縮刷版2021年2月上旬号


【2月10日】 日付が変わって配信された白鳥士郎さん「りゅうおうのおしごと14」(GA文庫)を読んだらこれまでの姉弟子とのいちゃいちゃやら児童弟子とのロリロリといった要素が吹っ飛ぶくらいにシリアスで痛く苦しい展開になっていて、いよいよ最終章が始まったって感じが強く漂った。新四段となった姉弟子こと空銀子は元よりの病弱に加えて身心の衰弱も激しく先行き不透明。そしてロリ弟子の雛鶴あいは成長のためには竜王といちゃいちゃしていられないと自覚する。

 そして起こる隔離や離別といった動きの中、中心にあった竜王こと九頭竜八一にも決断の時が訪れそう。作中では史上最年少となる二冠目を獲得したにも関わらず、展開はあっさりとしていてエキサイティングな盛り上がりはなく、むしろ八一という主人公からドラマ性を剥いでいくような感じになっている。主役であることすら薄れていく中で、直近の試練として竜王位の防衛というのが来そうだけれど、それがドラマとなるのは相手が空銀子か雛鶴あいか、夜叉神天衣になる場合だけ。でもさすがに早そうで無理そうな展開をどう工夫してくるのか。作者の筆運びを見極めたい。

 「寝食を忘れた大村知事リコール運動に敵陣営の人間が紛れ込み、様々な工作をしていた疑惑が浮上している」って語るジャーナリスト氏は、だったらその疑惑とやらを示してみれば良いのにやらないのは、アメリカ合衆国大統領選で不正が行われたと言いつつ、何も示せなかったことにそっくりでやれやれな感じ。そもそもが「昭和天皇の肖像をバーナーで焼いた」作品なんてあいちトリエンナーレには出品されていなくって、昭和天皇の肖像が使われた作品が掲載された図録を、美術館側が焼却したことをモチーフにした映像が一部に使われているというものだったりする。

 これに抗議をするなら、御真影が掲載された図録を焼いた美術館にだって抗議をすべきなのに、そうはならないのはこうやって、情報が恣意的にねじ曲げられて伝えられているからに他ならない。ジャーナリスト氏も、そして同様にジャーナリストを名乗る女性もそういった反論を散々っぱら浴びながらも、一向に改める気配はなく、ひたすらに愛知トリエンナーレには天皇をバーナーで焼いた作品が展示されていたと言いつのり、それをより所にしたリコールは正しいと言って、そこで繰り広げられた不正の追及はしないか、してもリコールに反対する勢力の謀略だと言い続ける。それを信じる人がいるのは自由だけれど、そうした虚言を弄する人をコラムニストに起用するのは全国紙としてどうなんだろう。なんて言っても届かない10余年を経て今はひたすら沈みゆく船。明日はどっちだ。

 不正リコールについて女性ジャーナリストの方は、さすがに分が悪いとみたのか口を控えているところがあるけれど、一方で東京オリンピック組織委員会の回答を務めている森喜朗元総理が放った暴言について、独特の読解を行っては擁護に回っているのがなかなかにユニークな立ち回り。曰く「文科省は各種団体に女性理事を増やすよう強く要請しているが、女性の理事は(男性と異なる)優れた点として競争意識が強い。皆が発言しようとする傾向があるため、『会議に時間がかかる』と文句を言う人がいる」が、「しかし、私(森氏)たちの組織委員会の女性理事は端的に的を射た発言をする人ばかりだから、欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになる」ということらしい。

 ここで気になるのは、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかる。女性がなんと10人くらいいるのか今、5人か、10人に見えた」といった具合に、女性が多いことを“恥”としている意識が抜け落ちている点。そして「女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです」と続けて、会議が長くなることを暗に批判している。これを読んで、会議は長くなるけれども、それは女性が優れている点として競争意識が強いからだなんて読む人はいない。それが文脈というものだから。

 「女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困ると言っていて、誰が言ったかは言いませんけど、そんなこともあります」という言葉も、だから話す時間を規制する必要があるという前振りで、「私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます」といって、空気を読んで話を抑える人を尊んでいる空気がある。だいたいが「わきまえておられます」という言い方事態が抑圧を示していて、だからハッシュタグとして取り沙汰されているにも関わらず、女性ジャーナリストは奇妙にもこの言葉に触れようとしない。

 「ですからお話もきちんとした的を得た、そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っています」という森会長の結論は、女性の委員そのものを尊んでいるのではなく、場をわきまえて自分たちの都合が良い話を端的にしてくれる女性の委員をこそ尊びたいという意思表示。総体として下に見られ区別されているにも関わらず、そのことを感じ取れないのが不思議というか、感じ取らないという「わきまえ」を見せたい気が満々というか、そんな記事になっている。

 ずっと無給でやっているからといって、結果として拙いことがあるならそのことは免罪符にはならないし、そもそもが蔑視の意識がなかったのなら、釈明の会見で理解を求めれば良いのにそれもせず、開き直って逆ギレして見せたというからやっぱり根っこは同じだったってことになる。日本ではこうしてわきまえてくみ取ってくれる人がいても、世界は甘くはなさそうなので今後締め付けも出てくるだろうし、そもそもが開催だって危ういところ。通り過ぎた果てに改めてその責を問われるかというと、水に流してその地位も名誉も安泰とさせる20年前と同じ現象が起こるんだろうなあ。やれやれ。


【2月9日】 ミューコミ+が終了との報。吉田尚記アナウンサーが2010年から続けて来た番組だからかれこれ12年くらい。前身も含めれば15年くらいやっていたらしいラジオ番組だけに終わるのは残念だけれど、永遠に続く番組なんてないからそれは仕方が無い。とはいえいわゆる超有名人ばかりではなくポップカルチャーからサブカルチャーからオタクからカルトなところまで、広く声をかけてゲストに呼んで話をさせる番組なんて他にないから、その意味では貴重だった。マンガ大賞も受賞者が必ず出演して喋ってくれたからなあ。普段は滅多に聴けない漫画家の声を聴ける番組だった。今年はギリギリ出演が可能として来年からはどうなるんだろう。次の番組で引き継いでくれるかなあ。とりあえず最終選考の推薦文を書かないと。

 朝から「PUI PUI モルカー」の最新作。人間がゾンビとなってモルカーを追いかけていたのはモルカーが金属製の機械ではなく、いきたモルモットの車だってことの証明か。囓られたらおしまいな訳で逃げるモルカーに追うゾンビたち。巻き込まれたハンバーガーショップのモルカーから転げ落ちたハンバーガーの、ゾンビはパテをくらいモルカーはレタスやトマトをかじってお互いハッピーになるかと思いきや、うっかりパテではなくってモルカーをゾンビが囓ってしまってゾンビ化するモルカー。やっぱりうつるんだ。

