縮刷版2021年8月中旬号


【8月20日】 「ホモホモ7」は見知っていた程度でリアルタイムでは読んでおらず、「風雲児たち」も歴史は好きだけれども戦国江戸幕末については散々っぱらドラマや小説や実際の歴史関連の本で見知っているから今さら感もあって手を出していなかった関係で、直接的な影響はなかったけれども「超人ロック」を読みたさに「作画グループ」の単行本なんかを揃えていた中で、耽美だったり美麗だったりする絵にまじってみなもと太郎さんの作品が、かぶと虫太郎さんという似た名前の漫画家と並べて目に入って見知ってはいただけに、その訃報はやっぱり心がキュッと痛む。

 とはいえ決してメジャーとは言えない漫画家さんの訃報でどれだけ世間が騒ぐかと思ったけれど、この20年くらいの間にサブカルチャーやポップカルチャーを伝えることを一般メディアも躊躇しなくなっていたこともあって大手の新聞からスポーツ新聞まで幅広いメディアがみなもと太郎さんの訃報を伝えていた。そんなに世間は「風雲児たち」を読んでいたかは謎だし読んでいたなら今の政治の体たらくにもっと意見も高まっていただろうけれど、そこに至ってないところを見るとリアルタイムでの影響はまだなく読んだ読者が10年後20年後に描かれていた風雲児たちに倣って世の中を改革した時に、漫画の力がようやく浸透したことを感じられるのだろう。未完となったのは残念だけれどここまでの作品だけでも改めて読んで感じ取りたいなあ、この国を本当に良くするための道を、そのために頑張ってくれる人の存在を。

 「読売巨人軍は常に紳士たれ」が守るべき掟のようなもとして存在するからこそ、星一徹は魔送球を邪道と咎められて対談を余儀なくされた訳で、ましてや若い選手に年長の威を駆って暴力沙汰を起こすなんて紳士どころか蛮人の誹りすら免れない中田翔選手を、どうして巨人が無償トレードであっても獲得するかが分からない。そこはいろいろといろいろな方面との付き合いを取り沙汰された原辰徳監督が率いる、すでに紳士たり得ない球団になっているからなのかもしれない。そうした方面との付き合いは中田選手の場合はなかったのかもしれないけれど、粗暴さもやっぱりスポーツマンシップから離れているとするなら例え矯正し更正のために引き取りたいと訴えたとしても、上が厳格に対処するべきだった気がする。とはいえ入ったならあとは紳士となってなおかつ活躍を期待するしかない。どうだろう。

 結論から言えば平野紫耀は爆発しなくてはならないのだけれど、役柄としての白銀御行が役柄としての四宮かぐやとの間に執り行ったことであって、スクリーンの中でのフィクションに過ぎず、そこに一切のリアリティなど覚える必要はないのかもしれないと言えば言えるかもしれないものの、たとえ役柄としては架空でもそこにはリアルな肉体を持った存在としての橋本環奈がいて平野紫耀がいる訳で、その間に執り行われたことは肉体を介在させたリアルな触れあいに他ならないとなると、やはり結論は平野紫耀は爆発しなくてはならないということになる。映画「かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜ファイナル」の話だ。

 一切の介入ができないもどかしさを覚え悔しさに歯がみして地団駄を踏みたくなるのは当然として、全体としては散漫にいろいろなエピソードが連なっているようで最後にひとつのまとまりを見せたあとに大逆転へと至る段取りがしっかりとあって、後から思い返せば通底したストーリーがあったと理解できるようになっている。2回目をみればそこかしこで繰り広げられているエピソードに意味を覚えて、初見では散漫だと思った部分を伏線と理解して楽しめる気がする。

 枝葉のように繰り出されるエピソードでは会計の石上優をめぐる動きがなかなかにピュアで痛さも感じさせる青春ストーリーになっていて、そこに陥ったことに同情しつつそこから脱して向かった先が落ち着くところに落ち着いて欲しいと願いたくなる。単行本なりではまた違ったストーリーがすでにあるのかもしれないけれど、実写として肉体を帯びた石上にはやはり幸福になって欲しいし、それが実を添えて観ている者への救いになる。だから頑張れ。そしてつかみ取れ。

 悪巧みとかき回しが役柄の藤原千花が伊井野ミコを得ていっそうの活躍を見せるかと思いきや、そこを排除する流れにそってドタバタと走り回っていただけというのはストーリーの上では正しくても、その秘められたナイスなスタイルを制服越しに感じ取りたい目にはやや不満も残ったかもしれない。そこは体育祭の中で素晴らしいスタイルを見せてくれたことに免じて許してもいい。エンディングでもダンスを見せてくれたので良しとしよう。

 そうした脇役を文字通りに脇へと追いやり白銀御行と四宮かぐやの丁々発止の恋愛頭脳戦を役柄としてこなす橋本環奈の表情が巨大なスクリーンいっぱいに映し出されることにこの映画の映画としての価値があるとするならそれは十二分に果たされていた。ハスキーな声も柔らかそうな唇もいっぱいの魅力となってスクリーンから場内に放たれていた。それだけに白銀御行であり平野紫耀との間に執り行われた蜜なコミュニケーションに湧く情動の激しさは過去の数多ある橋本環奈の映画でも最大級。そうした覚悟を持ってしても結論としてだから平野紫耀は爆発すべきだという結論に陥ることをここで重ねて訴えつつ、それでもという人は美しさを堪能しに劇場へと駆けつけよう。平野紫耀のファンが橋本環奈にどのような感情を抱いたかは分からないけどやはり爆発すべきだと思ったのだろうか。そこが気になる。


【8月19日】 平べったくなった感じがする割りにフロントグリルがスパルタン過ぎてグリッドが大きく開いていることもあて初代のスマートさからちょっと離れてしまった印象があった7代目のフェアレディZだけれど、それでも先代先々代よりはスマートさが戻って来た感じもあるからこれはこれで良いのかも。フロントグリルをボディと同系色でふさぐカウルとかがあればグッとイメージも引き締まるんだけれど、ツインターボとか積んでいると空気もいっぱい取り入れないといけないんだろうか。でも最近の車は冷却性能も良いからフロントグリルを大きくする必要もなくなっているんである種の飾りだろうからそのあたり、カスタムしてくるところも出てくるかな。まあ値段的にほど遠い車だろうから町を走っていれば眺める程度に楽しもう。

