縮刷版2021年12月中旬号


【12月20日】 新宿に出たついでにビックカメラでバルミューダのスマホとやらを見たけれども何というかガジェット感が薄くかといってスマートさとも縁遠い感じで持ちたいという気が起こらない。つるりとした裏側は初代のiPhoneを思わせるけれどメッキでぴかぴかだったiPhoneとは違って黒い樹脂では手に馴染んでもありがたみがない。画面の方もフラットな上に狭くて見にくくカメラとしても役立ちそうな感じがない。これでブラックベリーのようなガジェット感でもあれば触っている俺カッコ良いと言えたかもしれないけれどそれもない。誰が買うんだろう。使い勝手はどうなんだろう。気になるけれど気にしないうちに消えてしまうかな。

 船橋市に住んでいる漫画家の人が愛知県警の豊田警察署に児童ポルノの輸入・所持で逮捕されたと聞いてサリー・マンだとかジョック・スタージスといったアーティスティックな写真集が日本の法律にひっかかったのかと思ったら、割とガチの雑誌めいた写真集だったのでこれはアートだといった議論からは外れたものだととりあえず理解。サリー・マンもジョック・スタージスも児童ポルノだ何だと騒がれ虐待だ何だと批判されたけれど、ナチュラリストたちの日々を捉えた芸術性も備えた写真集ということで生き残り、日本で展覧会なんかも開かれている。

 対して逮捕された漫画家さんに関連した報道で、映し出された写真集は系統としてはヌーディストビーチをとらえたものだからナチュラリストの日々と似通ってはいるものの、とりわけそういった傾向のものばかりを選んで購入していた感じがあって、カタマリとしてチェックされ摘発された可能性が割と高そう。もうちょっとバラして全体の中に紛れ込ませればバレなかったかどうかは分からないけれど、厳然として法律がある中で摘発された以上は捜査や裁判を経て潔白なら潔白を、認めるなら認めることを訴えて決着をつけつつもう1度、漫画家として活動をしていって欲しいもの。船橋市民として成り行きを見守りたい。

 宮澤伊織さんの「裏世界ピクニック7 月の葬送」に寄せられた後書きで、宮澤さんが汀さんにはモデルがいてコスプレイヤーの美少女さんだ書いていた。スレンダーで独特の容貌ですっと屹立して存在感を持ったコスプレイヤーさんだったらしく、池袋のハロウィンで「呪術廻戦」の七海健人を演じて思考もセリフもなりきった姿を見せたと評判になってからまもなく、亡くなったことが公表されて世間を震撼させた。そんな美少女さんがモデルと知ると裏社会に通じていそうで優しげだけれど凄みもある汀さんのキャラクターに血肉が加わりグッと実在感が増してくる。いつか実写化の折には……なんて想像してもすでに不可能ならせめて、その雰囲気に似た方を選んで実写ドラマなり映画にして欲しいなあ。

 さて「裏世界ピクニック7 月の葬送」ではすべての元凶、閏間冴月との対峙が描かれ鳥子と空魚と小桜がそれぞれの過去に対して決着を付けていく。実話怪談の記録集的なエピソードというよりはストーリーにひとつの区切りを付けるといったところで、ここで冴月が退場となって潤巳るなの問題も解決したストーリーで浮かび上がるのは鳥子と空魚の超絶的百合関係。その百合百合しさが炸裂して後、いったいどのような裏世界でのピクニックが繰り広げられるのか。さらなる敵が現れ2人を裏世界のさらに奥へと誘うのか。期待大。その前に涼芽に扉を全部ふさがれちゃうかもしれないけれど。「すずめの戸締まり」という映画によって。

 直しが終わって届いたJプレスのスーツを着こんで銀座へと出かけてインタビュー取材を1本。とても綺麗な方との会話をしているだけで緊張してしまう小心者だけれど、とりあえず聞きたいことは聞けたのであとはこれをどう取りまとめるか考えないといけないなあ。そのまま「マトリックス レザレクションズ」を見に行きたい気もあったけれど、読まなければいけない本とかあったので帰宅して寝たら12時間が経っていた。ちょっと寝過ぎな感じだけれどインタビューで脳を使ったから仕方ない。歳だしなあ。休めるなら休めるうちに休んでおこう。


【1月19日】 ザワザワとしたネットの状況に目をこらすと神田沙也加さんが重体との報。やがて亡くなったとの話も伝わってきて驚きが呆然へと代わる。状況から取りざたされる要因はさておいて、「アナと雪の女王」でアナの日本語吹き替えを演じ歌も唄ってそのセリフの上手さ歌の上手さに声優として、歌手として、女優としての可能性を大いに感じていただけに、ここで断たれてしまうことへの残念さが強く浮かぶ。

 元より声優として、あるいはアニソンシンガーとしていろいろと活躍もしていたから、実力は分かっていたけどメジャーな場所での存在感をアピールして、これで松田聖子さんと神田正輝さんの娘であるといった色眼鏡からも外れて、独立したアーティストとして大いに称揚されるだろうと確信していた。神田正輝さんがもはや旭輝子さんの息子だといったことを、誰も知らないでその存在を認めているように。実際に今回の件ではじめて、神田沙也加さんが松田聖子さんの娘であることを知ったという人も少なからず居た。だからこそ勿体ないし寂しくて仕方が無い。

