縮刷版2023年3月中旬号


【3月20日】 日本経済新聞から去年は記者が40人くらい辞めて、そして今年もすでに10人くらいが辞めるといった話が経済誌に出てちょっとした賑わいに。200人が一気に辞めた名ばかりの全国紙についてはたいした記事は出なかったけど、そうなって不思議はない状況だったのとそうなったところで影響はないと思われていたから扱いが小さかったのも不思議はない。ただ日経は一応は経営は好調で給料だって30代で1000万円は超える好待遇を蹴って出て行く記者が若手のみならず中堅にも及んでいることが、意外感を誘っているらしい。

 同時に新聞記者という旧態依然としたガバナンス下での働きが現状にそぐわなくなっているにも関わらず、改めようとしないどころか純粋培養されたかのごとくに灰汁だけを残すような幹部経営陣のスタンスが、息苦しさを超えた窒息状況を招いて現場を殺しかかっていてこのままでは本当に死んでしまうと逃げ出しているのだろう。ただでさえ本紙に産業にMJにヴェリタスと書くべき紙面が多い上に、ネットが加わって24時間の出稿を求められれば現場だってたまらない。それでいて日経というブランドというかプライドから他紙に負けることはおろか同時掲載すら点数にならないといった雰囲気で、記者も疲弊が激しいのだろう。

 誤字脱字があっただけで説教され日勤教育を受けさせられるなんてどこの鉄道会社だ。結果として大勢がなくなる重大事故を起こしたその鉄道会社を指摘する記事だって書いていた新聞社が同じような指導を続けていればいずれ現場にとてつもない事故が起こる。それを察知して逃げ出す記者が多いってことなのかもしれない。人数が減れば残る人間にかかる負担も増えてそしてミスは増えオリジナルは減り紙面のクオリティは下がって売れなくなり人を削減してさらに現場が忙しくなって疲弊する悪循環。どこかで止めないと拙いとまずは媒体を削る方向へ向かうんだろうなあ。MJあたりかなあ。

 縮小からの品質低下からさらなる縮小といった悪循環については、規模は数百分の一ではあっても似たような自体を見て来ただけに将来のヤバさもよく分かる。そうした経験を得てなお親会社は似たようなことをやってミリオン割れ必至となっているのを同じ大手町で見ながら手を打てない新聞の未来は……ってその前に消えるのは大手町でも東京駅により近いところなんだろうけれど。とはいえ日経の日銀キャップとか朝日の有名記者と違ってジャーナリストとして活躍できる人がどれだけいるかというとそこはなかなか。虎の門とか花田とかで同じ事を書き続ける人はいるんだろうけれど、って他人のこと言ってられないなあ、そこにすら及んでないわけだし。頑張ろう。

 軍事施設であろうと他国にいきなり攻撃した訳だし、そうした理由として行われた経済封鎖もすでに他国を侵略したり傀儡政権を立てたりして無茶をやり過ぎていたからで、その責任を口にせず覗き眼鏡でその部分だけを見て軍事施設に攻撃をしたのだからウクライナでロシア軍が行っているものと真珠湾攻撃は違うのだと言いつのっても世界は納得しないだろう。ウクライナへの攻撃だってピンポイントで見れば軍事施設の攻撃だった訳で。

 にも関わらず発言力を持ったタレントが伝播力を持ったテレビの地上波で堂々とそうした意見を開陳して咎められず一部に讃えられる状況こそがメディアの凋落を表していると言えそう。それが大勢の離脱で話題のテレビ局だかからなのかメディア全体に当てはまることなのか。後者だと厄介なのでせめて一部の戯れ言として収まって欲しいもの。とりあえず国会でゼレンスキー大統領が何を言うかに注目だ。安倍元総理を名指しでプーチンのマブダチ呼ばわりしたら愉快だなあ。

 イオンシネマ市川妙典で「KAPPEI カッペイ」。若杉公徳さんの漫画を原作に「終末の戦士」として育てられた子供たちがおっさんになって地球に終末は来ないからと施設から放り出されて現実を目の当たりにして狼狽える様と、そして現実とのギャップに笑いつつ純粋培養の心が恋愛にどぎまぎとする様に身もだえする内容をしっかりと映像にしていて見ながら笑って身もだえした。伊藤英明さんは腹筋がややゆるめだったけれど山本耕史さんはしっかり引き締めていたのは「鋼の錬金術師」のアームストロング少佐役も近かったからか? とりあえず上白石萌歌さんが最高。あと浅川梨奈さんが藤原書記みたいなおバカキャラじゃなく知的なメガネ美少女で良かった。身悶えが勝った1回目より冷静に見られるのなら2回目も行ってみるか。


【3月19日】 東映アニメーションが夏に公開を予定していた「ドラゴンボール超」の劇場版が公開延期になったとか。理由は最近あったシステムへの不正アクセスが原因らしいけれどもそれが外からのものなのか中からのものなのかが明らかにされていない上に、どういったシステムに影響したから制作が滞っているのかが分からないのでどこまで影響が広がるのかがちょっと見えない。当初挙げられていた「プリキュア」だとか「ONE PIECE」といった毎週放送の作品から劇場版へと広がったからには、劇場版「ONE PIECE」だとか「SLUMDANK」にも遅れが発生するのか。それによって業績も変わって来るだけに不正アクセスした罪は重そう。はやく摘発されて欲しい。

 ただ外部から穴をくぐり抜けて不正アクセスをして何をいじればこうした遅れが出るのかが分からない。制作の人たちが普段使っている作画用のマシンの設定を変えたところでそれぞれが手直しすれば大丈夫だし、データをとばしたとしてもバックアップがあるだろうからすぐに復帰できるだろう。そうしたシステムにそもそも外からアクセスなんて出来るのかということになると、誰かよからぬ考えを催した人が中にいて行きがけの駄賃ばかりといろいろイジって逃げたといったら話も結構大事になる。そうした影響を鑑みて不正アクセスの実体を説明していないのかもしれない。

 そうした内部の人がトバすとしたら誰にどんな仕事を割り振っているかとう進行表をまとめて消し飛ばしてしまったのかなあ。今時のアニメだと原画を5人で仕上げて動画も同じくらいでせっせを描いてなんてことはなく、撮影だとか仕上げだとかを含めれば数百人が携わっている。そうした仕事の割り振りを1人の制作進行が覚えておくなんて不可能。回収にあたろうとしても孫受けあたりまでだと追い切れないとなると調査して精査して集めていくより他にない。そうした後れが積もり積もっているのかなあ。いずれにしても他のアニメ会社では起こりえないことでもないだけに、ちょっと注意が必要かも。ロシアからのハッキングだったら日本のアニメの影響力も高いという証明だと喜び……はdけいないよなあ、やっぱり。

