に起こる伐採という判断に見た目を重視して寂しいとか反対とか言う声が起こるけれど、一方で伐採せざるを得ない状況も鑑みつつそのまま桜並木を消滅させないために何ができるかを勘案し、巨木化するソメイヨシノではない種類の桜を植えるとか、その際に街路樹なら位置を変えて時代にマッチした道路幅にすることもあり得るだろう。

 横浜の海軍道路の桜並木がどうやらそうした計画で動いているらしいんだけれど、目の前の桜並木に感動している人たちはその光景が失われることに反対をして署名なんかも行っている。気持ちは分かるしそもそも本当に桜並木が道路の拡幅後も再植樹されて維持されるかが今の日本のテキトーな行政下では不安だという気持ちも分かる。未来をちらつかせて伐採をして道路を拡幅した後で、桜は維持費がかかるからともっと簡単に維持できる樹木に変えるとか、そもそも街路樹なんて必要ないと植えないといったことも考えられる。行政にとっては見た目重視で維持費がかかる街路樹なんて面倒この上ないだろうから。そこを法律なりで縛り現状維持を開発において必須とするような条例なり法令があれば市民も安心してまかせられるのだけれど。どうなるものか。見守りたい。

 お気持ち優先はウクライナから避難してきた人が連れていた犬が空港で検疫のために180日間、留め置かれてその費用が高くなりそうだということで、いろいろと動物好きの人たちから異論が起こっている。いやいやそこで検疫をせずに入国させて狂犬病でも持っていたら、それが広がったら貴方が愛している犬も殺処分される可能性があるんだよと言えば検疫の必要性も分かってもらえると想うのだけれど、それでも留め置く費用がたとえば1日3000円もかかるならそれは高いと訴えて、避難民なんだから多少は融通を利かせることをしても良いんじゃないのと訴えるのが動物を愛しつつ友愛を示す仕草だろう。

 あるいは費用が不可欠なら動物好きに訴え費用をクラウドファンディングで集めるとか。でもいったん、そうした日本の“閉鎖性”への嫌悪を表明してしまうと、引っ込みがつかないのか狂犬病を予防するためだからと言うことすら“拒絶”ととらえて非難し続ける傾向があって救って上げようといった気持ちを削りに来る。非難されるならあとは動物好きだけでやってくれと思えてしまうような強い“お気持ち表明”を脊椎反射で行うのではなく、どうしてそうなっているのかをまずは考えSNSで発信するのもどこかの団体が始めてすぐに瓦解した「その指止めて」運動にならう必要があるんじゃないかなあ。優れたジャーナリストとか作家とかが直情径行からの謝れない症候群に陥っているのが散見されるだけに気になるのだった。

 今日も今日とて蔦屋書店代官山へと行ってSFカーニバルを見物。サイン会を回ったりSF落語を聞いたりして過ごす。1日に3セットで8人くらいづつサイン会を行うイベントが2日間で50人近くを動員してそれぞれにしっかりと行列を得ていたから、本も結構売れたような気がするし来場した人がついでに本を買って帰ればそれなりの成果もあげられたような気がする。会場を提供してくれた蔦屋書店にとってもメリットがあるなら、以後も同じようなイベントを展開してくれると想いたいけれども共に相当のリソースをかける必要があるから、そのために結束できる目的なり意思が必要。SFのためのかリーダーのためとか。それを今後も維持していくための空気を今後どこまで高めていけるか。今から検討していかないといけないだろうなあ。少しは頑張ろう。


  【4月16日】 そういえば「呪術廻戦」の舞台版が発表になっていて、虎杖悠仁から五条悟から釘崎野薔薇から呪術高専の面々に敵となる呪詛師なり呪霊なりのビジュアルが出ていてどれもよく漫画とそしてアニメに寄せていた。五条悟なんて190センチはあってなおかつ脚がとてつもなく長い姿で描かれていて、実写にしたらとても追いつかなさそうなのをそれとなく似せて脚の細さと長さも再現していて撮影のテクニックなのか本人の肉体の賜なのか、それは舞台を観てのお楽しみって感じ。チケット争奪戦はとてつもなく厳しくなりそうだけれど。

