縮刷版2021年7月上旬号


【7月10日】 西村康稔経済産業再生大臣が非常事態宣言下の飲食店に対して規定の時間外に酒類を提供するようなら、取引先の金融機関から圧力をかけてもらうよう業界だとかに要請しようとしていた話で、そりゃあ拙いだろうと世間も国会議員も動いて官房長官が撤回したようだけれどもここで気になったのは、西村大臣の発言を受けてさっそく金融庁が金融機関に対して要請を行う文書を作り始めていたってこと。法律にはなく政令にも条例にもなさそうな規制でともすれば優越的な地位の濫用だとか独占禁止法違反だとかに捉えられないことでも、それはダメです大臣と言えずに行政が粛々と包丁を研ぎ始めていたことに驚いた。

 いや官僚なんてものは国民の道具であって、そんな国民の代表たる国会議員から選ばれた大臣には逆らえないと見るべきなのかもしれないけれど、そこで政治家に対してこれはマズいですと言って諫め止めることができないと、アンポンタンな政治家が跋扈し始めた暁にはとんでもないことにこの日本、なってしまうんじゃないかと不安も募る。というかすでに不安まみれなんだけれど。だからこそ立法の側にも片足突っ込んだ国会議員なんだという意識でもって政治家が、これはやっちゃヤバいと思ってくれる人ではないと困る訳で、それが出来ない大臣にはご退場願いたいところ。内閣官房もこれはヤバいと動いてくれれば良いんだけれど、その頂点に立つ人自身がヤバさの極地だからなあ。困った困った。

 新宿武蔵野感で「いとみち」の舞台挨拶付き上映を見る。映画自体は3回目でやっぱり冒頭の相馬いとが額に入れて飾られた自分が三味線を演奏する記事を取り外して、仏間の納戸に押し込もうと伸び上がったところで足を何かにぶつけて、「いてっ」とつぶやく場面の妙なリアルさが気になったけれど、後で舞台挨拶に登壇した横浜聡子監督が明かすには、いとを演じた駒井蓮さんはカットがかかるまで演技を止めない女優だそうで、ああいったアクシデントやハプニングがあってもずっと演技を続けたことでしっかりカメラに撮影され、それが編集で使われたってことみたい。だからとうか当然自然に声が出ている。別の場面でも自転車に乗ったらちょっと倒れかけた場面があったそうで、そこも止めずに演じたから使われたとか。俳優はだから演技を止めるな恥ずかしくても。

 すっころぶ場面についてはいろいろと実験があったそうで、床に布か何かを強いてその上に立たせて引っ張れって転ばせるとかやったみたいだけれど、1番自然だったのが自分で転ぶことだったという。お尻を触られて転ぶ場面はだったら誰かが触ってその感触に驚いて転ぶところまでやってくれたのかは不明。そこはさすがにパワハラセクハラになるからやらないか。映画の中で触ったことにされた役者が劇中で乗ったブランコは横浜監督、駒井さんを乗せたいと思っていながらできなかったとか。流れの中で確かに乗せる場面、ないものなあ。でも休みの日に駒井さんは行って乗って来たとか。そうしたオフショットがあれば見てみたい。豊川悦司さんの映画では喋らなかった津軽弁の体験映像とかもあるそうだし。Blu−ray化の時にぜひ。

  新宿から日本橋へと回って上田慎一郎監督・ふくだみゆき監督の「100日間生きたワニ」を観る。2回目。1回目より後半への違和感が薄れたのはひとつに見慣れたこと、その存在が一線を越えそうなところでしっかり引き下がると分かっていたこと、それに面々も発散しないと理解していたことが大きい。ゆえに前半との展開及びキャラの対比が生きて、ワニを失って誰もが心の中に覚えていた引き波の心情が、溶けて崩れて上げ潮となった。

 確かめたかったのは巷間、作画崩壊なんて話が取り沙汰荒れていることに対して、そんあシーンがどこにあったんだってことだったけれども見終わってやっぱり思った。そんなものどこにあるんだ。もともとが漫画で絵本のようなタッチで決して美麗ではないキャラクターたちは、漫画として見せればそれでOKだから動いたり回ったりはしない。そんな漫画の限定された角度からのキャラクターたちをしっかり動かし、表情まで付けて感情を表すようにした工夫と苦心がしのばれる。下から煽っても上から俯瞰しても同じキャラ。そのアングルでちゃんと動かしてのける凄まじさ。凄いアニメだ。

 インディペンデントなアニメーションなら手描きのキャラのブレも味になるけれど、商業アニメーションではそうした揺らぎが許されない。「100日間生きたワニ」は徹頭徹尾、しっかりとした線が揺らがないままキャラが動く。顔も体も。視線と口の形、眉っぽいものの角度と尻尾で心情も表している。吃驚するしかない。などと訴えたところで張られた「作画崩壊」「電通案件」等のレッテルは表層だげか切り取られ拡散されてそういうものだと思われる。ホラーと呼ばれた細田守監督の「未来のミライ」もそうだった。バズワードの大喜利と化した界隈から「100日間生きたワニ」をどうすれば救い出せるのか。せめて一助とこうして感想を書き残す。けっぱれ。

 誕生日なので贅沢をしようと御徒町のキッチンDIVEによって1100円のオムライス弁当を買ってみる。トレイにいっぱいのチキンライスと海老フライにハンバーグにコロッケといったトッピングはなかなかの重量で、食べきれるかと思ったらちゃんと入ったのでまだまだ胃袋は死んでいない。あるいはチキンライスだから入っただけで白飯だったら無理だったかどうだったか。普段は600円のボリュームでもキツい時があるからなあ。ともあれ茶色い弁当ばかりでは胃袋は大丈夫でも栄養が死ぬので記念日くらいに止めておこう。次は56歳と1カ月とか。誰か日本代表選手の金メダルとか。案外に近いな。