 好天に誘われ池袋へと行きTOHOシネマズ池袋で上映している「Adam by Eve;A lLive in Animation」を見に行くついでに池袋を散歩。キッチンABCでお昼ご飯にしようかと言ったら大行列が出来ていたのであきらめて、東池袋大勝軒の南池袋店へと入っていつものラーメンを戴く。甘みのあるあのスープが僕は結構好きなのだ。そのままサンシャイン通りあたりに行くとラーメン屋に軒並み行列が出来ていたのはそれだけ流行のラーメン屋が多いってことなのか。隣のラーメン二郎にもそういえば行列が。けれども大勝軒はなし。みんな東池袋の店に行っているのかな。アニメイトの前を通ったらビルに覆いがかかっていた。本格的な工事が始まるのか。店は閉めずにそのまま工事していくのか。周辺でいろいろやってるお姉様方には象徴な店だけに締めて別の場所で再開まで運営って訳にはいかないのかな。

 さても見た「Adam by Eve;A lLive in Animation」はEveというシンガーソングライターのPVによく参加しているWabokuさんの「退屈を再演しないで」がラストに流れてWabokuさんテイストが出ていて良かった。その前に流される「呪術奇譚」はテレビアニメ「呪術廻戦」の第1クールに使われた主題歌だけどアニメの迫力たっぷりスピード感ばっちりの映像とはまた違った、今回の映像の象徴ともいえる一つ目の謎めいた人物を巨大な神像めいた形で据えてあってPVとは違った雰囲気を味わえた。サウンドはやっぱりカッコ良いなあ、第2クールの「VIVID VICE」より好きかもしれない。こっちはこっちでOP映像は好みなんだけれど。

 そんな楽曲群の中でも「日本アニメ(ーター)見本市」に参加していた吉崎響監督による「暴徒」が映像的にもスタッフ的にもハイカロリー過ぎ。流れるスタッフリストの長さにまず驚いたし、その中に松原秀典さんがいるし前田真宏さんがいるし鈴木俊二さんがいるしげそいくおさんがいるしと超絶アニメーターが並んでる。だからよく動き激しく動きとにかく動いてバトルもしたりする。それでいて吉崎さんの「ME!ME!ME!」と同様に美少女たちの集団でのくねくねダンスも見られるという素晴らしさ。それが大画面で大音量で見られるので期間延長されたのを機会に、劇場に足を運んだ方が良いと激推ししたい。もう1度くらい見に行きたいな。


【3月18日】 38度まで上がったと思ったらすぐに37度以下に下がって副反応もどうにか落ち着いた様子。熱があったら遠慮した「生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展」を東京都現代美術館へと見に行く。開幕は明日からだけれども取材ということで中に入って見たのは紙に書かれた設計図だとかスケッチだとかイメージボードの類。特撮関係の展覧会というと撮影用のミニチュアだとか小道具だとかが並んでいかにも映画関連の展覧会といった雰囲気を醸し出すけれど、井上さんの場合は美術監督としてミニチュアの設計図を描きあちこちに頼んでセットや小道具を作り撮影にあたってどう見えるかを考えた人。その人がいたからこそ特撮の映像が人工物の上で撮られたものでも本物っぽく見えたのだろう。

 もちろん小道具とかセットとかでも手を抜かなかった人らしく、姪の人が話していたのは例えば「日本海大海戦」ではバルチック艦隊とか連合艦隊の配置をしっかりと書き込んではいつ沈んだかまで把握して撮影に臨んでいたらしい。そうすることによって時系列も状況も見え方も含めて本物の海戦っぽくなった。小道具だからといって手を抜けばそこに何か腑抜けた雰囲気が映ってしまうんだろう。逆に魂をこめれば魂が映る。精神論だし迷信に近いけれどもやっぱり人はそうした敏感を察知する生き物ということなのだ。たぶん。

 展示物では「空の大怪獣 ラドン」で使われた西鉄福岡あたりを再現したミニチュアセットが改めて組まれていたのが大注目。もちろん映画で使われたものではないけれど、井上さんの本物とを突き詰めるというポリシーを後世に受け継ごうという展覧会で適当なものを作ってくる訳がない。三池敏夫さんの特撮研究所が中心となって当時の雰囲気そのままに作り上げたセットはそのまま撮影にも使えるんじゃなかろうか。上からラドンをドーンと落としてドカンドカンと爆発させたら楽しいだろうなあ。でもやらない。しかしあれだけのセットをこれからどこに保管するんだろう。展覧会が終わったら須賀川の特撮ミュージアムに持っていくのかな。

東宝の特撮に縁の人の展覧会を見た日に、東宝の特撮で大活躍した宝田明さんの訃報が流れてある種の時代の区切りってものを思い知る。「ゴジラ」に出演してから幾年月、若者はダンディなおじさんになりおじいさんになっても衰えるところを見せずプロデュースをした映画でとてつもなく歳の離れた人と共演していたらしい。その映画も公開が近づき舞台挨拶を行った矢先の訃報。映画の行方を見届けられなかったのは残念だろうし、井上泰幸さんの展覧会に足を運んでもらえないのも寂しい。そういえば日比谷シャンテで「ゴジラ」の4Kリマスター上映があった時に登壇された姿を見たのが自分にとって唯一の拝謁か。ギャレス・エドワーズといっしょに並んでうれしそうだったなあ。これまでありがとうございました。

 人前に出るのでスーツでも着るかとちょっと前に買った6ABのスーツを着たらちゃんと着られた。去年後半あたりからずんずんと太くなって6ABではお腹が入らなくなり、7ABにサイズアップしたけれど、さすがにこれはまずいと年明けから夜に食べるものから白飯をはずしカップ焼きそばも食べなくして千切りの大根だとかキャベツを主食代わりにかき込んで2か月ちょっと。出っ張っていたお腹も引っ込んで6ABが入るようになってどうにかこうにか一安心。とはいえこれでは太っていた時に買った7ABが逆に大きくなってしまってちょっと困る。さらに痩せるかこのあたりで留めるか。バランスが難しいなあ。

