縮刷版2021年6月上旬号


【6月10日】 「『ネームはまあ半日あれば余裕っすね』とか言っておいて、その半日を始めるまでに2日半は“横”みたいな状態が続いてしまい……」といったコメントを発して「呪術廻戦」の芥見下々さんがしばらく休載を発表。理由に挙げているのよく知っている整体師さんがいなくなったこと、そして食事に出ようとしたら廻りの店が閉まっていることなんかを挙げていたけれど、それらは腰が痛いとか美味しいものが食べられないといった直接的な理由として、体調に影響を与えているっていうよりは思うに任せない状況が、自身にも周囲にも重なって多大なストレスを招いてしまって、心に澱が貯まってしまっているといったところだろう。

 一種の失調で大坂なおみ選手じゃないけどうつ状態に近いか向かっているとも言えて、そうなると本当にやる気はあるしやらなくちゃいけないって責任感もあるし、やればちゃんと出来るだろうといった見通しもあるけれど、やり出すまでの気力をなかなか奮い起こせな。それは経験的に分かることで、家を出て仕事場に行かなくちゃっていった理由、あるいは医者に行かなくちゃって強制がないと本当に、1日だって2日だって寝たきりになってしまうのだ。それでも〆切りが来れば原稿を書かなくちゃと起きだして、2時間くらいで1本仕上げてしまうのだから我ながら奇妙というか。

 芥見さんは漫画家だから2時間じゃ足りない訳で、それで遅れ気味で遂には下書き原稿を掲載してしまうハプニングも起こしてしまった。こうなるといくら本人が週刊誌のスピードじゃなければ「呪術廻戦」じゃないって思っていても、編集者だって止めざるを得ないだろう。幸いにしてもうギリギリのところで気を入れ直していったん休憩となったからには、1カ月くらいを置いて復活してくれると思いたい。そうはならなくてもちゃんと待つからここはゆっくり養生して欲しい。「BLACK LAGOON」なんて本当に時々思い出したように載るものなあ。「HUNTER×HUNTER」は読んでないからあまり意識しない。

 フジサンケイビジネスアイ(日本工業新聞)の6月30日に迫った休刊まであと20日くらいとなったんで、今日も今日とて思い出したことなどをつらつらと。1990年3月1日に転職して入社してから数年が、たぶん会社の規模としてピークで売上高も100億円に迫ってたいような記憶がある。入社前にいろいろ調べたから覚えているけれど、結局は届かなかったじゃないかなあ、今? もはや影も形もない。

 自分は官公庁とか金融なんかを面倒みている経済部に配属されたけれど、産業専門紙だけあってメインを張っていたのは産業部。確か4部まであってそのうち産業1部が電機で重電に家電に情報通信などを所管。2部が機械や自動車、あと運輸なんかも持っていた。3部が造船重機に化学に繊維、エネルギー、建設なんかを持ってたっけ。ピーク時は4部まで作られ流通・サービスなんかはそっち。ほかに国際部だかがあって外信なんかを受けてた。

 記者は最高で100人くらいいたかなあ。日本経済新聞がそれこそ全国に2000人とかいった規模で記者がいるのに比べると遥かに小さく、やはり全国に取材網を持っている日刊工業新聞と比べてもグッと小規模だったけれど、そうした新聞の対抗軸といった位置づけは保っていた。日経産業新聞、日刊工業新聞と日本工業新聞で産業3紙って言われ、発表会なんかでも揃って呼ばれてレクを聞く機会も結構あったけれど、そんな一角が題字を替え体裁を変えた果てに休刊となるのは、やっぱり新聞の歴史的にひとつの時代の終焉だと思って入る。世間的にはまるで話題にされないけれど。

 だからまあ、こうして経験者として記憶を掘り出している訳で。そんな日本工業新聞に他にはない特色があったとすればカラー紙面。グループの産経新聞が鹿内春雄時代にカラー化を打ち出した関係で、結構な枚数のカラー写真が使えたんじゃなかったっけ。ただやっぱり産経の販売網から外れると見かけなくなる。名古屋じゃ愛知県図書館でしか見なかったものなあ、日本工業新聞。フジサンケイビジネスアイになっても取ってるのかな?

 そんな日本工業新聞も、バブル崩壊でだんだんと景気が悪化する中で産業部も部の数がだんだんと減って最後は全部いっしょになっちゃんじゃなかったっけ。それでも1995年くらいには記者も多くいて、記事もいっぱい載っていた。事業も産業系の見本市とかやっていたし、マックワールドも初期はIDGと一緒に開催してたんだよ。IT系への浸透とかをもっと活かせていれば、ネット時代にいろいろと伝手を増やして羽ばたけたんじゃないかって思うけど、産業紙だけあって旧態依然とした重厚長大な産業をメインにしていた関係で活かせなかった。勿体ないけど仕方が無い。それが運命って奴だから。

 あなたが東洋の魔女の回転レシーブに感動しようと今の日本でアフリカの陸上選手たちが来ない可能性がある東京オリンピックの何に感動をすれば良いのか。公平公正といったある種の理念から大きく外れて出たくても出られない選手たちが大勢いたりする中で、日本とか近隣の中国とかワクチンの接種が進んだ先進国の選手達だけが集まって、競技をしてもそれでとった金メダルは本当の意味で金メダルと言えるのか。世界の国々が参加できないオリンピックを開催する意義はどこにあるのか。そこに感動したい観客のためではなく、そこで感動を与えられない選手たちの思いを汲んで、ここは公平公正な開催が可能になるまで待つなり、開催を控えてオリンピックという大会の意義を保つべきなんじゃないのかなあ。って言って聞こえる頭じゃないか。吹き込まれた言葉しか喋れない木偶なんだから。


【6月9日】 すでに「月刊少年マガジン」では完結していた諫山創さんによる漫画「進撃の巨人」が単行本でも第34巻を出して完結。連載版も読んではいたけど単行本だとラストに少し書き加えがあって、あの世界の“その後”めいたものが描かれていて人類というものの、まったくもって懲りずに戦っては滅ぼし合う業のようなものを思い知る。それでも個々には他人を慈しんで生きようとする輝きが備わっていて、そんな思いを受け継いでミカサは生き抜き、仲間たちも生き抜いて未来を迎えたに違いない。そんな紆余曲折を経てそびえ立ったあの木の下にたどり着いたあれは誰なのか。気になった。