 そうやって人間にもモルカーにもゾンビが蔓延って世界は絶滅するかというと、次週は何事もなく普通にモルカーたちが楽しく日常を過ごすんだろう。それがアニメーションってやつだから。ちゅどーんしても元通りの法則は、今も受け継がれているのであった。そんな楽しいゾンビモルカーの絵コンテは今週も小野ハナさん。残酷だけれど優しい話を描かせたらやっぱりピカイチのアニメーターってことになるのかな。この才能が普通の商業アニメーションで発揮される時は来るのだろうか。発揮されるべきなのだろうか。アート系のアニメーション作家が進む道の狭さを考えた時に、いろいろと参考になる事例かもしれない。今後を見守ろう。

 4月の完結に向けて動きが急になっている「進撃の巨人」の最新エピソードが掲載された別冊少年マガジンが刊行されてネットにも回ってきたので、読むのを遠慮していた前月号も含めて雑誌ごとkindleで落として読む。あとでアプリでも読めたことが分かったけれど、雑誌ってのを最近買ってなかったんでちょっと読んで見たかった。なるほど「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」の大森藤ノさん原作によるファンタジー漫画は別冊少年マガジンに連載されていたのか。読み込んでみるか。

 最新号を読む前に前月号にのった2つのエピソードを読んだらやっぱりピークちゃんは可愛かった。

 車力の巨人に何度もなっては、ジャンがエレンの首を落としに走ろうとするのを助け、血路を開こうとして「私のことは心配しないでいいから」と叫んだにも関わらず、それに反応してジャンが涙のひとつでも流してくれるなんてことはなく、振り向きもしないで脱兎の如く駆けだしていった姿に「あっ」と言う姿が乙女な感じでいじらしかった。姿は巨大で顔長の巨人だけれど。そんなピークの活躍もありアルミンによるジークの説得もあって最新号では地鳴らしの行進がとまってエレンの首も落ち、そしてアルミンによる超大型巨人の爆発が起こったところで以下次号。エレンは終わるのか。そして世界はどうなるのか。まだ2号もあるともう一山来そうだなあ。ジャンはやっぱりピークちゃんと結ばれるのかなあ。ガビはファルコと? でもファルコは老い先が短そうだから別の誰かか。

 声優で「刑事コジャック」のテリー・サラバスや「紅の豚」のポルコ=ロッソの声なんかで知られる森山周一郎さんが死去。昭和の頃から活躍している声優さんがどんどんと亡くなられている中で遂にといった感じではあるものの、その声の太さをもって身に響く方だっただけに寂しさは小さくない。振り返ればポルコって宮崎駿監督のアニメーション映画で主演の声を務めた声優としては最後くらいになるのかなあ、余人をもって代えがたいくらいのマッチぶりだったから、ここで俳優さんが誰か来ていたらやっぱり違うと思っただろうなあ。

 「風の谷のナウシカ」の島本須美さんから「天空の城ラピュタ」の田中真弓さん横沢啓子さん、「となりのトトロ」の日のり子さん坂本千夏さん、「魔女の宅急便」の高山みなみさんと来て森山周一郎さんだったっけ。以後は「もののけ姫」の松田洋治さん「戦と千尋の神隠し」の柊瑠美さん「ハウルの動く城」の木村拓哉さん倍賞千恵子さん「崖の上のポニョ」の奈良柚莉愛さん土井洋輝さん、そして「風立ちぬ」の庵野秀明さん瀧本美織さん。松田さんは声優もやっているけどメインは俳優だからやっぱり森山さんが最後か。加藤登紀子さんがツイッターでコメントを出しているけれど、宮崎監督の言葉も聞きたいなあ。合掌。「ヨルムンガンド」でナレーションを務めているそうなんで聞いて見よう。


【2月8日】 Netflixに回ってきたので「進撃の巨人 Final Season」から「義勇兵」。あれだけの重量がありそうな船を抱えて運ぶエレンの巨人ぶりが凄い。そして港を吹っ飛ばしたアルミンの超大型巨人がマーレの調査船相手だとそれほど吹っ飛ばしてはいなかったところを見ると調整がきくのかもしれない。いちいち巨人になるたびに1キロ四方を吹っ飛ばしていたら大変だもの。それにしてもベルトルトなりが巨人化した時は、放つ熱量の関係もあってずっとは巨人でいられなかたのに、壁から出て来た超大型巨人に似た巨人はどうして海を渡って世界を地ならしにいけるくらいに体だが保つのか。神が作ったものだからか。謎が多い。

 神といえばオニャンコポンを相手にサシャがどうして黒いのって聞いていたのが人によっては失言だととらえられているらしけれど、見たことがなかった種族を始めて見たらやっぱり浮かぶ当然の思いで、そこに差別の意識がないことを文脈から知ることがまずは大事。そして答えてオニャンコポンがいろいろな人がいた方が面白いから神様が作ったんだと答えたことに、多様性が認められた世界の面白さを感じ取れるように導いているところもなかなかの配慮。そうやて人は違和感も偏見もなくすべてを受け入れていくのだ。織田信長に仕えた黒人を主人公にした映画なり、アニメ「YASUKE−ヤスケ−」なりが出て来た時、日本人が弥助を見てどういう反応をするかの先例にもなるかな。

 しかしエンディングへと向けて進んでいる「進撃の巨人」だけれどいろいろな行動がすべて噛み合っていく感じがなかなかに凄い。あそこでガビが飛行船に乗ろうとしてファルコがいっしょについていかなかったら、当然のようにジークのワインで殴られることもなくそれを飲んでしまって巨人化の可能性を得ることもなく顎の巨人を嗣ぐこともなくてそして獣の巨人の要素も含みつつ空を飛ぶ巨人となってエレンの進撃を止めに回ることにもならなかった。それがあってきっと始めて成立しただろうラストバトルのおそらくは人類による勝利だとしたら、ガビの行動もそれに伴うサシャの死も無駄では無かったということが。人の生にも死にもきっと一切の無駄は無い。どこかで何かと繋がっているのだ。

 堺三保さんがクラウドファンディングで資金を集めて作った短編SF映画「オービタル・クリスマス」のDVD&Blu−rayのパッケージが届いたのでさっそく見て、藤原啓治さんによる吹き替えの声に涙する。亡くなられてだいたい1年。それよりちょっと前くらいに吹き込まれただろうおよそ最後くらいのお仕事だったってことになる訳で、にも関わらずしっかりといい男っぷりを感じさせる声を聞かせてくれている。むしろちょっと若いくらいの感じなのは役に合わせたのかもしれない。女性の声を演じた本田貴子さんも蒼崎橙子っぽかった。ああいった大人系は田中敦子さんと並んで上手いし合うなあ。

 ストーリーは地球へと行くつもりが宇宙へと来てしまった少女が父親を求めて寂しがる中で、ちょうどクリスマスだったってこともあってプレゼントをするというハートウォーミングなストーリーだけれど、宇宙でケーキを焼いたりツリーを飾ったりする訳にもいかないし、そもそもが小型のステーションにいる男性はイスラムでクリスマスを祝う習慣を持ってないから用意もない。一方の少女は日本人らしいけれどクリスマスを宗教的な儀礼とは見て折らずお祭りの一種だと感じているなら、そんな2人が出来ることは形式であっても喜ばれることだとう了解の上で、クリスマスらしさを漂わせたあるプレゼントが贈られるって感じかな。

