縮刷版2021年8月上旬号


【8月10日】 8月3日に112人だった東京都の新型コロナウイルス感染症の重症者がついに176人となって64人も増えて過去最高に達したとか。国の規準だと重症というより重体から重篤な患者が東京都では重症とされているらしいから、国の規準に合わせればもっと大勢が重症となって酸素吸入なんかを受けていると予想される。そんなペースでベッドがふさがっていてば遠からず、あるいはすでに病床は満杯となって他の病気や事故の怪我人を診る余裕なんてなくなってしまうだろう。そういう意味での医療崩壊がひしひしと迫っているような雰囲気。

 怖いのはそんな重症者でも50代とか40代が相当数を占めてきていることで、20代や10代もいたりして分母が増えれば割合が低くても数は増えるちったことだけでなく、比率でもワクチンの接種が進んだ高齢者に比べて若い世代に感染者でなおかつ重症者が増えているような感じになっている。かといってワクチンが調達できず一方でワクチンなんてって声も広がっていたりする。周囲にそんなデマゴーグを真に受けている人があまりいないだけに、どいういた回路で反ワクチンになるのか分からないけれどもそうした回路に浸透している反ワクチンの言論空間があったりすのかもしれない。小林良典さんなんてある意味でロートルが騒いでも届く世代じゃないのに向いている方向が一緒なのはちょっと恐ろしい。

 こうなってしまったのも東京オリンピック2020の開催に向けて7月に4連休だなんて休日をもうけつつ五輪を開催するぞってアピールして大勢の人の意識を外に向けさせ、それなりの人流を確保してしまったからだろう。そこに襲いかかった感染力の強いデルタ株の流行が、このタイミングでの感染爆発的な状況を作り出した。つまりは“五輪のせい”でもあるにも関わらず、丸川珠代五輪証はまったく関係ないって態度を貫き通す構え。端から見ればもう滑稽極まりないんだけれど、五輪とコロナは無関係だというのが内閣のあるい意味で総意となっている状況では、王様は裸だと1人叫ぶ訳にもいかずいっしょに間抜けを演じ続けるしかないんだろう。

 それとも心底から間が抜けてる? そこが分からないんだよなあ、五輪相も総理自身も。オリンピックでの盛り上がりがあればその勢いで総選挙だって勝てるだろうって思い込んでいたふしがあるし。それはコロナの感染がある程度は下火になるって状況も含んでのことだったかもしれないけれど、西浦教授とかの予想からパンデミックに近いことが起こる可能性は高かった。それが起これば五輪での支持なんてあっという間に血に落ちるという想像が働かなかったのだとしたらポン酢が過ぎるけど、実際に五輪に支持率の浮揚を期待したらコロナのパンデミックで逆に最低という状況なだけに、見えてなかったとしか言いようがない。東京都で重症者が200人を超えて来て1日の感染者も5000人から上になって死者が1日に50人とか100人に達したとき、何が起こるんだろう。政権が何も起こそうとしなくたって勝手に起こるだろうと思いたい。

 データを入力する仕事を在宅というか近所のハンバーガー屋とかスターバックスとかを回りつつそれなりに仕上げていたら池袋まで流れていったんで、2回目となる「サマーフィルムにのって」をグランドシネマサンシャインで見たらやっぱり面白かった。キラキラ青春恋愛映画なんて大嫌いだと良いながら、時代劇だってキラキラとした恋愛映画なんだってところに帰結して、それを自ら体現してのけるというクライマックスの収束が見事過ぎる。それでストンと落ちるところも良いけれど、パンフレットにはアニメーション作家でもあるひらのりょうさんの“その後”を描いた漫画が載ってて、いよいよ高校を卒業することになったハダシ監督とビート板がそれぞれの進路について喋っていて、ビート板は多分京大の物理に進んでタイムマシンの開発に挑むことになったみたい。そして凛太郎もドクといっしょに頑張っていた。未来で待ってる凛太郎にハダシ監督は会えたのかな。そこはやっぱり気になるなあ。

 昨日あたりから韓国の情報機関である国家情報院が日本のジャーナリストに情報だとか資金だとかを流しているって内容の番組が、韓国で放送されるって話になっていて韓国嫌いを全面に出している櫻井よしこ氏の一派にとってダメージになるんじゃないかなんて予想も出ていたけれど、youtubeで流れていた番組を眺めて、解説していた人にツイートとかを読んだら、どうやら対北朝鮮という立場からシンパになってくれるんじゃって予想して、支援したら違って嫌韓の総本山めいた存在になってしまったという状況から、韓国の国家情報院の不甲斐なさぶりを指弾する番組だったような気がした。CIAが対ソ連という目的からタリバンを育てたら、同時多発テロを食らった構図と似ているというか。国家基本問題研究所の存在がクローズアップされ、すぎやまこういちさんとかライティな言論人文化人が集合している様子が知られて影響があれば、それはそれで興味深いかも。どんな分析が出てくるか、見ていこう。


【8月9日】 フランスのマクロン大統領が「ONE PIECE」の複製イラストを手にして喜んでいる姿を見てついうっかりして申し込んでしまったマンガアートに当選。ちょっとお値段が張るんでどうしようかと考えていたけれど、ブロックチェーンによる紐づけがなされた高品質マンガイラスト複製の販売が、将来においてどのような市場価値を生むかの実験ってこともあるんで、ひとまず参加することにする。3年後に上がるか下がるか。ちょっとこわごわ。

 マンガアートではすでに販売されたものがあるんで、それが出回っているのか調べたいけところだれど、こういうのがどこで取り扱われているかが分からない。ヤフオクとかメルカリじゃあ値段が張りすぎるものなあ。セカンダリー市場まで面倒みてくれると有り難いんだけれど、それだとテラ銭とられるんで美味しくないか。いずれこうしたポップアート専門のオークションサイトでも立ち上がってくるんだろうなあ。鑑定士とかできないかな。

 宮本茂案を没にしたんじゃ任天堂が協力しないのも当然か。そんな印象をまず持った、週刊文春による東京オリンピック2020の幻の開会式案全編。ざっと見て、リオデジャネイロ五輪の閉幕での引き継ぎ式を思い出しつつ、過去にPerfumeのライブを見て、ライゾマティクスと真鍋大度の仕事に触れ、MIKIKO先生とelevenplayのパフォーマンスを目の当たりにした上で、Perfumeやきゃりーぱみゅぱみゅで中田ヤスタカの音楽を耳にしていれば、クリエイティブディレクターとして菅野薫さんが統括した場合の東京オリンピックの開会式がどうなったかはイメージがつく。