 眺めるといえば子供たちが眺めて親しんだランボルギーニ・カウンタックが復活とかで昔を思わせるフォルムの車がネットとかに出ていたけれどもこれ、ちょっと前に街を走っていたのをみかけたような記憶。あまりにカウンタックしてたんでランボルギーニがカウンタックをリスペクトしてディアブロとかそのあたりを進化させたものかと思ったけれども、明らかに似ていたから試乗車でも出回っていたのかと思ったものの発表までは伏せられていたから、アヴェンタドールあたりを見間違えたのかもしれない。というかやっぱりカウンタックコンセプトの車はずっと作られ続けていたんだなあ。だったらカウンタックとして作れば良かったんだけれど初代のイメージがあまりにも強いとフェアレディじゃないけど何をどう改良しても違和感が生まれるから、やっぱり車名はそれ一台で次に移るのが良いのかも。

 いつものように図書館へと出向いては3時間ほど原稿書きというか原稿の整理をしてだいたいの目星をつけ、そしてフレッシュネスバーガーへと移って3時間ほどかけて細部まで整えて一応提出。とはいえ馴れない仕事だからまだまだ改良の余地もあるだろうから早めに出して対応に備えることにする。フレッシュネスバーガーでは最近ずっとスパムバーガーを頼んでいたんだけれど、最近のメニュー替えでオムレツベーコンバーガーとともになくなってしまってちょっと寂しい。以前もなくなったことがあって希望により復活したこともあるから将来また出てくる可能性はないでもないけれど、数年先になるだろうからそれまではサルサバーガーでつなぐことにする。がっつりと味わいたいならマクドナルドでも行けばいいんだろうけれど、近くのフードコートは混んでていろいろとヤバそう。ワクチンを打って2週間が経って免疫もできてはいるんだろうけれど、罹れば数日は動けないからそうならないよう用心用心。

 そうやって個人がいくら防備しようとも東京都あたりは東京パラリンピック2020に小中学生を動員して見せる気満々。もちろんパラリンピックといハンディキャップを持った人たちでも健常者以上にすぐれたスポーツマンシップを見せてくれる競技を目の当たりにすることはむしろ大歓迎なんだけれど、世が世だけにここは控えて感染して家庭に新型コロナウイルスを持ち帰り、家族で感染して全滅の憂き目に遭うことは避けたいところ。なので墨田区みたいに小中学生の感染を中止にする動きには喝采が出る。それが現場の意向であるはずなのに東京都では現場が感染を望んでいると言いつのっては、教育委員の人たちが全員反対したパラリンピックの観戦を強行する気でいるから不思議。現場とはつまり東京都の教育庁を仰ぎ見ている現場の校長教頭ってことなんだろうなあ。そうした政治が真っ当な判断を曇らせ感染拡大を招いたのはオリンピックを見ても明らかなのに、動き出した歯車は止められず逆向きにできないこの国が、かつてたどった滅びた道をまたひた走る。明日はどっちだ。

 そんな中で千葉真一さんが新型コロナウイルス感染症で死去。82歳だから高齢ではあるものの特に体を悪くして引退していた訳でもないからやっぱりコロナがダメージを与えたと見るのが良いんだろう。亡くならないで済んだ命が奪われるところがやっぱりこのパンデミックの恐ろしいところ。インフルエンザだとかただの風邪だとか言っているけどそれなら治る人でも長期に渡って体調を悪くして体力を奪い死に至らしめるところはまるで違う。だからこそワクチンがあって接種が進められているのだけれども世の中には反対する人もいるから難しい。実際にアナフィラキシーが出て体調を崩された形もいるからそこは完璧ではないし、そうなる可能性が誰にでもあるだけに臆する人が出るのも当然だけれど、事前に分かることでもあるならそこは理解して大丈夫なら接種といった方向にいかないと、収まるものも収まらないような気がしている。いつにどうなるか見えない明日のその向こうに進むしか今はないのだ。

 海の向こうでは大リーグのロサンゼルス・エンゼルスに所属する大谷翔平選手が先発しては完投こそ逃したものの8勝目をあげて登板イニングも100イニングに到達。100打点と100三振を合わせて3つの「100」を記録してあとは打点と得点も達すれば5つの「100」を投打で達成した、おそらくは史上初めての選手になるんじゃなかろうか。個人的には打撃の凄さから、あるいは投手としての存在感から二刀流でいくより絞った方が良い、それが証拠にどちらでもトップ級の成績は残せていないじゃないかと訝ったけれども今季は本塁打で40本まで来てトップを走り打点もトップ寸前。投手としても防御率で7月以降はトップクラスにあって8勝もダルビッシュ有選手とかと並んでいる。つまりは超一流を投打で成し遂げているから世界が驚く。イチロー選手の最多安打記録も凄かったけれどこちらは存在として記録に残りそう。生で見たいけれどそういう時代もコロナが収まってからだろうなあ。世界よ早く治ってくれ。


【8月18日】 アフガニスタンでは内戦になる余地もなく政府軍が瓦解し大統領は逃げ出してターリバーンが実権を握ったようだけど、2001年にアメリカ同時多発テロが起きてアメリカがアフガニスタン情勢に本格介入する以前の、ターリバーンによって支配されていた時期に起こっていた女性への激しい抑圧や、宗教遺蹟への偶像崇拝禁止を理由にした破壊がまた起こるんじゃないかといった懸念は払拭されていない。テレビにターリバーンの幹部が出演して、女性キャスターの質問に答えたり人権は守ると言ったりしていたようだけれど、すでにして抑圧が始まっているとの意見も見えていて先行きは不透明。ターリバーンの兵士に女性が見受けられない状況そのものが支配構造の偏りを証明しているとも見て取れるだけに、今後ふたたび激しい抑圧が起こる可能性は低くない。

 亡くなられた医師の中村哲さんはターリバーンへの理解があって、2001年より以前でも女性への教育は影でこっそり行われるようになっていたんだとインタビューで答えていたけれど、そうやって影に隠れないと教育が受けられないこと自体が問題な訳でそこのレベルへと戻っても女性の権利は守られていると今ごろ主張したって世界に通用するはずがない。けれどもひとつの国家が主権を持ってそれをやり始めた時に世界に止める手立てはない。包囲網を強いて干し上げてもその煽りが最も向かうのが女性であり子供といった一番助けたい人たち。かといって政権をひっくり返そうとしたところで世界最強のアメリカの軍隊を持ってしても、それに類するソビエトの軍隊を持ってしても統治できなかった場所を誰がどうやったら平穏な国へと持って行けるのか。難しい。

 かつてアメリカと戦争をして南北がひとつになったベトナムは長く社会主義の国として厳しい目を向けられていたけれども、そうした女性や子供の人権が抑圧されて混乱のうちに瓦解することなく国としてどうにか運営が続けられて、人件費が上昇した中国に変わって生産工場となり人材を送り出す場所になっている。カンボジアの方はまだポル・ポトら3派連合とヘン・サムリン政権との長い戦いを抜け出して王国に戻ってからそれほど時間も経っていないこともあり、ベトナムやタイほどの経済活動は行われていないみたいだけれども少なくとも酷い人権抑圧が起こっているようには見えない。ミャンマーはお国柄軍事政権が取ったり取られたりする中で今はちょっと酷い状況にある。これが長引くとちょっと拙いのでいつか軍政が解けて民主制に戻ると思いたいけれどすぐには難しいかなあ。