 キャストで知っている名前といえば高月彩良さんくらいで前に劇場版の「僕は友達が少ない」なんかにも出ていてスレンダーさを活かして男の子のような楠幸村の役をやっていたけれど、今回はわりとスタイルの良い禪院真希さんを演じることになって長身さでもって舞台映えはしそうだけれどボディラインはどこまで追いつけるのか。そこが目下の関心事か。「思い出のマーニー」で主人公の声も演じてそしてテレビに舞台に映画にと活躍を続けてかれこれ8年。24歳になってグッと成長した姿を見せてくれると期待したいけど、チケットとれるかなあ。

 「呪術廻戦」といえばあのブランドのドルチェ&ガッバーナとコラボレーションしてキャラクターにマッチするアイテムをいろいろと送り出して来たけれど、どれも何十万円もしてファンにはちょっと手が届かなそう。というか誰が買うんだろう。海外の「呪術廻戦」好きなセレブかそれともお金を持っている中国のファンか。あとデザインがどれもヤンキーめいていてD&Cというよりドレスキャンプ的。それも日本では着る人を選びそうだけれど唯一七海健人のダブルのスーツだけは普段使いが出来そうだったので心が揺らぐ。まあ七海じゃない人が着たって寅さんにしかならなさそうな柄だけど。

 山田太郎議員について参院選に出馬を予定している漫画化の赤松健さんも例の「月曜日のたわわ」について異論を申し立てて「外圧」とまで言っている。国連機関だから外国といった認識は日本だって加盟している国連なんだから仲間であって「外国」ではないし、同じ漫画業界ではないといういみでの「外部」ならそれは内に固まる論理であってやっぱり違う。いずれにしても安易に使っては言い言葉ではない「外圧」を冒頭に掲げてしまったのは、結束を固めたい意識の表れかもしれないけれど事態を敵と味方に分断して対立しか招かないのでちょっと戦略として関心しない。

 あとはやっぱり山田太郎議員と同じで「月曜日のたわわ」という作品のある種のメッセージ性に載って誘い煽るような出し方への懐疑をオミットしているところが気になる。たしかにただの女子高生の図像を載せたところでそこに性的搾取は存在しないけれど、それは豊満な熟女であってもいたいけな幼女であっても同じこと。でもあまりそうした図像が出ないのは新聞の全面広告という場所にマッチしているかどうかという問題があるからだ。

 ようするに作品を選べ、場所を選べといった話なのに弾圧だと騒ぎすべてを認めろと言って誰もが賛成してくれるかを、理解した上でそれでも表現は守られるべきという確認だけはしておこうという提言ならまだ同意もできたけれど、全身をハリネズミのようにトゲトゲしい態度では味方してくれる人も敵に回しかねない。ちょっとそこを考えて欲しいけど、今のもり立てられ盛り上げられる環境ではどんどんとタコツボにハマって行きそうで不安。そこを誰かちゃんと導ける人がいれば良いんだけれど……。議員となるとある意味で権力のトップなだけに意見も通りにくいのかなあ。やれやれ。

 せっかくなのでSFカーニバルへと出向いてあちらこちらで本を買ったり人と話したり。蔦屋書店代官山店は人がぎっしりで楽しそうな本がいっぱいで1日いただけでいろいろと情報を更新できた。今はこんな写真集が出ているのかとか。そうした雑誌が並んでいるところで手にNTFとかマーケティングの本を抱えた男が手にしたスマートフォンで雑誌のページをパシャパシャやっていたので横目で見たらとりあえずやめたけど、そうした行為を書店で平気でやれてしまう人が作り出したマーケティングなりNTFなりのサービスは利用したくないもの。きっとパッチワークみたいなものだから。


【4月15日】 雨の降る中を六本木へ。ひさびさにCoCo壱番屋でシーフードカレーを食べたあと、六本木ヒルズの中にある森アーツセンターギャラリーへと入って「アベンジャーズ」の内覧会を見る。キャプテン・アメリカの盾があってぶん投げたくなったけと外れずハーレーにはまたがれたけれど固くなった股関節が軋んだのですぐおりて、ハルクの巨大な腕に触ったりソーのハンマーを持ち上げようとしたりとMCUの世界にどっぷりと浸れる楽しい展覧会になっている。

 アイアンマンスーツからハルクバスターをまとって手からビームを放ち敵を粉砕するインタラクティブ・コンテンツなんてのもあってアトラクション気分も味わえる展覧会。何でも地下も含めると60階以上に及ぶ森アーツセンターギャラリーまで12日間かけて1日12時間も仕事をしていろいろろと運び上げたとか。それでも世界24都市を回って最短だったと関係者。日本の人は勤勉だって事なのか。