 新国立競技場というフィールドを使ってのパフォーマンスと、プロジェクションマッピングを使った演出と、そしてリアルだけでなバーチャルな表現を挟んでのテレビモニターを通して見るビジョンもそれらの延長ではあっただろうし、ドローンを使っての空中でのパフォーマンスもある素エレクトロニカや韓国での冬季五輪での演出からどういうものかは感じ取れるけれど、それらが実際に繰り広げられた場合のインパクトというものはとてつもなく大きい上に、真鍋大度のことだからきっと過去を越える何かをぶっ込んできただろうからそれに驚けただろうとも想像できる。

 図表から察するに空中でのドローンの変化は地上でのプロジェクションマッピングとも連動して変わりそう。あるいは空中に目を向けさせつつそこから地上へと視線を誘導してそれぞれに意味を持たせたかもしれない。今回の開会式で仮に地上でのピクトグラムのパフォーマンスと同時に空中でもドローンを変化させたところで、観客はどっちに目を向けていいか分からなかっただろう。そういう意味での流れをMIKIKOチームは持って演出を考えていただろうと想像できる。

 問題はそこに載せるソフトウェアとしてのさまざまな日本の文化であり芸能でありアイデアといったものを披露する機会を失ったこと。マリオにパックマンいインベーダーという世界の誰もが知るゲームを通して日本が持っていて今も持っているゲーム大国としての印象を示せたかもしれない。三浦大知やほかのパフォーマーが日本だけでなく世界に通用するパフォーマンスの存在に気づかせたかもしれない。音楽が世界に届いたかもしれない。それらが全部なくなった。閉会式での東京音頭と宝塚が世界にどれだけのインパクトを与えたかと考えた時、そうした思いはグッと強くなる。

 AKIRAに限らずアニメーションに関する紹介の仕方もきっと変わったことだろう。閉会式で使われたような、アメリカと中国で賑わった「鬼滅の刃」の主題歌にとどまらないで、もっとグローバルに知られたものになっただろう。そこから改めて日本という国への親しみを感じてもらいつつ新たな源泉として関心を持ってもらえたかもしれない可能性がすべてとんだことがどうにも残念でならない。それもこれも菅野薫さんがが飛ばされたことが全ての始まりと考えるなら、どうしてそんな事態が起こったかも含めて再検証したくなる。文春が指摘したように佐々木浩との勢力争いからパワハラ疑惑をかけられ飛ばされたのだとしたらそれは残念だし、今回のような醜態も予定されていたものとなる。どうなんだろう。

 わざとだったとしたら同じ社内の論説委員に対して挑戦状をたたき付けたものかもしれないし、意識していなかったとしたら実にちぐはぐというかお前が言うな的案件。むかしは1人が何十年も担当して優れたコラムと評判だったとある準全国紙の1面コラムが先に広島の原爆慰霊式典で挨拶文を読み飛ばしたことに「菅義偉首相があいさつ文を読み飛ばしたなどささいな問題」と書いて、おいおい1国の首相が意味の通らないことを平気で喋って大丈夫かって思わないのかと訝った翌日の同じコラムで、「噺の途中で言葉がつかえた八代目桂文楽は、『勉強し直してまいります』と言って高座を降りた。表舞台に戻ることはなかった」と書いて来た。読み飛ばした菅総理は表舞台から退けって意味なら最高だけれど、そんなことを言える場所でもないからきっと気にせず予定出稿していたのが偶然このタイミングで掲載されただけなんだろう。そうでなければ今ごろは沈められているかも。

 PLUTINUM900のCDを渋谷のタワーレコードへと買いに出てついでにパルコで開かれていたパトレイバー関連で田島照久さんが手がけたアートワークスを並べた展覧会を見て渋谷モディでしばらく原稿を整理したあと、せっかくだからと新国立競技場のそばまで出向いて五輪マークと記念撮影でもしようとしたら大量の人が来ていて並んでいたんで遠巻きに観察。すぐ目の前にある競技場はぐるりと壁に囲まれ近づけず、周回する道路を使っていた人たちは結構大変だったかもしれないと思いを馳せる。首からIDカードを下げた五輪関係者もちらほら。そりゃあ見たいよねえ。

 だったらと秋葉原に回って買い物している人がいるかと見渡しても、ごくごく希にいるくらいで報じられていたほど押しかけている感じはない。遠慮したか選手村に近隣の店で済ませたか。ともあれ今日くらいまで余韻が残っても明日からは何もなかったかのごとくになるんだろう。そして増え続ける感染者。その中で迎えるパラリンピックが無事に開催されて素晴らしい競技を繰り広げてくれることを祈りたい。こちらこそ本当に賭けていた人たちも多い大会なんだから、開かれて知られて欲しいんだけれど今の政治も経済も、票とか金にならないと冷酷に見捨てるところがあるからなあ。見張っていかねば。


【8月8日】 ファイザー製新型コロナウイルスのワクチンをうって2日目。目覚めると少しばかり熱が出ていて、37度7分くらいまで来ていた。やっぱり出て来た副反応。平熱が36度8分くらいあるからそんなに体調に影響はないんだけれど、腕の痛さや部屋の暑さと重なって動くのも億劫だったんで1日を部屋で寝て過ごす。熱は36度8分まで下がったり37度4分まで上がったりと37度を挟んで行ったり来たり。モデルナをうった人だと38度から39度まで上がる人たちが結構いるみたいなんでそれに比べれば大人しいけれど、まったく何も出ないと抗体がちゃんとできているのか分からないだけに、こうやって副反応が出るのは効いてる証拠と受け止める。

 中山競馬場では今日もワクチンの手段接種が行われていたようで、船橋法典駅から地下通路を歩いて行けるから雨の降る日にはありがたいってコメントに雨が降ったんだって事を今さらながらに知る。外を見ないとまるで状況が分からないのだった。中山での集団接種は2度目の人が来週もまだ続くのかな、今週でもう終わるのかな、いずれにしても1度目の人が接種を受けようとしても予約の枠が空いていなくて行きたい人が行けないみたいで可哀想。というか中山競馬場に限らず集団接種が全部ストップになっていて、デルタ株で重症化が見込まれている50代とか40代の人はいったいどこでワクチンを打てばいいんだってことになっている。とりあえず自衛隊の集団接種を紹介しているから、東京の大手町まで行けば打てるのかも。モデルナは副反応がキツく出るけれど、それだけ効果も大きいって話だし急ぐ人は急いだ方が、これからさらに猖獗を極める感染状況にあって生き延びる道なんじゃないのかな。どうだろう。