 最初のコマで木の下に参っているのはたぶん髪型からして男はジャンだとするなら、女はいろいろと因縁が芽生え始めていたピークかなあ、って思いたかったけれど、直前のコマで頭を後に縛ったミカサが描かれて居るから、やっぱりミカサなんだろう。拡大するとマフラーも巻いているし。個人的にはピークであって欲しかった。対エレン戦の時にピークが私のことに構わずと言って悲劇のヒロインぶろうとしたら、まるで無視してジャンが突進して「あっ」とか叫んでいたりして、それなりに意識してたように見えたし。次のコマになるとたぶん時間も進んでいるから誰が誰やら。立派な車が停まっているからヒストリアと名も無き夫と子孫たちって可能性もあるかも。

 ガビとファルコはきっといっしょになっただろうけれど、マーレなり連合国がエルディアとの対立の中でどうなっていったか分からないだけに少し心配。そしてアルミン。ミカサとエレンが離脱した世界で残った3人のうちの1人として、どういう生き方をしたのかがやっぱり気になる。アニと一緒になったとか? 案外とそんな展開かも。途中、マーレ編であれだけ目立っていたイェレナが連載時にはどうなったかが描かれていなかったんで、補足されているかと探したけれどやっぱりいない。一陣の風と通り過ぎてしまったんだなあ。長身好きとしてはちょっと残念。ともあれ改めて完結を期に、SFとしての凄さを考えてみたい。どうせ日本SF大賞に1次ではわんさかノミネートされるんだから、2次へと押し上げるための言葉を考えよう。

 今日も今日とて船橋中央図書館へと赴いてあれやこれや書きもの仕事。パソコンを使える席を利用カード所有者に限定したことで、座れる席を求めてオープンと同時に入ってきて長く座っている住まいを持たない人たちが入れなくなったみたいで、平日だとだいたい空いていることが分かったのでこれから利用しよう。船橋西図書館も同じ様なパソコン利用席があって前は結構行っていたけど、新型コロナウイルス感染症の蔓延もあるからきっと席とか減らされているだろう。行って座れないと転戦が利かないと苦労するんでしばらくは船橋中央図書館をメインで。帰りにサイゼリヤにも寄れるし。

 って言いつつ今日はサイゼリヤのそばにある富士そばで「漁港の肉子ちゃん」とコラボした肉入りソバを頂く。多めに肉がのっかっているのがちょっと嬉しい。最近どうにもチキンカツとか食べ過ぎて、衣が油っぽいのか腹が膨らんで昔はけてたジーンズがはけなくなってきた。野菜はとっているのにどういうことだ。でも現実は現実なのでしばらく油で揚げたものは遠慮することを考えないと。衣を外すってのもひとつ手だけれど、それをやるのも調理してくれた人に悪いしなあ。運動しろ? それが出来れば苦労はないのだ。

 月末で休刊となるフジサンケイビジネスアイ(日本工業新聞)についての思い出を思い出したようにあれこれ。入って2年目の1991年に証券不祥事が起こって株で損した企業に証券会社が損失補填をしていた問題が持ち上がってどこに補填していたか、ってリストをすっぱ抜いた日本経済新聞の証券部の2人が新聞協会賞をとったっけ。兜倶楽部にいる人数からして物量でかわないなあとは思ってたけど、決めてくるところはさすが経済の日経、恐れ入りましたってところ。

 受賞したキャップの近藤さんは今はQUICKで社長から会長になったみたいで、こちらとは大違いの大出世。土屋直也さんは辞めてニュースソクラってのを立ち上げたっけ。アクセスしたらつながらないのはやっぱり昨今の厳しい情勢でニュースサイトとして大変だってことなのかな。ともあれ損失補填リストのすっぱ抜きでも終わらず証券不祥事は燃え広がっていった。その頃、野村證券には大田淵小田淵と呼ばれる田淵節也会長、田淵義久社長がいて夜になると記者の人たちが何かを尋ねに行ったっけ。

 田淵節也会長は証券業界はら始めて経団連副会長になって”株屋”と蔑まれた業界の地位を高めた人だったけど本件で会長職ともども辞任。松濤に住んでて訪ねて行くとステテコみたいな格好で出て来てちょっぴり親しみを覚えた。今もあの当りに今行くと少し思い出す。それにしても1990年3月1日に入社した時の日経平均株価が3万3829円で以後、下がり続けて少し持ち直したとは言え2021年になり3月18日につけた3万216円が直近の最高値。対してNYダウ平均は3000ドル位だったのが今は3万4000ドル。そりゃあ日本も貧乏になる訳で、これでは経済紙であり産業紙のフジサンケイビジネスアイも保たんわなあ。やれやれだ。

 「ポンポさんが星5つとったぞーっ」ってことでキネマ旬報の星取り映画レビューの中で、「映画大好きポンポさん」が北川れい子さんの評で星5つを獲得。「映画を題材にしたアニメといえば『映像研には手を出すな』があるが、架空の映画の街を題材にした本作のキャラとストーリー、共感を誘うセリフと絵の美しさはもう抱きしめたいほどで、緩急のあるテンポも最高。そうそう劇中劇にも感心する」と大絶賛。「そして何ともカッコいい“90分”ネタのオチ!!」と、原作どおりにストンと落ちる帰結についても誉めてくれている。有り難い。

 佐野亨さんは星3つで「『映画とはおよそこのようにつくられているのだろう』という妄想にもとづいた一種の職業ハウトゥものであり、『こうだったら面白いよね』という理想の投影としては楽しめる」ってちょっとシニカル。それでも3つついた星の数はそれなりの評価って言えるかな。映画内映画が映画である必要がないって言には、けれども昔の絢爛たるハリウッド映画じゃないかといった思いもあるのでちょっと異論。福間健二さんも星3つで足すと11個は「逃げた女」の12個に次ぐ数。アニメでこれだけとれれば充分だけど、そうした評価に興業が追いついてくれればもっと嬉しい。細田守監督作品とか来る今年度に、アニメ映画として勝てるかは平尾監督のこれからにとって、とても大切なことだから。


【6月8日】 KADOKAWAが撮ってて8月13日に公開予定の映画「溶解大戦争 ガーディアンズ」にあの「大魔神」が登場するということで話題に。何と55年ぶりだそうで、いったいあの巨体がどのように表現されるか、昨今のCGを使ったゴジラ映画の圧倒的な迫力なんかも鑑みつつ、登場を待ちたい気がふつふつとわいてくる。振り返れば「大魔神」は1997年に、KADOKAWAが買う前の大映の代表として日本映画製作者連盟の年始会見に登場した徳間康快さんが、来年は「大魔神」を撮るとぶち上げてちょっとした話題になったっけ。