 覚えているのは「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」の上映で、テレサを演じることになって舞台挨拶に登壇したのを取材した時。ちょうど村田充さんとのご結婚が発表された時期で、結城信輝さんが描いた似顔絵の色紙をもらって嬉しそうにしていたのを写真に撮って記事にしたっけ。結婚自体は2年ほどで終わってしまったけれどもミュージカルの舞台で活動していた村田さんを伴侶にしつつ、そっち方面で活躍していくことを強く意識したのかなと感じたものだった。そうした流れの一環として「マイ・フェア・レディ」の主役を射止めて全国を回ることになったのに、どうして……。振り返っても還ってこないけれどそれでもやっぱり浮かぶ寂寥。せめて安らかにと冥福を祈りたい。

 2021年のアニメ映画を総括する関係で1度だけ見て凄さだけ記憶に残っていた「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」をもう1度確認の意味も含めて見に行く。途中、時間があったので新宿三丁目の地下にあるファーストキッチンで原稿を書いていたら近くに座っていた学生らしい男子や女子がマスクもしないで大声で喋っていた。見渡すとマスクを外した人が結構居たりして、増える人出も含めてこのままだといずれ第6波もやってきそう。

 オミクロンカブはデルタ株ほど重症化はないと言われているし、日本に限ってはワクチンの接種も進んでいるから第5波ほどの被害はでないかもしれない一方で、感染力は強いというから感染者数は結構な人数出るかも知れない。年末年始には影響しないけど2月に入って緊急事態宣言となったら公開が決まった「鹿の王 ユナと約束の旅」がまた延期となてしまうと、ちょっと厳しいのでこのまま推移して欲しいもの。でもどうしてマスクを外して大声で会話できるのか。きっとどこかで心のタガが外れてしまっているんだろうなあ、周囲を意識するといった。それが行き過ぎると気が滅入るけど気が利かなさすぎるのもやっぱり痛い。良い案配はないものか。

 「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」は2度目でもやっぱりなかなかにショッキング。ストーリーの筋としては99期生の9人の中で2人組が4組でそれぞれにしがらみだとか感情だとかをぶつけ合って戦っては決着をつけていくといった感じ。それを清水の舞台の上でデコトラを並べて表現したり、アンチボルド風に野菜や果物で作られたキリンが炎上したりとシュールなビジュアルでぶん回して気持ちを上げたり吹っ飛ばしたりする。どう表現するかを考えながら絵コンテを切った人は楽しかっただろうなあ。でもどうやれば驚かせられるかって考えるのもキツかったかな。まだ9人の関係性が良く理解できてないんで、もう1回くらい見ておくのも良いかな。


【12月18日】 第74回毎日映画コンクールではスポニチグランプリ新人賞の女優部門で「サマーフィルムにのって」の伊藤万理華さんと「いとみち」の駒井連さんがノミネートされていて気になるところ。どちらにも差し上げたいけどどちらかとなるとうーん、やっぱり迷うなあ。「由布子の天秤」の河合優美さんも「サマーフィルムにのって」に出演していただけあって推したい気分。一方のスポニチグランプリ新人賞の男優賞は「サマーフィルムにのって」の金子大地さん推しで是非。

 謎めくのは毎日映画コンクールに「子供はわかってあげない」が俳優も監督も音楽も何もかも一切ノミネートされていないこと。上白石萌歌さんくらいはあの圧倒的な演技力で取り上げられていて不思議はないんだけれど、そうはいかないところがメジャー指向の映画祭ってところなんだろうなあ。いやもちろん「子供はわかってあげない」だって立派にメジャーの映画なんだけれど、青春キラキラムービー扱いされてしまっているのかもしれない。そういうところが映画界にもあるし、ライトノベルをなかなか認めない文芸界にもあったりするんだよなあ。文化って面倒くさい。

 何かの為の覚え書き。シリーズ全体を取り込んで決着が付けられたという意味では、2005年からテレビアニメが放送された「交響詩篇エウレカセブン」にも、11月公開の 「EUREKA/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」で一応の幕引きが測られた。スカブコーラルという異種生命体を相手にロボットが空中をサーフボードで跳びながら、ハウスだったりテクノだったりといったクールな音楽をバックに戦う中で、レントンという少年とエウレカという少女が純愛を繰り広げる。そんなストーリーだったテレビシリーズの世界観を、劇場版や新シリーズで繋いできた。

 そして2018年、テレビシリーズをやり直すという「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・序」のような構造の「交響詩篇エウレカセブン/ハイエボリューション」を繰り出した京田知己監督だったけど、続く「ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン」で地球を舞台に石井・風花・アネモネという少女が謎の物体「エウレカ」と戦うという未知のストーリーを投入。その続きとなる「EUREKA/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」でテレビシリーズも含めた世界観を集約し、決着させた。

 サーフィンやテクノといったカルチャーへのオマージュは薄れ、大河原邦男さんデザインの重量感あるロボットが宙を驀進するような展開が、サブカル的な雰囲気ではなく純愛物語としてのシリーズの要素を濃く感じさせた。京田監督がやりたかったことをやり切って幕を引いたと言えば言えるのかもしれないが、賛否は分かれそうだ。こんなところかなあ。1年のアニメ映画を振り返る上で「シン・エヴァンゲリオン劇場版」と並び重要だと思って取り上げる方向で考えているけれど、世間的には並び立つ作品かどうかはちょっと不明。どうだろう。

 実施規模が拡大されたのか新宿とかでは売り切れになっていたPerfumeのライブを中継で見る「Reframe Tour 2021 ライブ・ビューイング」が池袋のTOHOシネマズ池袋でも実施されるとあって、日付が変わると同時にチケットを確保し最前列のセンターでスクリーンを見上げるようにして観賞する。ライブ会場で見るよりもでっかいあーちゃんのっちかしゆかを目の当たりにできるのは最高。同時に結成から21年という年輪も感じさせられるものであった。スラリとしてミニスカートからニョッキリと足が伸びている時代のライブをライブビューイングで見たかったなあ。いや前に1回見たっけか、ワールドツアーの中継を。

