縮刷版2021年12月上旬号


【12月10日】 内閣参与に拾ってもらったばかりの石原伸晃前衆議院議員だったけれど、トップを務める支援団体が新型コロナウイルス感染症に伴う収入源を補う助成金をもらっていたということで批判され、内閣参与を光の速さで辞任してしまってこれで職無しに逆戻り。集金のためのパーティーをか開けなかったらそれは確かに収入源につながるけれど、国会議員としての本来の仕事はパーティーを開くことではない訳で、いわばプラスアルファの部分がそげ落ちただけなのを収入源と訴えては反発を喰らうのって当然だろう。しかしいったいどうするんだろう派閥の長。内閣参与でギリギリの肩書きだったのが無職ではやっぱりみっともないからなあ。誰かに譲るとして誰になる? 色々大変。

 ようやくやっと新宿ピカデリーで「ARIA The BENEDIZIONE」。天野こずえさんによるコミックのシリーズを原作としたアニメーションでテレビシリーズから劇場版へと移って続けられてきたけれど、今回で完結というからなかなかに感慨深いものがある。元々は「AQUA」とういタイトルで始まった漫画がスクウェア・エニックスの漫画誌をめぐる騒動によってマッグガーデンへと移ってそして始まった「ARIA」シリーズ。火星のネオベネチアでゴンドラによる水先案内人を営んでいるARIAカンパニーに地球から移住して入った灯里が、アリシアという先輩に導かれて成長していくストーリーが軸だったけれど、いつしか代替わりして今は灯里の下で修行する愛野あいや、姫屋の新人・あずさ、オレンジぷらねっとのアーニャたちの物語になっていたみたい。

 そんな世代から見てかつてのアリシアであり晃にあたる姫屋の藍華が、姫屋に伝わる古いゴンドラには乗らないと言ったことから始まるあずさたちの探求から、藍華が姫屋の娘であるからこそ抱いた自分なんかといった感情を、晃が見守り刺激して解きほぐしていくストーリーが描かれて本筋では灯里の良いライバルだった藍華にも深い葛藤があってそして成長があったことを教えられた。跡継ぎだからといって才能がある訳ではないけれど、だったら努力して才能を高めれば良いだけで、何も遠慮することなんてないってこと。そんな藍華に引っ張られた姫屋はこれからもどんどんと成長していくんだろう。ARIAカンパニーは大丈夫かな。2人と社長しかいないものなあ。少数精鋭にも程がある。

 「ARIA The BENEDIZIONE」が始まる前にいろいろと予告編が流れてその中に、「魔神英雄伝ワタル」があってひっくり返る。1988年というからもう30年以上も前の作品がどうしてと思ったら、「魔神英雄伝ワタル 七魂の龍神丸」という新作がウエブアニメとして配信されているそうで、その特別編集版が3週間限定で映画館にかかるということらしい。存在すら気づいていなかっただけにどれだけアンテナが下がっているんだと思わなくもないけれど、そんな懐かしい作品が今もしっかり動いていることにはやっぱり驚く。そうした時代への記憶が視聴者を誘うんだろうなあ。まあ同じ予告編で「宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち 後章 ―ASHITA―」ってのが流れてそれこそ45年は昔のIPが今もって作られ続けてるのを目の当たりにしたから驚くことじゃないのかもしれないけれど。

 スイス人を名乗るアカウントが新型コロナウイルス感染症に関連して、中国の武漢が期限だといった意見に対して異論を展開してそれを中国のメディアが大々的に取り上げていたらしいけれど、調査によるとそのアカウントは中国が作ったものらしく、自分たちの不利を隠すために偽アカウントを使い偽情報を展開していたらしと、中国嫌いの人たちが大騒ぎしている。でもなあ、そんな中国嫌いの人たちが崇め奉った安倍元総理を筆頭にした自民党の政策なんかを大々的に取り上げては反対する勢力を貶し貶めていたアカウントが個人ではなく企業だったらしいといった話があったりする訳で、やっていることはまるで同じだったりするのに自分たちが讃える自民党や安倍元総理は批判せず、中国は批判するこの二枚腰が今の政治も社会も含めてグダグダになっていることを表している感じ。そんな偽アカウントのDAPPIについて裁判も始まったみたいで、いったい何が出てくるか。ワクワクしながら経過を待とう。


【12月9日】 TBSが秋山豊寛さんをソビエト連邦のロケットに乗せて宇宙へと打ち上げてもらうのに支払った費用はたしか20億円とか。それはTBSが放送局という免許業種であることをあある利用して電波をある意味独占し、そこに番組を載せる権利をばら売りする形でスポンサーから集めたものであって、個人が事業を立ち上げ株式公開まで成し遂げて稼いだお金とどちらが清らかかといえば、はるかに後者の方がスッキリしていると言える。
 それなのにZOZO創業者の前澤友作さんがロシアのロケットに乗って宇宙へと上がったことに対し、秋山さんがこともあろうに「冨を優先しすぎ」と言ったというから腰が抜けたというか、メディアの特権というものにまるで考え及んでいないところにあの時代のメディア人の良い意味で腰の据わった感じであり、悪く言うなら浮き世離れした感覚といったものが見えてしまった感じ。

 前澤さんが自分で稼いだお金を何に使おうとそれは自由であって、今回の件で言うならロシアに支払ったお金が巡り巡って新たな宇宙開発の資金となるのなら、それは宇宙好きにとって喜ぶべきこだろう。まあロシアもロシアで宇宙開発というある意味で“特権”を利用してお金を稼いでいる訳なんだけれど、それだって何かの制約下で独占的に行っているものではない。競争相手がいたりする中でコストと安全性を考えながら進めている事業に見合ったコストを求め、それを支払ってもらっただけのことであって勘ぐられるところも少ないだろう。政権かその関係者に回っているかは分からないけれど。

