縮刷版2021年7月下旬号


【7月31日】 いやあ、「私はできると思う」と言われたって現実問題、できてないからいよいよ新型コロナウイルス感染症の東京都での新規感染者数が4000人を上回って来た訳で、それなのに「私の責任で防止する」とか今さら言ってたりする菅義偉総理を相手に「蔓延っているデルタ株のキス、危機一髪、誰が見てもおよそ不可能でBAD、楽しめないな、I think I can? I think I can? I think I can?」とギターかきならして歌って聴かせる記者とか出て来ないものかと思いたくなる。元ネタはピロウズね。

 だったら今すぐに人流抑制を徹底するぞと印象づけるオリンピックの中止を訴えるべきなのに、それはまったく影響してないとか言えちゃう頭の二重構造ぶり。政治的な理由からそう言わざるを得ないのだとしたら、いい加減頭の中もぐちゃぐちゃになって来てしまわないんだろうか。それとも元がぐちゃぐちゃだから気にもとめていないんだろうか。悪いとか拙いとかヤバいとかいった思いもなしに悪くて拙くてヤバいことをやれてしまう精神の持ち主がトップに立ち続けているこの国で、行く先は侵略戦争の放棄を歌いながらも海外派兵を……ってそれ既にやっていた。もうずっと分裂気味だったんだ。なら仕方が無いか。そんな人たちをトップに仰ぐ政党を選んだのは国民だもの。やれやれ。

 水泳に続いてテニスの小説なんかを読んで阿部暁子さんの「パラ・スター<side 宝良>」がことのほか面白くって読みふける。学生テニスで頑張っていたら交通事故で足が動かなくなった宝良は車いすテニスをプレイするようになって、日本でも3本の指にはいるプレイヤーへと成長した。今は企業に籍をおいて時々広報の手伝いをするほかはプレイ三昧の日々を送っているけれど、そんな宝良がちょっとしたスランプに陥ったことで自分がプレイしているパラスポーツの状況が見えてくる、って感じのストーリー。道具を見直そうとして親友が働いているからと逆に遠ざけていた車いすの工房に新しい車いすを頼んではミリ単位で座面を調整。プレイの方でも気迫を取り戻して女王に挑むといった展開に健常者のスポーツものと同様か、それ以上のスリリングでエキサイティングな読み味を覚える。映画化しそうだな。

 「Fate/Grand Order」を1ミリ秒もプレイしたことがない人間として見た「Fate/Grand Order −終局特異点 冠位時間神殿ソロモン−」はつまりオールスターキャストによる英霊軍団のラスボスタコ殴りから真打ち登場へと至ってデウスエクスマキナ的解決となって世界は滅亡を免れる展開といったところなのか。「申請円卓領域キャメロット」でベディビアの数奇な運命をドラマチックに描いてたりして、そんな各章で積み上げて来た感動もすべてが総動員の伏線だったとは。まあ基本的にマシュがかわいくてダヴィンチちゃんが目立っていれば良いところもあるんで、それは充分に達成されていた。あとギルガメッシュはやっぱり偉そうだった。そんな映画。これでFGOは第1部完となって第2部に入っているらしいけど、いったい何が起こってるんだろう。面白いんだろうか。やってみるにはもはやハードルが高すぎるんだよなあ。

 キングコングの西野亮廣さんが先だっての東京オリンピックの開会式で繰り広げられたドローンによるパフォーマンスをアメリカ人にマクドナルドを進めているようで恥ずかしいと言ったことは嘘でも卑下でもなんでもなくって、実際にインテルが世界各地で繰り広げてるパフォーマンスをそのまま持って来ただけといった感じで、これを日本のテクノロジーだといったら日本のメディアアートやテクノロジーの専門家たちが怒りと悲しみと恥じらいで顔を真っ赤にして不思議はない。NTTの技術研究所でずっと行われていた研究でもドローン制御によるパフォーマンスは入っていたけど、空中をディスプレイとして活用する以外に地上とも連携をとってより多次元的な光の表現を見せようとしていた。

 ライゾマティクスあたりが絡めばさらにARを使って目で見える映像と、テレビモニター越しに見える映像に差をつけたりしただろう。ほかにもNTTではMIKIKOさん率いるイレブンプレイのメンバーがダンスしたパフォーマンスをリアルタイムで追跡し、モニターに切り取って動き出すような映像実験も行っていた。選手たちの活躍を立体的に見せる3次元ディスプレイなんかも用意してたっけ。そうした技術のひとつでも今回の東京オリンピックで使われているんだろうか。NTTもスポンサーに入っていながら宣伝活動の自粛でそうしたテクノロジーがお蔵入りになっているんだとしたら寂しいだけでなく、実用化に向けた動きも止まってしまう。そしてインテルのように世界規模で動ける会社が伸びていくという悲劇。いっそこうなったら来年あたりに国立競技場を使い、幻のMIKIKO案にのっとった開会式を再現してみせるイベントを、国家予算でできないものか。


【7月30日】 むしろ季節的には大外れともいえる猛暑だけれど、世界最大の祭典が開かれていることもあってスポーツの季節ってことでスポーツに関連した本とかあれやこれや引っ張り出して読む。テニスで何かないか探したけれど、とある人気テニス漫画に似すぎているからと引っ込められてしまった無双がどうとかいった作品以外だと、メディアワークス文庫から出ているシリーズがあるくらい。ほかにないか見渡したら、硬式ではないもののテニスに関して結構熱い作品があった。川添枯美さんの「ひっぱたけ!〜茨城県立利根南高校ソフトテニス部〜」(集英社オレンジ文庫)だ。

 全国でもトップクラスのソフトテニス部がある中学校で1番手のペアだった夏希と花綾だったけれども進学したのはソフトテニスの強豪として知られる女子高ではなく地域でも屈指の進学校。試合でのふがいなさもあってもうテニスから足を洗うと決めたからだったけれど、そんな高校で実はひっそり活動していた女子のソフトテニス部があって2人はそこで先輩2人に誘われて、中学時代と違ってのびのびとプレーができる場所だと感じて活動を再開しようか考える。そんな先輩2人のうちの1人は経験者だったけどもう1人はド素人。それでも中学時代からの知り合いで、高校に入って近づきソフトテニス部の2人だけの部員として活動を続けていたのだった。

 そんな4人が集まるまでと、それからソフトテニスの名門女子高に進んだ選手が顧問の圧力にも屈しないでペアを組み先輩たちを倒すまでを描いたエピソードなんかも挟まったりして、いよいよ試合の場で最下位とかあったりするのかと思ったところで1巻は終わって2巻はまだ出ず。勿体ない。いつか知られて続きが出ることを願おう。それにしてもソフトテニスって硬式のダブルスとはまた違って前衛と後衛とがわりとくっきり別れている感じ。システマチックというか。とはいえルールの改変で前衛にもストロークプレーが求められるようになると前衛のスペシャリストでは辛い状況も生まれたとか。そんな中でローボレーを鍛え前衛特化で行こうとする選手もいたりするといった話があって事情を知れる。オリンピックにはない種目だけれどいつか世界のトップがソフトテニスで繰り広げるハイレベルの戦いを見てみたい。