 「Reframe」は過去のライブとかインタビューとかさまざまな記録とかをライゾマティクスがデータとして取り込み再構築するライブで、どことなくPerfumeのメンバーが部品として扱われているところがあって、アーティストとしてのPerfumeを見たい気分で行くとちょっと肩すかしを食らうところがある。もっと前面に出てダンスと歌を見せてくれって気になるけれど、それは1月から始まるようなツアーでってことなんだろう。最後の1曲はちゃんと前で歌ってくれたし、終了後は3人でトークも聞かせてくれたから人間味は感じられた。今度のツアーはチケット買ってないけどライブビューイングとかやってくれたら行きたいなあ。最前列で見たいなあ。いろいろ見えると良いなあ。何が? それは聞かない約束で。


【12月17日】 調べたら大阪のサンケイ総合印刷はしばらく前に食材をまとめて配達するタイヘイファミリーセットで知られるタイヘイと、その子会社で印刷をやっている真生印刷に株式の8割を売却して、そちらの傘下になっていたみたい。つまりはそのサンケイ総合印刷(大阪)に事業と人員を譲渡したことで、フジサンケイグループから「サンケイ総合印刷」という事業体はなくなってしまって、チラシだとかフリーペーパーだとかカレンダーだとかを印刷するセクションも失われてしまったってことになる。

 確かに分野として紙への印刷はなかなかに厳しい状況にあったけど、それでも大手メディアグループをバックに持ち、連動も効いたはずの会社が事業を実質的に整理しなくてはならないくらい厳しさが増していたのかそれとも、バックの新聞社に仕事を流すだけの集約力も媒体力もなくなってしまっていたのか。そのどちらもなんだろうなあ。本体に近いところにはまだ産経新聞制作および産経新聞印刷が残っているけれど、こちらは新聞と表裏一体のところがあるから逝く時は共倒れって幹事かなあ。フリーペーパーをオウンドメディア的なサイト展開にするだけの甲斐性があったら生き残れたかな。

 それにしてもタイヘイはほかにも印刷会社をいっぱい傘下に収めていったいどんなグループを目指しているんだろう。決して好況な業種ではなくそれは別の柱にしている旅行業も同様。それなのにいろいろ持つのはどこかに成算があるってことなんだろう。2020年4月にサンケイ総合印刷(東京)に採用されて1年で会社がツブれて大阪に統合された上にフジサンケイグループから外れた新入社員もあるいは、そうしたより大きなグループの中でいろいろと頑張っていけると思いたいし、そでなければ可愛そう。毎日の食事がタイヘイファミリーセットの美味しいメニューだと良いな。

 大阪の北新地でビルが放火されて大勢の方が亡くなったとの方。メンタルクリニックで心が落ち込んで苦しんでいる人たちが、どうにか社会に戻ろうと集まってリワークプログラムを受けようとしていた時だったらしく、それほど広くない場所に大勢が入っていたことも亡くなられた人の数を増やしてしまった。どうにもこうにも傷ましい。入って来た人物が蹴飛ばした紙袋に引火性のある液体が入っててそれが爆発的に燃えたみたいで逃げようにも逃げられなかったあたりに2019年7月のことを思い出す。そうした記憶もあるいは当事者にはあったのかもしれないけれど、どうしてそんなことをしでかすに至ったのか、そこはやっぱり知りたい。あれだけの悲しみを呼んだことへの共感より、自らが怒りを一心に背負う立場に陥ることを選ぶ心理はどこにあったのか。そうならないためにも、そうしたことが起こらないためにも解明されて欲しい。

 「ラブひな」の赤松健さんが自民党から参院選に立候補するかもしれないという話で、よりによって自民党なのかとも思うものの野党に入って何ができるかというと反対しかできない上に阻止できない多数決のこの状況で、敢えて野党に入ってアジテーションを繰り広げるよりは中にあって支持率をバックにより良い政治を実現する方がファンにとっても得策だといった判断があったのかもしれない。実際に山田太郎参議院議員は自民党の議員という立場から表現規制の問題に取り組み、そして今“親学”な連中がよってたかって戦前的な懐古趣味に溢れた家族観で世の中を染めようとして「こども家庭庁」にねじ曲げようとしている「こども庁」を守ろうと頑張っている。

 家庭に居場所がなかったり虐待されていたりそもそも家庭から見放されているようなこども、その単体にして個人の尊厳を守り慈しんで労ろうとしているからこその「こども庁」に親権だとかしがらみだとかで口を挟んで抑圧する「家庭」を持ち込むのは本歌取りとか本末転倒とか託卵だとか簒奪だとかいった言葉ですら生ぬるいくらいの間違いだったりすることを、ちゃんと分かって動いてくれる人がいる安心感。だからどうなるかは分からないけれど野党が審議拒否したって逆に進められかねない動きを、支持率をバックに止めてくれるのならそれが自民党で何が悪い、といったことが赤松健さんにも起こるといった考えだろう。本当にそうなるか、あるいはスポーツ庁周辺に集まるような人たちみたいなライティな感覚と体育会的心性で諾々と従うだけになるか。そこは当人次第だろう。とりあえず見守るしかないな。