 テレビ朝日の記者も興味がないと言い、降板が言われるラジオのパーソナリティも皆が讃えることへの違和感を表明していたけれど、そこで讃え方に何か奇妙なことがあるならそれはそれで非難すればいいだけのこと。やったこと自体への違和感を果たしてどういうロジックで語れるのかを考えた時、金持ちの道楽とだけしか言えない人は同じことを言われた時に何を言い返せるのかを問われていると言えるんじゃなあ。その服だってその腕時計だってその食べているご馳走だって僕らからすれば十分に「冨を優先しすぎ」な訳だから。因果は巡る。

 ほからなる「B.B。フィッシュ」のきたがわ翔さんなだけに漫画に対するその見識を真っ向否定するのには悩ましいところもあるけれど、ことさらに「鬼滅の刃」で修行のシーンがオミットされているというのはやっぱり現代の転生からの俺TUEEEEな作品が横行していたりする状況の中、岩を切るのに何年もかけたりひょうたんを息で吹いて破裂させるまでに何ヶ月も時間をかけたりした竈門炭治郎を、最初から強かったとか強くなるべくして強くなったと言ってしまうとちょと違うといった声もやっぱり出てくるだろう。大勢に読まれているからこそそういった差異に対するメモ厳しくなっている。それだけに作品を騙る手つきにはそれなりの慎重さが求められるってことで。

 まあベストセラー作品のライトノベルとかを取り上げ評したりする人間だけに、同じことをしている可能性も少なからずあって身が引き締まる思いをしている。問題はどうしてきたがわ翔さんがそうした結論に至ったのか、いったい何と比較したのかを知りたい気がする。修行って言うけど野球だってボクシングだってバスケットボールだって基本的な身体能力は相当あった上で、意外なところから引っ張ってこられた人間が技術を覚えて爆発するような話が多かったりするのが漫画の世界。ゼロだった才能を努力で押し上げたなんて話はあまり見ないし、それだと話が嘘になるからなあ。難しい。「ジョジョの奇妙な冒険」でスタンド以降、修行なんてあったっけって話にもなるし。うーん。

 マーベルといった時に今の人が思い浮かべるのはやっぱりマーベル映画であって、「アベンジャーズ」にしても「スパイダーマン」にしても「ヴェノム」や「ハルク」や「エターナルズ」にしても基本は公開されている映画が話題の中心になって、見たか見てないか、好きか嫌いかって話が先に来る。でもマーベルってもともとはコミックスだった訳で漫画がアニメになったり映画になる中で人気が広がり一般にも知れ渡っていった。

 そんなマーベルの原点に立ち返るように、コミックスとしてのマーベルにスポットをあててグッズを展開するお店が池袋のサンシャインシティに誕生。「MARVEL STORE by SMALL PLANET」に行くとコミックするから抜き出したイラストなんかをアートにしたりワンポイントにしたようなグッズが並んでアメコミ好きを引きつける。ユニークなのはフルカラーが原則のアメコミの色を抜いてモノトーンにしたものを飾っていること。擬音も日本語にして壁なんかに描いて日本の漫画との親和性を持たせている。

 よくアメコミがその派手さから日本の漫画に慣れた目に避けられているって話もあって、逆にアメリカでは日本のモノトーンの漫画がフルカラーではないから読まれないなんて話もあったりした。そこをだったら逆にしてしまえば日本受けするかもって判断なのかもしれない。実際にキービジュアルに使われた「インフィニティ・ガントレット」の1場面はそれだけ見ると大友克洋さんの「AKIRA」のよう。そういう意味での親和性を作り出してバンドデシネやアメコミにあった漫画の源流を今一度、確かめてみると良いかもね。オープンしたらのぞきに行こう。


【12月8日】 「メアリと魔女の花」以来の公開時点で5年ぶりとなる長編映画「屋根裏のラジャー」の制作が発表されて監督に短編「サムライエッグ」を手がけた百瀬義行さんが就任。長編だと「二ノ国」も手がけているから間は空いてないけれど、スタジオポノックというスタジオジブリ直系とも言えるスタジオで「火垂るの墓」とか「おもひでぽろぽろ」といった高畑勲監督作品の作画監督や場面設計なんかと手がけてきた百瀬監督が、高畑&宮崎駿監督の系譜をどこまで見せてくるがが今から楽しみ。

 「屋根裏のラジャー」というタイトルからはまるで何も想像できないけれど、「借りぐらしのアリエッティ」みたいなファンタジーになるのかそれともラジャーというセリフが強く響いた「ガッチャマン」のようなアクションSFに……はさすがにならないか。2022年公開だからそれほど遠くないので公開を待ちたい。海外に行くとなるとロシアだったら「屋根裏のパニラー」になったり惑星ラグナだったら「屋根裏のウラサー」になったりするんだろうか。だったら日本なら「屋根裏の了解」にならなきゃおかしいか。うーん。何だろう「ラジャー」って。「ブラジャー」ではないよなあ。

 海外といえばアカデミー賞候補となる前のエントリー作品として長編アニメーションが発表されていて、日本から「竜とそばかすの姫」「映画大好きポンポさん」「漁港の肉子ちゃん」「ジョゼと虎と魚たち」「宇宙の法−エローヒム編−」「えんとつ町のプペル」が名前を残したみたい。スタジオ4℃から2作品というのも凄いけれど幸福の科学の映画が残ってくるのもなんというかユニークというか。海外の映画祭にどかどかノミネートしていろいろな賞を取っていると残りやすいのか、推薦人にそっち方面の人がいたりするのか。個人的には「映画大好きポンポさん」が残って欲しいなあ。そして取って欲しいなニャカデミ−賞。違ったアカデミー賞を。