【7月9日】 万城目学さんの「ヒトコブラクダ層ぜっと」を読み終える。宝石泥棒から自衛隊へと行ってイラクに向かった梵天梵地梵人の3兄弟は銀亀三尉とともに砂漠の下にあるらしいバビロンの遺蹟へと向かって女神様と対峙する。まるで読めない展開はそこまで来てもなお読めないけれども読んで来たことから恐竜のこととか自衛隊のこととかバビロニアのことなんかが分かって興味の範囲が広がる。そんな冒険の大元に宇宙まで絡んで広がった風呂敷が畳まれた先、戻って来た日常の中で梵天はいったい何を得る? 最後の最後まで楽しみが途切れない大長編。やっぱり万城目学は凄いなあ。銀亀ってギルガメッシュと関係あるのかな。

 「100日後に死ぬワニ」の留まり振り返る物語から、前を向いて歩み始める物語へと変わっていた映画「100日間生きたワニ」。人によってはその変化の速度と強度に異論を覚えるかもしれないけれど、そうした差異があってこそ辛さに沈んで固まってしまった心を動かされ、溶かされて再び歩み始めることが出来ると思えて来るのかもしれない。原作はいわずとしれたネットで連載されては大評判を呼びながらも、最終回の直後に感動に水を差すような出来事があって一気に評判が逆転してしまった漫画。作品本体がもたらしてくれた感動自体に変わりはないのに、いったんネガティブな印象がつくとあらゆる悪口が是とされてしまう。

 アニメ化なんて話もそんなネガティブな評判にさらされること確実だったにもかかわらず、火中の栗を好んで拾いに行ったのが、インディーズから世界的な人気作へと駆け上がった「カメラを止めるな!」の上田慎一郎監督と、「こんぷれっくす×コンプレックス」で毎日映画コンクールのアニメーション映画賞を獲得したふくだみゆき監督のご夫妻。どちらかといえばマイナーな世界から自分の力で世界を納得させた人たちが醸し出す、周囲を味方につけて盛り上がっていく波動がネガティブな空気を吹き飛ばすかというと、やはり強固なネガティブパワーを押し返すには至らず公開前から妙な逆風が吹いている。

 だから確実に悪評が大喜利のようなバリエーションで四方八方から繰り出されてくるだろうけれど、断言すれば映画「100日間生きたワニ」は心に染みて傷を埋め、力を与えて前に踏み出す力を与えてくれるアニメーションだ。映画では冒頭、漫画での最終回が描かれてワニに起こっただろうある出来事が示される。そこから遡って漫画に描かれた、ワニがいて友人のネズミやモグラと遊んで戯れていく姿、そんなワニがシャイで奥手な性格をどうにかこうにか乗りこえて、バイトの先輩と仲良くなっっていく姿が描かれ、変わらない日常の良さといったものを強く思わされる。

 そんな日常が途切れてしまう。理由は漫画に描かれたとおり。そこで終わった漫画の先が映画「100日間生きたワニ」にはついてくる。そこではワニとある意味で正対するキャラクターが登場しては、ワニに対して抱いた好感とは反対の感情を引き起こさせる。あまりに急な展開で、そして強烈な展開。それがもうちょっとゆっくりと進んだのなら、心も整理されたかもしれないし、現実もそうやって進んでいくものなのかもしれない。ただ、フィクションなら時間を縮めて描くことができる。そうやって描かれた展開の速度と強度が、63分という時間の中で気持ちを切り替えさせてくれるのだ。

 絵本のような絵で簡略化もされていて紙芝居のようだといった意見も出ているけれど、だからこそ動かして崩れない絵を保つのは難しい。それをやりとげ角度が変わっても同じキャラクターに見え続けるアニメーションに仕立て上げたのは流石、「伝説巨神イデオン」や「聖戦士ダンバイン」などで知られるスーパーアニメーター、湖川友謙さんだけのことはある。安定した絵。それを拠り所に繰り広げられる展開は、静かで淡々としてゆったりとした間合いを持ちながらも、表情や仕草によってしっかりと心情を感じさせて目を逸らさせない。

 最初はゆっくりと進み、途中から間合いをつめてテンポを良くしていくことで馴れてきた気持ちにドライブをかける巧みさは上田慎一郎監督でありふくだみゆき監督の腕か。そんなクリエイターたちが繰り出すドラマによって、喪失から固まって留まっていた心が揺れて、過去に囚われていた足が前へと進み始めるの。「100日間生きたワニ」は「100日後に死ぬワニ」がくれた喪失の寂寥を乗りこえさせ、邂逅の歓喜へと再び導いてくれる物語だ。見ればきっと教えられるだろう。人生というのは逝ってしまった人のためにあるものではないことを。生きている人のためにこそ人生というものはあるのだということを。

 酒を出すような店があったら銀行に手を回して金を貸さないようにするぞと脅す大臣がいる国ってどこの独裁国家かというと、お隣ではなく遠い地でもなくまさにこの日本国だという絶望感。法律に則ってすらいないこの蛮行を口にするだけでも政治家失格なのに、本気でやろうとしていたりするからたまらない。速攻その地位を退いて欲しいけれども総理大臣からして緊急事態宣言をだしながらもオリンピックを開催するという理解不能の愚行を全力で進めていたりするから五十歩百歩。似たもの同士の者ばかりた寄り集まって愚人ごっこをしている政治に引っ張られた国が向かう先は何処。意識を失うレベルまで来たなあ。


【7月8日】 しかしながらとか、だからといっていった接続の言葉を持ち出して、名古屋市で起こった「表現の不自由展」の会場を狙ったテロ行為を一方で非難しつつ、そこで展示されていたものが問題だなんて言葉を持ち出してくるような論調は絶対に認めてはいけない。思想信条を損なう展示なり行為なりがあったとしても、それを理由に爆竹が仕込まれ爆発する郵便物を送り、それが爆発したことで11日までだった展覧会を実質的に中止へと追い込むことは、威力業務妨害以上にテロリズムであって、120%の悪だと断じなければ以後、あらゆる表現に対して同じ様なテロ行為が行われることになる。

 それは右だろうと左だろうと日本だろうと外国だろうと関係ない。気に入らないことに対して手紙を送って爆破させれば潰せるとなったら、同じことが頻発して不思議はない。だから今回、警察も場所を貸している名古屋市も、万全の警備を整えた上で続行を求めるべきだった。相手が警備体制を整えるのではなく、自らが平和なイベント開催を常に行えるようにするために、警備を買って出てでも続行させるべきだった。来場者や近隣で働く人たちも含めた安全に配慮するなら、中止ではなく警備の強化で対抗するべきだったけれどもう遅い、中止が終わってしまった現時点で何ができるのか。他の会場での続行を望むしかないなあ。東京に来ないかなあ。