 やることもないのでAmazonPrimeVideoで「平穏世代の韋駄天たち」を見る。こんな漫画が連載されていたんだ。派手な色使いにオーバー気味のアクションがトリガーっぽかったけど制作したのはMAPPAでいったいどれだけ手がけているんだと呆れつつそれでいてクオリティを落とさない凄さに感嘆する。神々が結束して魔族を打ち倒して800年、ひとり残された神様がそのまま残って封印の監視をしつつ新しく発生した神様というか韋駄天たちを鍛えて戦いに備えていた。その鍛え方が殴る蹴るボコるといったハードモード。よく死なないなあと思うけどそこは神様だから腹をぶち抜かれたくらいでは詩にはしない。そんな殴られるシーンの血が噴き出し腹に穴があく描写はある意味でバイオレンス。よくまあ放送されているものだ。

 それはセックスのシーンにも言えることで、魔族をトップに仰いだ国が何か画策して女性たちを集めては犯し種付けまでしている状況が描かれて、PGとかつけないで大丈夫なのかと思ったけれどそこはテレビで深夜ということで許されているんだろう。逆に映画になるとそこは映倫の規制にかかってきそう。ストーリーはそんな韋駄天たちが知らないうちに魔族が国を支配していたようで、いよいよ侵攻を始めたんだけれど韋駄天が圧倒的に強いからバランスがとれない。魔族たちも一番強いメンバーがあっさり倒されもうびくびくしているんだけれど、人間相手には酌量するだろうという思惑のもと、ちょっかいを出し始めているというのが目下の展開。とはいえ気にせずぶっ殺す気満々だからさらにバイオレンスが繰り広げられるかも。そういやあ「転生したらスライムだった件」も1万人以上が殺戮されていたものなあ。ドライな時代なのかもしれない。

 夕方になったので歩いて10秒のコンビニエンスストアにいって玉子すしといなりの弁当を買いオリンピックの取材陣に好評だったらしいジャンボアイス最中を買って食べてとりあえず夕食を終える。朝はバターロールとパン2枚で昼はカップラーメンにゆで卵2個で何とか保っているというと別に普段もあれだけ食べる必要はなさそうだけれど、起きていると食べてしまうんだよなあ。寝て少しだけ食べて生きるようにシフトしたら死んでるように生き続けることができそう。でもそれは生きていることにはならないので明日は復活したらまた見てこようかな、「サマーフィルムにのって」を。面白かったものなあ。

【8月7日】 竹内通夫さんによる「女學生たちのプレーボール 戦前期わが国女子野球小史」(あるむ)が面白かった。女子というとソフトボールが五輪にも出たけど戦前は軟式も含め野球をしていた女子がいて大会もあったのに各地で大正14年とか15年に中止命令が相次いで出されたとか。文部省が女子に適する競技として当時あげたものにはフートボールやアイスホッケーやフェンシングといった激しいものももあるのに野球はダメって言われたらしい。なんでやねん。

 竹内さんは「『ベースボール』という明治初期に紹介された外来スポーツを『硬式ボールの野球』として獲得した『男性の聖域』のスポーツという信仰があって日本で公安された『軟式ボールの野球』に女子が入って『女子軟式野球』をすることに心理的社会的抵抗が強く働いたのではないだろうか」といった指摘をしている。ジェンダー・バックラッシュとも。体力面とか危険性とかあるけど他競技でも男女がそれぞれに同じルールで競技しているなら野球だけはなぜ? ってなる。ソフトボールが称揚されても女子の野球は浮かばれないこの不思議を解明し解消する一助になるかな。

 ワクチーワクチーワクチー、ワクチーをうつーうとー、うでがーうでがーうでがー、いたくなーるー。ってことで行ってきた中山競馬場での新型コロナウイルスワクチン接種第2回目。9時45分からの予約になっていたけれども家を出て武蔵野線の船橋法典駅から地下通路を歩いて接種の受付にたどり着いたのが9時25分ごろ。見渡しても行列はまるでなくすべての受付が空いている状態ですっと接種券とか運転免許証とか見せてそのまま問診票の確認へと移り、それも過ぎて待つことなしに医師の問診から看護師による接種へと移って9時30分過ぎには終了。そこから10分ほど待って9時42分には帰って良しとなってあとはお馬さんショップでがま口など買って10時前には退散する。

 前回は9時ちょうどについて行列ができていたけど、それでも止まることなく30分ほどで打ち終わった記憶。その前週が職域の人も混じっていたのか大勢がつめかけ2時間待ちだったという話があって、少しは待つことも覚悟していたけど肩透かしを食らったのが、今回はさらにすかされスムーズも極まっていた。同じだけの人数が同じ時間帯に予約を得ていたなら同じくらい混んでいたって不思議はないのにどうしてだろう。30分ほど時間がズレたからかなあ、前回も帰りがけには行列は解消されていたし。

 船橋は集団接種会場がほかにいくつもあって平日なんかも対応してくれるところが多くって、ふつうはそちらに行くんだろうけれどもワクチン接種も楽しみたいという思いからやっぱりあまり出入りしてない中山競馬場に行ってみたいという人もいたように思ったら、案外そうでもなかったのか。ともあれ1日目でちょっと混雑したというのを見て対応を変えて待たずにスムースに流れる状態を作り出した船橋市のロジスティックはなかなかなんじゃないかなあ。

 これでちゃんとワクチンの供給があれば全市民にも8月中には行き渡らせられたかもしれないけれど、供給が途絶えて55歳以下の人たちについてはちょっと後回しになっている感じ。1回目を接種した人の2回目は確保できていても、これから本格的にはやってくるデルタ株が若い人たちの間に感染していかないとも限らないだけに、まだまだ警戒は必要だろう。幸いにして引きこもり生活も可能な身の上だけに食べられる分だけ確保しつつこの状況を生きのびたい。

 なんというか、せめて明日読む式辞の文章くらいは暗記しろとまでは言わないけれど前日にひととおり目を通して1度くらいは朗読して、よどみなく読めるようにしておくのが普通の人の行動のような気がするけれど、その場になって手渡されたかのごとくに開いては、のりが張り付いていて開けなかったからという理由で勝手に読み飛ばしをして、それが日本を一応は代表している内閣総理大臣だという状況がどうにもこうにも摩訶不思議。

