縮刷版2021年5月下旬号


【5月31日】 最近になってグラベルロードという存在に気がついて、ブレーキがディスクブレーキになっていて急坂とかダウンヒルをする関係から高い制動力を持ったブレーキが必要なんだろうという気がしてたら、普通のロードレーサーにもディスクブレーキが増えているらしくジロ・デ・イタリアに参加しているチームの中二も、そんなディスクブレーキ採用バイクを走らせているところがあるみたい。より軽くよりパワフルなパーツを目指すロードレーサーだからこそ、ブレーキもセンタープルではなくサイドプルになっていった印象なのに、部品が大きいディスクブレーキで軽量化になるかが気になるところ。それでも増えているのは制動力の面で小さい力でも最大の性能補を引き出せるからなんだろう。

 こうなってくるとパーツを作っているメーカーもリムブレーキからディスクブレーキへと生産の主力を替えていくことになって、果てはリムブレーキなんてものが作られなくなってしまう可能性なんかもあったりしたら、昔ながらのカンティブレーキ好きとしては困ってしまう。スポルティーフはセンタープルブレーキって印象も壊れてしまいそう。クラシカルなダイヤモンド型のフレームに取り付けられているのがゴツいディスクブレーキというのも似合わないよなあ。そうなる前にカンティブレーキでギドネットレバーがランドナーバーについているツーリングに適したツーリング車を手に入れておきたいなあ。それかいっそロードレーサーでも買うかなあ。儲けられたら。一生無理だ。

 いよいよ問題が深刻化してきた大坂なおみ選手によるテニスの全仏オープンにおける会見拒否問題。メディア側に属する人間としてはやっぱりアスリートでもクリエイターでもインタビューに登場して心情なりを語ってもらいたいという気があるし、それがあってこと人の共感を誘える記事が書けるんじゃないかって気もしているけれど、これってようするに情動を誘いやすくて分かりやすいドラマに乗っかって安易に感動を誘おうとするやり口であって、本来ならスポーツマンはそのパフォーマンスがすべてであり、クリエイターもその創作物がすべてであって、そうしたプレーがいかに凄いかを解説するなり、創作物がどれだけ素晴らしいかを解説することがメディアの役割だという思いも一方にある。

 サッカーでも野球でも選手のプレーがどうだったとかチームの戦術がどうだったかをろくすっぽつたえず、選手が何を考えたか、そして結果についてどう思うかを聞き出しては並べるだけで、肝心の試合がどれだけのものだったかがさっぱり分からないことにスポーツ新聞なんかを読んで苛立っていた。だから選手の会見によるコメントなんてなくても、そのプレーの凄さを言葉を尽くして伝えてくれた方がもしかしたら有り難いし、選手にとっても読者にとってもためになるって可能性もある。そうしたプレーから、あるいはクリエイターなら創作物からそこに何を込めたのかを類推して語ることも、メディアの人間に求められていることであってそのためにはプレーについても、創作物についても相当な勉強が必要になる。

 そうした苦労を脇においやって、相手の言葉を拾って何か伝えた気になっているメディアのサボり癖に一石を投じた一件だとも言える。大坂なおみ選手が問題視した選手のメンタルケアに関する配慮のなさ、負けた選手に対して厳しい言葉を浴びせては心を余計に気付けるような取材が果たして正しいのかという問題も、安易に相手の言葉に乗っかろうとするメディアの怠慢から発生しているのだとすれば、そうした態度をまずは改めるなり考えるなりした上で、それでもやっぱり言葉が必要なんだということを、説いていくしかないんだろう。大坂選手もクレバーだから、そうしたことに気付いた上でメンタルに配慮した取材が可能なら、スポンサーなりファンへの配慮も勘案して応じてくれるようになるんじゃないかなあ。甘いかな.

 声優の若山弦蔵さんが死去。ショーン・コネリーがジェームズ・ボンドを演じていた頃からのフィックス声優として知られてあの甘さとあの渋さが入り交じったボンドを声で強く印象づけていた、ってことらしいけれどもそうした時代の007シリーズはテレビで見たのは「ロシアから愛をこめて」と「二度死ぬ」くらいか。むしろ若山弦蔵さんといえばテレビアニメ「宝島」のジョン・シルバーが僕にとってのフィックスで、ジムの冒険と探求を敵ながらも包み込むような優しさと強さで引っ張っていってくれた男の中の男をを、その声とともに見せてくれたって記憶がある。

 イケボって言葉とともに美声の声優さんたちがもてはやされているけれど、若山さんほどのイケボは他にもいないし後にも前にもいない。敢えて言うなら黒田崇矢さんだけれどその粋にいたるにはあと10年はかかるかなあ。同じ低音でも森山周一郎さんの低音とはまた違ったその艶やかな低さを感じさせるそのお声を、もう聴けないというのは寂しいし残念。こうなったらやっぱり「宝島」を買い揃えて日々にその声を耳にしながら眠りに就きたいところかも。昨年末に中村正さんが亡くなられ、森山さんも2月に亡くなられて往時の美声で残るのは矢島正明さんくらいか。ご健勝を。


【5月30日】 RZ250で日向に行く話を遡ろうと英国式のW1SAで浅間山に行ってにぎりめしを食ったり東雲で決闘したりする話を読んで、新聞社で現場とか記者クラブを回って原稿とかフィルムとかを回収して走るバイク便が存在していた時代を思い出した。東証とか日銀とかのクラブからフィルムを本社に持っていってもらったなあ。原稿はファックスが行き渡ってそっちで送る方が多くなって束を渡すことはあまりなかった。彼女と電話ボックスで会話している周囲に空き待ちのサラリーマンがイライラしながら立ってる風景はいつごろ絶滅したんだろう。そうしった風景を刻んだ文学ってどうなっていくんだろう。スーパーカブに書かれた風俗も30年後にはどうなっているんだろう。

 本当に撲滅したかったらがっちりと映画館とか劇場とかにとどめず会社も学校も全部まとめて閉鎖しては休業補償に給付金もしっかりばらまいて、誰からも家から出ないようにするのが正しいんだけれどそれをやりたくない気もありありなのか、東京都が劇場に止めず映画館とか美術館とか博物館も営業できるようにした関係で、6月1日から東京国立博物館での鳥獣戯画展も再開される予定。ということでチケットの販売が始まったので、果たしてとれるかどうか分からないままサイトにアクセスをしてまずは一般的なチケット販売サイトから入ろうとしたら目いっぱいで入れず。だったらと朝日新聞のIDを使ったら割とすんなり入れて1枚、休日の分がとれたのでこれで4畳がそろった鳥獣戯画が見られることになった。混雑してそうだから感染に気をつけ行ってこよう。

 家にいて本を読んでいるのが〆切りに向けての正しい態度なんだけど、それだと気が他に向かってかえって集中できないので、むしろ意識を他に向けつつ〆切りに向けた思考をまとめることにしようと、機能に続いて女子サッカーのWEリーグのプレシーズンマッチを見に西が丘球技場へと出かける。久しぶりというかいったいいつ以来なのかまるで思い出せない。リストラからしばらくサッカーなんて見られる気がしなくって、女子サッカーからも遠ざかっていたからすっかり選手の名前もわからなくなっていた。加えてWEリーグの開幕で選手の移動もいろいろあったみたいで、昨日見たジェフユナイテッド市原・千葉レディースもすっかり知らない選手ばかりになっていたからなあ、これから覚えよう。