 日経で日銀のキャップをやっている記者が辞めるといった話が週刊誌に書かれたり、東西の記者が10人くらいの単位で一気に辞めるといった話しがSNSに流れたりする状況に、いよいよ日本の新聞業界も末世状況へと足を踏み入れた模様。というかとっくに踏み入れていたんだけれど、残っていた人材だとかそれなりに儲かっていた時の貯金とか、古い人たちの信頼によって支えられていたものがガラガラと崩れ去ったという印象。東京工業大学の西田亮介准教授もSNSに「新聞紙はそもそももう読まれておらずDXは日経を除き失敗、頓挫。既に支局網、記者配置も縮小傾向。ネットメディアはコスト高で報道に関心なし(オピニオンのみ)」と指摘。お金をかけて人を育てて緻密に情報を集めて取捨選択して伝えそれを受け取る側も尊ぶサイクルが経たれた果て、誰も弱者によりそって問題を暴き世に伝えて人々を幸せにする報道に取り組まなくなった世界が果たしてどれだけの暗さに溢れているかを考えると夜、寝られなくなってしまうなあ。どうしてこうなってしまったんだろう。


【3月17日】 地震の情報もある程度行き渡ってさらなる余震もなさそうだったので午前4時に就寝。そして見た夢がたぶん高校生くらいの時に学校でワールドカップを見に行くことになって出かけた先がやっぱりどこかの学校なんだけれど、そこの教室を出て渡り廊下に出たらなぜか峡谷にかかる細い吊り橋で、そこを渡って向かいの校舎へと行ってそして廊下を歩いて反対側にある渡り廊下に戻ってきたら、そっちは割と太めの吊り橋だったとうその意味はまるでさっぱりわからない。夢って直近の出来事が出てくることが多いから背景が想像できるんだけれど今回ばかりはなあ。サッカーは直前まで見ていたアーセナルとリバプールの試合のせいかな。リバプール強かったけど南野拓実は出ず。カップ戦であれだけ活躍しているのにプレミアリーグは厳しいねえ。

 ウクライナのゼレンスキー大統領がアメリカの議会で支援を呼びかけるさいに911とそして真珠湾攻撃を持ち出して、国が奇襲を受けるようにして攻められることの恐ろしさであり憤りを表明したことに、日本のとりわけライティな層が真珠湾といっしょにするなと吹き上がっている件。そうなるだろうと予想していただけにそうなったことに驚きはないけれどもそうなると思えてしまうくらいにそうした意見を持った人が、今の政権にいることが透けて見えてしまう状況がやっぱりどうにも心痛い。

 白人の国々に騙されたとか追い詰められた挙げ句の自衛行為だといってあの戦争そのものを正当化する人の多さはわかってはいたもの、以前は決して主流ではなかったそうした意見が今は政権中枢にいる人のお墨付きを得て広まっているところがあるから厄介。これで果たしてゼレンスキー大統領音国会での演説が実現するのか。そこで本能寺の変とか承平天慶の乱とか持ち出していろいろ語ってくれる楽しみがあるだけに、ちゃんと実行されて欲しいなあ。

 ヤバいのはあの国がハッキングにも長けていた入りすることで、日本の国会が中継でのゼレンスキー大統領による演説を認め議場にモニターを持ち込み、さあ中継というところをハッキングして現れたプーチン大統領が「勝海舟を思い出して欲しい。1868年3月13日、あの素晴らしい日のことを。薩摩藩邸で面談した西郷隆盛と共に守った江戸城無血開城のことを」と言ってウクライナが無血開城すれば江戸と同様に焼け野原にはならずウクライナも開国した日本のように発展するぞと訴えて、なるほどと納得する人は……さすがにいないか。でもそこまで調べてきたらちょっと感心してしまいそう。果たして。

 わらじかつが乗ったカツ丼が松のやで提供されるということで、ついでに海浜幕張あたりのモールも覗いてくる予定で幕張本郷まで行ったものの、ファイザー3回目のワクチン接種の影響で間接が痛かったりして身動きがとれず、松のやでカツ丼を食べてそのまま引き上げる。2枚盛りなんてものも出ているけれども1枚で十分というか、わらじという割には叩いてのばしている感じがなく、割と厚めで大きいとんかつが乗っていた感じ。卵でとじてないたれカツ丼なのでさっぱりしていたのが幸いか。あれは柚子かなにかの皮の千切りがさっぱり感をさらに増していた。調子が良かったら2枚にも挑戦できるかなあ。想像できないなあ。


【3月16日】 ちょいと2時間寝ようとしたら12時間寝てしまってすっかり朝。東京アニメアワードフェスティバル2022でいろいろと取材した疲れが1日置いて出たんだろうけど、あれくらいで疲れるならもはや普通の勤め人など無理だろうと思う一方、出ずっぱりで仕切っていたフェスティバルディレクターの竹内孝次さんとか還暦も超えているのに元気すぎると思うと、歳よりもやる気の方が重要なのかもしれない。それともアニメーションの制作出身者はタフなのか。タフでなければ生き残れないのか。

 途中をすっ飛ばしている気もするけれども川原礫さんの「アクセル・ワールド26―裂天の征服者―」(電撃文庫)を読んだらいろいろと大変なことになっていた。ハルユキが黒雪姫と再出発させたネガ・ネビュラスを抜けて加速委員会を裏で仕切っていた白の王のオシラトリ・ユニヴァスへと移籍するのも大事だし、そこで受けた逆恨みのような仕打ちも大変だったけれども巻末に繰り出された次元が変わるような展開に、26冊かけて描いてきた作品がここからさらに苛烈で過酷な内容へと進んでいくことが予想されて目が離せなくなった。

 せっかく黒雪姫と接近できて接触までできたのに別のレギオンになってしまったハルユキが、そこではある意味で雑魚だというのも驚きだっただけにそんな末端キャラクターに対応なんて不可能だろうという状況を果たして主役としてどうくぐり抜けていくのか。そこはメタトロンをはじめとした超越的な存在から慕われるハルユキに特殊性がうまくはたらいて、新しい展開の中でもそうしたネットワークを作り上げてくぐり抜けていくのかもしれない。肉丸以来の小太りヒーローがもたらしてくれる希望をこれからも与えて欲しいと今はお願い。

 ウクライナのゼレンスキー大統領はイギリスの議会やアメリカの議会で演説をして窮状を訴え続けている流れで、日本の国会でも演説をしたいといった声が寄せられている中で日本の国会には中継施設がないとかいった理由で躊躇の姿勢を見せているらしい。ロシアを国境を接していて北方領土という問題も抱えている中で刺激をしたいくないといった内心もこれありで理由をつけて遠慮願っているという可能性もあり、そうした事情を踏まえつつ双方から意見を聞くのが妥当だけれども一方的になるならここは遠慮したいというのも半ば本音で半ば建前のような理由になりそう。