 黒い黒いメーテルが黒い。明るいところはくっきりとして輝いているだけにメーテルが来ている服の黒さも際だって、スクリーンの中で繰り広げられている出来事がすべてしっかりと目に入ってくる。それがドルビーシネマ版「銀河鉄道999」。2022円1月14日から上映が始まるこのドルビーシネマ版を見る機会があったので雨の中を見物にいったら、もう冒頭から宇宙の黒さに輝く星のまばゆさが感じられ、世界の解像度がぐっと上がって没入感も大きく増した。ぼやけたような印象が皆無な上に傷とかちらつきとかもいっさい無し。42年も前に作られたアニメーション映画とは思えない鮮烈さを味わえた。

 いくら画面だけ綺麗になっても描かれているモチーフが古くさかったりドラマが陳腐だったら没入感も削がれるけれど、そこは名作と名高い「銀河鉄道999」だけあって冒頭からもう完璧な世界観を持っている。絵もそこは今と違って原画の人も少ないから自在な絵になったりする場面もあるけれど、決めるところはしっかりと決めて美しいメーテルにカッコ良いハーロックという奴を見せてくれる。アンタレスも良かったなあ。そしてガラスのクレア。どうしてあそこで……って見る度に思うのだった。原作の漫画とは違うけれどもそれだけになおのこと悲しさが募る。

 メーテルの服の黒さや宇宙の黒さがはっきりとすれば地球の青さも際立つし、アルカディア号の緑色もしっかりと目に刺さる。これまでやっぱりテレビ版のアルカディア号の方がカッコ良いと思っていたけど、スクリーンにでっかく映し出される髑髏ヘッドのアルカディア号もやっぱりカッコ良いものですね。そんなアルカディア号の轟音なんかも立体音響技術のドルビーアトモスになっていて、さらに宇宙にいる感じを増幅してくれる。試写でも結構なサイズだったけれど実際の上映でデカいスクリーンに映し出されて鳴りひびくアルカディア号は相当の迫力だろうなあ。今から上映が楽しみ。もちろん「さよなら銀河鉄道999―アンドロメダ終着駅―」のドルビーシネマ版も。この勢いで「銀河鉄道の夜」のドルビーシネマ版もできないかなあ。


【12月7日】 女流棋戦のリコーコー杯女流王座戦で挑戦者の里見香奈女流四冠がタイトル保持者の西山朋佳女流王座を3連勝で破って奪還に成功。これで女流名人に女流王位に女流王将に倉敷藤花と合わせて五冠となって7つあるタイトルの全冠制覇にグッと近づいた。西山朋佳さんは女流二冠に後退。少し前まで奨励会の三段リーグで戦って1度は次点をとって女性で初めてのプロ棋士四段にグッと近づいた実力者でもかなわない里見女流五冠の強さを改めて思い知る.

 里見女流五冠も西山女流二冠より先に奨励会の三段リーグに上がって戦っていた猛者だったけれど、1度も勝ち越せないまま退会したほどでその意味では西山二冠の強さがずばぬけていると言えるけれども、最初の女性で奨励会三段では里見女流五冠が受ける向かい風も浮かぶプレッシャーも半端ではなかっただろうから、その戦績だけでは単純に判断しづらい。もしも今の好調さで奨励会三段にいたら果たしてとは思うけれども、戦績や年齢制限なんかもあって復帰できない以上、振り返ってもあまり意味は無い。

 男子だったら退会した時点でプロ棋士としての道が断たれるのとは違って、女流であってもプロとして将棋を指せるのだから女性はといった意見もやっぱり出てしまうところがこのシステムの難しいところ。だからこそやっぱりサシの強さで男性女性の区別がないことを里見女流五冠にも西山女流二冠にも見せて欲しい気がしてならない。編入という手も使えるようになった今、改めて挑戦するところを見たいなあ。あるいは目下単独で三段リーグを戦っている中七海三段に来期頑張ってもらうとか。見守りたい。

 千葉日報に千葉日報らしく千葉のジャガーさんの評伝が出るというニュースが出て朝から大騒ぎ。見知った時にはすでにあのスタイルでチバテレビに番組を持って歌う実業家といったところを見せていたジャガーさんがそれ以前、何をしていたかが綴られているそうで興味をそそられない訳がない。どうやら仮の姿での地球生誕は1944年と太平洋戦争下、北千住で東京大空襲に遭ったそうでそこを生き延び袖ケ浦に移住してから千葉との縁ができたとか。若い頃から何でも手作りしてきたそうで評伝には板金まで行った三輪自動車が紹介されていた。これを作れるなら今のジャガービルだって作れるよなあ。

 伝説として騙られていたX JAPANのhideさんとの関係や気志團の綾小路翔さんとのなれそめなんかも書かれているそうで読みたいところ。何より最後まで自分を貫き通して生き続けたその商才であり芸才の源流がどこにあるかを知ることで、今のこの先が見えない時代を生き抜いていく元気をもらえそうな気がする。木更津第一高等学校の出身だというと中尾彬さんが先輩にいて坂口弘さんが後輩にいるみたいだけれど、どちらも証言してもらえない場所にいたりするから学生時代の秀才ぶりはご本人が騙られたのかそれとも誰か別の証言か。千葉でも市川で商売を始めたのは何故なのか。知りたいことがいっぱい。発売が待ち遠しい。

 第42回日本SF大賞の候補作が発表になっていて、一般から寄せられたエントリーから日本SF作家クラブ員が投票した結果としてよしながふみさん「大奥」、高山羽根子さん「暗闇にレンズ」、テレビアニメ「ゴジラS.P〈シンギュラポイント〉」、久永実木彦さん「七十四秒の旋律と孤独」、高野文緒さん「まぜるな危険」、そして日本SF作家クラブ編「ポストコロナのSF」がセレクトされた。漫画だと諫山創さんの「進撃の巨人」も完結して大いにSF大賞が期待されたけれども、同じ漫画を選ぶならと「大奥」に関心が向いたような印象。「進撃の巨人」のあのスケール感とそして帰結を考えるなら決して劣ってはいないと思うんだけれど仕方が無い。