 日テレ・ベレーザも名前が日テレ・東京ヴェルディベレーザと「ヴェルディ」の名前を入れて関係性を分かりやすくしていた感じ。そして選手は後半に出て来た岩清水梓選手やミッドフィルダーの中地舞選手以外はほとんど知らなくって誰が誰かをこれからシーズンを通して確認していく必要がありそう。そんな選手でもセレッソ大阪レディースから移籍してきた北村菜々美選手が愛らしい上にプレーも巧く、サイドを突破したりダイヤゴナル的に中へと入ってきて得点に絡んだりしてベレーザのスピードとテクニックの中心となっていきそう。あとはスピードでもってサイドを切り裂く植木理子選手と、そしてディフェンスラインから試合をコントロールしていた清水梨紗選手も代表クラスの実力って奴を見せていた。

 中盤で取り仕切ってボールを配球したり奪ったりするダイナモや司令塔が見当たらなかったのは今のベレーザがコンパクトにしてサイドから押し上げ中で攪乱するタイプのチームになっているからか。そんな中に中地選手が入ると司令塔的に動き回ってボールの基点や中継点になっていたのはベレーザっぽかった。控えだったのは若手に経験を積ませたいからだったのか、若手に世代交代をしていたからなのか。それも含めてシーズンインしてからを見たい。一方の新潟アルビレックスレディースは身長180センチのディフェンダー、浦川璃子が高いだけでなく足下もしっかりしていて大いに期待。明治国際医療福祉大女子サッカー部出身ってあったけど知らない学校。全日本大学女子サッカー選手権大会には出場しているからそれなりに強いんだろう。代表経験はないみたいだけれど、シーズンを通して目立てば招集もあるかなあ。注目したい。

 しかしやっぱり阿呆で戯けの集まりだったのかもしれない愛知県の大村秀章知事に対するリコールの請求を求める署名活動で、中心となったリコール事務局は偽造されたとおぼしき署名を箱に入れてナンバリングの会場に持ちこんだそうだけれど、その箱に「完成品」だの「完成品(予備)」だのといった箱書きをしていたのをしっかりテレビカメラにとられてた。ただの署名なら完成だのといった言葉は出ないのに、それがあったのは誰かが糧勝手に書いた名前に、指印を押して“完成”させたといった意識があったからだろー。そんなものが見られてしまったのは、署名にナンバリングが必要となって慌てて大勢で整理作業を行ったから。それがなければ箱から出してはまとめて持ちこんで、そして数が足りず返還から廃棄となりつつ大勢から集まったって喧伝できたんだろうなあ。天網恢々疎にして漏らさず。その裁きを受けるべき人は病院に? それで許してくれる愛知県警ではないだろうからいずれ届くその手を震えて待て。


【5月29日】 1試合くらいは見ておくかと福田電子アリーナまで行ってWEリーグのプレシーズンマッチとなるジェフユナイテッド市原・千葉レディースとマイナビ仙台レディースの試合を見る。一応はプロリーグとなっているけれども中身自体はそんなに変わってないのかなあと思ったら、ジェフレディースのメンバーがガラリと替わっている印象で、プロ化に伴ってWEリーグに参加したチームが選手の補強なんかを進める中で行ったり来たりがそうとうにあった感じ。ゴールキーパーは山根恵里奈選手が引退して船田麻友選手がちふれASエルフェン狭山に移籍し木稲瑠那選手はサンフレッチェ広島レディースへ。大熊茜選手は登録が下部組織になって替わりに同じ千葉県のオルカ鴨川FCから清水栞選手が入ってきた。

 もうひとり、程思瑜選手が岡山湯郷ベルから加入といった感じてトップチームは総とっかえ。チームの指揮の要となってバックラインから鼓舞したりコーチングしたりするゴールキーパーが新加入ではやっぱり連携も今ひとつといった感じかというと、少なくともディフェンスラインはそこそこ機能していた。とはいえマイナビの攻撃からそれほど多くなかったチャンスを2回、決められたりしたのはやっぱりディフェンスの集中が途切れたからか。そのあたりは今後の課題だろう。あと中盤もレギュラーメンバーが抜けたかしたかパスワークが途切れがち。ポンと縦に入れてもズレたりパスを出してもいなかったりして噛み合わず、そこを奪われ反撃を喰らう状況が前半あたりは多く出た。

 それでも後半はサイドからの攻撃もききはじめて何度もチャンスを作ってそして、試合終了より少し前に1点を返したけれどもそこまで。1対2で敗れてしまった。ちょっと残念。ポゼッションをやりたいでもカウンターをやりたいでもない縦ポンやらサイドチェンジやらを合わせられない状況が、もうちょっと改善してしっかり収まるようになれば少しは改善するかなあ。あとはやっぱり最後まで選手が走ること。ちょっと前線で相手にボールが渡りそうだと足を緩めたりするところが見られたから。どこまでも全力がジェフ魂ならそこは貫いて欲しいなあ。

 一方のマイナビも選手が加入したりした割には中盤から前線を厚くする長野風花選手、浜田遥選手、白木星選手、宮澤ひなた選手がうまく絡み合っていた感じでパスがしっかり通っていたし、ポゼッションもしっかり取れていた。長野選手はちふれASエルフェン狭山という強豪とは違うチームにいながらもなでしこジャパンにも選ばれていたことが選手だし、浜田選手は先だって新国立競技場で開かれたパナマ戦に招集されていた。あとひとり、フォワードで選ばれていた宮澤選手も含めてトップ級が揃っているだけに、世代別代表にも選ばれている白木選手も加えたカルテットはちょっとした旋風を巻き起こしそう。開幕までどれだけ連携を高めてくるか。注目だ。

 そんなWEリーグを前にした試合でも集まった観客が500人というのは寂しいところ。もちろん新型コロナウイルス感染症の影響でスタンドいっぱいに人は入れていないんだけれど、それでも売り切れにはならない人数なのは今後の課題かも知れない。三菱重工浦和レッズレディースなんかは浦和レッドダイヤモンズからファンを呼び込んでそれなりに定員いっぱいの中で試合ができるみたいだし、東京日テレベレーザもやっぱり人数を集めるだろう。ジェフレディースもせっかく男子のチームがあるクラブなんだから、ファミリーがもっと見に来てくれれば良いのになあ。そうでなければプロ化したって行き詰まるだけだよ。

 そんなWEリーグだけれど、9月12日に開幕はするものの新国立競技場で開催される予定だった記念開幕戦が見送りになったとか。それこそJリーグばりに新国立競技場にぎっしりの観客を集めた中を、ど派手なセレモニーを行ってそしてこれがワールドカップ優勝国の女子サッカーって感じのパフォーマンスを見せてくれると期待していたけれど、やっぱりこのご時世にいっぱいの観客は集められないってことなんだろう。いやいやだったら新国立競技場でそれより前にオリンピックなんて開催できる分けないじゃん、女子サッカーよりも確実に人が入るだろうイベントを開けるのに、それより後、ワクチンの接種も進んだ9月に新国立競技場が使えないなんてこと、あったらおかしい。やっぱりオリンピックの開催を危ぶむ動きがあるのかなあ、だから9月に開催なんてこと許せないと。裏が知りたい。

 行き帰りの電車と蘇我からフクダ電子アリーナまで歩く途中で土屋浩さんの「とりかえばやの後宮守」(メディアワークス文庫)を読む。俘囚というからいわゆる蝦夷で朝廷に帰順した一族に生まれ育った春菜という少女は、流刑を受けて流されてきた雨水という御子と知り合い飢え死にさせられそうだった御子に食事を与えて生き延びさせる。そんな関係も雨水が命を奪われる前に逃げ出して終わったかと思われたが、実は父親が朝廷の貴族だった春菜は父親に京へと呼ばれた上に、うり二つの弟の替わりに宮中に出仕するよう命じられる。さらわれた経験から引きこもり気味になってしまった弟が、出仕を怠り咎められそうになっていたのを救うため。仕方なく男装して宮中に卒した春菜は、後宮一の才媛として名をとどろかせる冬太夫に気に入られてしまう。