 当時の日記を振り返ると「曰く『日本では撮らない』。なぜって日本でとるとやっぱりチャンバラっぽくなってつまんないからで、となればハリウッドかというとさにあらず。何と『メキシコ』で撮る計画なんだとか。白人に虐げられたインディオの祈りによって、メキシコの遺跡に埋もれた大魔神が復活して、メキシカンやカウボーイらをなぎ倒して快進撃を続け、インディオたちを守るって、そんな話になるんだろーか」なんて書いてある。

 お話しの方はSF作家の筒井康隆さんがシナリオを書いてSF Japanに掲載し、後に本にもなったけれど結局は撮られず仕舞い。「ディズニーに協力してもらいたいとか、ケビン・コスナーにお金を出してもらいたいとか、とにかく発言が雄大で、たとえ日本映画が全般に低調でも、永田雅一にまけないラッパぶりを見せてくれる徳間さんがいる限り、新聞紙面に話題は尽きない」って書いたけれど、ラッパはやっぱりラッパに終わってしまった。一方で「もののけ姫」はちゃんと作って当時としては空前の興行収入をもたらした徳間さん。こういう人がいなくなって、日本の映画界も興業屋としてのいかがわしいさが混じったパワーがちょっと薄れたなあ。ともあれ復活の大魔神、見に行かないと。

 何とまあ、MX4Dで3Dだとは驚いたよ「PUI PUI モルカー」。全部合わせても40分に満たない長さのものをつなぎ合わせて映画にして上映するそうで、MX4Dだからきっとど迫力の「モルミッション」なんかはアクションもあれば爆発もあるようなシーンを存分に体感できそうだし、モルモット自体の香りなんかも部屋に充満して動物気分を味わえそう、ってそれはちょっと大変か。特典も配るそうでボール状になっててにぎるとプイプイ泣くそうな。それを持って声には出せない応援上映を楽しめそう。7月22日からだから開催されればまさに東京オリンピックの真っ最中。海外から来た選手たちも、選手村から出て「PUI PUI モルカー」が見たいを騒ぎ出したりして。

 札幌の古書店に何やら新しい本を幾つも持ちこむ人がいて、万引きしたのを持ちこんだことがバレて逮捕されたとか。そりゃあ新品の同じ本ばかり持ってきたらバレるのも当然だけれど、その際に持ちこんだのが「ONE PIECE」とか「呪術廻戦」とかじゃなく、「スーパーカブ」や「薬屋のひとりごと」のコミカライズってところに、ジワジワとした人気の上昇ぶりを感じたりする。ともにライトノベル界隈ではずっと人気のシリーズで、コミカライズも含めてベストセラーになっているけれど、世間的には漫画の圧倒的な人気や話題に押されて、それほど知られているとは言えない。それこそ未だに「鬼滅の刃」がトップだなんて思い込んでるメディアに対して、違うんだよってアピールする話題にはなったかな。いずれにしても万引きはいけません。買って読もう、どちらもとっても面白いから。

 1992年くらいにテレビ放送された「NIGHT HEAD」は深夜のテレビドラマでありながらも話題になって豊川悦司さんと武田真治さんという今もときめくスター俳優たちを送り出しただけに留まらず、Jホラー的なムーブメントを後に生みだして今に続く日本コンテンツの世界的な礎を築いた。そんな「NIGHT HEAD」がアニメーションになって「NIGHT HEAD 2014」として送り出されるということで、幾つか仕込みのための取材をこなしに神保町へ。久々に対面で取材したせいか、それとも近づく雨に気圧が下がったせいか、家に戻ると意識を失い気がつくと12時間が過ぎていた。記事はまあ放送が先なんでゆくゆく描くとして、放送されたら評判になることは間違いないとだけ言っておこう。イケメンぞそいでイケボ揃い。イベントがあれば3万人は集められそうだなあ。そんなイベントが開かれるような世界になっていればだけれど。


【6月7日】 行くぞ興行収入100億円! って叫んでもちょっと難しい胸突き八丁に来ていた「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が一気に巻き返しを狙ってとんでもない施策に打って出る。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」が前作「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」から一気に14年間飛んでいて、どうしたらあんなにも葛城ミサトはやさぐれてしまい、赤木リツコはボーイッシュな髪型になってしまい、そして鈴原サクラはすくすくと成長したように見えて心に闇を抱えてしまったのか、なんてことが気になって気になって仕方がなかった。あとは世界があんな風に真っ赤になって滅びているのに、WILLEの連中はどうやって生き延びてどこで暮らしていたのかとか。

 そんな空白の14年間について、明らかにした冊子が「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の上映時に配られるとあっては、こうれはもうこれまでに何度見ようと、12度見ていようと行くしかしかないし行かざるを得ない。庵野秀明総監督の原案なんかを得て、松原秀典さんと前田真宏さんが漫画仕立てで描いたというからいったい天才アニメーターたちに何をさせているんだか。脚本は鶴巻和哉さんだからしっかりと読めて情報も得られる冊子になることだろう。それを原作にして映画とか作っちゃうとかあったりするのかなあ。商売が必要としたら作っちゃったりしそうだなあ。

 そしてこれもやっぱり見に行かざるを得ない理由として、ちょっとだけ改良バージョンが上映されるとか。「EVANGELION:3.0+1.01」バージョンというから0.01分だけ何かが替わっているってことだけど、それが何かに果たして気がつけるのか。全体のタイミングが調整してあれば、「この世界の片隅に」ですずさんんと秀作との会話がちょっと噛み合っていなかったところを合わせたような改良があったと分かるんだけれど、映像面で効果をいじったとかだったら気付けそうもないかも。それこそ裸のアスカがシンジに見て欲しい場所がピカッと光り輝くような演出が加えてあったら気がつくんだけれど。そんなことはないか。いずれにしても週末には「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を見に行く。こちらは差替はないそうだけれどドルビーデジタルバージョンも見たいなあ。

 6月30日で以前に所属していたフジサンケイビジネスアイ(日本工業新聞)が休刊となってしまう。その後に所属したSANKEI EXPRESSもとっくに休刊となっていて、通った後にぺんぺん草も残らないというなら本体もいずれはと思ったりもするけど、意外としぶといのは熱烈に支持する層が未だしっかりいたりするからなんだろうか。金にはならないけれど。それはそれとして、あまりにマイナー過ぎてフジサンケイビジネスアイも日本工業新聞も実物を見たことがない人の方が圧倒的だろうから、休刊までの日々、思い出した事を訥々と書いていって消えゆく古巣を偲んでみよう。

 入ったのは1990年の3月1日で、その前に2年間ほど勤めた自動車専門紙からの転職だった。入ってすぐに経済部に配属されて、東京証券取引所の記者クラブ、通称兜クラブが担当となって言って永松久さんというベテラン記者。年齢は親といっしょだから当時53歳くらいか。考えてみると今の僕より若かったんだなあ。でも当時からすっかりおじいちゃんだったし、貫禄もあった。それというもの長く証券記者をしていた兜町の名物記者で、四大証券の首脳が若いころから知っているということだった。