 そうしたガバナンス機構がまるで吹っ飛び前に戻ったアフガニスタン、あるいは前よりもバラバラ感が強い部族の集合体めいた状況下でどうなっていくのか、ってところを現地のジャーナリストには伝えて欲しいんだけれど、そんなアフガニスタン報道で現地にいるという通訳さんから画像を送ってもらったと言って、ツイッターにあげてアフガニスタン情勢を伝える第一人者然としていた人が乗せていた写真のことごとくが、他のメディアからもってきたものだと露見してちょっとした騒動に。カブールの空港での画像は他の誰かが撮ったものだったし、別の画像には数カ月どころか数年前のアフガニスタンの情勢を伝えた画像をさも今のように装って発信していて、これはと思った人が画像検索をかけていっしょじゃんといった具合に続々とパクリが露見している。

 いやいや自分の通訳が現地で撮った画像を配ったらそれをもらった人が先に上げただけだといった言い訳もしているけれど、過去に掲載されているということは過去に画像を送る統べでも通訳さんは持っているのか、だとしたらすごいタイムトラベラー、是非に助手として雇いたい。そんな言い訳のひとつとして、空港の写真には別のアングルのもあって通訳が撮ったものだと挙げたらそれが世界的なメディアのAFPが契約しているだろうカメラマンの写真として報道したものとまったくいっしょ。まさか通訳さんがAFPのカメラマン? ってことはないんだろうからやっぱりってところで、そうやって指摘される可能性があることを、それでも前向きに語ってしまえるところに何が使命感のようなものがあるのか欲求めいたものがあるのか知りたくなる。

 言い訳にはアフガニスタンは今が喫緊の時であって、それを伝える一次情報なんだからどしどし送って世の中に知ってもらうべきなんだなんてことが歌われていたけれど、だからといって過去の画像をひっぱてきたてアフガニスタンの今は伝わらないし、誰かの画像を名前もつけずに自分のものとして紹介して言い訳ではない。そうした基本を守らないままジャーナリストを名乗り政権批判までしている人の周囲に集まる政権批判が商売のタネになっている人たちの多さに、ライティな面々とは違ったレフティな面々の確信犯的な煽りの限界も見えてもはやどちらにも行けない閉塞感に息が詰まる。参ったなあ。

 参ったといえば東京都では新型コロナウイルス感染症の感染者が減る軽輩を見せず重症者も高止まり。PCR検査を受ける人数に限界があるのか感染者率が上昇しているところから類推すると、相当な規模でデルタ株が広がっているようにも考えられる。まもなく抗体ができる身からすればどうにか掘りは掘れたかあるいは柵は立てられたといったところだけれど、無防備の40代には大変なようで東京都では家族3人がワクチンの接種も受けられないまま新型コロナウイルス感染症にかかって自宅療養を強いられ、そして母親が亡くなったといったニュースが伝わってきた。

 自分たちも苦しさにあえいでいるなかで、妻であり母親であもある身近な人間が亡くなるさまを看取らなければならなかった夫であり子供の心中を思うと苦しくなる。そうしたケースがどんどんと増えていきそうな状況にあって、酸素ステーションだなんて行かなければどうにもならない施設を作ろうとしたり、40代をさしおいて20代30代が予約無しで集まってワクチンを打てるスペースを作ろうとしている小池都知事のどこをむいているのか分からない感じが恐ろしい。渋谷に大勢のまだワクチンを接種していない若者が集まってはウェーイと接種を待つ間に何が起こるか考えるとちょっと恐ろしい。1回ではまだ固まらない抗体を乗りこえてラムダ株が蔓延ったその先に来る学校の再会が、一気に拡散を招いて未接種の40代を襲うなんて図式も見えてきた。どうなることか。


【8月17日】 図書館の資料室にあるパソコン利用席にいるとカウンターにゼンリンの住宅地図を見たいというご老体な人たちが入れ替わり来ては閲覧した上でコピーを申し出る。カウンターでは著作権法の関係からコピーは半ページしかダメだと言うとどうしてかという人もいればそのままお願いしていく人もいるけれども、中には今日半ページをコピーしたページについて明日来て残りの半ページをコピーするのはありなのかと尋ねる人もいて、カウンターで同じページは半分しかダメだということになっていると答えているけれど、いつも同じ人が座っている訳ではないし、紙での申請なので同じ人が同じページの残り半分をコピーしているかなんてすぐには分からない。

 だから黙ってそれをやる人もいれば、カウンターで明日来て残り半ページをコピーして良いかと確認して断られる人、カウンターの人から聞かなかったことにしますといわれる人もいたりとこれも千差万別だけれど問題はいったいどうしてこれほどまでに、ご老体な方々がゼンリンの地図をコピーしたがるかということで、訪ね歩いて何かを売ろうとしている訳でもないなら誰かから頼まれて住宅地図から住所と名字か名前を割り出し、ダイレクトメールを送るための名簿でも作っているのだろうか。まさか巨大な陰謀組織が特定の誰かを探してご老体たちを動かししらみつぶしに対象となる家を探している訳でもないだろうに。謎めく。

 自民党の二階俊弘幹事長ら5人がどこか座敷に集まって、食事をしたとかでそりゃあ新型コロナウイルスの感染防止に向けて自粛が求められている会食だろうと突っ込まれたら、違う単なる打ち合わせであって食事の時は黙って黙々と食べていたと言い訳をしてさらに総突っ込みを面っている。黙って食べることだけが求められているのではなく、大勢が集まって狭い場所で密になって会話することもやっぱり遠慮を求められている中で、それが会食であるかどうかなんて関係ないのに、指摘されたことを違うと言ってだからそれにあたらないと言い抜けるのは安倍晋三前総理の頃から伝わるご飯論法の最たるもの。だいたいが順次運ばれてくる料理の間に黙ったままでいられるはずがないし、食べる一瞬だけ黙っていたから黙食というのでもない。そうした指摘すら知らん顔して言い抜けようとする不遜さが、不支持の積み重ねに繋がっていると分からないのかなあ、分かっているけど止められないんだろうなあ。