 お仕事があって信州は上田へゴー。山の中だから寒いと思ったら駅を降りると日が照ってポカポカしていてダウンのベンチコートはいらなかった。でもだんだんと寒くなってきたからやっぱり必要だった。そしたら午後になって温かさが戻って来たから着なかった。山の天気はなるほど変わりやすい。取材まで時間があったので神内家の門があるという上田城に行ったらなるほど確かに神内家の門があったけど中に家はなく先輩も待ってくれていなかった。残念。天守閣はずっとないようで櫓が一部に残っていて盛り上がった場所から周囲を見下ろすとこれは難攻不落なのもちょっと分かった。平城に見えて堀とか深く掘ってあるしなあ。もちろん城下を迷路状にしたことも難攻不落に拍車をかけたんだろうけど。今はそこまで複雑な路地はないけれど、曲がっていたりする通路がそんな時代を感じさせてくれた。見上げても衛星は振ってこなかった。残念。


【12月16日】 国土交通省による建設受注の書き換えというか上積みは蓋然性としてGDPを良く見せたいというどこかの思惑があって、それならと現場が応えて中央官庁から末端へと指令を飛ばして受注を多く見せようとしたって筋書きが浮かぶんだけれど、それを追求しようとしたら結局のところは当時の安倍政権が外面の良いところを見せようとして、景気は回復基調にあると言いたいがために良い数字を集めようとしたんだって話になって、ほかの官庁でも行われていた統計偽装のひとつが国交省でも行われていた“だけ”って話になってしまう。

 だったらそれを安倍政権が認めるかというと、やっぱり他の統計偽装と同様に自分たちが何か指令を下した訳ではなくって、下々が上にいい顔を見せようとして頑張っただけで自分たちは知らなかったなんて言い訳をすることも前例が示していたりする。李下に冠を正そうとしないまっとうな為政者なら、それでも部下がそんな大それたことをやったのなら自分の態度が悪かったといって謝り首を差し出すものだけれど、根性もなければ度胸もない元総理は自分は知らない無関係だと逃げ回るのがオチ。そうしたやりとりで国会を空転させる虚しさを誰もが覚えているんだけれど、そうやって呆れて諦めてしまったことで数々の不正が不問に付されていった果て、大勢の命が失われてしまったのならやっぱり責任はとことん追及したいなあ。天は見てたって何もしてくれないんだから、秋霜烈日か桜田門に頑張ってもらうしかないんだよ。

 第75回毎日映画コンクールの候補作が発表になっていて、アニメーション映画賞・大藤信郎賞にもズラリと候補作が並んでいた。とはいえタイトルだけで誰が監督なのかがさっぱり分からないので、調べていったらなるほどと思い出す作品が多々。長編の商業作品だと吉浦康裕監督の「アイの歌声を聴かせて」があり、平尾隆之監督の「映画大好きポンポさん」があり、」渡辺歩監督の「漁港の肉子ちゃん」があり、川面真也監督の「岬のマヨイガ」があって細田守監督「竜とそばかすの姫」があった。ひとりで作り上げたストップオーションアニメーションの堀貴秀監督「JUNK HEAD」もルックだけだと商業に入るかも知れない。

 短編は監督名が分からない作品が「おやすみ」「久々」「へいぼんな奇跡」「BOX」とあったけれど、他は世界のアニメーション映画祭では常連の冠木佐和子監督によ「I’m Late」があり榊原澄人監督「飯縄縁日」があり世界のアニメーション映画界が新作を待ち望む山村浩二監督「幾多の北」がありベテラン若見ありさ監督「ガラッパどんと暮らす村」ああり、格差をつきつけられるような内容が心に刺さる野辺ハヤト監督「Parallax」がありこちらも世界で常連の水尻自子監督「不安な体」があり、ストップモーションを屋外でやってのけた八代健志監督「プックラポッタと森の時間」ああり世界の映画祭を総なめにしている副島しのぶ監督「Blink in the Desert」と矢野ほなみ監督「骨噛み」があって選ぶのに困りそう。

 水島精二監督の「フラ・フラダンス」が入ってなかったり庵野秀明総監督「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が落ちているのが気にかかるけれど、長編だったらどれがとっても不思議はないし、短編もそれぞれに面白いところがありそう。山村浩二監督「幾多の北」をまだ見られてないのがちょっと寂しいかなあ、上映はいつからなんだろう。気になります。ストップモーションだと副島しのぶささんの「Blink in the Desert」がこのコロナ禍の中で学校のスタジオが借りられない状況下、自費でスタジオを借りて撮ったというからなかなかな根性。それだけの価値があるので見てもらいたいなあ。「わたしのトーチカ」は入らなかったんだ。プロ過ぎるものなあ。

 大阪にも同じ名前の会社がある東京のサンケイ総合印刷が事業を特別精算したとかで話題に。すでに業務については大阪のサンケイ総合印刷に譲渡していて、戸田の印刷工場とかは使わず会社も清算となるみたいだけれど勤めていた人たちはすんなり大阪のサンケイ総合印刷に移籍できたのか、精算せざるを得ないくらいに業務が減っていた中で人員もカットされたのかが気になるところ。割と近いところで仕事をしていた人たちだからどうなってしまったが心配になる。しかしリストラまでして大きく構造を変えようとしていても、こうして子会社が精算となり媒体も休刊となるなどネガティブな空気が漂う業界。ネットの方が元気だからそれは良いけれど、幹が枯れて枝葉が栄えるとは思えないだけに頑張ってくれないとこちらの食い扶持も減ってしまう。どうなるか。見守りたい。


【12月15日】 TikTokで薦めた本が大人気となるけんごさんが選んで贈る「けんご大賞」が決定。ベストオブに綾崎隼さん「死にたがりの君に贈る物語」が入って電撃小説大賞受賞から長く活動を続けてきた作家でありながら、メジャーからやや遠かったところにようやく陽の目が届いたと嬉しくなった。自分の力ではここまで輝かせられないものなあ。ともあれ良かった。「沢山の物語が溢れ、容易く埋もれてしまうこの時代に。 私を知らなかった方へ、この本を届けてくれたこと。 それが、決して【普通の出来事】ではないと、知っています」という言葉は、諸々あったけんごさんへの御礼とも言えるだろう。