 誰からの文にも動じず断っていた冬太夫がなぜ? それは弟の格好で春菜が優れた弓の腕を見せて冬太夫を助け、そして冬太夫が作ろうとしていた野草を使った粥を俘囚のころの経験から春菜が見事に作ってのけたから。これは困った。自分は本当は女性だから冬太夫の恋情には答えられないかと心配したら、何と冬太夫には秘密があった。それは……といったところで繰り広げられるすれ違いと勘違いを共に抱きながらも繰り広げる宮中劇。謀略をあばき後宮の妃嬪たちの嫉妬や虐めをかわしといった共闘から、お互いに友情めいたものが生まれるもののお互いに相手を違う性別で認識していることから相容れないという関係が実に微笑ましい。そんな秘密を第1巻では明かさなかったからそこはやっぱり続く展開を意識しているんだろう。期待して待とう。


【5月28日】 「安倍晋三前首相が東京にラッパが鳴ると言った。するとトーマス・バッハの声々が天に起って言った、『日本国は、IOCの国となった。東京五輪は世々限りなく開催されるであろう』。そしてCOVID−19が蔓延した。それは人間が地上にあらわれて以来、かつてなかったようなもので、日本は冒され、国民の人々は倒れた」。それはハルマゲドンとして21世紀の日本に起こり世界を飲み込んで人類を滅ぼし、そして100万年後の世界に現れた新人類によって神話として掘り起こされて省みられた「新・黙示録」の一説であった。

 いや冗談ではなく本当にそうなりかねない可能性がとてつもなく高いにもかかわらず、偉い人たちの誰もが東京オリンピックの開催に突き進んでいるこの状況は、まさに地獄の悪魔たちがそそのこあしているとしか思えない。そんな状況で出てくるタームがまた「黙示録」的で、安倍前首相が前にトーマス・バッハ会長から五輪オーダーの金賞を授与されて「2021年7月23日、東京の空高く、いま再びブルー・インパルスが天翔ける時、世界のどんなところに住まう方も、一度は絶望の淵にくれた人々でさえ、天を、そして青空を、はるかに仰ぐことでしょう。その日、東京にラッパが鳴る」と言ったとか。

 今にして振り明ければ、まるでハルマゲドンの始まりを告げる7天使のラッパを予言していたかのような言葉。そして答えるようにIOCでも最古参であるディック・パウンド委員が言った「アルマゲドンが起きない限り開催される」という言葉は、ストレートに受け止めれば余程のことがない限り東京オリンピックは開催されるよといった意味だろうけれど、穿った見方をすれば新型コロナウイルス感染症は21世紀のアルマゲドンに等しい災厄で、7天使のラッパを吹きまくると予言した安倍前首相の言葉を引っ張り出して、そのままの事態になりかねないことを警告したとも言えそう。

 そんなオリンピックに参加する選手たちに対して、IOCではたとえ新型コロナウイルス感染症に感染したとしても、それは自己責任だからといった態度で臨むとか。猖獗を極める日本にまで派遣されてはろくな感染症対策も受けられず、食事もほか弁にコンビニ弁当にカップラーメンにカロリーメイトしか与えられない状況で、浅草も両国も観光できないまま選手村と試合会場の往復だけの何週間かを送らされる羽目となりそう。それでも来たいかとなると考え物。テニスのジョコビッチ選手は貨客がいない中で試合なんかしたくないと言ったとか。そんな怨嗟の声を省みないまま開幕しては吹き鳴らされるラッパとともに現れた、COVID−19の悪魔に呑まれて滅亡するに任せるアルマゲドン五輪が1万年後にどう語られているのか。ちょっと興味。

 そんな新型コロナウイルス感染症の拡大に伴って延期されていた、立川わんだ師匠の真打ち昇進披露公演を見に国立演芸場へ。浅草の鈴本とかに比べると本当に小ぎれいな寄席というより一種のホールで、そこに出られる立川流はさぞや嬉しいかと言えばそこは寄席で連日の公演を行い他流の芸にも触れた方が良いのかどうかは、立川流が分裂して寄席にほとんど出なくなって以降、ずっと言われていることだけれども寄席でしか噺家は成長できないかというと、そこは一門をあげて落語会なり一門会なりを開いては、現場で修行しているとも言えるから誰もがしっかりした芸を見せてくれるようになった、ってところかな。

 何しろ巧い。SF落語の看板をかかげ日本SF作家クラブの現役会員にもなっている唯一の真打ち、立川わんだがそちらの看板ではなく古典落語の「青菜」を選んで演じた高座はマクラこそダジャレの連続でちょい滑り気味ながらも本題に入ってからはご隠居の家で触れたご内儀のちょっとした言い回しを真に受けた植木屋が、それになりきって長屋に戻って女房を巻き込み倣ってみようとして起こる珍妙な騒動を、淀みなくつっかえとかも感じさせずに話しきってサゲまで言った。冒頭に前座の立川縄四楼が演じた「道灌」と、シチュエーションが重なっている当りはあらかじめ決めていたのか、それとも前座の演目を聞いて自分はこれだと返したのか。だからSF落語ではなく古典に行ったのか。いろいろ想像もできる公演だった。

 そんな高座に並ぶ面々が立川志ら玉師匠に立川佐平次師匠に立川せん馬師匠とさこみちよさんのご夫婦、そして立川談之助師匠、立川談四楼師匠と真打ちばかりの上に立川流でも重鎮揃い。団四楼師匠はわんださんのお師匠さんだから高座に上るのは流れとして普通だけれど、そこに人気の談之助師匠も加わり持ちネタの「悲しみのスーパーヒーロー」を演じては月光仮面になりきるところで、わんださんが昇進パーティーの引き出物として配った唐草模様の風呂敷を、ドロボウとかではなくとり・みきさん由来のものだと紹介してはSF落語を演じるわんださんへの理解と親愛を見せていた。愛されているんだなあ、その芸風。

 だからこそのSF落語かと思ったところで古典だったから驚いたけれど、真打ち披露公演とはやっぱり古典をやるものなのか、やっぱり前座からの構成にオチを付けたのか。気になった。演目では談四楼師匠が「のっぺらぼう」の噺でもって赤坂見附や四谷見附に出るのっぺらぼうたちを演じてのけて、そのしっかりとした目鼻立ちをのっぺらぼうだと感じさせる圧を醸し出していた。いや顔あるじゃんと言わせないその迫力。楽しかった。佐平次師匠は「強情灸」で、腕の上に載せた山盛りのもぐさが燃えさかっては、熱さに悶える男がそこにいるようだった。

 前座に続いて2人目に登場した志ら玉師匠は「反対俥」で病弱の車屋の陰鬱とした演技と急かす客との対比が際立っていた。進みの遅い人力車を後から来ては追い抜いていく若い車引きとか年寄りの車引きに送る言葉もなかなか愉快。逆にトリの前、さこみちよさんの小唄を間に入れて演じられたぜん馬師匠の「蔵前駕籠」も人力車ならぬ駕籠に乗っては運ばれる男の話。そういう意味で前座とトリの対比、それぞれに続いたり繋がったりする2番手とラス前の対比を改めて見ると、全体としてしっかり整った公演だった気がする。それぞれの噺に真打ち昇進への含みがあるかまでは分からないけれど、いろいろと考えさせてくれるところが長い伝統を持った落語の面白さ、なのかもしれないなあ。今度行って見るか池袋演芸場。本当にあるんだろうか池袋に演芸場なんて。