 アントマンとかキャプテン・マーベルとかブラック・ウィドウといったあたりもちゃんと飾ってある一方で、ロキの槍はあってもサノスの立像とかはないあたり、ヴィランには厳しい展覧会。まあアベンジャーズの秘密基地でヒーローになる訓練をするってコンセプトだからヴィランがいてはおかしいか。ラストはスマートフォンを操作してトールのハンマーやアイアンマンの熱線やらを放って敵を倒すアトラクションをこなして外へ。グッズも豊富。なかなか楽しい展覧会として大勢を集めそう。

 六本木ヒルズ内で原稿を書き上げTOHOシネマズ六本木へと移って「名探偵コナン ハロウィンの花嫁」を見る。なるほどこれは安室透こと降谷零の同期の連中とかに関する知識が乏しい中で観たので浮かぶ情感は、エキスパートの人の1割にも満たないという逆の意味での自身はあるものの、そうした薄いファン向けに数年前から「警察学校編 Wild Police Story」の連載を起こしていたのだとしたら、「名探偵コナン」のチームは相当に周到で綿密なのかもしれない。

 元より安室を中心にストーリーを見たがるファンもいただろうから、そうした人たちにもより濃い物語を供給してきた「警察学校編」での関係性が、職場に出てからも続こうとして続かず一人また一人と途絶えていった果てに残った安室を襲った過去の因縁から始まる『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』は、無関係に見えた松田刑事と佐藤刑事の結婚式シーンがドタバタと崩れてその理由が明かされた先、対象となったある結婚式がどうしてねらわれるのかといった疑問が安室を襲った過去の因縁と重なってひとつの大きなタペストリーを紡ぎ出す。

 なかなかにうまい展開。そしてクライマックスに繰り広げられるスペクタクルもその時期のその場所を存分に活かしたもので状況と伏線からあり得るものかもしれないと思わせつつ、それが起こったら大変になってしまうところをコナンが頑張りそして大勢が頑張ることで収拾へと向かわせる。そこにある理解と協力は今というこの時代にひとつの光明ももたらしてくれる。悪いということに国も国籍も関係ないということ。そこを目印にして誹ることの至らなさについて教えられる物語でもあった。

 脚本はミステリー作家の大倉崇裕でさすがにしっかり練り上げたといったところ。登場人物たちにしっかりと見せ場を用意していたけれど、そこに灰原哀が大きく絡まず出番が少なかったのは個人的には度し難い。とはいえ次回の作品で「シェリー」が鍵となるということは相当な出番が期待できそう。そちらに譲って今回は高木刑事の佐藤刑事を思って頑張り突っ走る姿と、安室の友を思って飛び戦う姿を堪能しつつその活躍を讃えたい。

 山田太郎議員や、今度の参議院議員選挙に出る赤松健さんらが「月曜日のたわわ」の日本経済新聞における全面広告に国連女性機関がいろいろと言ってきた件について表現規制の一点張りで応酬しているのがどうにも頑なに見えて仕方が無い。国連女性機関はそれが月曜日の僕たちをぶるんぶるんとさせてくれる「月曜日のたわわ」を使って月曜日のさらりまんをぶるんぶるんさせるようような広告を載せたと行った文脈全体をもってそれはちょっとと言っているだけなんじゃないのかな。

 だから「月曜日のたわわ」が存在することは否定していないのだけれどそうした文脈を無視して切り離された単独のイラストをもって批判され規制されたと憤ってみせて周辺を煽るのがどうにもこうにも厄介極まりないというか引くべきは引き認めるべきは認め立ち向かうべきは立ち向かうといったスタンスがどうしてとれないんだろうというか。うーん。困ったなあ。


【4月14日】 「りゅうおうのおしごと」の最新刊が出たので手に入れて一気読み。釈迦堂里奈女流名跡にそんな過去があったとは! エターナルクイーンとして長く女流名跡の座に留まり続けている一方で、他の女流タイトルについてはあっさりと手放しているなあと思ったらなるほどそういう背景があったのか的驚きを与えてくれる。それだけに意味を持っている女流名跡のタイトルを簡単には手放すことができない一方で、こちらは是非にでもタイトルが欲しい雛鶴あいの挑戦は2連勝からの2連敗。そこにもまた意味がありそうだったりするけれど、そうした盤外での思惑とかはすっ飛ばして真っ直ぐに真正面から挑んでいく雛鶴あいは名跡を奪取できるのか? それは読んでのお楽しみということで。