 ほかに「Free!」の原作小説となる「ハイ☆スピード!」を読み返したり森絵都さんの「DIVE!」を読んだりしてからオンライン会議をこなし、そして今日からプレゼントされる内容が変わるってことでTOHOシネマズららぽーと船橋まで出向いて「PUI PUI モルカー」の劇場版を観る。3DとかMX4Dとかは遠慮してTCXの大きなスクリーンで鑑賞。もふもふとしたモルカーの質感が巨大なスクリーンに繰り広げられて浴びせられる感じがして楽しかった。おまけのボール、出たのはニンジンくわえたポテトさん。第1回目はチョコだった。人気なのはやっぱりシロモなのかな。TCX版でも見やすさから子ども達がいっぱいいてプイプイとボールを馴らしていた。嬉しいプレゼントが週末に品切にならないことを願いたい。

 体操の村上茉愛選手がインタビューに答えて「見返したい」「思い知ったか」という言葉を使ってオリンピックの開催に反対していた人を批判したといったニュアンスの記事が流れて来て、偉いジャーナリストまでもが反応をして避難のツイートを投げていたけれど、この言葉は何も五輪に反対した人に向けたものではなく、そうした意図は含んでいても酷い言葉で誹謗中傷を重ねてきた人たちに向けてのもの。そこまでされるならばと発憤して「見返してやりたい」と思うのは普通の感情だし、「思い知ったか」と誇るのも許される。そうしたニュアンスをちゃんと拾って東京スポーツあたりは記事にしいた。

 それなのに、デイリースポーツの五輪開催批判者への反論めいたニュアンスが先走ってバッシング的な空気が生まれた。酷いことにデイリースポーツは釈明もせず「五輪を反対する人がいるのも知っている」を削ってきたけど、削る前の記事を受けて批判したジャーナリストは今もって知らん顔。批判が選手に向かっている。こういうところがやっぱりSNSの脊椎反射的言説の怖さって奴だよなあ。言いっ放しジャーマン風の空気の拙さも。そんな可能性を常に考え状況を見極めニュアンスを掴み真意に迫ることを旨としたい。ああでも菅総理とか小池都知事とか丸川五輪相の言葉は裏とか読まずとも良いかな、そんな裏があるほど厚みのある言葉じゃないから。

 3300人とこちらもやっぱり悲壮な数字の新型コロナウイルス感染症の感染者が発生したというのに菅義偉総理は人流は減っているちうばかりでどれくらい減っているかは答えられず、どれだけ減らすかについても期限や数字を切れない体たらく。おそらくはそれを言って達成できなかったからと責任を問われるのがいやで、言質を取られたくないといった心理があるんだろうけれど、まったくもって進んでいないことをさも進んでいるかの如く言うのはもはや国家への裏切りであり国民への攻撃。そんなトップをいつまでも仰ぎ見ながら讃え落ち挙げる少数のメディアに縋ってインタビューにも答えて安心安全と思い込んでる総理を横目に、国は衰え世界から置いてきぼりにされるのだ。困ったなあ。


【7月29日】 これが論説委員の見解として載る新聞があるという状況こそがやっぱりLGBTというものについて相当に理解されていない証明だろう。「『福井県立大学の島田洋一教授が27日にフェイスブックで指摘していた次の言葉ですとんと腑に落ちた。『LGBTに理解を示すテレビ番組や小説番組がこれだけ溢れる中、左翼活動家を利するだけの統制的法律など必要ない。百害あって一利なしである』。 『確かに、ふだん読む小説にLGBTは頻繁に登場してくる」

 「漫画に至っては、LGBTものが花盛りだとすらいえる。テレビドラマ化、映画化もされたよしながふみ氏の『きのう何食べた?』や粉山カタ氏の『不可解なぼくのすべてを』は家族が愛読している。いわゆるLGBTものと分類できるかはともかく、ボーイズ・ラブ(BL)漫画は書店でごく当たり前にコーナーが設けられている。最近は女性同士の百合漫画も増えており、途中まで読んでやっと気づくほど流通している。島田氏の言う通りに世にあふれており、さらに無粋な法律で理解増進を象徴や自治体、学校現場に強いる必要があるとは考えにくい」。

 ほかにも男色が認められていた過去もあって日本はLGBTなる存在に寛容だから、差別なんてものを法律で取り締まることは止めるべきだと主張しているけれど、そんな江戸時代の寛容が、明治大正を通してどうなった? 軍隊では迫害され世界からも蔑まされたんじゃないのか。そこには目を向けず過去の幸せだった時期が今も続いている用意錯誤させる筆の何というみっともないことか。小説に登場しBLやら百合やらが登場していることについての錯誤も酷い。

 シチュエーションそのものがフィクションで主題となり得るほどにいまだ特徴的な出来事だという自問もなく、BLや百合といったある種の美しい絵空事への憧憬を一般にも敷衍させる無理をわかっていない感じ。そんな言説を讃える学者もいれば読者もいる状況がどうにも息苦しい。その界隈だけなら良いけれど、政治にも絡んで狭い範囲から世の中を動かされると厄介極まりない。どうにかならないものか。どうにもならないものなのか。

 東京都の新型コロナウイルス感染症の感染者数が3865人だったと発表。いやもう前代未聞にして前人未到の領域へと足を踏み入れ始めている日本の新型コロナウイルス感染症の流行状況。全国規模では1万人を超えて東京以外にもじわじわと感染の波が広がっているという感じ。重症者は少ないように見えるけれども東京のこれは国の基準とちょっと違って厳しめで、これが国の基準となったらそれこそ一気に数百人規模へと増えては病院で酸素吸入なんかを行って、病床を使用している患者で病院はいっぱいいっぱいになっている状況が浮かび上がってくる。

 重症者というのはそれより先の、それこそ人工呼吸器につながれたような命が危ない患者のことで、2週間3週間と病室を使用しては離れないから1人2人増えるだけでもひっ迫の度合いが高まっていく。そうした状況にも関わらず国はなにか対策をとるでもなく、国際オリンピック委員会はパラレルワールドの出来事だとうそぶいてオリンピックの影響を認めようとしない。なるほど直接的な因果関係はなくても、オリンピックが開かれることによる事前の人の動きもあれば、気分の開放にともなう感染予防策の緩和といったものもあってそれが感染者の拡大に結び付いているってことは推測できる。

 だからこそ象徴たるオリンピックの開催を云々することで気分を一気に引き締める必要があるにも関わらず、変わらないこの状況をどうして国が野放しにして、国士たるライティーな人々はそんな政権もオリンピックも支持するのか。国がつぶれても総理のメンツさえ保たれればそれでいいってことなのか。何と珍妙な国士たちよ。明治大正から昭和の戦前までなら国士内でタコ殴りにされていて不思議はないのに、そうした気骨のある右翼の徒がもはや壊滅しているってことなんだろうなあ。まいった。