【5月27日】 朝日新聞との文通が大好きな自称するところの準全国紙も昨日の今日では主張に持ってくることはできなかったのか、朝日がオフィシャルパートナーを務めている東京オリンピックを中止すべきだと社説で書いたことについて触れてはいなかったけれど、1面のとりあえず伝統はあるコラムで「選手の輝く姿から元気をもらいたい。たとえ少数意見であってもあくまで『小さな声で』、五輪とパラリンピックを擁護する」と書いて来た。 慰安婦関連記事だの珊瑚事件だのを持ち出し偽善者めと誹ることも控えていて、人情から開催してあげたいなあといった訴えに留まっている。

 やっぱり今のこのご時世で声高に主張するのは難しいと考えたのか。いやいやそこは反応ができなかっただけで、1日おいて主張でドカンとやってくれるに違いない。期して待つ。いや別に期してはないか。一方で朝日新聞の方もオフィシャルパートナーは続けるといった主張をこちらは紙面とは違った部分、一種の企業広報的な部分を通じて行っている。新聞社だって事業体だから編集部門での意見と経営面からのスタンスが違っていても悪いことではないし、むしろ健全性があるとも言える。ただ社説が社論として中止を訴えのなら、編集部門は統一した意見として中止のベクトルに沿った記事を書かないと、二枚腰だのダブルスタンダードだのと言われてしまうからそこは注意が必要か。

 杉谷 庄吾【人間プラモ】さんの「映画大好きポンポさん3」を読んだ。「まずジーン・フィニが登場する。彼は気が狂っていた」とでも言えそうな展開に、映画監督なり物作りをしている人の狂気の域にまで達した集中力を見た気がした。先にマーティン・ブラドッグ主演の映画を撮ってニャカデミー賞を獲得したジーンくんが、ポンポさんのおじいさんで名プロデューサーとうたわれたペーターゼンの復帰作を撮ることになったんだけれど、平行して「映画大好きポンポさん the omunibus」に登場したスクールガール集団のひとりが撮影にとてつもない才能を持っていることをポンポさんが見つけて、映画を撮ろうとなってジーンが監督を務めることになる。

 そっちの方で脚本作りに勤しんだら、ペーターゼンといっしょに作ろうとしていた映画まで陳腐に思えてしまってさあ大変。ギリギリの時間でとてつもない名優揃いな映画をひっくり返すなんてことができるのか。そもそも2本を同時に撮るなんてできるのか。そこはだから映画のことしか頭にないジーンのとんでもない集中力が爆発するって展開。ポンポさんもある種の天才だしペーターゼンも「映画大好きポンポさん hte omunibus」の中で若き日の活躍ぶりが描かれて居て、やっぱり同様の辣腕ぶりを見せているけれど、そうしたプロデューサーの天才とはやっぱり監督の天才はレベルが違ってたってことなんだろう。果たして結果は? それは読んでのお楽しみ。現実にはなかなかあり得ない天才たちの饗宴を、楽しませてくれる漫画だった。これでおしまいは寂しいけれど、杉谷庄吾【人間プラモ】さんにはSFがある。そっちに期待だ。

 ジェフユナイテッド市原・千葉がJ2に陥落することが決定づけられた試合を確か見に行った川崎フロンターレの本拠地、等々力競技場がサッカー専門のスタジアムに改装されるという話。メインよりバックが大きくて立派という不思議な構造をしているスタジアムだけれど、これでメインスタジアムも作り直してゴール裏にもちゃんとスタンドが作られて、4万人くらい入れるスタジアムになれば優勝を何度もして人気クラブになった川崎フロンターレも一段のビッグクラブへと成長を遂げることになるだろう。いつかまた行きたいけれど川崎フロンターレがJ1にいる限り、そしてジェフ千葉がJ2にいる限り縁はないなあ。今年こそと思ってもう10余年。来年こそは(諦めが早い)。

 そんな川崎と千葉もこと新型コロナウイルス感染症対策では千葉が上って感じ。千葉では熊谷知事が東京オリンピック・パラリンピックの聖火リレーを行わないと言って集団が発生することによって生じる感染の拡大に配慮する姿勢を見せた。人だって多くない鹿児島ですら集まった人の間に感染が起こった訳で、もっと大勢が集う首都圏ならいったいどれだけの影響が出るのかって話。だから埼玉も神奈川もと思ったら神奈川は川崎での聖火のスタートに1万3000人を集めて式典を行うとか。もう阿呆かといった怒声が上がっているけれど、それを聞き入れる黒岩知事ではなさそうだけに将来が心配。しばらくチネチッタには行けそうにもない。


【5月26日】 長い歴史を誇る日本ペンクラブで会長がミステリ作家の桐野夏生さんになったというニュース。島崎藤村だとか正宗白鳥だとか志賀直哉だとか川端康成といった文学史に残る文豪たちが名前を連ねる会長職だけど女性が就いたことはなく、桐野さんが初めてになるという。ちょっと意外。日本SF作家クラブは前に新井素子さんや大原まり子さんが会長職を務めていて、今は池澤春菜さんが会長となっているし、日本漫画家協会は里中満智子さんが理事長を務めている。ペンクラブと並ぶ日本文藝家協会は林真理子さんが理事長なので、もとより文筆系は女性の進出が結構進んでいた。

 そんな状況だったにもかかわらず、日本ペンクラブが遅れたのはやっぱりそれなりに長い期間、任にある関係で入れ替わりが少なかったってこともあるのかな、浅田次郎さんが会長になったのが2011年で6年やって吉岡忍さんがついで4年。世界に向けて日本のある意味で言論をリードしていかなくちゃいけない要職だし、政治的なメッセージにも取り組まなくちゃいけないとなると務められる人も功成り名遂げた人となって、現役バリバリの女性作家が務めるだけの余裕がなかったと思いたい。こうしてそろい踏みとなるとどこか企画して対談とかやらないかな。日本推理作家協会も女性作家の会長とか出て来たら面白いかな。

 信濃毎日新聞が東京オリンピックとは距離をおいてスポンサーとか務めていないこともあって、この事態にはやり中止すべきだと社説で訴えることができた一方で、オフィシャルパートナーとかオフィシャルスポンサーになっている全国紙ではそうした態度は表明しにくいだろうと思っていたら、朝日新聞が社説でもって「夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める」と訴えてきた。曰く「新型コロナウイルスの感染拡大は止まらず、東京都などに出されている緊急事態宣言の再延長は避けられない情勢だ」「冷静に、客観的に周囲の状況を見極め、今夏の開催の中止を決断するよう菅首相に求める」。前提をおかず両論併記でもなしに現状を見据え、やっている場合ではないとストレートに訴えている。

 これで主張としては充分だけれど、一応は「選手をはじめ、五輪を目標に努力し、様々な準備をしてきた多くの人を考えれば、中止はむろん避けたい」と頑張ってきた選手たちへの配慮もしっかり行って、その上で「一般へのワクチン接種が始まったものの対象は高齢者に限られ、集団免疫の状態をつくり出せるとしてもかなり先だ」とワクチン接種の遅れを指摘し、「そこに選手と関係者で9万を超す人が入国する。無観客にしたとしても、ボランティアを含めると十数万規模の人間が集まり、活動し、終わればそれぞれの国や地元に戻る。世界からウイルスが入りこみ、また各地に散っていく可能性は拭えない」と危険性をアピールする。

 ここまでかき込めば反論の余地などどこにもないんだけれど、世に朝日嫌いで通っている準全国紙なんかがあって、朝日の言うことなら正反対を言えば世間に受けるといった意識もあるだろうから、こんな社説を受けて過去の従軍慰安婦に関する手続き面での瑕疵だとか、沖縄で起こした珊瑚事件だとかを引っ張って来ては、そんなことをやる新聞社がいくら正しそうなことを言っても偽善に過ぎない、中止には絶対反対だと主張しそう。