 いろいろ武勇伝があった永松久さん、、証券記者になる前は海外ニュース通信社の記者としてベトナム戦争に行ったとか、プロレス記者をしていて伊豆大島にジャイアント馬場といったとか話していたけれど真偽は真相は不明。映画会社の大映のニューフェイスにも合格したけど断って、笠智衆から怒られたとかいう話も聞いた。映画雑誌とか調べれば分かるかもしれないけれど、そんな甲斐性もないのでこちらも真偽が分からないまま30年が過ぎてしまった。宍戸錠sあんの弟の郷^治とは学生時代に友人だったとも。生年が同じで聞いていた大学も同じ。郷さんなら真相が聞けるかと思ったら1992年に他界されたそうして時代は過去となり、永松さんも他界されてかれこれ四半世紀。下がる株価とともに新聞も紆余曲折を辿るのだった(続く)。

 千葉県の熊谷俊人知事がフジテレビの「日曜報道THE PRIME」に出演した際に、千葉県の飲食店から第2弾も含めて協力金が支給されていないといった話を報じて熊谷知事にぶつけたとか。恥でもかかせようとした感じだけれど、そこは熊谷知事、取材時点で第2弾は98%の支給率になっているため、これはおかしいと調べたところ、第2弾も第3弾も支払われていることが分かって訴えてきた店主にも、番組にも指摘したら一応誤りは認めたとか。でも間違えましたすいませんとは謝らなかった。虚偽の話で顔に泥を塗って糾弾しておいて、謝らないというのはどいう了見なんだろう。まったくもって意味が分からない。

 というか、報道という看板を掲げながらも真っ当に調べていないところが不思議というか不快というか。あるいは本当に支給されていない大坂を目立たせないようにするために、千葉県をあげつらっては貶めようとしたとか、聖火リレーを拒否して国家にたてつく態度を見せている熊谷知事の足を引っ張ろうとしたとかいった、何か策略があるんだったら厄介とは言え頭は働いている。そうでないなら本当に調べるということをせず、一方的な話だけで罪を押しつけて平気なスタンスでいたということで、報道としてもメディアとしても本当にヤバい所に来ていると言える。どっちなんだろうなあ。今の状況がそれを証明しているのかな。


【6月6日】 うらぶれたサラリーマンとも公務員とも言えそうな眼鏡の男と、小さいけれど尊大そうな赤髪の魔王様めいた女の子が並んだビジュアルから想像できる物語はいろいろあるけれど、そこはたつき監督だけに有り体の関係性を外してとんでもないストーリーを紡ぎ上げてくれるんじゃないかなあ。ツイッターのアカウントに唐突に発表された1枚絵はいったい何を意味するのか。そしていつ頃どういう形で出てくるのか。楽しみにして成り行きを待とう。

 長い長い夢だった。場所はどうやら学生時代にアルバイトとして働いていたディスカウントストア。そこに新しく搬入される荷物を、倉庫までどうやって取り行くかという話になって、アルバイトが2人いたら1人は店の対応をしていることが決まって、倉庫には1人で行かなくてはならないようで、それは手が足りないと訝っている。1人しかいなかったらずっと店番か、それとも倉庫と兼任かと社員に問いかけたけれど、どんな答えが返ってきたのか覚えていない。

 そんな倉庫はやたらと広くて、それこそ店舗くらいあったのが、いつのまにかそちらが店舗となってアルバイトの控え室はずっと億に置かれていた。そんな店内に新しく入ったティッシュとかに何か美少女キャラクターが描かれていて、それが何のキャラクターかを知っているけれども名前は思い出せない。そんなティッシュや商品が並ぶ店内で大晦日、紅白歌合戦の中継が行われて自分は誰かといっしょに店内を歩く役をしていたという。楽曲は懐かしのベストテンだか何だかのオムニバス。それを演じながら見ている自分がいる。

 やがてディスカウントストアの事務所に社員も店長もオーナらしき老人も含めて集まっては、何か相談を始めた。あるいは新年の挨拶か。やがて老人や社員が肩を組んで大声でアニソンを歌い始めたのを、自分は寝転がって真下から見ていたら、店長らしき人が起きろ、起きていっしょに歌えを指図したのでアニソンを歌い始める。作品は『サイボーグ009L」とかいったり、何か恋愛作品っぽい平仮名4文字のタイトルがついたものだったり。それらの楽曲を覚えていなくても、画面に出てくる字幕を追いかけながら歌って皆に合わせていた。

 やがて喧噪も静まって、気がつくとバイト仲間たちでホテルの客室のようなところで寝ていて、起き上がってさあ逃げだそうとして意識を失って、気がつくと乗用車の後部座席のようなところで寝ていて、運転席だか助手席だかにいる黒人の怖そうな人と握手をして、また意識を失ったらやはり同じように後部座席で寝ていて、そのままホテルへと連れて行かれる。あるいは乗用車の中がそのままホテルの客室になる。

 捕まったままではいけないと、誰かが入って来た隙に逃げ出して、ホテルの中を走って階段状になったホールをかけ降りそのまま外に出て、地面すれすれまで降りてくるゴンドラにつかまろうとしても届かないので、そのまま走っているうちに目が覚めた。分解すればさまざまな体験が時空を超えて浮かび上がっては寄り合わさったような夢で、出てきた人にも見覚えがあったのだけれど、もしかしたらあったと思っているだけで本当のことは分からない。

 そして目覚めた今は、見た夢の記憶もどんどんと薄れていって、これ以上の何か奇妙なエピソードがあったことも、忘れてしまっているのがちょっと寂しい。アニソンを歌ったアニメのタイトルとか、歌詞とか夢に見ている間はちゃんとしていて文意もつながっていて、意味も通ったものだったのに、目覚めた今はほとんど覚えていない。いったいどこから湧いて出て夢の中のブラウン管に映し出されたのだろうか。こればかりは見当がつかない。そして今、自分は本当に目覚めているのだろうか。これもはっきりした事は分からない。どうなんだろう。

 執筆時間だいたい5時間で書いた解説原稿がとりあえず通ったみたいで一安心。短いと思うだろうけどその前に本を読んだり関連書を読んだりWEリーグを見ながらどういう構成にするか考えたり映画を見ながらどういう書き出しにするかを考えたり延べ30時間くらい寝ながら夢の中で自分にも書けるとテンションを高めたりしているので実質的には550時間くらいはかけているんじゃないかな。ともあれ1999年の1冊目から22年で11冊目。2年に1冊ペースに持ち込めれば還暦までのあと2冊は出来そう。古希までには15冊は行けるかな。そんな時代まで文庫本が存在しているのかな。