 蔓延する状況にワクチンの供給がおいつかないと、国ではアストラゼネカ製ワクチンの接種を40代に向けて行うといったことを言い出した。おいおいアストラゼネカって血種ができやすいからと若い世代向けにはうたないことが決められて、そして仕入れた分を大量に台湾へと向けて送り出したんじゃないのか。それを今更打たれる世代もたまったもんじゃないよなあ。それともそうした世代に一部見られるネトウヨらしき人たちなら、朋友国の台湾が大歓迎してくれたものを等しくうつことは誇りとでも思ってくれているのだろうか。それはそれでうれしいことだから頑張って。でも心ある人たちには決してうれしくはないだろうなあ、どこまで見捨てられる続けるんだろうって募った思いが、向かう先は崩壊かそれとも停滞か。


【7月28日】 台風はどこに言ってしまったのか、朝から陽射しが強くて暑くなりそうだったけれど、風が吹いていたせいもあって体感としてはそれほど灼熱といった感じのしない中、図書館まで出向いて3時間ほどあれやこれやと原稿書き。オリンピックでスポーツへの注目が集まる中で、スポーツを取りあげた小説が何かあるかと探して紹介するもので、とりあえず卓球と野球を紹介しようと思ったけれどゴスロリ姿で卓球をする話とか、少年が女装して後宮の女子野球に加わる話しか思いつかなかった。どっちもオリンピックとは縁遠いけれど、それもまたスポーツの楽しみ方ってことで。

 卓球についての原稿を書くついでに、図書館だからと卓球に関するジュニアノベルとかも探して吉野万里子さんによる「チーム!」のシリーズを児童向けの図書室で読んで小学生向けなのに本気で卓球のことが書いてある小説だと知る。ラバーの話とか。そういえばニッポン放送が水谷隼選手の補助剤に関連した告発なんかを取りあげて、中国の悪口へと誘導していたけれども中国の補助剤が問題になったのって2012年とか13年頃の話で、それに抗議して国際大会に出なかった水谷選手も、その後に出場するようになったってことは抗議にいったん幕を引いたってことになる。

 今はむしろ全世界的に補助剤をルールの範囲で使う選手は使っているらしく、出荷前のメーカー段階で補助剤を強化したラバーが作られそれを選手たちが受け取っているらしい。ルール上は合法だし誰もが使っているなら倫理的にも不公平ではないものを、不正という方が逆に状況からずれているって話になる。そうした変化について記事はとりあげず、今も中国の選手がインチキをしているって気分を醸し出し、それに北海道の元道議がのっかり避難をしたコメントが拡散されているのを見て、こうして空気は醸成されているのかと感じ入る。どうしてこんなにコロコロ引っかかるんだろう。それだけ中国を非難して当然という空気が出来ているんだろうなあ。

 3時間でパソコンが使える席の使用時間に達したので図書館を出て、近所にあるサイゼリヤでお昼ご飯はランチのナポリタンとホウレンソウのソテー。やっぱり良い味。そこからタリーズへと向かってやっぱり3時間くらい、今度は野球についての原稿をあれやこれや書く。女装野球のほかは女子野球とか女子も男子も混合でプレー可能な世界線での野球とか。男子の高校生とか大学生が普通に野球をする話しじゃあ「キャプテン」だし「大きく振りかぶって」だし「タッチ」だし「ドカベン」で面白くないから。そこが漫画とちがって自由なライトノベルやティーンズのベルの世界。より子供向けには小学生が地獄で信長とチームを組んで野球をする話も書かれている。読んで子ども達は野球って何て自由なんだと思うのか、それともこれはかなわないと諦めるのか。今の子ども達が野球に引かれる入口となる漫画ってあるのかな。気になった。

 本屋さんで気になっていた月刊花田の稲田朋美議員と小川A太郎氏の対談を読んだら、稲田議員が左傾化しているって主張の根拠が朝日新聞とか毎日新聞に出ているからだってことで腰が砕けた。稲田議員がそれは右の新聞も雑誌も出してくれないからだって訴えて、ようやく月刊花田が取りあげてくれたんだと言っても主張は曲がらずオウムみたいな繰り返し。出ている媒体で右か左か決まるなら文藝春秋に出れば誰もが右かっていうと、最近は安倍前総理への批判なんかも行っているから文藝春秋はサヨク雑誌だって認識が広まっていたりするから立花隆さんも驚きだろう。半藤一利さんですらサヨク扱いだからもう吃驚。それだけ自分たちを追い込んで狭めた果てにどこに転げ落ちる? 稲田議員が総理になった時がちょっと楽しみになって来た。

 週刊文春も東京オリンピックを批判しているからサヨク誌扱いされているかも。そんな週刊文春がネットで東京オリンピックの開会式のシナリオを大量に公開。MIKIKO先生が仕切っていた時代のシナリオも書かれてあって、読むとやっぱりAKIRAの次にPerfumeが登場してそれをライゾマティクスのテクノロジーが彩りARやらプロジェクションマッピングやらを交えた凄いものになっていた。見たかったなあ。たとえ無観客でもライゾマティクスなら現地とそしてテレビとで違う映像が見られる開会式を作って着ただろうから。それを除外して日本のメディアアートやテクノロジーアートが世界を驚かせる機会を奪った奴こそが国賊、ライト方面の人がこぞって追い込んで当然だけれど東京オリンピック万歳こそが今のライト方面のスタンダードだからそれはしない。寒い時代だ。

 女子についで男子もサッカーの五輪代表は予選リーグを突破し楽しみが先に伸びた。フランスを相手に4点を奪っての勝利って、五輪代表とはいえやっぱりちょっと凄いかも。海外でプレーしている選手が増えたせいか相手が外国人選手であっても臆さず普通に退治するし、季節的にも気にならないのか自在にしっかり走り回って最後まで息を切らさない。フランス代表がこの暑さにどこまで適応しているか分からないけれど、テニスでメドベージェフ選手が暑すぎるというくらいに気温はともかく湿度の面でなかなか適応できていないかもしれない。台風が過ぎ去って海から湿った空気が流れ込み、蒸し暑さも増していただろうし。ともあれこれで日本は準々決勝でニュージーランドと当たって倒せば次はどことだろう。せめて3位までには入ってメダルを得て欲しい。それは女子もいっしょか。頑張れ、頑張れ。

 その一方で東京都の新型コロナウイルス感染症の感染者数が3177人と過去最高を記録。全国でも9000人に達して感染者数だけなら増加の一途をたどっている。死亡者こそ急造はしていないけれど増えつつあるし、なにより中等症の患者が増えて病院の対応が逼迫しそう。中等症といえども酸素吸入が必要な人は少なくない。そんな人が病院に入れず家で足掻き喘ぎながら過ごすなんてまるで地獄のようだけれど、東京都の小池都知事はひとり暮らしは部屋を病室にして静かに凄そうと言い出した。医者も看護師もいない部屋でひとりもがくその苦しみや如何に。ワクチンを打つほど歳はいっておらず職域接種もしてもらえないロスジェネ世代の非正規な人たちを狙ったかのような施策であり病気がこれからもたらす深刻な社会の分断。結果として起こる国力の衰退はその下の世代もずっと上の世代も巻き込んで奈落の底へと向かい突き進んでいくのだろう。どうしたものか。