 菅義偉総理は総理で緊急事態宣言の拡大を伝える記者会見で原稿を棒読みしているだけだと問われて、「正確で速やかな情報発信は、国民の生命・財産を守るために極めて重要だ」と言い訳したとかしないとか。というか棒読みを指摘されてまるで答えになっていないことを平気で言って恥じない神経が分からない。棒読みはなるほど書かれていることを正確になぞろうとしている形かもしれないけれど、だったら総理大臣が読む必要なんてなく紙の1枚でも配ればそれで済む話。総理大臣が立って話すからにはある種の決断を責任を持って行うから任せてくれと呼びかけて欲しいものだけれど、それをやったらあとで責任を問われると思って入るのか決まった事を繰り返すだけで新鮮味がない。

 一方でニュージーランドではデルタ株が1人見つかったということで全土をロックダウンすると首相が発表。決断の早さと責任をもっての宣言は日本とは対照的で、結果としてニュージーランドではなかなかの封じ込めに成功していたりする。もちろん国の規模も経済の大きさも違っているけれど、そこまでやって始めて出口も見えて来るだろう新型コロナウイルス感染症対策を、後手後手に行ってはいたずらに感染拡大を招いている状況でニュージーランド以下のことをやってどうにかなるはずもない。にも関わらずデルタ株より怖いと言われるラムダ株が見つかってもすぐに明かさずオリンピックが終わってから表明するという隠蔽主義ではいったいどれくらいの蔓延がすでに起こっているか分かったものではない。そんな国がいよいよ冬に向かって無防備のまま突っ込んでいった果て、何が起こるかが今からちょっと恐ろしい。

 だったら家で寝てれば良いんだけれどそれだと煮詰まるんで55歳過ぎに優しいイオンシネマで「フリー・ガイ」。デッド・プールの中の人が今度はPCのモブを演じて毎日を変わらない銀行員としての日々を過ごしては銀行強盗に遭遇する繰り返しを送っていたある日、見かけた女性プレイヤーの姿にキュンときたことをきかっけに、自我めいたものに目覚めて銀行強盗に逆らいサングラスを奪って世界がゲームみたいなものだと感じ取る。そこではまだ本当にゲームなんだとは気付いていなかったけれど、何かを探している女性プレイヤーとの交流を経て自分が何かを知ってすこし嘆きつつそれでもやれることをやろうとする姿が格好いい。

 つまるところはNPCに自我はあるかどうかといった話になるけれども本来はそうしたものが存在しなかったはずのゲームに秘密があって、仕込まれていたプログラムがNPCのガイと女性プレイヤーの接触をきかっけに発動したといった解釈があって、そのプログラムが誰によってどのように書かれたものかといった理由と重なって2つのラブロマンスへと繋がっていくところが見事。一方はバーチャルの中でかなわぬ恋となるものの、リアルの方では結ばれてハッピー。あわれ宙ぶらりんになったもののガイにはガイの世界があるからそこで新たな出会いを見つけていく可能性もあるのかな。ラスト付近でのディズニー=マーベル=ルーカス・フィルム=20世紀FOXなコラボレーションは最高だった。20世紀FOXのロゴの後にかかって欲しかった音楽も途中ながら聴けたし。しかしNPCの自我めいた話だと、やっぱり「BOOM TOWN」の方が先に言っていたなあ。四半世紀前に似たようなこと書いてたものなあ。


【8月16日】 「エヴァンゲリオン新劇場版」がAmazonPrimeVideoで配信され始めたので、各国語バージョンを色々と聞き分けてていやっぱり中国語版がアジアの人ということもあって声優の声質が近くって、それほど違和感なく見ていられた。アヤナミレイも近いけどやっぱりアスカの小娘といった感じがそっくりで、マリもまあ似ていたし伊吹マヤが「これだから若い男は」というあたりも中国後で何て言っているんだろう、吐き捨てるような口調と抑揚がマッチして男女同権の中国にいる女性幹部な感じを醸し出していた。男はそうした抑揚の関係があって低音を朗々と響かせる怒り言動のような喋りはちょっと苦手な感じ? でも総じて良かった。10回くらい見れば中国後の勉強になるかな。

 船橋中央図書館へと出向いて3時間くらいキーボードを叩いていたら脳が電池切れ寸前。カロリーを補充にサイゼリヤにいったらランチが復活していたんでほうれんそうのパスタを頼んでドリンクバーもつけつつ2時間くらいキーボードを叩いて今日の作業を一段落つける。そのあたりが脳を使える限界になっているなあ。席を立って船橋駅の地下にあるベンチでネットをチェックしてたら隣に腰掛けた人がスマートフォンからどこかに電話をしながらワクチンが打てないんですがどうしたら良いんでしょうと相談していた。どうやらアレルギー反応が子供の頃に出たそうで、それを理由にアナフィラキシーショックが出るかもしれないから、町の医者ではすぐに対応できないんで打ってあげられないと断られたらしい。

 集団接種だとそのあたり、救急車だとかも配備されて対応できる医師もわんさかいたりするから受けられたのか分からないけれど、どうやら30代らしく船橋市ではそのあたりの世代の集団接種は予約が中止されていて、町の医院に行くか自衛隊がやっている集団接種会場にいくしか道がない。そこでアナフィラキシーショックで断られるといったいどこで何を打てば良いんだろうって、流行がひどくなりはじめている状況で不安も募ることだろう。そういったアナフィラキシーショックの出る人向けにアストラゼネカ製のワクチンが用意されていると思うんだけれど、今のところ国内で打っている場所ってあるんだろうか。台湾にはいっぱいあげちゃったし打てない若い世代に回すなんて言いながらも今はまだ温存といったところ? そのあたりを調べないといけない人もいたりするアレルギー時代、すべての国民が安心できる日は遠そう。

 とか言っていたら東京都の感染者数が発表になってまあ、月曜日だから2962人と減ってはいるものの重症者は268人まで増えていた。これはだから国の重症者の規準とは違ってほとんど重篤者という人たちだからそちらに合わせたら900人くらいにいくんだろうか。そうはせずとも日本全体で1600人の重症者がいて過去最高に達していながら政府は国会で審議をせずロックダウンという大々的な手段に出ることもなく、緊急事態宣言の対象をちょっとだけ広げてお茶を濁すだけみたい。もちろん補助金の割増は無し。それで家に籠もっていろとか言われても無理だよねえ、あれだけ大々的に五輪とか開いておいて家にいろとか言われたって誰が守ろうと思うものか。率先垂範という言葉も李下に冠を正さずといった故事も過去の遺物になった国。尊敬できる政治家や実業家は大河ドラマの中にしかいないのか。