 とはいえ、世界の潮流が反ロシアに向かう中で躊躇いから親ロシアのレッテルを貼られた場合の国益への影響を考えると、とりあえず双方に依頼をする形でロシアが断ることを見越してウクライナだけに語らせるというのも可能なんじゃなかろうか。施設がなければ入れれば良いだけだし。ライブ会場にだって大きなLEDモニターが設置可能なご時世に国会で大勢が演説を見られないなんてことがあって良いはずないし。残るはゼレンスキー大統領が米議会でロシアのウクライナ侵攻を真珠湾攻撃に例えて「真珠湾を思い出してほしい。1941年12月7日、あのおぞましい朝のことを。あなた方の国の空が、攻撃してくる戦闘機で黒く染まった時のことを」と言ったことかなあ。あれを聖戦と讃える人が日本の国会議員やら与党の大幹部やらにいそうなだけに。

 とことことイオンモール船橋まで歩いて新型コロナウイルス感染症のワクチン接種3回目を受けてくる。前は中山競馬場の大規模接種だったけど土日だけではいっぱい集まる関係で結構大がかりだったものがイオンモールでは連日隅っこをつかって小規模に行われていた感じ。時間制になっているから行列ができるということもなく、すっと入ってすっと問診を受けてすっと接種してもらってものの30分もかからず終了。とことこと歩いて帰ってそのまま副反応を警戒しつつ食料を買い込んで籠城に備える。前回も12時間くらいで熱が出てきたから今回もそれくらいを予想して備えたい。なんて思っていたら日付が変わる前に地震発生。本が崩れなかったので東日本大震災よりは軽いけどそれでもさらに本震があるかもしれないので警戒を続けたい。


【3月15日】 14日まで開かれた東京アニメワードフェスティバル2022ではコンペティション部門というのがあって、世界中から寄せられた作品を審査して表彰を行っていた。長編アニメーションは4作品が上映されて、チェコ出身のミハエラ・パヴァラートヴァー監督による「マード 私の太陽」が長編グランプリを獲得。アフガニスタンの男性に嫁ぐチェコ人の女性の話で待ち受けている困難を描いたあたりがとても今日的だった模様。 審査にあたった「鹿の王」の安藤雅司監督は「今の事情に対し何を訴えるべきか訴える力を持っているかが『マード 私の太陽』の中にあった」と話していたので、見るときっといろいろと思うこともありそう。

 来日は叶わなかったけど、ビデオメッセージを寄せたミハエラ・パヴァラートヴァー監督は「親密な家族のありふれた日常生活を描いた作品。ウクライナの戦争でヨーロッパは危機に瀕していますが、政治家には普通の人々の立場を考えて欲しいと強く思います。戦争はいらない」と訴えていた。政治的なメッセージを喋るかどうかを考えた上で、やっぱり今というこの時代だからこそ言わなければということでコメントした模様。勇気ある発言だと讃えたい。

 短編部門はバスティアン・ヂュボア監督の「語らない思い出」がグランプリを受賞し、ジョウ・ハオラン監督の「小さなカカシのものがたり」が優秀賞を獲得。長編部門優秀賞はセザール・カブラル監督「ボブ・スピット―人間なんてクソくらえ―」だった。ブラジルの作品らしくブラジル大使館から人が来てトロフィーを受け取っていた。確か「父を探して」のアレ・アブレウ監督もブラジルの人、「日本でブラジルの作品が評価されることは嬉しい」というのも確かだけれど、そんな日本が見習わなくてはいけない作品だって生まれていることをブラジルは誇るべきだし、日本は学ぶべきなんじゃないかな。

 学生賞はペク・ギュリ監督「HIDE AND SEEK」で豊島区長賞は伊藤瑞希監督「高野交差点」が受賞した。豊島区長の名字が高野というのは偶然だけれど何か面白かった。劇場上映されたり、テレビ放送された作品から選ぶアニメ オブ ザ イヤーの贈賞も行われた。劇場映画部門は「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が受賞。総監督を務めた庵野秀明が個人賞として原作・脚本部門と監督・演出部門を受賞しており作品として三冠に輝いた。テレビアニメ部門は「呪術廻戦」が受賞した。でもやっぱり庵野監督は登壇せず。そういう人だから仕方が無い。

 劇場版をテレビ向けにした「無限列車編」や「遊郭編」が放送された「鬼滅の刃」関連も高い支持を集め、個人賞のアニメーター部門で松島晃が3年連続受賞。美術・色彩・映像部門では撮影によって独特の映像を作り出した寺尾優一さん、音楽・パフォーマンス部門で梶浦由記さんと椎名豪さんという、いずれも「鬼滅の刃」に携わったスタッフが受賞した。贈賞式には寺尾氏が登壇。20年くらいデジタルや撮影について突き詰めて来た家庭を振りかえり、今も毎日のように仕事に励んでいる仲間に感謝しつつ、代表して受け取る意義を話してた。

 曰く「ぼくやぼくたちはアニメを作ることが本当に好きなのです。アニメ作りに人生を懸ける価値があると思っています。お越しの皆さんもそうでしょう。凄く楽しいことです。普段、僕はこういうところに来ることはくて、今も現場が気になりますが、それでも来たのは僕たちがアニメが好きで頑張って作っていることを、たくさんの人に知ってもらえる機会だったからです。本当にありがとうございます。撮影職という見えづらい仕事を発見して評価して下さった審査員にお礼をお伝えしたい」と挨拶した。いろいろあったufotableだけに思うこともひとしおだったのかも。

 功労賞の顕彰も行われた。広島国際アニメーションフェスティバルで長くディレクターを務めたアニメーション作家・プロデューサーの木下小夜子さん、「巨人の星」「荒野の少年イサム」の原作漫画を描いた川崎のぼるさん、東映アニメーションで数々の人気アニメ作品をプロデュースし、監督も務めた森下孝三さん、「科学忍者隊ガッチャマン」などの原画や作画監督を務め、渡米してディズニー・コンシュマー・プロダクツでもアーティストとして活躍した宮本貞雄さん、人形美術家の保坂純子さんイラストレーター・歌手・舞台女優・画家として知られる水森亜土さん、声優で「千年女優」の立花源也や「機動戦士ガンダム」のリュウ・ホセイ役が有名な恟コ三んが受賞していた。