 その規模で繰り広げることが可能なのかどうか、その材料はいったい何でどういう理由からそこにあったのか、そして繰り広げられたある出来事はそのサイズならどこからどれくらいの大きさで見えるものなのかってところも、きっとちゃんと計算されているんだろう。芥子粒の如くで伝わらなければ意味が無い訳で、そこを成立させるだけの計算は安里経っているんじゃなかろうか。こういうアピールが可能ならレンズ・ラルクもあんな無茶はしなくて良かったんじゃないかなあ。でもまあそれだけの規模でやるからこそ魔王子たるレンズ・ラルクだとも言えるしなあ。まあ、繰り広げられるのはそういうことです。

 そもそもが因縁に近い批判であってそれを元にして攻撃が加えられる可能性もあったから、あいちトリエンナーレが警備を強化したことをあげて、そうした警備費の負担増を招いたのはケシカランと、因縁をつけた側が損害賠償を求めて訴えを起こすのってどういうマッチポンプなんだとろう。批判なんてせず煽りもしなければ発生しなかった警備費用な訳だし、あいちトリエンナーレ事態は予定を超えて収入もあって損どころか得をしたならむしろ感謝状でも渡すべきなんじゃないのか。あとそうやって因縁をふっかけた上にリコールまで行ったものの不正らしいと指摘され、調査のために5000万円が投入されたのは誰のせいなんだ。損害賠償請求訴訟を起こされたって不思議はないけど、やられたらこんどは名誉毀損でも提起するんだろうなあ。厄介極まりない。
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【2月7日】 第12回GA文庫大賞で銀賞のアマサカナタさん「竜歌の巫女と二度目の誓い」(GA文庫 )をやっと読む。暴政の果てに反乱を起こされ処刑された領主の一族に竜と交流できる巫女がいて、暴政とは関わりなかったものの処刑されるとなって魔術の力で自分の首を刎ね、領地に平和が来る。思いは巫女の時に親しくなった騎士ギルバート。実は反乱側のリーダーの弟で巫女を裏切るような形となって遺恨が残った。

 そして12年後、一帯の首長となったギルバートがサーカス団で奴隷として売られそうな少女を助ける。実は彼女こそが竜の巫女の生まれ変わりで、竜との会話はできなくなっても魔力はあり、自らにかけた呪いの影響も残っている少女はリズという名でギルバートの下で働くことになる。裏切られた恨みは残るものの領主の暴政も知った今は複雑な気分。そんなリズと彼女の正体を知らないギルバートを中心に、暴政を糺したことへの正しさの感情、それによって奪われた数多の命を慕うものたちの恨みや悲しみの感情、それぞれに理解が及んで犠牲をはらい道を成す難しさを感じさせる。

 帰結として、相互に理解が及んだリズとギルバートを中心に世界はどう変わっていくのか。竜という存在が決して人間を許してないなら何か騒動は起こるのか。他国の動静は。深いテーマと優しいキャラクターの心情で読ませるファンタジーの秀作。銀賞では蒼機純さんの「その商人の弟子、剣につき」も読んで、魔王の剣が甦っては少女の姿となって商人を助けて立ち回るという展開の中、国家間の争いの中に為替相場を織り込んで経済戦争の様相も盛り込むところがなかなかに巧み。いったんは引っ込んだ勇者側もきっと立ち直ってくるだろうから、そうした要素といったん散った傭兵の団長を伴う度の行方が楽しみ。この回は奇跡のようなコンテストだったと記録に残るかもしれないなあ。

 新刊レビューの大外を固めたのでシネマート新宿でクローネンバーグの「クラッシュ」4K無修正版を見たら無修正だった。バラードの原作とはいえディックと違ってSF味とは離れていた感じもあって公開当時は見ていなかったけれども、今回初めて見てなるほどこれは物議を醸すわけだと納得。だっていやらしいもん。そういうシーンがいっぱい。男女もあれば男男も女女も。ハードコアとまではいかないまでも絡んで揺れて声も出る。それがさすがはアメリカ映画っていったきれいな映像の中、きれいな男女で繰り広げられるから見ていていやらしいのと同じくらいのさわやかさも感じてしまう。

 ストーリー的には交通事故がもたらす心理的影響が性的衝動にどれくらい影響をもたらすかって話。実際に交通事故を起こして被害を受けたり与えたりした人が、見てトラウマをえぐられる可能性なんかも想像したけれど、個人としては運転していて凍った路面ですべり車道を飛び出しながらも飛び込んだのが広場で何にも当たらず自損で済んだのが1回と、軽く追突をして相手に怪我をさせず違反にとられなかったのが1回で交通事故に直接的なトラウマはないため、身に感じる痛みだとか心に浮かぶ苦しみはなく見られた。事故の経験がある人にはどういう風に見えたんだろう。

 ただ、そうした痛みや苦しみが違う方向へとそれていって快楽めいたものにすり替えられる道っていうのは示されているかもしれない。そういった救いを与える映画なのかもしれない。どうなんだろう。ただ、そうやってすり替わって得た快楽を、もっと得ようとして危険な方向へと進む道なんかも示されているのが厄介か。イライアス・コティーズが演じたヴォーンという男も仲間がイってしまいそして自身も衝動を炸裂させては自爆する。そんなヴォーンの引っ張り込まれたジェームズとキャサリンも、仕込んで自損した果てに高みを得ようとする。そんな風になるものかとは思うけど、なるかもしれないのが人間の心理の不思議なところ。そこを誘った映画だとも言えるかも。しかし4Kはくっきりしていた。映画館でもくっきりしていたからパッケージをモニターで見ればさらにくっきりしてるかな。出るんだろうか。出てるんだろうか。

 恵比寿映像祭では「赤松正行+ARARTプロジェクト」によるARがなかなかで、壁にずらりと掲げられた花のつぼみの写真にiPhoneを向けるとディスプレイの中で写真のつぼみがふわっと開いて咲くのが見ていて面白かった。仕掛け自体はARとして他愛のないものだけれど、幾つもの花の咲く瞬間をしっかりおさえて撮影していたのを重ねて並べることによって、違う時間や違う花をひとつの空間に再現するというアイデアはなかなか面白かった。ほかにも星の王子さまの本の上に飛び出す絵本風にイラストを置いて、それをARで見るとイラストが動くのも飛び出す絵本の新バージョン的な感じがした。これも実際にAR飛び出す絵本なんかがあったりする中で他愛もないけど、アートの方面で提示することで新しい展開が見えるかもしれない。1枚の絵にこだわるのでもなくリニアな映像にこだわるのでもない中間を狙うといった。そんな可能性が感じられる展示だった。