 結果として東京のパラリンピックは無観客での開催が決定。オリンピックを無観客で開催してそれでパラリンピックを中止にすることでメッセージを出そうとか考えて欲しかった気もする一方で、ハンディを持った人たちがそれを気にさせずにスポーツに取り組む姿を目の当たりにできるパラリンピックこそ観客を入れて開催して欲しかったという気して判断に非常に迷う。結果として開催はされても無観客だけれど中継はされて選手たちのすばらしい活躍を配信ででも見られるなら、それはそれで僥倖だと考えるのが良いのかもしれない。ルールは同じでツーバウンドでも撃ち返して良いところが違うくらいの車いすテニスとか、見たら絶対に凄いぞこれはと思うし義足の人たちの走り飛ぶ姿も車いすバスケの迫力も、見れば絶対に好きになる。そんな機会がネットの向こうでの開催であっても得られるなら、それをメディアは大々的に報じてハンディがあっても頑張る人たちに心を傾け、コロナという社会的なハンディを受け入れて今をしのごうと思ってもらうんだ。視聴率がとれないと報じないとなったらそれは最悪。果たして。

 そんな新型コロナウイルス感染症にイベルメクチンが特効薬だと関西方面で喧伝していたクリニックの医師の人がエビデンスのまるでない状況を突っ込まれてさすがにヤバいと思ったのか、4つだか6つだかある武器のひとつとして投与したら効いたように見えた患者がいただけですって大きく後退。それがイベルメクチンだけを投与して効いたというなら分からないでもないけれど、人命も関わる病気にそんな限定した実験めいた投与はしていないだろうから相関関係があるように見えても因果関係は何も証明できていない。いっしょに呑ませた水が効いたのかもってことはさすがに言わないだけ医師ではあるけれど、そういうことでもあるからな。なのでここで引きたいのに、虎ノ門あたりでご活躍のジャーナリスト氏が出て来て「既に特許が切れた同薬にMSD社が前向きでない理由は明白。同薬は副作用が極めて少ない」だなんて言って推奨し、医師を持ち上げ続けているから厄介極まりない。陰謀めいたものを見つけて陰謀論に引きずり込んで自分はこんなに知っていると言いたいだけなんだろうなあ。トランプの時もそれを全開させておいて後始末の1つもしないんだから。やれやれ。


【8月15日】 「なんでもかんでも漫画を映画にするなという話ですよ」という作中のセリフに、観終わって「おまえが言うな」と毒づきたくはなくなっていたことが、田島列島の漫画を原作にした沖田修一監督の実写映画「子供はわかってあげない」に対する絶賛に等しい気持ちだろう。それくらいこの映画は漫画「子供はわかってあげない」というものを見事に実写の世界に表現していた。キャラクターがそっくりという訳ではない。むしろ似ても似つかない。田島列島が描く漫画はどちらかといえばリアリズムとは反対で、4コマ漫画にでてくるようなデフォルメされた等身の低いキャラクターたちが、簡単な線による表情やポーズの変化によって感情や仕草を表し物語を進めていく。

 それでいて登場人物たちは、極度のアニメオタクだったり母親の再婚相手の父親だったりLGBTでMtFの元兄だったり新興宗教の元教祖さまだったりと、それぞれがドラマ性をもった“濃さ”を持っている。そうした“濃さ”をまるで感じさせず、日常の中にすっと溶け込み誰もが普通に受け入れているような空気感を、田島列島によるシンプルで優しいキャラクター描写が作り出している。 アニオタだろうが血の繋がっていない父親と仲良しだろうがLGBTだろうが新興宗教の元教祖だろうが普通すぎて誰も気にせずドラマになんてならない。そんな世界が来ることを願いながらも、未だドラマティックに語られがちな現実を、田島列島の漫画表現は乗り越えてみせている。だから、深刻でシリアスでウエットな物語であってもすっと身に入って来る。

  漫画だからこそ描けるともいえるそんな物語を、リアルもリアルな人間の役者たちで演じるなんて不可能だろう。観れば絶対に諸々の思いが浮かんで羞恥心めいた気分に身もだえし続けるに違いない。そんな恐怖に怯えて観るのをためらっている人がいるのだとしたら断言する。沖田修一監督の映画「子供はわかってあげない」は大丈夫だと。しっかりと田島列島の漫画「子供はわかってあげない」というものをスクリーンの中に作り上げていると。これはなかなかに希有なこと。まず冒頭にとてつもない非日常を持って来たことがひとつ、奏功していることもあるけれど、そこから上白石萌花さんたち出演者に驚愕だとか絶叫だとか慟哭のようなオーバーな演技をさせないし、派手なリアクションもさせないで非日常を日常の中に定着させた。これを使えば「水は海に向かって流れる」も映像化できるかなあ。ちょっと期待。

 そもそもがトランプ前大統領によるアフガニスタンからの撤退決定があってタリバーンとの調印なんかもあった訳で、それを引き継いだものの5月が予定されていた撤退を9月に伸ばしたのがバイデン大統領であるにも関わらず、中国からの武器供給を受けたタリバーンを側面支援するためにバイデン大統領が米軍をアフガニスタンから撤退させたんだといった言説を、繰り出してはバイデンを攻める一方でトランプ大統領を褒め讃える人たちがいたりするフェイク言論空間。これでタリバーンが新しいテロを画策して中国によるイスラム弾圧の対象になったらタリバーンの味方をするのかな。中国がウイグルで行っていると思われる人権抑圧にも似たことを国内でやり始めたとしても。

 とはいえやっぱり果たして米軍のアフガニスタン撤退がそもそも正しかったかどうなのか。20年も居座って最初はタリバーンによるイスラム原理主義的な施策を排除し、女性たちを解放したところはあったけれども完全に排除するところまではいかず地方ではまだまだ勢力を保っては紛争が続いていた。それでも政権がしっかりと基盤を固めていけば良かったんだけれど、どうやら腐敗もあって弱体化も招いていた中で民衆の心も離反していたのだろう。そこに地方から一気に攻勢をかけてきたタリバーンによって打ち倒されたのが目下の状況といったところか。前のようには原理主義からの人権抑圧はしなと言っているらしいけれど、すでにいろいろ始まっているといった話もあって先行きは不透明。ミャンマーでは軍政が続きそしてアフガニスタンでは原理主義が政権を奪取した東南アジアから南アジアの今後が気になる。日本はどうなる。

 どうなるもこうなるも新型コロナウイルス感染症は拡大する一方で東京都の感染者数は4000人超えが続き重症者も250人に乗って来た。感染率は下がらず再生産数も1を割らない状況で、収束なんてまるで見えないにも関わらず政治は何か具体的な対策をするでもなく、ワクチンの供給は途絶え気味で若者の間に厭世観めいたものが広がっている。ワクチンを打ったらポイントをあげると言われたところでそのワクチンを打つ場所が用意されていない。にも関わらずワクチンを打った人にポイントを還元するシステムが高いお金をかけて新たに作られようとしているこの空虚さ。誰がいったい何のために政治をしているのだろう。見せかけの行動によって世間が納得すると思って入るのだろうか。もはやメディアが何を言ってもSNSでは怨嗟と懐疑が渦巻いている。それが選挙の投票という行動に繋がるか否か。近づく総選挙がひとつの試金石になるだろうなあ。