 顕彰式では、川崎さんが顕彰者を代表して挨拶に立ってまずは「他の方々はアニメに携わりアニメ界の発展に尽力されたと思うので、この賞を受賞されるのは当然ですが、僕の場合はアニメに携わったことがなく、この賞の話しを戴いたときはなんで僕がと驚きがあり、待って下さいと尻込みもしました」と発現。それでも「巨人の星」であり「いなかっぺ大将」といった作品は漫画があってアニメになって今も強く心に残っているのだから、原作者がアニメに貢献したことは間違いない。その意味での受賞となったことと受け、「はるか昔に僕の作品をアニメ化してくださったアニメーターの方々や関係者の皆様に心から感謝したい」と挨拶して喜びを表してくれた。怩ウんは車いすに乗っての登壇だったけど、まだまだ健在なところを見せてくれた。お声、聞きたかったなあ。


【3月14日】 今日も今日とて東京アニメアワードフェスティバル2022へと出向いて「YOUNG POWER2022」では6校から6人が登壇して6作品を上映。全員が女性というのは時代なんだろうか。商業の現場でも女性の作画や演出家や監督が増えているのだろうか。いしづかあつこ監督、今千秋監督、山田尚子監督、山本沙代監督らに続く才能が陸続と生まれつつあるのだろうか。気になるった。

 そんな「YOUNG POWER2022」で上映の女子美術大学・西郡優喜子さん「あじをみさせて」はパフェを食べる男子を向かいから見るロトスコから描かれた女子の表情や仕草が良かった。パフェに乗った桃が美味しそうだった。でも男子がパフェを食べ女子は飲み物だけ。ダイエット中? この「あじをみさせて』にはボンズの南雅彦代表が「桃の美味しさが出ていた。音楽に空気感が出ていた」と褒めつつ「アニメーションの柔らかさが出ていれば女の子の可愛らしさが見えた」と指摘。りょーちもさんは「桃の切り口の赤いのが染みていく感じに引き込まれた」と話してた。

 多摩美術大学から参加のオウイリョウさん「蠱(コ)」はblender制作での3DCG作品。アイドルなりクリエイターにファンがつくも派閥が出来て争う様が描かれていたらしい。中国ではそういう動きが良く起こるそうな。りょーちもさんは「独自性があって魅入られた」と講評。南雅彦さんは「そこに自己はあるのか」と質問。答えてオウイリョウさんは「現象を客観的に表現したので自己は入っていない」とのこと。見る人がそこに自己を投影して推しを奪い合う自分を省みるのが「蠱」の味わい方なのかもしれない。写実的ではなく象徴性が強いのでその辺り、わかって見るのが良いだろう。

 東京藝大院の修了制作展でも見たオダアマネさん「HA・NA・KU・SO」をりょーちもさんは「ここで泣かされるとは!心奪われてしまった」と絶賛。「1つの劇場版を見たよう」と言うくらい色々な人生の絶望から希望が描かれる。りょーちもさんは食品配達員が荷物をぶちまけた様にパンチを食らったとか。南雅彦さんは、酒もタバコも取り上げられたお爺ちゃんに感情を引っ張られた様子。「凄く単純な絵に中で口元とか目とか鼻くそをほじる時の鼻の動きが妙にリアル で、目が引かれていく」と表現力を褒めていた。ラスト、好きと言った女子が帰された言葉に憮然として喋るセリフが良い作品。見て。

 東京工芸大学からは清水樺子さん「れい子」が登場。自殺してしまった少女が振りかえる走馬燈のような生涯といった展開が、田名網敬一的なサイケ調の絵と暗闇に電話ボックスが浮かび中で声を絞り出す女子の絵が入り交じる不思議なテイスト。りょーちもさんは「イケイケな女の子が自殺するのは何故と思ったがコロナ禍で遊べず転落すると分かり納得」と話してた。南雅彦さんは「色合いがポップで素敵」と言い「電話ボックスに入るところ凄く丁寧にアニメーションとして出来ていた。これは意識して?」と尋ねてた。答えて清水さん「死後の世界なので現実味を持たせた」とシリアスさを与えたことを紹介。だからこそしんみりとしてジンと来るのだろう。不思議な映像と展開の作品です。

 東京造形大学の半田朋美さん「うまとび」はぽっちゃり女子が長身女子と体育で組むも長身女子の作る馬が飛べない物語。南雅彦さんは「しっとりと心に響く作品。休むことで2人が近くなることが絵として表現されていた」とストーリーと表現性を褒めていた。りょーちもさんは「物語に引き込んでいく作り方がうまい」とこちらも好評。あと「1個のアイデアに対する愛情が凄い」とも。日常を切り取って私小説的物語に仕立て上げるアニメーション作家として育っていくかも。プロになるのかなあ。気になった。背の高い女子の可愛らしさにも。絵も描ける人なのかもしれない半田朋美さん。その名に注目。

 最後は武蔵野美術大学の三木和奏さん「どんどこせかい」。フェナキスティスコープありきかと思ったら祭りを描きたいという思いからたどり着いた手法とか。回転する中で変化する絵。りょーちもさんは「かき氷が金魚になるのが可愛かった」と変化の妙味を褒めていた。南雅彦さんは「計算されている感があった」とて指摘。「これのコースターが欲しくなった」と話してた。6作品について「アニメーションって面白いんだとわかった」と南雅彦さん。「自分の中から出して行くところにたどり着いている。どんどん出して行こう」とりょーちもさん。昔だと外国から来たアート系アニメーションのプロデューサーが辛口のことを言って励ましていたけれど、商業系の人の講評だとポジティブな発言が多い印象。それは良いことか悪いことか。ともあれ若手がプロの意見が聞ける貴重な場だけに続いて欲しい。そしてプロとして業界に入っていって硬直した世界を変えて欲しい。


【3月13日】 東京アニメアワードフェスティバル2022でアニメ様が登壇する「漁港の肉子ちゃん」のスペシャルトークイベントを見物。マリアを演じた石井いづみさんが登壇して言うには「小さい時から声優に憧れていて、何かオーディションがないか探していたら、『漁港の肉子ちゃん』を見つけました。応募締切の2時間前で、kろえは受けなきゃと思ってお母さんに無許可で応募しました」とのこと。それで1500人くらいの中から合格してしまうんだから余程の実力の持ち主だったということだろう。

 そんな「漁港の肉子ちゃん」について知っていたかというと石井さん。「内容は分からなかったです。肉子ちゃんという不思議な人が魚釣りをしているような作品だと思ってました」。そんな石井さんをどうして渡辺歩監督は選んだのか。「キャスティングについては様々な選択肢がありました。1つのアニメーション栄華にするにあたって、アニメらしいデフォルメされた世界にするか、リアルお芝居で表現するか、選択肢があったのですが、様々な役者から大竹しのぶさんやCocomiさんが決まって、リアルな方向が良いということになりました」と渡辺監督は明かしてくれた。