 「しかない」なんて言われると寂しいけれど、それを当人に向かって言うのはちょっと分を超えているんじゃないか。ゲスの極み乙女の川谷絵音さんがロック・イン・フェスティバルの中止などに絡んで、世の中の動きを嘆きつつ自分には音楽しかないからそれを頑張るとつぶやいたことに対して、名のあるミュージシャンならもっといろいろと声を上げたらどうなのといった言葉が、雑言のように浴びせられたとか。おいおい相手はミュージシャンであって音楽で表現することが第一であって、それが音楽しかないのだからと言う以上は音楽で世界を指弾するなり、心を慰撫するなりといった表現をしてくれるだろうと期待するのが筋だろう。

 それなのに名のある人までもが、ミュージシャンが音楽にだけに閉じこもっているのは、運動に関する無関心さの表明であって、そうした風潮が広がり誰も政治だとか社会に関心を示さなくなるんじゃないのと指摘している。だったらあなたがやりなさい。政治がしたいならあなたが政治家になりなさい。あるいは批評家として世界に対して発言していきなさい。そう思えて仕方が無い。知名度を持って表現のチャネルも確保している人には、何か責任があるという見方もできない訳じゃないれど、それをするために音楽を作って来た訳じゃない。そうして欲しいなら、自分が音楽を作って発言権を得るまでになるしかないんじゃないかな。まあ言い方なんだろうね。「音楽しかない」じゃなく「音楽がある」だったら印象は替わったかな。面倒な世界。

 「完全な形で開催」と言った当時の安倍総理に今、無観客での東京オリンピックの開催は完全な形ではないので嘘を言ったことになりますねと突っ込んだら、きっと「そうは言ってない、『完全無観客な形で開催』と言ったんだ」と言い訳しそうな気がして仕方ない。それくらいに場当たりに決めては何か起これば自分を正当化する言葉しか繰り出さない前の総理に今の総理に、新型コロナウイルス感染症のパンデミックが未だ収まらないこの日本で、五輪の開催なんて無理だから中止するだなんて大決断を下せる訳がない。結果、非常事態宣言をだしながらも五輪は開催するという、誰が聞いても矛盾するところ甚だしいと思ってしまう事態がくそ真面目に進行する。

 人には外に出るなと言って五輪の選手は外に出て競技場に行って競技をしてもらい、酒を飲むなといいつつ選手村とか役員や関係者の間にはきっと酒が出回ることになる。無観客で開催だなんて言ってはいるけどそれはあくまで一般の観客のこと。海外からやってきた役員だとかスポンサーだとかは観客に数えず招待者として感染を認めることになるらしい。なるほどレッテルは違っていてもそんなのを見分けてくれる新型コロナウイルスなどではない。高齢者だって多そうな役員や企業の関係者の間を行ったり来たりしては世界から日本へ、そして日本から世界へと拡散してくことになるだろう。結果起こるパンデミックを世界は「Tokyo Olympic flu」を共通の言葉として、1000年にわたって語り継ぐだろう。あるいはこれから10年で滅びる人類が絞り出す呪詛の言葉として。やれやれだ。

 続報が聞こえ始めた「ブレードランナー」のアニメーション。神山健治さんと荒牧伸志さんの監督という「攻殻機動隊SAC_2045」のメンバーが手がけているものだけれどビジュアルとかまだ想像がつかず内容もまったく未知数。どうやらロサンゼルスを舞台に極秘裏に作られたレプリカントのエルをめぐる物語になるそうだけれど、デッカードのような物語を引っ張る主人公がいるとうよりは、エルを軸に周辺が動いていくといったところになるのかな。迫害されるロボットという構図はエイミー・トムソン「バーチャルガール」に近いかも。コミコンで発表があるみたいだけれど、神山さん荒牧さんは行けるのだろうか。言ったら帰って来づらいし。「攻殻機動隊SAC_2045 劇場版」も決まって仕事もびっちりだから日本からのリモート参加になるかも。気にしていよう。


【7月7日】 国立大学が問題のあった学長の進退に関する重要な会議について取材陣を閉め出し、まっとうな会見もしようとしない態度は極めて不穏当で、そうした態度に対して相手のきめた勝手な決まり事に対して、挑み突破する行為はジャーナリストとして真っ直ぐなものだと思うけど、そこまでしなくてもぶら下がりの会見自体は行われたし、後で関係者から取材することだってできない訳ではない案件を、無理矢理にでもリアルタイムで取材する意味はあるのかといった疑問も一方にあって、真正面から擁護する気にならなかった旭川医科大学においける北海道新聞の記者の常人逮捕。

 北海道新聞によれば当日、4人の記者が旭川医科大学にいてうち3人にはメールで構内への立ち入りを禁止する通達があったことが連絡されている。にも関わらず逮捕された新人の記者には連絡が行かず、あまつさえ3人の誰も止めるどころかむしろけしかけるようにして禁止された場所へと立ち入らせたという。隙間からスマートフォンを差し込んで録音をさせたのも想像だけれど入らせた先輩記者の誰かが、構わないからやっちまえをけしかけたからだろう。でなければ右も左も分からない新人記者がそんな大それたことをするはずがない。

 結果、逮捕されて報じられてしまうという事態に至ったことを、雇用者として詫びて徹底して守る姿勢を見せれば良いのに、報道の自由を嘯くところに日本のメディアがどこか信頼を失いつつある状況が感じられる。まあでも韓国で虚偽の情報に基づいて大統領のセクハラまがいのコラムを書いて逮捕された記者に対して、報道の自由を訴えたら韓国嫌いの人たちから、首相も含めて大歓迎された実態もあるだけに必要なことを必要な人のためにやったところで評価されるとは限らないのが難しい。まあ媚びた挙げ句に縮小を続けているから罰は当たっているんだけれど。やれやれだ。