【7月27日】 海外ではもうNetflixでの配信が始まっている「サイダーのように言葉が湧き上がる」の感想を探して英題の「Words Bubble Up Like Soda Pop」で検索するとあれやこれやレビューが出て来てどれも結構な高評価。「人間のつながりや、音楽と言葉が何年にもわたって、不安を超えて私たちを互いに結び付ける方法についての甘くて活気のある映画です。そして、そのテーマだけでも、この映画は必見です」と書いていたり、「デジタル世界における若者のコミュニケーション形態の進化を観察するロマンチックな時代の到来を私たちに与えてくれる」と書いていたりで大勢に見ろと呼びかけている。

 決して高評価ばかりではなく、冒頭の喧噪とスマイルとチェリーの出会いとフジヤマ老人のレコード捜しとそれぞれが繋がってはいても噛み合ってはおらず、ラブストーリーを期待すると話をそらされてしまう気がする人が海外にもいるみたい。それでもクライマックスへと向かうシークエンスで感動を取り戻して良い気分で見終えたと評しているからやっぱり総合得点としては「見て欲しい」といった意見に収まる感じ。英語圏だけじゃなくフランス語圏では「Nos mots comme des bulles」というタイトルになってて、そっちでの検索もなかなかの高評価。ビビッドな色彩と印象を引く音楽とともに強く心を捉えているみたい。

 日本語のタイトル「サイダーのように言葉が湧き上がる」はチェリーが嗜む俳句にちなだ五七五のものになっているけれど、それが英題でも仏題でもちゃんと理解されてて韻を踏んだ言葉に置き換えられているところが面白い。リズムまで五七五にはなっていないけれども「サイダーのように」「言葉が湧き上がる」といった感じでリズムを崩した自由律なところもあるから五七五にはこだわらなくても良いんだろう、むしろ詩としてとらえ短いワードの中に意味をしっかり捉えなおかつ韻も踏んでみせたところに両国の翻訳者のセンスを感じる。スペイン語だとどうなっているんだろう。ちょっと興味。あと中国語か。調べてみよう。

 ネットで東京オリンピック2020のサーフィン競技をずっと見ている。千葉県の一宮は太平洋に面した海岸で、沖合を進行する台風の影響で巨大な波がうねりとなって押し寄せている感じだったけれど、中止にしないで時間を早めるようにして競技を行っていたのがすごかった。波の高さだけだったらきっとハワイやカリフォルニアやオーストラリアやブラジルの方が高いから、この程度で臆する歴戦のサーファーたちではないってことなんだろう。そんな選手にはオーウェン・ライトのように知られた選手もいたりして、どんな活躍を見せてくれるかと眺めていたら、準々決勝では勝ったものの準決勝ではブラジルの選手に敗れて決勝には出られず、日本の五十嵐カノア選手との対戦は見られなかった。

 とはいえ勝ち上がって来たブラジルのフェレイラ選手が強敵だったみたいで五十嵐選手は残念ながら銀メダル。それでもサーフィンというエクストリームなスポーツで日本がメダルを取れるのはそれだけ普及が進んでいるってことだろう。まあ1960年代からずっと若者の遊びの象徴でもあるし、廻りを海に囲まれた島国って利点もあるし。ポーランドのサーフィン選手ってどこで練習しているのかちょっと謎。それは埼玉県のサーファーでもいっしょか。行くんだよ、海まできっと。女子も都筑有夢路選手が銅メダルで日本勢が男女ともメダルを獲得できた。地の利があったかといえば五十嵐選手はカリフォルニア在住だし、採点で甘さがあれば突っ込まれるからそれもない。実力だろうと思ってる。

 こちらは採点競技じゃないから確実に日本が強かったソフトボールは、上野由岐子選手が投げて途中で休んでまた投げて金メダルを獲得。2008年の北京五輪を最後に競技が五輪種目から外れるということで、悲痛な思いを背負いつつ投げて金メダルを獲得してから13年の時を経て、戻って来た上野選手や宇津木麗華監督の“復活”への思いがこれでひとまずは果たされた。とはいえ次のオリンピックではどうなるのだったか、そしてその次はと考えた時にやっぱり道は険しそう。新しく加わったサーフィンやスケートボードで日本勢が活躍しているのを見るにつけ、そこは新陳代謝も必要なのかもしれないと思えてくる。女子野球なんて1度も入らない訳だし。どうなるか。見守りたい。


【7月26日】 テレビは見ていないけれどネットの方で東京オリンピックの競技が配信されているんで、あまり放送されそうもない競技を選んで見ていると面白い。テレビ局だと必ず入るCMがアクセスしたときに流れるだけで、あとはずっと競技が映し出されている。それが解説とか実況とな一切なしに競技の模様とスコアだけが映されているから、競技の勘所がどこかは分からないけれど、とりあえず何かが行われていることだけは分かって、そこにいろいろと想像をめぐらせる余地がある。

 朝方だとサーフィンの女子の競技が行われていて、台風が沖合にある関係からうねりのような波も押し寄せる中を沖合にこぎ出していった2人の選手が順番なのか来た波を見極めては乗って競技をするものの、ハワイの沖合のようなチューブになるビッグウェーブなんて来ないから、ふわっと浮かんだ波の上に乗っては流れるように進んで切り返してってテクニックを見せるものの、それがどれくらいの重さがあるものか分からない。それでも長く乗って連続して2回3回と切り返せば、見ていてやっぱりこれは凄いと思える。そして点数も上がるから、きっと技が発揮されたんだろうと想像できる。

 あとで競技内容も含めた解説記事でも読めばきっと、どのテクニックがどれくらいの点数になったかも分かるだろう。そうやって無垢から覚えていく楽しみってのがあるところに、ネット配信で実況解説一切無しの観戦をする面白みって奴があるのかも。あとこれは見逃したけれどもトライアスロンの競技も行われていたようで、いろいろと評判の悪かったお台場の海に飛び込んで、そして炎天下の中を自転車で走りランニングまでした選手たちが、ゴールした途端に倒れては吐いて悶えていたらしい。

 さすがに汚れた海水でお腹を壊したには時間が早いから、炎天下でのスイムとランで疲労困憊の上に熱中症を起こしたんだろう。すでにアーチェリーの競技でも熱中症で倒れた選手がいたそうだし、テニスの方も時間帯が真っ昼間にされていて日々猛暑の中で大変な試合を繰り広げているらしい。何とかしてよとIOCに言ってもアメリカでの中継があるんだろうから変えられない。なので組織委員会としては水と氷が大量に用意してあるから頑張ってとしか言えないんだろうけれど、それって台風が近づく中で避難を勧告せず、傘と河童を配って雨風をしのいで下さいと言うに等しい。言ってて赤面しなかったのかなあ、小谷実可子さん。大変だ。さすがにテニスというドル箱競技の強権もあったか時間帯の移動も可能な約束は取り付けたらしいけれど、明日くらいから涼しくなるから大丈夫かな。ともあれ頑張って無事に競技を終えて下さい皆さん。