 「重要だったの、原作の西加奈子さんが我々に作品を預けて戴くにあたって、新しい才能に光を当てて欲しいということでした」。そうした中mマリア役で「新しい才能として、まったくの開花していない才能を見つけ出そうとオーディションをしました」。そこにうまくハマったということだろう。もっとも、決まってからも大変だった。「緊張しました」というのは当然として「周りの参加者が絶対に巧い人たちばかりですから、頑張りました」と前向きに望む芯の強さは持っていそう。トークイベントでも臆さず堂々と喋っていたからそこはやっぱり“役者”なのだろう。

 そうした演技に渡辺監督。「”かんにん”といったセリフはアドリブです。突然のオーダーをちゃんと役を外さない状態でやる。エクストラのセリフをやりきれるのは元々持っているポテンシャルが高いから」と激賞していた。受けて石井さん。映画を観て「自分の声が恥ずかしかったですが、もっとこうした方が良かったという反省点があったりします」とこれまた前向き。素直に素敵に成長していった声が聞きたいなあ。

 あと大竹しのぶさんについては「予告篇の特報を録る時に、彼女が用意してきた声が何種類かあったんです。それがある程度の年齢と、そこまで生きてきた過程を加味していたものだったんです。あとは高いか低いかを調整しただけでした。ものすごい精度で入って来たと第一声を聞いて思いました。ちゃんとなっているとさんまさんも思ったのではないでしょうか」と渡辺監督は話してた。

 「プロですと機械的に録ってしまうことがあるんです。こういう役のこうした雰囲気ならこういう声だねといった。○○のキャラみたいにやってとそれにハメるとか。でも、彼らは役を分析して探りながら自分のところに引き寄せる作業をするんです。そうした覚悟が最終的に映画に力を与えてくれました」と渡辺監督。俳優が声優を演じるのはだから声音だけでなく全身でその役になることを意味するということなのだろう。それは声優さんだって同じはず…なんだけれど聞き手がある種のテンプレートにハマっているかどうかで判断しがちな中でそちらにすり寄ってしまい、そんな結託から外れた俳優の演技を耳慣れないと思っているだけなんだろうなあ。

 そのまま夜を迎えて「大塚康生追悼企画―大塚さんを語り尽くす―」を見る。イラン・グェンさん、片渕須直さん、友永和秀さん、富沢信雄さん、本多敏行あんといった日本のアニメを支えた人にフェスティバルディレクターの竹内孝次さん、映像研究家の叶精二さんも交えて3時間も大塚康生と日本のアニメーションについて語り尽くす画期的プログラムを取材に来ていたメディアは2社くらい。そんなものか、日本のアニメメディアって。ちょっと寂しくなった。大手新聞くらい来れば良いのに。

 さて本番まずはイラン・グェンさんが海外から来て研究した成果として大塚康生さんを「大工原章と森やすじとうまったく違う2人の潮流を吸収して統合したものを伝播していった」人物と指摘。それがすなわち今の日本のアニメーションの本流になっているということらしい。ただし東映動画の本流ではなかった。それは高畑勲監督についても言えること。片渕須直さんが言うには「突然変異的に出現した東映そのものへのアンチテーゼ。それは高畑さんの演出もそうだった」とのこと。「よく東映動画と虫プロの対立という構図が語られるが、そこで東映の中にいた高畑勲監督や大塚康生さんといった異端児達が東映を代表していると見られるのは違う」と片渕さんは話してた。

 どちらかといえば宮崎駿監督の方が東映動画的でも長編アニメーションの端正さに憧れ入った口なんだってことは昨日の安藤雅司監督が話していた。今に有名な人たちがそこの出身だからといって、そこを代表しているとは言えないところに当時の才能のバラエティぶりがうかがえる。今は染まりがちだから。それはイベントの終わりに竹内さんが言っていたことでもある。「日本のアニメはちょっとクソリアルに近すぎる。世界を考えた時、漫画という表現が良いかは分からないが、もっと自由だ。楽しいも哀しいも含めて、もっと自由な表現で描いている。キャラクターも自由になっている。日本は硬直している」。

 そして本多敏行さん。「自分はアニメーションってあんまり好きじゃない。漫画映画が好きなんだ。若い人たちが作っているのを見ると、実写を撮って来てはそれを背景にして描いている。アートから離れてしまっている。やっっぱり手で描くのが良い。、自分はちょっと今の方向についていけない。これからどちらに行くのか分からないけれど、漫画映画に戻したいという気持ちがある」。もちろん探せば漫画表現が楽しい作品はいっぱいあるけど、主流めいたところで背景も含めてクオリティをめいっぱい追求した一方でアニメーションとしての新しさや面白さがスポイルされては意味が無い。その案配をどう考えるかってところで大塚康生の仕事は大いに参考になるということなんだろう。

 そのあたり、片渕さんがニモで大勢がアメリカに行ってしまって日本に片渕さんと大塚さんが残って机を並べていた時代に話したことがヒントになりそう。演出をやれそうな人がもう片渕さんくらいしか残っておらず、大塚さんが片渕さんに「お前しかいないからお前がなれ」と言ったたとか。そこで演出家には2通りあって「1つ目は作画が分からない演出で、2つめは作画が分かる演出。パクさんは後者だったがあんたはどっが良いか」と聞かれたとか。「僕は大塚さんが描いているものを動かしていなければアニメーションをやっていなかった。大塚さんの動きに憧れていた。闊達な動きで自由に延び延びを動かすのを成立させたい。ストーリーを作りセリフを言わせて演出だという意識はなかった」。 そう答えた片渕さん。「パクさんもそうだったという話しをもらった。そして『太陽の王子 ホルスの大冒険』で高畑さんがどういう演出だったのかを2人きりでずっと話していた」。

 どこかで講義して戴きたい内容だけれど2にだからこそ分かる話もあるんだろう。あるいは得た教えを作品を通して見せたり、教えている日大芸術学部の映画学科で生徒に示していたりすることでもあるんだろう。「先生をしている映画学科では絵を描く授業が1個もない。映画学科からはアニメーション会社に入って制作進行から演出になるタイプが多い。それなら絵が描けなくても動きが分かるようにならないか」。そう考えたことで、仮現運動といったものを教えるようになったみたい。「大塚さんは動きがわからなければアニメーションの演出家ではないと言うが、描けなくても演出家になっている人はいる」」。 描けない人をアニメーションの演出家に仕立てていく上で、動きについて考えさせることを意識するようになったのは。大塚さんの薫陶のたまものといったところだろう。