 アニメは「シン・エヴァンゲリオン劇場版」なんかも入るかなあと思ったけれど、やっていたことの目新しさから「ゴジラS.P」がセレクトされるのにはまあ納得。「シン・ゴジラ」に続いてゴジラシリーズでの受賞はあるか。ちょっと気になる。あとは小説からということでやっぱり入って来た高山さんと、そして並んだエントリーの中では小説としての存在感が高かった高野さん、新鋭でありながらインパクトを残した久永さんを選んだといった感じかなあ。「ポストコロナのSF」は企画としても作品としてもジャストだけれど、自分たちで作って自分たちが与えて良いかどうかを迷うところ。それでも授賞される意義があるという“公正性”をどこまで主張できるか。選考を見守りたい。


【12月6日】 F1サウジアラビアGPをDAZNで観たりネットを見たりしていたらスタートしたはずなのにまたスタートをしていて何があったのかと調べたら3度もスタートがあったらしい。両サイドがフェンスというコースはどこかアメリカのフェニックスにも似たところがある気がしたけれど、コースの外に余裕がないからマシンとマシンとが接触しやすく事故が起こってはスタートのやり直しなんてことが行われたんだろう。結果としてハミルトンが1位となってフェスルタッペンは2位となってファステストラップ分も加えたハミルトンがまったく同じポイントで並んでしまった。

 次のアブダビGPがだからどちらか先にポイント圏内でゴールした方が年間チャンピオンに輝くという大一番になるんだけど、そういう時に起こるのがアドバンテージを持っている方が共倒れを狙うような事件。今年の場合は確かフェルスタッペンの方が優勝回数が多いからハミルトンと共倒れすればそれでチャンピオンってことになるのかな。そういう決着を狙えばペナルティがついてポイント剥奪なんてことも起こるから、堂々とした戦いをして順位で決着をつけてくれると思いたい。サッカーの日本代表の予選が続く限りは入っているDAZNだから最終戦もちゃんと見よう。ホンダエンジンの有終も見守ろう。

 「鬼滅の刃 無限列車編」の第1話でテレビオリジナルのエピソードが放送された時ですら10%だった上に、その後は6%あたりだったりしたことから想像して10%をひとつの壁として8%かそれくらいだろうと予想した「鬼滅の刃 遊郭編」の世帯視聴率は9.2%と個人的な感触を少しだけ上回った模様。それでもやっぱり10%は壁だったみたいで大台を記録してのスタートは切れなかった。とはいえ子供たちはグウグウと寝ている11時15分からのスタートでなおかつNetflixだとかAmazonPrimeVideoだとかで見られる作品を、敢えて地上波でリアルタイムに見る層も限られるとなれば9.2%に達したのはむしろ凄いって言えるんじゃないかなあ。

 映像は完璧以上のクオリティだしシリアスなところとギャグめいたところのバランスも良い感じで楽しめる。そして遊郭編という美女に美少女もわんさか出てくるこれからの展開は、「無限列車編」と違って初の映像化ということもあってリアルタイムでおいかけていきたいという大人も結構出そう。そう思うと回によっては10%超えなんてこともあったりするかもしれない。子供たちが遊郭という色街が舞台のアニメを深夜に観るとは思えないのでそちらは期待せず、宇随天元のカッコ良さに惹かれる大人の女性あたりを引っ張り込んで行けけるのか。見守りたい。

 なるほど緑谷出久(でく)という名前に対して青山優雅といった対比から「僕のヒーローアカデミア」という作品であらかじめひとつの役割を仕込まれていたって言えそうな青山くん。先週から「週刊少年ジャンプ」誌上で取りざたされていたオールフォーワンの“友達”すなわち内通者の正体がいよいよ判明して青山くんが自ら自分をヴィランだったと告白した。能力がなかったところをAFOによって譲渡されて英雄高校に入ってきたという経歴も、やっぱり能力がなかったところをオールフォーワンから譲られ念願のヒーローになれた緑谷と裏表。他の面々が名前に能力が象徴されている中で緑谷と青山だけが一般的な名前だったところから、他との違いを想像しておくべきだったけど、それを気づかせずここまで引っ張ってきたところに堀越耕平さんの凄さ巧みさがある。漫画家って凄いなあ。

 100館に満たないスクリーン数で10位に食い込んだことを凄いとは思うものの、前だったらもうちょっと上に来ていた気もしないでもない「ARIA The BENEDIZIONE」。長い時間をかけて続いてきたシリーズだとやっぱり落ちていく人もいる一方で新しく入ってくる人がいなくなってしまうのかもしれない。でもここは最後だし観に行こう。そんな「ARIA」にすら及ばない「フラ・フラダンス」はちょっと厳しいスタートだったけれど、テレビを通して報道があったし「鬼滅の刃」の放送時にCMも入って存在を知った人もいそうだから、今週末こそが勝負の週と言えそう。見た人の評判がことのほか良いだけにジリジリと口コミが広がって欲しい。

 アニメ映画だと12月末に「劇場版 呪術廻戦0」が来てこれが「鬼滅の刃」と比べてどれくらいまで行くかがちょっと注目ポイント。熱く燃える作品でもないし連載の方はデスゲームに入ってどうにも情念が湧いてこないだけに忘却の中に沈むかそれとも改めて強さを見せつけるか。見守りたい。年が明けると2月3日にいよいよ「鹿の王」が公開決定。新型コロナウイルス感染症の影響で何度も公開が先延ばしにされて、興行的に厳しい2月の公開となったけれども作品性で引きつけ盛り上がって欲しい。I.G的にも。そこから2週間後にいしづかあつこ監督「グッバイ、ドン・グリーズ」が公開とアニメ映画はまだまだ豊富。そんな中から細田守監督からさらに次代を担う誰かが生まれて来るかな。来て欲しいな。