【8月14日】 ウエブでの会議をこなして家を出る。途中、茅場町のVELOCHEでしばらく原稿を書いたあと、新宿へと出てテアトル新宿で田島列島さんの漫画を原作に沖田修一監督が撮った映画「子供はわかってあげない」を見る。いやあ面白い。原作の漫画がリアルとは反対のほんわかとした絵柄だからこそ、シリアスさを持ったストーリーをすんなりと日常に紛れて読ませてくれるのに、リアルな役者が演じる実写にして大丈夫かと思ったらこれが巧みに非日常の日常っぽさを出して違和感なく羞恥心も覚えないで見通せた。

 高校の水泳部で背泳ぎの選手として活動していた朔田美波が見上げた屋上の校庭で、何かを大きな紙に描いている生徒を見つけた。それが何かがすぐに分かった美波は屋上へと駆け上がり、描かれていた美少女キャラクターらしい絵を見て「KOTEKO!!」と叫ぶ。それは「魔法左官少女バッファローKOTEKO」という作品のキャラクター。描いていたのは書道部の門司昭平という同級生の少年で、共にKOTEKOのファンだと知った2人は急速に仲良くなっていく。

  オタク的な趣味のそれも相当に濃いところを語り合う2人だけれど、周囲に遠慮するようなところはない。屋上から1階へと降りながら背後に卓球部などさまざまな生徒たちの存在を感じさせる中で会話させることで、周囲の異質なものをみるような反応を描かず、オタク趣味であっても日常のひとつなのだと思わせているのかもしれない。そうした描写が、とかく周囲の目を気にしがちなオタク趣味の人たちから羞恥心を取り払う。

 門司くんと仲良くなった美波は、実家が書道家で自身も子供たちに夏休みの間、習字を教えている門司くんの家にパッケージとは色味が違うという「KOTEKO」の録画を見せてもらいにいく。そこで見つけたのが謎のお札。「教祖」という字が見えたそのお札と同じ物が、以前に美波の所に送られてきていた。相手はおそらく美波の実の父親で、5歳くらいの時に母親と離婚したらしく、それ以来会っておらず消息も知らなかった。お札が新興宗教のもので、門司くんの家で代筆していたことを知って美波は父親を見つけられるかもしれないと考える。

 そして父親探しの冒険が始まった物語は、ガール・ミーツ・ボーイのような青春ものからすぐに大きく外れていく。兄が探偵をしていると聞いて出かけた先で会った門司明大が女性のようだったという展開も、それ自体が物語に絡むことはない。明大の調査によって海辺の家に父親の藁谷友充が暮らしていると知った美波は、水泳部の合宿が始まったことを理由に家を抜け出し、合宿にも行かないで父親の元を訪ねていく。

 10年以上を経ての実の父親との再会、それも新興宗教にハマっていたらしい男のところに行くという、これも映画が1本撮れそうなドラマチックな設定でも、田島列島の漫画と同様に映画「子供はわかってあげない」は絶叫や慟哭といったリアクションは見せず、淡々とした演出によって次の状況へと移っていく。そこで父親として登場したのが、何を演じても強烈な存在感を示す豊川悦司という役者であっても。

 10年間のある意味で凄絶な過去を持ちながらも、すっかりと毒気が抜けた中年男といった風体で、再会した娘と最初はどう触れて良いか戸惑いながらも、だんだんと打ち解け父親らしさをみせようとする男になりきっていた。美波に泳ぎを教えてもらいたいと海パン姿で立つほどに。合宿に合流しない美波を心配してかけつけて来た門司くんから、似ていると言われて相好を崩す演技の何という素晴らしさ。こうした豊川の演技力が冴えない中年男が娘との再会で少しだけ自分を取り戻すという設定を見事に演じさせたのだとも言える。

 加えて、豊川の演技がピタリとハマる空気感、すなわち田島列島の漫画にあるすべてがふんわりとした日常の中に描かれている状況を、沖田監督がしっかりと作り上げていたからこそ成立したものだとも。そこまでのストーリーで、美波を演じる上白石萌歌が、オタク趣味を持ちながらも社交性があって明るく前向きな少女であることをしっかりと印象付けていたことも、ドラマチックさに頼らないで、非日常的な出来事であっても日常と感じ取れる空気感の醸成につながった。

 それは冒頭でとてつもなく強烈なシチュエーションを繰り出すことによって、映画の世界を観る意識から緊張感を取り除いていたからかもしれない。説明はしないが映画「子供たちはわかってあげない」を観る人は、いきなり始まった展開にこれは何だと驚くだろう。いったい何を観に来たんだろうと戸惑うかもしれないが、それこそが世界を柔らかくして非日常を日常に変える魔法だったのかもしれない。ふわふわとして時にコミカルな日々の描写ラストに繰り広げられる、ちょっとしたシリアスを味わって観客は、リアルな日常へと戻っていくことになる。けれども忘れないで欲しい。オタク趣味もLGBTも脳筋な青春もどんな家族であっても普通で、そして愛おしいのだということを。

 謝罪をしたけれども収まらず、とってつけたように寄付をするとか勉強をしなおすとかいったところでそんな動画に広告をつけていつものスタイルで喋っているのは妙じゃんとちた声もあり、またそうやって謝罪からの教育といったスタイルで本心が変わったかのように装うのも妙な話、とてつもない影響力から発せられた見解もひっくり返されては以内状態を危惧した声明なんかも出る中で、これは収まらないとおもったのか再度の謝罪に売ってでたメンタリスト氏。

 ところが、そんな再謝罪を伝える生配信のタイトルを「昨日の謝罪を撤回します」というものにして、なんだやっぱり撤回するのかを思わせたり、あるいは違う何かを言うのかもしれないと思わせ動画へと誘導する態度自体がやっぱり妙だといった声が出てさらに火に油がそそがれた感じ。スポンサーとなっていた会社が実はホームレスへの炊き出しなんかをしていて、そんな会社の方針とは正反対のホームレスなんていなくてもいいよといった暴言を繰り出して無事にすむはずもなく、撤退の方針を打ち出してきた。あとは本とかが書店から撤去されたりするだろう今後、果たしてYouTubeとニコニコのチャンネルがBANされるかが関心事。次いでアプリもBANされた時にどいういった態度になるかどうかってところまでいって、本心中の本心も出てくるのかもしれない。どうなるか。