 そんな「けんご大賞」は、受賞者の作家が寄せているコメントの嬉しがり方が凄くて興味深い。あの東野圭吾さんもコメントを出して「やった! けいご大賞とW受賞だ!」と大喜びをしてしまうからなあ。あれだけ売れていても嬉しいことは嬉しいんだ。しかしここまで当人が“メディア化”してしまうとプレッシャーもキツくて公正でありたい義務感と自分を見せたい顕示欲が交錯してココロが上がったり下がったりするから大変。そこにグサッと豊崎社長がツッコんできたからああいった反応になってしまったのかもしれない。泰然自若として俺は俺の好きを伝え続けると思えれば良かったのだけれど。

 写真家でアニメーターでもあった南正時さんという方が、アニメーション作家を撮り続けた写真をまとめて出版し、展覧会も開いているというので吉祥寺へ。入るとノーマン・マクラレンやらユーリ・ノルシュテインやら宮崎駿さんやら高畑勲さんやら大塚康生さんやら内外の著名なアニメーション作家の人たちが並んでいて、長い時間をそういった人たちとの関係に費やしてきた歴史を強く感じさせられる。というかノーマン・マクラレンって日本に来たことがあったんだ。写真集には同じカナダで活躍をしたイシュ・パテルも載ってたりしてなかなかの宝庫ぶり。堪能した。

 日本からもほかに富野由悠季さんがいたり近藤喜文さんがいたり片渕須直さんがいたりと新旧織り交ぜてなかなかの豪華さ。森まさあきさんが不思議な帽子を被っている写真は、国立新美術館で開かれた「イントゥ・アニメーション」で見せてくれたパフォーマンスを撮ったもので、その現場でパフォーマンスをする様を僕は見ていたから分かったけれど、知らないと何をやっているんだろうこのおじさんはと思いそう。古いところでは宮崎駿さん大塚康生さんらが合流したAプロの社屋の写真があって前にフェアレディZが止まっていた。南さんによれば社長の楠部大吉郎さんが乗っていたものらしい。中村和子さんのベレッタといい大塚康生さんのフィアット500といい、往年のアニメーターは車好きだったんだなあ。

 写真集を買ってなみきたかしさんにお金を支払い南さんからサインをもらうといった凝縮された時間を凄す。ペラペラと見たら細田守監督と庵野秀明監督も掲載されていた。あと出崎統監督。そういえばお目にかかったのは吉祥寺だったなあ。懐かしい。ギャラリーからの帰りに大勝軒を見つけたので入って中華そばのチャーシュー入りを食べる。東池袋系らしくスープの味に甘みがあって美味しかった。麺はちょっと細めかな。吉祥寺には三鷹大勝軒もあってそちらはルーツとなる永福系でもっと普通のラーメンを出しているみたい。食べたことはないけど美味しいんだろうか。吉祥寺ならカフェゼノンに寄るのも良かったけれど、ランチ時はお洒落なマダムが大勢いてパソコンとか出して仕事をする雰囲気ではなさそうだから遠慮して退散する。

 新海誠監督の新作がいよいよ発表になったみたいで、タイトルは「すずめの戸締まり」で日本の各地に開く異界への扉を閉じて回る少女が主人公となるらしい。異界の扉といえば思い浮かぶのは「裏世界ピクニック」だけれどそっちは異世界へと続く扉を開いて中に飛び込む系の女子が主人公でこちらは飛び込まず閉じる系の少女が主役。とはいえ開いているから閉じるんであって開いているならいろいろと中から出てくることになるんだろう。それは実話怪談系か民話系か。ちょっと興味。発表会には「君の名は。」の上白石萌歌さんと「天気の子」の森七菜さんが出てきたようで、2人で空魚と鳥子を演じれば「裏世界ピクニック」になるなあと思った。それとも合体して「君の子の名は天気」を作るとか。どんな内容なんだろう、それ。


【12月14日】 新潟行きには買ったばかりの腕時計「シチズン・アテッサ」を填めていったけれどスーパーチタンはなるほど軽くて道中ほとんど付けている感じがしなかった。しばらく前までつけていたG−CSHOCKのフロッグマンもチタンが使われている上にベルトとかはポリウレタンだから軽かったけれど、全部が金属でありながらアテッサはそれより軽い感じ。なるほど人気となるのもよく分かる。強度もこれでしっかりしていれば10年は戦えそう。そう思えば大枚はたいても納得できるかな。というかこれって必要経費になるんだろうかと青色申告の個人事業主としては思うのだった。

 ふと気がついたらジェフユナイテッド市原・千葉のユニフォームが2022年からhummelに変わるみたいで、長くkappaだった時代ともこれでお別れ、同時にkappaになってまもなく落ちてずっと這い上がれないでいるJ2からもお別れできれば良いんだけれど、こればっかりはチームの戦闘力が物を言うからはっきりしたことは分からない。でも半ば呪いみたいにもなっていたkappaをようやく離れてくれて個人的にはホッとしたいところ。これまで供給してくれてありがとうとは思いつつ、プレミアリーグのエバートンやサウサンプトンに供給しているhummelが持ってくる幸運に期待だ。