 最近も論説委員長がオリンピックの中止を訴えたソフトバンクの孫正義会長に対して、白戸家のCMが嫌いだなんて個人的な感覚を引き合いにしつつ、税金を逃れようとしている節もある会社が偽善的なことを言っても共感できないと書いていた。科学でも哲学でもない感覚の脊椎反射で受け狙いをしているから、届く範囲も狭くなるって大変な状況に陥るんだけれど、一部でも受けていればそれをのぞき穴から見たかのように視界いっぱいに広がっていると勘違いしている人たちだけに、朝日批判で受けを狙おうとしてくるんだろうなあ。やれやれだ。

 しばらくぶりに越谷レイクタウンをのぞいたら、行くたびに電源があるカフェとして利用していた店が閉店した跡地に、まだ何もはいらないまま休憩スペースにされてしまっていた。モールの中の店もいくつか閉まっていた感じで、じわじわと不景気の並みが押し寄せていることが伺える。それでも元気に大勢が歩き回っているのは東京都は違って埼玉だからだと思うけど、東京も新宿や池袋や渋谷で人手が減った感じはしないから、やっぱり止まってなんかいられないってことなんだろう。ワクチンの接種が進んでも65歳以上ですら8月くらいにならないと終わらないんじゃあ、全国民が免疫を持つのは秋から冬を経て来春か。やっぱりもう1年延期するべきだったよオリンピック。誰が1年で良いなんて言ったんだ。


【5月25日】 台湾が東京オリンピックで“復活”する野球への出場を目指したメキシコでの最終予選を欠場するとの話。日本や韓国と並んで野球が盛んなお国柄だけあって出場したかったところだろうけれど、国内でもぶり返し始めた新型コロナウイルス感染症への用心もあるし、やっぱり出ている場合じゃないっていう感覚もあってかメキシコで行われる最終予選への参加を見送った。悔しいけれども従わざるを得ないていう意識は、これまで政府でオードリー・タンが仕切る新型コロナウイルス感染症への対策が、合理的かつ真摯に行われていたからこそのもの。従わうことで国が前へと進むと分かっているから判断できた。日本はチグハグな対応に従っても良いことないって意識が強いから文句も出る。恥ずかしいけどそれが現実。やれやれだ。

 日本は新型コロナウイルス感染症がヤバくてワクチンの接種も進んでないからアメリカ人は行っちゃダメってCDC(アメリカ疾病予防管理センター)が言い出した。勧告では最上レベルで、世界の150カ国に対して出されているものらしいから大したことがないと言う人もいそうだけれど、それだけ新型コロナウイルス感染症が世界で猖獗を極めているって現れでもあって、絶対評価のレベルだろうからやっぱり日本は世界でも屈指の危ない国になっているってことなんだろう。これで東京オリンピック/パラリンピックへのアメリカからの選手派遣も中止になるかと思いきや、USOPC(アメリカオリンピック委員会)はワクチンの接種が済んでる選手は日本でも隔離されて一般との接触が遮断されるから行っても良いよと言っている。

 果たしてこのチグハグがIOCの傘下にあるUSOPCの立場からそう言わざるをえなかったものなのか、科学と医学の総本山たるCDCとスポーツ政治に左右されるUSOPCとのスタンスの違いから出ているものか。いずれにしてもアメリカも一枚岩ではない上に、真っ当な思考だったらやっぱり日本には国民は派遣できないといった結論を出さざるを得ない情勢にあるのなら、あとは政治の総本山たる大統領がどう判断するかにかかってきそう。日本の総理大臣に忖度しまくりな官邸や官僚とは違って世界の誰にも忖度をする必要のない大統領なら、国民の声を聞いて何か行動を取ることになるだろう。本当はやりたくない日本が影から働きかけて大統領に中止の外圧をかけてくれって頼んだりして。

 仮にこのまま開催となってアメリカから選手が派遣されても、取材のための人員が派遣できないとなったらメディアも一斉に反対に回ることになるかなあ。行っても良いけど宿から出るな、そして取材はモニター越しなら行こうなんて思わないだろう。いやいやそこは世界のJTBが開発した「バーチャル・ジャパン・プラットフォーム」を通して日本に来てくれて構わないってアピールしたりして。ネットの中に作られた日本だったらどこをどう歩こうともウイルスに感染することはないし感染させることもない。そして出会える巨大なカニとか日本のいろいろ。たーのしー、なんて有るわけない。外に出て人と触れ合い名所をめぐってこその取材な訳で、それが出来なければ行く価値がないとやっぱり反対に回ってくれるかな。

 チグハグといえば愛知県の大村秀章愛知県知事のリコールを目指した署名活動で、偽造署名が大量に出た件でリコールの会の会長を務める美容整形外科医の秘書が、愛知県警から聴取を受けて秘書が役員をしている会社も家宅捜索を受けたとのこ。自分の分身ともいえる秘書が警察に脅されているかもしれないんだから、上司たる美容整形外科医もかばって安心しろと言ってあげるのが筋なのに、まるで正反対に秘書の会社と自分とは「何にも関係ないです。昔、僕がつくった会社ですから」と突き放す。「どこにも高須克弥の影はありませんと話しました」ってそりゃあ役員に名は連ねていないけれど、資本を出しているのは誰って話で株主構成とか調べたてみたくなる。

 というか名前が挙がっているその会社は資金管理会社ってことになっているから、調べればいろいろときな臭い話も出てくるだろう。お金の流れなんかにも関わってくるかもしれないからこそ、愛知県警だってガサ入れをして出納の要ともいえる秘書から話を聞いたってことで、いずれ遠からずその手もトップに及ぶことになるんじゃないかなあ、そこまでやって届かなければ警察も腰抜けって言われるだろうからここが正念場。すでに逮捕した事務局長からお金の出所を聞き、そして秘書から流れを聞いた先に何があるか。週内に何か動くかなあ。最近あまり東京とかにいかずダーリンと呼ぶ漫画家さんとも会ってないみたいだし。ドキドキ。

 「バック・アロウ」をずっと見てきてルドルフ選帝卿が太った体を絞ってグランエッジャの前に立ちふさがってはアロウの正体について解説をしつつ、アロウの力を使って世界を消滅させようとし始めたところに立ち上がるゼツ・ダイタンたちレッカ凱帝国の面々たち。ルドルフにも増して体を変化させて若返ったゼツ・ダイタンですら届かないルドルフだったけど、これまでお飾りに過ぎなかったビット・ナミタルがシュウ・ビから預かったバインドワッパーを使って見せた技が、「天元突破グレンラガン」や「キルラキル」の中島かずきさんらしい乗数的なスケールアップ感に溢れていて、ここからルドルフや神ですら予想していなかった事態が起こってくることになりそう。人間の思いと力が神をも超えるか、っていうかそもそも神とは何なのか。外の世界には何があるのか。そこすらも超えて人間は広がっていけるのか。残る話数での展開に期待。


【5月24日】 犠牲を払うのは日本国民ではなく我々オリンピック関係者だといった言い訳を、IOCのトーマス・バッハ会長による「犠牲」発言が広まった中でし始めたらしいけど、関係者がいったいどんな犠牲を払うかというとそれはちょっとした不便であり不具合といった程度であって、それで何か実態としての人死にが出るようなことはなさそう。対して東京オリンピックが開催されて、それで新型コロナウイルス感染症の感染者が広がったりして医療が逼迫したら、実態としての人死にがそれも日本人に出かけないってところで釈明とは無関係に犠牲を強いられる大会だってことは訴えていくべきだろう。届くかは知らない。