【2月6日】 遅ればせながら小田一文さんによる第12回GA文庫大賞の記章受賞作「貴サークルは”救世主”に配置されました」(GA文庫)を読む。とあるアニを専門に描いているサークルは、1冊売れれば万々歳で10冊なんて売ったこともない零細ぶり。それがいきなり次の同人誌即売会で100冊売らないと世界が魔王によって滅ぼされるという事態に巻き込まれる。もちかけてきたのが制服を着た女子高生。もしかして単なる妄想でもってサークルの主宰を混乱させては互いに仲良くなっていくラブコメか? そう思わせておいて展開はマジでシリアスな方向へと向かっていく。

 ヒメという名の女子高生が魔王と戦う戦士で、滅びの運命に挑んでは貴い犠牲を払った上に最後は滅亡エンドを迎えてしまったのを遡り、また挑んでは滅びるという繰り返しを幾度となく経験してきたというヒメに、新たに与えられた予言が同人誌を100冊売れば魔王の出現を阻止できるというものだった。どうして同人誌を売れば滅亡が防げるのか、っていったあたりのズレ方がなかなかユニーク。とはいえ滅亡エンドを避けるためには弱小サークルの本を売れるようにしなくちゃいけないってことで、始まるヒメによる売れる同人誌作りのための猛特訓がなかなか面白くて為になる。

 作者の趣味として話が暗いのは仕方無いとして、絵を描く時間がないから背景が白すぎて手抜きと思われてしまうとか、アピールが足りないからもっとSNSで朝昼晩にイラストを上げてアピールしろとかいったヒメちゃんの編集者的なアドバイスがなかなか的確。いっそだったらもっと売れるカップリングにしろとまで言ったけれど、こればかりは描き手の精神に関わることだから曲げられない。それだけカップリングは厳しくも絶対にして尊いものなのだ、たとえ世界が滅びたとしても。

 とはいえ本当に滅びたら拙い中、頑張って描いた同時死は果たして100冊売れるのか。 初対面の打ち上げ宴会で絡まれていたところを助けた縁から関係が出来たものの、カップリングの相違で反目してからはなぜかウザ絡みするようになったメイドレイヤーとの関係がぐっと深まり、そして驚きの展開からどうにか魔王の発動は防げたものの、芽はまだ摘まれた訳ではなさそう。売れないと言われながらも頑なに守ったカップリングが世界を救ったとも言えるけれど、この琴線を崩すような事態があったら果たして世界はって思えたりもするだけに、今後の展開には注意が必要。スターナイトは救世主になれるのか。続きが楽しみ。

 日本を貶めるような行為があたっといって、あいちトリエンナーレの展示を批判しそれを認めるような言動をした大村秀章愛知県知事のリコール運動を立ち上げてはヤバいことをしたかされたかして大変な状況に陥っている美容整形外科医なら、日本の尊厳を貶めるような言動を放って世界から非難囂々の人物に対して即刻腹を切れといっても不思議はなにの、たいしたことは言っていないと擁護するところに裏表が見えて鬱陶しい。歳をといっていようが病気を患っていようが無休だろうがそれで日本を貶めても構わないと思う程度の国士を崇め、ついていっては裏切り者扱いされたり犯罪者にされてはたまらないよなあ、周辺も。それを改めて分からせる展開になれば良いんだけれど。どうなることやら。

 シシヤマザキさんの展示があるというので恵比寿の東京都写真美術館で始まった第13回恵比寿映像祭へ。本当だったらシシヤマザキさんによるラウンジトークもあるはずだったけれど、新型コロナウイルスの関係でオンラインになったみたいで当人にはお目にかかれず。とはいえせっかくのトークだからと展覧会をざっと見たあと、外に出てベンチに座ってネットでラウンジトークの中継を見る。

 先にシシヤマザキさんの展示について話しておくと、同じエリアにあのマックス・フライシャーの展示があってベティ・ブープのアニメーションが上映されていた。ロトスコープヲ使って動きを絵にしてアニメーションを作った先駆者が、同じロトスコープ使いのシシヤマザキと並べられているところにキュレーション側の文脈をおさえた意図が見えて面白かったし、シシヤマザキさんもなかなか嬉しかったみたい。始まったトークでやっぱりフライシャーは凄いってことを話してた。

 会場では短編を集めたモニターでの上映があって、2020年の作品で何かをやりたくなったら始めようとシシヤマザキさんが歌いながら踊るロトスコープのアニメーションも上映。やりたくなくても始めよう、待ってちゃだめだといった内容で、何かと億劫になりがちなこのご時世にとても元気づけられた。あと代表作のひとつとなっているYA−NE−SEN a Go Go」も上映されてて、ロトスコープの動きのリアルさを絵の表現の独特さで押さえ込んでポップな雰囲気に仕立て上げるオリジナル性が見えていた。

 そんなシシヤマザキさんの制作風景がラウンジトークの映像で流されていたのを見たら、撮影した映像から切り抜いてプリントしたものの上に、原画用紙とか動画用紙ではなくコピー用紙を重ねて下からライトをあててトレスしていた。タップ穴もないのに大丈夫なのかなあと思ったけど、それによって生じるゆらぎも含めて味になるってことなのかも。トークでシシヤマザキさん、「間違いが反映されていくことで、ただシルエットを描いているのではなく、身体と空気の交差を描いていると気づいた」って話してた。

 「自分が描いている像とか身体ははっきりしたものではない。後から気づいたが、空気を自分が動くことで押したりしているし、自分自身も細胞を入れ替え生きているのではっきりしていない。顔も自分の顔は見られない。イメージしたものが自分の像なんだんだ」。だから明確な輪郭を引いて少しのズレも歪みも認めないってことはせず、「空気も体もいっしょ」と感じて描いていく。「地と図の区別のない瞬間を楽しんでこねるような感じで作るのを意識している」。それが見る人に優しさと柔らかさとそして世界との一体感を抱かせるのかもしれない。

 藝大に入る時にキャリアとか未来の展望はどう描いていたかと問われたシシヤマザキさんは、「社会の中でどういうことをするかはイメージはしてなかったけど、絶対にオリジナルを作りたい、自分にしか作れない、かつ新しいものを作りたいということだけがあった」とのこと。大学ではデザイン専攻だったらしく周囲が広告会社なんかを目指していく中で、そうは成らなかったにも関わらずルミネの広告でいきなり有名に。「はからずも露出する機会を頂くことで自分のやっていることは何を表すかを意識せざるを得なくなった」と話していた。

 コマーシャルベースに飲まれることなく、かといって芸術にどっぷりと浸るのは大学院に進んでからのオリジナル作品の中で行いつつ、商業と個人の狭間をいったりきたりするのはまさしく、輪郭線を引かずに身体と空間とが曖昧に溶け込んでいる自身の作風のよう。そういうあり方をもったクリエイターが、もっと活躍すればアニメーションもより面白くなっていくんじゃないかなあ、「PUI PUI モルカー」もそんな1つだし。ちなみにシシヤマザキさん、今は「陶芸作品をロトスコープする」ことにも取り組んでいるとのこと。動くもの、変幻するものならロトスコープでアニメになるのか。ちょっと面白い。「立体を作る感覚は映像を作る感覚に近い。それが陶芸をやることでアップロードされた」とのこと。世界そのものをシシヤマザキさんの目でロトスコープして描いたら、どんなにぐにゃぐにゃとしてふわふわとして境目のないビジョンが出来上がるだろう。見てみたいかも。