 「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」や「NHKにようこそ!」でひきこもり世代のカリスマと呼ばれた滝本竜彦さんが、デビューから20周年目に放つ新作「異世界ナンパ〜無職ひきこもりのオレがスキルを駆使して猫人間や深宇宙ドラゴンに声をかけてみました〜」をやっと読む。35歳のコミュ障男が召喚された異世界で崩壊から世界を救うべくナンパを繰り返すうちに、会話スキルを高め自己肯定感を得て音楽の才能を芽生えさせていくというストーリー。段取りを組んでコミュニケーションスキルを高めていく主人公の様子が、気鬱に沈みがちな人の心を刺激し、立ち上がらせるメンタルヘルス効果抜群のライトノベルになっている。読んでひきこもりよリストラおやじよ、外に出て顔を上げ道行く人の顔を見よう。

 しばらく前に打ち切りといった報が流れたフジテレビのお昼の番組「バイキングMORE」がやっぱり来年の3月いっぱいで終了とのこと。司会の坂上忍さんが退任を申し出てそれに合わせて終了となったって感じに対面を取り繕っているけれど、誰もそんなことは信じてはいないだろうなあ。スタート当初からほとんど見たことがなかった上に、この2年くらいはテレビが壊れて地上波が見られない状況にあって朝のワイドショーも深夜のアニメも観ていない。アニメはNetflixなんかで見られてもバラエティやワイドショーをTverで見る気も無いからどういう内容なのかまるで知らなかった。

 とはいえ政治だコロナだと騒がれたこの2年間のワイドショーの“ひどさ”も伝わっているから見られなくて正解だったかも。崩れた心が余計に壊れただろうから。これでお昼は「ヒルナンデス」に「ひるおび」が従来からの視聴者を固めて走る続けることになるんだろう。「笑っていいとも!」とか「ライオンのごきげんよう」とか止めて鳴り物入りで始めても10年保たなかった状況が、フジテレビの今を表しているようで先がちょっと思いやられる。それはフジサンケイグループ全体に及んで新聞なんかもあれこれありそう。いやとっくにあれこれあるんだけれど今後いったいどうなるか。メンタルヘルスに悪いとは言え見てしまうなあ。

 「タイムボカン」のグロッキーであり「ヤッターマン」のボヤッキーでありとシリーズの三悪をたてかべ和也さん小原乃梨子さんと務めた八奈見乗児さんが死去。90歳だから大往生の部類に入るとは言え、長く慣れ親しんだお声の人が亡くなるのはやっぱり寂しい。「巨人の星」では番宙太、「マジンガーZ」では弓博士と渋めの声も出せる人でありながら、タイムボカンシリーズの三悪以降は剽軽な役が板についてしまった感じ。愛知万博のキャラクター、モリゾーの声で威厳と知性を取り戻せたのはそれでも良かった。「全国の女子高生のみなさ〜ん」「ポチッとな」といった名セリフも残せたのは役者冥利に尽きるのでは。「もーれつア太郎」ではボスのココロのボスも務めた八奈見さん。ブタ松の富田耕生さんも逝った今、ニャロメの大竹宏さんには長生きして欲しい。


【12月13日】 最終戦までもつれたF1グランプリの年間チャンピオン争いは、アブダビグランプリでレッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンがファイナルラップでトップにいたルイス・はミルトンを抜いて1位でゴールし初の年間チャンピオンに輝いた。数周前まではハミルトンがトップを走っていたけれど、事故が起こってセーフティーカーが入ったあたりでフェルスタッペンがタイヤを即座に変えてソフトタイヤにした一方、ハミルトンはそのまま走り続けていたことで、フェルスタッペンの猛追をかわせなかった。

 作戦の巧拙と言えば言えるけれども事故がなかったら開いた差を詰められることもなかったかもしれないだけに運も左右したといえそう。抜かれる際に共倒れを狙っても優勝回数でフェルスタッペンが上回っていたからチャンピオンにはなれなかった訳で、そこは正々堂々と勝負をしたハミルトンにも栄光を讃えたい。ホンダもコンストラクターズを含め30年ぶりに年間チャンピオンに輝いたものの、今年でF1からの撤退を既に決定済み。戦闘力はありながら企業活動として携わるだけのメリットをそこに見いだせないという判断もまた、崩れゆく日本の経済を象徴しているようでもの悲しい。

 だってメルセデスだってフェラーリだってルノーだってきっとこれからもF1には関わっているだろう。そうした流れに自動車大国・日本が乗れないのは寂しいけれどもそれを言うならモータリゼーションの国・アメリカの3大メーカーもF1にはエンジンを供給していない。まああちらにはCARTがあるから必要ないのかもしれないけれど、トヨタ日産ホンダがいないF1がどこへと向かうか、それが自動車産業をどのように引っ張るかは興味のあるところ。あるいは突然にEVに変わってしまったりして、そこに復帰していくのかもしれない。どうなるF1。どうなるモータースポーツ。そしてどうなる自動車産業。道は続く。

 日付が変わったあたりからネット上で騒然となった「僕のヒーローアカデミア」の「週刊少年ジャンプ」に掲載された最新エピソード。オール・フォー・ワンが仕込んだ雄英高校ヒーロー科のスパイが青山優雅くんだと判明して追い詰められて自暴自棄となった青山君が、へそからレーザーを発した際に光を屈折させる能力を使って防いだことで、普段身に纏っていた葉隠透のカムフラージュが融けて本体がちょっとだけ見えた。それがもう美少女。徹底的に美少女。波動ねじれも可愛いけれどそれを上回る可愛さにどうして普段見えないんだと言った怨嗟の声も出てしまう。