 信濃毎日新聞が止めろと強く社説で訴えたのに対して北海道新聞は半歩下がったところから「国際オリンピック委員会(IOC)は信頼に足る安全対策を示さないまま開催ありきの姿勢を崩さない。憂慮を禁じ得ない」「世界の人々が集い、親睦を深める平和の祭典としての意義を失ってもなお開催する理由は何なのか。IOCは説明し、実情を踏まえた可否の判断に臨むべきだろう」といった具合に、説明責任を果たした上でどうするか決めなあいと言葉をかけている。スポンサー企業のひとつとして明解に止めろとはいえない立場でここまで踏み込んで来たのは評価したいけれど、どっちつかずの意見であることも否めない。判断を任せず取材の成果としての可否をここは示して欲しいけど、出来るかな。

 オープンな場で率直に話し合ってリスクを分析し、根拠に基づき開催可否を判断する―。そんな冷静で合理的な取り組みこそが今、求められている。  シャッツキステが閉店したのもいくら真面目に本格的にして本質的なメイドによる接遇を提供してきた秋葉原で、同じ様な“メイド喫茶”に分類されながらも愛らしいメイドが賑やかに給仕してくれるだけに留まらず、それこそ風俗の店と同様に接待をするような店が増えてしまって、それを一緒にされてしまうことでメイド喫茶であることの矜持を削がれ、打ちのめされてしまうのが辛かったからなのかもしれない。孤高にいくらメイド喫茶の本質を貫こうとしても、悪貨の氾濫によって沈められてしまってはさすがに意欲も失われてしまうだろうから。

 そんな秋葉原でメイド喫茶というかコンセプトカフェを標榜しつつ実態は会話なんかを楽しむようなキャバクラ系の店を営業して摘発されるところが続出。たまに歩くと路上のそこかしこにメイド風だったりコスプレ風だったりする女子が立っては呼び込みなんかをしていて、それがいわゆるメイド喫茶的なものからかけ離れてエロティックな雰囲気へと流れているのは感じていただけに、やっぱりそうした営業が増えていたのかと報道に思う。秋葉原の風景だからといって撮影しようとカメラを向けると拒絶したり逃げたり怖いお兄さんが現れたりするケースもあったと聞くから、そうした勢力が入り込んでいたいんだろう。

 今になて電気街な人たちが警戒をするとか言っているけどそんな勢力の浸透なんて分かっていたことだろうに、町内会的なり商店会的なところで取り締まりをしていたって感じでもない。今になって騒ぐのも不思議な話。やっぱり怖かったのかなあ。歩行者天国が動いていたころは、そこで立ち止まって何かしていたり、自転車を降りずに走ったりするだけで激しく警告していたのに、路上に立っていかにも客引きをしているお嬢さんを見逃していたのは、それが客寄せになるとでも考えていたんだろうか。持ちつ持たれるっていうか。今のように外出自粛が続く中では、余計に人が来てくれるのは有り難いって感じ。でもさすがに耐えきれなくなったと。これで風景は変わるだろうか。代わりに何が立つんだろうか。

 「日本短編漫画傑作集」なるものが編まれるそうで、編者が並んでいたものの男性ばかりでどうして女性がいないんだろう、短編漫画だったら少女漫画だって傑作が目白押しでそうした方面に目配りの利く女性の漫画評論家なり漫画家なりを入れれば良いのにといった意見が出て、ちょっと紛糾していたけれどもこの段階なら詳しい人を上から選んだらこうなっただけといった意見もまだ、返せたかもしれなかった。ところが関わっているらしい編集の人が、今回は少年漫画・青年漫画だけで少女漫画は入りませんと返してきたから話題が一気に燃え上がった。

 だって「日本」だよ、「日本」の「短編漫画」の「傑作」だよ、そこに例えば萩尾望都さんの「半神」とか山岸良子さんの「汐の声」とかが入らないなんてことがあり得るのって声に、まるで答えられないその選び方。だったら「日本短編少年・青年漫画傑作集」とタイトルに打つべきだったのに、そうはしない上に「今回は入らないんですけどこれが売れれば次は入ります」的な言葉を返してきたからさらに炎上が噴火となって大爆発。どうして少年漫画や青年漫画で盛り上がったらそのご褒美として少女漫画が紹介されなきゃいけないんだって話になる。

 そこまで意図して排除したかっていうと、「少女漫画」と敢えて言わない「漫画」が少年だったり青年漫画だったってだけなんだろうけれど、それを「日本」で括ったことでどんな反論が来ているかをくみ取って、違う言い方で弁解すべきところをストレートに返してしまったところに、事態への意識の希薄さが感じられる。ここまで燃え上がってくるといったい小学館はどんな反応をとるだろうなあ。ちょっと注目。


【5月23日】 大会スポンサーとなっている関係からか、あるいは取材のパスをもらえなくなるのを恐れてか、全国紙がオピニオンとして東京オリンピックの中止をはっきりとは言い出さず、諸外国の報道や一般の声なんかを照会して、どちらかといえばネガティブな雰囲気が怒っていることをそれとなく伝えている中、地方紙でも歴史を誇る信濃毎日新聞が社説として「東京五輪・パラ大会 政府は中止を決断せよ」といったオピニオンを打ち出して来た。さすがは桐生悠々を擁して「関東防空大演習を嗤う」を掲載した新聞だけのことはあって、政府に対する反骨の気概を見せてくれている。

 曰く「不安と緊張が覆う祭典を、ことほぐ気にはなれない」。つまりは今の新型コロナウイルス感染症が蔓延する中、医療の逼迫も叫ばれている状況で内外から大勢の人が集まり動く東京オリンピックなど開催しようものなら、世界から日本へ、そして日本から世界へと感染が広がる恐れがあって、それを防ぐために細心の注意が求められる。それこそ平和の祭典を標榜しながらも隔離と管理によって触れ合いも何もかも阻まれた、塀の中の運動会になりかねない。だったら今、開催する意義はあるのか。そんな問いかけだろう。

 そしてやはり気になる医療の逼迫。「病床が不足し、適切な治療を受けられずに亡くなる人が後を絶たない。医療従事者に過重な負担がかかり、経済的に追い詰められて自ら命を絶つ人がいる。7月23日の五輪開幕までに、感染状況が落ち着いたとしても、持てる資源は次の波への備えに充てなければならない」。たとえ一時を凌いだとしても、その後に訪れる反動に対する備えがまるで払底していると、いったい何が起こるのか。それを考えるならやはりこう言うしかないってことだろう。「東京五輪・パラリンピックの両大会は中止すべきだ」。

 その言や良し。それが世界に通用するか、政治を動かすかは別にして、新聞各紙がダンマリを決め込む中で大勢が感じる不安を言葉にし、言いたいことを言ってくれた。世間のメディアへの不信を多少なりとも緩和してくれるだろう。同時に「コンパクト五輪、復興五輪、完全な形での開催、人類が新型コロナに打ち勝った証し…。安倍晋三前首相と菅首相らが強調してきたフレーズは、いずれもかけ声倒れに終わっている」と指摘することで、政治の欺瞞にしっかりと声をあげている。大勢の気持ちをくみ取って溜飲を下げる効果がありそうだ。ただ、そうした声を今、あげてもあとで何かの原因から緩和したり曲げたりしないか。それが心配だ。

 桐生悠々は「関東防空大演習を嗤う」を書いて在郷軍人会の批判を浴び、信濃毎日新聞社を放逐された。その轍をまた踏まないかが今は心配。取材の都合や地方自治への干渉などを理由に締め上げる動きが続けば、前言をひっくり返すこともあるのかどうか。スポンサー企業が反発を強めて広告を引くような態度をちらつかせてなお反対の論陣を張り続けられるのか。そこはだからスポンサー企業に対しても世論がしっかりと声を発していかなければならない。トヨタ自動車が最大級のスポンサーでありながら、絶対推進を言わないのは言えないからだ。真っ黒な政治家の真っ黒な態度など当てにせず、真っ当な経営者の真っ当な態度を信じて声を出し続けよう。