【8月13日】 言えば絶対に非難がくるだろう暴言を確信をもって番組の中で発言して、実際に非難されてもまるで改めようとしなかったのが、毎日新聞だとか朝日新聞といったメディアが取りあげたこともあってか態度をあらため無知でしたといってしばらく活動を自粛するかと思いきや、無知だったんだから勉強しますといってその勉強の仮定をこれまたネットで配信する番組に仕立て上げようとしているこれはマッチポンプというより正真正銘の炎上商法。それにのっかる視聴者があとはいるかどうかってところだけれど、謝罪だけではすまさない今の社会では公然とした場での活動はしばらくむりだろうからあとは自前のチャンネルで粛々とやっていくことになるんだろう。

 というかあれだけの本を読んでいろいろと話も聞いているだろう人間が、何をどういえばどんな反論がくるかなんて知らないはずがない。そうした想像をめぐらせてた上でここは暴言をまずは放って目を向けさせたかっと考えたのだとしたら、踏んだ虎の尾がやはり太くて敏感過ぎたということになるんだろう。今後チャンネルがどこかのプラットフォームにのっかっているものならプラットフォーム側の判断でBANされることあってありそうだし、アプリをつかってプラットフォームを運営しているならアプリがBANされることだって今後は起こりそう。そうなってはさすがに干上がると撤回からの謝罪に動いたのだとしても、そうした思惑は見透かして粛々とBANに動いたら果たしてどんな対応が飛び出して来るかが今はちょっとした関心事。どうなることやら。

 5773人とはまた増えたのもだよ東京都における新型コロナウイルス感染症の感染者数。それだけでも驚きだkれど重症者が前日よりもさらに増えて227人と着実に増えてきていることの方が心配。すでに病院はいっぱいいっぱいで重症になりかねないというか東京都以外の規準だったらとっくに重症になっている人も入院が覚束なくなっている状況で、さらに増えていったらそれこそ他の病気も診てもらえなくなる医療崩壊が起こって不思議はない。それともすでに起こっているのか。酸素吸入だとか薬剤の投与が必要な人たちが入院できていない状況がすでに医療崩壊なのかもしれないけれど。

 国とかは酸素ステーションを作って在宅医療を支援するとかいっているけど、ガソリンスタンドじゃあるまいし足りなくなったら行って吸入だなんてことができないのが新型コロナウイルス感染症の恐ろしさ。それとも酸素を投与する専用車でも市中を走らせてスピーカーから「さんそ〜、さんそはいらんかね〜」とでも呼ぶのだろうか。それも派遣会社あたりを使って酸素配給部隊を結成しつつそこが一手に酸素利権をにぎって酸素不足の中で手堅くもうけさせる気だろうか。きっと呼ばれるんだろうなあ、それでもうけた政商は後に「酸素男爵」って。明日はいったいどれくら増えるのか。死亡者の方も東京都だと一時は0人の日もあったのに今は連日数人ずつが無くなっている。これが2ケタまで増えて重症者も300人の大台に乗った時、東京は世界でも類を見ないコロナタウンとなるのだろう。立ち入るのが怖いよう。

 1度は見ても2度は見たくない映画というものがあるが、その言を借りるなら「妖怪大戦争ガーディアンズ」は1度すら見たくなかった映画と言えるかもしれない。点数をつけるなら−180点。感情の添えられないシナリオ、とりわけ大魔神のリスペクトを欠いた取り扱いにいくら妖怪に扮した役者たちが奮闘していたといっても同情を起こせず、OLMによる特撮にも頑張ったねとかける声すら出てこない。ただしそこに北村一輝という濃さでいうなら当代随一の役者による濃すぎる演技が90点分乗り、さらに杉咲花という女優の仮面によって抑制された顔からのぞく目の輝きと口元の凛とした神々しさが90点分乗って100点といった点は与えられる。大沢たかおの朗々とした歌声も20点分あるから都合120点。そんな映画だったと今はいっておこう。とりあえず角川歴彦さんと荒俣宏さんは、昔ながらの大魔神を復活させようとして果たせなかった徳間康快さんに東所沢から頭を下げて下さいな。


【8月12日】 「BLEACH」の世界に地獄というものがあることは、過去に「地獄篇」と銘打たれた劇場アニメも作られているから分かっていたけれど、そこに堕とされたものたちの中に護廷十三隊の隊長クラスがいて責め苦を受けつつ地上へと這い出て復讐しようだなんて考えているとはちょっと思っていなかったから、突然に読み切りなるものが掲載された上にとてつもない続きがあることが示唆された「BLEACH」の今後に、いったいどれだけの巻数を積み重ねれば完結するくらいの物語が控えているかが気になって仕方が無い。

 久保帯人さんが本当に描くかは分からないけれど、「BURN THE WITCH」のアニメが作られて漫画も発売されてからしばらく、音沙汰もなかったからもしかしたらそっちではなくこっちを描こうとして準備なんかを進めていたのだとしたら、ちょっと嬉しくなる。「BURN THE WITCH」自体も「BLEACH」と世界観を同じにしたシリーズで西洋側から見た話だったから、それも含めた一大サーガがこれから繰り出されてくる可能性もあったりすると思いたい。黒崎一護から下の世代、子供の世代も絡んで来る話で子供の方が霊圧も高そうな感じなだけに、新ヒーローなり新ヒロインも出て来て親父世代と対決とか、あったりするのかも。見守ろう。

 今日も今日とて午前9時半に船橋市中央図書館に入って、パソコン持ち込み咳で現行でも書こうかとカバンを開いたらパソコンが入っていなかった。ああやっちまったと思いつつ席だけは確保して図書館を飛び出し、開店を待つパチンコ店前の行列を横目に部屋まで戻ってパソコンをひっつかんで図書館に戻るまでだいたい15分。久々に早足で歩いたので結構疲れたけれどこれで疲れているようだからやっぱり運動不足って奴は否めない感じ。3時間ほど原稿を整理してから今日はサイゼリヤにはよらず部屋に戻っておにぎりとかを食らいつつ、今日が新宿武蔵野館では「いとみち」が最終らしいと知って、前にクラウドファンディングに参加してもらったムビチケで席を予約して部屋を出る。

 東京駅近くまで来てスターバックスをのぞいたら席はいっぱいで、お盆休みだからといって丸の内や大手町の人手の減って無さにそりゃあ新型コロナウイルス感染症も流行すると強く思う、ってそんな中に飛び込んでいって大丈夫なのか自分。とりあえずワクチンは2回接種しているから少しは免疫もついているだろうけれど、それでも感染はするみたいなんで用心にこしたことはなさそう。マスク必須で手洗い励行。会食は相手がいないからやりようがないのだった。こういうときにソロ活動は便利。寂しいけれど。