 アメリカだったらすぐさまネタにされて職務遂行能力を疑われるミスだし、選挙戦中だったらそれが理由で候補者を下ろされることだってありそうだけれど、日本は御用メディアが「ささいなこと」と言いつのって擁護する。国のトップが恥ずかしいミスをしたのをとがめないで保守も右翼もあったもんじゃない。つまりは自民党の一部の人のみが守るべき対象ってことなんだろう。あるいはすがるべき相手とでもいおうか。

 のりで張り付いていたならその場ではがしてでも読めばいいだけの話で、むしろ読めないからといって読み飛ばす方が、ひとつの文章を通して意味が通らないものにしてしまいかねない恐れから、絶対にやらないのが人間の大人だと思うけど、そこを平気でやってしまってなおかつ「事務方のミス」と外にせ委任転嫁をする為政者の下で、やっていかざるを得ないこの困難。戦争に負けたって兵士のミスだと言って知らん顔されてそれでも戦える? 無理だよねえ。

 社員のメダルをかじられたからと名古屋市長という権力者あいてに引かず追い返すトヨタ自動車の方がまだまとも。まああの会社に為政者になられては無駄が省かれ歯車にされて絶望工場に沈む可能性もあるからたたえないけれど、少なくとも後処理の部分でまっとうか否かを比べると、総理の方に大きく分が悪い戦いになる。それでもたたえて持ち上げ続ける周辺とメディア。大丈夫かねえ。

 「映像研には手を出すな!」の浅草氏が、アニメではなく時代劇が大好きで、そして「未来で待ってる」される物語だと言えばだいたい分かってもらえるだろうか。松本壮史監督による映画「サマーフィルムにのって」のことだ。ひいき目で観れば過去に類をみない傑作で、疑いの目で観てもかつてないほどの傑作映画であると観た人の誰もが感じてそして断言するだろう。映画作りにかける情熱、時代劇に向ける関心を恋愛映画に向けるそれと真逆だと思っていたら、案外と近いところにあるってことも伺えて、映画館でわんさか流れる恋愛映画の多さに辟易とはせず、それらを必要としている人たちのことを思い、そして恋という真剣勝負に挑んで斬り結ぶ恋人たちの動勢にも関心を及ぼしたい。

 とりあえず主役の元乃木坂46の伊藤万理華さんの演技が凄い。とことんブサイクにしか見えないからだ。目はどろんとして口元は下がり怒りとも嘆きとも言えば言えるけれどそこまでの強い意志すら欠けた表情を、スクリーンいっぱいに見せている。アイドルとしてではなく役者として映画に臨んだからには、役を演じきるという覚悟が感じられる。そんな役者の覚悟が、ハダシというキャラクターのこと時代劇にだけは情熱をかたむける性格と重なって、「サマーフィルムにのって」という映画の上で炸裂する。ビート板という役を演じた河合優実さんの眼鏡っぷりと会わせ見る価値大とも断言しておこう。


【8月6日】 反発の大きさにたじろいだのか、新型コロナウイルス感染症で重症者は病院に入ってもらうけれども、中等症あたりの人はたとえ酸素吸入がすぐに必要になりそうな容態でも、病院には入れず自宅療養を押しつけるといった無茶苦茶な施策を引っ込めて、これまでどおりに中等症でも病院に入れるなりホテル療養なりをしてもらう方針に改めたらしい。

 検査をしなければ重症だろうと中等症だろうと新型コロナウイルス感染症かどうか分からない、シュレーディンガーのコロナ患者を作って逼迫する医療体制を見せかけの緩和に持ちこもうとしていたようだけれど、それで死屍累々となったらさすがに政権がひっくり返ると理解したってことなのか。そうだといいけどデジタル監の人事だとか、無茶を平気で出してくる政権だけに次もすぐまた何かやらかすだろうなあ。怖いなあ。

 中日新聞の記者であるといった身分をさらして、新聞になんて力はないんだからキャンペーンをするなら現場で一生懸命してくれって平気で言い放つ蛮勇を目の当たりにして、ペンの力で及ばずながらも世の中を変えてやるんだといった意欲でこの業界に入ってくる人が、今や希少になっている実態めいたものを目の当たりにした気分。いやいやさすがに少数派だとは思いたいけれど、これだけ総理大臣のアンポンタン加減をかき立てても一向に辞める気配がないところを見ると、ペンの力なんてもはや薄紙1枚すらつらぬけないのかもって思えてしまう。

 ただ交通事故を新聞は減らせないんだといった、それをするのは交通指導員だとか警察だとかいった言説には、いやいやそういった体制ができたのは過去に読売新聞が、それこそ日露戦争で亡くなった人より多い数が交通事故で亡くなっていることを重く見て、「交通戦争」というセンセーショナルなタイトルで一大キャンペーンを張ったからだったりする。売血によって病気が広まることを避けようと、「黄色い血」キャンペーンを張って献血へと移行させたのも新聞のキャンペーン。そうやって社会を動かしてきた先輩達に学ばず、学ぼうともしないで新聞の業界に居続けるならとっとと去れって言いたくなった。まあ色々と突っ込まれたから多少は改めるかな、改めないからこそ繰り返して暴言を吐くのかな。ちょっと様子見。

 アクションアクションアクションバトルバトルバトルお茶子アクションアクションアクションバトルバトルマウント・レディバトルアクション耳郎アクションバトルバトルバトルといった映画だったと言えば言えるだろうか。「僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ワールドヒーローズミッション」。テレビシリーでもほのめかされていた、個性をブーストする薬物を大量にばらまくことで個性を暴走させて大量破壊を引き起こすテロの根源を絶とうと、世界中のヒーロー達が結束することになってそこに日本からもヒーロー達が世界へと出張。目下インターン中の雄英学園1年A組の生徒たちもインターン先のヒーロー達にくっついて各地へと出かけていく。

 そんな中にあってエンデヴァーのところでインターンをしていた緑谷出久や爆豪勝己やエンデヴァーの息子の轟焦凍はエンデヴァーたちといっしょにオセオンという国に乗り込んでいくもののそこで起こったアクシデントに緑谷が巻き込まれる形になって、地元のロディ・ソウルという少年といっしょに旅をすることになる。いつもだったら爆豪の反発に轟の鬱屈を周囲に感じながら緑谷の懊悩が渦巻く作品だけれど、そんな2人から離れたことで緑谷のまっすぐに純粋にヒーローとして誰かを助けたいという気持ちが放たれて、どこか屈折したところがあるロディを悩ませる。