 今日も今日とて11時半に船橋中央図書館へと入って、3時間ばかり原稿を打っていちおうのフィニッシュまで書き上げる。制限時間が来たので図書館を出て船橋にあるサイゼリヤ入りを果たし、カルボナーラとほうれん草を食い、タリーズに来て1時間ばかりかけて原稿の形を整える。だいたい5800字。ほぼ完成に近づいたので引き上げて「ウマ娘 プリティダービー」で遊ぶ。きのう出たスマートファルコンが早くもURAファイナル決勝を制したので、次はどれだけファン数を増やしていけるかを試すのだった。どうにかフィニッシュしたけどAはなかなか出ない。玄関先の書斎に戻って原稿の整頓。なぜか6500字に増えた。そういうことってあるよね。寝よう。


【6月5日】 「珠川丸代五輪相は、『我々はスポーツの持つ力を信じている。鍛え上げられた肉体はウイルスをも阻む。槍投げの槍はウイルスを貫き、競泳プールの塩素はウイルスを死滅させる。聖火の炎はウイルスを燃やし尽くすだろう』などと、まるで全く別の地平から見ているような言葉を嘯いて、専門家に反論した」。いやまあ戯れ言ではあるけれど、実際のところそれくらい一般的な世論から隔絶した地平から、世の中を見ているとしか思えないのが丸川珠代五輪相であり、政府や政治家たちといったところだろうなあ。

 経済政策から外交から内政からやることなすこと普段から無茶苦茶であはるけれど、こと五輪となると余計に世論の「やらない方が良いんじゃね?」って意識とは真逆のところから物を言っては世間を極寒の渦中へと叩き込む。組織委員会の橋本聖子会長も選手達が東京に向かう足音がするとゆるふわな言葉を吐いて世間との乖離ぶりを露わにしている。それこそ「『変異ウイルスの皆さんが海を渡って、東京に向かう足音が次々と聞こえてくるような気がいたします』と期待感を口にした」なんて戯れ言を言いたくなるようなポン酢ぶりを見せている。

 「『このような因業な時代だからこそ大会を開催し、ウイルスの力で再び世界をひと纏めに滅ぼすことが、パンデミックの価値であると確信をしております』」といったところ。カクテルのようにミックスされた新型コロナウイルスやらインフルエンザやらのウイルスが日本に蔓延して世界にも広がったら、本当にラグナロクでもハルマゲドンでも起こりかねない。そんな政府を内から止めようと、新型コロナウイルス感染症の対策を行う分科会の会長に就任した尾見さんが、いよいよ五輪無理と言い出したのは「ワイルド7」で獅子身中の虫を目指した草波隊長みたいない感じだけれど、それでも止まらないこの国をかえるにはいよいよ飛葉大陸の帰還しかないだろう。それは誰? 待ちたいけれども思い浮かばない。困ったなあ。

 政府を取り巻くというか政府の取り巻きみたいな見解でもって共存共栄を図りたいのか、あるいは中国が絡むと途端に強気に出ることでそうした中国嫌いたちを見方につけて盛り上がりたいのか、過激なことを言い始める人もいるから厄介というか。元財務官僚という触れ込みの山口真由さんが今年の東京五輪が中止となった一方で、来年の北京冬季五輪がこれで開かれて成功でもした日には、日本の地位は下がってアジアの覇権が中国に写って日本のプレゼンスが下がるとか言ったとか。いったいいつ頃の認識なんだ。

 とっくに経済では中国がアジアの覇権を握っているし、軍事でもその物量でもってアジア最大の戦力を持つに至った。科学力だって日本なんかよりはるか先を行っている。日本が優位なのは漫画くらいでゲームだってアニメだって中国発のものが世界に浸透し始めている訳で、遠からずそれなりのイニシアティブをとるだろう。そんな国と張り合ってプレゼンスだとかイニシアティブといっている方がよほど滑稽。五輪なんて開かなくても経済と文化と科学と技術で上に立てば良いのに、大金を払って巨大な運動会を開こうとするのは未だに五輪が権力と権威の象徴だって意識に囚われているからなんだろうなあ。それを言うことで優越感に浸りたい層に受けるってこともあるか。やれやれだ。

 ギーガー展に行く。じゃなかった鳥獣戯画展を見に上野まで行って時間があったのでタリーズに入ったら中にいる人の半数くらいがマスクを着けずに喋ってた。飲み食いをしている場所でもないんだからマスクを外さなくても良いはずなのに、平気で外して向かい合い、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ喋って喋り倒している様に、これじゃあ東京から新型コロナウイルス感染症の感染者が減らないわけだと改めて思った次第。アメ横を歩いても道路に出ている座席でやっぱり誰もがマスクを着けずに飲み食いしているものなあ。緊張感足りなすぎ。これで五輪なんか開かれた日には街に人が溢れてノーマスクで歩き回って輸入された変異株を吸いまくってアジャパーになるのは確実だろう。遠くへ逃げたい。

 さても鳥獣戯画展は午後6時からの入場に並んで10分ほどで中に入って、まずは第2会場から回って写しなんかを見ていたら中にあの狩野探幽による模写があって驚いた。日本画誇る画家でも真似たくなったんだなあ。そんな第に会場をさっと抜けて本命の実物が並ぶ第一会場へと入ったら、最も人が並ぶ「甲巻」にまだあまり人が並んでいなくて、割とすんなり動く歩道へと入ってゆっくりと動く状態の中で間近に有名なウサギやカエルやサルが動いたりひっくり返ったりする様を見て撮れた。サルが坊さんになってカエルの阿弥陀様にお経と唱えている場面とか、本当に描かれて居たんだなあ。線もしっかり細部まで描かれて居てさすがなもの。これが「丁巻」になると荒くてラフ原画のよう。どうしてこれが「鳥獣戯画絵巻」としてセットになっているんだろうか。気になった。分厚い図録も買ったんで読めば理由とか書いてあるかな。


【6月4日】 明け方に「呪術廻戦」の最新第16巻をAmazonから電子で購入してペラペラ。えっとどこまで行ってたっけと戻って確認し、真人が夏油傑のガワに丸められたところで続きになっていたと分かってふたたび第16巻へと進んで虎杖との対決が始まったかと思ったら呪術高専京都校の面々がようやく到着し、挑んだものの叶わずそして東京が闇に埋もれるといった壮絶な急展開を見せる。もうちょっと学園呪術バトルが続いて京都と東京の因縁が深まっていくなり解消していく物語を世舞えてくれるかと思ったら、虎杖に死罪の命令が下って乙骨優太が参戦して来て、これはもう誰かが死ぬような展開にならざるを得ないところまで来てしまった。後戻り不可能な。