 朝から茨城県のひたちなかで開催予定だったロック・イン・ジャパン・フェスティバルが1ヶ月前に中止を発表。地元の茨城県医師会が新型コロナウイルス感染症の予防強化を求めたものの、1ヶ月前ではさすがに対応は難しいと主催者が中止を決めたもので、ある意味で地元の医師会という専門職による見解に、従ったという意味では科学的で合理的ではあるけれども開催1ヶ月前という変更不可能な時期になって、言わなくても良いんじゃないかといった思いは主催者にだってあるだろう。それでも開催が難しいなら止めるという潔さを、まるで見せないのが東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会であり政府であり東京都だ。

 7月11日で終わる予定になっていた新型コロナウイルス感染症のまん延防止重点措置期間を延長するどころか、緊急事態宣言へと格上げした上で8月22日まで延長するという考えを、どうやら政府内部で固めたらしい。ということは7月22日からスタートする東京オリンピック・パラリンピックは緊急事態宣言のまっただ中にある東京で開催されるということで、世界の歴史的に見てもこれは異常で驚愕の出来事だろう。ミュンヘンオリンピックで黒い九月というテロ組織が選手村を襲ってイスラエルの選手を殺害した中でも、オリンピックが続行された時に並ぶか勝るとも言えるだろう。

 たった1日間の出来事で、イスラエル人選手に被害が限られたということもあったのか、そこでテロに屈する姿勢を見せたくないという意識も働いたのかミュンヘンオリンピックは中断とはならずその後も続けられた。ある意味でオリンピックらしいと言えば言えるけれども鎮圧すればそれ以上は広がらないテロだったことも理由にはありそう。対して新型コロナウイルス感染症は今まさに蔓延している状況で、そこで人がやって来て人が動き人が帰っていけば新たな感染症が拡大し、混交し、変異して拡散することは確実。それが世界に及ぼす影響は想像も付かないにもかかわらず、何かの面子のために開催を決行する日本政府は、そしてIOCは人類史に何を刻むだろう。歴史が決めるけれどその歴史はいつまで続く。

 午前中から船橋中央図書館にこもってテープ起こしをやっていたら電池が尽きかけたんで、3時間の利用時間を終えて出てサイゼリヤへと寄ってほうれんそうのソテーとパルマ風スパゲッティをかき込み一服。そこからタリーズへと回って書評原稿の草稿を書き上げつつ万城目学さんの新刊「フタコブラクダ層ゼット」を読み始めたらこれが面白いというかどこに連れて行かれるか分からない感覚に続々とさせらえる。天地人のそれぞれを持った3人兄弟がチグリスユーフラテスってゲームをしている様に神様の国作りかと思ったらただのドロボウで、それで稼いだ金を元手に山をかって恐竜の化石を掘ろうとしたら捕まって自衛隊に放り込まれてイラクへと遠征させられる。どういう理屈だ。そしてどこへ向かうのか。村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」すら超えていそうなマジックリアリズムファンタスティックアドベンチャー。読み終えるのが楽しみだ。


【7月6日】 ジンガからケイシャーダをするアルパカというビジュアルだけでも強烈だけれど、そんな展開を唐突ではあっても突飛ではない形に入れ込んで見せた「オッドタクシー」はもしかしたら、リアリティとの巧みなすり合わせの上に成り立っているアニメーションのかもしれない。ダイエットとしてカポエイラを始めたという動機はまず納得で、そのうちにいろいろと技を繰り出す格好良さにハマりこんでいくってのもありそうな話だったりする。

 。それがハボ・ジ・アハイアだったら前屈みになった格好からの蹴り上げという感じでいろいろと見えたかもしれないけれど、女性が好んで挑みたい技かというと必殺過ぎる感じもあるから、ケイシャーダあたりが妥当だったと言えそう。それにしてもどうしてボクササイズとかじゃなくカポエイラだったのかは謎なところ。とくにテレビドラマとかで流行った訳でもないからもしかしたらカポエイラ漫画の「バトゥーキ」でも読んでいたのかな、それはなくても同時多発的にいろいろな場面でカポエイラが話題になっていった果てに、実写化が決まった「嘘喰い」に続いて同じ迫稔雄さんの漫画「バトゥーキ」も映像化されればファンとしては嬉しい。

 とはいえ一里が鉄磨と戦って勝利してこっち、BJが捉えられて制約がなくなってからの展開に先が見えないこともあって、どうやって物語を動かしていくのかが気になってる。本当の父親が仕切っているブラジルのマフィア的組織とガチバトルするとなると外交に政治に軍事までもが絡んで来るから話が学園バトルから大きく広がり過ぎるんだよなあ。それも見たいけど。とりあえず「嘘喰い」が一段落して追稔雄さんが「バトゥーキ」に戻って来てくれるのを待とう。

 NECなんて干してやれば良いんだと側近に言って録音されて暴露され、そしてNTTとご飯を食べていろいろあった結果として新型コロナウイルス感染症のまん延防止を目的に、東京オリンピック/パラリンピックのアプリをNTTの子会社に発注して作ったことに関して、そうした言動の当事者であるところの平井卓也デジタル改革担当相がいやいや別に疚しいことなんてやっていないんだことを自ら証明するために、弁護士チームを組織して調べさせると言ったとか。

 おいおいそれって真犯人がお金を出して人を雇って犯罪の証拠があったかを調べさせるようなもので、それで弁護士がスポンサーに対して不利な何かを言うはずがないじゃないか。そのために税金を使うくらいなら自分で弁護士をやとって身辺調査をさせれば良い。そうでないなら外部に第三者機関を作って調べさせるべきだろう。やっぱり何かがズレている今の自民党政治。贈収賄でお金を配った側が逮捕されて有罪になっても、お金をもらった側は100万円でもお咎め無しだからなあ。こんなの絶対おかしいよ。

 麻生太郎副総理は副総理で、新型コロナウイルス感染症の対策は日本が先進国でもトップ級に優れた国だと自画自賛。なるほど亡くなられた方の人数ではアメリカだとかイギリスだとかフランスだとかに比べて相当少ないけれど、同じ東アジアでは韓国よりも中国よりも台湾よりも群を抜いて多いのが日本という国。対策としては最悪に近い状況なのに、それには触れずに自画自賛しては亡くなられた方々への配慮を大きく欠いて平気な人間が、副総理であり財務相なんて地位にいたりするこの国の政治はやっぱりどこかがズレているとしか言いようがない。