【2月5日】 1週間前に親不知を抜いた痕がなかなかふさがらなくてじぐじくとした痛みが周辺の歯に広がって、ピリピリと痛いものの前もよく奥歯のあたりで肉が腫れ、周辺に影響を与えていたこともあったから抜歯痕がふさがれば治るだろうとここは思うことにする。朝方に歯医者さんに寄ったらとくに膿んでもいないようだったので、それを信じつつロキソニンをぶっこんでもうしばらく様子見。上あごの時は1週間と経たずふさがった記憶があるけれど、下は麻酔の効きも鈍いというから何か違いでもあるのかな、ほら、顎関節でつながっている関係で部位的に別だとかいった。それはさすがにないか。

 碧南市で3人の市議が愛知県の大村秀章知事のリコールをもとめる請求の署名を勝手に書かれたといって告発状を提出。弥富市議に続くものだけれどほかにもいっぱい名前を書かれた市議とか町議とかいるみたいなんで続々とあがってきたらさすがに名古屋地検なり愛知県警も黙ってはいられないだろう。でもって調べればそこには筆跡であり指印といった証拠がぞろぞろ。活字を切り貼りして手袋をはめて作る脅迫状とは正反対の書類を堂々と提出して、言い逃れが出来ると考えた人がいたとしたらリコールの中心にいた美容整形外科医が言う、リコールを妨害するために送り込まれたというスパイも余程の大戯けってことになる。

 だから慎重を期すならやらないことを平気でやってしまえたのは、署名簿が規定に満たずすぐさま返還されると分かっていただろう勢力だっていう話もまんざら信憑性がない訳でもなさそう。けれどもあまりに非道な不正が行われていたのを目にして、これは正義が許さないと立ち上がって告発したことから選挙管理委員会も黙ってはいられず返さないで調べたらぞろぞろと出て来てしまったって流れの方が、考えるに普通のような気がするけれどそれもまた戯けな話だからなあ。だからこれはどちらがより大戯けだったかって話。

 とはいえ当初にリコールの請求代表者は名前も住所もさらされるし、閲覧だって可能ですからご注意をと呼びかけてもらったにも関わらず、リコールを臆させる妨害だといって告発に動いたほどだから、推進派も事情をよく分かっていなかた気がする。どこの誰が描いた絵なのか。絵なんかなくて行き当たりばったりが破綻しただけなのか。いずれ告発が受理され検察なり警察が動けば分かる話だから、関わった人たちは首を洗って待つしかないか。期限とか分からないけれど、名古屋市長選が控えているだけに2月中には動くかなあ。そうでないと候補者に関わる話にもなりかねないし。

 フジテレビはあくまでも総集編的なものを全国ネットで放送する権利と、あと各エピソードを関東圏で再放送をする権利を得ただけであって関西圏では別に関西テレビが獲得して、各話を再放送していったのが「鬼滅の刃」に関する地上波展開の状況だとするならば、今後のシリーズにおいて何かイニシアティブを得たとは決して言えないってことくらい、状況を眺めていれば分かりそうなものなのに、なにを勘違いしたのか女性誌が「無限列車編」から先のエピソードは遊郭が舞台になるから、地上波では放送しづらいので設定を変えて欲しいとフジテレビがごねたなんて話を書き飛ばして、フジテレビへの批判を誘っているのが見ていてちょっと可哀想。

 そもそもがアニプレックスとufoableが集英社といっしょになって手がけたアニメーション。TOKYO−MXでの放送だっておそらくは出資なんて受けずむしろ電波を買うかたちで枠をとって自らスポンサーとなり放送しただけって感じだろう。そのあとで配信プラットフォームに作品を売りつつ集英社は単行本の売り上げで儲け、アニプレックスとufotableはパッケージだとかライセンスだとかで儲けることで回収するという今時のアニメビジネスを展開していたところに、アニメはテレビ局が出資して作るものだから、そこがゴネれば現場は言うことを聞くしか無いなんて旧態依然とした頭で記事を書いたものだから齟齬がでた。そんな感じか。

 もちろん遊郭が続く次のシリーズや、鍛冶の里での伊之助や善逸が出て来ない展開にファンは面白がってくれるだろうかと大人が想像するのも分からないでもないけれど、浅草でのバトルにだって善逸や伊之助はいなかったけれどファンはそれを普通に見て面白がっていた訳で、誰が出ていようとも物語全体、ストーリー全体で作品を楽しんでいるのだから逆に改編しようものなら原作ファンは離れてしまうと考えるべき。そしてアニプレックスの岩上淳宏社長もufotableの近藤光社長も、そうやって原作ファンの見たい物語をアニメファンも納得の形で映像化することで、「空の境界」をヒットさせ「鬼滅の刃」を大ヒットさせたのならここでテレビ局に折れるなんてことはない。

 可能性があるとしたら、「空の境界」の時のようなTYPE−MOONであり講談社といった原作や版元とは違って集英社側が、より広範囲でのヒットを狙うべくオリジナル要素を認めてしまわないかってところだけれど、原作者が認めなければ動くはずもないだろうからそこは安心して良いのかな、どうなのかな。2020年末のジャンプフェスタで次ぎのシリーズに関する発表があるかと思ったけれど、なかったのは今は「呪術廻戦」や「チェーンソーマン」で話題も続いているし「約束のネバーランド」も放送中な上、新型コロナウイルス感染症の影響でいろいろと決定も後ずれしているから急がなくても良いとう判断か。それで3年5年を間をあけて、てタイミングを逸するってことはないよう、制作に関しては箝口令が敷かれた中で進んでいるんだろうと思いたい。周辺でゴミ箱を漁って動画の描き損じを広うなんて猛者、出てくるかな、さすがにゴミでは捨てないか。


【2月4日】 ハッキングはまだしも空間を置き換えるだなんていったいどういう原理なんだと突っ込みたくなったけれど、そういうテクノロジーもあるかもしれないとここは思うことにしてAmazonPrimeVideoで見た「EX−ARM」は主人公が美少女アンドロイドに同化するだけじゃなく、腹筋がシックスパックに割れているパワードスーツにも乗り移っては自在に操作できるようになって活動の幅が広がった感じ。操作している時は知恵熱が出るのか脳を包んでいるケースから湯気が立つのが面白いけどあれはいったい何の水気が蒸気になっているんだろう。脳の水分だったらちょっと大変。カラカラになっちゃうよ。