 夏油傑との戦いでは京都から三輪とか真依とか桃とかが絡んでも叶わなかったもの、命だけは奪われずに退散はした模様。とはいえ東京が闇に包まれる中で京都まで帰れたかどうかは分からずそのまま呪霊の討伐に乗り出したのだとしたら、刀を振るうしか能の無い三輪とかまっさきに寸断されそうでちょっと怖い。スーツ姿の女子ってなかなか魅力的だけに退散されては困るなあ。真依に関しては流れてくる情報からいろいろ起こるみたいで、真希との因縁というか愛憎に決着がつくといった理解でいいのかな。桃とかは知らない。加茂憲紀はご先祖が出て来て大暴れし始めているからタダではすまないのかな。第17巻はいつだろう。待とう。

 夜にしようかと思ったもののどうせ起きたんだからと午前6時に家を出て、TOHOシネマズ池袋で今日から上映が始まる長編アニメ映画「映画大好きポンポさん」を見る。首都圏では1番早いくらいの上映だったけれども開放している座席のほぼいっぱいに観客が集まり期待の高さを見せてくれた。そんな期待に違わず映画はもうとてつもなく素晴らしくって何度だってこれは見たいと思わせた。来場者特典でもらえた描き下ろしコミックが「前編」となっていて、「後編」は来週からの配布なんだけれど今すぐ寄越せ、そうしたら明日にでも2度目を見に行くと叫びたくなるくらい、また見たい気持ちでいっぱいになっている。

 何しろ気持良い。そして勇気づけられる。元気づけられる。顔を上げて間へへと歩けと叱咤されている気分になれる。ストーリーについては原作をほぼ踏襲しているんだけれど、そこは「空の境界 第五章 矛盾螺旋」を撮った平尾隆之監督だけあって時系列をいじりカットバックも使って一直線にならないようにしつつジーン・フィニという映画がとにかく好きで好きでたまらない男がいったいどうして映画が好きで、そのことを自分のためにどう活かすのかといった模索と懊悩を見せてくれる。原作だとナタリーという女優を見てきて田舎から出て来た少女が、ポンポさんに見初められてデビューを果たすシンデレラストーリー的な要素もあったけれど、映画ではそこはストーリーの背景にして、ジーンという鬼才の覚醒に主軸を置いて90分のストーリーを筋の通ったものにしている。

 そう90分。それはポンポさんが映画はあ90分以内が最高といったポリシーを持っていることを映画の中で言っているからで、物語のオチにもなっている重要な要素を当該の映画が守っていないのはあっぱり片手落ちといった認識もあって、ぴったり90分で本編が終わるようにしたんだろう。ただそれだと原作のストレートにジーンが映画を撮ってナタリーが頑張って最高の映画が出来上がるストーリーだと時間が余ってしまいそう。そこをだから平尾監督は原作にはなかった要素を混ぜて映画作りにファイナンスというビジネスチックな要素を入れて、夢だけで映画は出来ないって“現実”を見せつつ、けれどもビジネスライクに割り切ったらつまらないものになってしまうクリエイティブに、情熱や期待といった曖昧な要素を果たして担保にして資金援助できるのかって軸を入れてきた。

 そこにジーンが学生時代にどんな風だったかも少し入れ、決して華やかではなかったけれどもその時の徹底した映画への情熱が、ポンポさんのアシスタントという道を開かせそして映画監督になるという夢を叶えさせたってエピソードを繰り出して来た。こういう人がクリエイティブの世界で成功するんだなあ、それこそ徹底してアフレコのテイクを録り直した「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の庵野秀明総監督のように。日本中のクリエイティブに勤しむ人たちが見て真似したいと思うなり、自分は及ばないと思うなりしそう。というかあらゆるクリエイティブ、そしてビジネスに、なにより人生に挑んでいる人に見て欲しいストーリーがそこにある。

 編集という映画にとって脚本とか撮影にも負けずあるいは1番くらいに重要な作業についても、ジーンのこだわりを通して解説をしてくれているところが面白い。短い15秒の予告編を作る時でも映像では見せず想像させることで尺を切り詰めつつ広がりを与えるとか参考になるなあ。全部見せれば凄いと分かってもらえると思って作っている予告編もあるけれど、その凄さで満足してしまうことが割とあって映画本編に逆に足を向かわせない。これは何かある。そう思わせて誘ってなおかつ裏切りより高見を凄みを見せるにはどうしたら良いか。そんな編集のテクニックであり、いったい誰のためにフィルムを切り刻んで映画という形にするのかといった映画作りの本質に触れられる映画でもある。日本の映画人、そして世界の映画関係者に見て欲しいけれどそうした海外展開の予定はあるんだろうか。それこそアカデミー賞の長編アニメ部門でオスカーを取って欲しいところ。ニャカデミー賞だったら確実なんだがなあ。


【6月3日】 今日も今日とて船橋中央図書館へと籠もってあれやこれやと解説書きのお仕事。ちょっと前に10冊目となる解説原稿を書き終わって、次は2023年くらいになるかなあと思っていたら意外と早く回ってきた。とはいえ決して読み込んでいるジャンルでもないので、関連書籍を買ったり借りたりしながら水増しできそうな情報を拾い、だいたいの構成を決めて昨日のうちにほぼ全体像を仕上げて、そして夜に少しばかり整えて1晩寝かせる。

 明けて読むとこりゃ拙いって部分がたいていは出てくるんだけれど、今回はやや重複している部分はあったものの、流れは何とかなりそうだったので図書館では冗長な部分を削ったり、ディテールを高めたりしてどうにかこうにか仕上げて送る。そうやって、パソコンに向かって書いていた時間は5時間くらいだけれど、それまでに本を読んだり8時間くらい寝たり「ウマ娘」をしたり10時間くらい寝たり新潟まで「ふしぎの海のナディア展」を見に行ったり12時間くらい寝たりして、そんな時間でも頭の片隅で何をどう書こうかといったことをずっと考えていたから都合かけた時間は結構なものになる。なると思う。

 そうなんだよ原稿って机に向かっている時だけが書いている時じゃないんだ、何かをしている時も道を歩いている時もそれこそ寝ている時だって、何を書こうかどう書こうかといったことが頭のどこかで計算されているのだ。そうした時間の積み重ねがあってこそ、机に向かって5時間くらいで4000字の原稿が書けるのだ。遊んでいるんじゃない、サボっているんじゃないってことをもっと知って欲しい。無理だって?。そうだよなあ。編集さんは寝て待っている訳じゃないからなあ。