 アニメ業界内幕話し的なものもいろいろと出た。竹内孝次さんが尋ねて「『ルパン三世 カリオストロの城』を藤岡豊かさんと交渉して宮崎駿さんで作らせたのは大塚さんでしょう?」と言うと、富沢信雄さんが「たぶんそうでしょうね」と答えていた。そうなんだ? 「『ルパン三世 ルパンvs複製人間』を作って封切りされる前に2本目を作ることが決まっていて、大塚さんが頭を悩ませていた。それである時に宮崎さんに相談したのではないでしょうか。5月頃に宮崎さんがふらっとテレコムに来たんです」と富沢さん。「コナンの本を作ったからと持ってきてくれたんですが、そこで大塚さんが劇場ルパンをやるんじゃないでしょうか、なんて話しをしていたら、2、3週間したら僕がやるよと決まりました」と宮崎さんが言ったと富沢さんが振りかえっていた。

 「『赤毛のアン』の現場は大変だったでしょうね」。そう言う富沢さんも「赤毛のアン」から抜けた1人。「『未来少年コナン』で伸び伸びとやる放題だった後だったので『赤毛のアン』は辛かった。劇場用ルパンをやってみたいと思い、大塚さんの話に乗ってテレコムにいった」という。その頃のテレコムは40人くらいの動画を新人で採用したものの野放し状態。富沢さんは原画を描きながら動画の面倒も見ていた。「動画見て下さいと持って来られるんですが、見始めると後ろに14,5人の列が出来ていた」とか。「社員だったから午前9時半から午後5時半まで見てました。5時半を過ぎないと自分の仕事ができなかった」と富沢さん。「そんな状態でしたが、給料は大塚さんが決めたんです。プロデューサーはいたんですが、あまり仕事をしていなくて、大塚さんが日本アニメーションで幾らもらっていたと聞いてきたので、18万円と答えると、じゃあ20万円だねと」。

 富沢さんが「上がるんですか?」と聞くと「大塚さんは『会社が変わるんだから上がって当然だよ』と20万円に決めてくれました」。19800年のサラリーマンの平均月収が19万1700円だからまずまずかな。そうした役割から「ほぼプロデューサーしたね、大塚さん」。そうした気質は過去の作品でも作業の進み具合や予算を読んで仕事をしていたことも話されていた。動きについても画期的なら進行についても気を配る希有な才能について叶精二さんが「高畑勲展をやるなら大塚康生展をやるべきだ」と訴えていたのもよくわかるなあ。


【3月12日】 日本アカデミー賞が発表になって最優秀アニメーション映画賞には「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が輝いた模様。他にも候補作はあったけれども興行的に最も稼いだ作品が受賞するのはアカデミー賞の性格から正しいのかもしれない。その一方で最優秀作品賞ほか主要部門は「ドライブ・マイ・カー」がほぼ独占。こちらは興行的には振るわなかったけれど作品性が本家のアカデミー賞に認められ、ノミネートされている段階で日本が授賞させなかったら何だって話になるからなあ。そういうバランス感覚は嫌いじゃないけど。

 東京アニメアワードフェスティバル2022へ。「未来少年コナン」の上映後、竹内孝次さんと安藤雅司さんが登壇して大塚康生さんについてあれこれ話すイベントがあって見物した。上映は第2話の「旅立ち」と第3話の「はじめての仲間」。どうしてこれをセレクトしたかについて当時、制作進行を務めていた竹内孝次さんが言うには「2話と3話がコナンのダイナミックで自由奔放な感じを方向付けたエピソードだと思って、これが良いんじゃないかと叶精二さんに相談しました。ジムシーやダイスといったコメディリリーフ的なキャラクターは大塚さんが得意なんですよね。あとまだ宮崎さんと役割が別れていなかった感じがしますしね」とこのことだった。

   受けて安藤雅司さん。「宮崎駿監督とって初めての演出作品だから、大塚さんに任せようという意図があったと思うのか」といった叶精二さんの問いに「大塚さんの経験知に頼りたかったのではないでしょうか。宮崎産自身が作画をやって大変だった。大変だから大塚さんに頼りたかった」。だから二人三脚だったかというと少しちがうと安藤雅司さん。 「後半になればなるほど宮崎案の修正が増えてくる感じですよね。始めのうちは大塚さんに任せていたけれど、後半になるとデリケートな部分があって軌道修正されていくんです」 それはどういったところなのかもしれない。

 安藤雅司さん曰く、「大塚さんは一般的に宮崎駿さんとか高畑勲さんといっしょに仕事をしてきた人だと見られてかたられているけれど、大塚さんの素地は少しちがうところにある。もっとアニメーションに対して実験的で、漫画的なことも許容できた人。俗っぽい部分を持っていた人なのではないかな。それが宮崎さんとと仕事したことでそちらにっちに行ってしまった。大塚さんはクレバーで頭が良い人で教養もあるから、高畑さんや宮崎さんが言っていることが分かってしまう。だから引き入れられてしまったけれど、いろいろと試してみたいこと、遊んでみたいことが多いような人だった気がする」。なるほど。

 受けて竹内孝次さん。 「大塚さんは『西遊記』で燐々を指してあれは凄いなあと盛んに言っていたけれど、大塚さん自身はあそこに行きたいとは思ってない。牛魔王の方なんだよね、大塚さんがやりたいのは。大塚さんはアニメーションそのものと同時に、カメラアングルでも工夫していた。見せ方全体がダイナミックだった」。これに重ねて安藤雅司さん。「大塚さんのは実は精緻なしっかりと引かれたパースではないんですよ。宮崎さんはレイアウトの人で、感覚的にレイアウトがしかりしていてパースもしっかりしている。地面の奥行きとは大胆に奥に向かってはいても、足元の刻み方は正確なんです。でも大塚さんは大胆に乱れまくる。そこにこだわる人ではなかったんです」。

 例を挙げたのが「太陽の王子ホルスの大冒険」。冒頭で狼のシーンの奥に行くうごきについては高畑さんの設計の中でやったものだけれど「犬たちの足元はばらつきが多い。デタラメだけれどあのダイナミズムはそういった乱しがないと生まれないんです。それが大塚さんの良さでもある」と竹内さんは話してた。これについて安藤さん。「大塚さんは切り貼りの名人で、作画監督として上がってきた元がのタップを切って、斜めにして切り貼りをしてそれを使っていた。それが乱れを生み出した。正確さを考える始めるとできないことだけれど、ダイナミズムを年頭に置いてちょっと傾いた方が良いんだということを、大塚さんは出来た」。そんなことをしていたのか。