 AmazonPrimeVideoには「PUI PUI モルカー」もやって来てちょっと賑やか。「裏世界ピクニック」とか「SK∞」とか「プレイタの傷」とか「バック・アロウ」とかもだいたいこっちで見ていたりする。「進撃の巨人 Final Season」とか「呪術廻戦」とかはNetflixでも見られるんだけれどここでやってくれないと、新作アニメをテレビで見なくなっている身としては、AmazonPrimeVideoに頼るしかないのでそこでいろいろと配信してくれるのは有り難い。Netflixの敷居が高くなっているのかなあ。オリジナルとか集めてはいるけれど、立て続けに投入してくれないといずれ離れていってしまうんじゃないかなあ。

 女性を混ぜると会議が長くなるとか暴言を吐いたことを全世界的に咎められたこともあり、これはもう障害にしかならないと自覚して潔く辞任し、辞任して総理を辞めた安倍晋三前総理に引き継ぐかと思ったけれども、誰も首に鈴をつけられなかったみたいで東京オリンピックの招致委員会は引き続き森喜朗元総理が会長を務めることになった模様。会見では一応は誤ったみたいだけれども逆ギレをして質問をする記者にイヤミなんかを吐いたみたいで反省の色はまったくなし。本当のことだと思って入るけど世間がやいのやいのというので一応誤っておくかといった程度の理解だから遠からず、同じ様な暴言を吐いて今度はいよいよ首を絞めるんじゃなかろーか。

 なんて思った矢先も矢先のBSフジテレビはプライムニュースに出演した森会長、「女性蔑視していたつもりはない。前後も全く切れてしまっている」なんて良い訳をしたみたい。前後が切れているどころかすべて完璧に伝えているところがあったりする訳で、そこからどこを切っても蔑視としかとれないから問題になった。そして完全撤回するどころか「根拠がなかったわけではないが」と今もなお信じている素振りを公言。これは良い訳がきかないレベルだろう。

 「外国まで細かく説明しにいけないので、撤回した方が早いということでお詫びをして撤回する」っておいおい、外国だって説明に来られても本気で撤回する気がない人間を相手になんかしている暇はないだろう。反省して撤回するんじゃなく問題になるから撤回するってそれは人間として1番やってはいけないこと。本心では女性が入ると会議が長くなると思い込んでいる人間をトップに据える東京オリンピックに、もはや協力する気はなくなったと女性の競技団体が参加を見合わせることだって考えられる。そうなったらそうなったで今度は気が短いとかいった批判を持ち出して来そう。本当にどうにかしないと日本が世界から見捨てられる。首に鈴どころか首を切るしかないんだけれど、菅総理にそれができるかな。

 1972年に小学校に入ってから1984年に高校を卒業するまで12年ほど名古屋市立の学校に通ったけれど、そこではトーチトワリングなんてやったことはないしやっていたのを見たこともない。いや、もしかしたらボーイスカウトのキャンプで着火のセレモニーとしてトーチを使っていたかもしれないけれど、両手にもって振り回すような真似はしていなかった。だって危ないじゃん。そんなことを学校でするはずがないにも関わらず、いつのことからトーチトワリングが名古屋市の学校行事で欠かせないものになっていたらしく、それで火傷なんかの事故が頻発していたらしい。

 さすがにこれは拙いということで名古屋市の教育委員会が中止のお触れを出したとか。遅いというかそもそもどうしてやらせていたのかが謎。そこはまあ組み体操だて散々っぱら危険が叫ばれながらも、誰もが一体になれるからといって続けられるのが学校行事。トーチトワリングも何か伝統と化した中で止めろと言い出しづらい雰囲気があったんだろう。あるいは教育委員会の偉いさんがトーチトワリングの推進者だったとか。得てしてそいういうものだ。止めてだったらどうするかといえばそれはやっぱりサイリウムを両手に持って振り回すのがいいんじゃないかと。右に左に上に下に。ついでにステップもつければなかなかの格好良さを発揮するんじゃなかろーか。楽曲は田村ゆかりさんあたりで、ってそれただのオタ芸じゃん。良いんだよ。


【2月3日】 宇宙ロケットが爆発炎上している映像が流れてきて、これは大ごとかと思ったら中継している人が笑っていたりして、何事だろうと調べたらイーロン・マスクのスペースXがロケットの打ち上げ実験をして12キロくらいまで持ち上げてからそのままの姿勢で着陸させようとして失敗し、激突して爆発したと判明。リフトオフさせることはできたという意味で実験データはとれたし、そのまま着陸させようとして失敗した経緯から、何かが悪かったといったデータもとれたならそれは進歩。スケールがでかいだけに驚きもあったけれど、それをどうとも思わない財力があり、成果もあったってことなんだろう。こういう余裕がないと新しいことって前に進まないものなのだ。それが出来る国なり企業はすごいなあ。日本はもう無理だ。

 愛知県の大村秀章知事に対するリコール請求を行うための署名活動で、勝手に名前を書かれたといって弥富市議の5人が被疑者不詳で告訴したという話。最大会派の保守系議員8人のうち5人も名前が使われていた上に、ひとりは市議会議長だったというから勝手に名前を書いた側も側というか。保守系だからといってリコールの発端となったあいちトリエンナーレでの展示に異論を唱える必要はないし、それを言うなら大村知事だって保守系だけれど表現の自由、そして法に基づいて執行されている事態への不介入を旨とするなら信条と施策とは切り離して考えなくちゃいけないから、弥富市議もそうした判断の下、署名をしなかったということになるのかな。

 にも関わらず、しっかり名前を書かれていたというからいったい誰が書いたんだって話になる。選挙を経ているから名前も生年月日も住所すらも明らかにはされているんだろうけれど、それを知っていたからといって書いて良いわけではないし、押印なり指印が必要な書類を勝手にでっち上げたのならそれは偽造にも繋がる行為。告発を受けた名古屋地検が受けて取り調べに入るかはまだ未定だけれど、指印が押されているならそれは指紋であって証拠として立派に成立するはず。私文書偽造なり地方自治法違反なりといった犯罪行為を立証する指紋を、ふつうだったら拭き取るところを逆に堂々と押してしまって平気な神経が笑えるけれど、そういうことを考える暇もなかったんだろう。あるいは教えてもらっていなかったとか。

 リコールの中心になっていた美容整形外科医の人は、誰かが署名簿を抜き取って問題点があるってことを喧伝しでメディアに売り込んでいるのはケシカランと言っているけれど、弥富市議の人たちの場合は抜き取ったものから調べて見つけた訳じゃない。自分の名前が勝手に使われていないかを調べた上で見つかったという訳で、立派に提出されたものだからドロボウ呼ばわりもできない。他にも続々と似たような件が取り沙汰されてくるだろうと想像すればできるにも関わらず、盗み出された署名に偽造があったといった筋の悪すぎる筋書きを、主張し続けるのはそれが筋の悪い話だと理解できていないのか、そう言い続ければ周囲は信じてくれると思い込んでいるのか。ちょっと可哀想になってきた。