 そんな船橋中央図書館で、原稿を書き上げて送ってさてかえろうと見渡すと、ラックに美少女の写真が載ったチラシが置いてあって、何だろうと思って近寄るとホキ美術館のチラシで「STORIES 永遠の人物画展」の案内が書かれていた。人物画展ってことはつまり絵か、まるで写真のように聖地で緻密でリアルな肖像画はそれだけじゃなく、裏に描かれた出展作品を見るとどれもこれもリアルに寄せた人物画ばかりだった。

 島村信之さんに石黒賢一郎さんに塩谷亮さんに小尾修さんに生島浩さんに森本草介さんに野田弘志さんに三重野慶さんに諏訪敦さんといった名前が並んでいて、見るともうどれも本当に写真で撮ったんじゃないかと思うくらいリアルな人物像になっている。五味文彦さんもリアルなんだけれども構造をいじってあってそこは絵画と言ったところ。

 というかそうでもしないと筆で描く意味あるの? っていうのが写真が発明されてからの人物画に向けられる長い疑問で、美術漫画の「ブループリント」でも超絶的な技巧を誇るベラスケスの肖像画を見に行った八虎たちが、そこまで緻密な絵を描く意味って何だろう、写真で表現できることを絵で表現する意味って何だろうと思いをめぐらすのと同じ気分が浮かんでくる。技術をアピールするというのもありだけれど、それだったら篠山紀信さん荒木経惟さんに撮ってもらった方が良いという意見もある。時代によって替わる価値観に逆らって、人物がをリアルに描く意味は? ってのを確かめに行ってみるのも良いかなあ、ホキ美術館。千葉県内だし。

 新型コロナウイルスの変異株にインドだとか英国だといった国名を着けるとやっぱり差別を生みかねないからと、WHOがアルファベータガンマといったギリシャ文字を順に着けていくことを決めたみたい。でもなあ、これまでにいろいろな場所で使われてきたギリシャ文字にはそれぞれにイメージみたいなものがある。例えばCOVID−19 アルファなんて言われると始まりのウイルスだともミラーレス一眼だともいった印象が浮かぶし、COVID−19 ベータだとカメラとは違って競争に敗れて消え去ってしまう弱い株のように思えてしまう。

 COVID−19 ゼータだとパキパキと変形していきそうだしCOVID−19 シグマだとゴッドな印象がふわっと浮かぶ、ってなんだそりゃ。COBID−19 プサイだとエルでコングルゥ。意味は聞かない。つまりはそうした数々の印象がある言葉を、着けることによって別の価値が出てしまうんじゃないかってこと。かといって台風みたいに適当な名前をつけていくと、その名前の人が今度は虐められるからな。あとギリシャ文字だけで足りるんだろうか。そのうちCOBID−19 ダブルゼータなんてものが出て来たりして、アニメじゃなく。さても果たして。

 初動ではいっせいに「うつ病」と報じていたメディアも落ち着いてきて見渡して、とyっと違うと感じたのか毎日新聞も読売新聞も「うつ状態」といった表現で、大坂なおみ選手に関する状況を伝えるようになってきた。オレンジ色のニクいタブロイドは相変わらず「うつ病」と書いてはどこか非難したげな雰囲気。そのうち執筆陣が難癖を付けてついでにサヨクがとか言い出すに違いない。そうやって一方の溜飲を下げてはすがって生き延びているメディアだから仕方が無いけれど、ライバルのタブロイドまでもが大坂なおみ選手が「うつ病」を告白したという前提でコラムを書いている。

 「そしてそれは、『うつ病って2カ月程度休んだら、五輪に出られるぐらい軽いものなのか?』と、うつ病に対する理解を遠ざけてしまう恐れもある」とか書いているからマッチポンプ的。最初からちゃんとうつ状態と書き、それはうつ病のように何もできず身動きすらとれない状況には至らないけれど、心がしんどいし動き出すのにも相当の労苦をともない、そして動いた後にも尾を引いて身を苛まれるってことを紹介しないと、大したことないんだって言われてしまって結果は同じになってしまう。なって分かるそういう状態ってのもあるけれど、そうなってからでは遅いならやっぱり言い続けるしかないなあ。うつ状態、しんどいよ、エビリファイで助かってるよ。


【6月2日】 理由が単にマスコミ嫌いといったものではなく、マスコミによる暴力的な対応がもたらす身心への影響について、自身の体験を前面に押し出して訴え出た大坂なおみ選手の悲痛な叫びに即座に答えて、「大坂なおみ選手がコートを離れている間、可能な限りのサポートと支援を提供したい」と申し出るとともに、「メンタルヘルスは非常に難しい問題であり、私たちが最大限の注意を払うべきもの」と改めて位置づけ、「選手の幸せはグランドスラムにとって常に優先事項だが、私たちはWTA、ATP、ITFとともに、メンタルヘルスと幸福を促進するために、さらなる行動を起こしていきたい」といった声明を出した。

 具体的に何をするかは分からないし、試合後の会見なんかはメディアを通してファンへのテニスのアピールに繋がるものであって、バックボードなんかを通してスポンサーのロゴを伝える場でもあるだけにすぐさま止めることはできないものの、そのやり方についてはいろいろと考えてくるんだろう。それが質問の出来ないプレスを閉め出すことなのか、あらかじめ質問を求めておくものになるのか。メディアの側にいる人間としてはできる限りフリーハンドで会見には臨みたい一方で、それが選手を傷つけるものにはならないよう、勉強を配慮をしていくしかないんだろう。「今のお気持ちは?」「髪切った?」「次への抱負は?」だけじゃない質問をできるように。

 そんな大坂なおみ選手について、メディアは「うつ病」といった表現を使っているけれど、いわゆる「うつ病」は本当に身動きすら出来なくなる状態のことであって、意欲以前の問題だったりするから対話はもとよりテニスなんて普通はできるものではない。やろうと思えばやれるけれども、常に不安に苛まれて前向きになれない気分が続くのだったらそれは「抑うつ状態」とでも言うべきであって、それを「うつ病」と言ってしまうと本当に身動きがとれず入院すらしている「うつ病」の人たちに、大坂なおみ選手はそれでもテニスは出来たじゃないかといった声をぶつける人が出て来てしまう。大いなる誤解を生む恐れがあるから気をつけなくちゃいけないってことで、ブルームバーグは「2018年の全米オープン以来、長期の抑うつ状態に苦しんできたことを打ち明けた」といった表現を使ってきた。