 インタビューをしてからテープ起こしをするまでの、自分はうまく話を聞けたんだろうか、ちゃんと記事になる話を聞けていたんだろうか、取れ高は十分だろうかといった不安にかられてなかなかテープ起こしに迎えない状況はシュレーディンガー的に何といえばいいのだろう。でもってテープを起こして構成しなおしてそれなりに筋が通った原稿に仕上がった時に感じるホッとした感じはシュレーディンガーの猫的に死んでいるのだろうか生きているのだろうか。そんなモヤモヤとした気分を抱えているのも健康に悪いんで、朝からフレッシュネスバーガーに言ってテープ起こしから構成までまとめてやってインタビュー原稿を仕上げて送る。30年近く昔のドラマが甦って何を語る? そんな話になっている。今から放送が楽しみだ。


【7月5日】 自民党が勢力を取り戻すだなんて話もあった東京都議会議員選挙だったけれど、東京オリンピックに反対する輩は反日だなんて前の総理大臣が頓馬なことを言った影響でも大いにあったかどうなのか、思ったより伸びず前回よりは増えたもの公明党と併せて過半数を超える議席を確保するといった夢は泡と消えた模様。第2党になったとはいえ都民ファーストも2議席差で着けているから、ちょっとしたことがあったら逆転だってしてしまうかおしれない。あと立憲民主党が伸びて日本共産党も伸びてと野党勢力が存在感を高めていったけど、そのプレッシャーを都議会を超えて政府自民党が感じているかどうなのか。今後の施策のとりわけオリンピックに関するものにあらわれてくるかと期待。もちろん菅総理の進退にも。

 「宇宙戦艦ヤマト2199」の頃から買っていたんで買い逃していた今やってる「『宇宙戦艦ヤマト』という時代西暦2022の選択」の劇場版BDを買いに行ったついでに新宿ピカデリーで「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」の2回目を観る。本当によく宇宙からのシャトルによる帰還からハイジャック、そして地上でのモビルスーツ戦などをアニメーションとして描けているなあと改めて感嘆。ホテルの室内やら街中の雰囲気やらをリアリティに寄せ、ファッションなんかも現代の延長といった感じな中、「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」のころのシャアのあの制服が、どうにも場違いに見えてしまう。その意味ではやっぱりガンダムであってガンダムではない感じ。でも良く出来ているし作劇も巧いからやっぱり観続けるんだろうなあ。

 思いつきで身内受けを狙った爺さんの繰り言なんかを金科玉条と持ち上げる必要なんてないんだけれど、相手が天下の副総理ともなるとやっぱりそれなりな影響力もあるから厄介だ。麻生太郎副総理兼財務相が台湾に中国が攻めてきたら周辺事態だから日本の自衛隊も出て行くんだぜとヌかしたとか。だったら逆に台湾が中国へと出て行ったら中国に味方するかとうとそんなことは絶対に言わないし、こちらはより切実で北朝鮮が韓国に38度線を越えて攻め入ったら、周辺事態だからといって韓国に自衛隊を送り込んで防衛に当たらせるべきだと言おうものなら嫌韓な人から総スカンを食らうだろうからまず言わない。

 単に嫌中な人をくすぐろうとして言っただけの底の浅い言葉でも、正式に国交のある中国にとっては鬱陶しい話だからといろいろ言ってきては現場が困り果てるのが目に見ている。ただの放言のそれもレベルが圧倒的に足りてない戯れ言を、底なしのように繰り出す輩をどうしていつまでも要職につけているのか。そしてメディアはその発言に真っ向から批判を加えてその地位から放逐しようとしないのか。内心に同じ様な底の浅い考えがあるからなんだろうか、それともその方が売れると思っているからなんだろうか。どっちもなんだろうなあ。

 この何も売れない時代に買ってくれそうな人に媚びて媚びて媚びまくった果てのネトウヨの一般化。その親玉がまたしても媚びて発言したならそれに追随して当然ってことなんだろう。新型コロナウイルス感染症で1万5000人近くがなくなっていながら、先進国では少ないから最もうまくいっていると嘯いたのも、日本スゴイをやっていればそうした層に受けるから。でも東アジアでは韓国よりも中国よりも多いということは言わない。恥ずかしくないんだろうか。ないんだろうなあ。そんな感情なんてどっかに捨てて来たからこその今がある。やれやれ。

 買ったドラゴンズキャップは40番の背番号がついていた。1974年に中日ドラゴンズが優勝を果たして大いに湧いていた名古屋では、あらゆる中日グッズが売れに売れていてマーチンだとか矢沢だとかいった人気選手の背番号がついたグッズは軒並み売れてしまっていた中で、残っていた40番の帽子を買ってもらって被っていたような記憶があるけれど、模造記憶かもしれないので正しいことは言えない。ただ当時から大島康徳という選手については中日にあってモダンな雰囲気を纏った若武者といった雰囲気が漂っていたように記憶している。

 「燃えよ!ドラゴンズ」の歌では後の方で「一発長打の大島君」と歌われるくらいで主力中の主力といった感じではなかったけれど、それでも1974年のオリジナルに歌われているくらい偉人だった。その大島康徳さんが死去。中日を出てからも日本ハムファイターズなんかで活躍して2000本安打を達成したし、監督なんかも務めて決して好成績ではなかったけれどもそれなりに慕われ親しまれた。野球解説の方はNHKなんかによく出てダンディな佇まいを見せてくれていたっけ。泥臭い選手が多い中ではつらつとした雰囲気を醸し出す人だった。昨年は高木守道さんが亡くなり今年は大島さん。星野仙一さんも既に亡くなった中であの、中日球場から僕らをジンとシビれさせてくれた選手として讃えたい。合掌。


【7月4日】 たとえば、ソフトバンクは福岡の福岡paypayドームなんかを会場にして新型コロナウイルス感染症のワクチンを職域接種することを発表していて、全国の15万人におよぶ従業員やその家族なんかを対象に、接種を始めているんだけれどそれに合わせて近隣の10万人にも接種を行うことを発表して、それなりに評価を受けていた。一方でスマートニュースは会社がある渋谷で、職域接種の対象となる従業員ではない渋谷区民も対象にして総勢5000人分の新型コロナウイルス感染症ワクチンを確保して、接種を行うと発表してフルボッコ。この違いは何だろう。