【12月5日】 山梨県で震度5弱の地震が起きたと思ったら、和歌山県でも震度5弱の地震が起こって梨も蜜柑も大変なことになってやしないかと心配。まあ時期的に収穫も済んでいるだろうから落下して腐ることはないだろうけれど、木が倒れたりしたら梨も蜜柑も値段が上がって気軽に食べづらくなるかというと、梨も蜜柑もバナナすらも食べない生活だったりしてあまり関係はなさそうだった。次は林檎の青森県かそれとも柿の奈良県か。ほかにも各地で続く地震にドラマ「日本沈没−希望のひと−」のビジョンが現実化してくる可能性も浮かんでくる。ドラマ観てないけど。

 観てないのはテレビが映らなくなってもう2年くらい経つからで、その間にアニメーションはNetflixとかAmazonPrimeVideoとかTverで観るようになってあまり困ってなかったりするし、ワイドショーは新型コロナウイルス感染症やら政権交代やらでいっぱいで観ても苛立つだけだっただろうから観なくて正解。浅野連続テレビ小説も観ようと思えばNHKオンデマンドで観られたりするし、ニュースだってラジオやネットで十分だったりするのでもしかしたら本当に地上波って不要になっているのかもしれない。民放テレビ局がどんどんと視聴率を落としているのもよく分かる。

 同時視聴をネットで騒げないのは寂しいと言えば寂しいけれど、「鬼滅の刃」の遊郭編が始まったところでネットでワイワイガヤガヤと盛り上がっている感じもなし。夜の11時15分からと遅いこともあるしネットでこちらも観ようと思えば観られることもあるのかもしれない。あとは子供たちに大人気ということと裏腹に大人達が一生懸命に観て騒ぐ作品ではなくなっていることも。果たして視聴率はどれくらいいくんだろうかと想像するなら、「無限列車編」がテレビ用に分割されて追加制作された第1話に近い10%くらいだろうか。そこまで行けばフジテレビにとっては万々歳だろうけれど。

 牧野圭祐さんの「月とライカと吸血姫7 月面着陸編〈下〉」を読んだり、夏海公司さんの「僕らのセカイはフィクションで」を読んだりしながら町へと出て、オンワードのセールへと行ってスーツなんかを探す。2年前はAB6でも入ったウエストがAB7でもキツくなっていて、少し出してもらうなんて屈辱を味わったけれども自業自得だから仕方が無い。帰りがけに御徒町のキッチンDIVEに寄って弁当とソーセージの盛り合わせを買って夜にモリモリと食べてしまうんだから反省もしてない感じだし。

 バーゲンではとりあえずJプレスのスーツを手に入れたけれど、フロントにダーツが入ったタイプのものか、段返り3つボタンでフックベントのオーソドックスなスタイルのものかちょっと悩んだ。トラッドでアイビーを目指していた昔だったらアメリカントラッドの3つボタンを選んだかもしれないけれど、今の寸胴になった体型でフロントダーツなしのボックススタイルでは余計に寸胴さが目立ってしまいそうで、無理にでも絞ったのを着てスリムに見せたいとそちらを選んだのだった。ここから頑張って痩せればさらにスタイリッシュになれるんだろうけれど、頑張れないのが人生って奴だからなあ。困ったものです。

 余裕があったらどちらも買ったけどそこは今の懐事情では無理なのでこの次に。あとはシャツを買いネクタイを買い靴下を買ってとりあえず身なりは整える。スーツを着る機会も増えそうなので活用したい。バーゲン会場からは御徒町を回って帰宅。「フラ・フラダンス」の2回目を観たい気持ちもあったけれど、原稿の締切も近かったので次の舞台挨拶が当たるかどうかを待つことにしたい。当初は内容があまり知れ渡ってなくてダッシュが心配されたけど、アイナナだとか虹コンだとかが“出演”ていると分かってアイドルファンが関心を向け、スタッフ陣から「アイカツ!」勢も目を向けそしてストーリーそのものに惹かれた人たちが増えている状況が、1週目を通して続けば次の週末こそいっぱいの観客で上映できるおんではなかろうか。見守ろう。

 そして配信された「鬼滅の刃 遊郭編」の第1話。煉獄家に行ったら弟も父親も同じ髪型の上で髪の色でいったいどういう家系なのかと不思議がる。これで母親も同じ髪型だったらさらに不思議が膨らむけれど、登場しないので本当のところは分からない。映像は相変わらずハイクオリティで竈門炭治郎を演じる花江夏樹さんのテンションもマックスでパワーは衰えてない感じ。ここに尊大さでは煉獄さんに勝るとも劣らない宇随天元が小西克幸さんの声で出てくるわけで、毎週楽しくテンションマックスになっていけそう。観ていこう。


【12月4日】 TOHOシネマズのチェーンに入ると上映前に流れるシネマチャンネルで、ずっとナビゲーター役として登場してきた山崎紘菜さんが2021年をもって卒業するとの報。悪名高い映画泥棒よりも先にいなくなってしまうなんて寂しいことこの上ないけれど、映画館のヒロインとしてのイメージが定着し過ぎて映画とかドラマに出ていても映画館で見た人扱いになってしまうところもあるから、ここでいったん印象を薄めるのも仕方が無い。頑張って下さいな。鷹の爪も貝社員もいなくなったTOHOシネマズ、そして映画泥棒と紙兎ロペは残り続ける。諸行無常。