 思い込みの激しさもあるのかもしれないけれど、そんな当人をこれまたジャーナリストの人が筋の悪い方向から応援し続けるのはいったい何だろう、応援するだけ嬉しいことがあるのかそれとも本気でそう思って入るのか。打算だったらみっともないけど本気だったらそれはジャーナリストとしてマジやばい。今日も今日とて「リコール運動の中にいかに敵陣営の人間が入り込んでいたかは高須院長がどれほど巨大な敵と闘ったかの証明でもある」とかつぶやいて、リコールを邪魔したい勢力が入り込んで偽造の署名を大量につくって紛れ込ませたんじゃないかってな雰囲気を醸し出そうとしている。そういうレベルを超えてるんだって。それが出来るのは敵じゃなくって味方だけなんだって。考えれば分かる話を考えないでいる理由。そっちの方が明らかにされるのを「じっくりと見させてもらいましょう」。

 これだけ失言が連発されているのに引導を渡せないのはなぜなんだろう。東京オリンピックの大会組織委員会委員長を務める森喜朗元総理が、こともあろうにJOCの臨時評議委員会という場で、オープンにされているにも関わらず「女性がたくさん入っている理事会は、理事会の会議は時間がかかります」と言ってのけた。こういう失言が伝えられる時、場合によっては発言の言葉尻をとらえて針小棒大に報じている場合もないでもないけれど、それでも女性をことさらに区別し侮蔑する発言であって、許されるものではない。それを衆人環視の場でいってのける神経が分からない。

 「結局、あんまりいうと、新聞に書かれますけど、悪口言った、とかなりますけど」と分かっているなら言わなきゃいいのに、言ってしまうのは言って当然という心理が心の中にあるからだろう。「女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげていうと、自分もいわなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」っていったい何か定量的な分析を経た上での発言なのか。「女性を必ずしも数を増やしていく場合は、発言の時間をある程度、規制をしていかないとなかなか終わらないで困るといっておられた。だれが言ったとは言わないが」って他人の発言にしているけれど、それを取りあげ言った以上は同意したも同然。以後は責任がかかってくるだろう。

 これだけ言われて、日本ラグビー協会なりJOCなり大会組織委員会に入っている女性の理事や委員はいったいどういうリアクションを見せるのか。そして推進する立場にあるJOCとその上部団体にあたるIOCはどういった見識を見せるのか。もはや一個人のパーソナリティを超えて日本という国が、どういった意識を持っているかが問われる事態になっている。東京オリンピックの開催を危ぶむ動きがあることに、「問題は世論とコロナ」と言ってのけて、状況を不安視する人たちを無視してでも強行すべきだといって世界中から呆れられていることもあるだけに、ここでピシッとしないと日本という国が異常だと思われかねない。菅総理は決断できるのか。しなさそうだなあ。やれやれ。


【2月2日】 154年ぶりに2月2日が節分となったらしく、街はスーパーもコンビニも恵方巻きにあふれてちょっとした賑わい。稠密な大行列まで出来ていて、帰ってさっそくパックを開いて恵方巻きを食べるような人も出そうな状況で、いくらしっかり手を洗いうがいをしたって着替えてシャワーを浴びるわけでmないなら、いろいろとくっついたものが拡散されて感染を広げるようなことも起こりそう。これが去年の3月4月あたりだったら、そもそもスーパーにもコンビニにも人なんていなかった。そういうところの“緩み”が今の爆発を引き起こしているのかもしれない。そしてこれからの。

 節分と言えば鬼で、鬼といえば「鬼滅の刃」なんだけれど世に出たらしい「鬼滅」関係のロールケーキとかは目にせず。豆関係のアソートは随分と前に見たけれどすっかり売り切れてしまって肝心の節分には手に入らなかった。それだけ人気ってことか。いっそだったら節分の日を西洋のハロウィンにならって鬼のコスプレをして練り歩く祭りにしてしまって、町にはそれこそ「鬼滅の刃」の鬼たちや、「呪術廻戦」の呪物たちに分した奴らが百鬼夜行と称して溢れ出したら面白かったかもしれないけれど、これも新型コロナウイルス感染症のご時世では誰も言い出せずやらないで終わってしまって寂しいところ。見たかったなあ、そんな全員が鬼舞辻無惨さまも含めて口に禰豆子よろしくドレスコードの恵方巻きを加えている姿を。

 愛知県の大村秀章知事に対するリコール運動で、無効となる署名がそれこそ全体の8割以上の割合で見つかったという件に関してとある女性ジャーナリストの人が、どこかの誰かが勝手にそう解釈した、たった1人で32万票もの署名を書いたなんて話を持ち出して、ありえないなんてつぶやいている言葉を引用して、原作が映画にもなった男性ジャーナリストの人が「24時間ぶっ通しで続けても226日、1人30秒でやったとしても113日要する」「記者は選管の話に“疑問”を抱かないのだろうか」とつぶやいている。ジャーナリストなんだから疑問があるなら聞けば良いのに聞かないのは、聞いたら違うと分かってしまって、それを書かねばならなくなって、1人じゃできないから不正はなかったなんて印象を醸し出せなくなるからなのか。

 そもそもが1人が32万なり名古屋市の11万を書いたんじゃなく、同一人物が書いたから無効と思われる署名がそこにもここにもいっぱいあったという話であって、書いただろう人間は何百何千にも及ぶだろうことは、想像できるし分からなければ聞いて確かめることだってできる。それをしない女性ジャーナリストの言を、やっぱり確かめない男性ジャーナリストの連鎖によって遠いアメリカでの大統領選挙に対する不正との印象は広められても、日本ではちょっと無理筋すぎるという感じ。さっそく散々突っ込まれているけれど、それで動じないところに、どうしても不正などなかったか、あってもリコールの運動を分断したい勢力の謀略にした雰囲気が感じられる。

 某所では請求代表者の人でトランプ支持というところでどうにも思想的には美容整形外科医を中心としたリコール推進派ではあるけれど、こと愛知県の大村知事に対するリコール運動においては、純粋にリコールの署名を集めて回った人たちとは違ったところで、何者かが動いて大量のどうやって作ったか分からない署名を純粋にして正当な署名に混ぜ合わせ、提出したんじゃないかってことを推察している。街頭での集まり具合に比して多すぎた選挙管理委員会への提出分はどこから現れたのか、ってところ。

 そんな推測が成り立つ動きも警察だって検察だってつかんでいないってことはないし、そもそも拇印なんか押していれば指紋だって採取されている。どこの誰がやったかなんてすぐ分かるなら、どうしてやったかもきっと把握されているんだろう。そう想像すればとても味方なんてしづらいリコール運動に未だ肩入れしつづけるジャーナリスト諸氏はいったい何をそこまで信じているんだろう。あるいは信じなければいけない状況にあるんだろう。そこが気になる。ご本尊の美容整形外科医の人は、もしかしたら周囲にそう吹き込まれ高められる中で本気で信じているのかもしれないけれど。やれやれだ。