 スポーツ報知も「長い間うつに苦しみ続けて来た」といった具合に「うつ病」ではなく「うつ」といった状態を表す言葉を使っている。現場にいろいろと体験した人がいて、違いについて理解しているから書き分けたのかもしれない。テレビがつかないからワイドショートか見てないけれど、俗に流され安いメディアだけにそのまま「うつ病」を連呼しているんだろうなあ。それでもって妙な偏見ご誤謬が広まって、大坂なおみ選手が臨んでいたこととはまた違った面倒な状況が生まれてくることも考えられる。やれやれとしか言い様がない。他のメディアは果たしてブルームバーグやスポーツ報知に追随してくれるか否か。そこに事態を受け止めてのメディアの佇まいが絡んで来るんだけれど……。見守りたい。

 今でこそ一般紙にも漫画やアニメーションやゲームの記事がちゃんとした文脈で載るようになっているけれど、そうなるまでには現場で記者たちが頭の堅いデスクあたりを説得して、揶揄とか見下したような物言いではなく敬意をはらって伝えるように、状況を買えていった記者たちがいたりする。そんなひとりの訃報を耳にしてひたすらに残念な思いにとらわれる。今も続く全国紙の夕刊で見開きの大特集が行われているコーナーに、創設時から関わってスタイルを決定づけた功績は、そこから世に出たポップカルチャーの主役たちにとっても、大きなものだっただろう。ある意味で同好の士であり同志でもあった。しばらく前から表だっての執筆がなくなってはいたけれど、SNSでの交流もあっただけに突然といった思いもまた募る。寂しくなるなあ。頑張ろう。


【6月1日】 試合後の記者会見を拒否して全仏オープンの主催者から罰金を求められ、そして追放すら取り沙汰されていたプロテニスの大坂なおみ選手が全仏オープンの出場を棄権すると発表。同時にツイッターにちょっと長めの文書を画像で貼って、自分が2018年の全米オープンの頃から抑鬱状態にあったことを明かした。選手のメンタルをもっと考えてよという声は、そのまま自分の気持ちも気遣って欲しいという言葉でもあった訳で、それが入れられない状況ではやはり試合には臨めても、その後の会見のことを考えると全力が発揮しづらかったということになる。

 2018年の全米オープンといえばセリーナ・ウィリアムズ選手がグランドスラムの最多勝タイに並ぶかどうかといった大会でありながら、そうした話題が行き過ぎて注目が集まった結果、苛立ちが募って審判に当たりそれが批判を読んでもうしっちゃかめっちゃかになっていた。そんなセリーナ選手と決勝で当たったのが大坂なおみ選手。激しいブーイングにさらされるコートでたとえセリーナ選手に向けられたものであっても、大いに萎縮したことだろう。一方で最多勝タイという記録を阻止したことへの申し訳なさもあったのか、大会後には涙を見せてセリーナ選手に慰められていた。

 そんな大会で大いに傷ついた心理は後の活躍で持ち直したといっても、やはり澱のように心に貯まって痛めつけていたんだろう。紆余曲折があって途中、苛立ちなんかも放っていたりしたけれど、それでもどうにか全米オープンで2度目の優勝を果たして立ち直ったかに見えた大坂なおみ選手だったけれど、ここに来て破裂してしまったんだろう。鬱なり抑鬱状態の辛さはとてもよく分かる。頑張って試合にはのぞんでもその前後に心が激しく痛むのなら、やっぱり普通に記者会見とか無理だった。だから拒否した。そううことだ。

 そのことにようやく世間も気がついて、擁護を言い出したけれどもスポンサーのため、それがプロだからと言っていた口は果たして収まるものなのか。心を削ってでも答えるのがやはりプロなのか。そこは今後大いに議論されることになるだろう。個人的にはスポンサーのためとはいっても、コートで活躍する姿を見せればそれで充分という気がする。マークは張っている訳だし、使っているシューズもラケットも試合の中でこそ輝きを放つ。マッケンローのナイキのシューズにボルグのドネーのラケットは、最高に格好いいアイテムとして一生心に刻まれた。会見で背負う看板に意味があるなら、それは中継で重ねれば良い。何が1番なのかを改め考えて、そして新しい時代のスポーツ中継と選手とスポンサーの関連を作っていこう。

 高額負債者が言った。「返済額が借入の68%まで来ればもう返済完了とみてもよいのでは」。完食すれば無料となる大食いメニュー挑戦者が言った。「68%も食べればもう完食とみてもよいのでは」。のマラソン大会の走者が言った。「28.692キロメートルも走ったんだから完走とみてよいのでは」。68%の人にワクチンの接種が行き渡っていれば、もうワクチン接種は完了とみてよいのではないかと言った市役所の担当者は返事が出来なかった。そこに同人誌即売者が現れて言った。「100冊持ちこんで68冊売ったんだからもう完売とみてよいのでは」。一同は答えた。「それはよくない」。かように同人誌の世界は厳しいのだ。とかどうとか。

 それにしても言葉が本当に蔑ろにされているこの国。政治の方が7月末までに高齢者への新型コロナウイルスワクチンの接種を完了させたいという意図を地方自治体に伝え、それに答えるべく忖度しまくりで7月末までに完了させると答えた自治体で、接種を希望した人とが8月の接種スケジュールをもらって完了するんじゃなかったのかと尋ねたら、68%も終わっているんだから完了ということにするんだと答えたとかどうとか。完了という意味すらねじ曲げて蔑ろにして平気な神経の持ち主が、行政の側にいて市民ではなく上の政治を見上げてその意向に従おうとして平気な心情が、全国的に行き渡ってしまったこの国にもはや正直で勤勉といった国民性は存在しないのかもしれない。誰がそうした? 前の総理大臣あたりだろうなあ、やっぱり。

 やはり批判も多かったのか、代々木公園で東京オリンピックのパブリックビューイングを実施する計画を引っ込めたかと思いきや、東京都は豊洲へと移転した築地の市場跡地で第1回目のワクチン接種を行った後、2回目のワクチン接種をする場所として代々木公園を使うことを検討しているとか。つまりは人が大勢集まりガヤガヤとすることは変わらず、そのための設備を整えるために問題視されていた樹木の枝の剪定も行うことになりそう。自然を守ろうというのがひとつのお題目だったのに、それが守られなくてもパブリックビューイングが行われなければそれでOKと意見を変える人もいるのがなかなかに謎。接種の場所だって近所にグラウンドはあるし新宿御苑にだって大きな広場があって総理の花見の会に使われている。だったらそこで良いじゃないか、ってならないところが世界の謎。つまりは決まった事をかえるのは難しいってことで。得をするのは誰なんだ。


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