 しかしここまで来たらやらせて挙げたいといった同情も湧いてくるものだけれど、そんな思いを上から巨大な足でもって踏みにじるような言説が起こってやる気を奪っている感じ。IOCのトーマス・バッハ会長がホッケーの団体の年次総会で言ったというのが「「五輪の夢を実現するために誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない。アスリートは間違いなく彼らの五輪の夢を実現することができます」といった言葉。つまりは日本人の間に感染症が広まろうと、そして不足する医療体制の中で日本人の中に亡くなる方が出ようと、そこから世界に感染症がばらまかれようと、それはスポーツの祭典の犠牲をして甘受せよ、って意味合いに取れたりする。

 そんな地獄のようなオリンピックを経てトーマス・バッハ会長は「東京はトンネルの終わりに光を放つだろう」と言ったそうだけれど、その光ってあのロバート・オッペンハイマー博士が原子爆弾の実験をロス・アラモスで見て「「我は死神なり、世界の破壊者なり」と呟き恐怖した光のことじゃないんだろうか。あるいは「機動戦士ガンダム」でアムロ・レイがソーラーレイ・システムから発射されたレーザーに対して「前へ進んじゃ駄目だ。光と人の渦が溶けていく。あれは憎しみの光だ」と叫んだような。浴びれば焼き尽くされてあとに何も残らない恐怖の光。そうでないことを語るなり示すなりすれば良いんだけれど、できていない現状ではやはり開催のために日本人を犠牲にして平気な態度に見てとれる。果たして燃えるか。日本で燃えようと届かないんだろうなあ、IOCには。WHOあたりが動かないと無理かなあ。動いても無理かもなあ。

 短編アニメーションを観る練習をと思い「花咲くコリアアニメーション2021+アジア」というプログラムをネット配信でちょろちょろ。いろいろな短編が集まった「インディ・アニフェスト2020受賞作」からパク・ジヨンという人の「幽霊たち」という作品が絵柄的にもストーリー的にもテーマ的にも抜けているような気がした。線画で不安な感じは毎日映画コンクールの大藤信郎賞を受賞した「澱みの騒ぎ」の小野ハナさんのよう。生きているのか死んでいるのか不安定な状況にある男女の移ろう心情が水の浸された部屋に置かれたベッドやテーブルの上で過ごし、そして空飛ぶヒラメを狩った女性が腐敗してヒラメも骨となる変化の中に描かれている感じがした。

 他の作品では例えばコ・ドンファン、ソン・ハヨン、カン・ソヌによる「PLAY ON」なんかは、女性の意思がなかなか尊重されず、そして男子であっても子供は親の言うなりになっている社会であり、1発勝負に敗れたら這い上がれない学歴社会であり、経済的に沈滞が続いている社会へのの不満が割とストレートに描かれた作品が多い中、「幽霊断たち」は象徴と暗喩で何かを伝えようとしたところも巧かった。2020年のアヌシーの短編コンペティションやオタワの短編のコンペティションに選ばれているみたいだから、やっぱり優れた作品なんだろう。日本がなかなか外で活躍できなくなっている中、韓国から優れたアニメーションが出てくることになるのかな、留学生も中国や韓国が多かったしな。頑張れ世界。そしてやっぱり日本も。


【5月22日】 東京オリンピック・パラリンピックの開催が新型コロナウイルス感染症の蔓延もあっていよいよ決断の時期にさしかかっているにもかかわらず、明確な延期なり中止の主張をしていない日本の新聞が、東京オリンピックのスポンサーになっているのは知られた話。上から3番目のランクになる「オフィシャルパートナー」なんて協賛金が60億円と言われているけれど、そこに「読売新聞グループ本社」「朝日新聞社」「毎日新聞社」「日本経済新聞社」が名前を連ねていたりする。

 「産経新聞社」と「北海道新聞社」は規模の問題もあってそれより下のランクだけれど、いずれにしても中日新聞をのぞく上位の新聞社がスポンサーになっていたりする状況は、その報道に何らかのバイアスがかかっているのか、なんて勘ぐりも生みそう。だってちょっと前にプレジデントが五輪に向けた水泳飛び込みのプレ大会で来日した関係者が、入国で手間をかけさせられた上に宿舎に閉じ込められて外には出られず、食事はコンビニ弁当にカップラーメンでフルーツだとかはシロップ漬けのものしか出て来ない。そんなコンディションで競技をさせられて可哀想だったけれど、このタイミングでそんなオペレーションしかできない組織への不信もつのった。

 ところが、同じプレ大会を取材した朝日新聞がリポートするには、入国はスムースな上に食事もちゃんとしたものが与えられて、ベジタリアン用にはそれ専用の食事が用意されていたという。違うプレ大会でも開かれたのか。まるで正反対のベクトルの記事の、どちらを信じれば良いのか分からないけれど、今ごろになっての記事化はあるいはプレジデントの記事の評判にヤバいと考えた組織が、書いてもらったような気がしないでもない。張りついていたなら朝日新聞なら食事の写真くらい自前で撮るよなあ。それが提供写真。怪しいとは言わないけれどいかにもお仕着せの記事っぽい。そう思われるだろうことを覚悟してでも出さなきゃいけなかったのかなあ。切羽詰まってるなあ。

 新潟でイタリアンを食べる。イタリアンといえば名古屋では鉄板の上に卵焼きを焼いてその上にケチャップをあえたスパゲティを載せる鉄板ナポリタンのことを指すんだけれど、新潟では昔から焼きそばにミートソースをかけたものをイタリアンと呼んで、ファストフードのみかづきが提供しているという。どんな食べ物かは想像はついたけれど、食べたら予想以上に麺がしっかりしていて食べ応えがあった。カップ麺にミートソースをかけるのとは大違い。やっぱりイタリアンは本場に限る、ってイタリア人が聞いたら何を思うんだろう。それは名古屋の鉄板卵焼きスパゲッティも一緒か。

 ってことで新潟マンガ・アニメ情報館で「不思議の海のナディア展」を見る。総じて生の原画であり修正原画であり手描きのレイアウトであり絵コンテであり鉛筆書きのキャラクター設定でありといった食い遭いの直筆の資料が並んでいたのが個人的には圧巻。絵コンテなんかは描かれた後にコピーされては修正なんかも施された上にAR台本を作るためのものへとたどり着くプロセスで、手描き原版なんかどこかへ行ってしまう可能性があるものをちゃんとだいたい取ってあったのが奇跡というか素晴らしいというか。

 キャラクター設定も手描きのものから修正なんかが施された上で決定稿が作られ原画なんかに回されるだろうものだから、手描きの原版なんてものがそれも30年前のアニメでちゃんとしっかり残っていたのに驚いた。制作上で大切なのは参考にする決定稿だろうから、別に手描きだからといって崇め奉られているといった感じではないのかもしれず、そんな中で新進気鋭のクリエイターたちが作ったアニメのそうした原版が、しっかり残されているのはなかなか珍しい例のような気がする。

 そんな原版だと21話の「さよなら…ノーチラス号」でたぶん手がけた樋口真嗣さんのしっかり描き込まれた絵コンテとか、作画監督を務めたキャラクター設定でもある貞本義行さんによるだろうキャラクターの黄紙の修正原画なんかは目の当たりにするに貴重な上に、タッチまでしっかり見て取れてさすがは現物のパワーだと感嘆することしきり。これがコピーだとまた違った味わいになるからなあ。その意味でやっぱり手描きは極力残しておきたいものだと思いつつ、どれもこれも残したところで永遠に補完されっぱなしのものも多いだろう状況下、それでも保存すべきかといったジレンマをアニメの人たちは抱えていくことになるんだろう。こうやって30年が経って”商売”になるんだから。