 それはやっぱり、スマートニュースが使った「炊き出し」って言葉とあとはスマートニュース自体の規模がソフトバンクとは違うことがあるかもしれない。1000人規模が規準となっていた職域接種に従業員数で400人のスマートニュースがどうして手を挙げられたのかがまず謎で、なおかつそんな従業員数の10倍以上にも及ぶワクチンを確保したことも謎に溢れてどういうカラクリがあるのかを勘ぐられた。なにか水増ししたんじゃないかとか。そんな疑いが持たれた状態で、社員以外に施すような「炊き出し」という言葉を使ったことで、インチキをしてワクチンを確保してそれで宣伝活動をして何が善意の「炊き出し」だよって反発を食らった感じ。

 人数だったら10万人分もの一般向けワクチンを確保しようとしているソフトバンクの方がよほど一般の人たちや、職域接種の申請が遅れて断られた企業なんかの分をガメたんじゃないかって疑いをもたれて不思議はないんだけれど、そうした批判が集まる前にいち早く行動していたことと、それから接種に関して施設を整え打ち手も集めて兵站は万全といった状況を作っていたことが、自治体だとかに成り代わって企業として社会的な貢献をしていると評価された感じ。スマートニュースは掻き集めた上にそれを売名に使ってなおかつ兵站は渋谷区に丸投げって印象を持たれて反発をくらった。もうちょっとうまくスマートニュースならではのIT技術を提供することで渋谷区の接種を手助けしますといった理由を語っていれば、ここまでの反発は食らわなかっただろう。広報って難しい。

 「スター・ウォーズ」も作っていたのか神山健治監督。「ULTRAMAN」をやり「攻殻機動隊SAC_2045」をやり「ブレードランナー」もやってオリジナルにも挑んでいる上に、ディズニー+で9月にも配信される「スター・ウォーズ」の短編アニメのオムニバスにも参加。日本風の世界でライトセイバーがそれこそ刀のように振るわれるストーリーを考え出したみたい。いったいどんな映像になるのだろう。作っているのはプロダクション・アイジーらしいけれどどこで作っているんだろう。別に三鷹駅前をヨーダが歩いているってことはなかったしなあ。気になります。

 ほかにもサイエンスSARUがいて神風動画がいてキネマシトラスがいてジェノスタジオがいてスタジオ・コロリドがいてトリガーもいるといった具合に日本でも有数のスタジオが、今石洋之さんや岡崎武士さんといったクリエイターを起用してそれぞれにそれぞれの「スター・ウォーズ」を作っているらしい。メルヘンチックなものもあればハードなものもファンタスティックなものもあるようで、過去にプロダクション・アイジーが手がけた「クローン大戦」とは違ったスピンオフ的オムニバスを楽しめそう。問題はディズニー+が配信プラットフォームってことか。入ってないものなあ。入るしかないかなあ。

  人が死に勝つとは、死を克服するのではなく、死を受け入れることなのだと諭される映画だったケン・リュウの短編小説「円弧(アーク)」を原作に、「蜜蜂と遠雷」の石川慶監督が実写映画化した「Arc アーク」。17歳で子供を産みながら家を飛び出したリナという女子が、流れ着いたパーティで肉体を駆使して魂を絞り出すようなダンスを踊ってみせたところを、黒田永真という女性に見いだされて永真が理事を務める<ボディワークス>という会社に誘われ、死体の血液やタンパク質を樹脂に置き換えるプラスティネーションの技術によって永遠に、死んだ人を腐敗させず火葬にもさせないまま止め置くサービスの手伝いを始める。

 希代のクリエイターだった永真がそこで見せる、死んだ人のボディを何本もの紐で引っ張りながら固定化させるポーズを作り出すパフォーマンスの様がひとつユニーク。その人が生きた証であり内面でありといったものが感じられるポーズをイメージによって選び出しては、パフォーマンスによってぴたりとそのポーズにあてはめる姿に、なるほど単なる死体処理場ではないクリエイティブな工房といった存在意義が見えてくる。永真という人物の価値も。

 そんな永真に見いだされたリナは永真が弟の天音との意見対立でもあったのか、<ボディワークス>の理事を解任され放逐された後のチーフ的な存在に収まって、永真に負けないパフォーマンスを見せては死んだ人の体に究極のポーズをあてがい永遠へと変える仕事に没頭していた。ところが。天音によって細胞内のテロメアを永遠に再生させ続ける技術が開発され、不老不死が現実のものとなって世界が一変する。高額だし大勢に施術できるものではなかったけれど、人類は死と老いという運命の輪から抜け出せるようになった。それは人類に永遠の時間というものを与えた。そして格差も。

 リナは受けた。そのことによって永遠の時が始まったとしても、たとえば八百比丘尼のようにひとりだけが違った時間を生きる分けではないのなら、短命の者たちの離別の悲しみ、自分だけが取り残される苦しみは起こらない。だからそういった物語にはならないかというと、人によっては施術が受けられない者たちもいた。あるいは自ら施術を選ばなかった者たちも。そうやって生まれた流れる時間の違い、そして離別の悲しみをどのように人は感じ取り、受け入れていくのかといった展開が映画「Arc アーク」に描かれる。

 選ぶのは自分だ。そう問いかけられて果たして自分はどの道を選ぶだろう。高齢者への施術は難しいともあるけれど、仮に若くしてそんな技術が訪れたとして自分は選ぶだろうか、それとも。リナのようにどこまでも存分に生き続けた果てに得られた経験から、選べるならそれは嬉しいけれども現実的に人類はそこまで老いずに生きるのは難しい。切羽詰まった気分なら是非にとなるところだけれど、そんな急かされる気持ちに対してそんなに良い物ではないのかもしれないと、思わせてくれる効果はありそうだ。生きるべきか死ぬべきか。それが問題だ。人類にではなく自分にとって。