 「『未来少年コナン』の第3話デロボノイドにコナンが乗って走り回るシーンがあるでしょう。あそこもガタガタとガタと付けているけれど、それがぎりぎち大胆なんですね。大塚さんはタップを貼り変えていると思うけど、単純に上下ではなく左右にもずれている。大胆だけれど気持ちが良いんです」。タップを切ったら間をどうつなぐか規準がなくなる。でもそれを本人は分かって並べてつないで気持ち良い乱れを出せた。単に巧い絵を描ける人ではないってことなのだなあ。

 そしてこぼれ話。「もののけ姫」で祟り神が走ってくるシーンで安藤さんが通りがかった大塚さんに重さを出すにはどうしたら良いと尋ねて、大塚さんは「印象として良くできている原画だ」と言って、でも重さを出したいからと重ねて聞いて「画面動を付ければ良いんじゃないか」と言っただけだったとか。それが後に出たムックを読むと大塚さんは安藤さんに尋ねられ「切り貼りをして歩幅を乱せば良いんだ」とアドバイスしたことになっていた。「そんなこと俺、言われてないよ」と安藤さん。さてどちらの記憶が正しいか。今となっては確かめようがないのが悔やまれるのであった。


【3月11日】 11年前も金曜日だったなあ。そんな記憶を浮かべつつ読んだ日本新聞協会による実名報道への言い訳文で京都アニメーションに対して行われた非道な事件を取り上げて、「京都アニメーション事件」と呼んでいることに対してとてつもない違和感を覚える。これでは物事を真剣に考えているとはとても言えないよ。だって例えばロッキード事件であったりイトマン事件といった企業名と「事件」という単語が結びついた案件は、ロッキード社なりイトマンといった企業が当事者となってその中で行われた企みが露見して問題になった。

 いわば加害側であるからこそのダイレクトな結びつきということでこれが被害者となった場合はたとえば三菱重工爆破事件といった具合にとの企業に対して具体的に何が行われたかが言葉で差し挟まれている。この例に倣うなら「京都アニメーション放火事件」と呼ぶべきであるにも関わらず、法人が犯罪の主体であるような言葉を選んで載せているのはなぜなのか。これで被害者に寄り添っていると言えるのか。そんな思いが浮かんで仕方が無い。

 そもそもが言い訳として上げている、実名だとそこに対していろいろ感情が湧くというのも勝手な言い分だろう。だったら例えばウクライナにおける戦争で亡くなっているひとりひとりの固有名詞を貴方たちは調べて載せようとしているのか。それが匿名であっても仮名であっても幼子である女性である老人である人間であるといった状況を報じることで浮かぶ情動ははるだろう。そうした人々の寄り添う感情を軽く見て実名でなければ同情できないだなんて僭越が過ぎる。ようするにセンセーショナルに報じ情動を煽ることでアクセスを延ばし売上げを稼ぐことが目的でしょ、って言われて反論する根拠にならない。

 実名が必要なのは仮名なり匿名では他に報道被害が及びかねないからだけれど、そうした被害を実名を挙げずとも防ぐ手立てはきっとある。そうした取り組みに向かうことなく実名ありきで議論した結果など意味が無いってことに気づかないから新聞というメディアは、あるいは新聞もテレビも含めた今の報道はどんどんと見放されているってことに気づかないと。これが外国でも実名で報じて報道被害は起きず当該の人たちも迷惑と思わないのはなぜなのかも含め、考えて欲しいけれどそんなことを顧みることはんてしないまま、衰退の一途を辿るのだろう。やれやれだぜ。

 村上“ポンタ”秀一さんの名前をいったいいつごろ気にしたのかとなると思い出せないけれども少なくとも山下達郎さんを聞くようになって、ライブアルバムの「イッツアポッピンタイム」を聞いた頃にはそのライブでドラムを叩いている人がポンタと呼ばれていることに気づいていたような記憶がある。あるいはそれ以前にどこかで見知っていたのかもしれないけれど、音だけならはるか昔から耳にしていたことを東京国際フォーラムで開かれた村上“ポンタ”秀一さんを偲ぶライブで思い知らされた。

 終わり頃になって登場した未唯mieさんが、一青窈さんを迎えて歌った「ペッパー警部」に始まって、大黒摩季さんと歌った「ウォンテッド」とそして森高千里さんと歌った「UFO」と続いたピンクレディーの楽曲が、つまりは村上“ポンタ”秀一さんのドラムにるレコーディングだったってことらしい。テレビの歌番組でも叩いていたかは分からないけれど、そうしたアイドルに始まって大貫妙子さんや角松敏生さんといったシンガーソングライターの楽曲でもドラムを叩いていた村上“ポンタ”秀一さんを僕は音楽の聴き始めから最近までずっと見知っていたってことになる。凄いなあ。

 そんな村上“ポンタ”秀一さんが実際にドラムを叩く姿も渋谷で開かれたジャンク・フジヤマさんのライブで間近に見ていたりするのだった。トリビュートライブの冒頭にはそのジャンク・フジヤマさんが登場して「秘密」を歌い、そしてその声がまるでそっくりな山下達郎さんの「Love Space」も歌ってハイトーンボイスを響かせてくれた。達郎さんにそっくりだったから達郎さんのバックで叩いていたこともある村上“ポンタ”秀一さんがプロデュースを買って出たのか純粋にシンガーとしてのパワーに惚れたのか。分からないけど今もジャンク・フジヤマは声を張り上げシティポップの現在形を形作っている。村上“ポンタ”秀一さんもきっと眺めてやってるねえと思っているんじゃないかなあ。

 ライブではあと一青窈さんの「ハナミヅキ」が聴けたり森高千里さんのドラミングが見られたりして最高だったし生で初めての大貫妙子さんにも見えられて良かった。そして角松敏生さん。体脂肪率数パーセントみたいなほっそりとした体のどこからあんな声が出るんだろう,ってな感じでの歌声を聴かせてくれたし、レスポールが奏でるギターのフュージョンサウンドも聴かせてくれた。バックは音源から引っ張ってきた村上“ポンタ”秀一さんのドラム。合わせるのも大変だったかもしれないけれどバッチリと決まって格好良かった。太くて抜けの良いサウンドはなるほどポンタさん。その音が100年先まで聞けるよう、歌い継いでいって下さいな。


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