 展示は冒頭にオープニングの原画と動画とセル画と絵コンテがあってそれらを上映していて見た場面を絵の上て再確認できる。ああこのセル画のこの場面があそこで映像になっているといった具合。そうやってアニメ全体の構造を分からせた上で本展時ではセル画と置いてゼロックスによるトレスだから線がくっきり残っていることを紹介しつつ裏に動画が張り付いたままでいることも、圧着してはがせなくなったと説明している。セルの番号と動画の番号がズレているのは次のを挟み込んだり動画の面が接しないようひっくり返して挟んだりした名残か。まあよく見かける風景。

 でもって絵コンテがあり原画があり修正原画がありレイアウトがあってといった感じで各話をまとめて並べていく展開。ときおりBGもあって巨大なBGを描いてその上でセル画を動かし撮影するんだとか、逆に巨大なノーチラス号のセル画を置いてこれをずらし動かしながら撮影して動いているのを表現するんだといった具合に、アニメ作りのプロセスをここでも説明していた。していたけれどもそれもセル画があってBGも紙に描かれていてそれらを撮影大の上で重ねて撮っていた時代の手法。今もそうだと思った人はいないだろうけれど、いずれいったい何に使われたんだろうこの透明なシートに描かれた絵はとか思われる時代が来るのかもしれない。 そんな展示のあとは版権のセル画があってその線画も横に並べられていて色指定もあったりしてそうやって版権が作られていった過程が分かるようになっていた。セル画だけより線画も添えると絵として描かれたものがセルに転写され彩色されてアニメっぽいイラストになるってより分かりやすいのかも。線画自体も実に緻密に描かれていてそれも大きい紙に描かれているから描いた人の技量のすごさがよく分かる。そんな版権原画ばかりを集めた展示会とかあったら迫力だろうなあ。でっかいものなあ1枚1枚が。

 キャラクターグッズとかパッケージとかの展示もあってDVD−BOXについていたフィギュアも並んでいてそうえいえば家に1つあるんだけれど見たことがなかったと振り返る。部屋のどこにあるかは分かっているけど結局その時はあけず最近になって配信で見たんだよなあ。ナディア。本放送はこっちに出てきて1年目で東京証券取引所のクラブに詰めていた時でボックスが後だったNHKがずっと着けてるテレビの金曜午後7時半になると、あのオープニングが流れてきてついつい見入ってしまったんだった。切り替えの速いテンポの良いオープニングが巧かった。それが「新世紀エヴァンゲリオン」のオープニングにも繋がっていると知るのはバブル崩壊後のことであった。


【5月21日】 そして読んだ竹町さん「スパイ教室5 《愚人》のエルナ」(ファンタジア文庫)はクラウスの下で鍛え上げられた「灯」のメンバーたちが、スパイ養成学校でもトップクラスの6人によるチームを相手に戦ってはなかなかの成績を収めたりしていて、万能ではないけれども得意な部分を持った人材が、つながり組むことによって生まれるとてつもないパワーってのを強く実感させられた。リリィだって活躍してたしなあ。そんな戦いを経て生まれた良きライバルが、切磋琢磨の果てに「灯」をより高見へと……なんだこの「NEXT MISSIONは! 竹町先生まじ鬼だ。

 地方自治体の首長が新型コロナウイルス感染症のワクチン接種を一般の人に先んじて受けるなり、高齢者の接種でキャンセルが出た分を接種してもらうなりすることに批判の声が起こっているとか。首長は陣頭に立って指揮を執る人だから倒れられては困るし、だいたいが高齢者なんで先に接種を受けてもらって構わないというのが当方の考え方。それでも批判が起こった時に河野太郎ワクチン担当相が構わない、それは批判に当たらないと言うだけで世間も納得すると思うんだけれど、何を考えたか河野担当相は「責任をとる」と言うから話がどうにも鬱陶しくなる。

 この件で必要なのは河野担当相としてのお墨付きであって、それを否定する権限なんて他の誰にも無い訳だから、批判が起こったところで河野担当相がとるような責任なんてそもそも存在しない。にも関わらず「責任をとる」と言い切ることで、何か自分の身体をかけてケツモチをしているかのような錯覚を世間に与えて、自身の価値を高めているような雰囲気がある。巧いなあ。これで「文句は言わせません」と上から目線で言ったら嫌われるところを、巧くそらしている感じ。<BR>
 だいたいが責任ったて、昨今の政権で誰か責任をとった人なんていたんだろうか。閣僚が悪いことをして逮捕されたって、総理が任命責任は自分にあると言いつつ、それで辞任とかせず政権を円滑に運営することで責任を果たしたと言い抜ける。もはや重みの欠片もなくなっている「責任」って言葉が、それでも何か背負っているかのように錯覚させているのは河野担当相の醸し出す雰囲気故のことだろうけれど、これでワクチンの供給がうまくいかなくっても接種がうまくはかどらなくても、現場を批判するだけで自分が辞めるなんてことはしないだろうなあ。結果としてやっぱり紙切れ1枚にも及ばない軽さで「責任」がどこかへと飛んで行く。そんな国になってしまった。誰の責任だ。

 責任といえば例の愛知県の大村秀章愛知県知事のリコールを求める署名活動で、大量の偽造署名が発見された問題に関してリコール運動の会長を務めた似よう整形外科医が「すべての責任は自分にある」とずっと言っているけれど、その「責任」とやらをどうとるかについてはこれまで何も示してない。側近も側近の秘書が自分に黙って署名に勝手に自分の指印を押したことが発覚した際も、叱っても回顧はしないで手元に置いたまま。監督責任だとか雇用者責任といった言葉もどこ吹く風といった態度を見せている。自分の秘書が休日でもない日にどこに行って何をやっているか知らないなんて不思議なんだけれど。

 この件で逮捕者となったリコールの会事務局長が、佐賀市で署名簿の偽造作業を始めたらしい時期に、佐賀でのことは会長も知っていると周囲に話していたらしいと毎日新聞が報道した。これについて会長が言うにはことは「全くのうそ」と批判糾弾。事務局がしでかしたことはすべて自分の責任だと公然と言いつつも一方で事務局長が勝手にやったことだといった態度を見せるこの二面性はいったい何だろう、そして「責任」という言葉に対する真意はどこにあるんだろう。まったくもって分からないけれど、こうやって漏れてくる情報からだんだんと、その身に何か迫っていると感じているのかも。いよいよとなった時にどんな「責任」をとるのか。気になるなあ。

 新幹線で急な腹痛の襲われた運転士が運転台から5分ほど離れてトイレにいったことが判明し、いろいろと問題になっているらしい。そりゃあ安全上ヤバいことだし、車掌に任せていたといっても運転士ではないから何かあったら対応できないので意味がないといえばない。なのでいろいろと問われて当然だけれど一方で、運転士にこうした急変が起こった場合をカバーする仕組みがないことも大きな問題じゃないのか。今回はトイレだったけれど急な心筋梗塞に襲われて場合だってあるかもしれないし、三浦建太郎さんじゃないけど解離性大動脈瘤だの脳卒中だので意識が飛んでしまう可能性だってある。その場合に誰がカバーするのか。なるほど列車は速度があがればATSが動作して止まるかもしれないけれど、その間を引き取る飛行機でいう副操縦士的な人がいないのは、なんか怖いなあ。どういう風にカバー体制がとられているんだろう。


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