 弟と妹を大事にしたいけれども期待を裏切りたくないというジレンマの中でロディが見せたある決断。その格好良さをひとつのクライマックスに進んでいく展開の中で繰り広げられるアクションにバトルがとにかく凄い。最初の緑谷とロディのおかっけあっことそこに絡むヴィランの攻撃、そしてロードムービーの帰着点で起こる襲撃への対処から敵の拠点へと向かい繰り広げるとてつもなく強大なヴィランたちとの緑谷であり爆豪であり轟の戦いぶりが、巨大なスクリーン狭しと描かれては目に前後左右へと視線を向けさせる体操を強いる。

 本当に凄いアクションシーンの連続をよくまあ描いたものだ。それはそれでスリリングだけれどもあまりの多さに流石に飽きてきたところで、各地に派遣されては頑張っているお茶子ちゃんとか梅雨ちゃんとか八百万とか耳郎とかの活躍も目にうつってホッとさえられる。マウント・レディは格好がピチピチだけに目の保養度も高い。男共はどうでも良いかな。可能ならそうした女子チームの活躍もいっぱい見たかったけれども本筋は緑谷の諦めない気持ちに、誰もが感化され拗ねていた少年すらも気持ちを入れ直すストーリー。それが気持ちよく決まって鮮やかに描かれているとう点で、この映画は最高以上だと断じたい。ところで、葉隠透の能力が暴走したらいったいどうなるんだろう。透明になり過ぎて物質をすり抜けてしまうようになるんだろうか。


【8月5日】 朝から船橋市中央図書館へとこもって3時間くらい対談原稿の手直しなんかをしてから、サイゼリヤでランチを食べつつスポーツに関連する書籍の紹介特集の最後として陸上競技に関する本をいくつか読んで紹介を書く。天沢夏月さんの「ヨンケイ!!」はその名のとおりの4継こと男子の400メートルリレーについての小説で、伊豆大島の高校に結成された4継チームのメンバーのそれぞれに抱えた悩みだとか過去のトラウマなんかを引っ張り出しつつ、乗りこえていった先でかっちりとチームが出来上がるまでが描かれる。彼らは部品じゃなく1人1人が意思をもったランナーなんだと分かった上で、見るとオリンピックのヨンケイも違って見えるかな。

 ソフトボールで金メダルを獲得した日本代表の後藤選手が地元に戻って名古屋市の河村たかし市長を訪問した際に、河村市長が金メダルに噛みついて避難を浴びた件でふざけた言い訳をして切り抜けようとしたものの、4000件とかいった避難が浴びせられてこれは拙いとおもったのか、後藤選手が所属するトヨタ自動車に直接謝りに行ったら中に入れてもらえなかったというところに、トヨタ自動車の事態に対する意識の高さが見てとれる。

 ただの会社だったら名古屋市長が来れば会うくらい会うんだろうけれど、そこで会えば相手が図に乗ることは目に見えている。会ってくれたということは許してもらったことだと河村市長が喧伝しても、それにたいして反論できるだけのチャネルももっていないトヨタ自動車にしてみれば、会わずに追い返すのが1番の意思表示になるって判断だったんだろう。

 あるいはアポイントメントもなしに来られたって会える訳がないだろいうという、社会人としてごくごく当たり前の態度を見せたっていうか。とはいえこれでミソをつけた河村市長だけれど、市長選で当選したばかりなだけに辞めることはなさそう。リコール運動での署名偽造問題も音沙汰がなく市長に及ぶかも見えてのない中、しばらくは胡散臭い名古屋弁もどきをぶちまけながらみっともない態度を見せ続けるんだろうなあ、ああ暑苦しい。なんで名古屋はあんな似非名古屋人を当選させたんだろう。そこがどうにも分からない。

 共同電をロイターが打電しからには、英文として海外にも行くかな。ジョーイこと伊藤穣一さんがデジタル庁の事務方トップに抜擢されたというニュース。伊藤穣一さんの名前だとか存在は1990年代半ばくらいから見知っていて、インターネット周りでいろりと仕掛けたりしていた人だから今の社会のある意味では恩人でもあるのだけれど、MITのメディアラボでの一見はそうした功績を覆ってあまりある疑惑を与えてしまって、今なお解消されていない以上はやはりちょっと速すぎる”復権”のような気がする。

 いわゆる児童性愛なり児童虐待といった問題はアメリカあたりでとてつもなく大きな問題として糾弾されることになる。収監されたエプスタインが獄中で一応は自殺とはされながらも謎めいたところを残した死を遂げた背景にも、アメリカにおけるそうした犯罪への嫌悪感というものがあるのかもしれないし、あるいは繋がりがVIPへと及ぶのを防ぐために口封じされたといった可能性もあるかもしれない。いずれにしても深い闇がありそうな問題に、関わってMITのメディアラボ所長を退任した人を、いくらデジタル制作に通じているからといって国のデジタル行政の重要なポストに据えては世界中から疑惑の目が向く。

 台湾のオードリー・タンがLGBTとしてデジタル関連の大臣に就任しているのとは天と地獄の底くらいに違った話。そうした人事を模索の段階で止めることができず、こうして報じられて既定路線とされてはじめて世に出て問題がいろいろと取りざたされてしまうことを政府なり内閣なりは予想できなかったのだろうか。事を安易に考えているのかもしれないけれど、こうして問題視され世界にも打電されるだろう状況下では退かざるを得ないんだろうなあ、やっぱり。

 でもっていったい誰がってなるけれど、東京都から宮坂学さんを引っぺがしてくる訳にもいかないとしたら村井純さんってあたりになるのかなあ、ただ制度には通じていても技術とかその適用に長けているかどうかは学術の人なんでちょっと分からない。メルカリだとかZOZOだとかビジネスモデルを立ち上げた人はいてもテクノロジーを思想の中で語ってビジョンを示せる人ってそうはいないものなあ。西和彦さんはあれでビジョンの固まりみたいな人だったけど、突っ走りすぎてぶっつぶれた。川上量生さんはコンテンツサイドに寄りすぎて国の行政システムまで包括できるか未知数。結局誰もいないってことになるのかなあ。


【8月4日】 「神山健治監督の新作は『永遠の831』だって」「腐らない野菜の話かな?」「永遠の8歳じゃない? 井上喜久子、8歳です」「おいおい」「永遠の闇市だって」「戦後が今も続く日本の暗部に切り込む社会派アニメ」「神山健治監督らしい」「でも本当は何だろう」「何だろうねえ」「それにしても女子」「どうして浮かんでるんだろ」「女子のセルとDGを重ね間違えたとか?」「そうだな」「そうだね」。なんて冗談も思い浮かんだけど結局のところ分からない「831」の意味。「813」ならアルセーヌ・ルパンだけどそれと何か関わりはあるのかな。いずれにしても遠からず見られるのだろう。期待して待とう。