 Vtuberの四天王として先駆けであると同時に頂点として世界をリードし続けてきたキズナアイが無期限活動休止とか。途中で分裂騒動もあったりして中の人も含めたある主の確立された人格を尊重すべきか、それともキャラクターとして展開すべきかが揺れたところもあったけれど、架空の存在で漫画やゲームなどに依存せずとも一種のタレントとして存在できることを証明したという意味で、日本のサブカルチャー史に残る存在がこうして表舞台から退いていくのはやはり寂しい。

 理由にはホロライブでありにじさんじといったプロダクションとして、あるいはユニットとしてVtuberを作り出しては展開する企業の存在に押されつつ個として存立していくことの難しさなんかもあったのかもしれないし、分裂騒動のようなネガティブなイメージが巡り巡ってフリーダムな活動をスポイルしてしまっていたのかもしれない。ただそれでも独立したキャラクターとしての知名度は抜群で一種のIPとして立派に存在していけるにも関わらず、ここで引っ込めざるを得ないのは何故かがちょっと知りたい。これが人間のタレントなら突然の引退騒動としてワイドショーも週刊誌も大騒ぎするんだろうけれど、Vtuberではどうかなあ、サブカルに突っ込んできている週刊文春頑張れ。

 どこかの少女がディズニーに眼鏡っ子のプリンセスもヒロインもいないのは寂しいといった手紙を出したことが、巡り巡って眼鏡っ子ヒロインのミラベルが登場する「ミラベルと魔法だらけの家」につながったかもしれないとった話に関連して、直接的な影響を受けて描かれた絵本「ローズ姫と黄金のめがね」を日本で出している早川書房の担当者が日本であっても子供向けのアニメなどに魔法少女やプリンセスに眼鏡をかけた子はいないといった発言をしていて喧々囂々。「おジャ魔女ドレミ」の葉月ちゃんがいるじゃないかと即座に思ったけれど、ここ最近で変身後も眼鏡っ子は確かにあまりいないなあとは思った。

 だったらミラベルが眼鏡っ子たちも憧れる正統派ヒロインかというと、無能力であることで家族からみそっかす扱いされ周囲からもガッカリされていることに屈折した少女って設定もあったりするから、決して憧れにはなり得ない。最後に大活躍はするけれどもそれが眼鏡のない美少女の上に立つかといったらやっぱり頑張っているなあといった辺りだけに、ディズニーといえども眼鏡っ子の正統派プリンセスは出しづらいのかもしれない。ここはだからやっぱりアメリカ大統領が女性で眼鏡っ娘であることが、大事なのかもしれないなあ。そういう人材いるんだろうか。

 そんな「ミラベルと魔法だらけの家」がコロンビアということで、ふと思ったマドリガル家のダークな一面。実は怪力だとか予知だとか盗聴だとか変装だとか天候操作だとか猛獣使いだとか毒花生産といった異能を駆使して活躍している暗殺組織だったんだけれど、そんな家に生まれながら無能力だったミラベルは体を鍛え格闘技をマスターし、銃器の扱いを覚えて能力に頼る一家の誰よりも優れたテロリストに成長しては家を出て暴れ回るようになっていき、いつしかフローレシアの猟犬と呼ばれるようになったのだった。なんつって。いやほらコロンビア人の女性で褐色の肌に眼鏡ってやっぱりロベルタを思い出すから。そんなミラベル=ロベルタが活躍する漫画が読んでみたい。

 家にいたら寝てしまうのでパソコンを鞄に突っ込み電車に乗って海浜幕張まで行って、アウトレットなんかを流し見してからタリーズに入ってあれやこれやと原稿を打ったりメールを書いたりして時間を凄く。妙に腕時計が欲しくなってアウトレットのシチズンの店舗をのぞいたけれど、3割引程度は他の店もやっているからあんまりありがたみはなさそう。「EUREKA/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」でホランドがはめていたシチズンのATTESAが欲しいなあ、でも高いよなあ。岸田総理御用達のセイコーASTRONでも良いんだけれどやっぱり高い。セイコーコレクションあたりで我慢するかなあ。


  【12月3日】 将棋の藤井聡太四冠が順位戦のB級1組で近藤誠也七段を相手に勝利してこれで8勝1敗となって勝ち星ではクラス1位でA級昇級に大きく近づいた。これだけの好成績でもまだ決まらないのは1局分、対局が少ない佐々木勇気七段が7勝1敗でピッタリ付けている上に千田翔太七段も6勝3敗で残り全部買って9勝となり、藤井四冠が残り全部敗れて9勝で並んだ場合に佐々木七段が上にいたら順位から頭ハネとなる可能性があったりするから。とはいえ藤井四冠が残り3連敗するとは考えられないから、実質的に昇級は決まったと言えるじゃないかなあ。来期A級で名人挑戦者になれば再来年の夏前に名人獲得が決まるかも。なるか最年少名人。ワクワクしてきた。

 「自分の時間配分で仕事ができ、自由な時間を増やす事ができるけど自由なお金は減るので心は貧しくなると思います」(男性/50代/千葉県)「誰かをちょっとクスッと笑わせる事が出来る優しさと面白さが溢れた文章を書けるようになりたいけど、無理です」(男性/50代/千葉県)「昔から文章を書く仕事に興味があった。(才能はさておき)歳を重ねても続けられるかな?と思ったけど限界です」(男性/50代/千葉県)「場所や就業時間は調整できるけど、仕事量はあれば山ほどでなければまるでなく、これからの格差社会で底辺を這いずり回ること確実な働き方だと思うため」(男性/50代/千葉県)。これ全部、ライターという職業に就いたとある男性のコメントです。