 検事正と賭け麻雀をしようが国会議員を誹謗して名誉棄損で敗訴しようがタクシー運転手に暴行を働こうが停職がギリで解雇なんてならない報道機関がある一方でSNSでちょっと暴走して退職処分に追い込まれる会社もあったりするから世の中はわからない。というか「退職処分」って何なんだ。処分なら解雇でそれは懲戒か諭旨解雇だけれど法律に照らして問題行為を行ったわけでもない人を解雇なんてしたら労働問題になるから促して退職してもらったってことでそれは処分じゃないだろうと思うのだった。何というか武断な社風なのかなあ。翻って転売屋は唾棄すべき存在だけれど、だったらどこまで転売対策を売る側が立てているかってところも気になる。そこをずっと言われながら対策しないところが売り主であり広告主として君臨して、だから仕方が無いじゃんと現状を肯定した一介の編集者だけが処分される構図の非対称性が、少しでも是正されることを願おう。

 興行通信社の週末映画興行ランキングで細田守監督の「竜とそばかすの姫」が2週続けての1位に輝いた模様。9位に「PUI PUI モルカー」が入っているのもあれだけの観客を見れば納得。そして「竜とそばかすの姫」は興行収入が24億円に達したようで、前作の「未来のミライ」の28億円にあと4億円まで迫って来た。追い越すことは確実で、あとはどこまで伸ばせるかってところだろうけれど、アニー賞を受賞しアカデミー賞にもノミネートされた「未来のミライ」がことのほか評判が悪くて興行収入も伸びなかったところに内外の意識の差って奴があるのかも。「サイダーのように言葉が湧き上がる」がNetflixなんかで配信され始めて海外での評判がことのか良いってことは、裏返して日本での評判が悪いんじゃないかとちょっと不安になって来た。良い映画なんでみんな見て。本当に見て。

 八目迷さんによる「ミモザの告白」(ガガガ文庫)はSF仕立てだった「夏のトンネル、さよならの出口」「きのうの春で、君を待つ」とは一変して学園を舞台にしたカミングアウトからのマイノリティとのコミュニケ−ションを描いたLGBT小説。高校の同級生で陸上部で活躍していた汐は子供の頃からずっと自分は女性だと認識していて、それをいよいよカミングアウトして女子の制服で通い始めた。そこで起こった反応がそれこそ30年前から変わらない驚きと揶揄と嫌悪だったりして、今の時代にどうしてって思ったりする一方で、案外に今も変わらない状況であることは映画「片袖の魚」にも描かれて居た。ライトノベルで堂々扱うことでそうした認識が変わることを願いたい。


【7月25日】 早起きをして幕張にある千葉県の運転免許センターに更新にいく。5年ぶり。新型コロナウイルス感染症の関係でどういった対策がとられているかが気になっていたら、まずは入場整理券を配って15分おきに集団を入れていく形になっていて、その流れで午前8時に到着して8時半からの第4組の整理券をもらって待つこと30分ほど。4列で入場してからは葉書を見せて用紙をもらい証紙を買って貼り付けそして適性検査の行列に並ぶ。

 ここで例年だったらぎっしりと人が並んで初詣状態になるんだけれど、入場を制限している関係で先が見通せて20分ほどで検査を受けて撮影から申請まで持って行けた。そこから少しだけ待って講習を受けて免許を受け取るまでがだいたい1時間と40分くらい。早い早い。終わって外に出るとやっぱり入場を待っている人がいたけれど、それまで中に出来ていた行列が外に出ているってことはなく、時間を区切っている関係で中にだけ貯まることがなくなっていたって感じ。ずっとこれで行ってくれれば嬉しいかもしれないけれど、次が5年後なんで免許制度がどうなっているかすら分からない。変わらないかなあ、この更新からの講習というシステムは。

 終わってから海浜幕張まで行って、せっかくだからと東京オリンピック2020が開催中の幕張メッセあたりまで近づいていくものの人はおらず。看板とかはかかっていながら周囲を歩いている人とか見ないし車がひっきりなしに行き来している感じもない。それでいて中ではテコンドーとかフェンシングなんかの競技が行われているか準備が進められている訳で、この内外の温度差って奴は過去から現在までのオリンピックでも異常で異例で異色のものとして歴史に刻まれることになるだろう。選手として果たして応援があった方が嬉しいかどうかは分からないけれど、近所の飲食店は困っただろうなあ。観客がいたら大行列だってできたはずなのに、いつもの週末の幕張と変わらない人出だったから。まあオリンピックが来なかったと思えばそれで良いのかな。

 プレナ幕張のベローチェでしばらく本とか読んでから、東京へと出て水道橋にある東京ドームシティ内の施設「TeNQ」で細田守監督作品に登場する雲なんかをフィーチャーして見せる「スタジオ地図の宙(そら)と雲展」をながめる。展示してあったのは「時をかける少女」から「サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」「未来のミライ」といったあたりの作品で使われた美術で、空が描かれた背景くらいで、それも基本的にはコピーされた複製ではあったけれども映像で見るよりはこってりと細かく描かれていることが見て撮れた。

 仕事なんかで触っている背景原図は生だけに筆遣いまでがはっきり分かるんで、見るならやっぱりそっちが嬉しいかもしれない。展覧会とかやってくれないだろうか。さて、場内ではでほぎゃらりーに所属していろいろなアニメーション映画の背景美術を描いている高松洋平さんが、試しに1枚雲を描いて見せるライブペインティングのもようをとらえた映像が流れていて、見てると画用紙か何かにまずは白い絵の具を前面に塗った後、真ん中あたりにやや薄めの青を塗ってそれからだんだんと上に行くに従って濃くしていった上から刷毛をかけ、グラデーションを作って空の感じを整える。

 その際ににょきにょきと天に向かって伸びる入道雲のような切れ込みを入れておくおことが大事。空が整ったら筆に白い絵の具をつけて切れ込みを広げたりして雲の形を整えた上で、ハイライトをつけて雲ならではの立体感をつけていってそして輪郭を整え、細かい調整をして完成に至るまで3倍回しで10分ほど。仕事として使う訳ではないけどそれでも通常なら30分はかけるならいったい仕事で使う背景にはどれだけの時間をかけているのか。そうした背景美術も今はデジタルになってタブレットで輪郭を整えタッチペンで塗り固めていく感じになっているんだろう。絵の具ならではの質感がどれだけ映像になった時の味になっているか、はっきりしたことは言えないけれども細田監督がそうやって使い、宮崎駿監督も頼るならそこに宿る何かがあるんだと思いたい。1枚1枚に思いの籠もった背景画が、世に出てスポットライトを浴びる日を願おう。

 細田守監督といえば、前作の「未来のミライ」をホラーと断じて興行収入がしおしお化する道を拓いたライターが、またしても「竜とそばかすの姫」で細田監督への苦手感を全開にしてコラムを書いてやっぱり評判になっている。内容はといえばすでに挙がっているいるラストの現実パートでの丸投げぶりを指摘したものなんだけれど、そうした指摘にだったらこういう理由があったのかもと考えることはしていないのが個人的には物足りない。悠長にバスで移動するのってどうよと書いているけれど、車を走らせるよりも実はその方が1番速いから。たぶん夕方あたりの高知を出て翌朝の午前7時には目的としていた場所につける。