【7月3日】 起きると雨っぽかったけど大きくは降ってなかったので、外に出て茅場町あたりで原稿書き。ついでにネットを見ていたら、熱海あたりで大雨が降って土砂崩れが発生したって話が流れてきて、現場でその様子を撮影した映像も幾つかアップされていた。1つは茶色い建物の酒屋さんにむかって土砂が押し寄せる映像で、最初はちょろちょろと水が流れていて、消防隊員か消防団員か誰かが様子を見たりしていたんだけれど、そこにどばっと水が押し寄せ途中で押し流してきた家屋なんかとともに現場を埋めては通り過ぎていった。大迫力と言えば言えるけれど、巻き込んだ家屋の中に人がいたら大変なので無事を祈る。

 まさに通り道に居た消防の人は、直前に避けたみたいだけれど、画面の左から中央に向かって車がすっと走って入っていったようなので、もしかしたら巻き込まれたかもしれない。別の映像では土砂がすでに押し寄せている中でちょっとだけ立ち往生していた車が、土砂を乗りこえ道を下へと下っていった数秒後に、大量の水が土砂とともに押し寄せては、後をおいかけるように流れ下っていった。スピードが出せていたかによるけれど、そのまま巻き込まれたかもしれない。水は海に向かって流れるby田島列島なら、こういう時は危険と観たら脇の高いところへ向かうのがやっぱりセオリーってことだなあ。

 その映像では2階から上流の様子をのぞいている人が見えた家が、押し寄せてきた土砂やら木材やらに押しつぶされるように壊され流されていって、あわてて飛び出していなければ巻き込まれていたはず。はたして無事か。祈りたい。熱海あたりは昨今のリモートばやりで東京から脱出した人も移住していただろうから、これで動きが収まるのかそれともやっぱり移り住むのか。温泉が近くて海もあって東京まで新幹線ならすぐって土地は魅力的、なんだよなあ。押井守監督も辻真先さんも済んでいるし。お二方とも無事だったみたいだけれど、伊藤和典さんはどうだと思ったら熱海に住んでいなかった。これは幸い。

 そんな伊藤和典さんが最新ツイートで藤井聡太棋聖・王位の棋聖位防衛について触れていた。渡辺明名人・王将・棋王を相手に3連勝ってのはやっぱり相当な強さ。そして通算の獲得タイトルが3期となったので昇段既定によって九段昇段が確定した。渡辺明3冠が21歳7カ月で達成した最年少での九段昇段を大きく縮めての18歳11カ月での九段はもちろん最年少だし、史上初めての10代での九段ということになるけれど、段位としての九段は1958年に創設されたものでそれ以前に棋士になっていた人たちの経歴をひっくり返せば、10代で今の昇段既定に達していた棋士がいたかもしれない。

 もっとも、あの羽生善治九段が19歳2カ月でタイトルを奪取した時点で史上最年少とされた感じから、10代で3期獲得をした人も、名人位についた人もいないとなるなら名実ともに“藤井九段”が史上初ってことなんじゃなかろうか。やっぱりすごい。次はだから10代名人を狙って欲しいけれど、B1ですでに1敗しているのが気になる。足踏みせずにA級へ、そして名人位挑戦へと行くか否か。今年が分かれ道になりそう。王位戦が重なって叡応戦も入ってくるタイトル戦過多の中、一般棋聖や順位戦もこなしていく体力が果たしてあるか。見守りたい。

 煮詰まったので田町まで行ってオンワードの販売会に潜り込む。スーツに出物でもあったらと探していたらJプレスで7割引の吊るしがあってこれはと飛びついたら、ここんとこ来ているAB6でもパンツが入らずAB7に挙げてしまった。昔はA6ですらゆったりぎみだったのにどうしてだ? って理由は明白、太ったから。ただ別の仕上げだとAB6でも充分なだけにこれはどうだと尋ねたら、いわゆるアメリカントラッドの3つボタン段返りなスーツに比べてシルエットが細身に作られているんだとか。ならしゃーない、ってそれが着られない方が問題なんだけれど入らないものは仕方が無いので、AB7で作って変える。2万円ちょっとでJプレスならお買い得ってことだろう。着ていく場所があるかは知らないけれど。そういう仕事も増えるかな。どうかな。


【7月2日】 大昔にプレスパスをもらって立ち寄った東京サミットのプレスセンターがあるホテルニューオータニでは飲食が無料でしっかりとしたレストランが出すブッフェから好きなフードをとって食べることができたっけ。企業なんかが開く展示会でもジュースとコーヒーくらいは無料で提供されているにもかかわらず、東京オリンピックではプレスセンターでペットボトルの飲料が280円だとか、カップラーメンが400円だとかいった市価の何倍もの値段で“販売”されるというから驚いた。

 日本のプレスならいざしらず、世界から来るプレスを相手にそんな粗末なメニューをそれも有料で提供するというのか。それこそ日本中のフードデリバリーがずらりと並んでメニューを無料で供しては、プレスを通して海外に日本のフードを伝えてもらうとするのが誠心誠意の「お・も・て・な・し」って奴だろう。ただでさえ会場から簡単には外に出られず競技会場とプレスセンターの間を言ったり期待するだけのプレスを、せめて食事で労うのが日本の心って奴なのに、いったい何をやっているんだろう。何がやりたいんだろう。物価も違う世界から集まる記者たち相手に、そんな値段で提供して心が痛まないんだろうか。親玉がぼったくり男爵だから末端もぼったくり気質が染み込んでいるのかもしれないなあ。「ぼ・っ・た・く・り」byクリステル。

 世の中にはまだまだ知らないことがたくさんあるようで、1997年というから「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」から2年後のイギリスでビールの宣伝のために長されたアニメーションのCMがあって、それがどうにも「攻殻機動隊」的な絵柄でもって侍たちが三々五々、ある者は歩きある者は船に乗りある者は空を行くタコから降りてくるといった具合に集まって来ては、パブに入ってビールを一気にあおって出て行くといったストーリー。作ったのはもちろんプロダクション・アイジーだけど、日本ではしばらく配信もされず幻のアニメーションとして語られていたらしい。