 どういった支持で誰がゴーサインを出したのかが気になる、恵比寿駅でのロシア語の案内表示撤去。不快だからってクレームがあったそうだけれどもウクライナの人だってロシア語を使う人もいたりする訳で言語自体に何か悪意が込められている訳ではない。太平洋戦争の時に敵の言語だからといって英語を排除したことがあったけれど、ロシアは現時点で敵となっている訳でもない。それなのに何か言われただけであっさりと引っ込める行為がどれだけヤバいかってことに駅の人の誰も気づかなかったのだとしたら、これは全社的な問題として大きく取り上げなくてはいけないんじゃないのか。

 まあ流石に批判も多かったようで本社が撤去を撤回したようだけれど、一連の流れの中で本社側への打診があってそれで撤去したのかそれとも駅の誰かの判断だったのかは検証して欲しいところ。でないと他の言語でも同じようなことが起こりかねないのが今のこの国の意識だから。というかどこかのホテルではロシア人ベラルーシ人宿泊お断りだといった案内を出してやっぱり批判されて撤回したという事態もなっていたりしたし。

 こちらは明確に旅館業法に抵触していたということもあっての撤回だけれど、今も意識としてウクライナのためだからやったんだというものが残っているのだとしたら、いずれどこかの国で何かが起こった時にその国の人はお断りといった雰囲気を漂わせてくる気がして宿泊しづらいようになりそう。国としての行為は明確に否定した上でそこの国の人には一切の罪も問題もないことを、明確に理解していることを打ち出すことがやはり先決なんじゃなかろうか。だいたいがどうしてウクライナの件でこれだけ過敏な反応になるのか。シリアちゃチェチェンで何をしたって排ロシアにはならなかったのに。

 分かりやすい構図でフレームアップされると途端に流れるヤバさ。踏み込めばそうした分かりやすい構図のものしか報じないメディアのまずさ。いろいろと重なっているこの状況が加速化してキャンセルカルチャーとして定着していかないことを願いたいけれど、人って流されやすいからなあ。ウクライナから持ち込まれたペットが検疫のために180日間、様子見させられることにも反発しているし。ペット好きならその気持ち分かるでしょといった反応だけれど、それで狂犬病がはいってきたらあなたのペットも罹って死んでしまうのかもしれないという想像力を広げられないのだろうなあ、目の前の事態に精一杯で。困ったなあ。

「エスタブライフ グレイトエスケープ」の第2話は新宿がヤクザの「クラスタ」になっていて、そこの組長が逃げたいと願っているので行って逃がすという話。大げさだろうといった意見もあるけれど、そこまでガッチリと生まれた「クラスタ」によって人生も決まれば思想も決められてしまう状況が、浸透しきっているということでそうした観念からどうやって逃れられるのかを、先週は教師としてあり続けなければならない「クラスタ」から人を逃がし、そして今回は「ヤクザ」でなければ存在すらユルされない「クラスタ」から逃がすことで示してみせた。生きることは逃げること。逃げてこそ生きる道があるといまのこの時期に放送して、見た新入社員がここは違うと一気にグレイとエスケープしたら、日本も面白くなるんだけれど。来週は「クラスタ」がさらに厳密に存在すら変えてしまうことが分かるので注目。舞台は池袋。いったい何の「クラスタ」なんだろう。


【4月13日】 河瀬直美監督の東大での挨拶は不用意ではあるものの、ロシアの正義がどうしてロシアにとっての正義なのかをロシアの立場から考え、そうした確信がどのような要因で醸成されたのかを分析することでその正義の不備を糺し、不遜を諭して一般的な正義を分からせるという意味、あるいは同じような独善の正義が新たに生まれてくることを防ぐという意味があるのではといった問いかけだと受け取ったので、脊髄反射的な反応はしなかったのだった。ただ絶対の悪だからと叩きつぶして削り取ってしまっては、また同じような思想が生まれて来る気配を察知できなくなるし、真っ当へと導けなくなるから。でもやっぱり不用意だよなあ。