 つまりはベストの方法を選んだのに、それを悠長って書くのは何か別の方法を思いついているからなのか。ひとりで行かせたのも拙いって書いているけれど、小説版だとすずが自分でそう決めたから。大人がついていくより自分ひとりで行った方が相手にわかってもらいやすいと思ったのだろう。そしてしのぶくん。どこかで見てたんじゃ説も思いつく。そうでなくても陰ながらフォローは入れていただろう。とまあ、いろいろな可能性に考えを及ばせることなく、傷口を見つけたら速攻で塩を刷り込む見方って楽しいのかなあ。その方がバズれるっていうのなら、何と寂しい筆だろう。それがネット時代の弊害だというのなら、そうしたネガティブな反応も含めてネット全体をポジティブにとらえる映画ってことで、企みに乗せられているんじゃないと言っておこう。


【7月24日】 がーまるちょばってHIRO−PONさん1人だけになっていたのか。それで弟子筋のペアを含めた3人が協力しつつパントマイムで50種類の競技に関するピクトグラムを演じ切ったのはユニークではあったけれど、せり上がってくるような面白みというかエスカレーションしていく醍醐味みたいなのはなく淡々と演じてはい終わりましたといった感じで、現場で見ていたらちょっと飽きたかもしれない。一方で佐藤オオキさんがデザインした聖火台は可動して花弁のようになる格好良さと、水素ガスを使っているという配慮がいかにも佐藤オオキさんっぽい。当初案からずっと残ったようで、それだけ唯一無二としての存在感を放っていたってことだろう。

 いやいや足の引っ張り合いだってあっただろう開会式チーム。振り返るならやっぱり最初にライゾマティクスの真鍋大度さんやイレブンプレイのMIKIKO先生といっしょに色々なイベントを仕掛けてきた電通の菅野薫さんがパージされたあたりから、今回のゴタゴタは始まっていたって言えるかも。後にMIKIKO先生のパージに関して週刊文春がいろいろとかき立てた際に、電通では先輩にあたるパラリンピックの統括に任じられていた佐々木浩氏があれやこれや画策したなんて話も出ていて、パワハラとされたのも動かないスタッフに業を煮やしたからって話もあっただけに権力闘争的な裏を感じてしまう。

 その真相は別にして、結果としてパラリンピックだけでなくオリンピックの統括にもなった佐々木氏がMIKIKO先生も椎名林檎さんもまとめて放り出したことでライゾマティクスが絡む余地もなくなって、そこで権限を活かして集めた面々がちょっと前まで話題になってた方々だとするならやっぱり当初の案どおり、菅野薫さんを軸にMIKIKO先生と椎名林檎さんと真鍋大度さんとが仕掛けていればドローンだってインテルの技術をまるまる借りるだけじゃない、リアルとバーチャルを融合させた仕掛けをきっと考えては放送に乗せてくれたに違いない。あるいは新型コロナウイルス感染症で観戦ができなくなった状況を逆手にとった、リモート観戦ならではのデータビジョン的なものを作り出していたかもしれないけれど、それも夢と消えた。

 これだけの大規模なプロジェクトがこれからの日本で行われることはなく、従って菅野薫さんMIKIKO先生に真鍋大度さんが組んだ大規模セレモニーも見ることはないだろう。大阪万博? 維新が仕切るようなイベントに絡む筋合いはないわなあ。日本はつまりこうした世界に通じる大規模イベントの分野で致命的な間違いを犯したってこと。それが1個人の功名心から出たものだとしたら日本を衰退の泥沼に叩き込んだ奸物として、黒歴史にその名を刻んで欲しいもの。でもきっとそしらぬ顔で別のイベントに仕切りやとして顔を出してくるんだろう。開会式を欠席した前の総理と同様に。それを認める世間って何だ? まったく訳が分からないよ。

 3時間くらい激論を戦わせることになるかと思った仕事が早く終わったので、TOHOシネマズ流山おおたかの森へと出向いてIMAXレーザーで細田守監督「竜とそばかすの姫」を観る。3回目ともなると、すずがすずとして広大無辺な場所で歌い始めた段階ではまだジンとくる程度に収まったけれど、途切れかけた時に響き始めた合掌の中でひときわ大きくもしかしたらペギースーの歌声が聞こえたあたりでジワリと来た。孤軍奮闘が共鳴を誘い広がってうねりとなるプロセスがやっぱり良い。そんなシーンをどこまでも広大なネット空間で表現しているのも素晴らしい。GLAYの幕張でのライブとか、サイモン&ガーファンクルのセントラルパークでのライブとか、50万人くらいが入ってすごい光景が広がっていたそうだけれど、それをほうふつとさせより上回る規模を絵に描いてのけたことも、孤独からの共振がもたらす感動を倍加している感じ。しかしやっぱりしのぶくんは謎だ。

 オリンピックはさっそく柔道の男子60キログラム級で高藤直寿選手が金メダルを獲得したようで幸先のよい滑り出し。リオデジャネイロ五輪で銅メダルをとり世界選手権でも3度ほど優勝しているから実力は充分な訳だけれどもそこはオリンピック、諸事情もあって調整も難しかった中で発祥の地での先陣はやっぱり相当なプレッシャーだっただろう。底をはねのけての優勝は個人として大いに讃えられるものだろう。おめでとう。一方で期待された水泳400メートル個人メドレーの瀬戸大也選手は予選落ちとなり体操の内村航平選手も鉄棒競技で落下して予選落ち。出場しただけで凄い内村選手は別に瀬戸選手はもしかしたら体力を温存しようとして計算を間違えたのかも。誰もが最初から必死で来る五輪という場の寛成にはまったかな。200メートル個人メドレーでは頑張って欲しい。


【7月23日】 早いうち、といっても午前10時ごろだけれど部屋を出て、近所のドトールでSFコンテストの応募作とか順に読んであれやこれや叶えるお仕事を3時間ほど。買ったワイヤレスヘッドフォンは快調でiPad miniからもPCからもペアリングはしてくれるけれど、いったん接続したらそちらを解除しないと違うデバイスとは繋げないのは混線を避けられ便利だけれどもプラグを差し替えれば切り替えられるワイヤードヘッドフォンのような簡単さはないと言えばないか。そこは便利さが勝るので良しとしよう。

 同じ書き出しから競い合うコンテストでは当たり前だけれど空から隕石なり彗星がやってくるといった可能性が割と多くて、日付まで計算可能なクライシスって意味ではやっぱり挙げやすいんだなあと理解。そこからの終末観をどう描くかってあたりでの差異を見比べるのが面白かったけど、一方で与えられたお題をどう解釈して違う方向へとズラすかといった大喜利的な競い合いも見られて面白かった。なるほどそう解釈するか、とか。どちらを尊ぶかは人それぞれだけれど、自分だったらズラす方に行くかなあ。あるいは終末観に納得できるものを尊ぶか。難しけれどもこれからもうちょっと考えよう。

 それなりに方が付いたのでとりあえず、東京オリンピックが始まる日の秋葉原って奴をのぞきに行く。降りてもいわゆる西洋人とかアフリカ系の人とかまったく見かけず、選手村にやって来ていても出られないし出してもらえない実情を噛みしめる。それこそ船で岸壁まで秋葉原のお店をまるごと運んであげたい気分だけれど、メイド喫茶風のコンセプトカフェと思わせてぼったくりバーだったりする昨今のお店がごっそり混じって、ひっかかる外国からの来訪者がいたら国際問題なので諦めて下さいご免なさい。いやでもせめて家電とフィギュアとプラモデルの行商くらいは認めてあげて欲しいなあ。ウーバーイーツならぬウーバープラモとかあったら閉じ込められた選手村で喜ばれそう。どうでしょう。