 与党の公明党からも撤回を申し入れられながらも政府は微動だにせず、新型コロナウイルス感染症の発症者でも中等症あたりの人は自宅待機を申しつけるとか。病院がぎちぎちになって身動きがとれなくなる予防措置ではあるものの、病院がギチギチになってなお溢れるくらいの発症者が現れかねない事態をまずどうにかしなければ対症療法にすらならず文字通りの見殺しにしかならないにも関わらず、メディアはそうした厳しい意見を書かずに粛々と菅義偉総理の言葉だとか田村憲久厚生労働大臣の「今は平時ではない」といった言葉を伝えるばかり。役に立ってない。

 「平時ではない」のならどうしてオリンピックなんて開催していられるのか、って聴けば「まさにオリンピックが開催されているから平時ではない」なんて答えそう。そうこうしているうちにオリンピックもあと数日で終わって残るは文字通りの死屍累々なんてことになっても、政府与党は誰ひとりとして責任はとらず二階俊弘幹事長の狭い視野の中だけで「菅総理は支持されている」というビジョンに従い政権運営を行っていくんだろうなあ。そこにぶら下がっているメディアも引き連れて。

 これはメディアの選別と生き残りなんかにも関わって来そう。このご時制、自宅待機だなんて政策の大転換を行い国民に被害が出そうな状況が訪れているにもかかわらず、オリンピックを1面トップに末続ける大手町のお隣同士の新聞が支持されるか、それともスポンサーでないことを活かしつつ1面に絶対オリンピックの記事を載せない東京新聞を始めトップは政治や社会の話を追ってくるオリンピック会場に近い新聞社とか日本武道館に近い新聞社なんかが生き残るか。大手町でも皇居に近い方は体力抜群だから保つとして、政権支持を赤らまさにしている片方は東京辺りの部数で東京新聞とぶつかり合っているだけに、その結果が興味を誘う。実質部数も逆転しているかもしれないなあ。さてはて。

 熱くなりそうだったんで船橋中央図書館へと入って3時間ほど原稿書き。文庫の短い紹介文とかコンテストの講評とか。いじっていると時間も経って退場の時間が来たので出てサイゼリヤにはいってランチのパスタとドリンクバーで2時間ほどねばる。電源があればもっといられたけれどもそれ以上いてもアイデアとはは出て来ないから引き時だったと思おう。とはいえ時間はまだ2時半で熱かったのでフレッシュネスバーガーに入ってオリンピックの中継なんかも見ながら少しだけ読書。まはら三桃さん「疾風の女子マネ」がかつてバレーボールで良いところまで息ながらも選手だからと威張ってマネジャーを邪険に熱かったことがひっかかっている少女が、高校で陸上部の短距離マネジャーになる。

 カリスマ的なマネジャーがいたけど病気療養中。その替わりを埋めようと必死になってメニューとか組選手のためだといって守らせようとしても選手はついてきてくれない。うざくおもって喧嘩にもなったけれどそれは過去に自分がやって来たことだったりする。そんなところから何が正解なのかを探しつつ、選手であってもマネジャーであってもお互いを尊重しつつ言うべきは言うことで高みを目指すのがベストかなって、いった結論に至る。これが児童文学の範疇から出ているところが面白い。ライトノベルがおっさん趣味でラブコメだとかに走る中、児童文学は大人でも耐えられるドラマをしっかり描いてた。あるいはライトノベルの作家がジュニアノベルにいってラノベでは書きづらい真っ直ぐなスポーツものとか書き始めている。どうなるラノベ?

 オリンピックではスケボーがイケてたりフリークライミングが鋭かったりして新しいけど楽しい競技はやっぱり人気が出るんだなってことを思い知る。見て楽しませてやって楽しいスポーツなんだから当然か。とはいえ飛び込みだって「DIVE!!」とか読むと奥深さも感じられるようになって目が離せない。あの1.4秒にかけてどれだけの神経を注いでいるのか、そして練習時間をあててきたのか。なのに淡々と演技を繰り返す選手たち。凄いなあ。それが解説なしで見られる。自分自身で何が良くて悪いかを考えなくちゃいけない。こういうスタジアム観戦に近いスポーツとの触れ合いが増えることで、ドーピングされた盛り上がりではない膚感覚に近い認知と理解を得て広がっていく。東京は、そんなきっかけになったオリンピックになるかもしれない。

 大戯けとしか言い様がない河村たかし名古屋市長によるソフトボール女子選手の金メダル噛みつき問題。そりゃああれだけ選手たちがやっているんだから真似してみたい気持ちが浮かぶことに考えは及ぶけれど、他人のものであってなおかつ新型コロナウイルス感染症も蔓延が心配されるなか、直接噛みつくとはいったいどういう了見かって方々から批判されている。にも関わらず「迷惑をかけているのであればご免なさい」って仮定の話にしてしまう。「迷惑をかけてしまったので謝る」とどうして言えないんだろう。間接話法でしか話せないように今の政治家って作られてしまっているのだろうか。それはどこから始まった。すくなくとも今の政権はそんな人たちばかり。挙げ句に大事がおこっても誰も責任をとらないまま過ぎていく。屍を積み上げて。やれやれ。


【8月3日】 総理大臣が無茶を言い出して国民に多大な迷惑を与えそうな時には、大臣が出て行ってそれは間違っていますよ総理と言って国民により優しい政策へと転換を促すかというとそこは国民ではなく総理大臣の方を向いた大臣たちばかりだけあって、菅義偉総理大臣が新型コロナウイルス感染症の陽性者で発症しても重症でなければ家で寝てろといったことに上乗せして、田村憲久厚生労働大臣は高齢者であろうと重症化しやすい基礎疾患があろうと、自宅で寝てろと言う可能性があるといって総理大臣の施策をグレードアップしてくれやがった。

 中等症といっても熱があって咳が出るといった生やさしいものではなく、酸素飽和濃度が下がって息苦しさが増している上に熱も下がらず七転八倒しているか、あるいはそのまま意識が遠のいて永遠に目覚めないかといった瀬戸際にあったりする人たちが少なくない。とっとの容態の悪化ですぐさま重症化して重体となる可能性もある人たちを医師の目から遠く設備もまるで整っていない自宅で寝てろと言うのはすなわち、そのまま逝けと言っているのに等しかったりする。