 東北総局の閉鎖と北関東からの撤退が記事になってもさっぱり話題にならない自称全国紙の記者が午前ではなく午後0時過ぎに酒酔い運転で捕まったというニュースもやっぱり派手な話題にはなっていないけれど、その記者が63歳というところに定年後の再雇用でもって支局で県版と雑報を担当しているんだろうなあと思うと現場の大変さもいろいろと浮かんでくる。普通は若い記者が勉強がてらやっていることを数年後には一線を退く記者がルーティンでやっていてはやっぱり心も前向きにはなれないだろうから。とはいえ昼間からのんでいるのはちょっと異常。そもそもそいういう特質の人を残して書ける人はどんどんと出す方針がぎりぎりと軋んでいるのだろう。やれやれ。

 55歳以上は1100円なのでイオンシネマ市川妙典に行って「女子高生に殺されたい」を見る。古屋兎丸さんの漫画を原作に「アルプススタンドのはしの方」の城定秀夫監督が手がけた映画は女子高生に殺されたいと願う高校教師の変態的な心情が吐露されるような寒くて痛い内容かと思ったら、そうした変態願望へと引きずられるきっかけがまずあって、そこに触れて魅せられ囚われていった果てに綿密な計画を立てて準備を整えいよいよ実現という所まで至る過程に人が恋に落ちるのとはまた違った、人が道を少し踏み外してそして大きく離れてしまう様が見えて興味をそそられた。

 誰にだって道を踏み外す瞬間はあってそれはたとえば漫画家になるとかアニメーターになるとか医者になるとか天文学者になるとかロケット工学者になるとかいろいろな方向へと続いていくけれど、そうした道のひとつに女子高生に殺されたいと願って止まなくなるというものも含まれていたと思えばこの変態めと誹ることはちょっとしづらい。それだけ触れたきっかけというものが衝撃だったとも言えるし、その衝撃が触れた琴線に特徴があったとも言える。ある意味で偶然の接触が必然へと発展していった先で人がどこまで積極的で徹底的になれるのか。讃えられる方向ではないけれど凄いとは行っておきたい執念だった。

 そんな高校教師の東山春人をいつものどこかへたれな若者ぶりとは違った端正さで演じていた田中圭さんが抜群で、そして春人が殺されたいと願う女子高生の真帆を演じていた南沙良さもそういった願いをかけたくなるくらいの神秘性を帯びた美少女だった。そんな真帆につきそい地震や生物の死を察知する異能を持った女子高生の小杉あおいを「サマーフィルムにのって」でビート板役を演じた河合優実がビート板よりもさらに奥に引っ込んだような静けさで演じて引きつけられた。やっぱり河合さんにはメガネが似合う。
BR>  演劇好きなところを春人に利用される京子は莉子さん、そして柔道部の寡黙な美少女を茅島みずきさんが演じてそれぞれにしっかりと役割を果たしていた。驚きが春人とはたぶん医学部かどこかでいっしょて、今はカウンセラーをしている深川五月を演じていた大島優子さん。元AKB48の看板だった人が女優へと変じていろいろな役をやるようになって、すっかり元アイドル的な雰囲気を落として女優としての演技力を身につけ存在感を放つようになっていた。前田敦子さんといい良い女優を送り出してくれたなあ。今は知らない。

 練りに練った計画は本当に周到でよくそこまで練り上げたものだと感心することしきり。見てしまうと自分もと思えってしまう人も出そうだけれど用意するための舞台なり道具なり人なりが特殊すぎてちょっと現実には無理だろう。そもそも女子高生が誰でも言い訳ではないところが難しいというか、そもそも願望事態が女子高生だったら誰でもよかったのか、その子だからこそ女子高生になったら殺してくれると考えたのか、発端が分からないので判断しづらい。どっちなんだろう。女子高生なら誰でも良かったのならそういう趣味のある人を探せば良かったのではないか。ならばやっぱりその子ありきの計画。果たしているのか現実に。


【4月12日】 実はそれほどアニメを観ていなかったのでキャンディの声がどんなだったか記憶にあまりないけれど、でもやっぱりアニメの歴史に燦然と輝く「キャンディ・キャンディ」の主役を演じたという経歴は、その声とともに永遠に残っていって欲しいにもかかわらず、封印作品となってしまっておおっぴらに見たり聞いたりできない残念さの中で逝ってしまわれたことが残念でならない。声優の松島みのりさん死去。ご高齢とはいえまだまだ活躍して欲しかった。