 秋葉原ではUDXのアキバスクエアで東北をアピールする展示会が始まっていたので見物。ワイドに設えられたモニターに東北各地の春夏秋冬が映し出される映像では冒頭に先だって見てきた弘前城の桜が登場していた。ドローンを飛ばして撮影していたのは駅の方面から見て裏側にある掘に沿った堤かな。そこから向かって左側をのぞむと岩木山が見えるのだ。映して欲しかったなあ。ほかには冬場の蔵王とかなかなかに絶景。延々とつらなる樹氷の群れは固まってしまった世界を見るかのよう。そうした絶景を自分はまだどれほども見ていないと思うと少し、出歩いてみようかという気になった。取材と称せばすべて経費に落とせる身分な訳だし。とりあえず新潟の富野由悠季展あたりが次の目標か。

 UDXではプロントに入ってコンテストの応募作をさらに読み込みつつ窓越しに座った眼鏡でポニーテールの白いシャツを着た女子がパスタを食べている姿をながめる。とっても表参道なビジュアルだけれどそこは秋葉原ってところがちょっと不思議。そこでは「サイダーのように言葉が湧き上がる」のサウンドトラックをCDからPCのiTunesへと移して、さらにiPadoへと移す作業を久々に。聴くとやっぱり大貫妙子さんの「YAMAZAKURA」って楽曲が素晴らしい。ギターも声も良いけど林立夫さんのドラムがザッザッタンタンといった感じに鳴ってシティポップ以前の1970年代ポップミュージックっぽさを感じさせてくれる。これ、YouTubeとかに上がっているPVだとドラムの音が鳴ってないんだよなあ、どうしてだろう、抑えているだけ? ちょっと謎。

 せっかくだからと御徒町まで歩いてキッチンDIVEで600円だけどフライとかどっさり乗った弁当を買って帰って食べてお昼寝。という時間でもないけど寝ている間に東京オリンピックの開会式が行われた模様。日刊スポーツとかが報じていたように王貞治さんと長嶋茂雄さんと松井秀喜さんが登場して聖火を引き継いでいたらしい。それぞれに野球の世界で活躍をした偉大なアスリートではあるけれど、プロ野球というオリンピックの対極にありそうな競技の出身者でなおかつ松井選手をのぞけば活動はドメスティック、そして王さんを除けば記録の世界でもちょっと埒外の人たちを、出してくるところに日本向け過ぎる演出を感じる。アテネ五輪の監督を引き受けながら病に倒れた長嶋さんにとって意味がある登場かもしれないけれど、世界から見たら誰? だものなあ。

 一方で入場行進に「エースコンバット」とか「ソウルキャリバー」といったゲームの音楽が使われたそうでそれはなかなかに良かったんじゃないかなあ、日本以上に海外でも知られたゲームたち(「ドラゴンクエスト」は除く)な訳で、それらを耳にして育った海外の選手もそれなりにいるだろうから、聴いていて気分も良かったんじゃなかろうか。使われた楽曲を作った人たちも喜んでいるようでこれは僥倖。ゲームが文化に簒奪されるといった意見も無い訳じゃないけれど、20年くらい前の文化庁メディア芸術祭で「ドラゴンクエスト」が大賞を獲得した際、堀井雄二さんが大喜びしていたのを見ているからサブカルチャーのさらにサブと見なされてきたところから、オリンピックというスポーツ文化の殿堂で使われて悪い気はしていないんじゃないかなあ。「ドラゴンクエスト」の楽曲の作曲者についてはオリンピック的な意識からあまり語りたくはないけれど。


【7月22日】 そして東京オリンピック・パラリンピックの災厄は続く。開会式の総合演出に起用された元芸人の人が以前にネタでナチスによろホロコーストを取りあげていたことが判明。文脈としてそれ時代を揶揄するのではなく、不謹慎な振る舞いとして指摘はしていても、全体としての笑いの中に取り入れること事態が不謹慎だという意見ももっともで、指摘を受けて動いた組織委員会は解任を発表。当人も受け入れそれはそれで落着したものの、開会式前日の降板で果たして作り直せるのかといったところで、組織院回は総合演出ではあっても部分部分はいろいろと意見を出したスタッフがいるから関係してないってスタンスで、強行するような態度を見せてきた。

 阿呆かと。「映画大好きポンポさん」のポンポさんはなるほどジーン・フィニが撮る映画のために資金を集め撮影の段取りを整えスタッフやキャストを招き編集などの場所を与えただけであって、映画自体はジーン・フィニが作ったものだからポンポさんは関わっていないといえばいえるけれど、それでプロデューサーとしてのクレジットを外せとなったら本人も映画業界も許さない。それくらいにプロデューサーという人の権限も責任も大きいものだと意識されている。開会式だって同様で、現場のクリエイターたちが作ったものだから総合演出はノンクレジットでなんて言われて世界のプロデューサーが当然と思うわけがないだろう。日本という国は文化に対してそういう扱いをするのかと見透かされ見下げ果てられるだけだ。

 文化といえばこともあろうにKADOKAWAという大メディアグループの代表取締役社長に就任した人が、ネットメディアでオリンピックとピアノの発表会を一緒に語るなと発言したらしい。お金もかかって人も大勢関わっているオリンピックが重大なものであることは確かだけど、そうした文化へといつかいたるものとしてネット発の小さな文化が多々あって、それらを集め伸ばし広げていくことでドワンゴは大きくなり注目も集め、そして統合したKADOKAWAへの期待も強まった。

 KADOKAWA自体も角川書店としてビッグネームからまだ見ぬ新人まで広い文化を集めて世におくり出すことを指名としていたはず。その代表がこともあろうに文化はデカいものだけあればいい、小さいものなんてなくて言ったのだから、仕事をしている作家や漫画家やクリエイターには裏切られたって気分の人も大勢いるだろう。有名でなければ、大家でなければ「クソ」扱いされかねない場所に対する不安も生まれた中で、行動に移る人だって出てくるかもしれない。それくらいとてつもない発言をしたにも関わらず、開会式の総合演出の人ほど緊急に咎められないのは何かの忖度か、単にそうした部分に気付けないメディアのフットワークの重さか。総合演出家の件だっていち早く指摘したのはネットだからなあ。それくらいメディアの足腰が弱っている。

 あと忖度めいた意識とか。開会式でどうやら「ドラゴンクエスト」の楽曲がかかるらしく、また歌舞伎の市川海老蔵さんも登場するらしいけれども「ドラゴンクエスト」の作曲家のすぎやまこういちさんはバリバリにライティで領土問題も含めていろいろと過激な発言をして行動もしているし、海老蔵さんはかつて反グレから叩きのめされるくらいに遊んでいて、そして最近は演目の中で中国人に対する誹謗があったと問題になった。いずれも謝罪撤回謹慎等を経て禊ぎは済んでいるとはいえ、指摘されかねない人でも使わざるを得ないのは切迫した事情もあるだろうし、それぞれに大家ってこともある。お笑い芸人から小演劇の演出に移ったフリーのプロデューサーとでは扱いが違うというならそれもまた、文化に対する峻別におかならない。東京オリンピックがそんな日本の馴れ合いを露わにした。だからといって解消されずに進んだ果てに残る焼け野原に芽吹くものはあるのか?