 地下のカフェで電源をとりつつ原稿をまとめてから新宿まで出て新宿武蔵野館で「いとみち」。だいたい5回目くらいかな、やっぱりラストシーンでのいとによる三味線の演奏シーンがとても良い。最後ということもあって演奏にじっくりと目を向け耳も傾けて、改めて相当な練習をしただけあって指もしっかり動いているし音もしっかり出ていることを確認する。とはいえばあちゃんを演じた西川洋子さんがいととのセッションでみせた、滑らかに棹を行き来する手の動きには至っていなかったけれど。滑りをよくする補助具とか着けていないように見えるものなあ。そこがやっぱり名人級の腕前ってことなんだろう。

 そうこうしているうちに東京ではまた5000人近い感染者が出た上に、重症者もいよいよ200人の大台を超えて218人まで来て事態の急進展ぶりをひしひしと感じる。これで国の基準に比べて壁が高い重症者の認定は、国の規準に照らせばさらに多くの数を呼び込みそうで東京都の医療体制がますます逼迫してくる可能性を感じたりする。こうなると60代とか50代に続いて下の世代も早々にワクチンの接種が必要になってくるんだろうけれど、東京都はなぜか30代とか20代のワクチン接種を推奨するため、ポイントの導入は検討しても40代の働き盛りでなおかつ体力も低下が目立ち始めて危険なゾーンに対するケアから逃げている。ロスジェネ世代とか就職氷河期世代と呼ばれる人たちはワクチンでも蹴り出されてあとは野となれ土に帰れということか? そんな政策が続けば選挙でどうなるか、って言われながらも被害をもっとも受けた世代が支持して安倍ちゃんは政権の座に居座り続けた。その後を継いだ菅総理だって蹴落とすどころか奉り続けそう。そこが分からないんだよなあ。

 ホームレスだって大量に出そうなそんな世代が、信奉するのかそれとももっと下の世代の神様なのか分からないメンタリスト様がホームレスなんて死んだっていいから猫の世話をするべきだなんて動画を投稿したとかで大騒ぎ。本当にそうならヘイトクライムも甚だしく弱者抑圧の扇動者として糾弾されてしかるべきなんだけれど、一般のテレビに出ている訳でもなければ企業に勤めている訳でも学術研究機関に所属している訳でもないから排除のしようがない。自分が運営する動画配信チャネルだけが居場所となって、そこで圧倒的な支持を集めている人に対してどんな糾弾のアプローチができるのか。プラットフォーム側がこれは危険思想と認定してBANするしかなさそうだけれど、それをやるだけの覚悟があるのかYoutube。新しい時代のメディアは情動を誘い扇動して世界を導く、地獄へと。


【8月11日】 「さなコン」こと「日本SF作家クラブの小さな小説コンテスト」の結果が発表されて日本SF作家クラブ章に坂崎かおるさん「ファーサイド」が輝いた。選考委員として講評とか自分が審査員賞に選んだ「世界の演奏家たち」の講評とか総評とかは「さなコン」のサイトに寄せたから繰り返さないけれど、最終的な候補としてあげたほかのいくつかの作品についてここで触れておこう。まずは阿瀬みちさん「みずまんじゅうの星」だ。

 みずまんじゅうのようなスライム型異星人によって包み込まれ融合され滅びることが決まっている星で、みずまんじゅう異星人の干渉から逃れた人間が最後の日々を共生するように暮らしていく中で、ふと与えたみずまんじゅうの味に何かを感じたみずまんじゅう異星人が融合から離れ、みずまんじゅうを与えてくれた人間とともにみずまんじゅうを食べられる星を作りたいと願い、無限の時を生きたり進化したり転生したりしながら2人で時空を超えていくといったストーリー。果てに辿りついた境地がちょっぴりの滅ぼされたことへのリベンジにもなっていて溜飲が下がる。あとみずまんじゅうが食べたくなる。

 平田凡斎さん「あんたの世界を絶対に終わらせはしない」も選びたかった1作。世界が終ろうとしている間際に、作られた別世界への移住を拒む大作家を説得に完了が赴く。説得の切り札は分身が勝手に続きを書くぞというもの。それはダメだが自分の才能は枯渇しているからかけないといった葛藤に迫る官僚のファンとしての言葉が作家に移住を決意させる。命が奪われることよりも、終末によって物語の続きが断ち切られることの方が怖いというファン心理、そして自分ですべてを描かなければ気が済まない作家心理を終末というシチュエーションの上で繰り広げさせたテクニカルな1編だった。  こちらは久永実木彦さんが審査員賞に選んだtokyonitroさん「シックスティーン・オブ・ハイ−ファイ」。ブエノスアイレスの沖合に現れた光が世界を覆って滅ぼそうとしている。迫る現象に日本もだんだんと騒然としはじめる中で、高校生の少年は同じ高校の女子生徒となぜか知り合いになって道連れになって古い映画をいっしょに見る。テレビ台が壊れてテレビが壊れた描写からはじめて終末の混沌ぶりを普通に描く中でボーイ・ミーツ・ガールからの刹那の交流を描いて瞬間の輝きを感じさせる青春文学的SFは、ビート感があってこれも良かった。終末からズラしたところにアイデアを見いだそうとする作品を選びがちな中にあって、ストレートな終末物で響かせてくれたから久永さんも選んだんだろう。いずれ劣らぬ作品たち。選ばれなかったからといって落ち込まないでね。

 午前9時半に船橋中央図書館に入ってあれやこれやキーボード打ち。間に本も読みつつ3時間を過ごしてから、サイゼリヤへとうつってランチを頼もうとしたらメニューから消えていた。ランチだとドリンクバーが100円になるからお得だったのにどうしてだろう。時間帯が過ぎていたってこともないから、夏を涼みに来る人の多さを敬遠したのかな。普通のメニューに200円のドリンクバーをつけ、珈琲3杯とか流し込みながらここでも原稿を打つ。とりあえず形を作ってから河岸をかえて船橋駅の地下にあるチョコクロで別の原稿の頭部分をどうにかこうにか仕上げてから、部屋に帰ってねてキメツラーメンを食べると夜になった。こんな1日が積み重なって夏も終わっていくのかも。

 感染者が4200人に達したことよりも、重症者が197人になって前日から21人も増えたことの方が東京都の新型コロナウイルス感染症状況にとって不安かもしれない。東京都の重症者の規準がほかより厳しいことは周知で、これを国の規準にあてはめたらそれこそ800人とかって規模に達するらしい。都内の重症者向けの病棟も埋まってきていて近隣県もいっぱいいっぱいならもはや中等症の人が重症化しても治療なんて受けられなさそう。そんな中等症の人も入院ができないとなっていったいどれだけのひとが自宅療養で命を失っていくのか。それでも検査されず新型コロナウイルス感染症と判定されなければ死亡者は増えないというカラクリ。観測されなければ存在しないシュレーディンガーの新型コロナ患者を研究すればノーベル医学賞だってとれるのだろうか。


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