 「進撃の巨人FINAL season」の最新話「凶弾」がネットの方でも配信されたので見たらサシャが撃たれてた。割と中心的なキャラクターで時にコメディリリーフ的な可愛らしさも見せていたけれど、死ぬ時はあっさりと死んでいくのはそれだけ物語がシリアスでリアルなものに寄っているってことなんだろう。ヒロイズムだとかいったものとは無関係に人は死ぬ。自分たちが正義と信じているガビとファルコは飛行船に上がっておぞまし過ぎる大人たちの事情を目の当たりにする。そんな状況へとシフトして誰が本当に悪いのかすら分からなくなる関係を、描くのにMAPPAのシリアス路線は適していたといった感じ。でもちゃんと立体機動装置のアクションも描いているところは流石。漫画は次の掲載分で終了だけれどアニメは最終刊の発売あたりで完結を目指すのかな。追ってそして見極めたい、その結末を。


【2月1日】 なんと古谷敏さんのサインが入った「ウルトラマンvsアントラー」な画像入りTシャツとか、古谷敏さんのサイン入り書籍「ウルトラマンになった男」とか、古谷敏さんのサイン入りポートレートとか、古谷敏さんが当時の撮影秘話を語ってくれる権とかも用意されているクラウドファンディングが登場。10年目前の東日本大震災で被害を受けた水産業者が、どうやって復興していったかをたどるドキュメンタリー映像を作ろうとしている制作会社があって、そこが「テレビは伝えない! 震災直後から撮り続ける復興記録 10年間の集大成を完成させたい」として募集を行っていた。

 どうしてウルトラマンなのかといえば、制作会社を率いている人がかつて「ウルトラQ」や「ウルトラマン」のスクリプターを務めていた田中敦子さんという人だから。過去の縁もあって古谷敏さんに登場を願ってそういったファンにも通じるようにしたらしい。庵野秀明さんが企画・脚本を務める「シン・ウルトラマン」でも初代のウルトラマンが見せていた古谷敏さんが中に入っての背格好を再現してたりするだけに、そんな年にある意味で相応しいリターンが用意されているってことになる。本意自体も震災からの復興の記録としてとても重要だったりするからどうにかしたいもの。オールイン方式だからプロジェクト事態は進められるのだけれど、ウルトラな人は何かして差し上げて下さいな。

 25年とかそんなもんぶりくらいの、PHSがない日本がやって来たってことなのか。1月31日をもって最後までPHSを提供していたY!mobileがサービスを終了したことで、1995年から日本でも始まったPHSによる通信ができなくなってしまった。最初に手にしたケータイ的なものがPHSを使って「たまごっち」を遊べる端末だった「たまぴっち」で、以来DDIポケットがウィルコムになりイーアクセス敬宇でヤイモバイルとなっても、京ぽんと呼ばれた京セラ製の端末や、キャンディカラーが評判だったHONEY BEEなんかをずっと使ってた。

 データ通信のカードもウイルコムのAIR EDGEを使っていたからもうPHSづくしのモバイルライフだったけれど、2021年の1月31日でもってサービスを終えると発表されたこともあり、またSMSでもって認証が頻繁に行われるようになったこともあって流石にPHSでは拙いと2019年の5月にケータイへと切り替えて個人的なPHSライフは終了。そして約2年でサービスも終わってこれで家にある端末が復活することもなくなった。ありがとうPHS。結局何機くらい使ったんだろう。20年で6台くらいかなあ。

 思い出深い記憶では「たまぴっち」を持った時がまずあるけれど、それ以上に2011年3月11日の東日本大震災で、日本に激震が走って携帯電話がまったく繋がなくなった時でも、手にしていたPHSは不思議と繋がって実家に直後に連絡をとって安否を報告できた。すでに利用している人が少なくなっていて、携帯ほど輻輳が起こらなかったってことがあったんだろう。数日間は繋がりにくかった携帯と違って、ずっと繋がっていたからその意味では安心できた。今はスマートフォンが普及してWi−Fiネットワークも広がって輻輳とかあまり起こらないからPHSである必要もないし、そもそも利用者が少ないならその周波数帯を他に回す必要もあったんだろう。今後は何に使われるのかな。良いことに使われて欲しいな。

 とある漫画家さんと血盟でも結んでいるのか言うことの方向性がまったく同じライターの人が、とある漫画家さんによる昨今の主張であるところの、新型コロナウイルス感染症は10代20代の若者は感染しても発病しないし発病しても気にするほどのものでもない、インフルエンザに遠く及ばないものであってマスクなんてせずにどんどん外に出ようぜっていったオピニオンに沿ってのものか、千葉で20代の若い人が新型コロナウイルス感染症で亡くなったことについて、なるほど既往症はなかったと言われていても、肥満だったらしいからきっといろいろ既往症があったんじゃないのって主張していた。なにがなんでも普通の20代は新型コロナウイルス感染症で亡くならないことにしたいし、しなくちゃいけないんだろうなあ。もはや信仰のレベルかも。やれやれ。

 名古屋市に関する調査も終わって愛知県の大村秀章知事をリコールしたいといって呼びかけたリコール実施を求める署名の全容が愛知県選挙管理委員会の調査によってだいたい判明。すでに名古屋市以外でも8割近くが無効だったことが分かっていたけど、名古屋市もだいたい同じ比率で無効だったもよう。トータルで43万ほどの署名のうち、36万ほどが無効だったというだけでも驚きだけれど、同じ人が幾つも幾つも書いた署名じゃないかと思われるものが有効とは認められない署名のうちの9割もあったというから、単に書き間違いといったレベルではない。

 いったいどうやってそれだけの人数の名前と住所を掻き集めたのかってところで、ひとつ問題が生じるし、そうした不正とも言える署名を行ったこと自体も公職選挙法でもって罪に問われる犯罪行為。ほかにも選挙人名簿に登録されていない人の署名が半分近くあったり、選挙人名簿に登録されていない受任者によって収集された署名も4分の1くらいあったというから、やっぱりミスからの無効というより意図的な不正が行われたと言えるだろう。だったら誰が、ってところでおおよその予想はつくけれど、そうした蓋然性からの推測を当事者はまったく認めようとしていないから始末が悪い。

 まあ、当事者としては認めたくないんだろうといった理解は及ぶけれど、一応はジャーナリストを名乗っている人がこの後に及んでデマをまき散らしては謀略があったんじゃないかと喧伝しているから始末に終えない。何が「の」を「―」と書いたものでも無効になるだ。そんなことはないと突っ込まれまくっているのに、持論は引っ込めず単なる記入ミスを不正と言って印象操作しているんだといった雰囲気を作り出そうと、文字通りの印象操作を行っている。そして、そうした不正をするような輩だといった印象を植え付けるための謀略が行われたといった、およそあり得ない持論を繰り出して苦笑を浴びている。ジャーナリストなら調べれば良いのに。それができなくても推論すれば事情くらい察することができるのに。それをしないのかできないのか。したくないんだろうなあ、生き方として。さすがに官憲が動いて逮捕者が出れば何か言うかな。当事者にならない限りはばっくれるか。アメリカ大統領選でのデマに対して海外から鉄砲玉でも飛んでくれば改めるかな。


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