 僕らの世代だと「どろろ」のどろろ役よりかは、「ふしぎなメルモ」のトトオや「マジンガーZ」の弓さやか(2代目らしい)、そして「ドカベン」のサチ子といった役どころが耳に強く残っているかもしれない。女性から男の子まで広く演じてくれていたなあ。令和となって富田耕生さんや八奈見乗児さんや太田淑子さんといった、昭和時代からご活躍されていた声優の方が続々と鬼籍に入られていくのを見送らねばならず寂しい思いがしてならない。これはつまりこちらも年をとったということだけれど、そういう気持ちをこれからも味わっていくのなら、一方で新しい人たちが現れ活躍するのを見て応援することで心をもり立てよう。

 「本の雑誌」を立ち上げた椎名誠さんと北上次郎さんこと目黒孝二さんを描く漫画がスタートしたのには驚いたけれど、まだデパートニュース社でストアーズレポートという専門誌の編集長をしていた頃の椎名誠さんがちょっぴりラフなジャケットにノーネクタイのスタイルで描かれているのにやや違和感。まだステイタスのあった百貨店の社長にも会いに行く仕事をしていた関係で、当時の椎名さんはスーツ姿もばっちりに髪型も整えていた記憶がある。その後の椎名さんのワイルドな雰囲気を土台にしているのかもしれないけれど、そこは準じて欲しかったかもしれない。でもスーツでは誰か分からないから仕方がないか。

 光文社の週刊誌「FLASH」がなにやら産経新聞が東北の支局を閉めて全国紙の看板を下ろすとかいった記事を載せると風の便りに聞いて、いやいや東北だったらすでに北海道はもちろん東北も東北総局を除いて青森秋田岩手山形福島の支局を閉めてメールアドレスだけの“エア支局”にしているぞと思ったけれど、出た週刊誌を手にとって記事を読んでさらに踏み込んでいたことが判明。東北総局ですら記者を1人おいての駐在員化する上に、北関東からも栃木県の宇都宮と群馬県の前橋に置いてある支局を閉めてエア化し撤退を決め込むみたい。

 すでに新潟も長野も山梨ですらも店を閉めていて北陸中部もとっくに店じまいしていたとはいえ、北関東は北であっても関東だから意地を見せるだろうと思っていたらこの始末。さらに販売として割と重要視していた静岡からも撤退するようで、すでに閉めてる山梨を合わせてこれで富士山を取材する拠点が両側から消えてしまった。東京新聞ですら北関東には拠点を置いて栃木は宇都宮と足利、群馬は前橋と高崎にちゃんと人を置いている。それにすら及ばないにもかかわらず「全国紙」を名乗る根性を見せてくれるかが、今はちょっと気になっている。
 これで高校野球の取材とかどうするんんろう。共同通信に頼るにしたってきめ細かさでは朝日読売はもとより毎日にだって劣ってる。とてもじゃないけど勝負できる紙面なんて作れないだろう。春高バレーなんかは目ん玉マークの専売だけあっておろそかにはできないはずだけれど、取材拠点がなければ記事になんて出来ず、記事に出来なければそれで売るという芸当も使えなくなる。南関東と東京に集中するったってそれすらも東京新聞に劣る取材網で何ができるんだろう。論調をネットでぶちまけたところで、今の人員を支えるだけのお金にはならないことくらい分かっているだろうに。

 落ちる収益をカバーするべく、会員化してパーソナライズされた情報を提供していけるようにするって話もあったけれど、その情報時代をアグリゲートできないのにどうやって個々のニーズに合わせた情報提供なんてできるんだろう。会員数があれば情報の提供元も出てくるかもしれないけれど、決して太くはない出口に向かって出してくれる情報が果たして真っ当かと考えるとちょっと心許ない。ヤバい情報を出しては会員に逃げられ、少なくなった会員に向けてヤバい情報が流れるマイナスのスパイラルに陥った果てにもたらされるのはどんな状況か。ヤバいものにはならないことを願いたいけれど。さてはて。


【4月11日】 見始めたらも最後まで一気に見るしかなくなってしまうくらい面白かった「TIGER & BUNNY 2」。バディという仕組みをワイルドタイガーとバーナビー以外にも広げていこうということになって、以前から出ているブルーローズは「The Rising」から加わったゴールデンライアンとコンビを組み、前は牛角だったロックバイソンはパソコン周辺機器のバッファローが目立つ感じになってそして折紙サイクロンをペアを結成。ファイヤーエンブレムはスカイハイとベテランコンビを組んで結構な連係を見せている。