 元ネタはどこかの調査会社が調べた令和に大人がなりたい職業でライターがトップになった脚気だけれど、それによると時間が自由だったり文章が書ければ簡単になれたり仕事量を自分で調整できて主体的に動けたりするって考えているらしい。そういう面もないでもないけれど、時間と報酬は裏腹だし休日だと思えば休日だけれどそれは休んでいるのではなく仕事をしていないだけのこと。報酬はゼロだということを理解すればなかなかに自由だとは思えないんじゃなかろうか。それでもやっぱり憧れるのは朝6時におきて7時に家を出て8時に会社について8時半から5時半まで、しっかり仕事をしたって得られるのは何かってところに迷ってしまうからだろう。

 それなら寝ていて時々仕事をして、それでどうにか食べて行ければ十分って思えてくるのかも。ひとつ言えるのは貯金があって10年は食べて行けそうなら、ライターをしても悪くはないかもってこと。ただ文章ってのは慣れていなければ簡単にはかけないのでそのための訓練を5年やっているうちに、貯金も使い果たしてしまうかもしれないからやっぱり仕事をしながらでも、書く訓練をしてからなるべきだって言っておこう。記者って肩書きで30年描いてきたって文章なんてなかなか書けないんだから、そんなに簡単じゃないよ。

 フレッシュネスバーガーで仕事をしてから東京へと出かけるついでに東海神で東中山から移転してきたラーメン屋の「とものもと」に入ってしょうゆラーメン。なるほど平たくて縮れた面がさっぱりしているけれどコクもあるスープによく合っていた。なるほどこれならお客さも来るだろうなあ。家から徒歩10分圏内に「とものもと」があり「いさり火」があり二郎系の「ラーメン無限大」もあって便利だけれどなかなか食べにはいかないなあ。やっぱり値段がそれなりになるものなあ。あとラーメン屋ではパソコンが開けないからタリーズやフレッシュネスバーガーになってしまうのだった。残念。

 東海神から東葉高速鉄道と地下鉄東西線、そして都営地下鉄新宿線に乗って新宿バルト9へと出向いて「フラ・フラダンス」の舞台挨拶付き試写会を見る。なるほど福原遥さんは声優としても活躍しているけれど女優として立って当然の顔つきでありました。元まいんちゃん。そんな時代にたしか取材で見ているはずなんだけれど、手足も顔も細くてやや筋張っているような印象があっただけに、大人になってバランスがとれた姿になって相当な美人さんになっていた。人間は変わり女性は美しくなるのだ。

 「フラガール」という超名作を前例として持ってスパリゾートハワイアンズを舞台にフラガールたちの日々を描こうとした映画だけに、対抗したらなかなか厳しい戦いになるところを個性的な少女たちが集まって悩みながら成長していくストーリーに寄せることで、自分たちもいっしょに成長していけるような青春お仕事ストーリーになっていた。東日本大震災の影も当然入ってはいるけれど、それを強調するような内容にはなっておらず何と無く不在が仄めかされる程度。けれどもそれが余計に不在の寂しさを感じさせてだんだんと涙を誘ってくる。

 挟まれるファンタジーはそれを主観としてとらえればあり得る設定。客観からでは分からないようになっているところも、見る人の想像にお任せして本当にそうだったのか、そうありたいと願った日羽の気持ちなのか、そのどちらでも捉えられるようになっている。そこは上手かった。あとはやっぱり駒沢体育館でのフラダンスの演技かなあ、それこそ「リョーマ」の柳生ソロに匹敵するくらいの感動を驚きをもたらしてくれて、見る人を一種のクライマックス感に誘ってくれるから。いっしょに光る棒を振り回してコールをしたくなる。でもコロナでは無理だから心の中でコールしつつ、いつか解放される時を待とう。


【12月2日】 愛知県で起こった中学3年生による同級生の刺殺事件に関連して、「週刊文春」が犯人の少年はSF好きだといった記事を掲載して見出しにも歌っていたりして、それはいったいどんなSFなんだと気になって読んだら「ハリー・ポッター」だった。ここでハリポタはSFじゃないと叫ぶかというと2001年にシリーズの「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」がアメリカで行われているSFの賞「ヒューゴー賞」を受賞しているからハリポタはSFだったりするので、「週刊文春」の言い分もあながち間違いではないのかもしれないと思ったのだった。

 そこまで含み置いての見出しじゃないとは思うけど。普通に「ハリポタ好き」と書けるはずだけどそれを書くと業界的にきっと拙いんだろうなあ、いろいろと関連しているお仕事が回らなくなるとか。あるいは本石から訴えられる可能性があるとか。SFだったら訴えてくることもないだろうと思ったのかもしれないけれど、一方でSFの定義について厳しい層からはいろいろと異論が起こった模様。ただでさえ定義問題で侃々諤々の論争が繰り広げられてきたSFを参考例に挙げるとは「週刊文春」も不用意だなあ。SFマガジンあたりが「ハリポタはSFか論争」でも仕掛けるかな。

 いやいや早川は別口でちょっと味噌を付けたのであまり火中の栗には手を出さないか。なかなか手に入りづらい絶版SFを取り上げて、そのタイトルとかうろ覚えの記憶からこんな話しじゃないかと買いて盛り上がろうって趣旨だったけれど、絶版とはいえ過去に出ていた本があるのにそれに経緯をはらわず勝手に中身をねつ造するのはケシカランといった声が起こって企画は中止になったみたい。絶版にしているのはその出版社だろうって意見もあって自分たちで読めなくして置いて、勝手に中身を改竄して盛り上がるなんてといった意見は確かにそう。オリジナルに敬意を示してそこを紹介することで再刊への道筋を作るのが文化的でもあるからなあ。あるいは絶版になって当然だからこその中身を面白おかしく紹介するなら勇気は買ったか。難しい。