 棄民だ何だと野党がこぞって騒ぐのも至極当然。それなのに政府はまるで政策を変える様子はなく、かかりつけの医師に往診してもらえるようにするから寝てろとしか言わない。ただでさえ発熱外来が人でいっぱいの町医者に、この上往診までさせようだなんてどんな非道な国なんだ。そんな暇も余裕もないし、新型コロナウイルス感染症の人の家に入って診察やら治療だなんて防護服でも持って行けない往診でどうやって対応できるのか。不思議だし無理だけれど言いだしたらきかない赤ん坊みたない政権は、このまま押し切る考えで居るんだろう。

 そして命が失われても検査はしておらず入院だってしてない人が新型コロナウイルス感染症で亡くなったなんて勘定はできないと言ってカウントせず、かくして死亡者は減って国はどうた見たかと凱歌をあげる。そんな権力者の見栄で固められた国に生きてそして死んでいくなんて、嫌だなあ。不思議なのは巷にとてつもない怨嗟が渦巻いているにもかかわらず、二階俊弘幹事長は菅政権は支持されている、そんな国民の声が聞こえると会見で嘯いたとか。いよいよ幻聴でも聞こえ始めたのなら、退任もやむなしって思えるけれども幹事長がそういえば廻りもそう言う裸の王様の国。率いられ行き着く先はいったいどこ? やれやれ。

 100箱ほどカット箱を上げたり下ろしたりしてから渋谷のユーロライブで開かれた片渕須直監督による「ジュゼップ 戦場の画家」のトークイベントを取材に行く。オーレル監督とはリモートで対談をしていてブルータスに掲載もされているけれど、トークではそんな映画で語られていた、フランスによるスペイン内戦からの難民を強制収容して弾圧して虐待していた歴史について、あまり知らずに至ってことが興味深かった。歴史に詳しいはずの片渕監督でも知らない歴史はフランス人にとって汚辱の歴史でもあるのに、それをフランス人が映画にすることの勇気。さぞや国粋主義者に虐められたかなと思ったけど、今の国粋主義者はフランスへと渡ってきたスペインからの移民の子孫がいるらしく、暴いてもらって逆に歓迎ってことらしいから世の中は分からない。

 片渕監督はこの「ジュゼップ 戦場の画家」が動かないことを指摘してて、今の日本でアニメーションが動かないと非難囂々になるって状況について触れつつ、動かないことでにじみ出てくる現象と追憶の入り交じった不思議な情感があるってことを指摘していた。モノクロのトーンでもってジュゼップの絵も交えつつオーレル監督がほとんど描いたという過去のパートは、風刺漫画のイラストレーションを描くオーレル監督の表現力も混じって1枚絵でもそこに描かれた物の心情が感じられる。それらが連続して繰り出されるんだから何も感じないなんてことはない。動かすことで語れることもあれば動かさずとも伝えられることがある。映画はそこをくみ取るべきなのに、動かないのは手抜きだと騒ぐ人たちがまだまだ多いこの日本でどれらけ受け入れられるだろう。8月13日公開。

 大坂の阪急で大勢のクラスターが発生して百貨店が閉鎖になったらしい。東京でも新宿の伊勢丹あたりで閉まるショップが続出し、ルミネエストも大勢の陽性者が発生して消毒のために1日閉めることになったとか。あれだけの大勢の来店客があって動き回る人もいてマスクをしていても喋るししていなくても喋る人たちが出入りしていればどこかにバブルの穴は生まれる。そこに近づき接触して感染した人が歩き回ってまた広める連鎖が新宿のあちらこちらで起こっているのかもしれない。近づきたくないなあ。百貨店とかいかないし会話もしないから安心といえば安心だけれど。でもショッピングモールには行くからそこでの立ち居振る舞いには注意したい。


【8月2日】 たとえばそれが統合失調症を患っている人として想定されたものだとしたら、現実にはありえない理由もなくぶち切れては殺傷行為に走るといった描写に、患者へのいらぬ偏見を助長する可能性があったし、剽窃されたと思い込んでは妄執に近いものとなって決して譲らない心理へと陥った人として想定されたのだとしても、そうした心理に至った原因へと想像を伸ばすことをスポイルしてしまって、徹底した排除へと至りかねない懸念もあったりしたことを鑑みるなら、ある種の“意思”をもって無差別殺人に走った人物として一般化してしまうのも致し方がない対処だったと言えるのかもしれない。

 創作に励むものがその創作に行き詰まっては他人への羨望をこじらせ剽窃の疑惑を増大させてしまう可能性を指摘することで、そちら側に転ぶ可能性を示したものだといった意見もあったかもしれない。その場合は発表された描写も意味を持ってくると言えるけれどもそう表現しおうとして結果として特定の疾病への偏見を助長しかねなかったといった判断を得て、改稿したのならそれに異論を唱えるだけの根拠を持たない外野が、何かを言うことは難しい。結果として改稿されて再掲された藤本タツキさんの短編というかほとんど中編の「ルックバック」が描こうとした主題に変化がないなら、問題にする必要もないとここは言っておこう。

 フランスのマクロン大統領がイラストにサインをもらって大喜びしていた「ONE PIECE」の複製原画は、集英社の関連会社として作られたマンガアートが確か取り扱っているんだっけかと調べたのが運の尽きで、ちょうど売り出していたナミが水着になったイラストを高品質のプリント技術でカラー複製した作品を、血迷って入札したら当たってしまってどうしようかと思案中。ちょっと前に話題になった「鬼滅の刃」の複製原画とは比べものにならない技法が使われているという触れ込みの上、ブロックチェーン技術を使って所有権を登録できるとあって唯一性が担保される上に販売された履歴も残って価値といったものがトレースされる。

 たとえ超高級の版画であっても売ってしまえばあとは“中古”といった趣が漂うところを、ブロックチェーンという耳新しい技術と結びつけることで市場という展覧会場におかれた1点物だという意識を持たせることに成功した。それが世界でもそれなりに人気の「ONE PIECE」なら将来の価格上昇も考えられないことはないけれど、漫画の原稿そのものではない複製原画がどこまでの美術品的価値を持ち得るかは未だ謎。ウォーホルが手ずから吸ったリトグラフだのシルクスクリーンといったものととは違う工業製品でもあるだけに、ある種の賭けみたいなところもあるけれど、それも含めて乗ることで何か得られるものがあるなら乗ってみても悪くないかなあ、手放さなければ作品そのものは残るわけだし。問題は価格かあ。どうしよう。