 最年少だったドラゴンキッドには魔法少女みたいなマジカルキャットがついて可愛らしさが極悪なレベルまで到達。そして新しい2人のヒーイズトーマスとMr.ブラックの白黒コンビも参加して12人もヒーローたちがシュテルンビルトに集うことになったけれど、最悪のところから徐々に信頼関係を築いていったワイルドタイガーとバーナビー、お互いが高いレベルで安定しているファイヤーエンブレムとスカイハイ以外はそれぞれに悩みがある感じで、エピソードの中でそうした悩みが明かされつつ解決へと向かう展開で、人がわかり合う難しさと、それでもわかり合う大切さといったものが感じられるようになっている。

 ドドーンと登場して傍若無人な雰囲気をまとっていたゴールデンライアンが意外やブルーローズとの関係が壊れることにビクビクしているのが面白かったし、ステージママを持つマジカルキャットがどれだけ労られ守られているかを分かっていながら母親の一言でドラゴンキッドを裏切りそうな感じがちょっと不安を先へと残す。13話あるセカンドシーズンではウロボロスからの敵を相手にラストで一大バトルが繰り広げられるけれど、それで終わりとはならず引きがあってサードシーズンの到来なり、劇場版の制作なりがこれはあるぞと予感させる。いつになるかはともかく期待して待とう。やっぱりブルーローズは可愛いなあ。そしてクーリッシュよりはペプシNEXが似合うよなあ。

 原画展を見てからこれはやっぱり見ておこうとNetflixでおさらいを始めた「黒子のバスケ」もほぼほぼ観賞を完了。黄瀬から緑間ときて青峰に敗れてもウインターカップで巻き返して青峰を最初に叩き難関だった紫原も乗り越えていく展開はなるほど“キセキの世代”でも脇にあった黒子テツヤが主役へと躍り出ていく物語でもあるけれど、それよりもやっぱり火神という新しい才能が登場しては芽吹き成長して“キセキの世代”すら突破していくストーリーだったような気がする。むしろそっちをメインにしたかったのかもしれない。

 けれど、キャラクター性で圧倒的に“キセキの世代”が上を言ってしまったからか、そっちがメインになってしまった感じ。「LAST GAME」なんて中学で分裂してしまった“キセキの世代”がもしも1つにまとまれば、ってファンが見たがることを優先した感じだものなあ。その影で火神は存在感がサブに回ってしまった雰囲気があるけれど、それでもアレックスという希代のメガネっ娘(って年でもないか)を作品の中に呼び込んでくれたから存在に意味はあったと思いたい。

 作中にはあとリコとか桃井といった女性キャラクターも結構登場して魅力を振りまいてくれているんだけれど、そうしたキャラの原画ががサンシャインで開催中の原画展にはそれほど飾られていなかっのは、だからやっぱり“キセキの世代”の男子たちが放つ強烈なキャラクター性こそが作品のウリだという認識が、作り手にも受け手にもあるからなんだろう。そういう需要が売れる要素だった時代は果たして今も続いているのか。「アオアシ」とか「ダンス・ダンス・ダンスール」といったスポーツ漫画のアニメも続々登場する中で、次に来る「黒子」「ハイキュー!!」的な売れ方をするスポーツアニメは何か? 見守りたい。

 「デカルチャー!!ミクスチャー!!!!!」をやっと買う。どっちってフロティア盤にしたのはエクストラのメドレーでワルキューレの楽曲をシェリルとランカがどう歌いこなしているかを聴きたかったから。フロンティアの曲はとてつもなく聞き込んでしまった関係もあってそれをワルキューレの5人が分割して歌った場合にちょっとばらけた感じがしてしまうかもと思えてしまう、その一方でワルキューレの楽曲をそれこそ美雲とフレイヤが2人で歌う感じでなおかつシェリルのソウルフルな雰囲気もまとったパワフルさ、ランカの愛らしさでどうさばくかが気になっていた。結論としてすばらしかったので今度はワルキューレがシェリルとランカの歌をどうパート分けして歌うかも聴いてみたい。結局買うんだろうなあ、デルタ盤も。そういうものだ。


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