 2003年に華々しくオープンした文京区のJFAハウスがここに来て存立の危機にあるらしい。2002年のワールドカップで大もうけした金に貯金を足して60億円で買ったのは良いものの、最近になって日本代表の試合に客が入れられないこともあって収入が大きく減って赤字が続き、その額も4年間で80億円に及んでJFAハウスなんて運営してられないとなったらしい。おいおいそれをやるならそうなってしまった原因を取り除くのが先じゃないのか。新型コロナウイルス感染症の影響で無観客になる前から日本代表に対する関心はぐんぐんと下がっていたりした。それはすなわち森保一監督が繰り広げるサッカーの魅力が足りず観に行って楽しい嬉しい大好きなサッカーになっていないことで、そんな監督を選任したのは誰かといえば会長以下の幹部連。まずはその責任が問われるべきじゃないのか。

 ハリルホジッチ監督の解任をめぐるごたごたも代表というコンテンツに対して内輪の論理で当たりがちな日本サッカー協会の体質が見え隠れした。世界に通じる強いチームにするよりも自分たちの仲間が目立てるチームにしたいという意識。それが結果として強さという最大の特色をスポイルしてしまって魅力を損なったことを反省せず、新型コロナウイルス感染症の影響にの責任を押しつけて済むと思っているところがいただけない。そう思っているからこそのこの惨状でもあるんだろうなあ。そんな組織のトップに立つ田嶋幸三監督は責任を表明するどころか再任も決まってしばらく会長の椅子に座り続ける。城を明け渡す無様を演じてなお座っていられるか、これはダメだとOB連が立ち上がるのか。どっちにしても内紛であって強さには結びつきそうもない。やれやれだぜ。


【12月1日】 六本木のウェンディーズでワイルドロックを囓りながらオンライン会議。交差点そばと場所は最高なのに近所にあるスターバックスがいつも満席なのとは対照的にあまり人がいないのは知られていないからかお洒落じゃないからか。でも座席は木彫で居心地も良いしなにより電源が用意されているから仕事をするのに最高。ワイルドロックはバンズの代わりにパテで野菜をはさむという不思議な食べ物だけれど、その分糖質も押さえられているから健康に良いのかどうなのか。そんな楽しみ方ができるから僕は六本木ではいつもだいたいウェンディーズを使うのだった。

 会議が終わったのでせっかくだからと国立新美術館で開かれている「庵野秀明展」を観に行く。2度目。具体的にどれくらいの展示が増えているかは勘定できなかったけれど、何と無く全体に増えているような気がしたし、何より観客が会期末だというのに減らずむしろ増えているのが素晴らしい。その世代も若い人が圧倒的で女性も多いというから不思議というか何というか。オタクを煮染めたような人で性格も生活もモテからほど遠いにも関わらず、これだけの人気を誇るのは生み出すものが女性も含めて人間の心にぐさっと突き刺さるからだろう。

 たとえばデザイン。最初の部屋に居並ぶ特撮関係のプロップはなるほど特撮マニア的にも垂涎だけれどどれもスタイリッシュでクールなフォルムと色使いを持ったものたちばかり。そうしたデザイン性を庵野秀明というフィルターを通して見せてくれると、やっぱり女性も憧れるクールなフェティッシュになるのかもしれない。あるいは物語。エヴァンゲリオンにしてもナディアにしてもラブ&ポップにしてもシン・ゴジラにしてもやんちゃな女性やきりりとした男性が登場しては頑張る姿を見せてくれる。そこに人として惹かれるのかもしれない。そんな庵野秀明さんを見て育った世代が時代のクリエイターとして何かを生み出すのかどうなのか。消費者にとどまってしまうのか違うのか。答えは遠からず出るだろう。

 国立新美術館を出てTOHOシネマズ六本木へと向かい「ミラベルと魔法だらけの家」を見る。力持ちだとかヒーラーだとか超聴力だとか未来視だとか天候操作だとか猛獣使いだとか変身だとか花咲か美女といった超能力の持ち主たちが集う家にあって唯一、能力を持たずに生まれた娘が「その幻想をぶち殺す!」といって右手で殴ったら超能力が消えて家がバラバラに吹っ飛ぶ物語だった。本当だって。まるで上条当麻のようなその存在は、単なる無能力ではなくて神が何かしらの目的を持って生み出したカウンター的な異能力の持ち主だという点でも「とある魔術の禁書目録」と重なるところがある。ただし舞台は世界というよりコロンビアの密林の中。動乱から逃げ出した夫婦と3人の子供たちだったけど、途中で夫は追っ手を止めようとして命を失ってしまう。

 その時、奇跡が起こって夫婦ら一行は山に囲まれた土地に逃げ込んでそこで3人の子供たちに不思議な能力が備わって、そして不思議な家も与えられてそこで一家は一帯を満たすような活動を始める。やがて3人の子供のうちの娘2人は婿を得て子供も生まれ、そんな子供たちにも新しい魔法の能力が与えられて一帯を幸せにする活動に加わることになる。次はミラベルという娘の番。期待を持って魔法が与えられるドアノブに触れたけどなぜか魔法は発動しなかった。自分は落ちこぼれ。そんな気鬱に沈むことなくミラベルは誰かの役に立とうと頑張るけれど、内心ではやっぱり寂しさと悔しさを感じていたんだろう。

 そんなミラベルの悩みに呼応するように家が壊れ始める。魔法も失せ始める。何が起こったの。そして浮かび上がる魔法を使える一家の人たちが抱える悩み。頑張っているけど報われない。当たり前だと思われていることへの不安と期待に応えられないかもというプレッシャー。それでも頑張れと言い続ける祖母へのあるいは戒めとして、ミラベルという無能力者は生まれその家族を結びつけるという本当の能力の発動へと至らせたのかもしれない。そんなストーリー。3DCGだけれどよく動いて柔らかくってダンスしたり駆け回ったりするミラベルの脚とかとってもなまめかしかった。そういうルックだけはディズニー、頑張しすごいよなあ。吹き替え版だったけどしっかり歌声が載る字幕版も見てくるか。


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