 いやでも光を屈折させて見えないようにしているのは、顔だけじゃなく体もで今回見えた顔のその下の見えない部分には体もあってそれはつまりはすっぽんぽんだと考えると、まったく何も見えなかった時より顔が見えてしまった今の方がいろいろと想像も濃くなってしまう。あの顔の美少女がすっぽんぽんで歩いている。そう考えるとAクラスのみんなもいろいろと色めき立つんじゃなかろうか。すっぽんぽんということはつまり生のお尻でイスに座っている訳で、それが美少女のお尻だったと分かった今、誰もが触れてみたくなるとか。それは峰田実くらいかな。

 仕事で新潟行き。今年3回目。新幹線で2時間かからない場所だけど降りたらとてお寒々としていて、雪まで降り出してさすがは日本海の雪国だって思いを強くする。本当だったら新潟アニメ漫画情報館でも寄りたかったけれど、今週は展示の入れ替えがあって休館していたみたいで断念。近くにある万代バスセンターでカレーとかイタリアンとか食べたかったけれどそちらも次に行く時にしよう。たぶん1月にまた行く予定だけれど、その時は雪も深くなっているんだろうなあ。冬の日本海を見に行きたいなあ。


【12月12日】 スーツを着る仕事が増えてくるとやっぱり腕に時計がないのが寂しいので、木更津にある三井アウトレットパークにあるシチズンのアウトレット店に何かないか探しに行く。シチズンのアウトレットなら幕張にもあるけれど、何度かのぞいてもなかなか決心が付かずそれだったら遠くまで出向いてここまで来たんだからという気持ちで背中を押そうかなどと考えた次第。それで買わないで帰るってこともあるんだけれど。

 三井アウトレットパーク木更津は本当だったら袖ケ浦からバスに乗るのが近いんだけれど、それを知らず木更津駅まで行ってそこからだと遠くなることにやっと気づく。でもまあ「木更津キャッツアイ」で有名になった街をのぞいてみるのも悪くないので、内房線を降りて駅前でバスが来るまで待っていたら目にヤンキー女子がヤンキー座りしているポスターが飛び込んできた。ゴミのポイ捨てを諫めるマナー広告で流石はヤンキーの街・木更津といったところ。実際はC−Styleというヤンキー系アイドルユニットで、目標は気志團のステージに立つことらしい。どんな歌を唄うんだろう。聴いてみよう。

 バスで走ること20分ほど。遠くに見えていた観覧車がだんだんと近づいて来てメリーゴーラウンドなんかもある小ぶりな遊園地の横に広がる平原に、モールが作られ大勢が集まり高級ブランドが並ぶ光景がなかなかにシュールだった。千葉は内房の木更津というブランド物とは無縁の地が銀座にも負けない店揃いで屹立しているこの状況。まだまだそれなりに日本が裕福なことを表しているんだけれど、来ている人たちが果たして日本の人なのか、お金を稼いだ中国とか外国の人なのかは分からないのだった。10年後はどうなっているんだろう。

 ATMでお金を下ろして場内をうろうろしてからシチズンの店に入ってどうしようかと迷いソーラーだけど電波がない安いのにしようかと思いつつ、前から気になっていた文字盤がグリーンのAT−8181が並んでいてそっちにも惹かれつつ向かいのSEIKOものぞいてやっぱりシチズンがいいやと戻って考えること数分。ここでせっかく来たんだからという意識を発動させ、これから来る仕事の量も考慮しながらAT−8181−63Wを持ち帰ることに決定。そして財布をみたら下ろしたはずのお金が入ってない。

 これは摺られたか、それなら最初から入っていたお金も残っているはずがないからATMで取り忘れたかと思い返しつつ、だったら誰かに持って行かれたかもしれないと諦めつつ、とりあえずATMまで戻って残高を確認したら下ろす前といっしょだった。今のATMは取り忘れると戻る仕様になっているらしい。素晴らしきオートメーション。無くしたお金が返ってきたと思えば踏ん切りもつくと決断し、店に戻って購入手続きをして2003年にG−SHOCKのイルカクジラモデルを買って以来の腕時計を手にはめる。これで僕もホランド・ノヴァクだ。

 いやいや「EUREKA/交響詩篇エウレカセブン ハイレボリューション」でホランドがしていたのはCC−4015なので値段が違う。異世界から召喚されたグリーンアース人なのにどうして10年でそこまで稼げるようになるかは謎だけれど、システムごと顕現したのだから給料だってちゃんと出ていたんだろう。まさか支給品ってことはないよなあ。でも最後はホランドごと吹っ飛んでしまったのかな。ちょっと勿体ない。そちらはもうちょっと稼いでから考えよう。今は時計に見合った稼ぎに達するよう頑張りたい。

 ネットでどなたかが亡くなったらしい話を見て誰かと探したら日本SF新人賞を授賞してデビューした八杉将司さんだった。理由は決して明るいものではなく、そして自分にもいずれ降りかかってくる可能性があるものだけに腕時計なんて買ってる場合かと思ったものの、少しの将来が見えている間に資産めいたものとして溜め込んでおくのも必要かとそこは理解。一方で作家という仕事の現況も見えてきて、どうなってしまうんだろうかといった心配にしばし浸る。新人賞で動機の片理誠さんも八杉さんを偲びつつ出版の危機を訴えていた。本が売れない時代に、売れる機会を作り出す意義ってのを改めて思う。となるとTikTokのような場での喧伝も大切ってことになるなあ。