 舞台挨拶付きがあたったので新宿ピカデリーで「サイダーのように言葉が湧き上がる」を見る。東京国際映画祭での試写に続いて2度目。俳句から始まってネット配信がありレコードがあってダギングやら歯科矯正やら大貫妙子やらと要素満載でどれがどれだと目移りしてしまうけれども、基本は俳句を軸にしたボーイ・ミーツ・ガールのストーリーで、そのきっかけとして古いレコード探しが絡むと見ればあとは枝葉と思って見て行けるってところか。舞台挨拶ではかつて「黄金の日々」に出ていた市川染五郎さん、今の松本白鵬さんからすれば孫の市川染五郎さんが登場してすでにして妖艶さを漂わせていた。中学生の時に演じたらしく、その初々しさはチェリーという少年にピッタリはまっていた。

 あと杉咲花さんもスマイルという役を見事に演じ切っていた。イシグロキョウヘイ監督によればセリフがないシーン、壊れたレコードを瞬間接着剤で貼り合わせようとして失敗するシーンでの息だけの演技も1回でOKを出したそうで、それくらい役になり切りなおかつぴったりの声を演じられるところが巧い俳優さんってところなんだろう。凄かったのはレコードをさがす老人を演じた山寺宏一さんで、いつものような饒舌でもなければ淫靡でもなくぼそぼそと喋り突然大声になるおじいちゃんって役をこれもピッタリ演じ切っていた。こういう役だって出来るところがトップオブトップの声優ってことなんだろう。そうした演技とピーカンな背景の上で良く動く絵を見に劇場へ。大貫妙子さんはやっぱり最高だ。


【7月21日】 笑い事じゃないけれども次から次へと笑い事が発生して嗤うしかない東京オリンピック。選手村に据え付けられたエアコンを使いたいけれどもリモコンに日本語のボタンしかないから使い方が分からないと、カナダのテニス選手がインスタグラムにあげた映像がツイッターにも出回っていろいろと苦笑を買っていた。

 そもそもが海外から来る選手が使うことが分かっている場所に日本語のリモコン。あるいは多言語のマニュアルを用意して引き出しか何かに入れてあったのかもしれないけれど、そういうのを読まない人も読めない人もいるならあらかじめ、リモコンの方にも工夫が欲しかった。それが開会式とか閉会式を仕切る人がダイバーシティとか言ってたオリンピックに相応しい処置じゃないのか。コストがかかるからって切ったのかなあ。貧乏は佇まいも貧相にする。

 メディアプレスセンターの方ではすでにペットボトルが280円で、カレーが1000円もするとかいった話が持ち上がっててぼったくりも凄まじいって評判が漂っているけれど、そこで食べようとしたメニューをフランス人のジャーナリストが紹介していて固いゴムのようなハンバーグに冷たいパンとあとポテトやサラダや目玉焼きをいれて1600円もするなんてって書いて評判になっていた。確かに高い。同じ1600円ならキッチンDAIVEに行けば2キロのご飯といっしょにハンバーグが5つくらい入った弁当が変えそう。同じメニューをフレッシュネスバーガーでも1000円くらいで出すだろう。

 そんな海外からの批判に愛国心を持つ人が反論しようとしたのか、ブッフェ形式で自由に取れる中からわざとそうしたメニューを選んで汚く並べただけだなんて言っ始めたらしいけれど、そこに添えられたブッフェの画像は4年じゃなかった5年前のリオデジャネイロ五輪のメディアプレスセンターでの話。だから料金も1キロあたり98レアルって価格が外貨建てになっている。そういった部分をわざと見逃したかあるいは知らず引っ張って来て日本を擁護しようとしたって、現実にはかなわない。というかすでに6品目しない上に1番安いメニューがカレーの1000円だって報道もされているから、ブッフェ形式だなんて話は通じない。

 つまりは現実に1600円払って食べている人がいるってことあろう。大変だなあ、そりゃウーバーイーツだって呼びたくなるし、コンビニだって行きたくなるだろう。15分間だけでも外に出ていいよって言われたら、ダッシュしたって東京ビッグサイト内にあるコンビニに箸って弁当でもおにぎりでもスナック菓子でも買いまくるだろう。そんな苦労を重ねて貯まった心理が日本を決して好きになるはずもない。「お・も・て・な・し」とやらは「お・も・に・な・し」となって怒りにかられた外国メディアが日本を悪く書いた先、どれだけの不利が訪れるか。そこまで気を回して将来を買おうとする人がいないか、したくてもできないくらいにこの国は貧乏になってしまったんだろう。ここはキッチンDIVEが出前してあの日本の宝とも言えそうな大盛り弁当を味わわせてやってくれい。

 そうこう言っているうちに新型コロナウイルス感染症の感染者が東京で何と1671人も新たに出て、入院患者も2388人まで来てジワジワと増加し続けている感じ。重症者については横ばいって感じだろうけれど、そこに40代とか30代の比較的安全と言われていた人たちが混ざってきていて、過去の流行では大丈夫だった人がワクチン未接種という同じ状態で重症になるくらい、デルタ株って奴は感染力がとてつもなく強いっぽい。そんな渦中にある東京都心の新国立競技場に天皇陛下をお招きして開会式をやって果たして良いのか、って思いが改めて浮かぶ。

 海外からの賓客も続々と参加を見合わせる中、しっかりとお役目を果たされようとする天皇陛下には感謝しかない。そんな陛下に従うのがオリンピックに反対する人は反日などと世迷い言を言った安倍晋三前総理なはずなのに、東京組織委員会の名誉最高顧問だなんて立場にありながら参加を辞退すると決めたとか。何があろうと槍が降ろうと最前線に断って東京オリンピックを祝うことを拒否する自分は反日だって言われて反論ができるのだろうか。するんだろうなあ、そうやって逃げて逃げて逃げまくって未だ安全圏に身を置いている。そんな人にどうして大勢がついていくんだろう。そこが不思議。魅力があるのかなあ、何か人間性とか、あるいは金権性なんかの。

 試写で吉浦康裕監督「アイの歌声を聴かせて」を観る。今年はミュージカルアニメの当たり年か。ディズニープリンセスへのリスペクトも重なるところがあるし。しかしこちらは日常に歌が混じる気恥ずかしさが最初は満載。それが慣れていった先に浮かぶAIの思いといった部分でSF的な可能性を開かれる感じ。「イヴの時間」でAIがいる社会を描いた吉浦監督が1周りして戻って来たとも言えるかな。終わって出ても宣伝会社に感想とか聴かれずスルーされるところをみると自分もまだまだ頑張らねばと思ったふり。そのままTOHOシネマズ日本橋へと回って「シン・エヴァンゲリオン劇場版」のとりあえず最終上映を見る。1つ置きでも満席となったシートに今さらながらファンの広がりを感じる。伊吹マヤのお尻もこれでしばらく見納めかあ。上映が続く横浜のドルビーシネマにまた行くかな。


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