 新型コロナウイルス感染症の中等症とは決して微熱があってコンコンと咳が出るものではなくって、高い熱が続いて酸素吸入も必要となってベッドから動けない状態になったりするから入院した上で看護が必要とされるにもかかわらず、菅義偉総理大臣とその政権は重症患者か既往症のある人しか入院はさせず中等症や初期症状の感染者は自宅で療養するようにといったことを言い出した。今までだって入院は重症をメインにしていたとはいえ、中等症でも見てくれるところあがあれば見てもらっていたのがこうして国の決定事項とされると、病院も保健所も中等症の患者を自宅に押しとどめては治療にあたらず費用も負担しないで苦しみ悶えるままにしておくことになる。

 それでも既往症があれば、あるいは年齢が高くてリスクがあると判断されれば入院も可能かもしれないけれど、まだ若い30代や40代はローリスクとされて家にいろって言われるんだろう。かといってワクチンは接種の順番が当面回ってこない氷河期世代。ここでも国の施策からこぼれて見捨てられるって意識が醸成されていった果てに、国に対してどんなことが起こるかが今から気になる。選挙で落とすとか言った生やさしい話じゃなく、それこそサボタージュかあるいはプロテスタントといった行動に出て社会機能を麻痺させることだって考えられる。その1歩手前にありながら政権はどうして何もしないのか。舐められているんだろうなあ。やれやれ。


【8月1日】 今日が最終日ということで、有楽町の丸井まで言って「BLACK LAGOON」の20周年記念展を見る。広江礼威さんによる手描きの原稿があってしっかりとしたディテールで描かれたキャラクターやら銃器の格好良さに芽を潰す。ラフ絵もあったけどその時点ですでにポージングがしっかり取れているところに絵の巧さを見る。新しい原稿はプリントになっていたからもしかしたら手描きからタブレットに移っているのかも知れない。漫画となったところは変わらないけれど、原稿の段階ではやっぱり手描きに目が向いてしまうのは物質にとらわれた昭和世代だからか。海外に流出したら1枚1000万円とかで取引されそうだなあ。はやくハリウッドで映画化されないかなあ。

<  しばらくウェンディーズで原稿を書いてから、時間があったので築地へと出向いて場外市場を散策。もしも東京オリンピックが普通に開催されていたら観光客やら選手やら関係者が出ていろいろと賑わっていたんだろうけれど、現時点では日曜日の昼過ぎってこともあって大半が閉まっていて卵空き家とか寿司やなんかが店を開いて観光に来た人をあつめていた。胸にクビからパスを下げた人は歩いていたけど店とかには入らず市場跡に向かっていたのは、そこが車両の既知になっているからか。フェンス越しにバスが並んでいるのを見たけれど、近寄れず人の気配も感じないフェンスの向こうでのオリンピックに果たして意味があったのか。これから問われていくんだろう。

 歩いて戻っててからTOHOシネマズ日比谷のIMAXで「竜とそばかすの姫」を見る。たぶん4回目。ああそうか、カミシンが遠征に深夜バスで行ったって川原で話してたんだってことにやっと気づく。すずはだから夜に飛行機なんかもなくなってしまった時間帯に、深夜バスでカミシンが合宿をやった場所に近いところまで行くってことを思いついたんだ。あるいは検索をして出てきた選択肢にこれだと飛びついたとか。そんな伏線が割とそこかしこにあったりするからこの映画、1回見ただけではちょっと収まらない

 今回は〈U〉がどうして既存のバーチャルワールド、つまりは現実の空間を割と意識するなり未来的な都市像を想像するなり、子細に描かず構築的なオブジェクト群が連なる広大な空間として描いたのかを考える。まずは起用したエリック・ウォンがそうした都市のビジョンを建築家として示していたから。身近な生活感とか逆に縁遠いテクノロジー感といったものをそこに反映させないビジョンは、時代性といったものを感じさせず、ある種の群体の島宇宙的な連なりといった形で、都市といったものを感じさせてくれた。

 そのビジョンを「竜とそばかすの姫」に使ったことで、どこか未来的ではあっても具体的な技術の進化といったものを雑念として想起させることを避け得た気がする。あるいは、バーチャルモールを舞台にした商売だとか、スタジアムでのスポーツだとかいった具体的な営みが行われていることも見せずにおいたことで、現実のメタファーとしての空間にしてしまって現実での身体感覚、あるいは関係性といったものに囚われずに済んだ気もする。

 そうした狙いがあったかは分からないけれど、どこか無機質な場であってもそこに人が、あるいは〈As〉が集えば活力が生まれて生命感が漂うのは、誰も居ないと打ちっ放しのコンクリートで冬場は冷え冷えとして夏場は暑さだけが漂うスタジアムに観客が入り、選手達がフィールドになってプレイすることによって活気づくのと同じ。場は場であってそこすら参加者が自由に変えていける余裕めいたものを、〈U〉という空間は持っているのだろう。

 そうした場からの脱却が果たせないのが、だから竜というわけで城というあまりにも具体的で情動的な居場所をつくって閉じこもっている。どこにでも現れて誰とでもふれ合うことで空間を、空気を変えるだけの意思が持てない現れとも言えるかも。かろうじて力をふる時だけ表に立てても、心を痛めつけられる事態に直面すると心地よい場所を作って引きこもってしまう。

 ベルもあるいはそんな道を辿る可能性があったけれど、彼女には歌があった。歌によって人をひきつけ、人に打ち解け相互にコミュニケーションをとることができた。何もない空間でも唄えばそこがライブ会場に変わった。圧倒的な人波から浮かぶ感慨が空気を振るわせた。竜はあのあとそんな場を自分で作ることができたのだろうか。それは気になるけれども語らずともできたと思うことが「竜とそばかすの姫」という、行間の多い映画に対する向き合い方だろう。映画というその場を変えるのは見た人たちなのだから。

 やっぱり激しく感動をして、さて戻るかと思いつつせっかく街まで来たのだからと御徒町のDIVEで巨大弁当を買おうと回ったら閉まってた。日曜休みなのか? 仕方なくいつもの店で唐揚げメンチ定食を食べてからTOHOシネマズ上野で「サイダーのように言葉が湧き上がる」を見る。東京国際映画祭での試写も入れると3回目。やっぱり良い映画だ。日本でもジワジワとファンが広がって来ているけれど、海外ではNetflixでの配信があったせいで全世界的に見られて感涙を誘っている。英国のインディペンデント紙(といっても今はネット版のみだけど)なんか星4つもつける誉めっぷり。アメリカでも好評なだけに配信もアカデミー賞に含めて良いとなった時、「流とそばかすの姫」よりもこちらがノミネートされる可能性もあるのかな、あったら面白いけど本心は両方入って欲しいかな、どっちも素晴らしいアニメーション映画だから。


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