 SFが冬かというとハヤカワSFコンテストから出てきた人たちは結構活躍しているし、創元SF短編賞から出た人からは高山羽根子さんが芥川賞を受賞し、宮内裕介さんは芥川賞や直木賞にノミネートされて三島由紀夫賞や芸術選奨新人賞なんかを授賞して時代を代表する作家になっている。送り出された場がしっかりともり立てつつその後のフィールドも用意される中で才能を発揮できたとも言える一方で、日本SF新人賞から出てきた人たちが電撃小説大賞でも受賞していた三雲岳斗さんをのぞいてなかなか活動の場を広げられない寂しさを噛みしめたりする。1度デビューした人たちが、看板を得て後ろ盾を得るために再デビューをめざし賞に応募したくなるのも分かるよなあ。徳間文庫で日本SF新人賞の受賞作品が再刊行され始めている流れで、再注目を集める人が出てきて欲しいと説に願う。


【12月11日】 Netflixで配信された実写版「カウボーイビバップ」がシーズン2に入ることなく終了との報。スパイクの足があと5センチ長かったらとかフェイの足がストッキングではなく生足だったらとかいろいろと考えてしまうんだけれどやっぱり本家が持っていたある種のノリを実写では再現しづらかったところが敗因のような気がする。というか30分の中にいろいろと詰め込んだテレビアニメーションをT時間のドラマにしたらそりゃあテンポもユルくなる。そこを埋めて見応えのあるドラマを作れれば良かったんだけれど、オリジナルを加えればまたちょっと違うと言われるのが人気作品の他メディア展開。実写版「カウボーイビバップ」もそんなギャップが気になる人が多く出たってことなんだろう。

 いっそだったらあと1作、ドラマの断片をつないで実写版「よせあつめブルース」を作って欲しいもの。日本で最初にテレビ放送された時に半分しか放送できなかった最後を総集編めいたもので収めたんだけれど、それがただの総集編ではなくって出演者たちによる格好良いダイアローグが重ねられた見応えのあるものだった。途中で打ち切られることへの皮肉なんかも混じっていたのが今もってパッケージに収録されず放送はもちろんされない理由か。なのでアニメが無理なら実写でと思ったけれど、そんな「よせあつめブルース」で渡辺信一郎監督とともにクールでヒップなダイアローグを書いた信本敬子さんが亡くなったとの報が伝わって、そちらも無理になってしまった。

 「カウボーイビバップ」ではシリーズ構成をつとめ「アステロイド・ブルース」や「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」や「ジュピター・ジャズ」といった傑作エピソードのシナリオも書いた信本さんが、シリーズ構成を再び務めていたら実写版「カウボーイビバップ」も打ち切りなんて状態に陥らなかったのではないか。そんなことも思ってしまう。信本さんといえばあと、今敏監督とは古くからの知り合いみたいで「PERFECT BLUE」でも確かシナリオを依頼しようと思ったら実写ドラマが忙しく頼めなかったのを、「東京ゴッドファーザーズ」でようやく叶って2人で執筆。冗談のようなエピソードが折り重なって奇跡が演じられる映画を作り上げた。

 こちらもNetflixで配信が始まったばかりで、信本さん絡みのエピソードが折り重なった中での訃報はどうにも寂しい。ドラマ「白線流し」なんかも手がけた売れっ子だったけれど、最近はあまり参加していなかったのは体を壊していたからみたい。今敏監督が先に没しても頑張ってくれていたのになあ。残念。せっかくなので「カウボーイビバップ」を見てその偉績を偲ぼうか、もちろんアニメーション版だけれど、これを機会に止まっていた実写版の方も見通してみるかなあ。あとは「スペースダンディ」か。これもNetflixに着ていたぞ。

 朝から起き出して「フラ・フラダンス」の舞台朝つつき上映を見に新宿バルト9へ。前は福原遥さんを筆頭に下フラガールの面々が並んだけれど今回は福原さんに加えてディーン・フジオカさんが登壇とあって、アイドル好きが訪れた前回とは客層がちょっと違ってた。お姉様が多いというか。そんな期待を背負って登壇したディーンさんはやっぱり格好良くって渋くって、それでいてようかん好きを公言して楽しませてくれた。エスプレッソのダブルにようかん。なんか美味しそうだなあ。試してみようか。パロサントという香木もお薦めしていて、聞き覚えがあるので記憶を探って家にあるマテ壷がパロサント製であることを思い出した。香りを楽しみようかんをかじりエスプレッソを飲めば僕もディーン・フジオカになれるかな(なれません)。

 TikTokで本の感想を言っていたけんごさんに対し、名指しじゃないけど豊崎由美さんがそれは書評なのか、書評を書いてみろといったことを呟いて超炎上。けんごさんは自分は書評なんてやってないし、PRだってしている訳じゃないけれどちょっとTikTokで本についてしゃべるのは辞めますと言ったものだからさらに燃え上がってしまった。豊崎社長が自分で業にしている「書評」は文学なり書籍としての“価値”をテキストに求めて良し悪しを己の基準で示す行為であって、その意識から見てTikTokでの紹介が己の基準の「書評」ではないと感じたことが、この一件の基礎にあるんだろう。

 けんごさんのは書評じゃないというのはこの際置くとして、豊崎社長のツイートには、ネットで評判になって売れて版元は大喜びで作者もハッピーでファンも楽しい総体としてのイベントを、出版界がありがたく感じて盛り上がる一方で、批判も含めた「書評」の必要性をあまり感じていない風潮に対し、それで良いのと言っている感じがある。批判の対象はだから出版界隈で、だから続くツイートで本屋大賞にも苦言を呈している。その意味合いからは理解できる。豊崎社長の言う「書評」が出版という活動にとってあるべき理想という気持ちも湧かない訳ではない。そういった辛辣なる言辞も含む「書評」を受け容れてなお、誰もが素敵滅法な気分になれる世界なら良いのだけれ、どそうではないところでどう戦うかという難題が、背後にあるのをあのツイートから理解するのはなかなかに難しいのだった。


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