 2002年くらいに小黒祐一郎さんがアニメスタイルのイベントで上映し、その後ネットにも上がったので観ることができるようになったけど、今観ても本当に格好いい。さすがは北久保弘之さん演出で黄瀬和哉さん作画監督だけのことはある。これだけのトガった雰囲気を今も続けていたら世界に冠たるアニメーションスタジオになれていたかなあ、いやいややっぱり北久保さんなり押井守監督のストーリーがあっての雰囲気だけに、そこをもっと駆動させないと。でも儲からないんだよなあ。やっぱり今の路線が正解か。

 ここまで一切のネタバレ的な情報を入れずに見てきた「ゴジラvsコング」はなるほど、玩具なんかでネタバレする可能性が高かっただけにそっち方面すら関心の埒外においておいて幸いだった。でも上映している映画館に行って観る前に売店に立ち寄ったらすぐさまバレるだろうなあ。さて映画はといえばコング(CV.杉田智和)が「はあん、うっさいんですけど、それとおたく目ちっさいんですけど」と言いながらゴジラをぶん殴ると、ゴジラ(CV中村悠一)が「はいはい効いてませんよ、効いてないって言ってるだろ!どつくぞこのゴリラ野郎」と言って殴り返すような映画だった。本当だって。

 そんな2人を下の方で芦田愛菜と菊地凛子が見守っているって感じでもあったかな。つまりは見どころは怪獣たちのどつきあいであって、それはそれで楽しいんだけれど延々と続くところでちょっとばかりダレてしまう人もいるかもしれないから、吹き替え版でゴジラでありコングに声優さんが声をあてれば殴り合いの上に言葉の応酬も乗って耳も目もそらさずにスクリーンに見入れるような気がするんだけれど、どこか権利元の許可をえて岩浪美和さんを演出によんでそんな感じのセリフ入り「ゴジラvsコング」を作ってくれないかな。コメンタリー上映の際にそうしたゴジラとコングのセリフを入れてしまってくれても良いんだけれど。

 人間パートのストーリーはあまりにもポンコツ過ぎてこれなら日本の昭和なゴジラシリーズの方がよほどマシなんじゃって気がしてきた。「ゴジラFINAL WARS」だってもうちょっとゴジラの傍らで人間たちがまともに動いていたけれど(宇宙人に騙されてはいても)、この「ゴジラvsコング」だと何でそんなことをしたいのか分からない科学者がいて日本から来た科学者もいてろくでもないことを始めては自業自得の最期を迎える死、そんあ一派に与した女子なんかも我が儘の果てにペシャンコにされてしまう。正義側も何やらオカルトめいてスピリチュアルに恵投した配信者のネタを求めての暴走だったりするし、ラストで繰り出したある意味で必殺の技もそれでどうにかなっちゃうセキュリティどうなのって突っ込みたくなる。そこはだからおまけみたいなもので、基本は怪獣バトルなんだと思うならやっぱりバトルを見ていてもゲップが出ないものにして欲しいなあ。だからセリフだって。「ガタガタいわすぞ」「上等じゃい」的な。


【7月1日】 わーいやっと来たぞ予防接種のクーポンが、って思ったら風疹抗体検査の予防接種の案内だった。どうなってるんだ船橋市。調べると7月7日から自分の該当する年齢層にクーポンの配布が始まるみたいで、そこから接種を始めて2回目が終わるのは8月後半くらいになりそう。これで東京オリンピックとパラリンピックが開かれて、海外から変異株がわっと入ってきて国内に広がったら、出歩くことすら困難になりそうだなあ。すれ違うだけで感染するって評判だけになかなか不安。一方で当たった女子サッカーの1次予選には行きたいし。人生ままならない。

 ちなみに船橋市ではあの中山競馬場で集団接種があるらしく、行けば「うまぴょい伝説」を歌いながら接種を受ける人とかいっぱい観られそう。痛さに走り出しては「中山の直線は短いぞ」って言われて立ち止まるとか。競馬場なんって自分で馬券を買わない人間にとって行ける場所でもないだけに、そういう機会に行ってみたいけれど土日しかあいてないみたいなんで、普通に近所のショッピングモールかホテルに行って打つことになるんだろうなあ。いずれにしても接種のクーポンが届いてからの話になりそう。職域接種の申し込みが中止になって集団接種のワクチンも届かないってことだけに、果たして普通に打てるのか。続報を待つ。

 なるほどそういう話だったか、「オッドタクシー」。セイウチのタクシー運転手が乗せる客は動物で医者はゴリラで看護婦はアルパカだったりしてトイプードルとか三毛猫とか黒猫のアイドルがいたりする、擬人化の世界のお話しかと思っていたらとんでもないシチュエーションへと向かっていった。その反転がちょっとした非日常的自体に巻き込まれていた、そして人生におけるちょっとした不可思議な状況に陥っていた人間が、いろいろあった果てにようやく正常な日々へとかえっていくことを表していた。映像の工夫と展開とをマッチさせたこのアイデアは誰のものなんだろう。いずれにしてもアニメーションじゃなければ表現が難しいアイデア。喝采だ。

 ミステリーとしても一級品。交錯しつつも重なり合った人間関係から生まれる事件があって被害者がいて加害者もいたりして、そこに無関係だけれどすれ違った縁めいて関わってくる存在もあってと入り組みながら最後にすっきりとときほぐしてのけた見事さは、脚本の人の功績なのかそれとも監督なのか。SFだったらこうした映像作品でも日本SF大賞にノミネートされ得るけれど、ミステリーのメディア作品は日本推理作家協会賞とかにも選ばれないから勿体ないというか残念というか。脚本が刊行されたらそれともあり得るんだろうか。気になります。

 「アニメーション 呪術廻戦展」の内覧が渋谷であったついでに、7月2日からスタートの「聖地会議EXPO」に立ち寄って準備中のところを見学。石原満さんと乘田拓茂のコメントによって「輪廻のラグランジェ」のオープニングcut21の描かれ方が詳細に解説されているので見るとどう描くか、そしてどう動かすかがわかる。「アニメーション 呪術廻戦展」も作画の意味での原画がずらりで筆致がわかる上にそれぞれについて朴監督や瀬下プロデューサーが解説していて、誰が担当したカットで描かれ方にどんな特徴があるかが添えられていて、キャラかっこい以上にアニメーターが見て勉強になる展示になっている。クリエイターにスポットをあててしっかり伝えるところがちょっと嬉しい。


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